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セクシャルハラスメント

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1

セクシャルハラスメント。通称セクハラ。

セクハラが犯罪なのは、ほとんどの社会人が知っていることだが、なぜセクハラはなくならないのか?

まず加害者にセクハラをしている意識がないことが原因の一つに考えられる。たとえば会社で上司が女子社員にセクハラをしている場合、ほとんど無意識でやってしまっている。

20年前の大昔ではあるまいし、まさか女性社員のお尻を叩いて「おはよう」が挨拶代わり? そんな絵に描いたようなセクハラ上司はいないと信じたいが、肩をポンと叩く程度ならあり得る。

とにかく女性の体に触らないことが基本だが、自然に触っている男性は多く見かける。

妻や恋人。あるいは、よほど気心の知れた異性の友達なら問題ないが、会社の同僚くらいの間柄ならば、女性の体には普通は触れない。

本人が嫌がるか否かがセクハラの境界線であるが、職場での人間関係を考えて、「本当は嫌だけど、肩くらいなら我慢する」という女性もたくさんいる。

露骨に顔に出してギクシャクするよりも、心とは裏腹に明るく振る舞ってしまう。すると男のほうも「嫌がっていない」と判断し、肩から髪へ、髪からおなかへと段々エスカレートしていく。

ましてや上司と部下という上下関係で、逆らいにくい立場だと、なかなか「セクハラですよ!」と面と向かっては言えない。

セクハラとは要するにパワーハラスメントである。強い立場だからできてしまう犯罪である。同僚の男性社員なら睨むこともできるが、重役を睨むことはできない。

これは会社組織という、理不尽がまかり通る世界を経験した人ならば、実感としてわかることだと思う。上司が部下を怒鳴っても皆不思議に思わないが、部下が上司を怒鳴れば大事件となるのだ。

もちろん、職場以外でも「性的嫌がらせ」は全部セクハラである。しかし、上下関係で成立している会社こそ、いちばんセクハラが起こりやすい環境が整っている。

 

「ふう・・・」

幸奈は本を閉じた。明日のミーティングでセクハラ対策について発表することになっている。彼女の職場でもセクハラは日常茶飯事になっているので、男性社員に意識を持ってもらいたかった。

幸奈はまだ22歳で年齢は若いが、もう4年も今の会社にいるので、役職はないが責任のある部署を任されている。

「社長はあたしを見くびって大した話はしないだろうと思ってるけど、見てらっしゃい!」

幸奈の瞳が危なく燃えた。

 


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2

紅幸奈は、8時に会社に入り、部品管理室のドアを開けた。始業時間は8時半だが、早めに行って準備をしたいためだ。

肩にかかるボリュームのある髪。茶髪がよく似合う。

作業はハードなのでジーパンとTシャツに作業着だ。実は彼女のアパートは会社のすぐ近くにあり、歩いて来られる距離なので、そのまま臨戦態勢で出勤する。

これが電車通勤ならOLらしい格好をして出かけるかもしれないが、4年も同じ職場に通っているのだ。気取らずにジーパンで通勤した。

夏も終わり、秋になったとはいえ、まだ暑い日が続いていた。

愛らしい表情。スリムなボディ。スタイルがいいからジーパンに作業着姿もさまになる。

きょうの午前中はミーティングだ。ここでセクハラ対策をぶちまける。

 

株式会社スリリングのオフィスに本社の社員が集まった。営業部と業務部を合わせて社員は10人。主婦のパートさんは部品管理室でそのまま作業を続けた。

幸奈は前川社長に質問した。

社長は100キロの巨体だが動きは機敏。ただ調子のいい性格の50歳。要注意である。

「社長」幸奈は少し緊張したが、意を決した。「各企業はセクハラ対策を確立する責務があるんですけど、わが社の対策書のようなものを見せてください」

「対策?」社長が顔をしかめた。

早くも怪しい展開だ。社長はセクハラという言葉を初めて聞くような顔をしている。ほかの男性社員も、セクハラという言葉が女子社員から飛び出すと、なぜだか表情が硬くなった。

