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第6章 日本文化創造の時代

 日本文化の礎

 米国のエリートは、大学時代に歴史に関する教養を十分に身につけ、 「今」 を的確に把握し将来を模索しているようですから、同様に非エリートの筆者も日本史から 「今」 を的確に把握し将来のリーダーを模索します。すでに拙著では、江戸末期以降三回目の国難であることを何度も申し上げました。そして、筆者は西欧文明とは異なる新たな文明を構想した復興モデルを強調しました。日本の歴史を振り返り、中国から輸入した文化を日本独自の文化へ創造した時代から、そのような創造活動した人間を浮かび上がらせます。

 今日の私たちが 「日本的」 とか 「日本文化」 と称している生活様式、世界に誇れる城、日本庭園などの和式の建築様式、現在の生活に密着した着物、茶道、華道、俳諧、将棋、囲碁及び古典芸能である能、邦楽等現在の日本人が世界に独自性を誇れるものは、室町時代に確立されています。室町時代にいきなり日本文化が勃興したと考えるより、それ以前の時代の武士の生き様が日本文化の礎になったと思われます。

 室町時代を遡ること鎌倉時代末期の後醍醐天皇(1339年没)の頃です。後醍醐天皇は、自信過剰な持ち主の上自分の失敗を部下に転嫁する天皇であり、日本を戦乱の巷にしました。それゆえに、天皇家の内紛を勃発させ足利尊氏においつめられ、吉野に逃げ延び南北朝時代を招きました。南北朝時代から戦が頻繁に行われ、戦いに伴う武士の広範囲な交流から朝廷、幕府の内情が各地に伝わり証文の農地も横取りされるかもしれない状況から各人に自立のめばえが生じたと思われます。

 鎌倉時代に設けられた地頭は、幕府から正式に任命される公職であり、承久の乱(じょうきゅうのらん)*2以降は中央から派遣されてくる場合もありました。しかし、この地頭のみで地方を掌握できていたわけでなく、国人(こくじん)と称す在地の小豪族の力をかりて幕府政治を進めていました。国人とはあくまで地元生え抜きの小豪族のことで、公式な身分ではないが、室町時代はこの国人が極めて強い力を持っていました。と言うことは、南北朝時代から徐々に地方が力を強めてきたのです。

 *2: 承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府

     に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱である。

 

 また、当時の武士は兵農分離がされておらず、農民、漁民及び商人などは武器を保有していますから武装農民、武装漁民及び武装商人です。武装商人は、商品販売のほかにいわゆる商品運送をも担っています。山賊と海賊からすれば、運送中の商品と金は格好の獲物ですから運送業は危険な仕事です。しかし、危険な商売ゆえに利益が多く裕福な商人が多くいました。南北朝時代の内乱は、諸国の武士団を日本全国に東奔西走させましたが、このとき、従来は地方ごとに孤立していた遠隔地方の文化同士が激しくぶつかり、相互に創造的な刺激を与えたことも、文化発展の背景を考えた場合に重要です。いわゆる地方の 「名物」 という概念は、南北朝時代に初めて成立したと言われます。

 南北朝時代から室町時代にかけての当時は、武士が日本を支配しているといっても、それはあくまで日本全体から見れば一部分で、たとえば、藤原氏の氏寺でもある興福寺が多数の荘園を保持している大和国(奈良県)には、守護を置くことができませんでした。つまり、興福寺、比叡山延暦寺のなどの大宗教団体は、幕府の力が及ばない治外法権団体といえます。

 このような中で、武士は各種の乱、乱と乱との間の小さな戦に明け暮れていました。朝廷と幕府の権威が崩壊し、社会全体が混沌としていました。戦いで死ぬかもしれないし、人を殺す武士にとって、死後のことは切実な事柄です。武士と敵対していた宗教団体の宗教を信ずるよりも、新しい禅宗にひかれていったのは当然かと思います。

 武士としては、禅宗で死後の安心を得るとともに戦での安心を確立しなければなりません。合戦においは、神聖な社に陣取ればどんな人間でもタタリは怖いから、敵は襲撃してこないと考えるのが常識でした。なぜなら、そこを襲撃して社を炎上させたなら神仏の罰が当たると誰もが信じているからです。しかし、神聖な神社に陣取っても焼き討ちにあうのです。たとえば、南朝方が京の石清水(いわしみず)八幡宮に陣取った時に、高(こう)一族はそれを焼き討ちにしてしまいました。

