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本能の部屋

女心と秋の空

 

女性の考えていることは変わりやすくてよく判らないという文章ですが、女性から言わせると「男は何を考えているか判らない…」となるようです。これは、ある意味当然のことで、男性と女性は心に関する遺伝子が同じであっても実際に発現する遺伝子が違うからです。考え方の基本となっているソフトウエアーに違うタイプの物を使っているのです。もちろん、同じ男同士、女同士でも持っている遺伝子も違えば発現している遺伝子にも違いがありますが、傾向として男の使うタイプのソフトと女性の使うタイプのソフトは違いがあると言うことです。
では、本能の部屋とはどんな部屋なのでしょうか。

 

その部屋は小さな小部屋がいくつも続いています。部屋全体は薄暗く、細い通路の両側が小部屋になっています。小部屋の中がどうなっているのか判りませんが、それぞれの小部屋からは数本のチューブ出ていて入り口まで繋がっています。ちょっと小部屋の中を覗いてみましょう。一つ目の小部屋はパソコンが置いてあるだけで照明もついていません。2つめも同じでした。次々に覗いていってやっと5番目の小部屋に明かりがついていてパソコンのモニターに外の状態が映し出されていました。どうやらこの部屋の主は彼女とデートの最中のようです。モニターの横にはインジケーターが付いており、上部に”飢餓”下部に”満腹”と書かれています。この小部屋は食欲の小部屋のようです。インジケーターは真ん中からちょっと上を指しています。"ショット小腹が空いた"状態のようです。外に向かったチューブには赤い液体が流されました。それと同時にこの部屋の主が彼女を食事に誘い始めました。でも彼女はあまり食事には乗り気ではなくホテル街の方に歩き始めます。同時にこの小部屋の明かりが薄暗くなってきました。と、同時に隣の部屋でビートのきいた音楽がなり始めました。隣は性欲の小部屋のようです。チューブからの液体も止まり、食欲の小部屋のモニターは明かりが消えた小部屋でちょっと薄暗くなったまま現在の状況を映し出していました。

 

人に本能があると言ってもぴんとこない人も多いでしょう。一般に本能は”ある行動に駆り立てる性質”と考えられています。”ある行動に駆り立てる”とはどうやって駆り立てているのでしょうか?本能の小部屋が持っている脳をコントロールするツールとしては、ホルモンと感情があります。ホルモンによって興奮させたり緊張させたりしながら感情によって心を制御しているのです。感情は心の判断を左右します。本能が満足すると快感物質等のホルモンが分泌され、また満足感、喜びと言った感情によってご褒美を貰い、本能が満足できなかった場合は不快感、悲しみなどの感情を罰として与えられるのです。

もう一つ重要なのは、本能の部屋はある一つの小部屋が活性化した場合に他の活動を抑えるようになっていることです。先ほどの例の場合、最初に活性化していた"食欲"を”性欲”が押さえ込みました。なぜ”性欲"は"食欲"を押さえ込むことが出来たのでしょうか?まず、食欲のインジケーターが下がりきっていなかったため、食欲自体はほどほどの活性化しかしない状態でした。おそらく性欲にもインジケーターが付いており、そちらの方が食欲よりも優先されるレベルだったと思われます。そして、性欲が活性化したために食欲の活性は阻害されてしまいました。何かに集中するときにはこの機能が活躍します。将棋や囲碁の達人は盤面と相手のそれまでの打ち方で数十手先まで読むと言います。脳が余計な活動をするのを押さえて一つのことに集中するからこそそんなことが出来るのです。この機能は他の部分でも脳に影響を与えます。興味の薄い勉強をしようとするとすぐに眠くなる人は多いと思います。勉強をすると言う”向上心”の本能が、インジケーターが上がらないままに他の機能を押さえ込んでしまうからです。

