地下に潜る
1
翌日。
純は名刺の住所をあてにして、菅葦探偵事務所を探した。
「ここ?」
古い一軒家。ポストを見ると「菅葦友斗」と書いてある。
「ここだ」
車が止まっている。留守ではないようだ。純はチャイムを鳴らした。
「はい」
菅葦がドアを開けた。スーツ姿だ。純はかしこまった態度で長身の菅葦を見上げる。彼女は小柄ではないが、160センチまで行かない。
「こんにちは」
「・・・本当に来たのか」
「迷惑ならすぐに帰りますけど」
「迷惑じゃない」
菅葦は奥に行く。どうぞ、という意味だと取り、純は玄関に入り、ドアを閉めた。
「お邪魔します」
「どうぞ」
「あの、鍵は締めますか?」
「鍵?」菅葦は不思議そうな顔をした。
「殺し屋に狙われてそうで。締めといほうが良くないですか?」純が笑う。
「・・・そうだな」菅葦も少し笑みを見せた。
歓迎はされていると勝手に判断し、純は鍵を締めて中に入った。
二人はソファにすわって向かい合う。
「ドラマでは見たことありますけど、実際の探偵事務所に入るのは初めてです」
「そうか」
純は、やや緊張の面持ちでいたが、意を決して言った。
「実は、菅葦さんにお願いしたいことがあって来ました」
「何だ?」
「あたしを、アシスタントにしてもらえませんか?」
前置きなしの速攻だ。純は真顔で唇を噛み締め、菅葦の顔をじっと見た。
「アシスタント?」
「はい」
2
菅葦は厳しい表情で純を見る。純は次の言葉を待った。
「何ができる?」
「え?」
いきなり質問を返され、純は一瞬戸惑った。
「格闘技」
「あとは?」
「掃除でも洗濯でも雑用をやる助手って必要じゃないですか? あと買い物とかも。あ、料理もできますよ」
菅葦は渋い顔をすると、ハッキリ言った。
「助手はいらない」
「でも・・・」
「今まで一人でやって来たんだ。助手はいらない」
純は怯んだが、諦めなかった。
「見習いで使ってみてください。一生懸命頑張りますから」
「俺がやっている仕事は浮気調査や人捜しじゃない。もっと危険な仕事だ」
「ハードボイルド小説みたいな?」純が生き生きとした目で身を乗り出す。
「とにかくダメだ。助手は足手まといになる」
菅葦の断定的な言葉に、純は俯いた。
「使う前から使えないって決めつけるんですね」
「そういうことじゃない」
「見習い期間中はギャラは安くても構いません」
菅葦は、諦めない純に、怖い顔で聞いた。
「なぜ探偵をやりたいんだ?」
「今、失業中で。派遣バイトをしてたんですけど、頭ごなしに怒鳴られると殺したくなるんですよね」
菅葦は笑った。
「そんなに短気じゃ探偵も無理だ」
「生活のために仕方なく働くのと、自分が選んだ道は違いますよ」
唇を尖らせる純。菅葦は、真剣に説得にかかった。
「危険なんだ。冗談抜きに。やめたほうがいい」
3
純はムッとすると、段々喧嘩腰になってきた。
「人を見くびり過ぎですよ。確かに13人の男に囲まれたら何もできなかったけど・・・」
「たかが不良少年でも、13人となると、勝てるわけがない。でも俺のやっている仕事は、もっと危険だ。じゃあ聞くが、ギャングのアジトに潜入できるか?」
「やれと言われればやりますよ」純もムキになる。
「捕まったら終わりだぞ」
「拷問されるんでしょ?」純は赤い顔をした。「絶対に口を割らないから」
「バカ、割っていいんだ」
「え?」
「口を割らなかったら酷いことをされてしまう。その前に口を割れ。俺の名前を出してもいい」
テストしているのか。純は迷った。
「いえ、口は割りませんよ」
「ダメだ。アニメや映画じゃないんだ。拷問に耐えられるわけないんだから、拷問される前に口を割るんだ」
菅葦の真剣な表情を見て、純は聞いた。
「それは、あたしを心配して言ってくれているんですか?」