「ないんですか?」

幸奈が細い目をして聞くと、前川社長は冷汗をかきながら答えた。

「あるよ。あるに決まってるじゃん」

「見せてください」

「どこ置いたっけなあ」

「ないんですね?」幸奈が真顔で迫る。

前川社長は無理に渋い表情をつくると、幸奈に言った。

「あとで探しておくよ」

「今必要なんですけど」

「今?」

「ないんですね?」

「バレた?」前川社長は笑顔でごまかそうとした。「ダメだよ、変なところに言っちゃ」

変なところとは労働基準監督署のことか。思い切り隙だらけな経営者だ。幸奈は呆れたが、怒りはしなかった。

「では、セクハラ対策のミーティングをして、きちんとしたものを作成しませんか?」

 

 

 

 


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3

「それ今やるの?」社長は笑った。「時間かかるなあ」

「だからきのう言ったじゃないですか」幸奈は口を尖らせた。「社長がいいって言ったんですよ」

「言ったっけ?」

「セクハラ対策がきちんとできていれば何の問題もないんです。ないなら対策を考えないといけないんですよ」

幸奈の鋭い責めに前川社長は困惑した。しかし単なる改善提案ではなく、とっくに対策を練っていなければいけないことだけに、後回しにもできない。

「面倒くせえ」

そう吐き捨てると、営業の加藤竜佐が立ち上がった。

「面倒くさいことないでしょ!」幸奈は怒った。「セクハラは女性社員じゃなく、本当は男性社員が真剣に考えなきゃいけないことなんだから」

加藤は25歳で年上だが、同期の社員だ。長身で遊び人で、異性に好かれるほうだった。しかし幸奈のように仕事熱心な女性社員は、要領良く泳いでいる加藤には文句があった。

彼はさっさとドアに向かう。

「お客さんと約束しているので行って来ます」

「いちばんセクハラ疑惑のある人間が逃げたな」

幸奈は小声で呟くと、社長に言った。

「対策、考えてくれますか?」

「紅さん詳しそうだね」社長が笑顔だ。

「勉強はしてきましたけど」

「俺もなかなか忙しくてさあ。まとめといてよ。女性目線でつくるなんてリアリティがあるでしょう?」

「あたし一人でやるんですか?」

「じゃあ、山宮さんも一緒に」

「はい」山宮優子が返事した。

彼女は22歳で幸奈と同じ年だが、まだ入社して1年の後輩だ。幸奈は性格もテキパキしてルックスも派手目だが、優子は短めの黒髪で清楚な雰囲気を醸し出していた。

社内では幸奈よりも優子のほうがモテた。気の強そうな幸奈よりも、押せば倒れそうな優子のほうに行くのが、ズルイ男のパターン。要するに純愛ではなくプレイ目的だ。

もちろん、すべての男性社員がそうではないが、そういう狼的な目線で見られていることを、純粋な彼女たちは知らない。

この感覚ではセクハラ対策にまじめに取り組むにはほど遠い。

 


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4

結局、幸奈が勉強してきたことを優子と一緒にまとめ、パートさんからも意見を聞いて、文章にまとめた。

これをただ社長に見せても、そのまま棚の上に置かれて終わりになるだろう。そう思い、幸奈は妥協せずに追撃した。

「社長」

「何?」

「この内容でOKなら発表してください」

「発表?」前川社長が驚く。

「男性社員の前で。朝礼でもいいですから。目的は社内からセクハラをなくすことですから」

「ウチの会社はセクハラはないでしょう?」

「だって、どこからがセクハラか知らない人ばかりなのに、皆無かどうかなんてわからないじゃないですか」

幸奈は容赦なく急所を突いて来る。前川は押された。

「わかった。じゃあ、紅さんが発表して」

「あたしが?」幸奈は焦った。

「これもプレゼンテーションの訓練になるよ。ハハハ」

社長から訓練と言われたら断れない。それに勝負を懸けてみる価値はある。幸奈は腹を決めた。

「わかりました。では、あたしから発表させていただきます」

 

