【08`09/19】京都 一日目 (その参)
弱冷房の車内。
窓から見える曇天。
建物が次々と過ぎ去っていくのをぼんやり見つめて、私は思った。
このバスは、どちらへ向かってらっしゃるのでしょうか・・・・・・
京都の地図がまだ頭の中にはっきりと浮かんでこない私でしたが、絶対目的地へ向かっていそうにないのは分かった。
だけど、バスの行き先にちゃんと目的地のトコ行くって出てたはずなんですけど。前と横で2回確認したから、間違えたということはないはず。
ここは慌てず騒がず、とりあえず『歩く京都』に付いていた地図を広げてみる。
うん、よく分からない。
裏はどうなっているのかと、引っくり返してみたら、路線図が載っていた。
うん、今気付いたよ。
車内アナウンスを頼りに、探してみたら、目的地には行ってくれるのだという事が分かった。
そして、そこに辿り着くのに、ぐるっと大きく回ってから行くのだというのも分かった。
ものすごくヤラレタッと思った。
なるべく遠くに行かないよう選んだのに、バスで遠回りしてどうする!
よくよく路線図を見てみると、例えば二条城へ行くにしても、バスの番号によって通るルートが違っているようでした。
だから、“市バス・地下鉄案内所”で乗車券カード買ったときに、路線図もくれたのですね。今やっと理解したよ。
(普段地下鉄で移動するので、バスではそういうことがあるというのを、すっかり忘れてました。)
一発目で失敗して、それに気がついて、ある意味ラッキーだ。
乗っちゃったし、途中で降りるのもなんだか負けたみたいで悔しいから、車内観光と洒落込ん(?)でみましょうか。目的地には行ってくれるのだし。
ただ、叔父との待ち合わせには遅れるだろうけどね。(ごめんなさい)
“東寺”
真直ぐ京都駅へ行ってくれるバスが停まるバス停に行って、時間を確認してみたら、そのバスが一時間に一本だったので、(他のバスもあまり来ないようで)せっかくなのでちょっとぐるっと一周してみた。
看板によると、明日の20日から催し物があるとのこと。
ここでも修学旅行生を発見。
そして、『歩く京都』を持っている観光客を発見。なんだか仲間を見つけたような気持ちに。
現存する木造の塔では日本一という高さを誇るこの五重塔。
過去に4回の落雷で焼失(現在のは江戸時代に創建された5代目)しているためか、すぐそばに消防署(おそらく支部)がありました。
今度こそはと乗ったバスはちゃんと真直ぐ“京都駅”に行ってくれました。
そして、バスを乗り換え、目印の二条城へ。
なぜかこのバスに一緒に乗ったのは、大量の小学生。
引率らしい大人と全員おそろいの封筒を持っていて、子ども会か?と思ったのですが、一人が「修学旅行」と書いたしおりを持っていました。
見る限り年齢ばらばらだったから、一学年ではなくて、一学校の修学旅行かな?
世の中にはいろいろな学校があるんですね。
そして到着の二条城。
私は叔父に待ち合わせ場所として指定されたのが、全日空ホテルだったので。
遅刻確定だったので、連絡しました。
ホテルの喫茶室で待ち合わせ。洒落てるなぁと思いつつ、キャリーケースを引っ張って、駆け足で向かいます。
さすが全日空。入口から洒落てます。ドアマンは普通のキレイな制服なのですが、ホテル内の女性従業員は着物でした。
胸の内は、「すごい」をもうちょっと崩した言い方を連発していました。
喫茶室で叔父と合流。
大きな窓の前の席だったので、外に造られた滝と、池で泳ぐ色鮮やかな鯉がよく見えました。ここの鯉は、たまにはねる。
叔父と久しぶりに会ったのは嬉しかったです。
会うとすればお正月ぐらいだったので、この時期に叔父と会うことになるのはレアだなぁと思いつつ、ケーキセットを食べさせていただきました。
ふわふわのショートケーキ!