そして、先ほどの例でも見たように"本能の部屋”には多くの小部屋、つまり”遺伝情報が発現した本能というプログラム”が存在しているのですが、実際に活動しているのはその内の一部だけです。それぞれの本能は環境や活動する時期がその本能にプログラムされている状態にならないと目を覚ましません。心に関する遺伝子が同じであっても男性と女性では考え方が違ってくるのは、実際に活動しているプログラムの組み合わせが違った物になるからです。同じ理由で1卵性双生児は同じ遺伝情報を持っていますが、経験が違っているために性格が違う=発動している遺伝子が違っている、と言うことが多いようです。これは、あなた自身の本能にもいえることで、実際には眠っている”本能の小部屋”があなたにも相当数あるのです。この眠っている"本能の小部屋”は、まだあなたも知らない”あなた自身の性格”です。そのほとんどは、簡単なことでは目覚めることはありませんが、新たな経験、環境であなたの知らないあなたが目覚めるかもしれません。そう、あなたにはまだいろいろな可能性が残されているのです。そう考えるとちょっと楽しくなりますね。

ただし、個々の人間にとって本能とはわがままな存在です。その人の立場などお構いなしに複数の本能が自分本位に振る舞い心に要求を出してくるのです。こうして人は思い悩むことになるのです。


コラム③ 天使と悪魔

あなたは現実に天使と悪魔がいたとしたらそれぞれどんな感じだと思いますか?映画や物語に出てくる天使や悪魔と同じように天使は美しく悪魔は醜く怖い存在でしょうか?私にはどうもこの感覚が違って思えるのです。まず悪魔は人間をたぶらかす必要があります。そのためにはまず、最初の印象が大切です。まず悪い印象をもたれないようにしなければ警戒されてしまいます。それでは商売上がったり、ということになってしまうので悪魔はまずにこやかに接してくるのではないでしょうか?そして、その後で誘惑するのです。多分私の前に現れる悪魔は清楚でかわいらしい女性として現れるのではないでしょうか。そして私を誘惑するのです。女性にあまりもてない私としては、多分言いなりになってしまうのでしょう。それに対して天使や神さまは違います。彼らには良い印象をもたれる必要がないのです。そして私のためになることをズバズバと言うのでしょう。言っていることは確かに正しいし、その人自身もやることはちゃんとやっている…だけどちょっと…。そんな人っていますよね。私の天使のイメージはそんな感じです。しかも身なりにまったく無頓着なので普通なら敬遠したいような人が天使のイメージなのです。でも、実はこのイメージが私の宗教の小部屋に入り込んだイメージであり、私にとっての大切な指針になっていると思えるのです。私にとって身なりで判断をする事は神さまをないがしろにする事なのです。そして、私にとっての悪魔は悪友として面白く付き合える奴です。しかし、誘惑に乗りすぎると痛い目にあうのでほどほどに…自分でコントロールできる範囲で付き合うようにしていきたいものです。

シミュレーションルーム

世の中には多重人格という病気があるそうです。同じ個人であるのに全く違う人格が入れ替わる…。でも、よく考えて下さい。あなた自身は自分の考えが短期間に全く逆になったと言う経験はありませんか?そして、自分自身の中に別の自分を感じたことはありませんか?それは、外から見たら別の人格と思われても仕方がないのではないですか?
じつは脳の中には常に現状に対する把握とその対応を経験と本能による命令によってシミュレーションしている部分があります。そして、そのシミュレーションは個人差はあるのでしょうが複数を同時に行っているのです。
では、そのシミュレーションルームをちょっと覗いてみましょう。

 

