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精神の発達

この考え方では本能が経験を元に考え、その考えを元にして心が状況に応じて判断をすると言う経路で意思決定をする事になります。しかし、実際にあなたは自分の考えが本能の考えと直結すると言ってもぴんと来ないでしょう。本能がいくら潜在意識の中に隠れているといっても自分の考えは本能が直接考えているとは思えない複雑で高度な事をやっているように感じるのではないでしょうか。要するに本能は人間が普段考えている事や行動よりももっと基本的な部分のみでは無いかと思えるのです。実際に本能が直接考えているのは魚類や爬虫類までではないかと思われます。哺乳類ではここから進化しているのです。
では、どこか進化したのか…。ほ乳類の考える機能はある部分で魚類や爬虫類よりも格段に進化しました。それが、シミュレーション能力を持ったことです。魚類や爬虫類は「仮定」で物を考えることはできません。もし自分が○×だったら…と仮定して考えることができないのです。では、ほ乳類は?ほ乳類はできるのではないでしょうか?その証拠が「遊び」にあります。ほ乳類はほとんどの種類が幼児期に「遊び」をします。これは狩りの練習であったり雄同士の戦いの練習であったり…。この「遊び」がすでに「仮定」の考え方になっているのです。無意識のうちに兄弟や親を獲物や交尾相手を巡るライバルと仮定して「遊び」を行っているのです。
そして、仮定をする考え方が予測をすることを可能にしました。遊びを通して自分の行動が周りをどう動かすかを予測できるようになるのです。たとえばボスの場合群れを思い通りに動かすには強さで押さえるだけでは上手くいきません。相手の性格を知った上で時には威嚇し時にはほめてやる。こんな事が出来るようになったのも予測が出来る様になったからです。威嚇したときの相手や群れ全体の反応、甘く対応したときの雰囲気がどうなるか…。群れのボスは自分の行動が周りに与える影響をちゃんと予測しながら行動をしています。もちろん、ボスだけでなく群れのメンバーのそれぞれが同じような予測を行い自分の行動がボスや他のメンバーに与える影響を予測しながら行動を行っています。予測、つまりシミュレーションを自分の中で組み立てる能力を持ったのです。
そして、脳のシミュレーション機能は常に複数の予測や考えを組み立てています。あなたの心はこのシミュレーション機能が行っている複数の予測や考えの中から状況を見ながら判断しているのです。「こうした方がいいのは判ってるんだけど…」とか、「あっちの考えの方が正解だとは思うけど…」などと思いながらも自分の考えや行動を変えられないってことはありませんか?それは自分の考えを行っているシミュレーションと相手の言う事を予測するシミュレーションを同時に行っているために起こるのです。相手が言うと思われる事が正しいと思いつつも自分の考えを行っているシミュレーション機能は別のことを考えてしまう…。それはこの仕組みのためだったのです。
また、哺乳類の精神はもう一つ重要な進化が有りました。それはほ乳類が親に守られている期間が出来たことによる変化です。親や兄弟-天敵や餌ではない家族を持つことによって自分に対する認識を持つようになりました。ほ乳類以外の脊椎動物も繁殖期の交尾相手がいますし、卵や子供を守る親もいます。また、仲の良いペアを作り、長期間ペアとして一緒に過ごす種類もいます。しかしそれは本能100%の行動に過ぎません。心の判断機能をあまり使ってておらず、相手に対する認識が弱いのです。それに対してほ乳類は個々の相手に対する認識をしっかり持ち、相手に対する対応をそれぞれ変えることが出来ます。そして相手に対する認識がしっかりしたことによって、実は自分に対する認識も持つようになったのです。これは、ただ単に相手よりも強いか弱いかではありません。集団の中で個々の相手について理解することが自分はどうなのかを理解することにつながったのです。集団の中で自分という存在がどういう位置づけになっているか、自分の役割は何なのかについて理解する、これが出来て初めて集団の中に順位が出来、ボスが登場することになりました。集団の中に順位を付けるには、まず自分自身に対する認識が出来なければならないのです。この自分に対する認識が群れの中での自分の役割分担を作り出し、その結果ボスが登場したのです。そして、優秀な者がボスになり群れのメンバーが役割分担を行うことによってほ乳類の群れは機能的な集団となりました。

