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感情

貴方は死を怖いと思いますか?人間にとって死とは一番の恐怖の対象でしょう。でも死はありふれているとも思いませんか?貴方の家族や知り合いのほとんどがあと何十年かで死ぬのです。世界に今現在生きているほとんどの人がほんの何十年かで死ぬのです。こんなにありふれているのに何で怖いのでしょうか?この世に生きているすべての人にとって経験のない事だからですか?経験が無くても身近な人が亡くなれば十分に死を感じる事が出来るのではないですか?では、逆に恐怖とは何者だと思いますか?人はただ食べて寝るだけではなく生きる喜びを知っているなどと言われる事があります。同時に恐れや悲しみ、怒りなどの感情も持ち合わせてるのです。ただ生きるのではなく、喜び、悲しみそして怒りながら生きる事に価値があると言う事になっているのです。では、恐怖や悲しみや楽しみと言った感情はどこから来ていて貴方にとってどういう意味があるのでしょうか?

2章では感情は本能からの要求であると言う事を書きました。しかし感情も自覚できる脳の活動なので心の機能の一つではないか、と言われそうです。では、貴方は感情をコントロールする事が来ますか?知り合いに悪い事が起きたときに悲しい態度をとる事は出来ます。しかしそれは本当に悲しいのではありません。友人が楽しそうに話をしているときに自分自身は楽しくなくても楽しいと思える様に相づちを打ち笑顔を作る事もあります。これは感情をコントロールしている事になりますか?人間が出来る感情のコントロールは、感情のままに行動するか無視するかの二者択一なのです。感情自体をコントロールする事は出来ないのです。従って感情は無意識から心に流れ込んでくる何かなのです。それを、私は本能からの要求であると考えました。
そう考えると逆に本能は感情から推察出来る事になります。一般的には感情には含まれていないもの、性衝動や食欲などもこの理由から感情の一種であると言えます。基本的に感情とは喜怒哀楽+恐怖+欲と言ったところでしょうか。(昔から欲を感情とする考え方は有りました)ただし、感情の一種と勘違いされやすい物もあります。好き嫌いなどがそうで、ある物が好きであると言う事はそのもの自体の過去の記憶にリンクしたその物のイメージ、付帯情報と言ったところなのです。これは本能からの要求とは別ですので感情とは言えません。ただし、危険な物に対する嫌悪感や恐怖感、旨い物を美味しそうと感じる事などは立派な感情と言えます。
ここで注意したいのはそれぞれの本能がそれぞれの感情を出している訳では無いことです。嬉しい本能や悲しい本能があるわけではないのです。同じ本能が嬉しさや悲しみ等の感情を使い分けているのです。また、本能が複数存在しているのですから感情も同時に複数が心に流れ込むことがあります。悲しいけど興味がわく、つらいけど楽しい…そう言ったことはよくある事です。そして、どちらが強いかで心は自分の行動を決めています。自分にとってつらいと思えることを他人が平気で行っている…その人にとっては辛さに勝るプラスの部分があるのです。そこを理解しないと本当の人生の面白さも理解できない人間になってしまいます。

感情の中で一番強く感じるのはやはり恐怖でしょう。死への恐怖だけでなくたとえば身体の一部を失う恐怖など、自分の身体を失う恐れです。他の感情が恐怖を感じたときには後回しになってしまう事を考えてもそういう事になります。と言う事は恐怖に対応している本能の部分がもっとも強い本能だという事になります。他の感情、たとえば食欲なども飢餓状態レベルであればそうとう順位が上がりますが、これは同時に死への恐怖を感じるからだとも言えます。その他の感情は、つまりその他の本能は基本的に自分の遺伝子を残そうとする事が基本となります。また、本能は身体のコントロールとしてホルモンの分泌を行っています。心は身体の変化を感じる事でも影響を受けているのです。

