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ディルツの本

以前の対話の中で教えてくれた「ロバートディルツの天才たちのNLP戦略」を手にしました。
開いたページの詳細なモデリング理論と実践法について、くらくらしてしまいました。

あの部分は非常によくできた箇所だ。
ひとは自分の持っているものの見方、それは幻想を生みだすフィルターだけれども、
それを手放す方法を知りたいと願う。
そしてディルツはすばらしくそれを言葉に記した。

あなたたちの見ている世界がいかに自分がつくった思考のゆがみ、それは信念、価値観、
または引き受けた無意識的合意事項
その正体を意識上に挙げてきて見破ったとき、
かかっていた魔法から解き放たれる一歩が始まる。

生い立ちから手にした信念やプログラムは、
そのほとんどが生きていくためのサバイバルな観点から作り出したものだ。
それは自我の得意とする作業であり、
生き残りをかけた生存の状態を経験している肉体意識にとってはなによりも優先されるべき最優先事項となる。

小さなころからありのまま、そのままで純真無垢に大きくなるということは大抵は起こらない。
というのも、みな、その大いなる冒険へと出るからだ。

一旦自分は愛であり、魂であり、完全に愛されていて満たされているということを忘れていくことで、
またそれを思い出し今度はそれを意識でつかみとっていく、
肉体意識に主権を渡していた心から魂意識へと主権を取り戻すそのプロセスを経ることで
学び成長しようとしているからだ。

実は身近にとても大変な家庭状況の中、現在も孤軍奮闘している中学生がいます。
最近ばったり駅でであって、話をしたときに、
「もう自分の声もわすれてしまったよ」とつぶやいたその状態からいろんなことを思いました。

虐待を受けたり、親が育児を放棄した場合、
子供は本能として生き残るというサバイバルモードが常にONとなる。
そうすると、その子が本来もっている良さよりも、
生き残ることがすべてにおいて優先され、選択されるようになる。

そのことで、生き抜くしかない状況は、なんとかしてあげたいと思うだろう。

はい。とても強く思いました。
もう呼吸がキューットなってしまっているし、締め付けられそうな顔をしていました。
だけど、行政やいろんな方々がそこには携わろうとしているのだけれど、
本人が、拒否しているようです。

NLPとは、人間をとても大きな別の視点から眺める方法ともいえる。
起こっている現実は中立だ。そこに意味をつけているのはあなた自身だ。
受け取って何かを感じるという行為は人それぞれ全く違う。
そのことを変えようと他人が強制しても無駄である。
本人がそのことに気づくため、
つまりそう感じるのは、自分だけなんだ。自分がそう感じているだけであって、それはやめられるんだ、
別の受け取り方ができるんだ。
ということに本人のサバイバルモードがONになった意識が認め、
そうではない捉え方ができるということを受け入れるまで続く。
それは、誰にも強制できない。

これは固定化されたプログラムが作動しているのであって、
そうではない可能性を実際に体験してみることで、
中立な出来事を捉える捉え方に他の可能性がでてくる。

それが柔軟ということ。
それが柔らかさであり、しなやかさである、そして最強の強さとなる。

でもね、子供時代に虐待を受けたいなんて望んでいる子供は一人もいないよ。
親に無条件に愛されたいよ。だれだってそうだよ。
なのにどうして?

どうして、何かね?

どうしてそんな状況に生まれることを選んだんだろう。

(とここでまた、強烈な眠気が襲う)

眠いときのイメージトレーニングは、

頭の中心から通っている光のパイプの入口が
頭上でぱかっと開いて、
そこにゴールドの光が高次元から注入されているのを視覚化しよう。

そうだ、そうしてまっすく光の柱がキミの体を通って、中心部分を満たし、
ベースチャクラまで光は通り、そして地球を包み込むように、分散して地球に接続される。
あなたは、光の通り道であり、その光はあなたの胸から光であふれ出し、降り注いでいる。
尽きることのない光のエネルギーがあなたの中と外を循環し、あなたは落ち着いていく。

長女の存在

先ほど、コーヒーを入れていたら、あなたからの言葉が今度は自然と私の口から言葉になって、
私の奥底にあるなにかへと語りかけていました。

長女のことについて。
間もなく11歳になる彼女は今だに「私をみてよ、私をわかってよ」というメッセージを発しながら
グジグジときにワーワーと喚き散らして訴えてきます。
そのことを私は

(※この後、セッションと言う感じの深い部分に触れるやりとり。しかし全部消えてしまった)