デジタル革命

では、同じほ乳類である「人間」はどうでしょうか。
人間は他のほ乳類と全く違う心や精神を持っているように感じます。その差は何なのでしょうか。
私は、基本的に違いはないと考えています。ただ、人間の場合は「言葉」という能力を持ったのが他のほ乳類との違いになったのではないかと思います。では、「言葉」の能力とはどんな物でしょうか。それまでは、感覚的に考え記憶していたことを「言葉」という記号で具体的に考え記憶する事ができるようになった…。これが人間を他の生物と分けた最大の進化だったのではないでしょうか。
イメージで行うのではなく言葉で覚え考える事でそれまで難しかったことが色々と行えるようになりました。人間を他の動物と全く違った生き物に変えた最大の要因がここにあります。たとえば、貴方は言葉のない世界で時間の感覚を持つことが出来ると思いますか?私たちは1分、1時間、1日という時間の単位を知っています。そして、昨日誰に会い、何を行ったかを思い出すことはそんなに難しいことではありません。昨日だけではなく去年、誰々とあの映画を見た、等と言うことも覚えていることが出来ます。しかしこれを言葉のない世界で時間の単位を知らずに行うことを考えてみて下さい。貴方にはどこまで正確に過去のことを思い出す事が出来るでしょうか。時間だけではありません。重さも、長さも…いや、それ以前に自分に関わるすべてのことを言葉を使わずに考え、覚えることが出来ますか?もちろん、それぞれの事には感覚的に感じていることがあります。しかし、その感覚的、つまりイメージは言葉に付随して覚えているのではないですか?人間以外の哺乳類はそのイメージの元になる言葉を持っていないのです。言葉によって具体的に覚え考える。そこが人間と他の哺乳類を分ける最大の違いです。
そして、この能力は記憶や思考能力だけでなくシミュレーション能力にも多大な影響を及ぼしています。それまで不可能であった他人の経験とシミュレーションの結果を仲間で共有することが可能になったからです。私たちは赤ちゃんの頃から親や兄弟に色々なことを教わっています。言葉の無い世界でこれと同等のことを行うことは無理です。人間以外のほ乳類も親や仲間の行動を見て色々なことを覚えます。しかし、実際にどうするかというと、最初は仲間の行動によってそういう技術があることを知るだけです。自分の技術にするにはほとんど最初から試行錯誤を行って自分の技術にしていかなければならないのです。このようにして前の世代から技術を受け継いでいくのですが、それで精一杯です。それぞれの世代が初めから試行錯誤をしなければならないのでは、受け継いだ技術をさらに高めることなどほとんど出来ません。とても言葉による経験の伝承とは比べものにならないのです。これに対して人間の場合は前の世代から受け継いだ経験や技術、考え方を次の世代がさらに高いレベルにしていく事が可能です。言葉は、意志を伝える事以上に経験を共有するツールとして人類の進歩に寄与したのです。そして、発達した精神がより高いシミュレーション能力を発揮していきます。言葉と言うツールを手に入れた人間は他人に経験や知識を伝える方法として物語や宗教、法律、組織などを作り出していきました。これが文明と呼ばれる物に育っていったのです。
言葉によって考え、記憶し、経験を伝える…。それまでの動物が感覚で行っていたことを言葉に置き換えて行うことによって飛躍的にその効果を大きくすることが出来ました。感覚で物を考えることをアナログ思考であるとすれば人間は言葉で考え、言葉で記憶すると言うデジタル思考を手に入れたのです。

