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第1章 比奈国の遠見

 美玻(ミツハ)は暗闇の中で目を覚ました。

 少女の五感が最初に感じ取ったのは、湿った土の匂いだった。次いでそう遠くない所で、湧水が岩の隙間をちょろちょろと流れている音に気付く。朦朧としていた意識がもう少しはっきりとしてくると、外で木々が風に煽られて擦れ合う音や、草叢に潜む虫たちの声が耳に入り始めた。

 

 闇だと思っていたその場所も、いつしかほんのりと白色が混じり込んだような薄い闇に変わっていた。どこか小さな隙間から、月明かりが入り込んでいるのかも知れない。ぼんやりとそんな取りとめのないことを考える。それでも周囲の様子が見えてこないのは、自分が目隠しをされている所為なのだと気づく。そして不意に、今、自分がどういう状況に置かれているのかが、すとんと頭の中に落ちて来た。

――ああ・・先に目が覚めてしまったんだ。

 そう悟った途端込み上げた恐怖に、美玻は思わず身を固くする。その途端、

――痛っ。

 僅かに身じろぎをしただけであるのに、手首に打たれていた縄が皮膚を擦って、小さな悲鳴を零す羽目になった。痛さのせいなのか、怖さのせいなのかは判然としなかったが、美玻の目からはじんわりと涙が染み出した。

 

 意識のない間に、何もかもが終わっていてくれれば・・そんな淡い期待を抱いていた。それがどうにも仕様のないことだと理解していても、死というもの対する恐怖が心に湧きあがるのを止めることは、まだ十五の少女には難しかったのだ。

 美玻は、龍神への生贄として、この祠に捧げられたのである。せめてもの情けだと、ここに運ばれる前に眠り薬を嗅がされた。もう二度と目覚めぬ眠りに落ちた筈だったのに、自分はどうして目を覚ましてしまったのだろう。やるせない思いに苛まれる。例え目が覚めても、祠の入り口は、岩を積み上げて塞がれている筈だから、美玻一人の力では逃げることは出来ない。それはつまり、自分はただこの場所で、この命を奪いに来る神がやって来るのを、恐怖と闘いながら待ち続けなければならないということだ。

 

――どうして。

 

 その問いの答えは分かっている。美玻が祟り者(たたりもの)だから。

 それでも、問わずにはいられない。

 どうして、

 どうして、

 どうして、と・・

 

 

 美玻が生まれたのは、比奈国(ヒナのくに)の遠見(とおみ)と呼ばれる山あいの集落だった。この集落の呼称にもなっている遠見を名乗る一族は、遥か遠方を見ることが出来るという特別な目を持っていた。そして遠見はその能力によって、比奈の王の為に、龍を探すという役目を与えられていた。

 

 比奈国は世界の辺境に位置する小国である。そして、この世界の中心に座する鴻(コウ)という大国の朝貢国であった。

 この世界には、七宝と呼ばれる希少品がある。七宝はその希少さゆえに、希物(まれもの)とも呼ばれている。宗主国である鴻国の皇帝は、周辺の国々が、その希物を朝貢品として納めることを望んでいた。表向きは望みであるから、もちろんそれは強要ではない。強要されたとて、そもそも希物なのであるから、そうそう簡単に手に入れられる筈もない代物である。それでも、貢物として納められた希物の量や質によって、あからさまに国に序列が付けられ、希物の代価として支払われる鴻札(鴻国発行の紙幣)の額が、その序列に少なからず影響を受けるとなれば、どの国の王も、無理をしてでもより多くの希物を集めるしかなかった訳である。

 ちなみに、鴻札は鴻国とその周辺地域でしか流通していない紙幣なのであるが、鴻には、他のどの国よりも、希物に限らずあらゆる物品を高値で買い取ってくれる鴻商人たちがいたから、この世界の大抵の物品は鴻へと流れ集まる様になっており、鴻札はそれらの品物を購入するための重要な資金となり得たのである。 

 

