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覚えがない

 休日のダイニングテーブル。俺は彼女と向き合ってコーヒーを啜る。
 「あんまり覚えてないや」
 口に付けたマグカップをテーブルに置いて、苦笑いを浮かべた。実際のところ全く覚えていないのだ。
 「欲がないのよ。君のいいところね」
 彼女は小さなため息の後、ほのかに微笑んだ。出会った頃はあまりに記憶力の無い俺に呆れていたが、最近ではもう諦めたようだ。そうか、欲がないのか。と、俺も開き直る。それでいて他人の失敗談なんかはよく覚えていてる。要するに性根が曲がっているのだ。
 「でも、なんで忘れるのかしら?あの時だって、君が行きたって言い出したんでしょう」
 あの時とはどの時か。昔の男と間違えているのではないかと訝るが、そうだと言い切れる確証はない。
 「ほら、どこだっけ。何かの跡地がバラ園になってたじゃない」
 かく言う彼女もうろ覚えなのだ。一向に話が進まない。
 「もう一度あそこに行ってみたいのよ。最近、妹の元気がないから、バラ好きなあの子を連れて行ってやりたいの」
 「素敵な兄弟愛だね。姉妹愛って言うのか?」
 是非とも思い出してあげたいところだが、いくら頭をひねっても何も出てきやしない。そもそもなんで俺がバラ園になんかに行きたがったのか。
 「バラ園で検索してみたら?」
 俺の無責任な発言にムッとしたのか、彼女は語気を強めた。
 「君と行ったあのバラ園がいいのよ」
 なんだかいい気分がした。
 そして、それはやはり俺が彼女と二人きりで行ったところなのだと確信する。
 「バラ園じゃなかったかもしれない。確か大使館だか領事館だかの跡地よ。バラの植えられた立派な庭があってね。戦争だか震災だかで廃墟になった洋館の一部が残されてるの。ちょっと感じがよかったのよ」
 彼女の言う風景を思い描いた。誰もいない洋館。色鮮やかなバラの庭園。それは確かに絵になる素敵な場所だろう。小高い丘の上。いくつもの階段を上り詰めたところにそれはある。庭園の隅には見晴らし台があって、ん?
 「ちょっと待てよ」
 「なんか思い出した?」
 彼女は前のめりになって期待のまなざしを向ける。俺は眉間に皺を寄せたままマグカップを持ち上げる。香ばしい湯気を吸い込みながら、苦いだけの汁を啜る。はじめは強がりで飲みだしたブラックコーヒー。やがて癖で飲み続けたブラックコーヒー。今ではカロリーを気にして飲むならブラックコーヒー。
 「あ」
 彼女の薄い唇が半開きになる。
 「ちょっと待って、私も思い出しそう。確か海の近くよ」
 「海の近くぅ?」
 見晴らし台から眼下に広がる大海原。俺は途端に混乱する。
 「海なんかあったのか。あとちょっとのところで分からなくなったぞ」
 「あ、ごめん。じゃあ、今の無し」
 「無しって、あったんだろう?」
 「分からないわよ。ふとそんな気がしただけ」
 本当にそれは実在する場所なのか。彼女の妄想に付き合わされているだけのような気もするが確信が持てない。嗚呼。己の健忘癖が忌々しい。
 その絵になる素敵な場所は、実際に絵だったのではないかとも考えられる。美術館で見た作品と記憶違いをしているのではないか。かつて、モネだのルノアールだの印象派の作品を集めた絵画展を見に行ったことがあった。その中にそんな一枚があってもおかしくない。
 「ルノアールとかの絵なんじゃないのか?」
 「なにそれ。喫茶店?」
 俺は途端に口を閉ざす。考えてみれば、彼女と印象派の絵画展など行くはずがない。なにせ座右の銘は「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」である。廃屋とバラならば廃屋を愛でるに違いないシュルレアリストだ。
 「あ」
 再び薄い唇が半開きになる。
 「思い出したわ。やっぱり海よ。誰もいない洋館。色鮮やかなバラの庭園。小高い丘の上。いくつもの階段を上り詰めたところにそれはあるの。庭園の隅には見晴らし台があってね。そこから港が見えるのよ。港って言うかガントリークレーンが並んだコンテナターミナルよね。コンテナターミナルが見える丘の公園よ」
 彼女は目をキラキラさせながら、両手を頭上に結んでしなやかに体を反らす。
 「嗚呼、スッキリ。週末、車出してくれるわよね」
 「あ、うん」
 俺はまるでスッキリとしない頭をかきむしりながら、曖昧に頷いた。
 その公園に行ったのは本当に俺なのか。
 一緒に絵画展へ行ったのは一体誰だったのか。
 とりあえず忘れてしまおうと、俺は話を逸らす。
 「ガントリークレーンって何?」