 したがって、合戦において安心が得られる建物を作る必要にせまられ、城が具体化されたのではないでしょうか。一方、秩序が崩壊したといっても、日常生活において安心できる生活様式を確立しなければ、生きるのが困難になり、自立した武士が各地で交流を図りながらルールを決めていったのではないかと考えます。

 このような時期、経済活動による遠隔地との交流する商人、商人以外の移動労働者の他国の情報は、権力者にとり他国の情勢、文化等の情報が得られ有益であったと考えられます。特に、移動労働者は仕事を求め、破天荒な仕事を考えながら流浪します。権力者は、彼ら自身が何をしてきたかを知りたく、併せて、他国の情報収集のために彼らに接していたと思われます。と同時に権力者は、彼らに同じ仕事を頼んだかもしれません。

 

 時宗と文化

 南北朝時代には、移動労働者が存在したと思われます。彼らとて、死後の世界については考えておりました。しかし従来の宗教は、定住者向けであったと考えられます。移動労働者のような者に適した宗教が、時宗ではなかったかと言うことです。

 時宗は、一遍上人(一遍智真:1239-1289)の開創した、鎌倉新仏教の宗派の一つです。宗派としては時宗と呼ばれ、その構成員は自らを時衆と称しました。時宗の宗教儀礼である 「踊り念仏」 は、盆踊りの誕生にきわめて大きな意味を持ちます。時宗の特徴は、宗教的儀礼として 「踊り念仏」 を盛んに催したことと、開祖一遍をはじめ時衆が全国を漂泊回遊(=「遊行(ゆぎょう)」)する遊行聖として布教につとめたことです。この時宗の特徴と移動労働者の特徴は合致すると共に、時宗側としても信者獲得の機会であったと考えられます。踊り念仏による死後の安心立命を信ずる移動労働者は、自由奔放な精神の持ち主だったのでしょう。

 時宗と文化の関連ですが、 時宗の法名である 「阿弥陀仏号」 は、南北朝時代に徐々に増加し、室町時代に最盛期になりました。次第に○阿弥、○阿と略称されるようになり、連歌師の善阿、周阿、能阿や能の大成者・観阿弥、世阿弥、足利義政に仕えた庭師の善阿弥などの元移動労働者及び移動労働者に広まりました。

 武士の間で勃興した生活様式が文化へと発展していったと考えますが、この時、多くの武士に生活様式を真似てもわらわねはなりません。身分制度がある時代でしたが、1467年~1477年の応仁の乱でこれまで歴史の表舞台にでてくることがなかった勢力が登場したのです。この状況を一言で表す言葉が、 「下克上」 です。つまり応仁の乱以降の時代というのは、まさに 「成り上がり」 の時代なのです。成り上がの最初は 「足軽」 です。この当時の足軽は戦国時代の足軽と異なり、いわば 「あぶれもの」 や盗賊たちがその中心です。しかし、実力により出世することで武士の文化を知り、真似るようになりました。この下克上により下層階級の人間も武士文化を取り入れ、さらに公家が、戦乱で荒れた京から都落ちすることで、公家の文化も地方へと広まりました。下克上により階級間の流動により武士の文化が階層間を越えて拡散し、公家の都落ちが地方に公家文化をもたらし各地で文化が融合しました。

 

 日本文化勃興の土壌

 本章で論じたように、南北朝時代から室町時代は、日本全体に弱い縛りしかいきわたらなかったと考えられます。このゆるい縛りが、アウトサイダーとして活躍できる土壌になったと思います。そして組織を渡り歩く生き方から、自由奔放な考えを育んだのではないでしょうか。一般的にいって縛りがゆるく実力があれば勝手気ままな生き方になりそうですが、強い思いを有した彼らは、身につけた実力を単にメシを食べるだけに使わずに、組織とは異なる価値観を実現するために努力しつづけたのではないでしょうか。そして彼らの努力の集大成が、独創的な室町文化になったと思います。

 南北朝時代から戦国時代は、古い価値体系と秩序が崩壊した、創造性に富んだ乱世でありました。その室町時代に確立した文化が、江戸時代に大衆に定着したといえます。つまり世界に誇る日本文化は、南北朝時代からのアウトサイダーとしてのバイタリティーが室町時代に創造的産物として実を結び、現在まで続く日常生活、歴史的遺産等に数多く継承されています。このことからも室町文化は、われわれの考えているよりは、ずっと深い精神性を持っています。その深い精神性が形になり、今日まで命脈を保ち続けているのです。