 ところで、比奈国が鴻から望まれたのは、『龍ノ鱗(りゅうのうろこ)』という希物であった。比奈国では、龍は神の御使いとも言われ、また、それ自体を神と崇めもする神聖な生き物であった。一方で、その鱗は万病に効く薬の材料になるとも言われていた。更に一説には、それは不老不死の秘薬とも言われ、世界でもっとも入手困難な希物とされていた。それは、数十年に一度、僅かばかりの量しか納められない希物でありながら、他国を抑え、比奈国を常に序列の最上位に位置づけるほどの逸品だったのである。

 

 そして遠見の一族のみが、その特別な力によって鱗の持ち主である龍を探すことが出来た。美玻は、その一族の長の末娘だった。

 

 


1
最終更新日 : 2012-07-25 11:20:44

 それは五年前の夏至のことだった。

 遠見の郷では、一年で最も昼の長い一日を、神が天より下り地上の災いを祓い清めていく特別な日として、毎年祭祀を執り行っていた。彼らは、まだ夜の明けぬうちから、郷から少し離れた所にある、果て見の頂と呼ばれる高みへ登った。

 

 そこでまず、昇る陽に祈りを捧げ、神への感謝を示す祝詞を奉った。それから、遠見という、神からの授かり物を与えられた者たちが、一人ずつ順に喜びと感謝を申し述べる祝詞を唱えていく。その祝詞の奏上は、夏至の太陽が山の向こうに消えるまで、延々と続けられるのだ。

 

 その特別な日は又、遠見の者たちが、それぞれの子供が遠見としていかほどの能力を有しているのか、頂に登らせて見極める『試し』を行う日でもあった。美玻はその年、ちょうど十になったばかりで、初めてその祭祀に参列することを許された。その年は美玻の他にも、数人の子供が祭祀への参列が許されていた。

 

 父に手を引かれ、急な山道を草木を掻き分けながら登って行った先で美玻が目にしたのは、遠く霞が掛かるほどに彼方まで拓けた、これまでに見たことも無いような美しい眺望だった。

 

――世界はこんなにも広いものなのか。

  四方を山に囲まれた小さな集落の中しか知らなかった少女の胸は、その大きな感動に踊った。

 

 ところで、遠見の素養を見る試しとは、前もって遠くの村々に送っている郷人が、そこで掲げる色旗を、どこまで見分けられるかというものだった。

  その日の試しで、一番遠方の村まで見分けられたのは、美玻ただ一人で、流石に族長の血筋は他の追随を許さぬ素晴らしいものであると、周囲の大人たちから口々に称賛された。

 自分も遠見として、いずれ父のように比奈の役に立てるのだと、その時は、そんな証を貰えたような気して大きな嬉しさが込み上げた。そして、高揚していく気分に酔ったように、ただ幸せな気持ちで空を仰いでいた。

 

 やがて訪れた夕暮れ。彼方の山に陽の帯びが差しかかり、その輝きは静かに弱くなって行く。天を朱に染めながら、背後から迫る濃紺の帳から逃れる様に、稜線を黒く浮き上がらせ始めた山の向こう側へ、太陽はするりと滑り込んだ。そこから朱色の空は、急速に濃さを増して茜の色へと移りゆく。その美しさに見入っていた美玻は、その茜の空に金色の帯のようなものが光ったのに気づいた。

 

――何だろう。

 

 そう思って目を凝らした刹那、美玻の眼を強烈な反射が刺した。自分でも何が何だか分からないままに全身の力が抜けて、そこに倒れ込む。

「どうしたっ?」

 父の声にそう問われて、体が抱き起こされたのが分かった。だが、目の前には白い光が明滅するばかりで、何も見ることが出来ない。

「お前・・何を見た」

 そう問われた父の声は、怖い程に低く響いた。

 ――見た?