感情が本能から心へ向けた要求だとするとなぜ喜怒哀楽の情を表に出すのでしょうか?動物の場合はそれを表に出す事で他の個体(天敵であったり仲間であったり…あるいはただ単にじゃまな存在であったりします)に警告や親愛等の情報を送っています。たとえば他の個体に警告を発する場合、分類学上遠い存在であるはずの昆虫とほ乳類で同じような威嚇を行います。「俺は怒っているから近づくな!」という警告にはそのサインに決まりがあるのです。また仲間同士の愛情表現や挨拶にもはっきりと決まりがあります。動物は感情を表に出す事で他の個体とのコミュニケーションを取っているのです。人間はどうでしょうか。人間の場合言葉という他の動物にない情報交換のツールを持っていますが、その言葉にしても感情の込め方で意味が違ってきてしまいます。同じ「早くしてよ」という言葉が怒って言っていることもあればお願いとして言っている場合もある…冗談でからかっている場合などもあるかもしれません。声の調子だけでなく表情や仕草などでも相手に対して感情を情報として送っています。従来はこうする事でより素早く、より深くコミュニケーションが取れる為に行っているという解釈をしています。もちろんその要素は大きいと思います。しかし、なぜ人間は他に人がいない場合でも嬉しくてニコニコしたりキレて物を投げつけたりするのでしょうか?一人でスポーツ番組をみていて思わずガッツポーズを取る、なんて言う経験がある人も多いと思います。それはコミュニケーションの為ではありませんよね。実は心は本能と現実の板挟みになるのを避けるために本能からの要求を態度に出すことで本能に少しでも納得して貰おうとしているのではないでしょうか。悲しみや怒り、喜びを態度に出すことで発散して少し手も平静を保ちたいのです。悲しいときには悲しい態度を取って悲しい曲を聴く、楽しいときには嬉しそうにする。自分の情報を他人に送るのと同時に本能を納得させて普通の状態に戻ると言う目的があったのです。

では納得するとはどういう事でしょうか?それは本能が考える事を止める事です。本能はそれぞれの物事の自分なりの結論がでないとそれを何度でもシミュレーションさせます。自分の中で考えまいとしても勝手に考えてしまい、それが止まらなくなるのです。そして、納得すると言う事はその無限に続きかねないループを止める事、本能が自分なりの結論を出した事でシミュレーションを止める事です。ただし、悲しみやつらさが止まらない場合人間は”泣く”という方法で無限のループを止めようとする事もあります。
なぜ人間は泣くのでしょうか?人間以外の動物は泣きません。
泣くと言う事は考える事を止めようとする事ではないでしょうか。子供が親や先生からしかられて泣く事はよくあります。しかし彼らには自分なりの理由がある場合が多いのです。親や先生はその理由については無視します。子供の理由を無視したまま叱るのです。その状況でいつまでも自分の考えを続ける事が出来ないのは子供も知っているのです。だから泣きます。自分で考える事を止めて親や先生の考えを受け入れるために泣くのです。
また、人間の場合、生と死に関して知りすぎてしまったのではないでしょうか?他の動物が何となく感覚として死を感じているのに対して人間だけははっきりと死がどういう物かを理解しています。人間がどのように努力をしても理不尽とさえ思える仕打ちが待っているのです。また、それ以外でもどうにもならない状況で精神が追い詰められてしまう事もあります。そういう状況や努力をしてもどうにもならない状況から精神を守る方法として何もかもなげうって止めてしまう、止めざる終えない状況にするために"泣く"のではないでしょうか。動物の場合は自分の考えを変えなければならないと言う状況や自分の精神が追い詰められていると言う状況を理解する事がまだ出来ないため泣く必要が無いのです。そういう意味では人間の精神で一番進んだ機能が”泣く”と言う事になるのかもしれません。


コラム⑤ 人工知能

人工知能―コンピューターによる知能―を作り上げることは可能でしょうか?私は可能だと考えています。
いろいろな意見はありますが、人間の特徴である迷いや思いつきを機械的に行うことは難しいのでしょう。しかし本書の内容通りに人間の精神自体も意外と機械的なのではないかと思います。それを再現できればいいわけです。
人が迷うのは複数のシミュレーションが同時に動いていることと心の側からシミュレーションソフトの使っている情報が見えない事の2つが原因です。また、思いつきは同時に行っている複数のシミュレーションの内容を心がつなぎ合わせることによって起こるのではないかと思います。その2つを再現できればコンピューターでも人工知能を実現できるのではないでしょうか?コンピューターが迷ってばかりでは困ってしまいますが、思いつきによる進歩が無いのではコンピューターの限界を低いものにしていると思われますので是非実現して欲しい物です。

