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まえがき

 2011年8月末に辞任した菅総理の次の総理大臣選びで、いつものようにマスコミが競馬新聞の予想記事ごとき報道をしました。と言うのも2010年9月の民主党代表を選ぶ段階では、マスコミが国会議員、地方議員、サポーターに菅さんを選ぶように巧妙に報道していました。代表戦の結果、菅さんは小沢さんに選挙で勝ちました。その前の2010年6月の参議院選では、菅代表の民主党は消費税増税を有権者に拒否され大敗しましたが、総理大臣をころころ変えるのは悪いことであるとのマスコミ報道があり、無責任な菅総理を続投させました。その結果、2009年9月の政権交代時のマニフェストと真逆の政治を続け、2011年3月に東北関東大地震が発生し、加えて、福島第1原子力発電所の1号機から4号機までの全号機が爆発を引き起こし、広島に投下された原子爆弾20個分の放射性物質を陸海空に飛散しました。その後の災害復旧の足取りは遅く、国会では政治家自身が災害復旧を遅くしているのではないかと思われる被災者不在の政治を続けています。そのため、東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授が、2011年7月27日衆議院厚生労働員会において、国の原発対応に満身怒りの名演説をしました。有権者は災害復旧の遅々とした足取りを感じ取るに至り、有権者は政治家というリーダー選びの重要さに気付いたのではないでしょうか。

 順風満風なら有権者もリーダー選びをあまり気にしないかもしれませんが、危機に対処しなければならならない時期では、リーダー選びは大げさに言えば生死を分けるのです。巷間言われているように、今は江戸末期以降三回目の危機に遭遇しています。一回目は1868年の明治維新前、二回目は1945年の大東亜戦争敗戦後、そして三回目が2011年の原発事故を含む地震の大災害です。一回目の危機では西欧というモデルがあり、二回目の危機では米国というモデルがありましたが、三回目の危機にはモデルがありません。東北関東大地震の被害は、1995年の阪神大震災の規模をはるかに上回っており、加えて、福島第1原子力発電所の放射性物質大量飛散事故が重なり、これまで行政が得意にしてきた前例踏襲手法が役立たなくなったのです。こういう時期こそ前例踏襲の行政に対する的確な指示が出来る政治家、つまりリーダーの出番であり、リーダーの能力が如実に表れるのです。

 この度の、東北関東大地震及び福島第1原子力発電所の放射性物質大量飛散事故に際して、阪神大震災と同様に海外メディアは被災者の冷静な行動や、災害に乗じての窃盗や暴動などが信じられないぐらい少なかったことが、やはり賞賛と驚きをもって伝えられました。 「非常時こそ人々の本性がそのまま現れるものだ。日本人の真の高貴さをみた」 という海外報道がたくさんありました。筆者も、悲しみを抱きしめて生きる被災者の姿に胸が熱くなりました。それに対して、政治家、霞ヶ関の官僚の前例踏襲行政は、右往左往するだけです。付け加えるなら、経済産業省原子力安全・保安院の広報を担当していた西山審議官が、週刊新潮に省内の美人職員との愛人スキャンダルを報じられ6月29日に更迭、肝心なところで病床に伏せる東京電力の清水社長等エリートの醜態をさらしました。リーダーもエリートも1995年の阪神大震災と比べ劣化しています。しかしながら、被災者というか庶民は、阪神大震災と比べ劣化しておりません。

 2011年8月末に民主党の代表選挙がおこなわれましたが、国会議員のみの選挙で野田代表に決まりました。国会議員にリーダーの素養があれば総理大臣になっても問題ないのですが、筆者は菅総理を始めとする歴代の総理大臣は、リーダーたるべき政治家として落第の評価です。有権者は、そもそも総理大臣以前の政治家としての見極めに失敗しているのです。マスコミなどの巧妙な誘導本願ではなく、自力本願でないとリーダー選びは成功しません。遅くとも2013年の9月までには衆議院選挙があり、その後も国政選挙が続きます。

 経済成長期のような順風満風の国内環境及び国際環境ならリーダーの資質は問題になりませんが、この度の国難ではリーダーの出来不出来が、国民の生命に直結します。原発事故後の世界では従来のリーダーが務まらず、新たな資質を有するリーダーを必要としています。つまり、求めるリーダーの資質は環境と共に変化するのです。筆者は、日米のエリート教育の相違から従来のリーダーの資質を論じました。筆者は、今後のリーダーに求める資質を歴史の中から見つけました。そのリーダーの資質は、社会を裏切らず、近代社会の行き詰まりを突破できる真の創造性にあります。筆者は、40年に亘る会社員勤めをし、人生を長く生きていることから 「亀の甲より年の功」 をわずかながら有しており、リーダーとエリートに対する考えをこの拙著でまとめました。


