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最後の時に

その時は貴方にも必ず訪れます。貴方が無に帰す…。貴方もいつかは死ぬのです。人間を除く地球上のすべての生物はおそらく自分が死ぬと言うことを死の直前まで知りません。今が全盛期のグループのボスも虐げられている最下層のいじめられっ子も自分がいつかは死ぬと言うことを知らないのです。人間だけがそれを知ってしまいました。どんなに努力をしても死から逃れる方法が無いことを貴方は知っています。それを知った上で貴方は今を生きているのです。では、貴方は最後の時に”納得”という形で自分の生を終わらせることが出来ますか?自分の時間が無くなったと気づいたときにそのことに対して納得する-素直にそれを受け入れ、生を終わらせることが出来るでしょうか?
宗教家は人間が”死”という現実を知ってはいても受け入れることが難しいことを知っていました。そのために死後の世界の物語を作っています。天国や地獄、来世と言った死後の世界は人が自分の死を受け入れられないことを知っていた宗教家の作り出した物語なのです。もちろんこの物語は現実にはなりません。貴方も死と同時に無に帰すのです。その時に素直に終わりを受け入れる…。どうすればそんなことが出来るでしょうか。
話がそれますが、貴方はコレクションについてどう思いますか?興味の無い人にとってどうでもいい物をその人の価値観だけで集めるのです。それを持っていたからといってごく一部の興味のある人たちにしかその価値が分らない物を、です。ばかげていると思う人もいるでしょう。でも考えようによってはコレクションの趣味を持っているのは一部の人に過ぎませんが、実はみんながコレクションを行っているのと変わらない状態ではないでしょうか。ある意味ではその人の経験などもコレクションの一部と言うことができるのです。貴方は自分の持ち物も自分の貴重な体験も同じようにコレクションをしているのです。そういう意味では一生の間にすばらしいコレクションを作り上げることがその人の幸福の証であると考えることができます。また、コレクションで大切なのは、集めることだけではありません。集めた物をいかに保存するかも大切なのです。私もささやかながらコインのコレクションをしています。もちろん集めることも大事ですが、実はそれをいかにに保存するかも大切なことだと考えています。発行から100年以上たったコインが発行されたときのままに保存されている事はその間に保存をしていた人がいるからです。コレクションは、実はいい状態に保存するという事に最大の価値があるのです。そして何時の日か私が次の世代にコレクションを譲る時に価値ある状態で渡したいと思うのです。人の経験も同じです。経験とは長い時間をかけて作り出す物です。そして、その経験を何時までも使える新鮮な物に保つのは意外と難しいのです。世の中が変わるたびに価値の基準も変わってしまいます。そのときに貴方の経験が新しい価値基準の中で光り続けるには単に現状を維持するだけでは駄目です。貴方の経験を現状の変化に合わせて変えていきながら次の世代に引き渡す…。こうして貴方の持っているバトンが次の世代に継承されていくのです。
貴方は永遠に続くリレーを今走っているのです。永遠という長い時間の中でその一部分を担当しているに過ぎないのです。貴方の最大の仕事は貴方が今持っているバトンを未来に繋ぐことではないですか?夢を託せる未来を思い描くことが出来れば貴方自身の終わりに対しても素直に受け入れることが出来るのではないでしょうか。そのために今を生きることが大事だと思うのです。