  そう言えば、光が目に入る前に見えたもの。あれはそう・・

「・・蛇みたいな生き物・・でも角が生えてて・・」

  多分、周囲に集まっているのだろう人々の間に、一瞬ざわめきが広がって消えた。

 ――ああ、そうだ。それから、きらきらと光る真紅の眼がこちらを見ていた。

 その真紅の色が、本当に宝玉の様にきらきらとあまりに綺麗だったから、つい見入ってしまったのだ。この世のものとも思えないその美しさに、自分はどうしても目を反らすことが出来なかった。

「・・まさか・・お前の目はそんな果てまでも・・」

 ――果て?

「美玻・・お前が見たのは、龍だ」

「・・龍・・?」

 ――あれが、龍。

 

 郷では先祖からの戒めによって、その畏れ多い姿を直に見ることは、神に対する不敬であり冒涜とされていた。その姿を見た者は神によって祟られ、天罰が与えられる、と。そう言い伝えられていた。郷に伝わる戒めが頭を過り、血の気が引いた。気が遠くなる。

「・・とんでもないことをしてくれた」

 父の苦渋に満ちた呟きを聞きながら、美玻の意識はそれきり遠退いた。

 

 その日から、美玻は祟り者として龍神を祀る社に封じられることになった。神の裁きを待つ間、郷の他の者に災厄を広げぬようにと、そこから出ることを禁じられたのである。

 社の世話をする婆の他は、誰とも話す事もない。そんな生活が五年ほど続いたある日、お前は龍神様に生贄として捧げられることになったと、婆は言った。

 そして夏至の陽が昇る前の晩に、美玻は捧げの祠に運ばれて封じ込められたのだった。

 

 


2
最終更新日 : 2012-07-23 15:25:01

 失意に項垂れていると不意に、額にぬるりとした感触があった。反射的に背筋に悪寒が走る。

――な、何?

 すぐ近くに、何かの気配を感じた。小さくて生温かく湿ったものが頬の辺りに押し付けられ、同時に鼻孔に獣臭い呼気が広がる。

――何かの・・獣・・?

 ふんふんという短い呼吸を繰り返しながら、ソレは鼻先を押しつけて獲物の様子を確認している・・そんな感じだろうか。

 犬のような狼のような・・そう考えて、そこまで大きい獣が、ここに入り込むのは無理そうだと思う。積み上げられた岩の隙間から入ってきたのだとすれば、自分に危害を加えられる程大きな獣ではないだろう。そう気付いて、少し安堵する。ならば、鼠か猫か・・

「いやだ、くすぐったいってば・・ひゃぁあうぅ」

 言った側から鼻先をぺろりと舐められた感触に、美玻は思わず素っ頓狂な声を上げた。すると、ぴんと張り詰めていた緊張の糸がふっと緩み、気が付けば可笑しさに口元を緩めている自分がいた。

「変なの・・あたし、笑ってるなんて・・」

――こんな所で。こんな時に。本当に変だ。

 変と言えば、目隠しをしている布の向こうに、暖かな朱色の光を感じ始めていた。ゆらゆらと揺れるそれは、目の前で次第に大きく膨らんでいく。

――ああ、そうか・・

 もしかして、死ぬっていうのはこういうことなのかと思う。

 それならば、変なことも大歓迎だ。だって、どうしたって、痛かったり苦しかったりというのは嫌だから・・だから、こんな風に穏やかなままで逝けるのなら・・逝けるのなら・・

 

「無事かっ?美玻」

「・・え?」

 誰だと思う間もなく、肩に手が掛けられて少し乱暴に体を引き起こされた。そのまま体を抱き寄せられると、耳元で安堵のため息・・のようなものが聞こえた。

「・・無事で・・よかっ・・」

――誰?