第1章 リーダーの出来不出来

 なでしこジャパンに学ぶ

 2011年7月18日、女子ワールドカップドイツ大会でなでしこジャパンは、PK戦のすえ米国を下し優勝しました。彼女たちのひたむきな姿に原発事故で右往左往の混乱を繰り返す政治に失望し、電力不足の不安に揺れる経済にため息をつき、沈鬱(ちんうつ)な雰囲気だった日本人は、大いに勇気をもらい希望をいだくことができました。なでしこジャパンの前評判は皆無であり、出発時の中部国際空港でのマスコミの取材人数からも頷けます。しかし、心中期するものがあったのでしょう女子ワールドカップドイツ大会では、各試合において女子サッカーのバルセロナと形容される華麗なパス回しで、身体とパワーで劣る部分を補いあくまでも組織力を重視した粘り強い守備と、積極果敢な攻撃から奇跡を実現しました。彼女たちが賞賛されるのは、プロ選手でも年俸が少なく、プロ選手でなければ仕事をしながらサッカーに打ち込み女子ワールドカップドイツ大会で優勝したことにあります。

 なでしこジャパン優勝後は、中間管理職がなでしこジャパンの佐々木則夫監督に学べとの言説が多いですが、筆者は異論を呈します。中間管理職学べの考えは、女子の部下を多く有する管理職に即しているとのことでしょうが、なでしこジャパンの選手はサッカー選手のエリートであり、国際試合を戦えるエリートですから、OLと一緒にしては彼女たちに失礼です。筆者は、政治家、キャリア官僚、会社経営者こそがなでしこジャパンに学べと言いたいです。佐々木監督を総理大臣にたとえれば、さしずめ澤選手は官房長官であり、宮間選手始め残りの選手は国務大臣にたとえられます。さらに付け加えるなら、コーチは公的審議会とみなせ、スタッフは各省庁からの選抜された総理大臣の秘書官にたとえられます。

 澤選手は佐々木監督によりボランチ(守備的MF)に配置換えされ、たぐいまれな能力が開花しました。その能力は、一つ目がピッチを俯瞰して見ているような視野の広さであり、二つ目が類まれな相手からの攻撃危機察知能力、三つ目が機を見るに敏な攻撃参加のタイミングを会得しており、四つ目が有名な 「苦しいときは私の背中を見て」 の統率力です。むろん佐々木監督は、澤選手を始めとする能力ある人材を選抜し、澤選手の配置換えを行うなどの適材適所を敢行し、なでしこジャパンを統率し、女子サッカーの将来を考え手を講じてきました。

 このように考えると、菅内閣のでたらめさ加減が明瞭になります。たとえば、民主党の代表でもありながら党内を統率できない人望なき人柄、小沢さんを政治と金で攻め立てたのにも係わらず、自身の外国人献金問題で東京地検に告発され、国会で献金返却の領収書提出を要求されても居直るなど総理大臣以前の国会議員としての能力に疑問符がつきます。そして、2011年8月末に自分の失政を隠すため民主党の代表選挙をしました。国会議員は代表選挙をしていただいてもかまいませんが、1年ほど前に民主党国会議員は無能な菅総理を選んだという、人を見る目がないことの話がなんらありません。人を見る目がなくて総理大臣選びを繰り返しても良くなることはありません。菅さんと小沢さんの二人の代表選挙において、マスコミは菅さんを応援しました。しかし、マスコミは菅総理の後継者選びに対して、前回の人を見る目がなかったことをなんら反省報道することなく、再び自分に都合よい代表選び報道をしています。ゆえにマスコミの総理大臣選び報道が、競馬新聞の予想記事ごとき内容と揶揄されるのです。

 

 リーダーの無能無策

 政治家としての能力は、危機のときに如実に現れます。東北関東大地震及び福島第1原子力発電所の放射性物質大量飛散事故に際しては、前例踏襲の行政では時間との勝負に対処した対応が出来ないからです。菅内閣の対応は、時間が経過するにつけおそまつな内容が次々と出てきております。その証拠が、公的には2011年5月24日の閣議により開催が決定された東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会から漏れてくる情報であり、便利なネットで発信される情報です。特に後者は、マスコミが編集できないから正確に理解できます。