本社のビルから100メートル離れた建物に部品管理室がある。途中で営業の濱尻宝に会った。濱尻は25歳で年上だが後輩だ。

「お、だれかと思えば幸奈姫」

プレイボーイ気取りの加藤とは正反対の性格で、ほとんどお笑い芸人だが、ギャグはあまり面白くない。幸奈は基本的にお調子者は苦手だ。

「姫ってねえ・・・」

「大変だね、セクハラ対策。手伝ってあげようか?」

「最大の手伝いはセクハラをしないことと、させないことだよ」

「俺は生まれてこのかた一度もセクハラなんてしたことないよ」

「宝君の場合は存在自体がセクハラだから」

「先輩がそういうこと言うのはパワハラだよ」

切り返したつもりか。しかし濱尻宝は幸奈ファンだった。ほとんどの男子が優子に走るなか、宝は幸奈一筋を前面に出している男。あまり冷たくできないのが人情だ。

「幸奈っち。きょう食事でも行かない?」

「ゴメン、今夜は用事あるから」

幸奈は早歩きで行ってしまった。濱尻は立ち止まって幸奈の後ろ姿を見ていた。

「毎日用事あるじゃねえかよう」

 

 

 

 

 


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5

毎週月曜日の朝だけ本社のオフィスで朝礼が行われる。

司会も訓練とかで社員が交代でやっている。この日は幸奈が司会だった。

前川社長の挨拶。佐野専務の挨拶。そして各責任者からの報告。

「皆さんから何かありませんか?」

いつもない。早く朝礼を終わらせて欲しいという空気が漂う。皆のやる気が見えない。「長の一念」という言葉があるが、社長や専務などが情熱的だと、情熱は電波する。

しかし前川社長の説教調の挨拶と、何にも専務のいつも同じ話では、あくびを我慢するのが関の山だった。

燃えるOL・紅幸奈はそんな空気を壊したかった。空気を読むより空気を一変する道を選ぶ。しかし白けた会社でそれをやるのは容易ではない。

「社長、それでは一言だけ、セクハラ対策について発表させていただきます」

「え?」

社長が顔を曇らせて何か言いかけたが、幸奈は止められる前に一気に語り始めた。

「セクシャルハラスメント、通称セクハラという名前は皆様もご存知だと思いますが、これは軽犯罪ではありません。立派な重罪です。その証拠に48億円とも50億円とも言われる和解金を支払ったケースもあります」

「50億!」濱尻宝が叫んだ。「そんな持ってないよ」

「そこで、どこからがセクハラというと、これは被害者の主観によるものです」

優子や専務は無表情ながらも話を聞いていた。しかし営業の加藤竜佐は露骨に嫌な顔をして落ち着かない。かなり話しにくい雰囲気だが、幸奈は頑張って続けた。

「たとえば男性の上司が女性社員の肩をポンと叩いておはようと声をかける。女性が不快に思わなければセーフですが、不快に思えばセクハラです」

「そんなのおかしいよ!」また濱尻が叫んだ。

「おかしくてもそうなんです」幸奈が睨む。「それでセクハラですよと言われると、男性はスキンシップだとか、コミュニケーションとか言って笑ってごまかすんです」

「紅さん」前川社長が口を挟んだ。「それあとどれくらいかかる?」

「え?」

「時間かかるならまた今度にしようよ」

幸奈はショックを受けたが、悔しいので無理に笑顔をつくり、言った。

「わかりました。では以上で朝礼を終わります」

 


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6

本社のビルから部品管理室へ戻る途中、幸奈は思わずため息を吐いた。

「はあ・・・。社長を始め、みんなセクハラなんかどうでもいいんだろうなあ」

「そういうもんですよ」隣で優子が歩きながら言う。

「山宮さんは諦めちゃうの?」

「私は、別にセクハラされてるわけじゃないし」

「加藤が毎日来てしつこいじゃん。仕事の邪魔になるでしょう?」

「・・・・・・」

優子は電話の受け取りなど主に事務的な仕事なので、本社のオフィスと同じく、事務員が着る会社の制服姿だった。

幸奈は汚れるハードな仕分け作業があるので、いつもジーパンと作業着だ。

 

業務へ戻り、それぞれ仕事を開始する。パートさんは朝礼には参加せずに、留守番も含めてずっと作業をしていた。主婦パートは10人。リーダーもいて流れ作業をしている。幸奈はほとんど任せているが、接し方は母親や姉に対するような感じで、自分のほうが「目下」という姿勢だった。

パートさんも全く威張らない幸奈や優子を社員として立てた。

そんな良好な関係を破るのが、営業の加藤竜佐だった。

好きな時間に部品管理室に来ては、事務室に直行。仕事を口実に、優子と長い時間喋っている。事務室は個室になっているので、皆からは見えない。

優子は嫌がっていない様子だが、幸奈と主婦パートたちは明らかに不満だった。

仕事は休憩時間以外はトイレにも行けない流れ作業である。だからこそ、同じ従業員が余裕の笑顔で私語をしている姿を見せられるのは不愉快なものだ。

主婦パートには見向きもせずに、優子ばかりに密着。こうなると嫌がらない優子のイメージも段々悪くなっていく。

幸奈は作業しながら心の中で呟いていた。

(これも厳密に言えばセクハラになるのかな?)