私が高校生の頃は夏休みや春休みによく高校野球を見ていました。私は都立練馬高校の出身なので、地区予選では、まず練馬高校を応援します。残念ながら大抵は1回戦か2回戦で敗退となり、その後はとりあえず近くの高校を応援することになります。で、甲子園に行くと東京を応援し、そこが負けると関東の高校を応援する…。自分の出身校を応援するのは何となくわかってもらえると思います。しかしその後は?近くの高校?関東の高校?初めて名前を聞く高校を”関東の高校だから”と応援していたのです。何で?私個人との関係など全くないのに、です。実は人間は自分の周りに無意識に線を引いています。まず家族の線、友人の線、知り合いの線。その延長として同郷の人たちの線や同じ会社の人の線などもあるのです。もちろん、たとえば友人の線は同じ友人の中に何重にも引かれています。親友と呼べる人の線、ただの友人、ちょっとした知り合い…等々何重かになっているのです。そして、その線を守ろうとして努力までしています。友人に無理を言われて”しょうがないな…”なんて事はよくあるのではないですか?人はその線の中では自分をよく見られたいと思うのです。自分がその線の中にいることに価値があることをその線の中のみんなに知って貰いたいのです。それが人の本能なのです。
しかし、この本能を利用する人もいます。国内でこの”線”が乱れた時に歴史上の為政者は外国に戦争を仕掛けています。外部に敵を作ることがこの線を強化することを知っているからです。また、そんな大それた事ではなくても仲間内でちょっとした陰口をたたくのも、この線の強化を無意識に考えて行っていることが多いのです。特に女性はこの”線”を守ろうとする傾向が強いようで、同じ会社の社内の女性相関図などの話を聞くとなかなかに面白い物です。でも、出来れば人をけなして”線”を強化するのでは無く人をほめることで行って貰いたい物です。人をけなすのがうまい奴からの攻撃は、そうと判っていてもいやな物ですし、それを言っている本人もあまり良い印象にはならないからです。

人間は戦争が好き、などと言われる事があります。闘争心や向上心とこの線の本能が絡み合うと、一人一人ではしないような残酷なことも平気で行ってしまいます。人間は一人で生きていく事は出来ません。線の中も外も同じ人間であることを忘れてしまわないようにしないと簡単に戦争や紛争を起こしてしまうのです。そうではなく、人間が集団を必要としている動物だからこそ、その集団自体を良い状態にするためにこの本能を生かさなければならないのです。こういった集団の本能はその為に獲得したのです。また、この線は人間全体にも引かれています。本来、生物と言う物は自分とその子孫だけが大事であるのが当たり前です。人間以外の哺乳類にしても同じグループの仲間の事は守ろうとしますが、他のグループのメンバーについては知らん顔をします。人間だけが人間全体を含む線を描くようになったのです。それだけではありません。擬人化という言葉がありますが、人間以外の生物や物に対しても自分と似ている部分を見つけ出して、あるいは無理やり作り出して仲間に入れてしまいます。ある意味むちゃくちゃな本能です。しかし、それが人間なのです。貴方が対立したグループのメンバーであれば、その対立しているグループの外側にも線があることを忘れてはいけないのです。グループ同士の対立が悪いと言っているわけではありません。人間の社会が発達していくためにはそういったことも要だからです。しかし、その外側にも線があることを忘れたとき、社会の発展ではなく破壊につながっていくと言うことです。そして、今現在ではその線は地球全体を包み込む必要が出てきています。線の本能は社会を破壊する力も持っていますが貴方の子孫が何時までも繁栄できるようにする力も持っているのです。


影の統括者

今日は奴が早起きしたため興奮剤を注入して焦らせなくても済んだな。全く奴と来たらアラームが鳴る前から起きる準備をしてやってるというのに「あと十分…」などと呟きながらいつもぎりぎりにならないと起きないんだよな。まったく…。まあ、でも今日はちゃんと起きたし天気も良いし…。こういう日は本当に気持ちが良い。雨が降ると足を滑らす事があるから絶えず注意をしていなければならないし身体のバランスをとるのも一苦労だ。玄関からちょうど11歩で階段っといつも通りで階段を3段下りて…。いつもここだけシンコペになっちまうな。ま、天気が良いから気持ちが良いので良しとしよう。ああ、この髪をかき上げる動作はこの3日間で5回目だな。髪が伸びてちょっとうざったいが、この動作は行動パターンに記録しておこう。俺としてはもうちょっとスマートにやれるようにしていきたいな…。

貴方の心は表の顔ですが、実際に身体を動かしているのはほとんどが自動制御室です。では、この自動制御室は本能とは無関係でしょうか?ここにも重要な本能が絡んでいます。自動制御室もいろいろな本能や経験による影響を受けていますが、ここでも相反する本能、経験により判断をする必要があるのです。貴方が表の顔”心”であれば、彼はもう一人の自分なのです。しかし、彼の場合は他の本能と違って心に対して感情による要求をすることをあまりしません。なので普通にしているとその存在自体に気がつかないのです。

ただし、彼の存在が少しだけ表に出る事があります。何でもない日常のいつも通りの行動をしていてふと不安がよぎる事って有りませんか?なぜか判らないけど胸騒ぎがすることって無いですか?彼は貴方の気づいていない危険を貴方に教えようとしているのです。脳天気な貴方に"注意しろよ!”と警告を発しているのです。彼は貴方以上に貴方の行動や周囲の状況を把握しています。それが出来なければ普通に歩く事さえ困難になってしまいます。