 たとえば、2011年7月27日衆議院厚生労働員会において国の原発対応に満身怒りの名演説をした、東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授の発信情報です。放射能の規制に関する現行法は規制が多く、放射能の除去および運搬ができません。児玉教授らは法律違反を承知の上で、除染のため南相馬から放射性物質をドラム缶に入れて持ち帰っています。児玉教授はすぐに法律を変えるべきだと訴え、原子力災害対策本部長・菅直人宛に手紙を出したが、2011年8月16日現在まで何の返事もないとのことです。また、福島では総理大臣の命令で1700人の子供が放射線量の低い方から高い方に、1日100万円かけてスクールバスで移動させています。まずいと思って、やはり原子力災害対策本部長・菅直人宛に今度はメールしましたが、やはり何の返事もないとのことです。ネットでの盛り上がりに慌てたのか、菅総理大臣は、2011年8月15日に児玉教授に合って意見を聞き 「総合的な話し合いができてよかった」 と言う始末です。なでしこジャパンの試合中にコーチが佐々木監督に有益な意見を述べても、監督が無反応なら試合に負けてしまいます。児玉教授から原子力災害対策本部長・菅直人宛の意見が、結果的に無反応です。筆者は、手紙およびメールの内容が理解できないのか、しかるべき部署に指示できないのか理由はわかりませんが、リーダーは的確な判断ができないようです。筆者は、誰でも手紙およびメールの内容は理解できると思うのですが摩訶不思議です。ことほどさように、リーダーの能力は国全体あるいは組織全体に、大きな影響を与えています。

 菅総理大臣だけがリーダーとして無能なら民主党代表選挙は問題ないのですが、この度の民主党の代表選挙は、みんなの党の渡辺喜美代表に 「B級グルメコンテストといわれているが失礼だ。D級のコンテストだ」 とこき下ろされる始末です。それだけ、代表選候補者の人材が枯渇しているのであり、有権者は国政選挙における投票でリーダーを選ぶ目を養わなければならないことを意味しています。まちがっても、有権者はマスコミが情宣する候補者情報を鵜呑みにしないことです。現に、福島では児玉教授が指摘するように1700名の子供は、20年後にがんを発症するかもしれない危機にさらされているのです。さらに、国民は放射性物質に汚染された食料、水などをしらずしらずのうちに口にしているかもしれません。つまり、リーダーの出来不出来が国民の生命に直結するばかりでなく、瑞穂の国の国運をも衰退させ、同時に日本文明をも衰退させるのです。逆に、優秀なリーダーの佐々木監督と優秀なサッカーエリートの選手であればこそ、なでしこジャパンは運も見方につけることができ、女子ワールドカップドイツ大会に優勝できたのです。


第2章 リーダーの資質は環境と共に変化

 アーロン収容所での体験

 前章ではリーダーの重要性を述べましたが、そのリーダーに求められる資質は環境により異なってきます。会田雄次著 「アーロン収容所」 では、環境と共に交代するリーダー像を著者の貴重な経験から明晰に述べています。著者の会田雄次氏は、京都大学の大学院生であった昭和18年夏に、京都の歩兵連隊の二等兵として入隊しビルマ戦線に赴きました。ビルマでは英軍と全滅線を戦い、終戦後は二年間ラングーンの英軍の収容所で捕虜となり昭和22年に帰国されました。著者は、京都の歩兵連隊の最前線の最下級の兵士としてビルマで戦いました。2年間の戦いの後、昭和20年8月、ビルマ南端のジッタン河のほとりまで追い詰められ、そこで敗戦の昭和20年8月15日を迎えました。そのとき残っていた中隊の兵士は、新しく復帰して来た人を入れ17人~18人です。昭和19年に補充をうけ、総人数は300人近くであったから、10人にひとりも生き残らなかった過酷な戦争を体験しました。 「アーロン収容所」 は、戦争体験を基にリーダーたる資質は、時代や環境と共に変化することを述べており、以下に筆者が文章に手を入れ引用します。

 

  「アーロン収容所」 では、時期を第1期~第4期の4つに区分しています。第1期は、まさに砲弾が飛び交う最前線、毎日が死と隣り合わせにある緊迫した時期です。この時期のリーダー格は、Y兵長です。彼は激烈きわまる戦闘の中でも決して持ち場を離れず、死んだ戦友を放置しておくにしのびず、命がけで遺体から小指を切り取ってくる勇者でした。Y兵長のリーダーとしての資質は、死線下の極度の緊迫が支配する状況において神経がとぎすまされてくる資質です。砲爆撃、機銃掃射・・・・・私たち平凡人がそれによって度を失い、恐怖のあげく適切な判断を失っているとき、彼の神経は逆にとぎすまされ、素早い意思決定によって果敢な行動が出来るのです。

 第2期は、戦争末期の戦線を後退させてゆく過程、つまり逃走にともなう不安と恐怖が霧のように立ち込める戦いの時期です。この時期のリーダー格は、K伍長です。この時期は、戦闘自体としてはさほど激しいものではなかった。ただ命をまっとうするために逃げるだけである。とにかく次の攻撃準備をしている敵と対峙しており、いつ敵が向ってくるかわからない。いざとなっても慌てず、小敵なら撃退し、多数なら損害を受けぬように手早く退却するための手はずを整える資質です。K伍長は、第1期のY兵長のような 「戦場の勇士」 ではなく、何事も非常にきちんと着実に行うまじめな人物です。ふまじめな性格、おおざっぱな性格は一瞬の隙を作り命取りになりません。

