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 誰かが自分の体を揺さぶるのを感じて目が覚めた。はっとして起き上がると、多佳子と麻衣が自分の顔を見て笑っていた。味噌汁の匂いがしてテーブルを見ると、朝食が用意されていた。
「なんだか麻衣がベッドを横取りしてしまったようで、どうもすいません。ぐっすり眠っていたようなので、勝手に朝食の準備なんかさせていただいたんですけど」
 洋二は覚めきらない頭でしばらくテーブルを見つめていたが、すぐに多佳子の方に向き直った。
「あ、いえ。すいません、今、何時ですか」
「今は六時を少し過ぎたところですけど。起こすのが遅かったですか」
 洋二は危うく寝坊をしたのかと思っていたが、まだそんな時間なのかと安心した。洋二は立ち上がって洗面所に向かうと、鏡を見た。そこには笑って自分を見つめている男が映っていた。
「何で笑ってんだ、俺は」
 洋二は勢いよく水を出すと、蛇口の下に頭を突っ込んだ。顔を洗って服を着替えると、三人で朝食を食べた。
「麻衣、きちんと謝っておきなさい」
 麻衣は口の中にご飯が入ったまま、洋二の方を向いた。
「うおめんなはい」
 多佳子が麻衣の頭をぱちんと叩いた。
「食べながらじゃないの」
 麻衣は自分の頭を撫でながら、口に入っていたものを飲み込むと、また洋二の方を向いた。
「ごめんなさい」
「まあいいよ。あれだけのベッドを独り占めしたんだから、ぐっすり眠れただろう」
 麻衣は笑っていた。食事が終わると麻衣は洋二の膝の上に乗ってきて、洋二の胸を叩いた。洋二が麻衣の額をぽんと叩くと、麻衣はバランスを失って倒れそうになった。洋二が腕を掴んで麻衣を引き戻すと、麻衣は「きゃはは」と笑って同じことを繰り返していた。多佳子は食器をキッチンに持っていくとそれらを洗っていた。
 そろそろ出勤の時間になっていた。洋二が出かける準備を始めると、多佳子と麻衣も出る準備をしていた。洋二はこれでこの親子と会うことはもうないだろうと考えていた。
「これからどうするんですか」
 洋二は多佳子にそれを聞くべきかどうか悩んでいたが、ついに聞いてしまった。多佳子は動じる様子もなく、洋二の顔を笑顔で見つめた。
「そうですね、どうにかやっていきますよ」
 その表情には女としての、そして母親としての凄味のようなものが表れていた。洋二はこの母親なら大丈夫だろうと思っていた。他人の財布を盗んでおいて、されに盗んだ相手の家に押しかけるくらいだから。そして、この母親の子である娘なら、どうにかやっていけるだろう。
 アパートを出ると、すぐ目の前がずっと空き地になっていたのだが、その雑草で埋め尽くされているところに、麻衣は駆けていった。草むらに体を埋めると、「わあ」と言って飛び出してきた。
「遊んでないで、さあ行くわよ」
 多佳子は麻衣の手を引こうとするとすぐに「ひゃあ」と言って飛びのいた。
「虫、虫が付いてるわよ」
 洋二がそばに近づくと、胸にとげの沢山付いた小さな茶色の物体がいくつか付いていた。
「ああ、オナモミですよ。植物の実です。虫ではありませんよ」
 洋二は麻衣のセーターから、オナモミの実を一つずつ取ってやると、麻衣も自分でそれを摘んだ。麻衣がそれをぽいと投げると、洋二のしていたマフラーにくっついた。麻衣は嬉しそうな顔をすると、また一つオナモミの実を摘んで洋二に投げた。洋二がそれをうまくかわすと、マフラーに付いていた実を取って麻衣に投げた。それが再び麻衣の胸元に付くと、麻衣は体を揺すってそれを落とそうとしたが、オナモミの実はいくら体を揺すっても落ちなかった。洋二はそれを取ってやると、草むらに放った。
「さあ、行きましょうか」
 洋二は麻衣の手を引いて、多佳子の方を向いた。三人は何も言わず、黙ったまま駅へと向かう道を歩いていた。あの全ての始まりであるポストを通りかかると、多佳子もちらりとそちらの方を見たようだった。洋二はこれを見て多佳子は何を思っているんだろうと考えていた。聞いてみたい気もしたが、黙ったまま通り過ぎていった。駅前まで来ると、多佳子は立ち止まった。
「それではここで」
 麻衣は洋二のそばにいたが、何かを察すると離れて多佳子のそばへ行った。
「あの、それでは」
 洋二は何か言いたいことが山のようにあったような気がしていたが、何も言えないまま、それが最後の言葉になった。多佳子は深く頭を下げると、麻衣にも頭を下げさせた。すぐに体の向きを変えると、二人はそのまま歩き始めた。洋二は二人の後ろ姿を、その場で立ちすくんだまま見つめていた。一度だけ麻衣が振り返って洋二の姿を見たが、立ち止まることなく消えていった。洋二は二人が見えなくなると、駅の中に入っていった。 

 電車の中はいつもと変わらず、人に溢れていた。洋二は気づかぬうちに、ここにいるはずのない多佳子と麻衣の姿を探していた。改札口でも、車内でも、女性や子供の姿を見つけると、つい気になってしまった。
「おう、どうした、顔色が悪いぞ。まだ財布のこと気にしてんのか」
 会社に着くと、相変わらず陽気な声で内田は洋二に挨拶をしてきた。
「いえ、それは大丈夫です。少し寝不足なもんで」
「寝不足だと、女でもできたんじゃねえだろうな」
 内田は笑いながらその場を去っていった。洋二は女と聞いて多佳子のことを思い出していた。その日は仕事をしていても、何か集中ができなかった。一日が恐ろしく長く感じた。
 残業を終えて会社を出ると、八時を過ぎていた。帰り道も洋二は多佳子と麻衣の姿を探していた。夕食をとるためにレストランに入ると、洋二の横のテーブルには三人の親子連れが笑いながら食事をしていた。幼い娘と母親が、父親の話に笑っていた。洋二はいつか自分が家族を持つ日のことを想像したが、想像の中の妻と娘には多佳子と麻衣の姿があった。あの家族のように洋二の話を笑いながら聞く二人の姿が頭に浮かんだ。洋二はふと、多佳子と麻衣が今夜も自分のアパートで待っているような気がした。洋二は食事を途中でやめると、レストランを出ていった。
 今にも走り出したい気持ちを抑えながら、早い歩調でアパートに向かっていった。アパートが見えると、洋二はもはや走り出していた。階段を駆け上がると角を曲がった。そこには昨夜と同じように二人が座っていた。先に麻衣が洋二のことに気が付くと、立ち上がって洋二のところに走ってきた。そして、洋二の足に抱きついてきた。洋二はその麻衣の頭を撫でてやった。
「寒かったろう。さあ中に入ろう」
 多佳子の方を見ると、もうすでに立ち上がっていた。その顔は涙に濡れていた。洋二は何も言わずに鍵を開けると、二人を中に入れた。中に入ると、麻衣は「あれ、あれ」と言いながら洋二の肩の方を指差した。洋二が自分の肩を見ると、そこには何もなかったが、手で肩から背中の方を探ると、ちくりとした感触があった。それを摘んでみると、オナモミの実だった。
「知らぬ間に付いていたんでしょう。ずっと付けたままだったのかしら」
 多佳子は赤い目で笑った。洋二はまるでお前たち親子みたいだよ、と言ってやりたかった。洋二はその実を見つめながら、この実から芽を出してみたいと思った。

終 

奥付



オナモミの親子


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著者 : N.O
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