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文明の発祥

脳のデジタル革命について、もう少し考えて見ましょう。
人間がまず最初に獲得した言葉は何でしょうか。まず、お互いの名前と身近な物…、食べ物や狩に使う道具、食器などに名前が付いたのでしょう。簡単に「名前が付いた」などと書きましたが、実際にはここで大きな精神の発展があったと思われます。それは、抽象化と具体化です。食べ物といってもいろいろとあります。狩に使う道具もいろいろです。それらをまとめて固有名詞をつけたのです。「肉」が今目の前にある肉から魚の肉やウサギの肉までいろいろな肉を指す言葉であるという、具体的でありながら抽象的な事を「言葉」としてひとまとめにして社会の全員が認識したのです。これは、それまでの精神構造を変えないと難しいことだったのではないでしょうか?
その後人間は絶対的な単位の概念を獲得しました。魚にとっての大きさの単位は自分の口に入る生き物が餌、自分が相手の口に入るのであれば天敵、といった単位です。あくまでも「自分」を基準にした相対的な大きさしか認識していません。人間も言葉を獲得するまでは「あれよりもこっちの方が大きい」など相対的にイメージとして捕らえていたと思われます。それが、言葉を他の個体との情報のやり取りに使うことによって絶対的な単位…何センチ、何メートルと言った共通の単位を獲得したのではないでしょうか。そうしなければ体の大きさの違う人との会話が成り立ちません。そして、長さや大きさだけでなく重さ、時間、色などあらゆる物、現象に絶対単位が使われだしたのです。
この「イメージの抽象化と具体化」、「絶対的な単位」の2つを獲得したことで「自分の脳に描いたイメージ」を「仲間と共通のイメージ」に変えることに成功したのです。このことによって「物事を具体的に覚え考える」「自分や他人の経験を仲間と共有する」という脳のデジタル革命が起こったのです。
そしてもう一つ。言葉の能力を獲得した人間がそれによって大きく発達させた器官があります。脳です。人は会話をする事で他の哺乳類では考えられない強力なシミュレーション能力を持つようになります。会話はそれまでの哺乳類が必要としたシミュレーション能力では到底出来ない高度な脳のシミュレーション能力を使うのです。考えてみてください。貴方が誰かと会話するときは自分の言いたい事を考えるのと同時に相手の言ったことの意味を理解して、同時に自分がこれから言う返答に対して相手がどう考えるか、どう返事を返してくるかを頭の中でシミュレーションしているのです。相手が一人とは限りません。複数の人たちの会話はそれぞれの人の性格や過去に言っていたことを元にそれぞれをシミュレーションしながら会話の方向を考えて会話に参加するのです。言葉を持たない人間以外の動物にとってこれだけ高度な脳の使い方は必要ではありませんでした。もちろん人間も最初からそれ程高度な会話をする事は出来なかったでしょう。脳を発達させながら同時に会話を高度な物にしていったのです。また、会話は複数のシミュレーションを同時に行う事から、全く異なった事を結びつける能力”思いつき”にもつながっていきました。道具の進化等もこの事が大きく貢献しています。
そして、この脳のデジタル革命は文明の発祥を促しました。文明とは進歩を内包した社会を指します。人間の社会は進歩し続けることによって後から見るとそれぞれが独自の発展をたように見えます。この状態を文明と呼ぶ人が多いようですが、実際には発展した状態を文明と呼ぶのではありません。人間独自の”ノウハウの蓄積による社会の発展のこと”を指すと思うのです。人間以外の動物が親や仲間から受け継ぐノウハウをほとんど発展させることができないのに対して人間は当たり前のようにしてノウハウを発展させてきたように見えますが、実際には行ったり来たりを繰り返しています。発展した社会があることを知っていてもそれを取り込むこともできず、自分らで独自の発展をすることも出来ない社会が多くあるのです。そこでは社会を発展させることなど出来ませんでした。そして、多くの社会の中のほんの一部が進歩を内包したのです。そこでは先人のノウハウや考え方を土台にしてもう一歩先を目指す社会が実現しました。この状態を文明と呼ぶと思うのです。
この、「先人のノウハウや考え方を土台にしてもう一歩先を目指す」ために発明された物が物語であり、法律であり宗教、組織などなのです。たとえば法律は最初は共同体のボスが自分勝手に決めていたのでしょう。しかし、強い共同体が他の共同体を取り込むようになると共通のルールが必要になります。ボスが勝手に決めていたルールは次第に幹部たちが全員で考えるようになり、ボスの都合から社会のルールへと変貌していきます。いったん社会のルールとなった後はそれぞれの経験の蓄積によって社会全体を良くするための法律や道徳に代わって行きました。こうして先人達の経験、ノウハウを土台にして先を目指す社会、つまり文明が発祥したのです。

