閉じる


<<最初から読む

3 / 52ページ

試し読みできます

3

「それ今やるの?」社長は笑った。「時間かかるなあ」

「だからきのう言ったじゃないですか」幸奈は口を尖らせた。「社長がいいって言ったんですよ」

「言ったっけ?」

「セクハラ対策がきちんとできていれば何の問題もないんです。ないなら対策を考えないといけないんですよ」

幸奈の鋭い責めに前川社長は困惑した。しかし単なる改善提案ではなく、とっくに対策を練っていなければいけないことだけに、後回しにもできない。

「面倒くせえ」

そう吐き捨てると、営業の加藤竜佐が立ち上がった。

「面倒くさいことないでしょ!」幸奈は怒った。「セクハラは女性社員じゃなく、本当は男性社員が真剣に考えなきゃいけないことなんだから」

加藤は25歳で年上だが、同期の社員だ。長身で遊び人で、異性に好かれるほうだった。しかし幸奈のように仕事熱心な女性社員は、要領良く泳いでいる加藤には文句があった。

彼はさっさとドアに向かう。

「お客さんと約束しているので行って来ます」

「いちばんセクハラ疑惑のある人間が逃げたな」

幸奈は小声で呟くと、社長に言った。

「対策、考えてくれますか?」

「紅さん詳しそうだね」社長が笑顔だ。

「勉強はしてきましたけど」

「俺もなかなか忙しくてさあ。まとめといてよ。女性目線でつくるなんてリアリティがあるでしょう?」

「あたし一人でやるんですか?」

「じゃあ、山宮さんも一緒に」

「はい」山宮優子が返事した。

彼女は22歳で幸奈と同じ年だが、まだ入社して1年の後輩だ。幸奈は性格もテキパキしてルックスも派手目だが、優子は短めの黒髪で清楚な雰囲気を醸し出していた。

社内では幸奈よりも優子のほうがモテた。気の強そうな幸奈よりも、押せば倒れそうな優子のほうに行くのが、ズルイ男のパターン。要するに純愛ではなくプレイ目的だ。

もちろん、すべての男性社員がそうではないが、そういう狼的な目線で見られていることを、純粋な彼女たちは知らない。

この感覚ではセクハラ対策にまじめに取り組むにはほど遠い。

 


試し読みできます

4

結局、幸奈が勉強してきたことを優子と一緒にまとめ、パートさんからも意見を聞いて、文章にまとめた。

これをただ社長に見せても、そのまま棚の上に置かれて終わりになるだろう。そう思い、幸奈は妥協せずに追撃した。

「社長」

「何?」

「この内容でOKなら発表してください」

「発表?」前川社長が驚く。

「男性社員の前で。朝礼でもいいですから。目的は社内からセクハラをなくすことですから」

「ウチの会社はセクハラはないでしょう?」

「だって、どこからがセクハラか知らない人ばかりなのに、皆無かどうかなんてわからないじゃないですか」

幸奈は容赦なく急所を突いて来る。前川は押された。

「わかった。じゃあ、紅さんが発表して」

「あたしが?」幸奈は焦った。

「これもプレゼンテーションの訓練になるよ。ハハハ」

社長から訓練と言われたら断れない。それに勝負を懸けてみる価値はある。幸奈は腹を決めた。

「わかりました。では、あたしから発表させていただきます」

 

本社のビルから100メートル離れた建物に部品管理室がある。途中で営業の濱尻宝に会った。濱尻は25歳で年上だが後輩だ。

「お、だれかと思えば幸奈姫」

プレイボーイ気取りの加藤とは正反対の性格で、ほとんどお笑い芸人だが、ギャグはあまり面白くない。幸奈は基本的にお調子者は苦手だ。

「姫ってねえ・・・」

「大変だね、セクハラ対策。手伝ってあげようか?」

「最大の手伝いはセクハラをしないことと、させないことだよ」

「俺は生まれてこのかた一度もセクハラなんてしたことないよ」

「宝君の場合は存在自体がセクハラだから」

「先輩がそういうこと言うのはパワハラだよ」

切り返したつもりか。しかし濱尻宝は幸奈ファンだった。ほとんどの男子が優子に走るなか、宝は幸奈一筋を前面に出している男。あまり冷たくできないのが人情だ。

「幸奈っち。きょう食事でも行かない?」

「ゴメン、今夜は用事あるから」

幸奈は早歩きで行ってしまった。濱尻は立ち止まって幸奈の後ろ姿を見ていた。

「毎日用事あるじゃねえかよう」

 

 

 

 

 


試し読みできます

5

毎週月曜日の朝だけ本社のオフィスで朝礼が行われる。

司会も訓練とかで社員が交代でやっている。この日は幸奈が司会だった。

前川社長の挨拶。佐野専務の挨拶。そして各責任者からの報告。

「皆さんから何かありませんか?」

いつもない。早く朝礼を終わらせて欲しいという空気が漂う。皆のやる気が見えない。「長の一念」という言葉があるが、社長や専務などが情熱的だと、情熱は電波する。

しかし前川社長の説教調の挨拶と、何にも専務のいつも同じ話では、あくびを我慢するのが関の山だった。

燃えるOL・紅幸奈はそんな空気を壊したかった。空気を読むより空気を一変する道を選ぶ。しかし白けた会社でそれをやるのは容易ではない。

「社長、それでは一言だけ、セクハラ対策について発表させていただきます」

「え?」

社長が顔を曇らせて何か言いかけたが、幸奈は止められる前に一気に語り始めた。

「セクシャルハラスメント、通称セクハラという名前は皆様もご存知だと思いますが、これは軽犯罪ではありません。立派な重罪です。その証拠に48億円とも50億円とも言われる和解金を支払ったケースもあります」

