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本書は、柔道の「指導」に生涯を捧げ、
ヨーロッパで柔道の普及に努めた
ひとりの柔道家の物語である。

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目次

はじめに


1 禁じられた柔道
2 永遠の恩師との出会い
3 選手から指導者へ
4 講道館職員時代の葛藤
5 三足のわらじ
6 指導者としての転機
7 戦後すぐの世界柔道界
8 “川石式柔道”とはなにか
9 小よく大を制す

技 

10 敗戦国から戦勝国へ
11 理論を制するものは技を制す
12 1951年のフランス柔道
13 指導に言葉の壁はない
14 外国で生活するときの作法
15 唯一の悩みはお金
16 稽古の三様
17 地道な草の根運動
18 礎を作った人々
19 川石酒造之助の間接攻撃
20 「断る」マナー
21 唯一の味方はフランス人
22 帰国前夜の番狂わせ

体 

23 ベルギーにも講道館柔道を
24 よい指導法がよい選手を生む
25 指導者の資質=人格
26 フランス柔道界に起きた大革命
27 共通言語を持つスポーツへ
28 ヨーロッパ人審判員の育成
29 リアル『柔道バカ一代』
30 弟子に超えられることは賛美


おわりに

※本文中に登場する人物は、すべて敬称略です。 


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はじめに

「あのね、なにいってるかわかってる?」

 2008年、3月。私は、柔道の総本山・講道館審議部に取材依頼の電話をしていた。電話口の怒りとも呆れともつかない口調で、瞬時に悟る。ヤバイことをいってしまったのか?

「あの、安部一郎十段に投げてほしいんです」

「とにかく、もう一度取材依頼をしなおしてください。それじゃないと話にならないから」

 電話を切って、再度FAXを送信する。8割がたダメだろうと落ち込んでいると、すぐに電話が鳴った。

「安部先生に聞いたらね、あっさり『いいよ~』っていってたからね。よかったね、ちゃんと稽古しといてね」

「ハイ!」

 威勢よく返事をして、本気で安心した。数日後、私は講道館を訪れて紅帯・安部十段が柔道の国際化に尽力した人物であることを知る。そこで初めて、無謀な依頼をしていたことに気づいたのだ。だが、もう引き返せない。

 そうして、いざ安部十段と対峙したあと、私は反省などすっかり忘れ、代わりに興奮を止められなくなっていた。

 なぜなら、安部十段に体落としをかけられたとき、袖をつかまれた直後には自分の体が畳の上にあったからである。

 投げられた感覚がなかったのだ。こんな投げられ方をしたのは、初めてだった。



 これが、安部一郎十段と私の出会いである。

 私は『R25』(リクルート・2008年5月15日号)で、「柔道帯の最高位は、何と紅!? “紅帯”所持者に投げられてきた!」という記事を担当した。『R25』とは、首都圏で60万部(配布規模、部数は当時)配布されているフリーマガジンで、私はいまも巻頭の「ランキンレビュー」というコーナーにライターとして参加している。

 この「ランキンレビュー」では、編集部からムチャぶりをされることも珍しくない。企画によっては、美人キックボクサーに蹴られたり、「スパトライアスロン」(温泉+トライアスロン)に参加したり、ライター+編集部員7人で北軽井沢まで行き「スポーツ雪合戦」強豪チームと対戦するなど、体当たりで取材し、記事を書く。

 そんなムチャぶり体験もの記事のひとつが、「安部十段に投げられてくる」というものだった。なぜ私かというと、たまたま柔道初段だったからだ。

 2年ほど前、安部の生涯に大きな感銘を受けたことがきっかけとなり、いま本書を書いているのだから、縁とは不思議なものである。


 おそらく、表紙を見た多くの方は、「なんでこのじいさん、赤い帯なんか締めてるんだ?」と疑問に感じられたことだろう。

 この赤い帯は、見た目のとおり「紅帯(あかおび)」と呼ばれ、講道館の定めたルールによれば、男子は九段にならなければ与えられない。ちなみに、初段から五段は黒帯、六段から八段は紅白だんだら帯(赤と白の縦じま帯)を締めることになっている。

 そもそも柔道の昇段審査は、大きくわけて3段階ある。初段から六段までは選手としての実力、七段と八段はさらに、審判員と指導者としての実績、柔道界への普及・発展の実績が基準だ。九段と十段に至ってはルールが存在せず、しいていえば考慮されるのは「その存在が柔道」といわしめるだけの功績を持っているかどうか。

 つまり紅帯とは、その人物が柔道界にとって重要な存在であるという証なのだ。安部一郎という男は、ことヨーロッパ柔道界において神様のような存在なのである。


 十段を与えられた人物は、歴史上わずか15人しかいない。そして、健在の3人のうち最高齢者が、本書の主人公・安部一郎だ。2010年11月12日に88歳の誕生日を迎え、いまもなお非常勤参与として講道館に勤めている。

 安部の功績とは、いったいなにか。一言でいえば、ヨーロッパに渡り、柔道を広めたこと。そして、ヨーロッパ柔道界において審判ルールを日本語に統一したことだ。

 いま、世界柔道選手権大会やオリンピックで、外国人の審判員が「イッポン!」「ワザアリ!」「シドー!」などと日本語で判定を行っているのも、安部の功労あってこそなのである。


 安部がフランスのトゥールーズに渡ったのは、1951年。第二次大戦後間もなく、日本国内にはまだ敗戦ムードが残っていた。

 肩書きは、講道館柔道の指導者。指導者とは、読んで字のごとく指導する者のことで、ほかのスポーツでいえばコーチや監督に当たる。

 安部は、帰国までの18年間、フランスとベルギーで柔道を教えるとともに、のちに同国で柔道界を牽引することになる選手や指導者たちを育て続けた。海外に住む柔道の日本人指導者など、数えるほどしかいなかった時代のことだ。


 試合で勝利した柔道の選手は、拍手と喝采を浴びながら、広い試合場の真ん中でただひとりの主人公になる。しかし、彼・彼女の指導者に光が当たることはほとんどない。

 柔道に限らず、スポーツ全般で注目を集めるのは、やはり選手だ。しかし、野球やサッカーの勝敗に監督やコーチの存在が重要なように、柔道でも指導者は選手の命運を大きく左右する。

 安部一郎は、オリンピックや世界選手権大会で名を残した人物ではない。そうした華々しい舞台が整うはるか昔に、フランスやベルギーの選手たちが歩む道を「指導」していった人物なのである。



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