こうして人間は世代を超えて経験を積み重ねることを可能にし、文明を発祥させ、さらには精神を発達させてきました。最終的に人間の精神は他の動物と全く違う様に感じるほどに発達したのです。では、なぜこれだけ発達した人間が自分自身の心について理解していないのでしょうか?実は、心からは精神全体を把握することが出来ないようになっているのです。そのために心についても理解しづらいのです。なぜでしょうか?それは、次のように考えることが出来ます。
心は判断を行う機能であるが為にスピードを要求される場合が多いのです。このために心からは精神全体を見ることが出来ないような仕組みにして判断のみに特化したのではないか、と考えられます。捕食者から襲われている時にいちいち過去の経験すべてを思い出して対応方法を検討する…などと言うことが出来るはずがありません。目の前に旨そうなリンゴと梨があり、仲間で分けようとしているときに自分がなぜリンゴの方が欲しいのか、好きなのかを知る必要もありません。心が判断を下すために必要なのは自分の精神の中身がどうなっているかを知ることではないのです。それよりも上手く立ち回る事を考えた方がずっと自分のためになります。だから心からは自分の精神全体を見ることが出来ないような仕組みになっている…こう考えることが出来ます。ただ、実際には心の発達自体がまだ魚類や両生類の物から抜け出しきれていないと考えることも出来ます。もともと心は魚類や両生類だった頃の判断機能が発達した物です。人間以外の脊椎動物は自分に対する認識がまだ上手くできていないため自分の精神について知る必要もなければ能力もありません。そして、その能力を初めて必要に感じたのが人間なのです。

では、一章の最後に心と精神とはどんな物かまとめてみたいと思います。
人間には高尚な心と精神が宿っており、神さまという特別な存在によって特別に作り出された…などということは全く無くて、人間も単なる哺乳類の一種類でしかない…。心とは特別高尚なものではなく、単に異なる本能や経験が対立した場合に必要となる「判断」を行うために発達した脳の機能の一つでしかない。と、そう言う事です。しかし、それでも私は思うのです。人間は特別な存在ではないのに特別に思える所まで来る事が出来た…。それだけで十分にすばらしい事ではないですか。


コラム② パノラマ視現象

この世の中には不思議なこと、不可解なことがは少なからず有ります。しかし不可解なことであっても必ず説明は付くはずです。SFなどでたまにでてくるパノラマ視現象という現象がありますがこれもその一つです。人間が死を前にしたときにそれまでの人生が脳裏に次々と現れてくるという現象です。心理学でこの現象がどのように説明されているか知りませんが、(このような現象自体無視されているかもしれません)私は次のように考えています。人間は身の危険を感じたとき、特に死を身近に感じたときには、思わぬ力を出すことがあります。火事場の馬鹿力などがそうです。人間は普段は自分の力を100%発揮することはできません。しかし何かのきっかけで100%の力が発揮できることがあるようなのです。これは一種のホルモンが瞬間的に脳の中にどばっと分泌されて起こるようです。かなり短時間の間に100%近くの力が発揮できるようになるのです。何かの本で記憶物質というものがあることを読んだ事がありますが、これもその一つと思われます。すごく驚いたときなどにその光景が目に焼き付いてしまう、ということがあるようですが、驚くという事がきっかけとなって記憶物質が大量に分泌されるとこういう事が起こるようなのです。そして 、こういう物質はまだあまり発見されておらず、死を目前にしたとき、脳の働きを格段によくする物質があってもおかしくはないのではないかと思うのです。パノラマ視現象が起こると、まず時間がゆっくりになり、それからその人の過去の体験が走馬燈のように頭の中を駆けめぐると言います。時間が遅くなるということはあり得ないので、脳の働きが早くなったと解釈した方が理屈に合います。そして、目前にせまった死を回避する方法を過去の体験から探そうとしてパノラマ視現象は起こるのではないでしょうか。

2章では心以外の脳の機能について考えてみたいと思います。そもそも脳の機能に自覚できない部分が有るから心とは何か、人間にとって本能とはどんな働きをしているのかが判りづらくなるのです。しかし、その部分は自覚できていないあなた自身です。そしてあなたが一軒の家の一部屋に閉じこもっているだけで、その家には他にもいくつもの部屋があるのです。他の部屋がどんな機能を持ち、どんな仕事をしているのか…それが判ればあなた自身についてももっと理解できるようになるのではないでしょうか?