優子本人が不快でなくても、周囲の女性従業員が不快に思えば、セクハラ行為になるのではないか。幸奈は思索を巡らせた。


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7

幸奈はわざと事務室にいきなり入ってコピーを取ったり、ファクスを送信したりしたが、二人は笑顔で喋っている。ジェラシーだと誤解されたら、二人ともコブラツイストと卍固めで病院送りにしたくなるので、効力のない乱入作戦は諦めた。

加藤が帰ると、幸奈は優子に言った。

「山宮さん」

「はい」

「嫌なら毅然な態度を取ったほうがいいと思うよ。竜佐はバカだから、自分がモテると恐ろしい勘違いしてるからね」

「竜佐って呼んでるんですか?」

「前は親しかったんだけど、あまりにも勤務態度が不真面目なんで、今は犬猿の仲よ」

誇らしげに語る幸奈に、優子は俯いた。

「犬猿の仲かあ。でもそれは紅さんが営業と直接関係ないポジションにいるからできるんですよ」

「どういう意味?」

「私には無理ですよ。出庫だから。送る部品を間違えた場合、お客さんにミスした社員が届けるわけですけど、全部加藤さんが私の代わりに行って頭下げてくれて」

優子の話に、幸奈は唇を噛んだ。

「加藤さんの自発で私は助けられているんです。もしも毅然とした態度取って、そっぽ向かれて、自分で行けばって言われたらきついですよ」

確かに顧客の会社に謝りに行って嫌味の一つも言われのはきつい。それを庇ってくれているという「弱み」があったのか。幸奈は険しい表情になった。

しかし、すべての社員のミスを助けているわけではなく、個人的な気持ちで優子だけを助けている。それもおかしい。幸奈は納得が行かなかった。

 

業務が終わり、幸奈は帰る前に社長室に行った。

「社長。ご相談があるんですけど」

「何?」なぜか笑顔が引きつっている。

「加藤竜佐のことなんですけど」

「加藤君がどうした?」


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8

幸奈は、加藤竜佐が部品管理室にしょっちゅう来ていることを話した。仕事だと信じたいが、正直いるのが長い。いちばんの問題はパートさんたちが不愉快に感じていて、士気に関わることだ。

前川社長は、幸奈の話を聞きながら、みるみる顔が赤くなってきた。

「え、新規開拓で外回ってたんじゃないの? 部品管理室にいるなんて一言も言ってないよ」

「山宮さんも嫌な顔できない性格ですから。たぶん嫌がっていないと思って、居心地がいいところにとどまるんです。でもパートさんたちの作業は結構ハードなので、目の前で余裕見せられると文句も言いたくなると思います」

「わかるよ、わかる。加藤君に言っとくよ」

「何て言うんですか?」幸奈は心配になり聞いた。「あたしの名前は出さないでくださいね。逆恨みされたら困りますから。あいつは根はヤンキーですから」

「そうなの。関係ねえよ。俺に任せて。一人でも特別扱いなんかしないからさあ」

幸奈は半信半疑で社長室を出た。任せて大丈夫だろうか。言わなければ良かったという結末になりそうで胸騒ぎがしてきた。

運悪く社長室から出たとき、加藤竜佐とすれ違った。業務部の責任者が社長に呼ばれても別に不思議はないのだが、幸奈は何となく気まずかった。

「お、どこの美人かと思ったら幸奈姫か」濱尻宝が声をかける。「きょう暇?」

「忙しい」

「夕飯はいつもどうしてるの?」

「今夜は友達と食事」幸奈がそっけない。

「彼氏?」

「違うよ。女の子の友達」

「俺も行ってもいい?」

なぜそうなるのか、わからない。

「ゴメン。大事な相談があるみたいなんで、男子はちょっと」

「明日は?」

幸奈が睨むと、濱尻は引いた。

「睨むことないじゃん。凄い勇気を振り絞って誘ってるんだから」

「・・・お疲れ様でした」

「おつかれーライス」

「はあ・・・」脱力。

 

