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「そうですよ何度言わせるんですか二度も同じこと言わせないで下さい馬鹿なんですか貴女は本当に失礼な人だそんなんだったら嫁の貰い手も」

「ちょっと黙ろうか? 巻貝じるにするで」

 カモメの鳴き声が聴こえてきました。しばらく沈黙が続きます。

 静かになったところで、あっちゃんはおっほんと咳払いしました。

「で、チミは何をしてほしいん?」

 先程の言葉がよほど恐ろしいのでしょうか。カイくんがちょっぴりびくびくしています。

「あ、あの……ボク、おばあさんのうちまで行きたいんです…………」

「そうかあ~」とあっちゃんは笑顔を見せました。

「ちゃんと礼儀正しくお願いできるやんか? それやったら、連れていってあげんこともないで」

 そうしてカイくんを握ったまま堤防まで戻り、赤いポシェットの中へと入れてあげます。それと水筒を肩に引っ提げてから白いハードケースを手に持つと駆け出しました。

 

「おばあさんは、おじいさんととても仲が良かったんです」

 おばあさんちへと向かう途中、カイくんが事情を説明してくれました。ポシェットの中からでも、あっちゃんにはもちろん聴こえます。

「おばあさんは、幼い頃から度々海を眺めにいっていらっしゃいました。そうしてボクを見つけ、ずっと肌身離さず持ち歩いて下さったのです。おばあさんは〝歌い手″としての能力こそ持っていらっしゃらなかったのですが、おじいさんと出会われ……そして二人は恋に落ち、一緒に愛を唄いました」

 あっちゃんは、そのお話がとてもロマンティックなものになる予感がしました。トコトコと歩きつつもお話へと真剣に聞き入ります。

 それを知ってか知らずかカイくんの語り口も熱を帯びました。

「おじいさんがギターを弾くのが上手だったので、おばあさんはその音色に合わせて唄われました。二人の紡ぎ出す音はこれ以上ないほどに協和し、そばにいたボクも何だかとても幸せな気持ちになってしまうほどでした。ですからボクも共に歌い、周囲を〝浄音″していたのです。それはおじいさんが亡くなる日まで毎日続きました」

 あっちゃんは肩をびくっと震わせます。

「おじいちゃん……亡くなったん?」

 カイくんは一瞬だけ言葉に詰まりましたが、すぐに話を再開させました。

「一年ほど前にね。おばあさんはとても哀しんでおられました。ですから、おじいさんとの思い出が詰まったボクを浜辺へ戻したのだと思います」

「そーなん?」

「推測ですよ」

 カイくんはあっさりと言い放ちます。それが余計にあっちゃんの小さな胸をかき乱しました。どうにも『死』という単語には慣れることができません。

「なぁ。じゃあ、今、おばあちゃんは一人ぼっちなん?」

 あっちゃんは不安の交じった声でカイくんに訊ねます。それに対してカイくんの返答はこれまたあっさりとしたものでした。

「それについては大丈夫。お孫さんがいらっしゃるようなので」

 それを聞いて、あっちゃんはホッとします。足元を見ると普段よりも低い位置で飛んでいたレジが上目で見てきていました。どうやら心配してくれているようです。

「あっちゃんもだいじょぶやでー」

 と、あっちゃんが言うとレジは顔全体で笑い、ふわりと上空へ浮かびました。

「で、おばあちゃんのおうちはどこなんや~」

 不安がすっかり消えたのかレジが明るい調子で訊きます。ポシェットの中のカイくんがううむと唸りました。

「あの……こんなんでわかると思います?」

 確かに、とあっちゃんは頷きます。ギターケースを持つためにカイくんにはポシェットに入ってもらったのですけれど、これでは場所の特定など出来るはずもありません。

「でも、ギター片手にチミ持ってたらあっちゃんも大変なんやでー?」

「だったらギターなんて持ってこなきゃあいいじゃないですかっ」

 そんなカイくんの言い分にあっちゃんはかちんと来てしまいました。そこで水筒を握ると、

 ばんっ!