最後に

心についてのある本を読んだときに感じたのです。ここに書いてある心についての考え方は本気で書いているのだろうか?と。心とはそんな物ではないのではないか、と。その本には人間には心があるが、犬や猫はどうなのだろうか、などとかかれていました。犬や猫の心に見える部分は実は心ではないのではないか、などとかかれていたのです。冗談じゃない、と思いました。人間も他の動物と大して違わないはずである、と。そしてある時、私には本能のままに行動したとしか思えない状態を世間は感情のままに行動したと言っている事に気がついたのです。そうじゃない、人間というのはもっと本能に従って行動しているんだ。心にしても本能を代弁しているような存在だ。そのときにそう気がついたのです。その瞬間から私の頭の中に積み上がった疑問や説明できない真実が次々に自分なりに納得のいく説明を付けられるようになったのです。
しかしそれ以降は心に関する記述などに対して感じていた違和感がより大きくなって来ています。この違和感を何処かで解消したいと思いこの本を書きました。実際には心理学や神経科学で証明されたことを書いているわけではありません。従ってこの文章の内容は私の空想に過ぎない部分がかなり含まれています。しかし科学はすべてを証明できているわけではありません。証明できていない部分は仮説を立てて理論を組み立てていく物です。そのようにイマジネーションを膨らませることは重要なことです。この本を読んだ方にこの考え方が受け入れてもらえるかどうか判りませんが、何かしらでも今後の考え方の参考にしていただければと思います。

猿から原人へ

人間は嗅覚を捨てて視覚に頼ったのですが、なぜか夜目が利きません。考えるとこれほど危険な事は無いので、これは、天敵を想定していない変化です。人間は夜の闇におびえます。猿に近い動物が天敵のいない環境で進化して人に近い猿人や原人になってから天敵のいる場所に住み着くようになったからだと思われます。
天敵を想定していない変化は他のところにも見られます。直立歩行です。直立歩行のどこが天敵を想定していないか、と言うと女性の子宮の真下に産道がきてしまうことです。人間以外の哺乳類は子宮の横か斜め下に産道があるのに対して人間の場合は真下にある…、これがどういうことを意味するかと言うと、妊婦が激しい運動をすると流産しやすいと言うことです。それに、人間以外の哺乳類の子宮は背骨にぶら下がるように位置しています。このために天敵に追いかけられたりする場合でも比較的激しい運動をすることが出来ます。これに対して人間の場合は子宮がぶら下がるべき背骨は真横にあり使い物にならないため骨盤の上に乗せたような形になっています。しかし、どう見ても臨月の女性のおなかは骨盤からはみ出しており、当然運動など出来る状態ではありません。ましてや天敵から逃げ回ることなど論外です。これらのことから、人間は嗅覚に頼った行動を捨て、直立歩行をするようになった時点では天敵がいなかったと考えられるのです。ただし、これだけの変化を起こすと言うことは相当な淘汰を潜り抜けてきた結果と思います。天敵によらない淘汰、これは環境の激変と思われます。つまり人間には環境の激変によって想像を絶する淘汰の嵐を潜り抜けた時代があったはずなのです。その激変の間に直立歩行をするようになり、また嗅覚に頼った行動を捨て去りました。おそらくは、そのころに言語も獲得したと思われます。猿に近かった動物が人に近い猿人や原人に進化した過程にはどのようなことがあったのでしょうか。現在の定説となっているのは猿の仲間であった人間の祖先が住み着いていた森林がサバンナになり、その過程で直立歩行をするようになったというものです。この説ははっきり言ってありえません。サバンナのような天敵のいる場所ではこのような天敵を想定していない進化はありえないからです。
人間は進化の過程で一時期水生生活をしていたと言う説もあります。直立歩行をするきっかけが背が立つ海や湖での活動であり、また頭の上だけに毛が多く体にはあまり体毛がないのもそういった活動が原因であるというのです。(私の場合は頭にもあまり毛がありませんが…)確かに直立歩行をする脊椎動物は人間とペンギンのみですし、嗅覚に頼った行動も水の中では意味がありません。こちらの方がずっと納得できる説です。その証拠となるものがまったく無いために現在学会などでは無視されているようですが、サバンナ説を支持するようでは話になりません。
まあ、どのような環境が人間を人間らしくしたのかわかりませんが、それが問題ではありません。嗅覚に頼った行動を捨て去ったこと、これがその後の人間の社会を大きく変えたのです。

