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第一章


  ☆☆☆☆

 

 青い空。
 白い雲。
 まぶしーい太陽。
 ありがたいことに、すっごくいい天気。
 古ぼけた電信柱に、張り巡らされた電線。
 いつもの見慣れた景色だって、なんだかちょっと違って見える。
 車のエンジン音も、スズメのさえずる声も、風の音さえ新鮮に聞こえる。
 気分が新鮮っていうのは、感じるすべてを新鮮にしてくれるもんだねー。
 おニューの制服がパリッとしてて気分がいい。
 でもって、鞄も靴も新しい革の匂い。
 私は一人、玄関を出て空を見上げていた。
 今日から憧れの高校生活がスタートする。
 入学式の記念すべき朝ですよ。新しい第一歩ですよ。
 私は大きく深呼吸をして足を踏み出した。
 ふわっと暖かい春の風が吹き抜けていく。
 どこから舞ってきたのか、桜の花びらが数枚、視界を横ぎって飛んでいく。
 やっぱり入学式といえば桜でしょ。
 ちょっとしたことで、私の気持ちはさらに高揚する。
 足取りも軽く、庭を横切る。
 花壇には春らしい花々が咲き乱れている。
 今年も赤いチューリップがキレイに咲いたね。
 私は花壇の前で一人笑みを浮かべた。
 ガーデニングってほどじゃないけど、こまめに手入れをしてきたんだもん。
 花が開いたときが一番うれしいよね。
 花壇を眺めながら庭を横切り、私は門の外へ。
「おはようございます」
 すると。
 門から私が出てくるのを待っていたように、誰かが声をかけてきた。
 んー、誰だろう?
 私は声の主を捜して辺りを見渡す。
 せわしなく歩き去る人の多い中、立ち止まったまま手を振っている人物がいる。
 ……あれは。
「あ。おはようございます、土方さん」
 私は一呼吸おいて言った。
「お元気そうでなによりです」
 私の方へ歩み寄り、土方さんはにっこりと微笑む。
 この人は土方さん。
 お父さんの開いている剣道場の門弟さんの一人。
 そう、私の家はおじいちゃんの代から剣道場を営んでいる。
 元々おじいちゃんの趣味が高じて始めた剣道場だから、こぢんまりとした道場だ。
 私も小さい頃から、よく遊びに行ったりしている。
 別に剣道を習っているわけじゃない。
 私ってば、その、なんというか。
 いわゆる運痴だから、見る専門っていうのかな。
 自分でできなくても、門弟さんたちが稽古に励む姿を見るのは気持ちがいい。
 師範の娘という立場もあるし、見学のついでに差し入れをするときもある。
 みんな稽古で疲れていてお腹が空いてるから、食べっぷりがすごいんだよね。
 あとは掃除を手伝ったりとか。
 まぁ、雑用係?
 とと。
 話が逸れちゃったかな。
 要するに土方さんは、顔見知りの人ということだ。
 そして。
 私が今日から通うことになる高校の、一つ上の先輩でもある。
 部活は当然剣道部。
 現在副部長で、今年は確実に部長になると噂されている。
 成績は学年でいつも一桁。
 生徒会役員も務め、先生たちからの信頼も厚い。
 その上、背も高くて細身ながら筋肉質。
 黒いさらさらの髪がトレードマークのいわゆるイケメン?
 唯一欠点といえるのは視力の悪さくらい。
 日常生活で眼鏡が手放せないほど悪いらしい。
 けれど眼鏡男子が人気の昨今、あまりマイナス評価につながることはない。
 なーんて。
 全部、他の門弟さんたちの受け売り。
 私自身は挨拶を交わすくらいで、あまりよくは知らないんだ。
「今日から同じ高校ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 土方さんが軽く頭を下げたのに合わせて、私もぺこりと頭を下げた。
 目的地が同じなので、私たちは自然と並んで歩き始める。
 ウチの学校は学区内では中の上くらい。
 私の成績ではぎりぎりの圏内だ。
 ちょっと大変だったけど、私にしては猛勉強して受験した。
 理由は単純。
 家から近くて、歩いて通えるから。
 いや、まぁ。それだけじゃない。
 我が家はお父さんも、そしてお母さんも、この高校を卒業している。
 ついでにいえば、お父さんとお母さんは同級生で、つきあい始めたのは高校時代。
 そんな我が家とは縁のある高校なので、ずっとここに入りたいと思ってたんだよね。
 だから去年。
 土方さんが入学したって聞いたときは、正直すごく驚いた。
 土方さんの成績なら、もっと頭のいい私立高校にも余裕で入れたはずなのにって。
 後で剣道部が強い高校だと知って、妙に納得したのを覚えてる。
 ……実は。