彼は絶えず先回りをして貴方の身体の準備を行っています。人間の身体は休んでいるときと行動しているときでは代謝その他の状況が違います。貴方がまだ具体的に考えていないうちから行動の準備を行い始めるのです。貴方が会社帰りにいつもパチンコによっていると、彼は会社が終わった時点でパチンコで勝ったときのために快感物質の準備を始めます。そして貴方をその気にさせていつも通りの行動に誘い込むのです。そして、当たってもいないのにリーチが掛かるだけで貴方を興奮させます。リーチが掛かり、"来るかな?来るかな?”などと思っているだけで当たった時の為に準備をするので病み付きになってしまうのです。ただ、ここでも彼はパターンにこだわります。ただ当たれば良いのではないのです。出来るだけ何時ものパターンで当たる方が彼は準備がしやすいので、その分貴方も興奮しやすくなると言うわけです。これは、他の習慣も同じです。酒を飲むときもセックスをするときもある程度は何時ものパターンの方が彼は準備をしやすいのです。そしていったんそのパターンになると何時もと同じように興奮を求める事になり、それを振り切る事が難しくなります。

彼は貴方の行動を逐一チェックし、同じ行動を何度か繰り返すとそれを行動パターンとして記録していきます。そして、一度記録された行動パターンは彼によってよりリズミカルに、よりスムーズに行えるようにバージョンアップされていくのです。スポーツをするときでも彼は大活躍です。スポーツ選手が練習をするのはある意味彼に行動パターンを記憶させ、より精度の高い動作を可能とするためです。貴方の運動能力は彼の能力次第と言う事です。

また、芸術も彼の分野です。彼は正確なリズムが好きです。何事もスムーズに行う事が一番と考えており、そのためにはリズムが絶対に必要だからです。そして、そのリズムが人間の世界に音楽をもたらしました。音楽は人間の行動のリズムに重なるのです。
では、美の世界はどうでしょうか?美男、美女をパソコンで作ろうと思ったらどうすればいいと思いますか?意外と簡単です。数百人、数千人の顔を混ぜ合わせにしてしまえばいいのです。パソコンのソフトで何人もの顔を合わせていくとただ単に標準的な顔になります。これが世間一般で言う美男美女の顔になるのです。別に特別な顔が美男美女ではないのです。そう考えるとたとえば木村拓哉氏の顔などはよく見ると特徴のない顔をしているように見えます。要するに一番平均的で均整のとれている顔が美男美女と呼ばれている顔なのです。これも彼の仕業です。彼は安定した調和が大好きなのです。大自然の風景や田園風景などを見て美しいと感じるのも調和のとれた風景と感じるからなのです。美術の基本がここにあります。

もちろん彼は動物の精神の中にもいます。と言うよりも動物の方が彼の活躍を必要としているといった方が良いですか。狩りをするにも捕食者から身を守るにも彼は大活躍です。しかし、では人間には必要なくなっているのかというともちろんそうではありません。彼も人間を人間らしくしている本能の一部なのです。


宗教の小部屋

あなたは神様を信じますか?

こう聞かれたらどう答えますか?日本人の多くは「神様?いるわけ無いでしょ」と答えるでしょう。ではもう一つ質問をします。

あなたはオカルト映画が好きですか?

これには何割かの人が「はい」と答えるでしょう。では実際に皆さんはこういったオカルトに対してどう考えているのでしょうか。映画の中で神様やゾンビが出てきても「それは映画の話でしょ?」とあなたは答えるかもしれません。しかし、映画を見ているときにはあなたの中で必ずシミュレーションソフトが追体験を行っています。そして、この”追体験”と現実が違うことであるのを知っているのは”心”の方です。本能やシミュレーションソフトにとって映画の中の出来事は現実なのです。だからこそ"怖い”と思ったり”面白い"と思ったりすることが出来るのです。貴方の心の中では未知なる者や絶対の力を持った者が実在しているのです。そういう意味では、神は人の精神の中に実在しているとも言えます。
そして、宗教はすべての文明で発生しています。これは、宗教が単なる文化ではなく人間の本能に基づいた物である事を示しています。そう、宗教はすべての人の中に根付いているのです。私はこのことを脳の機能の一つとして”宗教の小部屋”が存在するためであると考えています。
"宗教の小部屋”は人類が科学で否定してしまった多くの文化をその中に残しています。神や悪魔、お化けや妖怪などもその中に含まれます。「そんなのもは存在しない」と言ってしまうのは簡単です。しかし長い歴史の中で育てた文化をそんなに簡単に手放して良い物でしょうか?いや、それ以前に科学は万能ではありません。産業革命以降、科学技術はものすごいスピードで発達してきていますし、それはこれからもしばらく続くのでしょう。でも、人類が科学によって宇宙のすべてを知ることは不可能です。万物の法則のすべてを人類が理解する事は無いのです。しかし、すでに人類はその発生の時からどんなに科学や文明が発達したとしても未知なる物が無くならない事、そして未知なる物に逆らうな、と言うことを本能の中に織り込んでいるのです。