文明の発祥

脳のデジタル革命について、もう少し考えて見ましょう。
人間がまず最初に獲得した言葉は何でしょうか。まず、お互いの名前と身近な物…、食べ物や狩に使う道具、食器などに名前が付いたのでしょう。簡単に「名前が付いた」などと書きましたが、実際にはここで大きな精神の発展があったと思われます。それは、抽象化と具体化です。食べ物といってもいろいろとあります。狩に使う道具もいろいろです。それらをまとめて固有名詞をつけたのです。「肉」が今目の前にある肉から魚の肉やウサギの肉までいろいろな肉を指す言葉であるという、具体的でありながら抽象的な事を「言葉」としてひとまとめにして社会の全員が認識したのです。これは、それまでの精神構造を変えないと難しいことだったのではないでしょうか?
その後人間は絶対的な単位の概念を獲得しました。魚にとっての大きさの単位は自分の口に入る生き物が餌、自分が相手の口に入るのであれば天敵、といった単位です。あくまでも「自分」を基準にした相対的な大きさしか認識していません。人間も言葉を獲得するまでは「あれよりもこっちの方が大きい」など相対的にイメージとして捕らえていたと思われます。それが、言葉を他の個体との情報のやり取りに使うことによって絶対的な単位…何センチ、何メートルと言った共通の単位を獲得したのではないでしょうか。そうしなければ体の大きさの違う人との会話が成り立ちません。そして、長さや大きさだけでなく重さ、時間、色などあらゆる物、現象に絶対単位が使われだしたのです。
この「イメージの抽象化と具体化」、「絶対的な単位」の2つを獲得したことで「自分の脳に描いたイメージ」を「仲間と共通のイメージ」に変えることに成功したのです。このことによって「物事を具体的に覚え考える」「自分や他人の経験を仲間と共有する」という脳のデジタル革命が起こったのです。
そしてもう一つ。言葉の能力を獲得した人間がそれによって大きく発達させた器官があります。脳です。人は会話をする事で他の哺乳類では考えられない強力なシミュレーション能力を持つようになります。会話はそれまでの哺乳類が必要としたシミュレーション能力では到底出来ない高度な脳のシミュレーション能力を使うのです。考えてみてください。貴方が誰かと会話するときは自分の言いたい事を考えるのと同時に相手の言ったことの意味を理解して、同時に自分がこれから言う返答に対して相手がどう考えるか、どう返事を返してくるかを頭の中でシミュレーションしているのです。相手が一人とは限りません。複数の人たちの会話はそれぞれの人の性格や過去に言っていたことを元にそれぞれをシミュレーションしながら会話の方向を考えて会話に参加するのです。言葉を持たない人間以外の動物にとってこれだけ高度な脳の使い方は必要ではありませんでした。もちろん人間も最初からそれ程高度な会話をする事は出来なかったでしょう。脳を発達させながら同時に会話を高度な物にしていったのです。また、会話は複数のシミュレーションを同時に行う事から、全く異なった事を結びつける能力”思いつき”にもつながっていきました。道具の進化等もこの事が大きく貢献しています。
そして、この脳のデジタル革命は文明の発祥を促しました。文明とは進歩を内包した社会を指します。人間の社会は進歩し続けることによって後から見るとそれぞれが独自の発展をたように見えます。この状態を文明と呼ぶ人が多いようですが、実際には発展した状態を文明と呼ぶのではありません。人間独自の”ノウハウの蓄積による社会の発展のこと”を指すと思うのです。人間以外の動物が親や仲間から受け継ぐノウハウをほとんど発展させることができないのに対して人間は当たり前のようにしてノウハウを発展させてきたように見えますが、実際には行ったり来たりを繰り返しています。発展した社会があることを知っていてもそれを取り込むこともできず、自分らで独自の発展をすることも出来ない社会が多くあるのです。そこでは社会を発展させることなど出来ませんでした。そして、多くの社会の中のほんの一部が進歩を内包したのです。そこでは先人のノウハウや考え方を土台にしてもう一歩先を目指す社会が実現しました。この状態を文明と呼ぶと思うのです。
この、「先人のノウハウや考え方を土台にしてもう一歩先を目指す」ために発明された物が物語であり、法律であり宗教、組織などなのです。たとえば法律は最初は共同体のボスが自分勝手に決めていたのでしょう。しかし、強い共同体が他の共同体を取り込むようになると共通のルールが必要になります。ボスが勝手に決めていたルールは次第に幹部たちが全員で考えるようになり、ボスの都合から社会のルールへと変貌していきます。いったん社会のルールとなった後はそれぞれの経験の蓄積によって社会全体を良くするための法律や道徳に代わって行きました。こうして先人達の経験、ノウハウを土台にして先を目指す社会、つまり文明が発祥したのです。

