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昔々、お空には雷様が住んでいました。雷様が顔を出すと皆は怖がって泣いてしまうので、雷様はいつも一人でした。ある時、風に乗って雷様に手紙が届きました。差出人はとある山に生える大きな杉の木でした。その山には杉の木のほかにたくさんの木が生えていましたが、人間が全部切ってしまったため、杉の木は一人でした。自分と同じ、一人ぼっちで寂しがっている杉の木宛てに、雷様は手紙を書きました。


「あなたと同じく、私も一人です。とても寂しいです。そちらはもうすぐ冬ですね、寒くはありませんか」


雷様は書いた手紙を雲の下にひらりと落としました。北風が手紙を巻き上げ、配達してくれるのを見て、雷様はほっと息を吐き出しました。そしてひとりぼっちになってしまった杉の木のことを思って、少しだけ涙をこぼしました。雷様は最初から一人でしたが、急に一人になるのは、とても寂しいことのように思えたのです。
数日後、杉の木から返事がきました。


「どなたかは存じませんが、お返事ありがとうございます。あなたも寂しいのですね。こちらは少し寒くなってまいりました。あなたも風邪などひきませんよう、ご自愛ください」


雷様の心は、ランプの火が灯ったように明るくなりました。今まで、誰かに心配されたことも、こんな風に会話をしたことも無かったからです。しかし、この杉の木は自分のことを知りません。知らないから、こうして手紙を返してくれたのです。そう思うと、雷様は泣いてしまいました。なんと返事を書こうか、迷った挙句雷様は名乗ることをしませんでした。また一人ぼっちに戻るのは嫌だったし、この手紙のやり取りも好きだったのです。


「こちらも寒さが身にしみてきました。しかし、時折見える秋空はとても美しく、赤とんぼの大群も美しく思えます」

「そうですね、私もこの時期の夕暮れがとても好きです。今の時期、人は稲刈りに精を出しております。黄金色の稲穂が揺れる様もとても美しく、青空に映えるのですよ」

「それはぜひ見てみたいですね。ここ最近は天気の悪戯もなく、晴天が続いておりますから、人の子らもさぞ働き甲斐があるでしょう。叶うのなら、あなたのお隣でその景色を眺めてみたいものです」

「残念なことに、稲の収穫はもう済んでしまったようです。次の年まで、その願いは持ち越しとなりましたね。私も大変残念に思います」

「今日、私の元へ北風がやってまいりました。そろそろ本格的な冬がやってくるそうです。あなたは眠りにつく時期でしょうか。手紙のやり取り、とても楽しかったです」

「私は冬ごもりはしないのです。寂しさを紛らわしたく始めた文通ですが、今はあなたからの手紙だけが楽しみとなっています。無理にとは言いませんが、どうか季節が変わっても手紙をくださいませんか?」



「杉の木の君へ。お慕いしております。願わくば、ぜひ一度お目にかかりたく」



雷様は、書きかけの手紙をぐしゃぐしゃに丸めて、くず入れに放り込みました。そして両手で自分の顔を覆って、声を上げて泣き始めました。雷様は杉の木が好きでした。会いたいと思いました。しかし、雷様は雷です。地上に顔を出すと、激しい轟音と稲光が起きてしまいます。何かに触れると、相手は電気が流れてしまうか焼けてしまいます。遠くから一目だけでも、とも思いましたが、杉の木の生える山には、杉の木しかいません。きっと雷様は、吸い寄せられるようにその杉の木の上に降り立ってしまうでしょう。そうすれば、きっと杉の木は燃えて炭になってしまいます。それは嫌でしたが、雷様は杉の木に会いたかったのです。雷様の心は、ぐしゃぐしゃに丸めた書きかけの手紙のようでした。雷様はひとしきり泣いた後、筆を折ってしまいました。もう手紙を書くのをやめようと思ったのです。そうすればこの想いを断ち切ることができると思っていました。ぼんやりと空を見上げて過ごす間、雷様は色々なことを考えました。このいわし雲を杉の木は見ているのだろうか、黄金色に波打つ田は来年になれば見られるのだろうか、ぽつんと生えたあの杉の木は、今どうしているだろうか。空っぽの頭は、ずっと杉の木のことだけを考え続けました。そしてそのことに気づいた時、雷様はまた涙を流しました。
そんな秋の終わりの頃でした。珍しく雷様に仕事が入り、雷様は地上に降りることになりました。ひょいと雲から顔を出して、雷様は驚きました。天辺に一本だけ、立派な木が生えた山がひとつ、ぽつんとありました。その周りには収穫の済んだ田が広がり、切り口から青い芽を出し始めています。禿山に生えた立派な木は、杉の木でした。


