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動物公園日和

 ズーはいいじゃないか。
 長年連れ添った女房と出向いた動物公園、俺は素直にそう思った。

 

 夫婦は子供に恵まれず、一匹のセキセイインコと静かな日々を送っていた。会社勤めをはじめてから一体何度目の盆休みだろうか。何処へ行くでもないが、盆休みの前後に有給休暇を加え、いつもより長い休みを取ることにした。
 「旅行でも行くんですか?」
 俺の休暇がそんなに珍しいのか、若い連中は口を揃えて聞いてくる。悪気がないのは分かっているが、予定などないことを知りながらわざと尋ねているのではないかと僻み根性がこみ上げる。皆が出勤しているのを余所にのんびりとしてみたかった。それだけのことだ。
 そんな休みに限って冴えない天気が続く。予報では盆休みの最終日(俺にとっては最終日の前日)から晴れ間が見え出すとのことだった。それにもかかわらず、
 「結局、今日も雨ですね」
 女房は茶を啜りながら呟いた。俺は新聞に目を通しながら「ああ」と応える。何処へも行かないにしろ雨には鬱々させられる。からりと空が晴れたなら、散歩がてら図書館に出向いて、雑誌でも捲ってから、その足で缶ビールを買って帰ろう。しかし、こんな天気に出歩くのは億劫だ。一日家で過ごした夜のビールも大して旨くない。
 「何処か行かれるんですかい?」
 お天道様にもからかわれているようだ。
 「明日は、晴れますよ」
 陰鬱な心持ちを察して女房は言う。
 「そんなこと言われんでも、こいつに書かれてある」
 俺は新聞の天気欄を指先で弾いた。
 「そうでしたか。それは余計なことを言いました」
 女房は五家宝を摘み、茶を啜る。続いて何を言うかと思えば、俺のささくれた心に追い討ちをかけてきた。
 「明日、何処かへ行かれるんですか?」
 俺は絶句して立ち上がる。そして、その場を立ち去ろうとした矢先、意外な言葉を繋いだ。
 「動物公園にでも行こうじゃありませんか」
 俺は阿呆のように口を半開きにして、女房を見下ろした。
 「そんなつもりで休みをとった訳ではない」
 「分かっていますよ。でも、いいじゃないですか」
 あいつは言い出したら聞かないところがある。インコを飼うとなった時もそうだ。どことなくあの時と近いものを感じる。動物とのふれあいは子供がいないことへの慰めなのだ。そう思うと何も言い返せない。いい歳をしてからおたふく風邪などにかかってしまったのは俺なのだ。
 「好きにすればいい」
 再び座り込むわけにもいかず、そう言い残して自室に籠もった。
 二人揃っての外出となれば、随分と久しぶりだ。お義母さんや足の悪い義姉さんの面倒を見ながら女房も大変な日々を過ごしていることだろう。ここらであいつの好きなように休日を過ごすのも悪くない。
 俺はコンピューターの電源を入れ、動物公園を検索した。都内だけでも思いのほか在るものだ。俺はその内容や所在地などから二つの選択肢に絞り込んだ。
 パンダをとるか、コアラをとるか。
 俺は女房の顔を思い浮かべる。円らな瞳、不恰好な鼻、小さな体、どれを取ってもパンダよりコアラのほうがお似合いだ。思わず鼻が笑う。そして、遠足前夜の少年さながらワクワクしはじめた。

 ふと思い立ち、押入れに頭を突っ込んだ。奥の方で眠っていたそれを引っ張り出して指先でほこりを拭う。ハァと息を吹きかけて着物の裾でレンズを磨いた。
 それは、父親から随分昔に譲り受けた双眼鏡だ。両の目にあてて窓の外を眺める。まだ使えそうだ。一緒に見つけた麦藁帽子も取り出し、それを被って双眼鏡を首から下げてみた。夏休みが何より待ち遠しかった少年の成れの果て。窓ガラスに映る姿に苦笑した。
 双眼鏡と麦藁帽子を押入れに戻そうとした時、部屋のふすまがノックされた。
 「ちょっと待て」
 言うと同時にふすまが開かれた。そして、女房は俺が手にしたものを見るなり、口元を緩めた。
 「あまりその気でなかったら止めにしようかと思いましたが、そうでもなさそうですね」
 俺は無言で両手にしていたものを押し入れへ放り込んだ。
 「あら、そんなことなさらずに」
 女房は小走りに歩み寄ると、押入から麦藁帽子を取り出して頭の上に乗せた。
 「あなたが要らないのなら、私がかぶります」
 「好きにすればいい」
 女房から目を逸らせば、コンピューター画面にコアラが映し出されていた。見れば見るほどよく似ている。俺は女房に向き直った。
 「明日はコアラの動物園に行くことにした」