 とポシェットを叩きます。カイくんの悲鳴が聴こえてきました。

「う、うわぁぁ、何をするんですか~っ」

 ですが、あっちゃんはもう一度ばんっ、とポシェットを叩いてみせます。おそらくポシェットの中は大変なことになっているでしょうが気にしません。それもこれもカイくんが余計なことばかり言うからです。あっちゃんはチッと舌を鳴らすと再度叩こうとしました。

 そこでカイくんが白旗を挙げました。

「きゃーっ、ごめんなさいごめんなさい。もう文句なんか言いませんから許して下さい」

 あっちゃんはそんなカイくんが入ったポシェットを見下ろしました。

「ほんま? そう言って、またやったら怒るで」

「も、もうおこ……いえ何でもありません」

 こうして道中は静かになりました。

 あっちゃんたちはカイくんの覚えている道の様子を聞き、とりあえず似た道を進んでいくことにしました。幸いにも、ここら一帯のおうちはカラフルな屋根が多いのと、外観が特徴的なのとで迷うことはなさそうです。

「最初から、大人しく案内してくれればよかったんやー」

 あっちゃんの言葉にカイくんもレジも何の返事もしてくれませんでした。

 そうこうしているうちに、あっちゃんたちはモスグリーンの屋根が印象的な、まるで赤毛のアンが住んでいるようなおうちの前までやってきました。傾きかけた陽が花々で囲まれたお庭を照らしています。


「オオデマリやー」

 柵を越えておうちの外に顔を見せているオオデマリを、あっちゃんはまんまるとした塊ごとつつきました。するとオオデマリさんたちが一斉に訊ねてきます。

「あら、見かけない子ね? こんなところでどうなさったの?」

 当然のことながら、あっちゃんはオオデマリさんたちの声を聴くことができます。

「この子のポシェットから変な音が聴こえるわ。何でしょう?」

「砂を吐くような……いやあね、潮で私たちの花びらが駄目になってしまいそう」

「最後の一言だけ余計です!」

 と、カイくんが言い放ちました。あっちゃんもその気持ちはわからないでもありません。しかし、彼が自分のことを棚にあげている気もしたので、あえて擁護には回りませんでした。

 その間にレジがオオデマリさんたちに訊ねます。

「なあなあ、ここらへんでおばあちゃん見いひんかったかー?」

 レジの問いに、オオデマリさんたちが困ったように身をすくめました。白い花びらを風でかさかさと揺らしています。その奇妙な音にあっちゃんも眉をひそめました。

「え? おばあ、さん、はここら一帯に多くいらっしゃるだろうと思いますよ。でも」

「ここのおばあさんは……」

 オオデマリさんたちが言葉に詰まると、あっちゃんの耳へ何かの音が飛び込んできました。ざ、ざ、と穏やかな気持ちにさせてくれる音、さざなみの音。そしてあのギターの調べ。

「あ! あっちゃん、おばあちゃんがおるで」

 レジがお庭の中心を指差すので、あっちゃんも背伸びしてそちらへと目を向けます。するとレジが言うとおり、ゆったりとしたワンピースを着たおばあさんが白い椅子に座っていました。その前には椅子とセットなのであろう可愛らしい小さなテーブルもあり、ほかほかと湯気をのぼらせているティーカップが置かれています。

 おばあさんは、おうちの庭でお茶を楽しんでいるところでした。その周辺には何故か潮の香りが漂っています。そのせいか、あっちゃんは胸騒ぎがして、お庭に入るかどうか迷ってしまいました。どうして、と訊ねられると答えられないのですが……。

「どうしたんですか?」

 ズバリそのものの問いかけをしてきたのはカイくんです。あっちゃんはポシェットを恨めしそうに睨むと理由を話しました。それでもカイくんが消え入りそうな声で、

「でも、ボクにはわかります。この音が聴こえるってことは、あの方こそボクが探していたおばあさんです。……早く会いたいです」

 なんて言うから、ちょっぴり可哀想になって、お庭へ入ろうと入り口へ回りました。あっちゃんの背丈ほどの黒い鉄製の扉は不用心にも開けっぱなしです。ほんまに大丈夫かいな、と思って足を踏み入れると冷たいものが背筋にぞぞぞと駆けのぼってきます。

