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5月19日乃おはなし「beyond the cloud(雲の向こうの)」

「あっちむいてナイ!」

 それは息子が三歳ごろに口にした言葉で、一時期「我が家語」としてよく使っていた。わたしが「あっちむいてホイ!」を教えようと思ったのだが、その時期の息子にはまだルールがさっぱりわからなかったらしく、一緒に遊ぶことはできなかった。ただその語感は気に入ったらしく、しきりに「あっちむいてホイ!」「あっちむいてホイ!」と言っていたのだが、翌日にはそれが「あっちむいてナイ!」に変わっていた。「イナイイナイバア」とまざってしまったのか、どうなのか、そのあたりの理由はわからない。本人に聞いたってわかるはずもない。ただ「あっちむいてナイ!」という言葉のナンセンスさ加減がおかしくて、わたしも妻も爆笑し、息子もそれを面白がってますます調子に乗って得意げに何度も言った。それからしばらくは特に直しもせず「あっちむいてナイ!」というルール不在の謎の遊びが我が家で流行ったのだった。

 なぜそんな話をしたかというと、明日、息子が「あまてらす」に搭乗して人類初の太陽系外探索に出発するからだ。もちろんわたしが生きている間に戻って来ることはないし、そもそも本人が地球に戻って来ることもまずないだろう。お互いに生きてぴんぴんしていても、もう二度と会うことが無いと考えると、とても穏やかな気持ではいられない。今年に入ってから息子は訓練に継ぐ訓練で、あまり一緒に過ごすことができなかった。先月一時帰宅した時も、お世話になった人に挨拶するので家にはほとんどいなかった。妻とわたしと娘と家族全員で夕食を食べたのがちょうど一カ月前、基地に戻る前夜だった。それでもう会うことも無いのかと思っていたら、事業団の計らいでこうして打ち上げに招待してもらえた。娘はどうしても仕事の都合がつかず来られなかったが、妻とわたしは二日前から基地の宿泊施設で厄介になっている。

 昨日、忙しい日程の中、都合を付けてくれた息子と同僚の女性と四人でランチをし、その時に息子の小さいころの頃の話になった。その女性はどうやら縁があれば「あまてらす」の中で息子と家族になる可能性があるようだったが、そのあたりの詳しいことはよく分からない。恋愛感情など抜きで、単に宇宙空間で生殖行為をして子供をつくるというプロジェクトのパートナーなのかもしれない。彼らの口ぶりを聞いているとそんな印象もあった。けれど妻もわたしも古い人間なので、息子にいきなり婚約者を紹介されたような気がして緊張してしまった。おかげで、息子の子供時代という、ある意味定番の話題を引っぱり出してしまったのだ。女性は最初取り澄ました感じだったが、「あっちむいてナイ!」の話を聞くとひどく面白がって、それ以降はころころと良く笑う可愛い表情を見せてくれた。妻もわたしも何故かそれを見てとても安心した。息子は余計なことを言ってと苦い顔をしていたが。

 同僚の女性氏に「あっちむいてナイ!はどんなルールだったんですか?」としきりに尋ねられたが、もともとルールなどあってないようなものだったので、教えることはできなかった。後半、終始笑いの絶えない愉快なランチを終えて二人はセンターに戻って行った。そうして初めてそれが実際に顔を合わせる最後の機会だったことに気がついたが、妙な愁嘆場にせずに明るく過ごせて良かったんじゃないかと妻と慰め合った。先ほど前日の訓練を終えたという息子と女性からフェイスタイムがあって、ひとしきり話すことができた。彼女は「お父さんとお母さんにプレゼントがあるんです」と言って画面を切り替えた。一緒に見ましょう、と。画面にはひどく古くさい映像が映し出された。2Dと呼ばれていた、前世紀の遺物のような映像で、近年は見慣れないもので、初めのうちはどう見ればいいのか迷ってしまったほどだった。

「クラウドに残っていたんですよ」楽しげに解説する女性の声が聞こえた。「初期のソーシャルネットワークの、お父さんが持っていたページに貼られていました。覚えてます?」

 覚えているかだって? もちろん覚えている。そこにはわたし自身が撮影した三歳の息子の映像があった。息子はジャンケンポイと叫んでげんこを突き出し、あっちむいてナイ!と叫んでそっぽを向いたかと思うと両手で眼を覆って大声で笑う。母親の笑い声に続いてほらほらコウイチ、ジャンケンは?と父親の声がする。いまよりざっと三十年若いわたしたちの声だ。わたしの右肩を妻が強く握りしめる。わたしも左手で妻の手の上から包み込む。顔を隠していた三歳の息子はイナイイナイバアをするように顔をカメラに突き出し、また得意げに「あっちむいてナイ!」と叫ぶ。

「あなた」
 妻が喉を詰まらせた声で言う。
「ああ」
 答えたいが、わたしも言葉にならない。画面が元に切り替わらなければいいのにな、とつまらないことを考える。その時「大丈夫?」と息子の同僚の声がする。わたしたちに向かって言ったのかと思ったがそうではないことがわかった。画面の中よりも三十歳、年を取った息子が声を震わせて言った。
「お父さん、お母さん、ありがとう。行ってきます」
「コウちゃん」
「気をつけてな」

 フェイスタイムを切った後、そのまま昔の映像に見入っているわたしに妻がポツリと言った。
「お父さん、お母さんって呼んでくれましたね、あの娘さん」
「ああ」画面の中ではまだ三歳の息子が息を詰まらせそうにして馬鹿笑いをしている。「そうだな。そうだったな」
 画面の中で「あっち向いてナイ!」と雄叫びを上げている少年は、明日、雲の向こうにある、本人と人類の未来に向けて旅立つのだ。

(「あっちむいてナイ!」ordered by 弦楽器イルカ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

新作スタート。お題募集中。

2011年10月1日。
Sudden Fiction Projectの新作発表が始まりました。

1日1篇ペースをめざしていますが、これはどうなるかわかりません。
毎日、その日のお題を見て、いきなり書き始めていきなり書き終わる。
即興的に書くSudden Fictionをこれからお楽しみください。

お題募集中です。
急募!お題」のコメント欄で受け付けています。
どなたでも気軽にご注文ください。初めての人、大歓迎です。

(お題の管理上、TwitterやFacebookでは見逃しがちなので、
 どうか上記コメント欄をご利用ください)

それではこれからしばらく新作のシーズンをお楽しみください。

※発表済みの作品をご覧になりたい方は
 をご活用ください。

奥付



beyond the cloud(雲の向こうの)


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著者 : hirotakashina
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/hirotakashina/profile


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