きえちゃったよ。

いいのですよ。
あなたの中では確実に大きな変化が起こっているのです。
誰かのために書き溜めようなどと思わなくていいのです。

あなたが自分のセッションを身を呈して公開する必要などどこにもありません。

大切なのは、
あなたがこうして私と対話していることに信頼しきっていて、
私たちの信頼関係がより深まることです。
そのことを誰かにわかってもらおうとか証明しようなどとしなくてもいいのですよ。

さあ、続けましょう。

あなたの根底にある・・・その中でも何度も持ってきたテーマが、
親子で悲しみを通じて繋がりあう関係から、
それをも包含する愛、太い太い信頼と愛というパイプでつながる親子関係というものを体験したくて
今回このようなことが起こっています。

あなたは小さな自分、、、母の悲しみを共有することで母とつながっていると思っている
幼き自分を受け入れる時が来ました。

それはあなたのアイデンティティではないということ。
あなたを証明する大切な存在理由ではないということ。

ただそういう部分があるということ。
そしてそれはかわいい、愛おしい、あなたの子供だということ。

それを具現化している長女、
あなたの悲しみの存在理由を根底がらゆすぶる存在だ。

虐待について

虐待について教えて
どうして、虐待なんて悲しいことが起こるの?

キミたち人間のもっとも悲しき部分は、
自分が神ではないと思い込んでしまったことだ。

本当は私から一度たりとも離れたことなどないし、
一人ぼっちだったこともない。

だけれども、親に愛されなければ生きていけない小さな赤子が
どうして依存なしに生きられようか。

依存し、信頼し、頼り切って命がこの世界に降りてくることを手伝ってもらわなければならない。

しかし、手伝う方がそれができないと
すごく重荷になって、苦しくなって、自分の中にある凶暴性がどうしようもなく爆発する。

頼るな。私を信頼するな。私なんて信頼できる存在じゃないんだ。
ということを教えようとする。

だから、子供はそれを学ぶ。
親を信じ切りたいのに、信じてはダメだと叩き込まれた時、
恐怖が全身に埋め込まれたとき、
生きるということがフリーズする。

固まってしまうのだ。
生きてはダメだといわれてしまうのだから。

そうして、自分が親になったとき、
生きてこれなかったそのエネルギーは暴走する龍のごとく暴れだす。

どうやって生きていいのか、生きるということが信頼するということと分断されてしまったのだから、
全信頼をおいて頼ってくる命など、受け入れることができない。

そうではないと定義しているからだ。
生きるとは、信頼とともにあってはならないと、そういうルールの元で生きようとしてしまうからだ。

悲しすぎませんか? そこに救いはないのですか?

厳しい言い方だが、この大いなるチャレンジは、つねに救われている。
なぜならば、私はそこから一度たりとも、一瞬たりとも、離れたことはないからだ。

じゃあなぜ、そのままにして放っておくのですか?

放っておいたりしてはいない!
私は常に守っている。
あなた方がいくらそれを信じようとしなくても、命の火を消すことなくともし続けている。
それは、生きるということが、あなたに喜びをもたらすことが
実は常にそうであるというこの事実が、受け入れられるようになる日を知っているからだ。

人を信じられない。
親を信じられない。
もう誰も私を助けてはくれない。

リフレインされるこのフレーズは、あなたにその世界をもたらす。

私は言う。

あなたは守られている。私がいつもそばにいる。
一人ぼっちではない。生きていいのだ。生きなさい。生きるんだと心から叫びなさい。
そして私を信じなさい。
あなたの中にある、私の声をしっかりときいて、
命は信頼とともに解き放ってよいと、選びきるのです。

あなたの世界を創るのは、あなたのその宣言です。
私はそのことをいつも語りかけ、
いつまでも待ち続け、必ずその日がくることを知っているのですから。

私が心が痛んでいないと思うのですか?
同じ思いをしています。感じたように感じています。
そうして、それを受け入れ、共にいます。

今度は一緒に笑いましょう。
それも自由なのですよ。あなたに与えられているすばらしい能力です。

本当に乗り越えることができないと思っていますか?

自分がつくったルール、
生きることと信頼することがまったく交わらないその世界をすべて捨てて、
新しい世界、
世界を信頼し、人を信頼し、自分を許すことが
なぜできないと思い込むのですか?

