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第一章はじめに(プロローグ)

第一章はじめに(プロローグ)

世の中には、不思議なことがたくさんあるものです。けれど実際の所、自分の目の前とか、自身に関わることとか、起こりうる可能性となると、かなりその可能性は低くなるものですよね。

 TVでも、〝世にも奇妙な物語〟という番組がありますけど、つい見てしまうのは、それがやっぱり、ありそうでありえないフィクションの世界だからだと思うのです。

 実は私も、今だに不思議で、今だに気になるできごとを体験したことがあります。

 それは、一つ間違えば命に関わるという状況から助けられたというものでした。

 夏休みの時期になり、山登りをする親子連れが増えてくるのを見ると、どうしても気になって仕方ないのです。

 私の胸の中で、ずっとひっかかったままにしておくのは、何だか切ないです。

 だから、今が書く時なのだと、今が誰かに聞いてもらう、知ってもらう時なのではないでしょうか。

 〝私の話、読んでもらえますか?〟

 〝あなたはこの話を どう思いますか?〟


 私の名は、榊千恵。今は普通のオバサンですが、その体験をした時は、中学校の教員をやっていました。

 自分で言うのも何ですが、当時の私は、なりたての新米教師ながら、担任をもっていて、子供達のため、学校のため、熱血教師さながらに、毎日を過ごしていました。家に戻っても、わかり易い授業の進め方・やり方を研究し、担任している一人一人の生徒に気を配り、いじめにあう子や、仲間はずれの子がいないか、常に目を光らせ、躍起になっていました。頭の中は、常に学校のことばかりで、両親はこのまま嫁にも行かず、独身のままになるのではと、心配していたようです。

 けれども、そんな両親の心配をよそに、私にとって、子供達に関われる教育という仕事は本当に楽しく、生きがいのあるものでした。私はこの仕事を、天職だと信じきっていました。

 と、いいつつも、教職というのは、逆にやればやる程、自分の無力さを感じたり、壁にぶつかる問題にでくわすことも多いのです。子供の前での明るい先生と、ストレスや寝不足で、疲れ果てた自分とのギャップに、しだいに悩んでいきました。

 そんな時知り合ったのは、同じ職場のタカヒロです。野球部の顧問で、特にイケメンというのではありませんが、大学時代から山岳部に所属していただけあって、体格もよく、落ち着いた感じでした。ですから、彼が一つ年上だとは、思えませんでした。

 私も登山といえるものではありませんが、ハイキングコースとか、山道を歩くことがとても好きで、鎌倉山など一人でよく行ったものです。

 新人なりたて教師の、私のあまりにひどい状況を見かねたからでしょうか、突然タカヒロが、山登りに誘ってくれました。素直にとてもうれしかった!一人きりで山道を登り、ストレス発散とばかりに、〝バカヤロー〟なんて叫んでいた私の山登りは、タカヒロとのデートに替わりました。

 ある日のこと、いつも山を登る時は、タカヒロの登山仲間と一緒なのですが、その日はタカヒロと二人きりで、少し遠出をし、高い険しい山にチャレンジしました。タカヒロは学生時代からのベテランですから、私としては、安心してついていけます。

 実は私、小さい頃から、かなりの方向音痴で、よく道に迷って、遠まわりをしていました。よくあるのは、駐車場に入れたはずの車が、全くの逆の方向にあったり、一本道だというのになぜか右の方向に曲がって進んでいたりするのです。山登りなど、今思えば、一人でよく無事にやっていたものです。

 タカヒロと二人で、かなり険しい山道でしたが、眼下に広がる素晴らしい景色を堪能しつつ、いつのまにか時間のたつのも忘れて、登り切っていました。

 ふと気がつくと、タカヒロの姿がありません。自分の立っているその場所から、どっちに行き、どの方向へ帰るのか、わからないのです。いい気になって、タカヒロを追い越して、山頂まできてしまったのでしょう。悪いことに私は、すっかりタカヒロをあてにして自分で目安にする道しるべなど、全く考えていませんでした。

 夏山は天候が変わり易く、気温の変化が激しいのです。まだ昼すぎだというのに、何やら雲ゆきがあやしくなり、うす暗くなるや、空から雨つぶが少しずつ落ちてきました。黒い雲は、あっという間に広がりを見せ、同時に気温がスーっとさがったように感じました。雨とともに、冷たい風も吹きはじめ、私は思わず叫びました。

「タカヒロー!」

 その時です、ガサッガサッという音とともに人影がゆっくりあがってきました。タカヒロです。

「どこにいったかと思って、さがしたよ」

 そう言って、笑ったタカヒロを見るなり、私は不覚にも泣きながら彼にとびつきましたタカヒロはびっくりしたようですが、ゆっくりと私の体を離し、私の顔を見つめて、優しくこう言いました。

「道に迷ったんだろう?しょうがないなあ。いいかい、方向音痴の千恵には、僕が必要だ。僕の背中を見て、僕の後ろから、一生ついてこい!」

 それからタカヒロは、雲ゆきのあやしい空を見上げて、真顔になりました。

「急いで帰ろう!」

 そう言うと、クルリと背をむけて、私についてこいと手振りしながら、迷うことなく、山道を下りはじめました。

 あたりはますます暗くなり、冷たい雨も勢いを増し、黒い雲が空全体を覆っています。私はタカヒロの後を追って、山道をかけおりて行きました。

 タカヒロは、途中で私がついてくるのを待っていてくれました。それからまた背をむけて、山道を下りて行きます。サクサクと二人の足音が、交錯するように聞こえてきました足音だけが響く中で、私はタカヒロの言葉を思い返していました。そうしながら、黙ってタカヒロの背中を見つめ、歩いていると、雨も風も全く気にならなくなりました。タカヒロのおかげで、安心して下りていくことができたのです。

 登山口にたどりついた頃には、すっかり日も暮れてしまい、灯りがともりはじめていました。タカヒロは私の方をふりむくと、私の肩に手を置いて言いました。

「いいね、僕に一生ついてくるんだよ」

 私はそのとたん、顔をクシャクシャにしながら、ただウンウンとうなづくことしかできませんでした。

 その後まもなく、私はタカヒロと結婚、すぐに息子を授かりました。タカヒロは、教師としても、夫としても、父親としても完璧でした。生徒達にも慕われ、よく子供たちが家に遊びにきていたものです。休みの日は、私のために家事もよく手伝ってくれました。得意の料理のチャーハンは、絶品でした。息子のめんどうも、楽しそうに、うれしそうに、本当によく見てくれていました。

 大きな広い心で、息子を抱きしめるタカヒロ‥‥。この人のような男に育ってほしいと心から思ったものです。

 息子の名前はヒロ。タカヒロのヒロからとったものですが、自分らしく、男らしく、ヒーローになるようにと、願いをこめて、タカヒロがつけたのです。

 私は、産休をとり、ヒロ君とすごしていましたが、タカヒロは、学校から帰ると、いつも欠かさずヒロ君をお風呂にいれてくれました。

「ヒロ!おかあさんは、ものすごい方向音痴なんだ。早く大きくなって、お母さんを守ってやるんだぞ。男は女を守るヒーローなんだからな」

 なんて言っては、愛おしそうにヒロ君をだきしめていました。

 このままずっと、誰もが望むように、私はこの三人の幸せな生活が、永遠に続くと信じていたのです。

                  


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