 大きな声では言えないけれど。
 土方さんのことが気になるときがある。
 だってねぇ。
 私も女の子だし。
 土方さんが中学生になったくらいだったかなぁ。
 急に身長が伸びて。
 男らしくなって……格好良く見えるようになって。
 初めて男の人っていうのを意識した。
 話はあまりしたことがない。
 道場で稽古をしているところを、たまに遠くから見ているだけ。
 たったそれだけなんだけど。
 女の子なら気にならないはずがない。
 とても魅力的な男の人だと思う。
 でも同時に。
 土方さんは本気で好きになっちゃダメだ、とも思う。
 だって好きになっちゃったら、絶対に報われない恋だもん。
 完璧すぎる土方さんに、好きになってもらえる自信なんてない。
 もしも私が釣り合いがとれるほどの女の子なら……いやいや、ダメダメ。
 まず、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能な自分とか、想像もできない。
 道場で挨拶くらいはするけど、顔見知り以上でも以下でもない。
 たぶん土方さんにとって、私は道場の師範の娘。
 特別な存在でもなんでもないから。
「そういえば」
「は、はい。なななな、なんでしょう?」
 ちょっと意識すると話しかけられただけでどもってしまう。
 我ながら小心者すぎて嫌になる。
「今日は先代師範が道場に来られるそうですよ。大事な話があるとかで」
「……先代師範って、おじいちゃんが?」
 私はいぶかしげに尋ねた。
 聞き間違いかと思ったからだ。
 ずいぶんと長い間、聞いていない単語だった。
 どぎまぎしていた気持ちが、急に冷静になっていくのがわかる。
「そのように連絡をいただいています」
 土方さんもえらく神妙に答えた。
 道場の先代師範、私のおじいちゃん。
 今の師範はお父さん。
 でも私が小学生の頃はまだ、おじいちゃんが道場で教えていたはずだ。
 すごく強くて、すごく格好よかった……ような気がする。
 記憶の中で、逆光を背にしたシルエットしか浮かんでこない。
 私が中学に入る前あたりに、突然どこかへ行ってしまってそれっきり。
 どこで何をしているか、まったくわからない。
 お父さんは本当は事情を知っているのかもしれない。
 けれども私には何も教えてくれなかった。
 土方さんに聞いても何も言わない。
 家にも道場にも変な空気があったから、たぶん私だけが本当のことを知らないのだろう。
 そのおじいちゃんが来る?
 まさに「帰る」というより「来る」って感じ。
 実感がわかない。
 写真があるから姿を忘れてしまったわけじゃない。
 姿を消してしまっていた時間が長すぎて。
 雰囲気というかイメージというか。
 現実感のない存在になってしまってる。
 けっこうおじいちゃんっ子だったはずなんだけどなー。
「大事な話って道場関係の、でしょうか?」
 ふと話の内容が気になって、私は土方さんに尋ねた。
 ずっと家も道場も空けていて、今さら大事な話?
 なんだろう、いったい。
「私からは申し上げられません」
 うーん。
 土方さんは何か知っているのかもしれない。
 でも土方さんの様子だと、私が問い詰めたところで何も答えてくれそうにはない。
 おじいちゃんがいなくなった、あのときみたいだ。
「ただ」
「ただ?」
 土方さんが思い出したようにポンと手を叩いた。
「あなたも帰宅したら道場に来るようにと」
 なんですと! 
 そこ一番大事じゃないですか。
 どう考えても、私も関係のある話ってことだよね。
 なんでそれを最初に言わないのかなぁ。
 土方さんって意外と天然?
 思っていた人物像とは、ちょっと違う感じみたい。
 よく考えてみると、土方さんと二人っきりで話をするのは、初めてだった気がする。
 道場では、お父さんや門弟さんたちが一緒だもんね。
 二人っきりになることなんてない。
 厳密にいえば通学路だから、通行人がいるんだけど。
 道場でしか会えなかったときに比べれば、少しは距離が縮まったのかもしれない。
 毎日、会える機会も増えるかもしれない。
 同じ学校に通えてよかったと、私は単純にうれしくなった。
「では、私はこれで」
 気がつくと私たちはもう、学校の校門前に着いていた。
 土方さんはにこやかに一礼すると、二年生の校舎らしき方面へと歩いていく。
 校門にかかる紅白の幕と、風に吹かれて散る桜が鮮やかで。
 今日入学する新入生、私たちを祝福してくれているような気がする。
 せっかくの入学式だもの。
 きっといい一日になるよね。
 私は高校生活の三年間に思いを馳せ、ちょっとだけ目を閉じた。


