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密閉信仰

 話は、学生時代のことから現在の私の職業やプロ野球、好きなテレビ番組など色々と脱線を繰り返しながら、私と彼は酒を酌み交わした。久しぶりに会ったはずなのに、昔からずっと一緒だったような、そんな気がした。

「そろそろ祭りの季節か……あの頃は女の子と行っても、夜店で食ってばかりだったな」
「それはお前だけだろう。ばくばく食いやがって」
「そうだっけか」
 私は心地よい酔いに任せ、淡い思い出に浸る。確かに彼は全然食べてなかった気がする。次々と食べ物に手を出す私を、いつも彼と彼女が呆れて見ていた。
 彼はグラスに酒を注ぎながら言う。
「俺は、ああいう食べ物が嫌いだったからよく覚えてるよ」
「そうか? 雰囲気で美味しく感じるだろ」
「いや、味の問題じゃない。夜店の食べ物とかさ、その場で作って、しばらく置きっぱなしだったりするだろ。そういうのが気になるんだ。なんていうか、衛生的に問題がある」
「そうかな」
 そんなに潔癖な男だったか彼は。
 私の戸惑いに気づいたのか、ごまかすように彼は苦笑を浮かべる。
「最近は、そういうのがひどくなってきてる気がする。スーパーの野菜とかも気になるんだ」
「大人になったってことかな」
 私は、見当違いな返答をしつつ、彼は確かにやつれたなと、別のことをぼんやりとした頭で思った。
 そして、そんな風に彼を見ることに罪悪感めいたものを感じ、室内に目を向けた。

 彼のコレクション・ルームだというこの部屋はとても変わっていた。彼の後ろの棚には、大小様々な缶詰が並べられ、私と彼の座る椅子や、グラスのおかれたローテーブルまで大きな缶詰の形をしていた。
「おお、あれは空気の缶詰か? 懐かしいな」
 私は場の空気を変えるように立ち上がり、棚の缶に目をやった。
「ああ、結構たまったな。どっか行ったときは必ず作るから」
「え、自分で作るのか」
「ああ、実は缶詰が趣味なんだ」
「初めて聞いたな。しかし、空気の缶詰ねえ」
「あれは結構いいものだよ。甲子園の土みたいなものでさ。そのとき、そこにしかない何かってあるだろ。それを切り取って保存したいという欲求を人間は持っている。文字や絵画、写真やビデオ、保存方法は様々だ。そして、缶詰はモノ自体を保存する。もちろん保存しても開けなければ視聴覚では認識できないがな。けれど、結局、そこにあるというだけで人は満足できるもんなんだよ」
「本当に入っているのか、と俺なら疑うけど」
「それを信じられるかどうか。お前じゃ無理かもな」
 私と彼は少し笑った。酔っていた事もあって、私は気が緩んでいたのだ。
「奥さんは元気か?」
 言ってしまってから後悔した。だが、彼は平然とした様子で答えた。
「ああ、元気にしているよ」
 私は彼の顔を見る。彼も私の顔を見ている。
「そうか……。半年前になるかな? 前に会ったのは」
「半年? それはないな。少なくとも一年は前だ」
 私は内心、ドキリとしたが、なるべく動揺を抑える。
 しかし、酔っていて表情を制御できている自信はなく「ああ、そうかな」と答えるのが精一杯だった。
 確かに彼女と最後に会ったのは一年前だ。彼と会ったのは数年振りだというのに。だが、私と彼女はもう終っている。

「シュレディンガーの猫を知ってるか?」
「え、ああ」
 彼の突然の話題転換に私はついていけない。
「何だっけ?」
 彼は少し苦笑して、
「実は俺もわかってない。そして原理は、話にはあまり関係がない」
「ないのかよ」
 私は再び缶の椅子に座る。
「箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるかは五十%の確率で重なりあっている。そして箱を開けて観測した時点で生死が決定する。そこには時間も何も関係なく。俺はこれを希望の話だと受け取った」
 次第に、彼の目は遠くを見つめるようになっていった。私を越えて、遠く。
「可能性を密閉するんだ。希望はそうやって生まれる。どちらかわからないなら、俺は良い方の可能性を信じて、選ぶよ。この缶詰には 南アルプスの空気が入っている。そう信じれば幸福になれるじゃないか。多分、人間はそうやって、ここまで発展してきたんだと思う」
 彼の言葉は静かだったが、力があった。しかし、それはまるで、
「密閉したものは、誰にも干渉されない。干渉されなければ、変化しない。残された希望は希望のまま保存される。俺は……俺は、それでいい」
 そう言って彼は、両手をついて、愛おしそうにテーブルを、巨大な棺桶のような缶詰を撫でる。
 私は恐ろしい想像に、全身が冷たくなるのを感じた。
 私は震える声で、ようやく声を出した。
「奥さんは……彼女は、どこにいるんだ」
 彼は動かしていた手を止めた。そして、広げていた手の人差し指で、一度、とんとテーブルを叩いた。
 私の心臓が早鐘のように鳴る。
 彼の目がどこに向かっているか、今わかった。彼の目は、どこかの希望を見つめている。
 彼が静かに言った。
「彼女は俺を愛している。俺はそう、信じている」
 彼はテーブル上に手を置いたまま、視線をゆっくりと私に向けた。
 そして、どこかの希望を見つめる、冷たい目で、私に向かって言った。
「お前は、どちらを信じる?」

死が二人を分かたない

「汝、この者を妻とし、健やかなる時も、病める時も、幾度、輪廻を繰り返したあとも、未来永劫、この宇宙が終わるまで、愛し続けることを誓いますか?」

「……いいえ」

「ちょっと!」

「いや、やっぱり、無理だわ。これ」

「何でよ! いつまでも愛してるっていったじゃない」

「言ったけどさ……言ったけど、お前考えてみろよ。今は良いよ。でも俺たちが死んで、天国? 転生? とか知らないけど、死んだ後なんてわかんないじゃん。もし、転生するとして、それに時間差があってさ、俺が50過ぎてて、お前が8歳くらいだったら、そこに愛があったとしても犯罪になるんだよ」

「あなたが、60過ぎまで待てばいいだけでしょ」

「いやいや、お前はそれでいいのかよって話になるけど。まあ、いいよ。それはまだ人間だから。じゃあさ、俺がハエで、お前がカエルだったら? 食べるだろ、お前。絶対俺を食べるだろ」

「誰がカエルよ!」

「例えだよバカ」

「もしも、私がカエルであんたがハエでも、私を愛してるなら、喜んで食べられなさいよ。私の血肉となりなさいよ」

「イヤだよ! 何で俺の一生分の愛が、お前の一食分のカロリーになるんだよ」

「だって、カマキリはメスがオスを食べるじゃない」

「だから、そういうのが、無理なんだって」

「何よ……いつまでも愛してるって言ったのに……」

「だから、生きてるうちは愛するよ。今生をお前に捧げても良いよ。今は来世の話をしてるんだろ。バカ!」

「何よ。バカバカって! バカはあんたでしょ。誓うくらいできるでしょ。あんた、誓いを破ったら死ぬような真面目な人間だったっけ!?」


新婦の剣幕に押されながら、新郎は小さな声で言った。

「……俺にはこれが、誓いというより、呪いに聞こえるんだよ……」




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