そして、叔父は美術館の情報を持ってきてくれてました。
プリントアウトしたものをホチキスでまとめてあるあたり、叔父らしいなぁと、どっちかというとそっちに気をとられてました。(ちゃんと読んだよっ)
美術館は京都にありすぎて、どこに行こうかと迷っていたので、とても有力な情報でした。
はじめっから遅刻しましたが、まぁ無事合流という事で。
忘れがちですが、台風接近(京都からはずれたけど)だったんですよ。
叔父の家で待っていた祖母は心配してくれていました。
私は「そう言えば、そうだったなぁ」と、すっかり忘れてましたけど。
【08`09/20】京都 二日目 (その壱)
意外と知らない人が多いのですが、「ラジオ体操」は夏休み以外もやってます。
全国周る「今日は何とか県のどこどこに来ています~」というのは夏休みだけですが、毎日(日曜はどうだったかなぁ)ラジオ体操はやってます。
6:30に起きて、ラジオ体操をして、第二体操まで頑張ったその後の二度寝って最高なんですよねぇ。あれほど気持ちの良い二度寝の仕方は他にはないと思っています。
二度寝をするという堕落感に浸りつつ、残りわずかとなった時間を睡眠で貪るのがたまらない。
そんな私ですが、京都滞在期間中は二度寝をしませんでした。というか、していられなかった!
2008年9月20日(土) 京都 二日目
ロード・オブ・ザ・フィロソフィー
今回は京都に来ていませんが、祖父が朝散歩するというのを聞いて、私も散歩して来ました。
朝ごはんは散歩から帰ってきてから食べることにしたので、あまり遠くまで行けませんけど。
だけど、歩いて“二条城”に行けちゃうんですよね。
中には入りませんでしたが、周りをぐるっと周ってみました。
始めは寝ぼけているような感じでしたが、歩いていくうちにだんたん頭がすっきりしてきました。
“神泉苑”
9:00~(20:00)なのでまだ開いてませんでした。
京都では、歴史的な建物の前には必ず立て看板があります。そこにはその建物の歴史が書かれてあるので、とても参考になります。
目印にもなるし、目を通してみると意外な歴史を発見したりする事も。
ここの看板は古かったですが、たいていは新しいものだったり、あえて古いものを残してあったりしてあります。
よくみるとセミの抜け殻が。
二条城の周りは散歩コースになっていて、ウォーキングやジョギング、犬の散歩をしている人をたくさん見かけました。
普通の運動公園の周りの感じです。
だけど、京都の人はごく普通に二条城の周りで散歩してるんですよ。なんて羨ましい。そういった場所に恵まれている辺り、さすが京都です。
二条城なんてテレビのドラマでやっとみるのが(本物ではないけれど)精一杯なのに。
二条城の北側。
朝から二条城は贅沢だ。
周りの人はごく普通に散歩しているのですが、私は一人感動しながら歩いていました。
二条城チケット売り場すぐ隣の自動販売機。
よく見ると木目調。
隣のロッカーと合わせてあった。赤だと派手すぎて浮いてしまうだろうからか。
“二条城”
これまで読んできた新選組の本が頭の中を駆け巡る。
幕末関連の本は最近読み始めたので、まだ数が少ないので、無理矢理新選組を引っ張っておきました。
(幕府側の人間について、今度探して読んどこう)
ここは8:00~(16:00)なので、開いてました。
ですが、一周してさすがにお腹がすいたので、一旦帰りました。
二条城に行くのはまた今度。
今日の予定では、別の所に行くのです。「R」に。
【08`09/20】京都 二日目 (その弐)
「私、昔住んでいたからここら辺は詳しいよ」
バスから降りて、信号待ちしていたら、そんな声が聞こえてきた。
横目でちらりと見てみれば、5人組の旅行客らしい女性達が。さっきの台詞はそのうちの一人が言ったもの。
私と目的地が同じようだったので、後をついて行ってみることに。
「あ、ここ“永観堂”だ」
・・・・・・住んでたの昔だから、仕方ないよね。
一日目でバスの失敗をやらかした私は、さすが学習しまして、『駅すぱあと』であらかじめ調べておきました。
自力で路線図見ようと思ったけど、バスの路線が複雑に絡み合ってて、探すのが大変。『駅すぱあと』は操作は簡単だし、かかる時間まで表示されるので、かなり便利。
『駅すぱあと』を教えてくれた叔父に感謝。これは本当に便利でした。
が、現地で地図見るのってめんどいよね。
鞄に『歩く京都』入れているには、入れてるんですけど・・・・・・。
あれだ、ハプニングも旅の醍醐味ですよねってことで。(←こらこら)
南に行けばなんとかなると思い、南下してみた。
観光客がこちらに向かって歩いていっているので、今度は道があっているのだろう。(アバウト)
“南禅寺”
なんとかなった!