こうして人間は世代を超えて経験を積み重ねることを可能にし、文明を発祥させ、さらには精神を発達させてきました。最終的に人間の精神は他の動物と全く違う様に感じるほどに発達したのです。では、なぜこれだけ発達した人間が自分自身の心について理解していないのでしょうか?実は、心からは精神全体を把握することが出来ないようになっているのです。そのために心についても理解しづらいのです。なぜでしょうか?それは、次のように考えることが出来ます。
心は判断を行う機能であるが為にスピードを要求される場合が多いのです。このために心からは精神全体を見ることが出来ないような仕組みにして判断のみに特化したのではないか、と考えられます。捕食者から襲われている時にいちいち過去の経験すべてを思い出して対応方法を検討する…などと言うことが出来るはずがありません。目の前に旨そうなリンゴと梨があり、仲間で分けようとしているときに自分がなぜリンゴの方が欲しいのか、好きなのかを知る必要もありません。心が判断を下すために必要なのは自分の精神の中身がどうなっているかを知ることではないのです。それよりも上手く立ち回る事を考えた方がずっと自分のためになります。だから心からは自分の精神全体を見ることが出来ないような仕組みになっている…こう考えることが出来ます。ただ、実際には心の発達自体がまだ魚類や両生類の物から抜け出しきれていないと考えることも出来ます。もともと心は魚類や両生類だった頃の判断機能が発達した物です。人間以外の脊椎動物は自分に対する認識がまだ上手くできていないため自分の精神について知る必要もなければ能力もありません。そして、その能力を初めて必要に感じたのが人間なのです。

では、一章の最後に心と精神とはどんな物かまとめてみたいと思います。
人間には高尚な心と精神が宿っており、神さまという特別な存在によって特別に作り出された…などということは全く無くて、人間も単なる哺乳類の一種類でしかない…。心とは特別高尚なものではなく、単に異なる本能や経験が対立した場合に必要となる「判断」を行うために発達した脳の機能の一つでしかない。と、そう言う事です。しかし、それでも私は思うのです。人間は特別な存在ではないのに特別に思える所まで来る事が出来た…。それだけで十分にすばらしい事ではないですか。


コラム② パノラマ視現象

この世の中には不思議なこと、不可解なことがは少なからず有ります。しかし不可解なことであっても必ず説明は付くはずです。SFなどでたまにでてくるパノラマ視現象という現象がありますがこれもその一つです。人間が死を前にしたときにそれまでの人生が脳裏に次々と現れてくるという現象です。心理学でこの現象がどのように説明されているか知りませんが、(このような現象自体無視されているかもしれません)私は次のように考えています。人間は身の危険を感じたとき、特に死を身近に感じたときには、思わぬ力を出すことがあります。火事場の馬鹿力などがそうです。人間は普段は自分の力を100%発揮することはできません。しかし何かのきっかけで100%の力が発揮できることがあるようなのです。これは一種のホルモンが瞬間的に脳の中にどばっと分泌されて起こるようです。かなり短時間の間に100%近くの力が発揮できるようになるのです。何かの本で記憶物質というものがあることを読んだ事がありますが、これもその一つと思われます。すごく驚いたときなどにその光景が目に焼き付いてしまう、ということがあるようですが、驚くという事がきっかけとなって記憶物質が大量に分泌されるとこういう事が起こるようなのです。そして 、こういう物質はまだあまり発見されておらず、死を目前にしたとき、脳の働きを格段によくする物質があってもおかしくはないのではないかと思うのです。パノラマ視現象が起こると、まず時間がゆっくりになり、それからその人の過去の体験が走馬燈のように頭の中を駆けめぐると言います。時間が遅くなるということはあり得ないので、脳の働きが早くなったと解釈した方が理屈に合います。そして、目前にせまった死を回避する方法を過去の体験から探そうとしてパノラマ視現象は起こるのではないでしょうか。


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