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(1)

 

わたしはバスに乗っていた。
座席は中央の入口を境に前方左側。
二人掛けの窓際で通路側には誰も座っていない。
更に同じく、わたしより前方左側の座席には女子高生らしき若者が数人座っていた。
『わたしは一体どこへ行く為にバスに乗っているのだろう?』
ふとそんな思いが心の中から湧いた後、ある学校の文化祭へ行こうとしていることが分かって来た。
分かって来たというのも変だが、『そうだったな』と記憶が不意に甦ったような感覚を覚えた。
ところがわたしはその学校の場所をハッキリと知らないようなのだ。
それどころか学校の名前さえ浮かんで来ない。
そこで思いついたように、直ぐ前の席に座っていた女子高生の一人に訊いてみた。
すると彼女が言うには、わたしが今から行こうとしている場所は、なんと彼女たちが通っている学校らしい。
「新宿24丁目で降りたら目の前に乗り換え用のバス停があるから、そこで別のバスに乗り換えたら着きますよ」
『新宿24丁目? 乗り換え?』
初めて聞く場所の名前を心の中で不安げに繰り返す。
そして更に続いた彼女の説明によると、新宿24丁目が今乗っているバスの終点で、自分たちと同じ制服を着た学生たちが居る筈だから直ぐに分かると言う。
『そうか…… 彼女たちも一緒なんだ…… なら安心か』
そう思ったのも束の間、彼女たちは学校をさぼってしまうのか、新宿24丁目に未だ到着していないのにバスに乗っていた女子高生の全員が違う名前のバス停でバスを降りてしまった。
『……とにかく、わたしは新宿24丁目で降りればいいのよ!』
紺色のタータンチェックのミニスカートと、ルーズに履かれた白ソックス姿の女子高生たちの足元をバスの窓から見送りながら、わたしはこのまま座席で耐え続けるしかないような心持ちでそのままバスに乗っていた。


(2)

 

女子高生たちがバスを降りてからどれほどの時間が経っただろう。
他の乗客のことなど一切目に入らないほど神妙に、ただ一点新宿24丁目という名称だけに意識を集中させ、その間の時間の経過などまるっきり覚えていなかった。
そして遂に終点の新宿24丁目に到着した、と思ったわたしはそのまま神妙な面持ちでバスを降りた。
するとバスのタラップから地面に足を着けるや否や、身体は何処かの改札口をスーッと通り抜けると、自分の意思とは関係なく見知らぬ広場に出ていた。
広場はバスセンターのようにたくさんのバス停があり、一体全体乗り換え用のバスはどこに並んで待てば良いのだろうか迷ってしまうほどに、その数がランダムに点在している。
『……確か、女子高生は乗り換え用のバス停は目の前にあると言ったわよね? でも、この数の多さは何!?』
不審に思いながらわたしは乗り換え用のバス停をうろうろと探し始めた。
しかしバス停の数は探せば探すほど増えて行くような錯覚を覚える。
わたしは小走りに探し回ったせいで少しパニック状態になりかけ遂に足を止めてしまった。

すっかり途方に暮れてしまったのだ。
と突然、重要なことに気が付いた。
『あっ! ココは新宿24丁目じゃない、まだ23丁目なんだわ……』
なんと終点の24丁目に着いたと思いこみ、バスを早く降りてしまっていたのだ。
『しまった!』
慌ててさっき降りたバスのバス停を探し回った。
ところが幾ら探しても24丁目行きと記されたバス停は何処にも見当たらない。
さっきと同じように探せば探すほど増えて行くような感覚。

わたしは24丁目行きのバス停を探し出すことにすっかり疲れて切ってしまい、そんな肉体に呼応するかのように、脳の思考も自分の周りの時間も完全に止まってしまった。

……いわゆる空白の時。

ところが、その空白の空から一矢の閃きが飛んで来た。

そして鋭い閃きがわたしを取り巻いていた全てをリセットしてくれたのだった。
『そうよ! とにかく今来た道を辿って、元居た場所に戻ればいいのよ!』


(3)