 第3期は戦後、捕虜となり、きびしいしめつけのなかで英軍に対する恐怖が色濃くただよっていた初期の収容所です。第3期には、リーダーは出現しませんでした。捕虜になり、それぞれ恐怖と飢えにひしがれていたわけで、おそらく自分のことだけでせいいっぱいだったからです。英軍の支持があるとはいえ、旧軍隊の権威は急速に失われ、収容所内は一種の無政府状態でした。

 第4期は、捕虜生活にも慣れてかなりの自由をうまく使うようになった後期の収容所の生活です。帰国できないかもしれないという不安はあるものの、働いているかぎりにおいて殺されもせず、生命と生活が一応保証されているという状態です。朝は6時に起きて作業に行き、作業はきついが夜は自分の時間、土曜日には捕虜演芸などの娯楽を楽しみ、ときどきは俳句なんかもひねる、といった一般の生活に近い捕虜生活が訪れました。この時期のリーダー格は、I軍曹です。彼は自分たち15人の仲間が行う作業の引き当てに対して、作業隊の指揮官である将校に対し、これを叱咤激励して、より楽なよりもうかる作業のほうへと仲間を引っ張っていったのです。I軍曹の資質は、とにかく、押し出しもよくはったりもきき、弁も立ち、さぼることもうまく、収入に当たる缶詰などの泥棒も上手、つまり、彼の特徴は状況に対してきわめて柔軟に現実的に対処しうる能力ということになります。

 

 「アーロン収容所」 の著者は、時代と民族とによってリーダーとして要求される資質が違ってくることと、リーダーとなるべき人間は3タイプを含め、みんな平凡な正常社会の秩序の中で、そのどこかに位置しておれさえすれば、それに甘んじて生きがいを感じてゆけない資質であることを強調しています。

 

 失敗を認識できない組織

 第1期~第4期においては、軍隊ですから階級によるリーダーは存在しますが、実質は機能していないのです。特に第4期の 「アーロン収容所」 では、旧軍隊の階級序列で捕虜が統制されていましたが、I軍曹は英軍が認めている旧軍隊の階級・秩序をひっくりかえすことをせず、影の実力者としてのリーダーシップを発揮したのです。公的に認められた形式のリーダーでは組織の下位者が非常な困難に陥ると判断したとき、組織の下位者の中から環境に即したリーダーが生まれてくることを示唆しています。 しかし、旧軍隊のリーダーには職業軍人が配属されていましたが、階級秩序の権威と権力が消失すると、職業軍人の統率力のなさ及び現実を直視した柔軟な対応のなさを露呈しました。その職業軍人の中のエリートが参謀になっていましたが、米軍から頭の悪いエリートが参謀になっているのではと言われました。旧日本軍の参謀は、当時の帝国大学より難関の陸軍大学または海軍大学を優秀な成績を修めた人が務めていました。モリソン著  「太平洋戦争米海軍作戦史」 によれば、「日本軍の作戦計画立案者たちは、充分な兵力を配分するときは、いつでもきまってその兵力を分散して工夫の凝りすぎた計画を立案するのが常でした。その計画を首尾よく遂行するには、あらゆる国の海軍のあらゆる時代を通じてもめったに見られないような戦術的能力を要するのです。またそれは、あたかも敵軍がその演ずるであろうと予期された役割を、唯々諾々と無抵抗で容認することが、その成功の条件であった」 と述べています。これとよく似た言説が 「兵士は優秀だが将校は無能」 という帝国陸海軍の組織の致命的欠陥です。

 真珠湾攻撃のときには、連合艦隊が可能な限りの空母を海軍軍令部(=参謀本部)の反対運動を押し切ってまでもひとつの作戦に投入しました。その後の海軍軍令部の立案した作戦は、世界海戦史上はじめての空母対空母のサンゴ海海戦、情報軽視とリーダーの重大な判断誤りのミッドウェー海戦、両軍の空母同士の航空決戦の中部太平洋マリアナ沖海戦、空前絶後の規模のレイテ湾海戦と、すべて失敗に終わりました。参謀本部が企画する作戦は、常に兵力の分散、複雑な行動を伴い、しかもこうした行動に不可欠な通信連絡手段を欠き、かつ相手の状況を知る努力を怠たる一貫した顕著な思考がありました。ちなみに、レイテ湾海戦はレイテ湾に上陸した米軍をたたいて、なんとか最後の戦局の転機を作ろうとした作戦で海戦区域は南北2000km、面積は日本列島の3倍に及び、両軍の参加艦艇数はそれぞれ数十隻に及びました。特に帝国海軍は、4つの艦隊に分け4方向からレイテ湾に進む作戦です。このような計画の成功は、一に通信機能の完全性にかかっていることは言うまでもありませんが、貧弱な通信機能しか持ち合わせておりません。帝国海軍の参謀は、作戦失敗を認めないため常に同じ作戦を立案するのです。