“三門”
石川五右衛門の「絶景かな」で有名な三門。
ですが、私はあえて『金閣寺』三島由紀夫。ちょっとだけ出てくるの、ここの三門が。主人公がサボって、ここに来るんですよ。
どっしりしています。
境内は自由に出入りできますが、三門の上に行くには500円の入場料が必要。
なんとかと煙は高いところが好きと言いますが、私も大好きです。
勿論、土足禁止。
ちゃんと靴下(パンプス用の)履いてきましたよ~。
靴は用意されていたビニール袋に入れて、上に持っていきます。そして帰るときにそのビニール袋を箱に返すという仕組み。ちょっとしたエコです。
びっくりするくらい傾斜が急!
階段を上がるのではなく、よじ登る感じで上へ。
絶景かな? あれから育った 木々の背で
遠くに一応京都の街が見えるのですが、木が生い茂っててよく見えませんでした。
遠くを見るよりも、むしろ下を覗き込むのが好き。
ここでもやっぱり修学旅行生を発見しました。
バスガイドの後をぞろぞろついていくツアー客団体の様子を上から見てみたり。
そう言われても、思わず槌と鑿をふるって彫りたくなってしまうぐらい立派で太い柱なんだ。
(さすがに持っていなかったから、やらなかったけど。というか、まず、やらない)
落書の被害は、どこも頭を悩ませているのですね。
看板は全部で四枚、一枚一枚違いました。それだけ思いが強い気がしました。
落書は、やった人はそれで満足するでしょうけど、後から来た人がそれを見ると気持ちがいいものではないですよね。それに、わざわざそんなところで自己主張せんでもいいでしょうに。見栄えを悪くして、先人の偉業をめちゃくちゃにするのはいただけない。完成しているものに、後世の私達が勝手に手を加えることは許されないんじゃないかなと。
これだけ大きくて立派な建物を建てた先人の偉業への賛辞賞賛は胸の中で拍手喝采する事で示して、ここに来たという喜びはその場で書いてしまわないで、後で日記に書いても遅くはないでしょう。
看板の効果があるらしく、ここでは落書は見かけませんでした。
ちなみに、ここ“三門”で、カメラのセルフタイマーと鞄を組み合わせてみることを思いつき、自分を撮ってみた。
鞄を立たせて、その上にカメラを置いて、画像を見ながら位置を微調整。それからタイマーをセットした後は、カメラの前に回りこんでポーズを取る。10秒後、撮影。
それなりに上手くいったので、あちこちで何度も自分を撮影しました。
やっぱり風景だけじゃ寂しいし、自分も写りたいのだけど、他人に頼むのだけじゃ物足りないですしね。それに知らない人の前では、自由にポーズ取れなくて。
それなりに周りから不思議そうに見られましたけど・・・・・・
頭上もだけど、足元もっと注意!!
降りるのどきどきでした。
“三門”から奥へと進みます。
進んだ先にある“法堂”のさらに右奥へと行くと、見えてくる赤レンガの橋みたいなもの。
“水路閣”
上は水が流れていまして、北へ向かって。
琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路(疏水)なのだそうです。現在は上水道の水源として利用されている現役の建造物。(参考:大本山南禅寺HP)
勝手に「水道橋」と呼んでましたが、『歩く京都』によると“水路閣”
上に上がってみると、こんな感じ。
さらに上へ行くと鐘楼がありました。
“水路閣”へは無料で行けるし、レトロな感じが大人気で、あちこちで撮影を試みる人たちが。
勿論、ここでもセルフタイマー活用させて、自分を撮りましたよ~。
10秒なのですが、撮ってもらう人がいないため、撮影中なのに気付かれなくて間を横切られそうになったり、ならなかったり、そのどきどき感もたまらなかったりしました。
【08`09/20】京都 二日目 (その参)
南禅寺を出たら、とっとと本日最大の目的地に行ってしまおうという予定でした。
が、所詮予定は予定。
途中で通りかかったとある学校前にイラストマップなるものが掲示板に貼られておりまして、それを見ることにより予定はあっさり変更されました。
そのイラストマップには周辺地図に、近郊にある見どころと簡単な説明が書かれてありました。
『日本で最も古い私学の1つ』であるその学校から北へ進んで、一分のところにある“永観堂”には、『世界で唯一!! みかえり阿弥陀如来像』があるというのが、そのイラストマップで知りました。