「嫌です、ここには降りたくありません」


雷様は言いましたが、体は地上に吸い寄せられるように傾きます。しばらく仕事が無かったせいで、雷様の住む雲には電気がたっぷりとたまっていました。それをここで全部吐き出したら、間違いなくあの杉の木は焼け落ちてしまう。雷様は必死に自分の体を雲の上に留めながら、声を張り上げました。


「そちらにいらっしゃるお方、どうか聞いてください」

「はい、聞こえておりますよ」


初めて杉の木の声を聞きました。とても艶やかな、女人の声でした。きっと見目麗しいお方なのだろうことは手紙の文面や字から想像していましたが、実際に言葉を交わして雷様は涙が出る程嬉しく思いました。しかしその反面、自分の役目が恨めしくて仕方がありませんでした。


「可能ならば、北風を呼んでくださいませんか。この雲をこの地から遠ざけたいのです」

「それはまた、どうして」

「私は雷です。あなたのような立派なお方を、傷つけたくないのです」

「まあ、まあ。そんなことをおっしゃらず、どうぞこちらへ」


雷様は驚きました。今まで一度も、呼ばれたことなどなかったからです。混乱したまま、雷様は再び叫びました。雲に掴まる手が、震えました。


「何を血迷ったことを言うのです」

「血迷ってなどいませんよ。ずっとあなたに会いたいと、思っておりました」

「何、を」

「この身が朽ちても、灰となっても、一度でいいからあなたにお会いしたいと」

「おやめください。あなたは寂しさに騙されているだけだ。どうか目をお覚ましください」

「私はずっと、あなたのことを考えておりました。願わくば、一度その腕に抱きとめてもらいたいと。浅ましくはありますが、それが私の願いでございました」


雷様の手は、もう限界でした、真平らな大地の上に、その杉の木はぽつんと立っていました。両手を伸ばして、雷様を待っていたのです。ゆっくりと地面に降り立った雷様の手を、杉の木は優しく握りました。轟音と稲光が辺りに木霊し、雷様はぼろぼろと涙をこぼしました。杉の木は真っ二つにその身を裂かれながらも、まだ姿を保っていました。そしてわずかに微笑んでいました。


「やっと、お会いできました雷の君」

「お会いしたく、なかったのです」

「嘘はいけません。本当にそうならば、ここで泣くはずがないでしょう」

「……お会いしとう、ございました」

「……ええ」


雷様は杉の木を抱きしめました。雷雲から稲妻が二本三本と杉の木に落ちました。そして杉の木は静かに燃え出したのです。注連縄も焼け焦げて地面に落ちてしまっていました。雷様は、力いっぱい杉の木を抱きしめました。一人ぼっちで寂しかった雷様は、初めて他人と触れ合いました。それは暖かく、胸が痛くなるほど柔らかく、息が出来なくなる程に愛しいものでした。


「刹那の逢瀬となってしまいましたが……幸せでございます」

「私は、あなたを。お慕いしておりました」

「あら……それは、ますます、幸せなこと、で」


だんだんと弱々しくなる声が途切れた頃、ようやく雨が降り始めました。雷様は焼け焦げた幹に身を寄せ、思い切り声を上げて泣きました。その雷鳴に周囲の人々や動物達は恐れおののき、こぞって家や木のうろや洞窟に逃げ込みました。雷鳴は一晩中鳴り続け、何度か雷も落ちたようですが、不思議と杉の木にしか落ちなかったそうです。

雷様は泣き続け、杉の木に寄り添うように力尽きました。嗄れ果てた声で、お役目をお空に返上しますと呟いたきり、雷様は眠るように息絶えたそうです。燃え尽きて根っこの方が少しだけ残った杉の木は、雷からこの地を守ったご神木としてその命が絶えた後も、人々に大切にされたそうです。そしてその後、その地に雷が落ちることはありませんでした。
これは遠い遠い、昔のお話。雷様が杉の木に恋をして、杉の木もまた雷様に恋をした、少し悲しい二人の、恋のお話なのです。

この本の内容は以上です。


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