 

 翌朝、俺は窓を眺めてため息をついた。雨天ではないにしろ、決していい天気とはいえなかった。下駄でも放って占っているか。まったく天気予報というものはあてにならない。
 女房は鼻歌交じりに弁当をこしらえている。今更、中止にするとは言えまい。たっぷりのミルクと砂糖を混ぜた珈琲を水筒に注ぎ、弁当を鞄に詰めると準備は整った。
 雨が降っていなければ傘は持たない。用心深い女房が傘を持ち、俺は水筒と鞄を抱え、家を出た。
 京王線・高尾山口行き。このまま高尾山まで行ってしまうのも悪くない。しかし、今日は女房の好きなようにすると決めたのだ。高幡不動で下車し、動物公園行きの専用車両に乗り換えた。
 盆休みは明けたというのに、小さなホームには我々と同じような格好の人々が多く見受けられた。学生諸君にとってはまだまだ夏休みなのだ。
 やがて動物公園行きの列車が現れた。その外装にはゾウやらキリンやらの絵が描かれており、なんとも子供じみた車両だ。ホームを見渡せば、青っ洟をたらした子連れや、若いカップルばかりではないか。俺は場違いなところに向かっているのではないかという不安を覚えた。
 「まぁ、かわいい」
 女房はその列車がお気に召したようだ。列車は緑一面の山際をすり抜け、あっという間に人気のない停車場へ滑り込んでいった。
 我先と飛び出す子供たちを見送り、シートから腰を上げた。動物公園を目の前にすると大きなゾウの像が待ち構えていた。ゾウのゾウ。厄介な代物だ。
 料金を払って門をくぐると、女房は真っ先にコアラが見たいと言い出した。
 「せっかくだから、疲れてしまう前に見ておくほうがいいだろう」
 「コアラに期待しながら、他の動物たちを見るのも失礼ですし」
 なるほど。それも道理だ。俺たちはまずコアラのもとへ足を運ぶことにした。途中、ちょっとした発見があった。随分五月蠅い子供たちがいるものだと顔を顰めれば、その声の主はヤギを眺める子供ではなく、ヤギそのものであったのだ。そこで、ごく当たり前のことにひどく納得させられた。ヤギは「メェ」と鳴くのだ。それは実に見事に「メェ」で、カタカナで書けば「メェ」、平仮名で書けば「めぇ」としか表記しようのないほどの鳴き声だった。