 筆者は、これと同類の出来事が今も生じていると考えています。それは円高になると常に円売りドル買いの作戦です。1971年8月15日、米国のニクソン大統領は自国のドル流失を防ぐため、ドルと金の交換停止を発表し、1971年12月に通貨の多国間調整(金1オンス=35ドル→38ドル、1ドル=360円→306円に切り上げ)と固定相場制の維持が確認されました。この体制は長続きせず、1973年2~3月に日本を含む先進各国は相次いで変動相場制に切り替えました。これ以降円高になるたびに、財務省が大蔵省と称していた時代から円売りドル買いを行ってきました。財務省には、東京大学の法学部を優秀な成績で卒業したエリートが入省しています。しかし、2011年10月になっても、円高対策作戦が効果のない円売りドル買いです。米財務省が2010年2月16日発表した2009年12月の国際資本統計によると、同月末時点の日本の米国債保有高は、前月の7573億ドル(約68兆4000億円)から7688億ドル(約69兆4000億円)に増加しました。過去には1ドル150円とかで為替介入していますから、1ドル80円以下の現状では大幅な損失です。市場関係者によると、過去数年間で40兆円もの為替損失を出しているのです。

 財務省は、永久に米国債を塩漬けにするのでしょうか。変動相場制になってから約40年になろうとしていますが、財務省は円高対策の失敗を認めず作戦変更がありません。ひょっとしたら円高対策の失敗を口にこそ出しませんが失敗と認めていたとしても、日本のエリートにありがちな創造力欠如のため、有効な円高対策を考案できません。まさしく財務省を始めとする省庁は、帝国陸海軍の参謀本部と同じ組織の致命的欠陥を宿し、同じ失敗を繰り返しています。


第3章 日米のエリート教育

 戦前のエリート選抜

 江戸時代末期に我が国は、西欧列強の強圧的態度により開国要求を受け入れ、植民地にはならぬ心意気で明治維新を実現し富国強兵に邁進しました。そのため、軍人は明治維新当初から権力を有していました。明治維新を成し遂げた主力の薩摩藩及び長州藩から多くのエリートを出して、1905年(明治38年)の日露戦争を勝利しました。しかし、日露戦争後に大学卒業のエリートがリーダーになってくる頃から、軍人が夜郎自大になり、1932年(昭和7年)の海軍軍縮条約に不満を持つ陸海軍青年将校の5・15事件、1936年(昭和11年)陸軍 「皇道派」 の青年将校による政治的意図を持ったクーデターなる2・26事件を相次いで引き起こしました。この2・26事件後陸軍 「統制派」 による軍部独裁へと進んだがため、できる限りの抵抗を試みる人の努力もむなしく、マスコミに煽られた国民は最終的に大東亜戦争へと突き進みました。

 日露戦争後に陸海軍大学卒業のエリートがリーダーになる場合、大学卒業時の卒業成績によりあらかじめ最終階級が決まっているのです。有名なのは、海軍の将校人事が悪名高いハンモックナンバーと称する海軍大学の成績順位で決まります。出世するには陸軍大学または海軍大学卒業でないと駄目で、陸軍大学または海軍大学を1、2番で卒業した人は大将になれる。3、4番は大佐になれる、というエリート選抜システムにしてしまったのです。そのシステムとは、戦争という軍人の器量の実証の場がなくなったことから起こった、学校成績決定主義と減点主義です。この秀才が参謀になり作戦をたてますが、第二次世界大戦の英米軍から  「日本軍はどうしてこう愚かなのか。その中でもっとも頭の悪いのが参謀になっている」 といわれた存在になりました。

 

 戦後のエリート選抜

 戦後の日本は、世界屈指の経済大国であると自他共に認めています。確かに、国民の頑張った結果が、日本の技術力や経営力の成果であると考えられます。しかし日本の経済的繁栄は、米ソ両大国が資本主義あるいは共産主義という大義名分を掲げて、世界を二分した結果が大きく影響しています。それは、米ソ両国がそれぞれの勢力圏を拡大するために、軍拡競争を繰り返していました。資本主義のショーウィンドウとしての地理的場所に位置していた日本は、経済発展を至上目標とし、米国から技術導入し国民エネルギーをそれに集中させることができました。しかし、1989年11月のベルリンの壁崩壊による共産主義の退潮により軍拡競争が弱まりました。くしくも、翌年の年頭に日本経済は、バブルが崩壊し、以降失われた○○年と形容される経済敗戦を続けています。その間に東西ドイツは統一され、1993年の欧州連合発足と東欧の欧州連合加盟、中国の一国二制度なる資本主義経済の導入等国際環境が変化しました。このように国際環境が変化している中では、目先の政治的戦術や経済指標などに一喜一憂するのではなく、将来の国際動向を想定し、最善の選択とその実現に向わなければなりません。しかし、昨今のリーダーとエリートに筆者は不安を覚えます。