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第二章


  ★★★★

 

 昇降口のドアをくぐり、彼女の視線を外れたところで私は大きく息を吐き出した。
 体中の力が抜け、思わず下駄箱に寄りかかってしまう。
 ……き、緊張した。
 もう一度、深い溜息を吐く。深呼吸をして動悸を落ち着かせようとする。
 できるだけ自然な感じを装って声をかけたが、不審に思われなかっただろうか。
 三十分も前から門の外で待っていたことを、気取られはしなかっただろうか。
 状況を思い返せば返すほど、あからさまに怪しかったのではないかと不安になる。
 いや。大丈夫なはずだ。
 私は自分に言い聞かせるように断言する。
 何日も前から最善の策をシミュレートしてきたではないか。万全だ。完璧だ。
 彼女の態度におかしな点はなかった。何も気付かれてはいないはずだ。
 ふと彼女の真新しい制服姿が脳裏に浮かんだ。
 予想以上に似合っていた。一目見たとき、正直惹きつけられた。
 ……かわいいと思った。
 同じ高校に通うことができる。
 どれだけこの日を待ち望んでいたことか。
 にもかかわらず、私の心の中は穏やかではなかった。
 待ちに待った念願の日だというのに。
 自らを縛り付ける枷がようやく外される日だというのに。
 この先起こるであろう、彼女の身に迫る危険を考えると素直には喜べない。
 それでもやはり、この日が来るのを心待ちにしていた自分がいるわけで。
 喜びと不安と、希望と絶望と。複雑な感情が交じり合い、最後に自己嫌悪が強く残る。
 自分にできることは何なのだろうか。
 自分に許されることは何なのだろうか。
 一人、自問自答する。
 否。今考えるだけ無駄だ。
 起きてしまったことに、全力を持って対処していくしかない。
 私は腹を決め、唇を真一文字に結んだ。
 自分はどうなってもいい。彼女だけは幸せになって欲しい。
 彼女が幸せであるのなら、自分も幸せであれるはずだ。
 そしてほんの少しでも長く、ほんの少しでも近く。
 彼女の側にいられれば、それで私は満足だ。


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第三章

 

  ☆☆☆☆

 