その部屋には一面にモニターが並んでいます。そして、それぞれが、現在の状況とそこから考えられる対応についてシミュレーションを行っています。その内の一つをちょっと覗いてみましょう。どうもこの家の主人は映画を見ているようです。映画の主人公は自分の彼女にみえみえの嘘をついています。その瞬間に映画の画面が隅に小さく追いやられ、その場面の先の予想が展開され出しました。主人公の言っていることを彼女が非難する場面が映し出されています。主人公はうな垂れながらも女々しい言い訳をし始めました。っと、隣のモニターが全く別の予想をしています。主人公は彼女の非難に対してビンタを食らわしています。うな垂れながら小言を言うのは彼女の方です。ああ、でもやはり映画の中の主人公は彼女に怒鳴りまくられてます。その瞬間に隣のモニターは映画の画面のみに戻りました。こちらのモニターはまた幾つかに分割され、それぞれが違う言い訳をしているところです。そして、まるで自分がその状況に立たされているかのように悲しみと自分に対する怒りの感情が本能の部屋からどっと流れ込んできました。

 

昔から数多の心の葛藤を描いた物語がありました。小説、映画、漫画、その他音楽などでも思い悩む人の姿が描かれ続けています。主人公を変えていろいろな人がいろいろなことに思い悩む姿を何度も繰り返して作り直しているのです。なぜこんなに延々と作り続けているのでしょうか?それは他人が思い悩む姿が面白いからです。なぜ面白いか? 物語を聞くとき、脳の中ではこのシミュレーションソフトが追体験をしているのです。本能とシミュレーションソフトは現実と物語の区別が付きません。それを判断しているのは心の方です。ですから悲しい物語を聞くと悲しい気持ちになり、楽しい物語を聞くと楽しく感じる…となるわけです。そして、自分にこんな事が起こったら大変、と言う内容の物語ほど興味を引かれます。
"興味" これも重要なファクターです。人がいろいろなことに興味を持つ…。なぜそんなことが必要なのか。ほ乳類がシミュレーション能力を獲得したときにこの"興味"という本能が重要な役割を果たしました。危険な事に興味を持つのは自分自身が危険にさらされる可能性を秘めています。こんな本能はかえって生物の生存にマイナスではないか…とも考えられますが、実際には自分にとっての驚異を知っておく方が生存率が上がったのでしょう。そのために"興味"と言う本能を持った動物は生き残りました。そして、この”興味"にせかされるままに遊びや勉強を通じていろいろな体験を"シミュレーション"するようになったのです。

元々シミュレーションは魚類や両生類、は虫類には無い脳の高等な機能です。ですからほ乳類以外には本能の部屋のみが備わっていて、ほ乳類のみそこから派生したシミュレーションルームが存在しています。このシミュレーションルームは本能の下部組織として発達したと思われますが、実は心も活用しています。心の判断でシミュレーションの内容に方向性を出すことができますし、心からの要求で新たなシミュレーションを行うこともできます。このことが、心が自分でいろいろなことを考え出すことができる様に錯覚する原因のひとつとなっているのです。また、人間の場合他の哺乳類と比べてこのシミュレーションの能力が格段に高いと思われます。人間は他の哺乳類と比べ一度に多くのシミュレーションを同時に行う事が出来るのです。これは、前にも書きましたが人間が会話を行うようになったためであると考えられます。この、複数のシミュレーションを同時に行う能力は人間の”思いつき”を生み出しました。”思いつき”は何も無いところからは生まれません。今現在考えていること…つまりはシミュレーションをしている事と同時に他のシミュレーションを動かしたことによって2つの経験が混ざり合うのです。そのほとんどは何も起こらないのですが、たまに今まで考えたことも無いようなシミュレーション結果を生み出します。これが”思いつき”です。

また、シミュレーションルームには幾つものモニターが並んでおり、それぞれ得意とする分野が違います。あるモニターは音楽が得意であり、別のモニターは絵を描くことが得意、と言うように分野ごとに違うモニターがシミュレーションを行っているのです。このために音楽は得意でも絵を描くことは不得意、と言うように得意不得意が出来るのです。もちろん同じ系統のシミュレーションをするモニターが同時にシミュレーションを行うこともあります。この場合、同じ系統のシミュレーションであっても結果が同じとは限りません。しかしこのように平行して幾つものシミュレーションを行うことで思考に幅を持たせた広い考え方が出来るようになったのです。また、このことが人間が"迷う"事の原因ともなっています。人の心は幾つもの本能から指示が出されている状況で複数のシミュレーション結果を見ながら思い悩むのです。