 

戻ればいいと考えついた私が、実際に戻れる保証は何もなかった。

なにせランダムに並んだバス停で既に自分の居場所を見失っていたのだ。

ただ、この単純な閃きが乱れ切った心を救い、冷静さを取り戻したことによって、再びバスに乗るということに意識を集中させることに成功した。

つまり成功とは、次なる段階へと自分を導きバス停から思考はバス券へと移行していた。

『……そうだ……バス券』
そもそも初めに乗っていたバスでバス券なんて買ったのかどうかも、バスを降りる時にバス券で精算したのかどうかも記憶が定かでない。

しかし心の中ではバス券を買わなければいけないわ、と思い込んでいる。
そしてその思い込みが同じ思いの人間を呼び寄せたかのように、忽然と現れた見知らぬ人物がわたしの直ぐ隣で必死にバス券を探し始めた。
「ない、ない、ない……」
実際その人物が口に出して言っている訳でもないが、その慌てぶりから心の声がそう聴こえてくるような錯覚を覚える。
それに外見だけでは性別を判断し難いその人物は、まるでわたしの道中の連れであるかのように何故かぴったりと寄り添っているのだ。

波動がもろに伝わってきそうな距離。
『……にしても、一体この人は誰なんだろう?』
そんな疑問もさることながら、どうしてもバス券を探し出せない様子のその人物が気の毒に思えてきた。
すると気の毒だと思った念に感応したかのように、わたしの手には切手シートのようなシール状の物がどっさりと握られていた。
『あっ……これ……』
掌の大量のシールを見た瞬間、わたしいは自ずとシールの使い方が理解出来た。
『なるほど! このシールをあのカードに貼ればいいのね』
<あのカード>とはその人物が手に握っていたハガキ大の紙のことで、シールが手の中に現れてからわたしお視界に入ってきた物だ。
わたしはカードを見て、咄嗟にシールを分けてあげようと思った。
『あの……あなたが探されている物はコレじゃないかしら? 良かったらどうぞ』
するとその人物はわたしが差し出したシールを無言で受け取ると、自分のカードにシールを貼り始めた。

しかしあと数枚で全面を貼り終えるところで、何故かその人物はシールを貼ることを止めてしまった。
『ん? 全部貼らないのか……』

ところで、その様子を見ていたわたしにも、実はいつの間にか左の上着のポケットに自分用のカードが入っていた。
そしてカードにシールを貼ることで、どうやら元へ戻る改札口を通ることが可能になるらしいと分かって来た。
誰に説明された訳でもなかったが、そんな思いがふつふつと湧いて来たのだ。
『そうか…… 多分、行き先によって貼るシールの枚数が違うのね?』
わたしは未だシールを大量に持っていたにも係わらず、3枚だけをカードに貼った。
たった3枚とは連れの人物に比べて随分と少ない枚数だが、それ以上貼る気にもならないし貼る必要性も感じなかったからだ。
わたし達はお互いカードにシールを貼り終えると、更に別の改札口を一緒に抜けることになった。


(4)

 