生殖

まず、嗅覚に頼った行動を行わなくなった人間に一番影響を与えたと思われるのが生殖、つまりセックスです。哺乳類のメスは一般的に発情期を持っており、発情期になるとフェロモンを出して交尾対象になるオスに発情していることを伝えます。が、人間が嗅覚に頼った行動を行わなくなった時からメス、いや女性の発情期がなくなってしまいました。このことはオス、つまり男性にとっても何時セックスをしたら生殖を行えるか分からないという状況を作り出しています。当然人間の男性も性的興奮―つまり発情しなければペニスの勃起も起こらずセックスをすることは出来ません。一般的な哺乳類がメスの出すフェロモンが直接本能に結びつき発情するのに対して人間は視覚や触覚からの情報を一旦シミュレーションにかけて、そのシミュレーションの中で興奮していく、と言う方法をとっています。この違いはさまざまな部分で人間独自の状況を作り出しています。たとえば、一般的な哺乳類は交尾可能なメスの匂いで発情するために人間のようにロリコンはありえません。もちろんロリコンだけでなく倒錯した性的興奮もありえないのです。
そして、人間は視覚をきっかけに発情することが多いために自分の性器を隠すようになりました。性器を見せたり触らせるのは自分が選んだ相手だけになっていったのです。人間は寒いから服を着るようになったのではありません。最初は回りの連中をみだりに興奮させるのを抑えるためだったのです。最初は自分の性器を隠すためであった植物の切れ端や動物の皮などはそのうちからだ全体を覆う防寒具に発展していきます。人類が熱帯や亜熱帯から北極まで覆い尽くすように生息域を広げていったのも、最初は匂いに頼った行動をやめたことが始まりでした。
そして、服を作ったのと同じ理由で性行為をするのに人目を忍ぶようになります。当初は単に天敵から身を守るために作った家(この当時はまだ巣と言った方がいいかもしれません)も内容が変わっていきます。つがいになった雄と雌は他人の目を避けるために生活の場としての家を作るようになりました。単に夜の間天敵から身を隠すためであった巣が生活の中心としての家に変わって行ったのです。それを必要としたのは人間がにおいに頼った行動を捨てたからだったのです。そして、服と家を持った人間はその生息域をあっという間に広げていったのです。

そして、人間同士の関係を変えるきっかけになったのも嗅覚に頼った行動を捨てたことが大きく影響しました。人間が共同体、後の社会を築いたのはおそらく環境や天敵から身を守り餌を獲得するためと思われます。ここで共同体を必要としたのは圧倒的にメスの側だったと思われます。体が大きく狩猟や格闘に適したオスはメスに比べれば共同体にいる必要性が薄かったのです。それに対してメスは激しい運動の出来ない妊娠期間と子育ての期間を必要としました。このため、当初の共同体はメスが中心となっていました。この中心となったメスたちはおそらくセックスを武器にしてオスを共同体につなぎとめたのです。発情期を失ったメスは生殖可能な時期以外でもセックスを行うことが出来るようになりました。これが共同体にオスをつなぎとめる最初の動機になったのです。
ここで、交尾とセックスの違いに触れたいと思います。この違いがわかりますか?交尾は生殖が目的です。人間の行うセックスももちろん生殖も目的にしていますが、実際にはセックスの回数のほとんどは夫婦、あるいは恋人同士の関係を深くするために行われているのです。このため、人間のセックスは他の哺乳類と比べると非常に長時間行います。これは、人間が共同体を作るうえで欠かせないことです。人間は夫婦や特定のカップルを作りますが、これはセックス抜きに語れません。
また、ほとんどの哺乳類の交尾が本能のみで行動しているのに対して人間はシミュレーションの中で性的興奮を作り出しています。これがロリコンなどの性的倒錯を作り出しているのですが、特定の相手とのセックスを志向する要因にもなっています。人間が性的興奮をするには他の哺乳類のように単に発情するのではなく段階を踏んでシミュレーションを作り出す必要があるのです。人間はマンネリ化した相手とのセックスはあまり興奮しないと思われていますが、実際には一定の期間(4~5年と言われています)は特定の相手といつも通りの段取りで行うセックスが好きなのです。これも、生まれた子供が共同体の中でとりあえず手をかけずに自立するまでの期間メスがオスを自分の許につなぎとめる役割をしました。また、これがその後に単なるつがいが夫婦や家族(ファミリーと言った方が合うかもしれません)に発展する基礎となったのです。そして、特定の相手とセックスをする様になったことが「家族」を構成することにつながっていきました。