その質問には答えずに、菅葦は語り出した。
「悪人というのは、家族を人質に取ったりする。そこがウイークポイントだからな。しかし俺には家族がいない。ただ、助手がいれば、確実に人質の対象になる。危険だ」
そんなに危険な仕事をしているのか。でも純は恐れなかった。
「あたし、スリルは好きです。男たちと相対するときも、凄くスリリングですよ。だって、女は負けたらアウトだから」
菅葦は険しい顔をした。
「今まで、怖い目に遭ったことは?」
「危ない目に遭ったことは何度もありますけど、変なことをされちゃったことはないわ」
「そうか」菅葦は安堵の表情を浮かべた。
4
純は粘った。
「あたしを一度使ってみてもらえませんか? 結構使えると思うかもしれませんよ」
「探偵はやめたほうがいい。それより失業中ということだが、ハローワークとかは行っているのか?」
純は負けずに言った。
「まさか菅葦さんの口から、ハローワークという言葉が出るとは思いませんでした」
「普通だ」
「根っからのアウトローだと憧れていたのに」
「憧れるものを間違えていないか?」菅葦はやや呆れた表情になった。「ハードボイルド小説のような、ドラマチックな展開なんかないぞ」
「そういうことじゃなく、大したことない男に怒鳴られると、顔面にハイキックしたくなるんです。でも尊敬している人に叱られても、訓練だと思うことができます。そこを世の大人はわかっていないんです」
「尊敬?」菅葦が不思議そうな顔をして聞いた。
「命の恩人だし、菅葦さんのことは尊敬しています。殴られても蹴られてもついて行きますよ」
純は真顔で睨んで見せた。菅葦は大きく息を吐くと、ソファにもたれかかった。
「殴ったり蹴ったりなんかしない。懇切丁寧に教える」
「じゃあ!」
純が明るい笑顔で身を乗り出したが、菅葦は涼しい顔で言った。
「君は向いていない」
「嘘」
「まだ若いんだ。就職口はいくらでもあると思う」
「どれだけの氷河期か知らないくせに」純はかしこまって頭を下げた。「お願いします!」
「ダメだ」
純がソファを下りようとした瞬間に菅葦が言う。
「土下座したら不採用だ」
「おっと、危ない」純は思わず笑顔でソファに戻った。
5
結局、結論が出ないまま話は終わった。
菅葦は優しく玄関まで見送る。その紳士的な態度に純は少し救われる思いがした。
「あたしは諦めませんからね。あたしのやる気や執念をテストしてるんでしょう?」
「そんなことはしない」
「意地悪ですね。Sですか?」
唇を尖らせる純。こういう顔はめったに見せないのではないかと、菅葦は感じた。
「気をつけて帰るんだ。喧嘩をしたら不採用だ」
「犯されてもいいの?」
「そんなことは言っていない。自分の身を守るためなら正当防衛だ」
「あたしはいつでも正当防衛よ」
菅葦を睨むと、純は暗い表情のまま行ってしまった。ドアを閉めると、菅葦はため息混じりに呟いた。
「小悪魔の素質もあるな」
時計を見る。
菅葦は出かける準備をして、早速事務所を出た。
バスで駅に向かい、電車に乗ってファミリーレストランに入る。菅葦がハンバーグセットを注文すると、スーツを着た男が同じテーブルにすわった。
「見つかったかい?」大林警部は早速聞いた。
「まだだ」
菅葦の回答に苦笑すると、大林は小声で言った。
「一人くらいはいるだろう。君の人脈で何とか頼むよ。条件はそんなに厳しくないだろう」
菅葦は厳しい表情で大林の話を聞く。
「簡単な条件だろう。格闘技が得意で、若くてまあまあかわいければいいんだ。清らかキャラというのは俺にはようわからんが、君は把握してるんだろう?」
「女だけじゃない。万が一正体がバレた場合、助けなければいけない。その策が見つからない」