 体が抱きあげられた気配がして、それに狼狽したせいで、その問いを口にする暇はなかった。下ろせと言う前に、美玻の体はひんやりとした岩の上に座らされ、何が何だか分からないままに、今度は手と足とに、数人がかりが同時に縄を解いて行く気配がした。そして、美玻の体は直ぐに自由になった。

――あたし・・いいのかな。生贄なのに・・外に出ても。

 戸惑いながらも、まだ少し痺れの残る手で目隠しを外そうと、両の手を頭の後ろに回す。だが、その結び目は思いの外固い。美玻が、なかなか解けない結び目に難儀していると、その手が誰かに掴まれて、膝の上に置かれた。そして、誰かの手が頭の後ろで結び目を解く感触があって、すぐに目を覆っていた布が取り払われた。

 

 初めに目に入ったのは、近くで揺れる松明の光で、その眩しさに美玻は目を細める。と、

「お前が、遠見の娘か」

 目の前でそう訊く声がした。慌てて視点をそちらに合わせる。まだ良く見えていない目に、ぼんやりと男の顔の輪郭が映る。

――誰?

 その顔を確認しようとして、眉間に皺を寄せる。すると、目の前の人物から軽い失笑ともいうべき気配が伝わって、美玻は気恥ずかしくなって赤面する。

――あ、たし・・そんな変な顔した?

「無理に見ようとするな。目が慣れるまでは、しばらくぼやけたままなのだろう」

 見えないままなのは落ち着かなかったが、そう言われてしまっては、自然に元に戻るのを待つしかない。

 それにしても・・。

「・・あたし・・どうして?」

 この状況は、助けられたと言っていいのだろう。だが、祟り者である自分が生贄にならなければ、郷に災厄が降りかかる。自分が祠を出てしまったら、郷はどうなるのか。そんな不安が生じる。

「訊いているのは、この私の方だ」

「・・はい」

「そなたは間違いなく、遠見の娘なのか?」

「・・そうです」

「よし、上々だ。沖斗(オキト)、この娘を馬に乗せよ。我らにもまだ、運は残っているようだ」

「承知致しました、洸由様」

――コウユウ・・サマ・・?

 その名には覚えがあった。比奈王の何番目だかの息子の名だ。何となく尊大な物言いをすると思えば、そういうことなら納得出来る。洸由は立ち上がると、美玻の側から離れて行く。代わりに、洸由に声を掛けられて、暗がりで控えていた少年・・沖斗が姿を見せた。

「・・立てるか?」

 声を掛けられて頷き、立ち上がったものの、足を踏み出した途端に、美玻は小石を踏みつけてよろめいてしまった。すると、腕が掴まれて体が支えられる。

「ありが・・とう」

 見上げた沖斗に表情はなく、美玻が体勢を立て直すか否かという間合いで、その手はすぐに離される。

 そして――

「もたもたするな、行くぞ」

 固い声を残して、沖斗は踵を返し、松明を掲げて待っている仲間の方へ足を向けた。

――ああ、そうか・・

 この空気には覚えがあった。この五年、嫌という程感じ続けていた空気。社守の婆の元にやって来る人々は例外なく、こんな空気を纏っていた。

 祟り者には関わりたくない。

 祟り者は怖ろしい。

 そう思っている者の纏う空気だ。

――そうだよね。

 関われば、関わった者もまた祟りを受ける。そう言われているのだから、それは当然のことだった。

 

 


3
最終更新日 : 2012-07-23 15:28:06

「・・ごめんなさい。ごめん・・なさいぃっ・・」

 馬に乗れと言われて、乗り方すら分からなかった美玻は、決して大柄ではない沖斗に、下から体を支えて押し上げて貰っているのだが、そうまでしても、美玻の手は馬の横腹を撫でるだけで、そこをよじ登ることが出来ない。

 自分になど関わりたくないのだろうに、こんなにまで手間を掛けさせてしまうのが心底申し訳なく思えて、謝罪の言葉が絶えず美玻の口を付いて出る。

「黙れ、ごめんなさい、ごめんなさいと、連呼するなよ、鬱陶しい」

「ごめ・・」

 下から不機嫌そうな声を掛けられて、また謝罪の言葉が出掛けた所で、視線を向けた沖斗がこちらを睨んでいるのに気づき、その言葉を半ばで飲み込む。

――ごめんは禁句。禁句だから。

 美玻が自分に言い聞かせていると、体を支えていた手が離されて、美玻の体はずるずると地面に引き戻された。また一からやり直し。そう思うと、情けなくてため息が出た。言葉にはしないまでも、申し訳ないという目を向けた美玻の前で、沖斗は手綱を掴み、鐙に足を掛けたと思ったら、いとも易くひらりと馬に跨った。