第7章 将来を見据えたリーダー選抜

 現在を歴史的に把握する

 既に述べたように、現在は江戸末期以降の三度目の国難です。広範囲な地震と津波の被害に加え、福島第1原子力発電所の放射性物質大量飛散事故が重なり、復興を困難にしています。おそらく、地震と津波の災害だけなら、東北は直ちに従来型の社会モデルで復興に動き出しています。ところが、それを困難にしているのが原発事故です。従来型の社会モデルは、エネルギー及び物質の大量消費であり、その象徴が原子力発電所なのです。電力不足に端を発した節電を始めとするエネルギー及び物質の消費低減方向は、近代西欧で誕生した西欧文明が近年のグローバリズムにより競争激化を招き、生き残りをかけた競争によるエネルギー及び物質の消費増大傾向と真逆になります。ここにおいて、政府は復興モデルを描けず困難に直面しているのです。そうは言っても、いつまでも復興に着手しないわけには行きません。多分、従来型の復興モデルにするでしょうが、多くの人は多量のエネルギー及び物質を消費する文明社会をこのまま続けてよいか疑問が湧いています。ここに、有権者という環境が変わり始めたのです。

 さらに、西欧文明成立の基盤は順調な経済成長にあります。しかし、経済をグローバル化させたため、米国の2007年サブプライム・ローン問題と2008年リーマン・ショックにより、自国の経済が不良債権の処理に忙殺され、正常な経済成長が不可能になりました。米国経済の変調は西欧にも影響を与え、ギリシャの経済破綻を招き、スペイン、ポルトガル等も経済苦境になりつつあります。そして、ユーロ圏全体の経済成長ができなくなりつつあります。日本も1990年のバブル崩壊以降、経済成長はできておりません。中国、インド、ブラジルなど人口の多い発展途上国の一部の国は、巨大な市場規模を生かし経済成長をしていますが、先進国は米国の金融資本主義をまねたため、コンピュータの仮想市場による市場原理主義が、莫大なお金を一瞬に不良債権に換えドブに捨ててしまいました。ゆえに、西欧文明成立の基盤を金融資本主義が壊してしまったのです。

 加えて、公害が地球規模に拡大し温暖化を生み出し、記録を次々と塗り替える異常気象を惹起させ、将来の食料不足と水不足等から西欧文明に暗雲が漂っています。現実を考えれば分かりますが、西欧文明はあくまで人工都市の発展を中心にしています。従って、巨大都市が世界中に出現し、自然の豊かな田舎は寂れて行きます。その田舎に原子力発電所を建設し、発電した電気を都会に送り消費しています。その原子力発電所で放射性物質大量飛散事故を発生させ、自然の豊かな田舎をますます寂れさせました。人工都市しか発展できず、自然の豊かな田舎を衰退させる西欧文明は、原理的欠陥を内包しており寿命が短いのです。国連は、持続的経済成長を標榜していますが、都市と田舎が均衡した経済成長でなければ持続的経済成長は実現できません。

 

 これからのリーダーの資質

 戦後の困窮期に朝鮮戦争が勃発し特需により一息ついた日本は、米国をモデルにした高度経済成長へと進みます。1990年のバブル崩壊まで日本は、程度の差こそあれ誰もが豊かになれました。このような順調な環境では、リーダーの出来不出来が国民の生活に影響を及ぼさないのです。そこでのリーダーは、万遍なく才能が発達した東大卒型の目立ちがり屋的人間が多かったのです。東大型才能を拠り所に、多少しゃべりが上手であるとかアイディアの改良ができるといった人間がリーダーになっていました。ところが、1990年のバブル崩壊以降、さらには2011年3月の東北関東大地震と福島第1原子力発電所の大事故以降、4章で述べたように近代的な生き方をしていては早晩どうにもならなくなるという、西欧文明の不安がだんだんと大きくなってきました。だからこそ、近代的な生き方でリーダーシップをとり、その線上で指導を続けているためますます近代社会の矛盾が大きく広がるのです。ゆえに、経済成長が続いていた時期のリーダー選びをしていては、日本がますます衰退の一途をたどります。

 新しい時代が到来しつつあります。ここは真の創造力、真のアイディアを持つ人間がリーダーになるべき時代です。リーダーとして、大きな可能性を秘めたアウトザイダーとしての資質が躍動する時代は、始まっています。歴史を遡れば南北朝時代から室町時代は、古い価値体系と秩序が崩壊した、創造性に富んだ乱世でありました。しかも、これらの時代は明治維新とちがって儒教風道徳やうるさい国体論や古代主義の強制もありません。この点は、南北朝時代から室町時代の社会とこれからの社会が似ています。