 戦後は徴兵制がなくなり、陸軍大学とか海軍大学もなくなりましたが、代わって東京大学を頂点とする入試偏差値によるエリート大学が幅を効かしました。エリート大学の法学部卒業のエリートは、国家公務員試験の上級甲種またはI種(旧外務I種を含む)に合格し、幹部候補生として中央省庁に採用されます。そして、若いときから一生懸命に働き、課長までは全員昇進しますが、以降同期の幹部候補同士の競争が行われ部長で退官し天下り、局長で退官し天下り、事務次官になり天下りをします。この弊害は、1976年(昭和51年)頃から指摘されていますが改革されることはありません。天下りの禁止と定年延長などの議論は近年されていますが、焦点がボケているようです。なぜなら、職位が上がるにつれて必要度が増す創造力や応用力がまったく加味されず、大学の卒業成績が出世を左右しているからです。それゆえ、大臣自らが省庁の幹部職員の昇進と降格ができず、創造力や応用力を有するキャリア官僚の適材適所人事の弊害を生んでおり、引いては日本の衰退を生んでいるのです。

 形式上の人事権は大臣にありますが、実質は各省庁の官房部署で人事案を作成します。その象徴例が、2011年8月に東京電力福島第1原子力発電所事故や、原子力関連シンポジウムを巡る 「やらせ」 への批判から経済産業省の事務次官と資源エネルギー庁長官、原子力安全・保安院長が更迭されましたが、後任人事は省内順送りの顔ぶれが並び、 「人事刷新」 とは言い難いとマスコミに書かれる始末です。さらに、更迭であるにも係わらず、3幹部の退職金は 「国家公務員退職手当法」 で定められており、今回の退任は本人の希望ではなく 「組織上の都合」 にあたるため、定年前の 「早期勧奨退職」 を適用され、自己都合での退職と比べ1千万円以上も多く支払われる見込みです。要は政治家が、あらかじめ更迭時の 「国家公務員退職手当法」 を制定しなかった失敗が露呈しているのです。筆者はリーダーの信賞必罰が、エリートの適材適所につながると考えます。きわめつけが、リーダーたる大臣が原子力政策及び原子力災害に関する決定をしてきたエリートを信賞必罰することなく、今までの失敗に責任を持つ人が、これからの政策を決めています。戦前における参謀が、作戦を失敗してもこりずに新たな作戦を立案する構造と全く同じです。いずれにしても、東京大学を頂点とする入試偏差値によるエリート大学の卒業成績が戦前と同様にエリート出世の基準になっています。

 

 日米のエリート教育比較

 日本のエリート選抜について論じましたが、日本のエリート選抜の特徴を資本主義本山である米国と比較し浮き彫りにします。日米いずれも、学歴を積み上げて、よい成績を取り卒業し、収入のよい仕事につく考えは似ていますが、内実は相当に異なります。

 一つ目は、日本なら受かると思えば誰もがエリート大学を受験しますが、米国は英国の階級社会の流れを受け、ワスプ*1→ホワイト・カトリック→ユダヤ人→黄色人種→黒人の階級社会のためエリート大学にはワスプ階級が多いです。もちろん能力あるユダヤ人は、エリート大学に入学し個人で勝負できる職業を選択していますから、ワスプ以外の階層の人も入学しています。そして、こうした5つの階層間には原則として真の交流はなく、社会階級が固定しているため貧富の差が大きくなるのです。日本は、明治時代に伯爵、公爵等貴族の称号を有した階級はありましたが、戦後は小作人もなくなり名実共に平等となり、士農工商のような身分差別はもとより階級社会もなくなりました。ゆえに、誰でも偏差値が高ければエリート大学に入学でき、国民全体が上昇志向にあるのです。米国を 「雇用の流動化」 で賞賛しますが階級社会間の流動性はなく、日本は 「雇用の流動化」 が米国より低いですが、国民全体は上昇志向できるので社会の流動性があります。社会の流動性を端的に言い表せば、 「唐様で書く三代目」 になります。

 *1:ワスプ(Wasp)とはW=ホワイト、A=アングロ、S=サクソン、P=プロテスタントの意味であり、

    アメリカ国民の48%を占める基幹階層です。(会田雄次著 「日本人材論」 より)