「マイクをつけるさ。マイクの音が聞こえなくなったら異変が起きた証拠だから即突入する」
大林が言うと、菅葦は怖い顔で確認した。
「本当に即突入するか? 犯人逮捕のほうを優先にする指揮官じゃ困るぞ」
6
大林は声を落とすと、言った。
「大丈夫だ。指揮は俺が取る」
菅葦は一瞬考えてから、大林を鋭い目で見た。
「俺も隣にいて口出しをしていいか?」
「構わん」
「警部。マイクの声が聞こえなくなってからでは、手遅れの場合がある」
「手遅れ?」
「人を殺すのに2秒とかからない」
「殺しはしないさ」
「なぜ言い切れる?」
菅葦の責める目を交わすように、大林は言った。
「こうしている間にも被害者は増えているかもしれんのだよ。とにかく一網打尽にする」大林は独り言のように呟いた。「本当に、危ない動画なんか規制すればいいんだ」
「安易だな」
「安易?」大林が睨む。
「動画を規制したって犯罪はなくならないだろう。蓋をするんじゃなく、もっと根本的な部分から解決する必要がある」
「根本的な部分?」
「法律で規制したって、悪党は地下に潜るだけだ」菅葦が身を乗り出して語る。「法を破ることを何とも思っちゃいない連中に、規制は通じない」
「根本的な部分というのは、何だ?」
「女に悪さしちゃいけない。これを心に刻印しなければ事件はなくならない」
大林は遠い目をした。
「それは、警察の仕事なのかな?」
「地下に潜れるのは警察だけだ」
「あまり潜りたくないな」
この議論はしたくないとばかり、大林は窓の外をながめた。菅葦は構わず責める。
「民間人に危険な任務をやらせるんだ。絶対に守ると言い切れる作戦を見せることが大事だと思う。でなければ、やる女はいない。裸にされるのが平気な女などいないと考えるのが普通だ」
7
菅葦は事務所に戻ってきた。純がいるので驚いた。
「まだいたのか?」
「ハンバーグは美味しかった?」純が笑う。
「・・・何?」
「怒っちゃダメだよ」純は両手を出す。「あなたが怒ると怖そうだから」
菅葦はドアを開けた。純が遠慮がちに声をかけられるのを待っていると、菅葦が聞いた。
「まさか、尾行していたのか?」
「怒っちゃダメですよ」
「別に、怒らない」
あまり見られたくない密談だった。内容を聞かれたとしたら大変だ。菅葦は鋭い目で純を見る。
「入ってくれ」
「殺さないでね」
純は玄関に入るとドアを閉め、鍵も締める。
「尾行をしていたのか?」
「ええ、まあ」
「なぜ?」
「認めて欲しくて」純はメモを出して読み上げた。「10時10分。駅到着。10時20分ファミレスに入り、ハンバーグセットを注文。半熟卵をゆで卵にできないかとウエートレスに言って困らせる」
菅葦は渋い顔をしながら黙って聞いていた。
「そこへスーツ姿の男性が来店。しばし小声で談笑。11時30分店を出る」
「もういい」
「11時45分電車に乗り、11時50分最寄り駅に到着。11時52分、バスに乗る」
「もういいと言った」
「そして12時8分、事務所に帰宅」
菅葦は大事なことを質問した。
「ファミレスでの話は聞いていたのか?」
8
純は真顔になると、菅葦の目を真っすぐ見つめた。
「聞こえてしまいました」
「・・・そうか」
純も聞く。
「あたしのこと、全く気づかなかったの?」
「探偵失格だな」
「元刑事の探偵にそのセリフを言わせるということは、探偵合格じゃないですか?」
明るい笑顔で迫る純に、菅葦は感心した。
「さすがは、闘技者だな」
純は、初めて誉められた気がして、笑顔がこぼれた。ニンマリする純に、菅葦は質問を繰り返す。
「で、話を全部聞いてしまったのか?」
「あたしは口堅いよ。でも、助手にしてくれないと、ネットで呟きそう」
「揺するのか?」菅葦が苦笑する。
「冗談よ。それより菅葦さん」純は真剣な顔で言った。「なぜあたしを選ばないの?」