 リーダー選びである国政選挙における環境とは、有権者のことです。そのリーダーに求められる資質は、環境により異なってきます。有権者は、現在を歴史的にどのように見立てるかで候補者の選別が変わります。秀才はリーダーに適さないことを踏まえて、有権者は投票基準を変えなければなりません。まちがっても、マスコミの選挙情報には惑わされないことです。有権者は、西欧文明と異なる価値観を有すするアウトサイダー資質の候補者を探さねばなりません。そのためには、自分自身の文明の価値観を変えることと、社会を裏切るリーダーを選ばぬよう、しっかりと人物鑑定をしなければなりません。


あとがき

 1990年の年頭からの株式大暴落以降、日本社会は徐々に社会が停滞し始めました。社会停滞を打破するため、小泉元総理の時期は改革が叫ばれ、マスコミに煽られた国民は支持しましたが、その結果、米国の市場原理主義と金融資本主義が我が国に持ち込まれ、中間層が破壊され日本の良さである社会の流動性を失いつつあります。

 この当たりを考えるに、単なる経済敗戦ではなく、明治維新に輸入した西欧文明が1989年ベルリンの壁崩壊後共産圏に拡散し、世界中が西欧文明化したがため、西欧文明の暗黒面が世界中に現れてきたと考えられます。その西欧文明の中心をなす科学技術の象徴が、2011年3月の福島第1原子力発電所の放射性物質大量飛散事故なのです。巷間、この大事故に対して各方面の人が本を出版されていますが、西欧文明の暗黒面の露呈と見抜き、西欧文明からの決別を主張されている人は少数です。この度の東北関東大地震と福島第1原子力発電所の大事故は、我々の近代的な生き方が問われているのであり、従来の近代的生き方を前提条件とした議論をしても西欧文明を延命しているようなものであり、早晩どうにもならなくなるのです。

 西欧文明黎明期の人間は、個人としては死ぬが人類は栄えていくだろうということを、信仰に近いほど確信していました。しかし、現在ではそのような楽観主義にはなれません。ことによったら、あと150年ぐらいで・・・・・と個人の死を予感するようなかたちで、人類の滅亡が予感されるのです。ここは真の創造力、真のアイディアを持つ人間が活躍すべきなのです。歴史を遡れば南北朝時代から室町時代には、真の創造力、真のアイディアを持つ人間が活躍しました。我々は、新しい文明に向けて模索すべきであり、従来のようなマスコミに誘導された選挙投票をしていては、自分で自分の首をしめかねません。その理由は、マスコミのビジネスモデルに、社会を裏切る要因が内在しているからです。

 昔は、天変地異が発生すればリーダーと年号が代わりました。科学技術の発達した昨今では、天変地異とリーダーの因果関係なしと断じるでしょう。しかし、昔のリーダーは、天変地異を単なる偶然とせずに 「天が怒っている」 と考え、いい意味での責任感から辞任しました。幸いにも我が国は、民主主義です。国政選挙においてマスコミの情報に幻惑されることなく、自分の人物選別眼力または会田雄次氏の人物選別眼力で投票することが確かなリーダーを選択できると申し上げたいのです。つまり、マスコミが持ち上げるリーダーは、社会を裏切るのです。

 

                                                                                                                            2011年10月20日


参考文献

第1章 リーダーの出来不出来

 

第2章 リーダーの資質は環境と共に変化

  ・ 会田 雄次 著    日本人材論ー指導者の条件ー     講談社 

  ・ 渋田 駿 著    戦史に学べ    図書出版社 

 

第3章 日米のエリート教育

  ・ 佐々木 紀彦 著    米国製エリートは本当にすごいのか?    東洋経済新報社 

  ・ 会田 雄次 著    日本人材論ー指導者の条件ー     講談社 

 

第4章 原発事故後の世界

  ・ 安田 喜憲 編   文明の原理を問う   麗澤大学出版会  

 

第5章 リーダー選択論

  ・ 会田 雄次 著    日本人材論ー指導者の条件ー     講談社 

 

第6章 日本文化創造の時代

  ・ 会田 雄次 著    日本人材論ー指導者の条件ー     講談社 

  ・ 井沢元彦著   逆説の日本史 中世王権編  小学館文庫

  ・ 井沢元彦著   逆説の日本史 中世混沌編  小学館文庫

 

第7章 将来を見据えたリーダー選抜

 


この本の内容は以上です。


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