宗教の発生

人間は天敵のいない世界(仮にここでは聖地と呼びます)で天敵を想定していない変化を起こした後に聖地から外へ出てきました。外の世界は聖地のような厳しい環境とは違って暮らしやすい場所でした。ただし大型、小型の肉食獣の徘徊する場所だったのです。しかし、すでに人間は直立歩行を行うことによって空いた前足=手によって道具を操り、言語を獲得したことによって仲間や先人の経験を自分の物にすることを可能にしていました。このために大型の肉食獣や小型でも群れになって厄介な肉食獣に対抗することはそれほど難しいことではなかったでしょう。逆に肉食獣の方が人間を警戒するようになるのにそれほど時間はかからなかったとおもわれます。ただし、それは昼間だけのことです。
人間の祖先が天敵のいない聖地で進化を続けたために起こった変化は天敵を想定していませんでした。夜目が利かないのに嗅覚に頼った行動を捨ててしまったのです。また、同時にもうひとつ捨てたものがあります。それは聴覚の能力の一部です。ほとんどの哺乳類の耳は頭のてっぺん付近についていて、角度を変えることが出来ます。これが周囲の音を拾う為であることは明確です。しかも音を立体的に感じることが出来るのです。こういった動物にとって音は人間が物を立体的に見るのと同じように感じることが出来るでしょう。同時に嗅覚も人間と比べ物にならないぐらいに鋭いのです。これに対して人間の耳は正面を向いて動かすことが出来ません。これでは周囲の音に対して敏感になれと言っても無理です。特定の人との会話には大変便利な耳ですが、夜の闇の中で天敵に気づくことは難しいでしょう。天敵は夜の闇の中で気配を消してそっと近づいてくるのです。夜の闇がなんの気配も感じられないのに怖いのは、なんの気配も感じなかった闇の中から突然現れる肉食獣の恐怖が人間の本能の中に組み込まれているからです。それを克服したのが火でした。しかし火を扱うことが出来るようになった後にもこの本能は人間の中に生き残ってしまったのです。このことが原始的であった人間の共同体に影響を与えました。当時共同体の中心だった女性達が呪術を行うようになったのです。闇に対する説明の出来ない恐怖と当時やっとすべての人間がいつかは死んでしまうと言うことを知った事にたいして、また、まだ理解ができていなかった自然の摂理に対して呪術によって説明を行おうとしたのです。これが原始的な宗教の始まりです。宗教の小部屋はこの過程で人間の本能として発達したのです。
最初は呪術として夜の闇に潜む魔物の正体とその制御の仕方を説明しましたが、その後宗教と呼ばれるようになった頃には自然の摂理を司る神を登場させます。当時やっと人間と呼べる存在になった者たちに宗教は絶対的な考え方として受け入れられました。自分の中に存在する恐怖、先人や仲間たちの経験では説明できない自然の摂理を説明してくれる唯一の物だったからです。こうして一部の共同体で発生した宗教は周りの共同体を取り込みあっという間に地域の宗教として根付いていったのです。そして、中心となった女性達は巫女と呼ばれるようになっていきます。優れた巫女、要するに不可解なことに対してみんなが納得する説明が出来る巫女が力を持つようになっていきました。
力のある巫女の許に周りの部族がしたがう様になると他の部族との取り決めが必要になってきます。部族ごとに常識が違うからです。それまでの共同体の暗黙のルールの中から明確な約束事が発生したのです。この約束事が後に法律に発展していきます。また、闇に潜む魔物や自然の摂理を司る神の物語が巫女たちによって語られるようになっていきます。物語の始まりです。最初は単に魔物や神の説明であった物がシミュレーションによる追体験を行えるような”物語”に変化して行ったのです。物語は次第に違った経験を持った部族ごとの物語となって行きます。多くの部族の中で自分たちがどんな部族であるかを示す物語となったのです。

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