自動制御室

あなたは道を歩くときに何を考えていますか?両手を交互に振って身体のバランスをとりながら足を交互に…等と考えながら歩いていますか?そんなことをしなくても脳の中には”オートドライブ”を行ってくれる機能があります。これを行っているのが自動制御室です。
脳の機能に心という判断の機能が加わるまでは本能による制御はあったものの、ほとんどは各部位を外からの刺激などによって自動的に動かしていたと思われます。この機能は人間にもそのまま残っています。歩いているときに手を交互に振ってバランスを保ちながら足を交互に…、などと考えていたらきりがありません。心は”あそこまで歩こう”と考えるだけで良いのです。後は自動制御室が身体全体を勝手に操作してくれます。
実際には歩くとき以外でも、と言うより人間の活動のほとんどがこの自動制御室の働きによる物です。よく考えてみて下さい。あなたは何も考えていない時間が1日のうちに相当あるはずです。道を歩いているときでさえ、何も考えずにボーッとして歩いていることが多いのではないですか?テレビを見ているときでも何も考えず、つまりは心が判断を行っていない状態でいることがけっこうあるのではないですか?そんな時でも心以外の部分はちゃんと働いていて、特にこの自動制御室は絶えず活躍しているのです。
ただし、この自動制御は生まれたときから備わっているわけではありません。(呼吸をするとか心臓を動かすと言った生命の維持に関する自動運転はある程度最初からそなわっています。)次に説明する”書庫”に格納されている行動パターンを自動で行っているのです。もちろん"書庫”の中身は"記憶”です。ですから自動制御室の自動運転はあなたの普段の行動が記憶され、つまりパターン化された物、と言うことです。貴方は、ただ歩くのにも最初は相当な時間が掛かっていることを覚えていますか?赤ちゃんの頃のことなのでまず覚えている人はいないでしょう。でも、どんなに運動能力がずば抜けた人でも赤ちゃんの頃には何度も転びながら歩くことを覚えたのです。最初は、それこそ両手を交互に振って身体のバランスを取りながら…とやっていたはずです。それを何度も繰り返しながら歩くことを覚えたのです。そして、一度覚えたパターンを少しずつ洗練された物にしていったのです。スポーツ選手はこの無意識の行動パターンを作るために練習を重ねます。どんなに優れた技も最初は「両手を交互に振って…」と同じレベルからスタートしたのです。そして、意識しないでも技を出せるようになって初めて自分の身についたことになります。
貴方はこうして歩くことをマスターし、走ることや階段を上ること、スキップなどを次々と行動パターンに組み込んできました。それだけではありません。箸の使い方からキーボードの叩き方、ドアの開け方まで貴方の生活に必要な動作のほとんどを自動制御室は行っています。貴方にとって欠かせない便利な存在です。しかし、行動パターンを一通りそろえる頃になると、そのほとんどを無意識に、つまり貴方の心の判断をしないで行ってしまうようになります。このため貴方がしっかりしていないと本能と自動制御室が貴方を勝手に動かしてしまうのです。貴方は一日の内どれくらいの時間をはっきりと意識して行動していますか?いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じように朝食を食べ、いつもと同じように会社に行く…。元々は貴方が造った行動パターンではあります。しかしこの時点ですでに貴方はほとんど自分の心の判断を使わないようになっているのです。これは、貴方が本能の言いなりになって要る証拠です。何時もと同じ行動を取ることが悪いわけではないのですが、それで良いのかチェックをしましょう。そしてたまにはちょっと違った方法、ちょっと違った行動を取る自分を思い浮かべてみましょう。そこに少しでも魅力があればそれを行ってみるのです。それが貴方の心を磨く第一歩になるはずです。

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