 あっちゃんは絶対に「何かおかしい」と怖くなりつつも、おばあさんに近づきました。そうしたら、おばあさんもようやく気づいてくれたのか顔をぱっとこちらへ向けてきます。

「あら。可愛いお客さまだこと」

 おばあさんが目尻にくしゃっと笑いじわを作りました。それでも、あっちゃんの胸騒ぎは一向に収まりません。促されるままテーブル越しに真向かいにある椅子に座らせてもらっても酷くなっていくばかりでした。

「ごめんなさいね、お茶も出せないで」

 そういえば、とあっちゃんは椅子の左にハードケースを置きつつ考えます。どうして、このテーブルの上にはティーポットやお菓子がないのでしょう? いえ、おばあさんがおうちで淹れてきたと言うのであれば別におかしくもありませんが……。

 だけれど、そんなことを口にすると失礼なので、あっちゃんは平静を装って応えました。

「いえいえ、まああっちゃんもアイスティーを持ってきましたんで。お気になさらず」

「まあ、ずいぶんと大人びたお返事ね」

 おばあさんがお上品におほほと笑います。それに、あっちゃんはえへへと口を変な形にねじ曲げて笑うふりをしました。ポシェットの隣に引っ提げた水筒を持ちあげます。

「お母さんが淹れてくれたの?」

 おばあさんが訊ねてくるたびに額に冷や汗が浮かびました。

「いえ、あっちゃんがひとりで淹れました」

 声が何故だか震えて、あっちゃんは自分が自分でないような変な感じがしました。普段なら子供扱いされて怒っているところなのに、今はそれよりも恐怖が打ち勝っているようです。

 そして、おばあさんはそんなあっちゃんに全く気がついていないのか、

「偉いのねぇ。ウチの子が小さいころにはそんなことしなかったわ……」

 と笑顔のまま言いました。その笑みが先程から全く変わらないので、あっちゃんはカチンコチンに固まってしまいます。

 と、そこでおばあさんがカップに口を近づけました。その際にぷわぁと潮の香りがひろがります。でも、あっちゃんにはそれを楽しむ余裕もありません。

「ところで、何をしにきたの?」

 と、おばあさんが訊ねてきても返事もできません。唇をわななかせてポシェットからカイくんを取り出すと、テーブルの上に置きました。カイくんは窮屈な空間から解放された暗度からか、ぷしゅう、とまた砂を吐いています。

 それとは反対に、おばあさんが目を丸くしました。

「この貝は……」

 カップを置いたおばあさんはカイくんを手に取ると、しばらくじっと見つめていました。あっちゃんは初めておばあさんが表情を変えたので安心します。だけれど、今度はおばあさんが神妙な顔つきになってしまいました。

 カイくんを持つおばあさんの手が震えはじめます。

「あの人は、私を許してくれないわ」

 おばあさんがうつむいた瞬間、周囲を黒い影が包みました。オオデマリさんたちも他のお花も、すべて真っ黒に塗りつぶされて潮の香りも消えていきます。

 あっちゃんは椅子からがたっと立ち上がりました。


「あっちゃーん、何や〝悪ぼっくり″がぎょうさんおるぅ~!」

 レジがあっちゃんの肩へと身体を寄せてきます。おばあさんの周囲に目を凝らせば黒いかたまりがざわざわと集まっていました。なるほど、先程からの違和感の正体はこいつらだったようです。

 あっちゃんはハードケースから純白のアコースティック・ギターを取り出すと、〝浄音″するべくピックを構えました。でも唄うべきものが見つかりません。何かいいモティーフがないかと必死に今日の出来事から探しますが、別段変わったことは起きていないのです。

「どないしよ~っ?」

 あっちゃんは困り果て、テーブルの上にいるカイくんへ目配せしました。しかしカイくんはおばあさんが泣いているのをなだめている最中です。

「おばあさん、どうしておじいさんが許してくれないのですか? あんなに仲良く歌を唄っていらっしゃったのに」

 おばあさんが涙声で答えました。

「私は、大事なあの歌を忘れてしまったの。だから天国に行ってもおじいさんと唄うことができない……あの人を、がっかりさせてしまう」

 その哀しみを糧に〝悪ぼっくり″たちがどんどんどんどん増えていきます。既にあっちゃんの純白のギターにも群がってきていました。

「きゃーっ、あっちゃんの大事なギターに何するんやあ~っ!」

 慌ててあっちゃんが払いのけても、後から後からやってきてキリがありません。こんなときこそ〝浄音″をすれば一気に〝善き音″と協和させることができるのですけれど……それには、きちんと心のこもった歌が必要なのです。