シミュレーションルームのソフトは基本的に本能と心から指示を受けて予測や追体験を行います。何かについて考えようとするとここのソフトが書庫から情報を得ながらシミュレーションを行い、その状況を見ながら心は判断を行うのです。しかし、心では考えまいとしているのに考える事が止められなくなる事ってないでしょうか。シミュレーションソフトを使っているのは心だけではないのです。本能もここを使う事が出来るのです。そして、書庫などとは違ってシミュレーションソフトの動きは心が意識さえすれば見る事が出来るのです。心が指示したシミュレーションと同時に本能が指示したシミュレーションが動いていて、それを同時に見てしまうために自分が何を考え、何をしたいのかが判らない…そういった状況に陥るのです。よく考えてみてください。自分が、つまりは心が指示したシミュレーションとそれ以外、つまりは本能の指示によるシミュレーションは自分で区別できるはずです。本能の指示が間違っているとは限りませんが、区別できるようになると自分を見失うことが少なくなります。


書斎

あなたは考えています。どうすればいいのか?でも考えると言っても選択肢はそれほどあるわけではありません。目の前にあるモニターが示す幾つかの”自分の行動”を外界(周りの人やその時点の環境)の状況を見ながら選択する事しかできないからです。選択をすると言っても参考にするべき経験や知識もすべてを見られるわけではありません。しかも"本能の部屋”は自分勝手な要求を”感情"という形で突きつけてくるのです。やらなければならない事があるのに腹は減るし眠くはなるしテレビに映っている美女は気になるし…。本能はあなたの事情などお構いなしに自分勝手に行動します。あなたは本能の要求にさらされながら外の状況に対応しなければならないのです。しかも貴方の選択する"選択肢”は貴方自身の考えた事ではありません。本能と本能の下部組織であるシミュレーションルームによって作られた"選択肢”の中から選択をしなければならないのです。それではうまくいかなくて当然、等と思わないで下さい。あなたが自分のために今何をしなければならないのかは、本能には判らないのですから。それを判断するのはあなた、つまりあなたの"心”の役目なのです。自分の本能がわがままである事、そして本能は本当に自分のためになることが判らないままに活動していると言う事を理解した上で自分の本能とつきあっていかなければならないのです。
わがままな本能はすぐに手が届く欲望にとらわれがちです。でもあなたは自分の将来を見つめてもっと遠くにある"理想”に向かわなければなりません。本能の要求による欲望とはほどほどに付き合っていればいいのです。そのためにはその場の感情に流される事のない”理想”や"大志”を強く持つ事が一番良いのです。でなければ貴方の心はひたすら本能を代弁するだけの存在になってしまうでしょう。

コラム④ 右手と左手

あなたは右利きですか?そうだとしたら左手をどう思いますか?右手と左手を比べたら、その価値に違いがあると思いますか?
左手は不器用だ、などと思っている人がいたらそれは違います。なぜなら、左手と右手は役割に違いがあるからです。もちろん左手もある程度思ったとおりに動かすことはできます。しかし、右手が心、つまりあなたの支配が強いのに対して左手は潜在意識、本能やシミュレーションソフトの支配が強いのです。昔の西洋の騎士は左手に盾、右手に剣を持っていました。これには訳があります。攻撃には相手の弱点を探し出してそこを突くことが必要で、そのためには本能の支配よりもあなたの判断が必要だからです。これに対して防御は本能のほうが役に立つ場合が多いのです。左手は不器用、と思っている人は多いと思いますが、本能などによる自動制御が強いのです。右手で何かを行う場合、左手はバランスをとるために反対の動きをする。でないと直立歩行の状態を保てないのです。

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