「50億!」濱尻宝が叫んだ。「そんな持ってないよ」

「そこで、どこからがセクハラというと、これは被害者の主観によるものです」

優子や専務は無表情ながらも話を聞いていた。しかし営業の加藤竜佐は露骨に嫌な顔をして落ち着かない。かなり話しにくい雰囲気だが、幸奈は頑張って続けた。

「たとえば男性の上司が女性社員の肩をポンと叩いておはようと声をかける。女性が不快に思わなければセーフですが、不快に思えばセクハラです」

「そんなのおかしいよ!」また濱尻が叫んだ。

「おかしくてもそうなんです」幸奈が睨む。「それでセクハラですよと言われると、男性はスキンシップだとか、コミュニケーションとか言って笑ってごまかすんです」

「紅さん」前川社長が口を挟んだ。「それあとどれくらいかかる?」

「え?」

「時間かかるならまた今度にしようよ」

幸奈はショックを受けたが、悔しいので無理に笑顔をつくり、言った。

「わかりました。では以上で朝礼を終わります」

 


試し読みできます

6

本社のビルから部品管理室へ戻る途中、幸奈は思わずため息を吐いた。

「はあ・・・。社長を始め、みんなセクハラなんかどうでもいいんだろうなあ」

「そういうもんですよ」隣で優子が歩きながら言う。

「山宮さんは諦めちゃうの?」

「私は、別にセクハラされてるわけじゃないし」

「加藤が毎日来てしつこいじゃん。仕事の邪魔になるでしょう?」

「・・・・・・」

優子は電話の受け取りなど主に事務的な仕事なので、本社のオフィスと同じく、事務員が着る会社の制服姿だった。

幸奈は汚れるハードな仕分け作業があるので、いつもジーパンと作業着だ。

 

業務へ戻り、それぞれ仕事を開始する。パートさんは朝礼には参加せずに、留守番も含めてずっと作業をしていた。主婦パートは10人。リーダーもいて流れ作業をしている。幸奈はほとんど任せているが、接し方は母親や姉に対するような感じで、自分のほうが「目下」という姿勢だった。

パートさんも全く威張らない幸奈や優子を社員として立てた。

そんな良好な関係を破るのが、営業の加藤竜佐だった。

好きな時間に部品管理室に来ては、事務室に直行。仕事を口実に、優子と長い時間喋っている。事務室は個室になっているので、皆からは見えない。

優子は嫌がっていない様子だが、幸奈と主婦パートたちは明らかに不満だった。

仕事は休憩時間以外はトイレにも行けない流れ作業である。だからこそ、同じ従業員が余裕の笑顔で私語をしている姿を見せられるのは不愉快なものだ。

主婦パートには見向きもせずに、優子ばかりに密着。こうなると嫌がらない優子のイメージも段々悪くなっていく。

幸奈は作業しながら心の中で呟いていた。

(これも厳密に言えばセクハラになるのかな?)

優子本人が不快でなくても、周囲の女性従業員が不快に思えば、セクハラ行為になるのではないか。幸奈は思索を巡らせた。


試し読みできます

7

幸奈はわざと事務室にいきなり入ってコピーを取ったり、ファクスを送信したりしたが、二人は笑顔で喋っている。ジェラシーだと誤解されたら、二人ともコブラツイストと卍固めで病院送りにしたくなるので、効力のない乱入作戦は諦めた。

加藤が帰ると、幸奈は優子に言った。

「山宮さん」

「はい」

「嫌なら毅然な態度を取ったほうがいいと思うよ。竜佐はバカだから、自分がモテると恐ろしい勘違いしてるからね」

「竜佐って呼んでるんですか?」

「前は親しかったんだけど、あまりにも勤務態度が不真面目なんで、今は犬猿の仲よ」

誇らしげに語る幸奈に、優子は俯いた。

「犬猿の仲かあ。でもそれは紅さんが営業と直接関係ないポジションにいるからできるんですよ」

「どういう意味?」

「私には無理ですよ。出庫だから。送る部品を間違えた場合、お客さんにミスした社員が届けるわけですけど、全部加藤さんが私の代わりに行って頭下げてくれて」

優子の話に、幸奈は唇を噛んだ。

「加藤さんの自発で私は助けられているんです。もしも毅然とした態度取って、そっぽ向かれて、自分で行けばって言われたらきついですよ」

確かに顧客の会社に謝りに行って嫌味の一つも言われのはきつい。それを庇ってくれているという「弱み」があったのか。幸奈は険しい表情になった。

しかし、すべての社員のミスを助けているわけではなく、個人的な気持ちで優子だけを助けている。それもおかしい。幸奈は納得が行かなかった。

 

業務が終わり、幸奈は帰る前に社長室に行った。

「社長。ご相談があるんですけど」

「何?」なぜか笑顔が引きつっている。

「加藤竜佐のことなんですけど」

「加藤君がどうした?」



読者登録

ブラックサワさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について