冬にバナナが呼んでいる

 もう二度と冬なんて来ないのでないか。
 毎年そう思う。10月を過ぎてもまだ暖かい。11月に入ってもウチの小僧ならまだまだ短パンでいけそうだ。そして、師走を目前にしていきなり来ました。冬。
 秋らしい秋もなく、いきなりの冬らしい冬。俺は黒ウサギファーが襟に付いたお気に入りハーフコートを纏って会社を後にする。コートに首を埋めると、頬をくすぐるファーが心地いい。
 冬はいいね。冬は好きなんだ。ファニーフェイスの君が5割増に可愛く見えて、頭の弱い俺が2割増に賢く見える。
 でも、いきなり冬は寒いだろ。
 俺は黒ウサギに頬を埋めながら肩を怒らせる。ガタガタ震える。嗚呼、肩がこる。
 年末を共にするポップな音楽でも用意しておきたいと思い立ち、乗り換え駅の改札を抜けた。そして、某外資系大型レコード店に立ち寄る。誰しも考えることは同じなのか。店内にはやたらと多くのヒトが蠢いていた。ひとまず贔屓にしているミュージシャンのコーナーを見て回る。ネットオークションで高値で競り落としたCDが再発されていることを知り落胆する。聴きたい曲が収録されていないベスト盤を手に取り鼻を鳴らす。そして、やたらと韓国勢の躍進が目につく。耳につく。J-POPと書かれたフロアにもかかわらず3分の1は日本勢でない。フロアに響く流暢な日本語も歌っているのは日本人でない。
 俺は気味が悪くなり、Rock and Popsと書かれたフロアへ向かった。お気に入りのロックバンドは相変わらず新譜を出さない。ボーナストラックを追加して再発されたり、高音質盤に焼き直して再発されたり。こいつら生きているのだろうかと訝る。このフロアには同じく再発されたローリングストーンズのナンバーが回されていた。本物はいいよな。そうは思うが、何度も聴いたナンバーは正直言って退屈だ。
 キラキラのポップミュージックを求めて、キラキラのレコード店に来たのだが、大量生産されたそれらと群がる若者に目眩を覚え、とても数千円を払おうなんて気になれなかった。必要な音楽は粗方手元にあるのだ。こんな気分には「生活の柄」が聴きたい。バナナジャケットで有名なアルバムに収録されたフォークソング。
 俺は店を出るなりイヤホンを突っ込んだ。キラキラのポップミュージックとはほど遠い歌声に耳を澄ませて、ゆっくりと歩き出す。改札をくぐり、お気に入りの一節になれば人目をはばからず口ずさんだ。
 「秋は、秋からは浮浪者のままでは眠れない♪」
 たくさんの人々が交錯する巨大な駅。一節歌ったところで誰も気にかけはしない。空気の臭い地下構内を歩きながら、学生時代の友人と交わした馬鹿な会話を思い返す。
 「これだけヒトがいりゃ、常に誰かしら屁をしているだろう」
 「だから臭いのか。ここは屁の吹き溜まりか」
 便所に立ち寄っても辺りの匂いと変わらない。便所にしては臭くないが、駅にしては臭い。小用を済ませて、重たい体を引きづりながら階段を上り、ホームに立つ。澱んだ空気から解放されれば、とたんに寒い。
 俺は黒ウサギに頬を埋めながら肩を怒らせる。ガタガタ震える。嗚呼、肩がこる。