「私は、もう唄えない……」

 おばあさんの声が暗がりに響きます。 おばあさんの声が暗がりに響きます。このまま〝悪ぼっくり"が増えてしまうと、おばあさんも〝悪ぼっくり"になって悪さをするようになってしまいます。それで、うーんと困っていたところ、あっちゃんは良い案を思いつきました。

「おばあちゃん。あっちゃんなー、やあちゃんに『ばいよん』を教えてもらってん。だから、おばあちゃんの記憶をよみがえらせることができるかもしれへんー!」

「え?」とおばあさんが涙でしわくちゃになった顔を向けてきました。

 あっちゃんは話を続けます。

「あんなー、世の中の音にはみんな『ばいよん』があるんや。で、『ばいよん』はハーモニーの基礎やねん。だから、おばあさんが覚えているメロディを教えてくれれば、あとはあっちゃんが何とか続けられるかもしれへん」

 これらはすべてやあちゃんの受け売りでした。つまり、おばあさんの覚えているメロディにギターを合わせると、ある程度のコードがわかるため、あっちゃんの知っているコード進行と合致すれば続きも弾けるかもしれない、ということです。

 二人が喋っている間にも〝悪ぼっくり″たちの猛攻は続いていました。あっちゃんの白いワンピースのすそを引っ張ったり、麦わら帽の青いリボンをくるくると回したりするのです。

「おばあちゃーん、唄ってー!」

 〝悪ぼっくり″たちを手でぱっぱと払いながら、あっちゃんは叫びました。

 それに、おばあさんも大変な事態だとわかったのか上ずった声で唄い始めました。出だしからちょっと危なっかしいけれど綺麗な歌声です。

 

 あのひとは 海の向こうで手を振る

 遠く離れても きっと見える

 

 その歌に合わせて、あっちゃんも白いアコースティック・ギターを弾き始めます。甘い高音がおばあさんの歌にふんわりと重なりました。

 

 どんなものにも引き裂かれはしない

 ふたりはひとつ 海と空のように

 

 あっちゃんは聴きながら、これは王道進行だな、とわかりました。やあちゃんがカノンコードの次に教えてくれた、多くの曲に使われるコード進行です。

 

 青い思い出が さざなみ立てるたび

 私の心が 震えだす あなたのことを想うから

 

 そこで歌がぴたりと止まりました。どうやら、おばあさんはここまでしか思い出せないようです。それでもあっちゃんには何となく次のコードがわかりました。ギターの音が暗闇に響き渡り、それと呼応するかのようにレジの身体が輝き始めました。

 あっちゃんには、レジが〝善き音″を吸収して熱を帯びているのがわかります。ピックを通して小さな指に弦の震えが伝わり、そこからオレンジの粒粒がふるふると溢れます。

 そこへカイくんの声が割り込んできました。

「おばあさん! これを聴いて下さいっ」

 そう呼びかけるカイくんの身体からも水色の輝きが滴っています。ざ、ざ、というさざなみの音が暗闇を洗い流して青い空間が生まれました。

 そこに映るのは、おじいさんとおばあさんの過去の姿です。

「あなた……!」とおばあさんが声を震わせました。

 おじいさんがギターを抱えて、じゃかじゃか奏でています。その顔には子供のように無邪気な笑みが浮かんでいました。おばあさんもニコニコと笑っています。

『あなたはいつまでも子供みたい』

 おばあさんは長い黒髪を赤リボンで一つにまとめて、潮風に揺らしていました。カモメがくわあくわあと鳴きながら、水平線めがけて飛んでいきます。

 おじいさんがじゃかじゃかとかき鳴らすのをやめて、優しい音で弾き始めました。それは、今まさにあっちゃんが奏でているコードと同じものです。どこまでもひろがりゆくさざなみのように柔らかく包み込んでくれるハーモニー。

 それに合わせるように、おばあさんも口を開きました。今よりも瑞々しい声、それでも今も変わらぬ透明な声。ギターの音色をしっとりと濡らして、いつまでも余韻を残すような声。