 二つ目は、大学の授業における読書量の違いがあります。スタンフォード大学の院生として政経学部に2年間留学した佐々木紀彦著 「米国製エリートは本当にすごいのか?」 を参考にします。スタンフォード大学は、秋、冬、春の3学期制で、各期の長さは10週間です。各期にだいたい4つの授業を選択しますので、1年間の授業は、3学期(30週間) × 4 = 120週間になります。学部生はそれを4年間繰り返すので、合計の授業数は480週間になります。授業1回当たりの読書量を200ページの本1冊とすると、最低でも480冊(96000ページ)を読破することになります。しかも課題図書は、硬い本ですから相当頭を酷使します。筆者は大学を卒業していないので、日本のエリート大学の読書量は不明ですが、大きな差が社会に出てから付くのではないでしょうか。

 三つ目は、同じく佐々木紀彦著 「米国製エリートは本当にすごいのか?」 によれば、歴史教育を重視しています。筆者は、この話に同意します。大東亜戦争の敗因はたくさんありますが、そのひとつがエリート参謀の戦略立案能力の低さです。戦術作戦は得意なのですが戦略立案が不得意なのです。 「戦略の失敗は戦術で取り戻せない」 ことわざ通り、戦略を実現する手段が戦術であり戦略は重要なのです。戦略は戦争時に必要なだけでなく、国家の生きる方向を考えるのも戦略なのです。そして、国家戦略という大きな物語を生み出す土壌が歴史の深く幅広い教養なのです。

 この歴史の観点は、へーゲルの 「精神現象学」 の中心となる弁証法的思想から、時間を循環的即発展的に考えるようになりました。循環的即発展的時間とは、比喩を用いれば螺旋的なのです。螺旋ですからぐるっと廻っているときは循環的ですが、ただ同じところを回帰的に廻っているのではありません。ひと廻りしても同じ場所に戻るのではなく、向上発展した位置に戻るのです。ですから、歴史は繰り返すのであり、情報の宝庫と見做せます。過去の歴史を振り返り、現状入手できる公刊情報を分析し、歴史の知見を加えて総合し、判断を加えて新たに物語りを組み立てることにより戦略にするのです。キャリア官僚では法学部卒業生が幅を効かしているため、歴史を踏まえた情報加工を軽視しているのでしょう。

 四つ目は、同じく佐々木紀彦著 「米国製エリートは本当にすごいのか?」 によれば、日本の大学ではキャリア官僚の就職に有利な法学部が人気一番ですが、米国の大学は学部に法学部がなく経済学部が一番人気です。米国は大学院に相当するロースクールで法学を学びます。このような制度の違いがあり、日米の大学の人気学部は異なるようです。経済学部が人気の米国は、1975年頃から国際収支の赤字で苦しみだし、その後年々国際収支が悪化し、2007年には年間8000億ドルの赤字に及んでいるのは不思議です。


第4章 原発事故後の世界

 新たな環境の出現

 第2章でリーダーの資質は環境と共に変化することを述べましたが、逆に言えば環境に合致する資質を有するリーダーを選ばなければなりません。2011年3月に東北関東大地震が発生し、加えて、福島第1原力発電所の大事故が併せて発生しました。これを評して巷間では、明治維新、大東亜戦争敗戦に匹敵する三度目の国難と称しています。その通りですが、 「アーロン収容所」 における第1期~第4期のいずれに合致しているのか、あるいは新たな環境なのかを検討します。

 すると、誰もが推定するのは福島第1原力発電所の大事故が勃発した当初は、まさに砲弾が飛び交う最前線、毎日が死と隣り合わせにある緊迫した時期に匹敵します。原子力発電所からの大量放射性物質の爆発的飛散が減少した現在は、何十年にも亘る放射性物質に対して向きあいつつ、広範囲な大地震からの復興を行わなければなりません。丁度、戦争末期の戦線を後退させてゆく過程、つまり逃走にともなう不安と恐怖が霧のように立ち込める戦いの時期に匹敵します。更に、震災からの復興といっても、大東亜戦争敗戦の復興は米国をモデルにすればよかったのですが、この度の復興はモデルがないのです。そのためか、緊急災害対策本部、被害者生活支援特別対策本部、被害者生活支援各府省連絡会議、被災地の復旧検討会議、災害廃棄物処理の法的問題検討会議、原子力災害対策本部、原子力被災者生活支援チーム、福島原発事故対策統合本部、原子力発電による経済被害対応本部、電力需給緊急対策本部、復興構想会議、復興実施本部(仮称)等々、数十にも及ぶ会議を乱立させてしまいました。政府の災害復旧の掛け声は勇ましいですが、民間の有効な災害復旧及び災害援助が少しづつ効果を発揮し、遅れて行政の災害支援がなされているのが現状です。少しずつ、震災復興は進むでしょうが、旧態依然とした震災復旧になりそうです。