ロング・アンド・ワインディング・コート

 昨今の若者の間では丈の短いコートが流行っているのか、猫も杓子もハーフコートだ。それならばと、俺は押入で眠っている丈の長いコートを引っ張り出した。学生時分に購入したグレーのロングダッフルだ。コートを掲げながらしばし追憶。今では付き合いのない野郎どもと買いに行った一品だ。甘い思い出があるわけでもない。それでも、あれから10年以上も経ったかと思うと感慨深くなる。コートの丈に合わない押入で吊されていたものだから、裾がヨレヨレになっている。
 ずっしりと重量感のあるコートに袖を通せばほんのりカビ臭い。クリーニングに出したのはいつのことだったか。明日、朝一番でベランダに吊すとしよう。布団叩きで30回もひっぱたけば、この冬くらいは着られないこともない。
 さて、グレーのロングダッフルには何を合わせよう。デニムのパンツならば濃紺がいいだろう。スニーカーよりはエンジニアブーツがいいだろう。モッズ連中が好むようなタータンチェックのパンツでもいいかもしれない。
 明日が楽しみになってきた。エンジニアブーツだなんて何年ぶりだろうか。タータンチェックのパンツなど持っていないから、ひとまず濃紺のブルージーンだ。いいね。エンジニアブーツに濃紺のブルージーン。ロングダッフルにエンジニアブーツ。濃紺のブルージーンにロングダッフル。どこをとっても響きがいい。どこをとっても健全な男子だ。
 翌朝、俺は予定通りヨレヨレのロングコートをベランダの物干し竿に吊した。そして、布団叩きを求めて押入に積み重なる布団の隙間に腕を突っ込んだ。手に掴んだものを引っ張り出すと、掃除機の伸縮式すき間ノズル、ボディーブレード、卒業証書の丸筒。
 「確かこの辺だが」
 いつか客人が来た時のためにと無駄に詰め込まれた布団の間から、日用されなくなった用品たちが発掘される。毛玉取り器、ジェンガ、湯たんぽ。
 「湯たんぽっ」
 思わずつぶやいた。今年の冬は皆の節電意識から湯たんぽの売れ行きがいいと、テレビが報じていた。確かウチにもあったよなと思いつつ、なかなか探そうとはしなかった。ピンク色したポリ製のそれは別れた女が置いていったものだ。不意に人恋しくなり、女の残り香を求めて押入の布団に顔を埋めた。大きく息を吸い込んだ途端、無数の胞子が粘膜を刺激した。俺は噎せ返り、己の噴射で後ずさる。そして、畳に尻餅をついてせき込み悶えた。アバンギャルドなブレイクダンスを披露した後、悶絶寸前でなんとか立ち直った。
 涎を垂らしながら息を整える。女がいた頃、こんなにも生活は荒廃していなかった。思えば女の置き土産は湯たんぽだけではない。伸縮式すき間ノズルだって、毛玉取り器だって女がどこかからか仕入れてきたものだ。ジェンガだって当時は活躍したものだ。
 結局、どの層に手を差し込んでも布団叩きはみつからなかった。考えてみれば、近年ベランダで布団を叩いた記憶がない。そもそも、ウチには布団叩きが存在しないのではなかろうか。俺は散乱した非日用品を見回し、一番手頃なものを拾い上げた。
 「これだろ」
 勿論、ボディーブレードだ。ひとまず本来の使用方法で上下に振ってみる。
 「嗚呼、来る来る」
 こいつが売り出された当初、マッチョな男たちが両腕をつきだして不可解な運動をする通販番組に眉をひそめたが、翌週にはウチに届いていた。俺の弛んだ体を見かねて女が注文したのだ。3日と続きはしなかった。見切られたのはそれからだったろうか。