 動物公園は広大なうえ起伏が激しい。また、コアラともなれば公園の上座と言うべき一番奥まったところにいるようだ。やっとの思いでそれらしき所にたどり着くと、もう休憩にしたい気分だった。しかし、女房の活き活きとした表情を見せられると、そうとも言い出せない。俺は辺りを見回す。案内板によると確かにここなのだがコアラの檻が見当たらない。
 「あちらのようですね」
 女房の向かった先にはコンクリート作りの建造物。さすがは公園の主役だけあって檻の中で野ざらしにされている訳ではないようだ。警備員までもが立てられたその施設には、何やら物々しい雰囲気が漂っている。
 女房は躊躇なくその内へ踏み込んで行った。しかし、直ぐにご対面とはいかない。はじめの部屋にはコアラの生態に関する展示があり、事前に彼らに関する予備知識を身につけなくてはならないようだ。気持ちよさそうに居眠りをするコアラの写真には注釈がされている。その一文を読んで俺は唖然とした。一日に二〇時間は寝ているのだという。この後の面会で彼らは起きているのだろうか。
 不安を胸に奥の部屋へと進んでいくと、案の定、眠っているようだ。一匹目の彼は本当にコアラなのかと疑うほど、ただの毛玉と化していた。二匹目はかろうじて耳が覗ける。三匹目のそれは鼻だろうか。四匹目も同様。こんな調子で終わってしまうのかと半ば諦めていたところ、俺は雄叫びを上げながら目を見開いた。WOWOW。五匹目の彼は活動しているではないか。
 背を向けたままであるが、確かに木の葉に手を伸ばし、それを頬張っているようだ。起きていただけでも良しとすべきか。しかし、せっかくここまで来た女房のために、一目だけでもこちらを向いてくれないだろうか。そんな思いも露知らず、彼は黙々と葉を頬張る。
 「かわいい」
 薮椿が花を落とすように女房の口元から言葉がこぼれた。慈愛に満ちたその表情に、俺は胸をなでおろした。
 コアラに手を振ってその場を後にすると、場面は急展開。ゾウやライオンといった見ごたえのある動物に続いて、昆虫館にたどり着く。ムカデやゴキブリまでも展示されており虫唾が走る。足早にその場を後にすると、女房は「お腹が空いた」と言いだし休憩所にて弁当を広げはじめた。
 何も虫だらけの館の脇で飯を食うこともないと思うが、確かに腹が減った。空腹にはかなわず、昆虫館に背を向けながら丸テーブルに肩を並べた。
 握り飯を二つ平らげたところで、女房は紙コップに珈琲を注いだ。曇り空の下、気持ちがいいとは言えないが、炎天下よりはよかったかもしれない。深緑を揺らす風を吸い込めば、ほのかに獣の臭いが飛び込んでくる。都心の外れにこんなところがあったのだ。
 「あと、レッサーパンダは見たいですね」
 俺は園内マップを広げて絶句した。昆虫館とは真反対の最果てにあるという。今日の女房は随分と活力にあふれている。俺は重い腰を持ち上げ、食後の腹をゆったりと揺らしながら再び歩きはじめた。
 道の途中、俺はレッサーパンダの姿を思い出そうとするが、どうもうまくいかない。脳裏に浮かんでいるのはアライグマのようだ。レッサーパンダは川原でリンゴなど洗わないだろう。洗わないアライグマ。続いてタヌキが連想される。
 「レッサーパンダとはタヌキの親戚か?」
 「さぁ?パンダの親戚でしょうか」
 「すると、クマか?」
 混乱した頭のままレッサーパンダに辿り着くと、カメラをかまえた子連れがガラス張りの檻の前を右往左往していた。何をそんなに慌てているのかと覗いてみれば、随分と活発にタヌキ、否、レッサーパンダが駆け回っていた。コアラとは異なる旺盛なサービス精神に思わず見入ってしまう。その上、よくできたぬいぐるみのようだ。

 一匹連れて帰りたい。

 そんな思いさえこみ上げるほど実に愛くるしい。

 しばらくレッサーパンダに見とれていると、弛緩しきった俺の顔を女房が覗き込んでいた。俺は咳き込み顔を修正した。
 「そろそろ帰るか」
 女房は満足そうに頷いた。
 レッサーパンダの檻からはしばらく何もいない遊歩道が続いた。緑に囲まれた緩やかな坂道は我々二人のケモノ道といった風情だ。小雨が振り出し、女房が赤い傘を開く。俺はその傘を手にとり、二人寄り添い歩いた。
 「こんなところで、逃げたライオンにでも出くわしたらひとたまりもないな」
 「やめてくださいな」
 意地の悪い俺は、頬を膨らませて顔をしかめる女房の少女性を楽しんでいる。久々にこうして歩くのも悪くない。先の見えない緩やかなカーブ。もう少し続けばいいと思う。
 ズーはいいじゃないか。

 

 補足しておく。パンダはネコ目パンダ科、レッサーパンダはネコ目レッサーパンダ科、アライグマはネコ目アライグマ科、タヌキはネコ目イヌ科、クマはネコ目クマ科だそうだ。ネコ目は食肉目とも呼ばれ裂肉歯(読んで字のごとく肉を裂く歯)を持つものとされている。
 パンダとレッサーパンダは完全草食なので安心していただきたい。


奥付



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著者 : puzzzle
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