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個人の時代の宗教

ここでもう一度貴方に問いたいと思います。

貴方は神を信じますか?

貴方はどう答えるでしょうか?そして、貴方がどう答えたかに関係なく私は、なぜ?と聞くことになると思います。
今現在の神の考え方はまだ支配者の時代のものです。しかし支配者の時代が始まった頃も人々は山の神さまや海の神さまへの信仰に疑問を持つようになってしまいました。自分自身の中にある未知なる物を信じることが出来なくなったからです。貴方が神を信じているのであれば、私はなぜ?と聞くことになります。今現在の神を信じることが出来るのは私には不思議だからです。しかし逆に神を信じないと言うことも自分自身を信じることが出来なくなったのと同じではないでしょうか?貴方は漠然とした不安を持っているのではないですか?なぜそんな不安が自分の中にあるのかと考えたことは無いですか?今も同じ状態ではないでしょうか?そういった不安は人間自身の持っている本能に由来しているのです。その不安を解消するために宗教は生まれたのです。
宗教は社会を反映した考えの下に発達してきました。自然が脅威の時代には山の神さまや海の神さまに祈り、絶対の権力を持っていたボスの時代には唯一絶対の神が信仰されたのです。社会が一人のボスの所有から個人の時代―民主主義の時代―になれば当然宗教に対する考え方も変わってくるはずです。では、個人の時代ではどうなるのでしょうか?その答えはまだ出ていません。しかしはっきりと言えるのは今度現れる神様は唯一絶対の神ではないと言うことです。おそらくは古代の宗教の神様に近い存在であり、より人間に近いものと思われます。神でありながら貢物で機嫌を良くし、気に食わないことがあれば災害を起こす…古代の神はそんな存在でした。それでも人間以上の力を持っていたのです。
今現在の世界を見渡すとそんな神さまの登場を待っているかのようです。それは私の考えすぎでしょうか?いや、待っているのは私自身なのかもしれません。
おそらく今後現れる神様は人々の不安や精神の安定に欠かせない、そんな存在になるでしょう。そして唯一絶対の神とちがって個人ごとに異なる神さまを信仰することになるはずです。自己催眠や瞑想などによって各自が自分の精神の中の扉を開けることによって自分がどんな存在か、自分の中の神さまがどんな性格なのかを知り、各自が神さまを自分で見つけるようになるのではないでしょうか。そして神さまとの付き合いも個人ごとにさまざまになるでしょう。ある人は毎日祈りを捧げ、ある人は神さまのためにちょっとしたお祭りを行う…その内には同じような性格の神さまを持つ者同士のグループが出来たりもするでしょう。そして、このことによって人々は現在よりずっと自分自身に向き合い自分自身を知るようになってくるのではないでしょうか。


社会

小学生の頃の一時期、世界は大人によって完璧な運営がされていると思っていました。まだ社会のこともよく知らず、ニュースなどを見ても難しい議論になると何をしゃべっているかも解らない状態でした。それだけ難しい議論が出来る大人たちが世の中の仕組みを作り上げたと言うだけで十分私にとっては完璧な社会だと思えたのです。事実、私の周りは次々に変わっていきました。白黒テレビがカラーテレビになり、クーラーをつけた家に住む友達や家に車がある友達も徐々に増えていました。去年よりも今年、今年よりも来年の方が確実に便利になっていっていたのです。人類が宇宙に住み宇宙の果てを冒険すると言ったこともSF小説や映画の中だけの話ではなく、いつかはそういう時代が来ると無条件で信じることが出来たのです。しかし、そういう時代がくることは無いでしょう。小学生の頃に考えていた20年後、30年後は未だに実現していません。大人たちの作り上げた社会も完璧には程遠い社会だったのです。
では、人間は完璧な社会を作り上げることが出来るでしょうか?答えは簡単です。完璧な人間はいないのですから完璧な社会も作り上げることは不可能です。人間は少しずつでも進歩していると言う人もいると思います。しかし過去よりも今の方がいい社会だと思う人は多いと思いますが、過去の人から現在の社会がいい社会と見えるかどうかは解りません。未来の人間から見た現在がいい社会かどうかもわかりません。時代によって人々の常識や道徳などが変化してしまっているからです。そして、これからも変化をとめることは無いでしょう。その為に将来、社会がどう変化していくか、人間がどういう選択をするかを今知ることは出来ません。したがってこれから人間の社会が進歩し続けると言う保障はありません。その時代に生きている人の考え方に近づくように社会も変化するだろうと思えるだけです。
人間は聖地に生きた時代、あるいはそこから出た当時はものすごく速いスピードで進化を続けました。環境に適応できるほんの一部の者だけが生き残るすさまじい淘汰があったからです。では、その後はどうでしょうか?人間は一組の男女から出来る子供が2人を超えることが当たり前の時代が続きました。このために人間の最大の天敵は人間である状態が長く続きました。しかし、この時代はより強い社会を持った共同体が生き残る時代でした。確かに経験や技術の積み上げによって社会は進歩しましたが、人間の遺伝子レベルでの淘汰が起こるような生存競争はありません。人間は社会を進歩させてきてはいますが、人間自身の進化は止まっているのです。しかも人間自身が実は本能に支配されていることにすら気づかずにいます。したがって人間の作り上げた社会も人間の本能に即した物ではなくなってしまっていました。しかし時代は変わりました。個人の時代となってそれまでと変わると思われる部分が狩猟採集時代への逆行です。狩猟採集時代は個人の時代でもあったからです。人類は支配者の時代に科学や技術を大いに発展させることが出来ました。だから実際にはこれから狩猟採集生活をするわけではありません。しかし、人間の持つ本能は狩猟採集時代の共同体に合わせて作られていると思われるのです。だからこそ個人の時代は人間の本能に沿った時代になると思えるのです。大きな違いと思えるのは狩猟採集時代が女性のリーダーを中心とした共同体であったのに対して個人の時代は男女関係無くリーダーとなるだろうと言うことです。
今いえることはその位の事まででしょうか。熱帯に住む極楽鳥の仲間は餌が豊富なため、生きるための生存競争はあまり激しくありません。その為にメスが気に入る羽を持っている者、メスが気に入るダンスを踊れる者の遺伝子が優先的に残っていき、現在の優雅な姿になったと思われます。人間もどうかすると数千年、数万年後には単に優雅なだけの生物になっているかもしれません。それも人間の選択次第なのでしょう。もしかしたら、そんな世界こそがヨーロッパの人々のいう天国、アジアの人々の言う極楽浄土なのかもしれません。

この本の内容は以上です。


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