 政府は復興モデルが外国になくて四苦八苦していますが、先進社会に位置したという単純な理由ではなく、この近代社会を推し進めてきた近代文明の原理の欠陥が露呈し行き詰りつつあり、新たな文明原理を見出せず四苦八苦しているのではないでしょうか。この文明の危機が、 「アーロン収容所」 にはない新たな環境ではないでしょうか。この度の大地震は1000年に一度の規模と言われていますが、その結果数十にも及ぶ開店休業状態の会議を乱立させないと、近代日本が崩壊するのではという危機が感じられます。つまり、旧態依然とした復興モデルは描けるが、新たな文明原理に基づく復興モデルは描けないのです。

 ここで近代文明の危機について説明します。はるか昔の縄文文明は、紀元前300年頃まで約1万年続き、その文明の形態は稲作漁撈として江戸時代まで続きました。その間に1000年に一度の大地震は10数回に及んだことでしょう。それでも縄文文明は持続できたのでした。地震に強い国づくりが叫ばれていますが、縄文文明はすでに実現していたのです。当然、今と違い人口密度は低いですから有利だったかもしれません。しかし、逆に伝染病とかおそろしい災害があり、対処する科学技術もなく人間の寿命は短いです。それでも、縄文文明は紀元前300年頃まで約1万年続き、その生きとし生けるものの命を畏敬する精神は、現在まで連綿と受け継がれています。長く持続する文明は、文明原理が優れているのです。

 近代社会を推し進めている西欧文明は、思想的に1600年代のフランシス・ベーコン、ガリレオ・ガリレイ、ルネ・デカルトからで、実質1765年のワットの蒸気機関の発明による産業革命が端緒です。その西欧文明は、1992年の国連地球サミットでは、 「持続可能な発展」 を中心的な考え方として議論され、いまでは各国で持続可能な経済成長を模索しています。近代社会は資本主義でもあり、一神教を信奉する米国は露骨に市場原理主義と金融資本主義を世界中に布教しています。西欧文明は、効率的に資源を収穫し物質的に豊かな富裕階級を維持することを目的にするように変貌しましたから、持続可能な平等な経済成長は実現できません。縄文文明は食料、住居など生存に不可欠な資源は平等を旨としており、争いを少なくする原理を基にしていましたが、近代社会は無生物および動植物などの資源を無尽蔵に効率よく収穫しており、競争しなければ金持ちになれない社会にしました。その結果、地球規模の公害を生み出し競争に負けるが勝ちをできななくしてしまい解決不可能に陥りました。人は皆程度の差こそあれ自助努力をしますが、運不運の加担が自助努力よりも大きく影響するため社会は不平等にならざるを得ないのです。金持ちになれないのは、簡単に自助努力不足と片付けてしまう西欧文明の思想的欠陥が社会に悪影響を及ぼし、近代社会の維持が困難になったのです。

 

 求められるリーダーの資質

 このように考えると、原発事故後のリーダーに突きつけられている環境は、大量の放射性物質の飛散による農水産物の放射能汚染による将来への漠たる不安と西欧文明をモデルにできない漠たる不安が、霧のように立ち込めていると言えるのではないでしょうか。つまり、今のリーダーには二つの環境が出現しており、二つの資質が求められています。一つ目は、大量の放射性物質の飛散による農水産物の放射能汚染による将来への漠たる不安に対処できる資質は、 「アーロン収容所」 の第2期である戦争末期の戦線を後退させてゆく過程、つまり逃走にともなう不安と恐怖が霧のように立ち込める戦いの時期と同類ですから、過去を参考にすると 「何事も非常にきちんと着実に行うまじめな資質」 です。二つ目は 「アーロン収容所」 にもない新たな環境であり求められる資質は、リーダーとエリートには 「西欧文明でない文明原理に基づく社会モデルを創造できる資質」 なのです。つまり、この度の危機にはふたつの資質が求められているのです。

 ひとりのリーダーにふたつの資質を求める願望はかなわず、組織にふたつの資質を有するようにしなければなりません。そもそも、このような資質を有するリーダーを選択しているかが有権者に問われています。災害発生から8ヶ月経過しましたが、政府の災害復旧の掛け声は勇ましいですが、民間の有効な災害援助が少しづつ効果を発揮し、遅れて行政の災害支援がなされているのが現状です。震災復興モデルは、復興構想会議で議論されていますが、財務省主導の増税が話題になるようでは従来の復興モデルの域を出ません。そもそも、復興構想会議の議長である総理大臣に、西欧文明でない文明原理に基づく社会モデルを創造する発想がありません。リーダーとエリートは、大学時代の秀才教育とその後の前例踏襲行政に染まり創造力を発想する訓練をこれまで行なってこなかったために、この度の危機にどのように対処してよいかわからないのです。マスコミは、2011年9月に組閣した野田新内閣は、あたかも復興を円滑に進めるかごときご祝儀報道をしていますが、新内閣が組閣されるといつものように持ち上げる報道をするので惑わされないようにしなければなりません。



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