分かりやすい上に、人の心を掴んでいくとはなかなかやってくれますね。
“永観堂”
門の左をみてみたらあった句言。
なんだか深いです。
ここから先は600円必要。
紅葉の時期(正しくは、11月の寺宝展開催中)は1000円。
“釈迦堂”前の庭
庭を見ながら休憩できるスペースあり。
建物に囲まれている庭ですが、それでも窮屈さを感じさせないのは、緑が綺麗だったからでしょうか。
ちなみに庭は撮影可でしたが、建物の内部・襖絵等の撮影は禁止です。
入ってまず見える“釈迦堂”。この周囲には“唐門”、“悲田梅”があります。
受付でもらえるパンフレットにあれこれ解説が書かれてあるので、親切。
“悲田梅”
永観律師のがんばり(?)に応えたという由緒正しい(??)梅。現役。
“釈迦堂”より奥へと進んでいくと、右か左かへと分かれ道。
その真ん中にあるのが、これ。
“水琴窟”
柄杓で水をすくって、ゆっくり水を流すと、琴の音が聞こえてくるというもの。
なのですが、撮影者の後ろにある建物“御影堂”が修繕作業中で、肝心の音が聞こえない・・・・・・。
たまに作業音が止むので、タイミングを見計らってチャレンジしました。
水が深い穴の奥へと落ちていく透き通った音がしました。よくよく聞いていると、たまに弦を弾くような音がすることがありました。
水が落ちていくときに、石にぶつかってする音なのでしょうが、それが上手い具合にはじけて、そして響いたときに聞こえる音が弦を弾くような音に聞こえるというのは奇跡。
まずは左へ。
“臥竜堂”
階段にときめいたの始めてでした。
斜面にそって木が組み合わされているのが、すごい。すごすぎます。現代であれば、削るかどうかしてしまうでしょうが、調和を選んだんですね。そして、その選んだものに合わせることのできる技術があったということに、職人の意地を感じます。
ずっと進んでいき、途中から靴を履いて、さらに上がったところにある。
“多宝塔”
ここから京都の街が一望できます。
そして私はここでもセルフタイマーを活用して、大いに楽しみました。
欄干に座って、京都の街を背景にポーズとって遊んでました。
さっきの分かれ道に戻って、今度は右へ。
“三鈷の松”
針のような松の葉は、普通短くて、葉先はふたつに分かれています。が、この松の葉は長くて、葉先が三つに分かれているという珍しいもの。
『この松の葉を持っていると、3つの福が授かると言われる』(パンフレットより)
ただし、勝手に取っちゃダメですよ! 注意書きの看板もすぐ傍にあります。
売店でもらえます。絵葉書をそこで買ったら、くれました。二本もらったのですが、一本はお財布に入れて持ち歩いてます。もう一本は祖母に渡しました。今回来れた事には祖母が絡んでいたこともあるし、福は独り占めするより共有したほうが大きいから。
さらに進んで行った所にあるのが、“阿弥陀堂”。
ここにご本尊である“みかえり阿弥陀”がまつられています。
こちらでは、色彩の修復作業中でした。本堂内を色鮮やかに戻していく作業にしばし見とれてました。一気に塗っていくのではなくて、模様を上か丁寧に塗りなおしていくのです。
ずっと昔に建てられた寺院というものは、長い年月を経ることで、古くかすれていってしまっているもの。そこに年月を感じて、時間の重みを感じて、自分が生まれるずっと前から存在している建物に頼もしさを感じます。
建てた人はもういないけれど、その人が作った物、技を形にしたものが残っているというのが羨ましい。
色彩を元に戻すことで、見かけが当時に戻ってしまったようで、なんだか年月をリセットされたような感じがしていたのですが、作業を見ていると、まぁこれもありかと思えてきました。
建物が残っているのは、残そうとしている人がいるからで、残すためにあれこれ研究したりするのもまたそれは年月がさせるものだろうだと、そんな感じの事を思いました。こうやって修復するのも、またずっと続く歴史上の一つの出来事になっていくのだなぁと。
目の前の目的物そっちのけで見入ってました。
振り返ったところに美を見出すというのは昔からあるもので、ぱっと浮かぶとしたら「見返り美人図」。あの絵を描いた人はすごいなあと、文化祭のクラスの展示物で「見返り美人図」の貼り絵を作る作業にちょこちょこ加わる度に思った。
顔だけ見ると、その女の人は美人には思えないのだけど、そこに見返っているというポーズが加わることで、美人に見えてくる。
やはりポーズって大事なんだ!!