 おばあさんの歌声を導こうと、おじいさんもテンポを緩めます。二人寄り添うように、徐々に合わさっていく音はいつしか完全に溶け込んでいきました。

 そのとき、確かに二人は一つでした。まるで空と海のように。

 あっちゃんはその思い出を感じながら、思い出をなぞるようにメロディを紡いでいきます。同時に、おばあさんの嗚咽が聴こえてきました。

「あなた……ごめんなさい。今まで忘れていて」

 その涙は、思い出にぽたぽたと沁み込んで記憶をより鮮明にします。今と過去が、おじいさんとおばあさんのように――そして空と海のように手を繋ぎました。

 きっと、おばあさんはあのときと同じ気持ちでいるのでしょう。あっちゃんにもそれが伝わってきて、ピックを持つ指の力が強まります。

 その力強さが、かつてのおじいさんが奏でるメロディと完全に重なりました。

 おばあさんが再び唄い始めます。

 

 今は昔の出来事が こんなにも私を優しい気持ちにさせる

 過去は過ぎ去るものじゃない 想うことで また心に寄り添う

 

 おばあさんの声が過去と同じ瑞々しさを取り戻したとたん、レジは身体を膨張させ、天上へと一気に炎を吐きました。暗闇がどろりと溶け、太陽が世界に戻ってきます。その眩しさに〝悪ぼっくり″たちが悲鳴をあげました。

 あっちゃんはギターを一瞬だけジャンッと鳴らし、レジへと合図を送ります。

 

 その積み重ねが 今の私なの

 

 レジが残った〝悪ぼっくり″たちを大口でぱっくり丸呑みしました。もぐもぐと咀嚼して、ぺっと外へと吐きだします。可愛いコバルトブルーのたまごが地面に転がりました。

 そうして世界が完全に光を取り戻した瞬間に奇跡が起きました。あっちゃんがそろそろギターを弾くのをやめようというところでした。

 思い出の海の向こう側に誰かが立っているのです。唄い終えて肩で息をしていたおばあさんも目を見開いていました。海を映しだしているカイくんさえ、驚きのあまりにぷしゅーっと砂を吐いています。

 遠く遠くで手を振る人物は、誰かを呼んでいるようでした。その声はあっちゃんには聴きとれませんでしたが、おばあさんにはわかったらしく、

「あなた!」


 と駆け出していきます。すると、どうでしょう。おばあさんの姿が過去の姿へと変わっていくではありませんか! びっくりするあっちゃんたちを尻目に、赤いリボンを揺らして、袴の裾を海に濡らして、遠くの人影へと駆けていきます。おばあさんが海の向こうまで辿り着くと二人は抱き合いました。

 二つの影が、一つに重なります。

 そのとき、あっちゃんが立っていた地面がぐにゃりと曲がりました。あっちゃんは思わずお庭の芝生の上に転んでしまいます。レジやカイくんもきゃあと叫んでいます。

 空も、海も、太陽すらぐるぐるぐるぐる回っていました。もちろん海の向こうの二人の姿を再び見ることも叶いません。あっちゃんは「おばあちゃーん!」と声を張り上げますが、空間の歪みにかき消されてしまいました。それに合わせて思考回路もぶちりと捻じ切られます。

 気がつくと、あっちゃんは白いテーブルに突っ伏していました。あれ、と目をこすりながら辺りを見渡します。レジもカイくんもテーブルの上で大の字の体勢になっていました。

「おばあちゃんは……?」

 あっちゃんは首を傾げつつも、二人を起こしてあげました。そしておばあさんの行方を訊ねてみましたが、どちらも首を横に振るばかりです。

 テーブルの上には潮の香りを放つ紅茶が置かれていました。すっかり冷めてしまったのか湯気が立ちのぼる気配もありません。

 三人でその場で呆然となっているところ、おうちのガラス戸ががらりと音をたてて開けられました。そこには、若かりし頃のおばあさんそっくりの人が立っていました。

「あら、お嬢ちゃん。こんなところでどうしたの?」

 あっちゃんは、ほえ、とお姉さんを見上げます。ひょっとしたら若返ったおばあさんかもしれない、と思いましたが、Tシャツに小ぶりのオーバーオールという現代的な服装がそれを否定していました。そこで今までのことを正直に話しました。