 女の不機嫌な表情を思い返し頭を振った。そして、ボディーブレードを握ってベランダへと勇んで行く。ダッフルコートの風上に立ち、俺は大きく振りかぶって一撃をくわえる。鈍い音を立ててコートがしなる。埃だか胞子だか知れぬ粉末が舞い上がり、風に吹かれて消えた。
 「ほう」
 十分な効果が確認されると幾分か気分がよくなり、右から左からボディーブレードを振り回した。謎の粉末をまき散らしながら、不意に大きな風が吹く。勢いに任せてボディーブレードを振り抜くと、プラスチックの衣紋掛けはポキリと音を立て、ロングコートが空へ舞い上がった。
 俺は思いを馳せる。舞い上がるロングコートに飛び乗り、キント雲さながらひと飛びで10万8000里。地球にしてざっと10周分だ。さあ何処へ行こう。
 なんて無理無理。あんなヨレヨレコートなど何処へでも飛んでいってしまえばいい。俺は気づく。本当は、過去にまつわる一切を捨ててしまいたかったのだ。そして、部屋に散乱した非日用品に振り返る。ボディーブレード、掃除機の伸縮式すき間ノズル、卒業証書の丸筒、毛玉取り器、ジェンガ、湯たんぽ、そいつらを拾い上げ、強い風に乗せてベランダから放り投げた。


宍戸ポップ・スター

 宍戸からの誘いがない。
 そろそろあっても良さそうな頃だが一向に連絡がない。再会した女とうまくいっているのか。それならば喜ばしいことだ。嫉妬しているわけではない。断じて。
 正月休みに入ると、毎晩、幼い息子を寝かしつけてから細君と酌み交わす。1年間の息子の成長を振り返り、お互いの苦労をねぎらう。やがて、話題は尽きる。俺はリモコンに手を伸ばし、息子のために撮りためたSFアニメをぼんやり眺めながら焼酎の湯割りを啜る。ポケットから取り出したそのクスリって、あのライトと被ってるだろ。誰しも思ったであろうことを内心で突っ込む。そのクスリを過剰摂取した少年の体が膨らみはじめる。町にいられなくなった少年は学校の裏山に身を潜めるも膨張は止まらない。ついには雲に届くほどに膨れ上がり、滝のような涙を流した。
 いつしか親父と2人で見たテレビ番組を思い返していた。随分とポップな映像だったけれど、あれはSFではなかった。
 「あの事件は俺が生まれるよりも昔のことだから、リアルタイムで見ていた訳じゃないんだよな。でも、随分と鮮明に覚えてるんだ。過去の事件をネタにしたような番組だったんだろう」
 クレーン車に吊された家屋解体用の大鉄球。そいつを繋いだ引き綱がゆっくりと引き絞られテイク・バックされる。そして、引き綱が放たれる。大鉄球は唸りをあげながらスイングし、大音響を発しながら山荘にめり込む。その映像と事件の名称だけが幼い俺に焼き付いた。事件を振り返る番組であったなら、おそらくその背景や事件後に発覚する惨憺たる状況についても解説があっただろう。しかし、それらについては何も記憶していない。幼い時分のことだから。あの山荘だってバイキンマン城と同じように思っていた。ナントカロボットのロケットパンチで悪の秘密基地が崩壊。安っぽい特撮のような光景は、あのころの俺にとってかえって刺激的だったのだろう。
 「基本的にガキって重機とか好きでしょ」
 「警察も大胆よね。警察だからってあんなこと許されるわけ?」
 「モンケーン」
 「何それ?」
 「あの鉄球」
 ふぅん。彼女は興味がなさそうに鼻で返事した。
 「男って役に立たない知識を披露したがるよね」
 俺は先手を打つ。彼女は首を傾げた。
 「そう言えば、なんて言ったっけ?あのヒト今年死んだんでしょ」
 2011年2月5日夜、東京拘置所にて事件の中心人物である元最高幹部が脳腫瘍のため死亡。晩年は数年に渡って危篤状態だったそうだ。世間の興味がなくなった古びた事件だ。その訃報は大したニュースにはならなかった。
 そのニュースを耳にしたときに俺が思い返したのは、やはり親父と見たブラウン管の中のモンケーンだった。実際のところ、彼女はあの山荘まで辿りついていない。山狩り中の警官隊により発見、逮捕されている。
 携帯電話が震え、ダイニングテーブルを小刻みに打つ。咄嗟に拾い上げれば宍戸からのメールだ。