 入学式は思っていた以上に普通だった。
 校長先生が長い話をして。
 来賓の人が長い話をして。
 生徒会役員の土方さんが長い話をして。
 とにかく長い話をずっと聞いていた。
 ううん、後半はほとんど寝ていた。
 一番話が長かったのは土方さん。
 ごめんなさい。土方さん。
 壇上に上がって、「おぉ!」って思ったところまでは記憶にあるんだけど。
 内容が難しすぎたみたい。
 気がついたら隣の子が教室に戻ろうとしているところでした。
 ほとんどどころか、ぜんぜん聞いてないじゃん、私。
 さすがに少し罪悪感。
  ……とまぁ、私のことは置いといても。
 いたって普通の入学式だった。
 高校生になると、何かが変わると思っていたから。
 何も変わらなくて驚いた。
 中学校の入学式とまんま同じ。
 すごい既視感、というより事実。
 高校生になるってことに、夢を見すぎてたのかなぁ。
 あ、ひとつだけ。
 パッと見て、ものすごく変わったことがあった。
 それは、女の子の外見。
 ちょっと見渡しただけでもキレイな子がたくさん!
 私みたいにすっぴんの子なんて、ぜんぜんいない。
 みんな化粧ばっちり過ぎ。
 ウチの高校は校則が緩いから、毛染めも化粧も割とオッケーなんだよね。
 私はあんまりお化粧するのって好きじゃないけど。
 色つきリップくらい、してくればよかったと本気で後悔したもんだ。
 今日は入学式の日だから授業はない。
 早い人はもう教室を出ている。
 残っているのはおしゃべりに夢中な女子と、その品定めに熱心な男子。
 私はたぶん話題にすらなってない。
 ……きっと話題の中心はあの子だろうなぁ。
 かわいい子ぞろいのクラスメイトの中で、クラス中の目を惹いている子が一人いる。
 切れ長の目に細面。
 きりりとした存在感のある眉。
 身長はかなり高くてモデル並み。
 全体的に細めなのに、出るとこ出てて、引っ込むところ引っ込んでる。
 すごくメリハリの利いた身体。
 まさに「ボン・キュッ・ボン」。
 髪の毛もストレートで長い艶のある黒髪。
 腰の下くらいまであるのに、ぜんぜんもつれてない。
 「カラスの濡れ羽色」っていうのは、彼女の髪を表現するためにあるんだと思う。
 まつげもキレイに上を向いていて、意外に黒目がちな瞳は女の私が見ても魅力的。
 じっと見てると、吸い込まれてしまいそうだ。
 ほら。
 だんだん。
 吸い込まれていって。
 私の目の前に。
 すぐ目の前に。
 彼女の瞳が見えている。
 あれ? すぐ目の前?
 いつの間にか彼女が私に近づいてきていたらしい。
 ぜんぜん気がつかなかった。
 じっと見てたの、バレちゃったかな。
「なぁ」
 彼女が私の顔をのぞき込んで言った。
 ややハスキーな、女の子にしては低い声。
「お前、職員室ってどこだかわかる?」
「うん、わかるよ」
 私は即座に答えた。
 ずっと憧れてた高校だからね。
 文化祭には毎年通ってたから、校内の把握はばっちり。
 でも一年生の校舎からは少し離れてるんだよね。
 言葉で説明するのは難しいかなぁ。
 よーし。
「ちょっと遠いから、一緒に行ってあげるよ」
 ついでに友達になれたら、と期待してみたり。
 同じ中学出身の子は、けっこういるはずなんだけど。
 残念ながらウチのクラスには誰もいなかった。
 友達がいないとお弁当の時間とか、体育の時間とか寂しいし。
 些細なきっかけからでも、仲良くなれればありがたい。
「本当か? そりゃ助かる。悪いな」
「いえいえ。困ったときは、おたがい様」
 私は笑顔で答え、彼女と一緒に教室を出て職員室方面へ向かった。
 こうして並んで歩いてみると、彼女の背がとても高いのがよくわかる。
 背の低い私からだと、彼女の顔は見上げる位置にあるくらいだ。
 私はつい彼女の顔を見つめてしまう。
 ホント美人。
「ん? 俺の顔に何かついてるか?」
「ううん、美人さんでうらやましいなぁーって」
「お前だって、かわいいじゃんか」
 お世辞でも社交辞令でも、褒められるのはうれしい。
「化粧してないとことか、すごくいいと思うぜ?」
「え? どうして?」
 私は反射的に聞き返してしまった。
 さっき化粧してこなかったのを後悔したばかりだったし。
 まさか褒められるとは思ってもなかったから。
「俺らくらいの年って一番肌がキレイなときじゃん? もったいないって、化粧するの」
 言われてみれば、彼女も化粧していないように見える。
 微妙にオッサンっぽい言葉も、彼女がしゃべると説得力があるように聞こえる。
「それにケバすぎるんだよなー、クラスの女連中とかさ」
 どうやら彼女は、あまり化粧が好きではないらしい。
 ふふ、仲間だ。急に親近感がわく。
 話し言葉といい、内容といい、外見に反して男の子みたいな人だ。
「ま、俺だって化粧水と乳液とか、唇荒れるからリップとかは使ってるけどな」
「基礎化粧だけでそんなに美人さんなんて、ホントにうらやましいよー」
 私はため息をついた。
 悲しいけど同じ人間とは思えない。
「お前はそのままでも十分かわいいよ」
「そ、そうかな?」
「あぁ。見た目だけじゃなくってな。俺、方向音痴だから困ってたんだよ。まさか一緒に来てくれるとは思わなかった。サンキュ!」
 彼女がにっこり微笑んだ。
 うわ。胸キュン。
 私が男の子だったらイチコロだったと思う。
 ……女の子でもドキドキしてる。
「ここが職員室だよ」
 そんなやりとりをしている内に、私たちは職員室前に着いていた。
「お、そっか。迷わないですんでよかったぜ」
 彼女が職員室の扉を開けようとする。
 ふと彼女は出しかけた手を引っ込めて、私の方に戻ってきた。
「礼を忘れるところだった」
 お礼なんていいのに。
 私が口を開こうとすると、それを遮るように彼女が手を伸ばした。
 そのまま彼女は、細くてしなやかな指で、私のあごを軽く掴む。
 あ、思っていた以上に柔らかくて温かい。
 そしてそっと引き寄せられ……おもむろにキスをされた。
「っ……?」
 え? 何?
 私、女の子にキスされちゃったの?
 学校で? 職員室の前で?
 というか、ファーストキスだったのに?
 ……たぶん。
 もしかしたら赤ちゃんの頃。
 お父さんやお母さんにキスされちゃってるかもだけど。
 そういうのじゃなくて。
 赤の他人にキスされたのなんて初めてだよ!
 しかも恋人でも何でもない。しかも女の子に。
「初めてだった?」
 彼女はうれしそうに微笑んでいる。
 読めない。展開がまったく読めない。
「お前気に入ったよ。よかったら俺の恋人にならないか?」
 えっと。
 女の子ですよね。私も女の子ですよね。
 私は状況が把握できず、わたわたと慌てている。
 じ、実は私の見間違いで男の子だったとか?
 無理矢理そう思おうとしてみる。
 目をゴシゴシ、じっと目の前にある顔を見直す。
 何度見ても、やっぱりキレイな女の子だ。
「ま、返事は今日じゃなくてもいいさ」
 彼女は踵を返すと手をひらひらさせながら、職員室へ入っていった。