 すると、おばあさんによく似た人が少し悲しそうな顔をします。どうしたのかな、と返事を待っていたら、お姉さんは驚きの言葉を口にしたのです。

「おばあちゃんなら、一ヵ月前に亡くなったわよ」

 あっちゃんは、えっ、と息を呑みました。カイくんもぷしゅうと言います。レジに至っては、身体を真っ黒にしてぷすぷすと燃えかすのようになっていました。

「でも、あっちゃん。ほんまにおばあちゃんとここで会ってん」

「ありえないわよ。だって本当の本当に亡くなったんだもの。あたし、お葬式にも出たんだから

 二度目の衝撃に、あっちゃんは言葉を失いました。そして悟ります。オオデマリさんたちが言葉に困っていたのは……このお庭に入ったときに覚えた違和感は……。

 そしておばあさんの正体は…………。

 余所のおうちのお庭だというのに、あっちゃんは青空へと悲鳴をびんびん響かせました。

 

******

 

「まさか、おばあちゃんが幽霊やったとはな~っ」

 レジがふよふよ浮きながら、のんびり言い放ちます。それにあっちゃんは手のひらをべしっと叩きつけました。レジが前のめりになって危うく地面へダイブしそうになります。

「な、何するんやー。あっちゃん、酷いやないかー」

「うっさいわ! あっちゃん怖がりなの知ってて何でそないなこと言うんや!」

「だってほんまのことやん。おばあちゃんはおじいさんとの思い出の歌を忘れてもうたから〝悪ぼっくり″に取り憑かれて幽霊に

「うわーうわー! 言うなアホーっ」

 ごん、と鈍い音が辺りに響きます。むすっとした顔のレジが盛り上がった頭を撫でました。

 もう日暮れが近く、あっちゃんの影が閑静な住宅街に伸びています。白いワンピースも真っ赤な夕日にさらされて、すもも色に染まっていました。

 ポシェットから顔を覗かせているカイくんが言います。

「でも、良かったですよ。あなた方がいなければおばあさんも〝悪ぼっくり″になってしまっていたかもしれません。どうもありがとう」

 カイくんはにゅるりとした胴体をほんのちょっぴり曲げました。その態度があんまり素直だったので、あっちゃんは全身がむず痒くなってしまいます。

「な、何やー? チミにそこまで感謝されるなんて想像できへんかったでー」

 ほっぺたが赤いのは、きっと夕陽のせいだけではありません。あっちゃんはうつむきながら帰り道を歩きます。と、そこで何かを忘れていることを思い出しました。

 何だったかなー、と考えているうちに、忘れ物が頭にぱっと浮かびます。

「あーっ、し・じ・みーっ」

 そうです。あっちゃんは海岸にバケツとスコップを忘れてきてしまったのでした。

 急いで戻ろうとしましたが、空がすもものような朱色からぶどうのような藍色に変わっているのを見てやめました。だって、暗くなったらそれこそお化けが出そうだからです。うう、と名残惜しさに呻きます。

 しかし、あっちゃんはすぐに良いアイディアを思いつきました。ポシェットへ目線を落とします。そこにはうってつけの食材がありました。

 レジも気づいたらしく万歳します。

「わーい、今夜は巻貝じるやぁーっ」

 カイくんがぷしゅうと砂を吐き出しました。

「な、何を言っているんですかーっ! ボク、何も悪いことしてないじゃないですかー」

 それに、あっちゃんは申し訳なさそうに返します。

「ごめんな。でも、あっちゃんたちも生きていかなあかんねん。ありがとう、チミのことは絶対に忘れない――」

「感動的な台詞で誤魔化そうとするなーっ!」

 カイくんの絶叫が夕焼けにこだましました。そのとき、カラスのあほう、あほう、という鳴き声が聴こえたとか聴こえなかったとか。

 

 とまぁ、あっちゃんたちは迷えるおばあさんの魂を救ったんだとさ。めでたし、めでたし。

 

 

 

 ……ちなみに、あっちゃんたちは約束どおりやあちゃんのおうちへ着くと、おいしいお味噌しるを作って食べたんだそうです。カイくん、巻貝じるにされなくて良かったですね!

 

 今度こそ。めでたし、めでたし。

 

   おしまい


奥付



『うたえ! アッチャン×ヤーチャン』シリーズ

思い出は貝がらン中


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著者 : むらさきあおい
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