 

 昨日、気味の悪いスカイツリーを見た。

 

 俺は首を傾げて彼女に尋ねた。
 「スカイツリーっていくつかあるんだっけ?」
 「1本じゃない」
 「1本!あれを1本と数えるのは、なんて言うか、気前がいいね」
 「なんて数えるの?」

 俺は腕を組んでしばらく考える。
 「1基?1棟?ーー 1つでいいんじゃない」
 「じゃぁ、電信柱は?」
 「1本かな」
 「なら、1本でいいじゃない。似たようなもんでしょ」
 再び携帯電話が震えた。今度は電話だ。
 「返信がないから電話したぞ」
 「おまえが変なメールを寄越すから、ちょっと議論していたんだ」
 「議論?」
 「スカイツリーの数え方だ」
 「数えるったって幾つもあるものじゃないだろう」
 「そうだな」
 「丁度いい。スカイツリーの件で電話したんだ」
 「おまえがふった話題だろう」
 「昼間、天気が悪かったろう。夕暮れ時なんか早くから暗くてさ、そんな時に電車の中からスカイツリーを見たんだ。馬喰町のあたりだったかな。イルミネーションなんかは灯っていなくてよ。どんよりした灰色の空に同じような色したタワーが突き刺さってるんだよ。昭和生まれだからかな。どうもあのタワーは気味が悪い」
 「モンケーンだな」
 「なんだそりゃ?」
 あいつならば、そんな無茶が許される。気がする。
 「さあ今こそモンケーンをテイクバック!」
 「酔っぱらってんのか?」
 俺は口元に笑みを浮かべたまま、湯割りを啜る。
 「ちょっと言ってみたかっただけだよ」


君のくれた阿呆

 ウサギをウサギちゃんとは呼べません。熊がドングリを頬張る姿など真似しません。三流芸人のように顔芸で笑いはとりません。
 そんなの絶対に無理です。
 しかし、気付けば、息子から一つでも多くの笑いを得ようと、懸命に親父としての技能を駆使している。いつの間にそんなものを体得したのか。就寝前の読み聞かせでは、書かれていなくともウサギをウサギちゃんと呼ぶ。熊がドングリを頬張ばゴブゴブゴブと珍妙な声をあげる。カエルが跳ねればはちきれんばかりに頬を膨らませて目を丸める。