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第四章


  ★★★★

 

 私が用事を終え職員室を出ようとしたときだった。ちょうど入り口から入ってきた女生徒と正面からぶつかった。
「おっと、ごめんよ」
 女生徒は男のように低い、けれどもどこか艶のある声で軽く謝る。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
 私も男として、女生徒よりも謝罪が遅れてしまったことを内心恥じながら、丁寧に謝る。
 ぶつかってしまった拍子にずれた眼鏡をかけ直し、私は女生徒に目線をやった。
 女生徒は女性にしてはかなり背が高く、顔は凛々しい整った顔立ちをしていた。
 女性に疎い私でも一目でわかる。多くの男たちにとって魅力的な姿をしていた。
 だが何故だろうか。
 どこか険のある表情。殺気とも思えるような張り詰めた空気。
 魅力的な姿に反して、気を許すことができない何かを感じる。
「……あんた、どこかで会ったっけ? それとも俺の顔になんか付いてる?」
 女生徒が不意に話しかけてきた。
 いけない。つい女生徒の姿を凝視してしまっていたようだ。
 私としたことが、見知らぬ他人になんと失礼なことを。
「いいえ、そういうわけではありません。失礼いたしました」
 私は先ほどよりも深々と頭を下げて、より丁寧に謝罪の言葉を述べた。
「変なヤツ。ま、どうでもいいけどなー」
 女生徒はそう言うと、一瞬私の顔をちらりと見て、その後すぐに職員室の奥へと歩いていった。長いさらさらの黒髪が揺れるのが印象的だった。
 今まで校内で見かけたことはない。新入生だろうか。
 私は記憶の糸を辿る。あれだけ目立つ外見ならば、一度見たら忘れはしないだろう。
 ……なぜ、こんなにも気になるのか。
 別に女生徒が私に対して何かしたわけでもないのに。
 女生徒が纏う雰囲気が、気配が。妙に気になる。
 疑問に思う私の耳に、下校を告げるチャイムの音が届いた。
 もうそんな時間か。マズイ。彼女が帰ってしまう前に合流しないと。
 今朝のように、自然に、さりげなく。
 あたかも偶然出会って、偶然帰宅が一緒になるように。
 彼女を一人にしないように。