「凄い」

 思わず感嘆の声を上げると、沖斗が顔を顰める。

「馬鹿言ってないで、手を出せ」

「手?って・・こう?」

 美玻がその意味を飲み込まないまま、手を差し出すと、手がぐっと握られて美玻の体がいきなり浮き上がる。

「・・えっぇ?」

 沖斗のもう一方の手が、器用に美玻の腰のあたりを抱えると、その小さな体は、あっという間に馬の上に引きあげられていた。

「変な声を出すなよ」

 迷惑そうな沖斗の声が、いきなり至近距離から聞こえた。そのことに、動揺が更に増幅される。

「ぇ・・だっ・・て一緒に乗る・・って・・」

「お前、一人で乗れるのかよ」

「それは・・無理だけどっ・・でもっ」

――嫌じゃないの?あたしと一緒は・・祟り者と一緒は・・きっと嫌・・よね?

 そこへ、すでに騎乗を終えていた仲間から声が掛かる。

「沖斗、準備は出来たか?」

「はいっ。問題ありません」

 その応えを合図に、前方で次々に鐙を蹴る音と馬のいななく声が聞こえて、洸由を先頭に十人程の隊列が走り出す。美玻の乗った馬はその隊列の最後に続いた。

 

 走り出してすぐ、何かが焼け焦げたような嫌な臭いが鼻に付いた。振り落とされたら、またこの人に迷惑が掛かる。そんな思いで、馬上で想像以上に跳ね上がる体が滑り落ちないようにと、必死にたてがみにしがみついていた美玻だったが、その臭いに不穏なものを感じて顔を上げ、辺りを見回した。

 

 いつの間にか夜は明けて、西の空に僅かに星が残るばかりの朝が訪れていた。陽はまだその光を見せていなかった。辺りには朝靄が立ち込めており、視界が悪かった。それでも、その白い靄の中に、不気味な黒い影が浮かび上がっているのが分かる。一旦そう気付いてしまうとすぐに、同じような影がそこらじゅうにあることに気づいた。よくよく見ればそれは、黒い炭のような塊で、靄はその黒い物体から湧き出していた。そう気づいた時、その光景が何を意味しているのか、美玻は悟った。

 これは何かが燃えた跡で、この靄はその煙がまだ燻っているせいなのだろう。では、視界を白く遮る程にいったい何が燃えたのか。それは、生贄の祠から山を下った場所にあったもの・・ここは・・まだ遠見の筈だ。ならば、それは――

 目の前の腕を縋る様に掴んでいた。それでも、沖斗は表情一つ変えず、前を見据えたまま、馬を走らせている。

「・・郷は・・遠見の郷・・は」

 息苦しさを感じながら、ようやくそれだけ声を絞り出す。事実を確認するよりも先に、もう何かを確信してしまっている心が、悲しみを膨れ上がらせて涙で喉を詰まらせた。

「遠見の郷はもうない。全て焼け落ちて無くなった」

 沖斗の淡々した声がそう告げた。

「生き残った遠見は、お前だけだ」

――あたし、だけ・・?

