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前置き


黄昏時、袖を引かれても振り返ってはいけない。
人とすれ違っても、誰かと問うてはいけない。
それは昔から大人に言われ続けたことで、子供が暗くなってから出かけないよう脅すための言葉でした。
けれど、それは勘違いです。皆、知らないだけなのです。
袖を引かれた子供が行く場所も、誰かを呼んでるあの人のことも。

今日も私は袖を引かれ、振り返る。


一、夕暮れの章


「今日は夕方なんだね」
「うん。夕焼け好きって、言ったから」
「よく憶えてるね。変なの」
「こんなところに来る君の方が、ずっと変だよ」
「それもそうか」

私と彼は、鳥居の上に座って夕焼けに染まる町を見下ろしていた。
長い階段には赤い提灯が飾られ、空気は程よく乾いて肌触りがとてもいい。
私と彼が会うこの場所は、彼の気分で毎日その顔を変えている。
ただ変わらないのは、彼がここにいることと、古びた祠があること、敷地内に彼岸花が咲き誇っていること。
それだけは私と彼が出会ってから数年間、変わらない。
私が住んでいる外場町は昔から神隠しが多かったのだが、その犯人は彼だ。

「夕焼けは好きだけど、ずっと変わらないのはなんか気持ち悪い」
「じゃあ動かすよ」
「その言い方やだなあ。ロマンが無い」
「面倒なこと言わないでよ」
「あ、今日は飴持ってきたんだけど食べる?」
「勝手だなあ」
「うん。勝手だよ」

ポケットから取り出した飴は、体温で少し溶けかけている。
それでも彼は微笑みながらそれを口に入れた。
正直彼が何なのか、私は知らない。
私をここへ連れてきた彼は、一見好青年のようでいて、実は阿呆だった。
そして私は妙に肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか。
おかしな場所に連れ込んだ男と、翌日また会う約束をしたのだ。

一週間、一ヶ月、一年と時が過ぎ、私は自分の異常を意識し始めた。
体が、じゃない。中身が、おかしい。
だってそうだろう。毎日夕暮れに墓場へと出かけて、ずっと袖を引かれるのを待っているのだ。
ただそれだけのために、生きているのだ。

「甘いね」
「酸っぱいよ、レモン味だもん」
「そう?甘いよ」
「味覚音痴」
「個人差だよ」

彼がそう言うと、笛の音が空に響き渡る。
それに呼応するように、鳥居の下にある彼岸花が揺れて、鈴のような音を出した。
輪唱のように、早く帰れと急かすように。
この音が鳴ったら、帰る約束。
私はこの音が嫌いだった。

「時間だね」
「……そうだね」
「飴ありがとう。おいしかったよ」
「どういたしまして」

私は一度も振り返らず、石の階段を駆け下りる。
そして夕暮れに染まる墓地で一人、ぼうっと反芻するのだ。
甘い毒薬の白昼夢が脳の奥から抜けるまで。


二、電波の章



今日は雨が降っていた。赤い番傘をさした彼に迎えられ、私はため息をつく。

「服が濡れた」
「嫌?」
「靴、新しいの」
「そう。じゃあやめるよ。傘持っててくれる?」

そう言って彼は傘を私に手渡して、目の前の空気を区切るように人差し指で四角くなぞる。
現れたのは宙に浮かぶ厚みのない液晶モニター。
そして淡く光るキーボード。
この空間は彼のものであり、彼が管理している。
けれどここには鳥居があり、祠があり、彼岸花が咲いている。

「やだそれ、イメージと違う」
「時代に合ったイメージで、管理方法も進化させていった方が便利なんだよ」
「だからってそれはちょっとさあ」

音も無くキーボードを叩き、ウインドウを開き、液晶にタッチする。
現代より進んだこのイメージを、彼はどこから仕入れてきたというのか。
世界から隔絶されたこの場所で、とても古典的な方法でしか人を呼び込むこともできないくせに。
彼の指が止まる。
雨はあがり、空は晴れて地面も乾いている。
彼は私の手からやんわりと傘を取り上げて、液晶へと投げ込んだ。
そして液晶の上に大きくバツを描けば、空中には何もなくなる。
からんと下駄を鳴らし、彼は歩き出した。

「いい天気だねえ」
「いやー本当にね。普通なら虹が出ててもいいくらい、いい天気」
「出そうか?」
「結構です」
「靴、乾くといいねえ」
「そうだねえ」

いつものように鳥居の上に座って靴を脱いで、ついでに靴下も脱いだ。
今日の景色は海だ。雨が降ったからだろうか。
太陽の光をキラキラと跳ね返す水面を見ながら、私はまたため息をついた。

「暇」
「花札でもやろうか」
「映画見たい。テレビ出して」
「無理」
「根性出して。頑張って」
「テレビは出せるけど、電波受信できないよ」
「じゃあブルーレイ出せばいいじゃん」
「……僕が考えた映画しか上映できないけど、いい?」
「すごくいらない」

明日は人生ゲームを持ってこようと思います。

三、美学の章


「どうして私、こんなに弱いんだと思う?」
「ああ、自覚はあったんだ」

目の前に散らばる花札を見ながら、私はため息をつく。
本日三回目、トータルではもう数え切れないほど、負けている。
将棋も囲碁も花札も、私は彼に勝てない。どうしてだろう。
彼の雨四光を見て、私はさっきより重いため息を吐いた。