『これで戻れる』
そう思って抜けた改札だったが、抜け出た場所にはバス停らしきものは見当たらなかった。
それどころか駅の構内のような光景と、列車にでも乗り込むつもりなのか急いでホームに向かっているような人々の往来が目の前に鮮明に広がって来た。
『改札だから……駅? いや、バスを降りてから改札を通るまでに駅なんて無かったわよね?』
足を止め不審に思いながら、どうしたものかとあれこれ思案していると、耳元でふいに声がした。
「ではこれで」
『え?』
ハッと吾に還って辺りを見回すと列車がホームに到着したばかりのようで、人々の流れの一部がその列車に向い始めていた。
そしてその流れの中にチラリとコチラを向いた人物がいた。
『あれは……』
さっきまでわたしと一緒に居た見知らぬ連れ。
そして切手を貼ったカードを持参して共に改札を抜けたあの人物のようだった。
『さっきの声……あの人か…… それにしてもいつの間に……』
しばらく遠目にその人物を追っていると、足元の白いものが印象的にわたしの目に入って来た。
『白い……ソックス?』
今までどんな服を着ていたかなんて気にも留めなかったし、まるで記憶に残っていなかった。
それでもあの人だと分かったのも不思議だが、どうして白いソックスを履いているのだろうと疑問に思ったその時だった。
自分の右手にはいつの間にやらビニール袋が握られていることに気が付いた。
何だろうと持ち上げてみると、中には白いソックスが入っている。
わたしはビニール袋の中のソックスを眺めていると、再びソックスの意味が理解出来た。
つまり列車に乗るにはこのソックスを履かなければいけないらしい。
そう理解出来た瞬間、往来の人々の殆どがビニール袋に入った白いソックスを手に持っていることに気が付いた。
そして白いソックスを履いた人々だけが列車に乗り込んでいた。
止まることの無い人々の流れ。
その人々と同じ物を手にしているわたし。
しばらく茫然と目の前の光景を眺めているうちに、沸々とある感情が込み上げて来た。
『履きたくない!』
わたしは白いソックスを絶対に履きたくないという強い思いを抱きながら、新宿24丁目に行かなければいけないと思っていたことも、その為に乗らなくてはいけないバスのことも、すっかり忘れていた。


(5)

 

ひんやりとした感覚。
玉砂利の上に立っているわたしは白のソックスどころか、靴も草履も下駄も何も履いていない全くの素足になっていた。
白のソックスを履きたくないと強く念じた想いが、どうやらわたしを素足にしてこんな場所まで運んで来たらしい。
こんな場所……多分この玉砂利の一本道を進んで行けば鳥居が立っているんだろう。
そう思いながら遥か前方を見遣ると、一歩も進んでいないのに本当に鳥居が見えて来た。
『それにしても静かだわ……』
いや、さっきまで居た場所だって騒音がしていた訳じゃない。
きっと人の往来に酔って騒々しく感じていただけなのだろう。
バス停の数といい、人間の数といい、数が多いと心までざわつく。
だから今は、自分以外の人間が見当たらないだけで心が落ち着く。
寂しいという感覚も無く、ただ静かに佇む。
『鳥居……神社?』
心が鳥居の向こう側に何となく惹かれ歩を進めようとした。
ところが素足には玉砂利が痛いと感じる。
「さて、どうしますかな?」
ふと耳元で老人の声がした。
『え? わたしは……』
そう訊かれて本当は自分でもどうしたいのかわからない。
「やはり24丁目を目指しますかな?」
『え? 24……』
すっかり忘れていた24という数字に、新宿24丁目のことがわたしの脳裏に甦って来た。
『そうだ! わたしは新宿24丁目に向かっていたのよ。 だけど23丁目で……』
「なるほど、あなたは本当は24丁目には行きたくなかったようですな」
『あ、いえ、24丁目に行くつもりで……』
「でも、辿り着けなかった」
『はい……』
「では未だその時期じゃなかったということでしょう」
『その時期?』
「ま、いずれ誰にも来る時期ですが、時々あなたのようにせっかちさんがいらっしゃる」
『え? わたしがせっかち?』
「ほほほほほ……それでは戻るお手伝いをしましょうか?」
『え? 戻るって、24丁目に行くバス停へですか?』
「いえいえ、24丁目に行ってしまったら、もう戻れませんからね」
『戻れないって? 何処へ戻れなくなるんですか? それよりココは何処ですか? あなたは誰ですか? 姿を見せてください!』
「まぁまぁ、そうせかさないでくださいな、せっかちさん。 ほほほほほ……」



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