“みかえり阿弥陀”はご本尊らしいオーラを放っていて、格の違いを見せてくれました。
視線を真直ぐこちらに合わされているほうがインパクトを与えられるものです。じっとこちらをみているという力強さをひしひしと感じて、悪いこと出来ないよなぁと思わせられる。
だけど、“みかえり阿弥陀”は左を向かれているため、逆に印象に残ります。
真正面に座るこちらを見てこないというところに美しさがあった。他とは違うということで、その神秘さに惹きつけられてしまう。
回りこんで、その顔を見られるようになってました。そこで見せてくれた優しそうな顔もステキだけど、やっぱりあえてこちらに向けている横顔の方が美しいと思えた。
【08`09/20】京都 二日目 (その肆)
「あいつは戻らんぜ」
「そんなわけあるもんか。約束したんだ。姉さんの結婚式が済めば、帰ってくるさ」
「あいつに姉はいないよ」
芹名は傲然と言い放った。
(『【新釈】走れメロス 他四篇』 森見登美彦 祥伝社。「走れメロス」より)
京都を舞台としたこの本。
“山月記(中島敦)”、“藪の中(芥川龍之介)”、“走れメロス(太宰治)”、“桜の森の満開の下(坂口安吾)”、“百物語(森鷗外)”の5つを、現代風にアレンジしてあります。
「走れメロス」はお腹を抱えて笑ってしまうくらい、おかしかった。
芽野(メロス)の行動がハチャメチャで、面白かった。
芹名(セリヌンティウス)を人質に出したのに、約束そっちのけで逃げまくります。それに気付いた学校を影で牛耳っている生徒が、彼を捕まえるべく、権力を行使しまくるという。
なんと言っても、今回の旅を語る上で、決して忘れられない一冊。
この本を読み終わり、京都への思いを強めていたところにやってきたのが叔父からのメール!
これをミラクルと呼ばずになんと呼べばいい!?
その本に出てきた一つが“哲学の道”
この看板が見つけきらなくて、一度通り過ぎてしまったんですけどね。
人に聞いたら、「看板出てますよ」と言われて、引き返したら、あったと。
京都市左京区の「哲学の道」とは一風変わった名前だが、この道は近代日本の代表的な哲学者・西田幾太郎や経済学者・河上肇などがよく歩き、思索にふけったことから命名された、といわれている (最近、命名にまつわる新説が出版された) 。
( Kyoto Shimbun 街道を巡る「哲学の道」より引用)
琵琶湖疎水沿いに2km続くこの道。
植えられている木がほとんど桜だったので、春はきれいだろうなぁと。
『【新釈】走れメロス 他四篇』の“桜の森の満開の下”に書いてあった。
今回はその時期ではなかったので、色づく前の桜の下を歩いていきます。
道端で、絵葉書を売っているのを見かけて、一枚購入。水彩画で、一枚一枚手書きなので、それぞれ色使いが微妙に違ってと、世界で一枚だけの絵葉書。モミジの永観堂にしました。
“よーじ屋カフェ 銀閣寺店”
この建物の前に電話ボックスがあるのですが、小さな看板によると「恋がかなう電話ボックス」だとか。・・・・・・かける相手が思いつかなかった。
その入口前、左にあるジェラート屋にて。
ティラミス。
途中、“法然院”に行くために“哲学の道”から外れます。
右か左の分かれ道。
たぶん、右に行ったらいいだろうと思って、迷わず右へ。
そこでは迷うべきだった。
“安楽寺”に行っちゃった。
春と秋に特別公開。この時は行っても、入れなかった。京都にある全ての神社、お寺が自由に入れるのかなと思っていたのですが、拝観謝絶の看板を立てているところも多かったです。
無駄が人の発展を促進させてきたのだ!という思いのもとに行動していたのですが、さすがに動きに無駄がありすぎていいかげん面倒になってきたので、鞄から『歩く京都』を取り出して、位置を確認。
あそこでは左に行けばよかった。
そして、分かれ道の真ん中にはミラーがあって、「右・安楽寺 左・法然院」と書いてある看板が括りつけてありました。
今まで私って、他人の親切を無下にしていまったのだなと。