「だって狙いがバレバレなんだもん」
「どうせなら、気持ちよく勝ちたいじゃん。美学だよ、美学」
「ばれてても貫く美学かあ。いいね、美学は大事だよね。僕にもあるよ」
「どんな」
「ここに連れてくるのは子供だけ」
「うわーうわー最低!最低の美学だ!」
「だって!大人怖いじゃん!殴られたらどうするの!?痛いよ!」
「殴り返せばいいじゃん」
「無理だよ。僕痛いの嫌いだし、勝てる気がしない」
「あー、うん。喧嘩しても私が勝つ気がする」
「子供ならかろうじて……なんとか……抵抗されてもどうにか出来るから……」

私より大きなため息を吐いて、彼は花札を片付けはじめる。
私が子供の頃よりもっと昔。
この土地で語り継がれるくらい前から、彼は子供をここへ連れ込んでいる。
現実で言う、神隠しってやつ。
子供ばかりが被害にあう理由を知った私は、呆れて何も言えなかった。
それ美学って言うのかな、言わないよな。

「美学とこだわりは違うと思うんだけど」
「やむを得ずとも言う」
「ああ、そっちの方がしっくり来るね」
「うう、なんで大人って野蛮なんだろう」
「私はいいの」
「何が」
「もう子供じゃないよ」
「何、僕のこと殴る気?」
「いや、まあ時と場合によるけど」
「君は僕を殴らないよ」
「なんで」
「君の美学に反するから」
「はあ」
「僕と殴り合いして、気持ちよく勝てる?」
「……ああ、なるほどね」

彼は弱い。そして貧弱だ。体力もメンタルも。
そんな彼を殴るということは、私にとって豆腐を殴るようなものなわけで。
少なくとも、すっきり爽快はしないなあと配られる花札を眺めながら思う。
おお、これは速攻で三光いけるんじゃないか。

「はい、短冊と青短」
「どうしてこうなった」
「君が弱いから、かなあ」

彼の胸倉を掴んで勢いのまま鳥居の上から投げ飛ばしたら、少しすっきりした。
次は勝てそうな気がする。


四、迷子の章


石段の下にあった池は、私が階段を上るにつれて水位を上げていく。
後ろをついてくるような水をちらりと見やってから、私は一気に石段を駆け上がった。
いつもの鳥居といつもの祠といつもの彼岸花は水に呑まれ、足首辺りまで水に浸かる。
ぱしゃぱしゃと足音を立てながら、いつもの姿を探す。
祠の後ろから現れた彼は、深い紅色の着物を着て、困ったように目を細めている。

「……隠し子?」
「何が」

後ろ、と言われて振り返ってみれば、小さな男の子が立って私を見上げていた。
幼稚園の帰りなのか、黄色い帽子をかぶって黄色いカバンを肩から提げて、手は泥だらけだった。

「うっわ、最低!あんたの美学最低!」
「ええ!?僕じゃないよ!君が来てから誰も連れてこないって決めたもの!」
「だってこの子!神隠し!うーわあー、見損なったー」
「違うって!君こそ勝手に連れ込まないでくれる!?僕が迷惑!」

不意に男の子が私のスカートの裾を引っ張った。
私が怒りを納めて男の子を見下ろせば、男の子はいたく真面目な表情を浮かべている。

「お化けばばあ、つかまえた」
「ああ?なんつったこのガキ。このまま冥土に送ってやろうか」
「悪人顔だからねえ。しょうがないよね、しょうがない」
「うるさい変態。あんただって外行けば犯罪者なんだぞこのロリコン」
「僕はロリコンじゃないよ」
「説得力無いよ」
「ねえ兄ちゃん誰。ばばあの友達?兄ちゃんも妖怪なの?」

男の子の純粋な瞳が、彼を捉える。
人のことはばばあとか言っておいて、こいつは兄ちゃんか。そうかそうか。
おおかた、毎日墓場でぼーっと突っ立ってる私を見て、化け物だ妖怪だと噂していたんだろう。
そして度胸試しに私を捕まえに来て、うっかりここまで来てしまったと。
うん、いい迷惑だ。

「お兄さんはね、神様なんだよ」
「えっ」
「えっ」
「えっ、何さらっと重要なこと言ってんの」
「えっ、何をいまさら」
「すげえすげえ!神様なんだ!じゃあこのばばあやっつけてよ!」
「あん?誰が誰をやっつけるって?」
「じゃあここはお兄さんに任せて、君はお家に帰ろうね」
「おう!頑張れよ神様!」

男の子は彼にハイタッチを決めると、私のすねを思い切り蹴り飛ばして走り出した。
男の子の走る先で水が蛇のようにうねり、男の子を一息で呑み込んだ。
後に残されたのは、苛立つ私と、神様を自称した彼だけ。
振り向き様、ひらひらと手を振っていた彼の胸倉を掴むと、小さくひっと悲鳴をあげた。

「どういうことでしょうか」
「いや、だって聞かれなかったし」
「言えよ」
「えー、だって知りたかったら普通聞くでしょう?聞かないから別にいいのかなって。
図太い子だなーとは思ってたんだけど」
「なんとなく触れちゃいけないのかと思うじゃん!だって」

私達お互いの名前も知らないね。続く言葉を飲み込んで、私は彼の服から手を離す。
ああ嫌だ、こんな痴情のもつれみたいな言い合いは。
全部全部ため息に詰め込んで、肺の中が空っぽになるまで息を吐いた。



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