「選ぶ?」
「とぼけないで。格闘技が得意で、若くて・・・まあ、かわいくないと言われたらそれまでだけど」
「かわい過ぎるのも危険だ」
「え?」純は目を丸くした。
「アバズレのように見えて、実は清らかな心の持ち主。それは最初から見抜いていた」
「嘘」
「でも、そこまで美人だと、悪党は別のことを考えそうで、それが心配だ」
純は落ち着かないそぶりで左右を見てから、菅葦を見つめた。
「菅葦さん、あたしのこと、そういう風に見ててくれたの?」
「そういう風にって、だれが見ても美人の部類だろう」
「嘘・・・」純は情けなくも舞い上がった。「ちょっと、凄い嬉しいんですけど」
9
喜ぶ純を無視して、菅葦は言った。
「俺は何人も悪党を見てきた。だから奴らの考えることは察しがつく」
純も緊張の面持ちで話を聞いた。
「最初から話そう。知っての通り、奴らは賞金100万円など払う気はない。簡単だ。二人を倒しても三人目に絶対に勝てない強い男を用意すれば済む」
「卑怯なことするわね」
「それくらい見抜けずに応募する女も無謀過ぎる。強いと言ったって上には上がいる。プロレスラーには勝てないだろう」
純は何も言わずに菅葦を見ていた。
「でも、純のような上珠を見れば、気が変わる。ただ騙すんじゃなく、ボスは欲しいと思うだろう」
「上珠?」純が小首をかしげる。
「まどろっこしい罠にはめることなく、いきなりボスの寝室に直行。そんな事態も想定して作戦を立てなければならない」
純は唇を噛んで一瞬迷いが心をよぎったが、聞いた。
「あの警部が、マイクをつけるって言ったけど」
「マイクから音が聞こえなくなって、即突入しても、間に合わないかもしれないぞ」
「何とか助けてよ。裸にされる前に」純は不安な顔色で言った。
「腕の立つ男の刑事を何人か先に潜入させればいいが、俺の調べたところ、かなりの人数だ。一人や二人では押さえきれない」
「調べたの?」
「人脈はある。顔ぶれを調べたが、敵はただのチンピラじゃない。格闘技の有段者だ。張飛や呂布じゃあるまいし、一人で何十人もなぎ倒すのは無理だ」
純が笑顔で言った。
「菅葦さんが潜入してよ。そしたら安心」
「残念ながら俺が得意なのは、ハジキだ」
「げっ」
「全員撃ち殺すわけにも行かない」
10
菅葦は語った。
「悪党は法の網をくぐる。規制をしても、地下に潜るだけだ」
「地下に潜る?」
「女をさらって監禁するんじゃない。罠を張って、女のほうから罠に飛び込んで来たんだ。しかも負けたら何でも言うことを聞くという約束に同意している。つまり、被害者も告訴しにくい」
「法には触れていないの?」純が聞いた。
「もちろん触れている。こんなことを商売にしていいわけがない。それに、奴らが撮って売っているのは裏だ。裏で密売している以上、犯罪だ」
純は意を決したように、菅葦に言った。
「あたしも、女を食いもんにする男は許せない。その警部を呼んでよ。作戦会議を開きましょう」
菅葦は渋い顔をすると、純に聞いた。
「思っている以上に危険だぞ。大丈夫なのか?」
「菅葦さんを信じている。絶対に助けてくれるって」
「重圧だな」菅葦が顔をしかめた。
「拷問されそうになったらペラペラ喋るから。ハハハ」
「それでいい」
「冗談よ」
「いやダメだ」菅葦が真剣な顔で言った。「拷問される前に全部喋るんだ。意地やプライドを捨てて哀願しろ。謝って許してくれそうなら謝るんだ」
純は唇を尖らせると、両手を上げて伸びをした。
「気が進まないけど、でも、あたしを心配して言ってくれてるんだろうから、嬉しいわ。言う通りに懇願します」
「無茶は禁物だ。よほどの鬼畜じゃない限り、女が弱気な顔で哀願したら、攻撃は緩む。悪党は、自分を恐れる者を好きだから」