 

 


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9

翌日。

幸奈は廊下で社長とバッタリ会った。社長は得意満面の笑顔で幸奈に言った。

「あ、紅さん。加藤のこと怒鳴っといたから」

「え?」

「俺もやるときはやるよ」

それだけ言うと、立ち尽くす幸奈を置いて、社長室に入っていった。

「嘘・・・」

部品管理室へ行くと、優子が私服だった。手提げ袋を持って外出する格好だ。

「あれ、山宮さん、どこへ行くの?」

優子は沈んだ表情で答えた。

「ミスして、全然違う部品を送ってしまったみたいで。急いで部品を持ってお客さんのところへ謝りに行って来ます」

幸奈は蒼白になった。優子は幸奈を睨むと、思わず言った。

「紅さん。余計なこと言わないでくれますか?」

「・・・・・・」

きつい。幸奈は精神的ダメージを負った。良かれと思ってしたことなのだが。

社長に任せた自分がバカだったと、幸奈は反省した。反省しても遅いが。

優子がいないので、幸奈は、電話がかかって来るたびに事務室に急ぎ、応対した。自分の仕事ができない。

「はあ・・・」

最近ため息ばかりだ。これでは幸せが逃げる。そう思い、幸奈は気合を入れた。

「風紀が乱れるほうがヤバイよ」

社長がどのように怒鳴ったかはわからないが、加藤竜佐は優子のところに遊びに来なくなった。パートさんたちは和気藹々としている。その代わり、幸奈と優子の関係がギクシャクした。口を聞かないまでは行かないが、会話がよそよそしい。

幸奈も別に悪いことをした覚えがないので、謝るのは違うと思って、そのままにしていた。

(ああ、人間関係のない星に行きたい!)

そんな罰当たりなことを言っている場合ではない。本社ビルに向かう途中、加藤竜佐と会ってしまった。

「幸奈」

「呼び捨てにしないでください」幸奈が睨む。

「おまえ、ただじゃ済まないよ」

「脅迫? 110番しようか?」

幸奈が負けずに言うと、加藤は車に乗って行ってしまった。

「・・・ふう」

 

 


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10

今度は濱尻宝が出てきた。

「あ、お疲れーらいす」

「それやめたほうがいいと思うよ」幸奈が優しく忠告した。

「何で?」

「何でって、100%滑るし、相手を脱力されるだけから」

「この前パートさんに言ったら受けたよ」

「失笑を受けたと誤解して何度も連発する売れない芸人みたいね」

幸奈のきつい一言も歌声に聴こえるのか、濱尻は笑顔だ。

「幸奈っち。いつ食事ご馳走してくれるの?」

「いつそんな約束した?」幸奈はびっくりした。

「いいじゃん、たまには。ホテル誘ってるわけじゃないんだからさあ」

「セクハラですよ」

睨む幸奈。しかし濱尻宝も積極果敢だ。

「バカだな幸奈姫は」

「何がバカよ?」

「ふざけて誘ってるわけじゃないよ。照れ隠しじゃん。俺結構マジに誘ってるんだよ。それを断り続けてセクハラって意味わかんないよ」

職場を出会いの場所だと思っている濱尻宝と加藤竜佐にとっては、セクハラ対策を推進する幸奈は天敵というわけか。

「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、ちょっとダメですね」

「嘘、ふるう?」濱尻は目を丸くした。「わあ、告白される前にふられた。最悪」

彼は両手で頭を抱えながら、夕空を仰いだ。涙目だ。演技か本気かは判断できないが、幸奈は少し心を痛めた。自分を好いてくれる人をむげにできるほど、自惚れてはいなかった。

「よくわかったよ。やめっかな」

「辞める?」幸奈は焦った。

「君には関係ないよ。それじゃ」

片手を上げて去っていく濱尻宝。悪い男ではないのだが、タイプではない。こればかりはどうしようもない。幸奈も思わず夕日を見つめた。

「もう、ふられて会社辞めるなんて、知らないよ」

 


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