 自分だけが死ぬ筈だったのではないのか。それが祟り者の定めの筈だったのに。何故自分だけが生き残るのだ。喉が締め付けられるような感覚に、息が出来なくなる。

――祟り者が生き残ったから。

 だから、郷が代わりに消えた。そうではないのか。そう思った所で、美玻は意識を失った。

 

 不意に腕に重みが掛かったのを感じて、沖斗が眉根を寄せて視線を落とす。

「・・おい、ちゃんと掴まっていないと落ち・・」

 言い掛けて沖斗は、美玻が自分の腕の中ですでに気を失っていることに気づいた。その顔に、丁度昇って来た朝陽が差しかかり、涙の痕を浮かび上がらせた。

「・・・・裁きの夜が明けた、か」

 呟いて仰いだ空は、あの日と同じ蒼い空。そして、天から降り注ぐ夏至の日の眩しい光が、また地上に満ちていく。

 その光と共に神は龍に乗り、天より下り来るのだ。地上の災いを祓い清めるために。

「・・美玻、生き残ったのはお前の方なんだ・・」

――運命を決める長い一日が・・五年前と同じ夏至の日が、また始まる。

「だから・・生きろ・・」

 それもまた、辛い定めとなるのかも知れない。それでも、神は多くの犠牲と引き換えに、美玻が生き残ることを許したのだ。

 だから――

 


4
最終更新日 : 2012-07-23 15:45:36

 湿り気のある暖かい・・というよりも少し暑さを感じるほどの、どちらかと言えば不快な空気に全身が包み込まれた感覚に、美玻は意識を取り戻した。

 白い湯気の立ち上る中を、脇と足とを誰かの手に支えられながら、美玻の体は運ばれて行く。肌を撫でた湯気の感触に心許なさを覚えた瞬間、自分が着衣を何ひとつ身につけていないことに気づく。

――えぇっ?あたし何で裸っ!?

 ぽちゃん。尻が温めの湯に触れた。

「ぅえっ・・」

 珍妙な悲鳴を上げるよりも先に、ざぶりと全身が湯に落とされた。

「な・・っ?」

「ああ、気が付いたわね・・」

 背中で若い女の声がして、脇を支えていたらしい彼女の腕が抜き取られる。

「良かった。これで少しは仕事がやり易くなるわ。目が覚めたなら、あなた一人でも平気ね、ユウラ?私は着物の用意をしてくるから」

「了解です、ナミさま」

 ナミと呼ばれた若い女は、そのまま湯気の向こうに姿を消していく。それを見送る間もなく、ユウラが袖をまくり上げた腕を湯に突っ込んで、美玻の足を掴んで持ち上げた。

「あ、あの・・」

「陛下の御前に出ても、粗相のない程度の体裁を整えさせろ、と。沖斗様のお申しつけなのよ。だから、じっとしてて」

 いかにも肌になめらかな感触の布で、せっせと足を擦りながらユウラが言った。

――沖斗様・・

 ああ、あの一緒に馬に乗っていた人か、と思う。そんなことを考える間にも、ユウラの手はせっせと動き、美玻の体を磨き上げていく。

「ああ、あのっ。あたし、自分で洗えますから・・」

「・・いいのよ、これが私の仕事だし。今日は私、これのお陰で、薪運び免除されてるし・・あれって結構重労働なのよ。だから、気にしないで任せてて」

「・・いえ、そういうことではなくて・・単純に恥ずかしいというか・・」

「いいから、いいから」

「でも・・っ・・」

 頭の上から湯を浴びせられて、懇願の声は水音に飲み込まれる。

――というか、あたしの意志みたいなものは、そもそも考慮の外ってことなのか。

 ユウラの手が、自分の絡まった長い髪を丁寧に解いて行くのを感じながら、美玻は諦めて湯に身を少し沈める。この場合、彼女にとっては沖斗、そしてナミの命じたことを忠実に守ることが何より重要なのだ。たとえそれがお願い程度のものであっても、美玻はユウラに何かを頼める立場ではないということなのだろう。

「・・あの。訊いても構わないですか?」

「え?ああ、何?」

「沖斗様というのは、どういうお方なのですか?」

「沖斗様?ああ、あのお方は、比奈国第五王子、洸由様のご配下で、年はまだ十八とお若いけれど、洸由様のご信頼篤く、城仕えをして五年足らずで、すでにその右腕と言われるお方よ」

「・・城仕えの前には何を?」

「さあ・・そこまでは知らないわ。真面目すぎてあまり愛想がおありにならないけれど、年頃の娘たちには、人気があるのよねぇ・・兵の調錬の時など、それはそれはかっこいいんですもの」