"宗教の小部屋”は他の本能と違い生まれた時点では中に何も入っていません。"宗教の小部屋”は空の状態で人間は生まれてくるのです。そして周りの人からの影響で"宗教の小部屋”は徐々に満たされていきます。他の本能に由来する行動が経験や知識を元にして個人ごとに形成されていくに対して”宗教の小部屋”の中身は集団の中の考え方がその集団の中のルールとしてそのまま入ってしまいます。ですから名前は"宗教の小部屋”でも中身は道徳や倫理、仲間内の独自のルールなども含まれています。そして、"宗教の小部屋”の怖いところは判断の余地が他の物に比べて非常に少ない事です。宗教の小部屋は本能の部屋のなかにあります。本能の部屋の中で唯一生まれた時点では白紙の小部屋です。そしてそこに入ったものは、他の記憶や行動パターンと違い本能として働くのです。理由、内容にかかわらずに"守らなければならないルール”"恐怖の対象””絶対者”として存在しているのです。その存在は人の心や考え方に大きな影響を与えています。ですから”宗教の小部屋”を正しく理解し、その中身についてよく知る必要があるのです。

貴方が普通の人であれば、「人の物を盗んではいけない」とか、「人様に迷惑をかける事は避けなければいけない」と考えるのは当たり前の事です。では、なぜそう考えるのですか?いろいろな人がいろいろな説明をするでしょう。でも、それがなぜかを説明する事は出来ません。好きな物がなぜ好きかをほとんどの人は本当の意味では説明できないのと同じです。その"好き"というイメージの素になっている経験のほとんどは思い出せないからです。それと同じで道徳や倫理観と言った物はなぜそうしなければいけないかを説明できないのです。それは、"宗教の小部屋”に入り込んでいる集団のルールだからです。「この考え方は良い考え方だから取り入れよう」と思っているわけではないのです。それは、自分にとって権威のある存在、たとえば親に頼るしかない幼児の頃の両親であったり、尊敬する誰かであったり…。そして自分が含まれている”集団”、家族や学校、職場、等々もこの集団への帰属意識が高ければ自分にとっての権威ある存在になり得ます。そういった自分にとっての”権威”からは自分にとって意味が判らないルールや考え方をすり込まれてしまうのです。これが"宗教の小部屋”に入り込んだ"守らなければならないルール”や”未知の存在”であり、神や悪魔などもそこに入り込んだ考え方の一つです。これは、良い意味での企業風土や校風を作り出す事も出来ますが、法律違反となる業務を違反と知りながら行ってしまったり新興宗教に利用される人が出てきたり、と言った面もあるのです。ですから"宗教の小部屋”の中に何をいれるかは、社会全体の問題と考えて良いと思います。

今現在の宗教はそのほとんどが数世紀、あるいは数十世紀前に基本が作られています。しかし産業革命以後は社会や科学技術、人々の考えなどが大きく変わっていますので今現在の人が広く信仰するには無理があります。その結果、"神”を信じないと言う人が増えてきているのです。でも、貴方の精神の奥に神はいるのです。貴方の事を生まれたときからずっと見守っている神がいるのです。神や、未知なる物はすでに貴方の心の奥に存在しています。その未知なる物が貴方の中で暴れ出さないように、逆に貴方の力になるようにするためには宗教が必要です。"宗教の小部屋”の中にはいっている物に関しては、善悪の判断がきかないのですからその中に秩序を作る宗教は絶対に必要なのです。そのためには今の世の中で通用する新しい宗教が必要でしょう。"宗教"という言葉自体も変えた方が良いかもしれません。ただし、作るだけでは意味がありません。"宗教の小部屋”は、自分にとっての権威者からすり込まれる物だからです。カリスマ的な存在が必要でしょう。また、宗教は悪意と怠惰を人間の心から遠ざける役目を果たすべきであると考えています。この要素がなければ貴方の中の”神”の力を貴方の力に変える事ができないからです。



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