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第五章


  ☆☆☆☆

 

 どっちかというと、普通すぎる幕開けだと思ってたんだけどなぁ。
 入学式が終わり、教室で自己紹介をして、お開きになって。
 そこまでは確かに、平々凡々な高校生活の始まりを感じていた。
 普通すぎてがっかりもしていた。
 だからって。
 普通じゃなさすぎるのもどうかと思う。
 彼女。本気なんだろうか。
 「恋人にならないか」なんて。
 女の子が、女の子を好きになることがあるのは知ってる。
 別にそういうのが悪いことだとは思わない。
 でも。
 自分が渦中の人になるとは、想像もしてなかったよ。
「はぁー……」
 私は思わずため息をついた。
「入学早々からため息ですか?」
「土方さん!」
 昇降口を出たところで、土方さんが手を振っていた。
 いつもいきなり現れるなぁ、この人は。
 意外に暇人だったりするのかな。
 道場ではたいてい稽古に集中していて、私語もなくて、基本無口で。
 こんなに普通にしゃべる人だなんて思わなかった。
 朝もそうだったけど、土方さんの方から話しかけてきてくれたもんね。
 たわいない出来事かもしれないけど、私にとっては大事な出来事。
「今日はこのまま道場によるので、帰り道ご一緒していいですか?」
 土方さんが言う。
 そうだった。
 衝撃的な事件があったから忘れてたよ。
 おじいちゃんが道場に来て、大事な話をするとか言ってたっけ。
 あぶないあぶない。
 ウチの道場は私の家のすぐ隣に建っている。
 私にとっては、家に帰ることと道場に行くことは、ほぼ同義だ。
 ましてや私も道場に来るように言われている今日。
 土方さんの申し出を断る理由はない。
 むしろ、ちょっとうれしい。
 私は、はいと答えて歩き出した。
「それで、ため息の理由は何なんですか?」
 並んで歩きながら土方さんが聞いてきた。
「うーん……」
「難しい顔をしていますね。言いにくいことですか?」
「言いにくいっていうか、自分でもよくわかってないっていうか……」
 さすがに「女の子に告白された」とは言えない。
 普通の恋愛相談なら、まだよかったんだけど。
 土方さん、モテそうだし、告白された経験はものすごく多そう。
 そういえば。
 こうして並んで歩いていると、恋人同士に見えたりするのかな。
 私はチラっと土方さんの顔を見た。
「どうかしましたか?」
 まぶしい。笑顔がまぶしすぎる。
 ダメだ。
 やっぱり土方さんとは釣り合いが取れない。
 恋人同士はないなぁ。
 せいぜいがんばって、似てない兄妹? それも苦しい。
 なんて残念な私。
 せめてあの子くらいの女の子だったら。
 土方さんとあの子。
 うわぁ、絵に描いたような美男美女カップルの出来上がり。
 妄想の翼が羽ばたいて本題からそれてしまった。
 とりあえず何か言わないと。
「たぶん土方さんにはわからない悩みです」
 私はかろうじて答えた。
 他に言いようがなかった。
「そうですか。お力になれずに申し訳ない」
 土方さんは本当にすまなそうな顔をしている。
 ちょっとした沈黙。二人の規則的な足音。
「では」
 不意に土方さんが口を開いた。
「一般的なアドバイスで恐縮ですが、先輩として貴方に一言贈りましょう」
「は、はぁ」
「しないでする後悔よりは、してする後悔の方がいいものです」
 一度、言葉を句切る。
「迷ったときは行動する。そうすれば必ず道は開けるものですよ」
 そして土方さんは誇らしげな顔で微笑んだ。
 間違ってない。
 それは間違ってないけど。
 むしろ正しい指針だけど。
 それに従うと、女の子と恋人同士になってしまいます!
 なんて言えるわけがなく、私はただ無言でうなずくことしか出来なかった。



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