 そう言いながら、ユウラがうっとりとした表情を浮かべる。大方、ユウラも他の娘たち同様、沖斗に好意を抱いている口なのだろう。

「・・もしかして、あなた。沖斗様が気になる、なんてことは・・」

「あ、いえ。そういうことでは・・」

「そうよねぇ・・無いわよね。あり得ないわよねぇ」

 安堵したような声の後で、くすりと笑いが漏れ落ちた。

「あなたをここに置いて行かれた時も、何て言うか、完全に荷物扱いで、肩に担いでいたのをそのまま床にごろり・・だったものねぇ」

 女以前に人間扱いすらされていないのだから、余計な夢は見るなと、そんな含みを感じる。美玻が気にしていたのは、全くそんなことでは無かったのだが、そこは当たり障りなく笑ってやり過ごした。

 髪を洗い終えたユウラが、仕上げに桶に湯を汲み、美玻の体に注ぎかける。湯に香油が混ぜられているのか、全身がふわりと心地の良い空気に包まれて、美玻は目を閉じた。そこに、沖斗の顔が浮かぶ。

――前に。

 会ったことがあるような気がするのだ。

 美玻は生まれてこの方、郷の外へ出たことはなかった。だから、可能性があるとすれば、沖斗の方が郷にやって来たことがあるのだということになる。更に言えば、この五年、美玻は社に籠っていた訳だから、会ったのだとすれば、それよりも前・・ということになるのか。それは、自分がまだ、何も考えずに自由に空を仰ぎ見ていた頃――

 社に入れられてから、もう二度とは戻れない暮らしのその記憶が辛くて、なるべく考えないようにしていた。忘れるようにしていた。その甲斐あってと言うべきか、その頃の記憶は、美玻の中ではもう遠いものになっていて、結局、彼女には何も思い出すことができなかった。

 

 湯浴みを終え、ナミの持って来た着物――それは地味なものだったが、仕立ては良い代物だった――を、やはりこれも自分の意志とは関係なく着せられた。そして、ユウラが美玻の長い髪を、器用に結い上げて整え終わった頃、沖斗が姿を現した。

 沖斗は、表情一つ変えず、美玻の姿を検分するように確認した後で、ただ「付いてこい」とだけ言った。

 

 長い板張りの廊下を、無言で歩いて行く沖斗の後を、美玻は言われたままに、ただ付いて行く。やがて辿り着いた広間の入り口手前で、沖斗が立ち止まり、そこで何かを確認する様に振り返って、美玻を見据えた。

 「・・何でしょうか?・・あたし、どこか変・・ですか?」

  ただ見られているばかりの沈黙が落ち着かずに、思わず訊くと沖斗の両手がすいと伸びて、美玻の肩に乗せられた。

「え・・あのっ?」

「・・小さい肩だな」

 そう呟いた瞬間に、肩を掴む手に力が込められた気がした。沖斗の手はすぐに離れてしまったから、それは美玻の気のせいだったのかも知れない。

 ――小さい肩って・・どういう意味?そりゃ、小柄なのは確かだけど、それが一体・・

 

「遠見の娘を連れて参りました」

  沖斗の良く通る声がそう告げた。

 ――遠見の娘。

 その言葉で、美玻は自分がここに連れて来られた理由を悟った。

  

『生き残った遠見は、お前だけだ』

  沖斗に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。

  

 美玻は、遠見として王に呼ばれたのだ。たった一人の生き残りだから。自分がその名を、背負わなければならない。もう自分しかいないから。自分が遠見として、比奈王の役に立たなければならない・・そういうことなのだ。

 急に、肩にのしかかる、遠見の名の重さを感じた。

 ――ああ、この人が言いたかったのはそう言うことなのか。

  遠見の名を負うには小さな肩だと。沖斗はそう言いたかったのか・・

 


5
最終更新日 : 2012-07-27 09:40:43


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