 驚くことに、それらがまるで馬鹿げたこととは思えない。必要とされる阿呆に信念を貫く。他人様には決して見せられない己の顔芸にだって、賞賛の拍手を送りたい。
 しかし、俺などまだ序の口。上には上がいるものだ。
 息子を連れて公園へ行くと、幾人もの子等を追いかけ回しているをしているオッサンがいた。時折、雄叫びをあげ、気性の荒いマウンテンゴリラか、架空の怪獣か。その顔には一つの笑みもなく、傍目にはやや奇怪でもある。これは本当に必要とされる阿呆なのかと訝るが、相対する子等は皆満面の笑みを浮かべている。逃げ回るは全部で5、6人。年の頃は小学生の低学年から高学年までバラバラだ。全ての子等の父親とは考えにくい。ひょっとすると誰の親でもないのではなかろうか。ヒトの親とは考えにくいほど、真に迫る獣ぶりであった。
 案の定、息子も獣化したオッサンを見るなりに目を輝かせた。そして、逃げまどう子等に紛れて遊びをはじめる。これは有り難いとベンチに腰を下ろすが、他人様に任せきりでいいものか。俺はやや遠慮がちに浅く腰掛ける。「いつでも立ち上がれますよ」とアピールするように、両膝に両手をついて我が子を見守った。
 ルールはいわゆる「高鬼」のようだ。オッサンは遊具に上ろうとはせず、遊具から遊具へと逃げ回る子等のみを追いかけ回した。
 俺は口を尖らせる。先ほどからどうしても拭いきれない違和感がある。
 迫真の獣を演じるオッサンの目が笑っていないから。確かにそれもある。しかし、もう一点気になることがあった。
 オッサンの格好がどうにも見窄らしい。
 俺の推測では、このオッサンは誰の親でもない。住所不定無職。訳ありヒッピーさんではないか。これがビート時代のヒッピーさんであれば、愛あるオッサンなのだと多少の安心感を得たかも知れない。しかし、あれは高度経済成長期だったからこそ一つのカルチャーとして成り得たのであって、現代のヒッピーさんはもっと深刻である。
 勝手な推測が確かなものだとすれば、このまま息子を、そして、いたいけな子等を、任せきりにしてしまっていいものか。
 暮らしが困難でも、本当に子供が好きなのかも知れない。偏見で他人様を悪く言うものではない。そうは思うが、どうしても子等を追いかけている当人に充足感が見られない。どう見ても目が笑っていないのだ。
 貧窮した生活を紛らすために、無心になりたいのか。憂さ晴らしに子等を追いかけ回しているのか。隙あらば拳骨の一つでも振り下ろそうという魂胆か。まさか、今夜の食材を狩りに来たわけではあるまい。

 とてもベンチに寛いでなどいられなくなってきた。かと言って、勝手な推測だけで笑顔満開に遊ぶ子等を止めるわけにもいかない。俺はやや尻を浮かせて、両足をプルプル振るわせながら様子を見守った。顔からは笑みが消え、眉間には深い皺が寄った。
 俺の異変に気づいた息子が立ち止まる。怒られたと勘違いしたのか、口を半開きに俺を見つめた。そこにオッサンが迫り来る。俺は耐えきれずに立ち上がった。
 「逃げろぉ!」
 叫び声をあげた瞬間、オッサンは息子を捕まえて高く抱え上げた。子等の笑い声が弾け、皆一様に息子を指さし歓声をあげる。続いて、オッサンは息子を遊具に下ろして顔を寄せた。
 「食ぁべちゃうぞぉ」
 俺は大声を上げながらオッサンに駆け寄る。
 「食うなぁ!」
 すると、一人の女児が俺とおっさんの間に分け入った。
 「パパッ」
 刹那、果敢な娘が、獣化したオッサンからこの俺を守ろうとしているのかと勘違いした。しかし、俺に娘はいない。女児はオッサンの足にしがみつき俺を睨みつけた。「私のパパに乱暴しない」でと目で訴える。パパなのか。俺は立ち止まる。食われかけたはずの息子は満面の笑みを浮かべたまま。そして、オッサンがゆっくりと振り返る。獣色の失せた目が俺に訴えかける。
 何故お前はもっと本気になって子等と遊ばないのだ。
 続いて女児を抱え上げたオッサンの顔は、父親そのものであった。白いワンピース姿の娘がオッサンを彩る。その格好は見窄らしいのではない。年相応に地味なだけだと気づく。我が息子は、その父娘の様子を見つめながら指をくわえていた。
 俺は、未熟な己を嘆くように、雄叫びをあげながら息子に駆け寄った。
 「食ぁべちゃうぞぉ」



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