それは、今日は犬がほえないと信じることと同じです。

犬をだまらせようと必死でしているのは、それを選んだ人なのですよ。

私は言っているのです。

犬は吠え、太陽は上り、あなたは生きている命だと。
猫は昼寝をし、風が吹き渡り、あなたは自分を愛することができるのだと。

なぜならば。

人は自分が望んだ世界を生きることができるからです。

本当にそのことを自分に許したならば。

世界中の多くの子供たちが、虐待を受けて育ちました。
今なお受けている子供たちがいます。

その全員が、牢獄の中で灰色の人生を生きることが決定だと、
どうして信じ込むのですか?
それを手放し、我が子を愛し、自分の命を愛して存在する魂がたくさんいます。
そしてそれはできるのです。
きっとそうなる。なぜならば、いつか必ずエネルギーが流れ出すからです。
そのことをとめているのは、くるはずの春に挨拶して招きよせることを忘れてしまっただけなのです。
本当にそれだけのことなのです。


痛むハートの奥

ふいに襲ってきてある状態を感じていた。ハートの奥がギュッとつかまれたように痛く、ぬぐえない。
圧倒的な悲しみに体が満たされていた。自分ではどうしようもなくて、対話をはじめてみる。
******
胸の奥が痛いよ~。
源さんこれはなに?この耐えられない重さは何?

集合意識の奥底にある悲しみのエネルギー
捨てられてしまったことや
ひもじくて悲しかったこと

今ここであなたにわかってもらいたがっている感情、エネルギーは
こうやって解き放たれようとしている
それはあなたが教えてあげることによって
「あなたは今でもいつでも愛ですよ」
悲しみとは愛のない場所ではない
愛がすごく少ないエネルギーだということ。

エネルギーは命であり、
だから悲しみも命のエネルギーでできているということ。

そこにあなたが「悲しみ」というラベルをはって、手放したいと願えば
自分の一部を切り離すことになる。
分離していく、自分を守っていく行為に、力を貸したということになるのだよ。

あなたは、自分は一つなるもの、愛そのものであり、すべては一つである創造主の一部であると
思おう、受け入れようとしているね。

そうならば、
悲しみというエネルギーは、愛という名のエネルギーが少しある状態だと認識するのです。
そこには、何もないのではない。
そしてゼロベースからマイナスになっていて、そこを何かでうめなくてはならない、、、のでもない。

ゼロという点などない。
相対的なその点を絶対的なものとして基準点におくから、
マイナスという発想ができあがる。

悲しみを感じてギューっと縮こまったそのハートの奥に
エネルギーがあることを感じるのです。

そして、手を当てて受け入れ
愛してください。

それを抱いて生きる自分を愛おしんでください。

あなたが愛されていることに変わりはないのですから
どうぞこの地上で何の遠慮もなく悲しみに寄り添ってください。

あなたはそうやってこの人生を楽しんでいるんでしょ。
きっとそれは甘美なのに違いありません。
あなたはそれが好きなのですね。

悲しみとは、結構人を虜にするものなのです。
そしてそれが、人生をまたやりたくなる理由の一つなのですから。
悲しみを大切にいだき、受け入れる自分をどうぞ愛してください。

伝言を受け取る

さっきのKさんへの伝言をうけとり、メッセージを書きました。
これは私が作っているのではないか、という声や
余計なことを書いているのではないかなどと
一連のことで動き出す私の部分が多すぎて、本当に疲れます。

あなたは自分の中でこのことを本当にただ指を動かしているだけ。と思えるか?

内職をして、ものにシールを貼るような、
ただ書き写せと言われて内容は考えず、指だけを動かしているような。

そんなことはできません。
だって、ある人にとっては人生がかわるかもしれないぐらい
大きなメッセージになるかもしれないことを書いているのです。
それを私の頭も認知しているのです。
それをただシールを貼るようにとはいきません。

そうだろう。だからこそ、誇りをもつのだ。
自分の指を動かしている・・・その動かし方の先にでてきたものを
自分は通しているパイプなのだと誇りを持つのだ。
それは、呼吸をすることと同じだ。

あなたを通してそれはなされる。
あなたを通してそれは表現される。
あなたを通してそれはこの世界に形として舞い降りるのだ。

そのプロセスを楽しむ自分を誇りに思いなさい。
それがあなたが自分に価値を与えることになる。

自分の価値とは、自分が自分を誇りに思うことだ。
自分のやったことの成果を誰かが評価するから価値があがるのではない。
ましてや、お金が稼げるから価値があがるのではない。

あなたが、あなたのやっている行動に、
あなたが動かした体とあなたが刻み込んだ時の中の波動に
愛おしみ、誇りを持つかどうか。

あなたは自由なのだ。そういった意味において、あなたは自由なのだ。

料理をつくる。
その行動一つとっても、同じだ。

誰に何を食べさせようかと考えてもいい、ただ食べたいからつくってもいい。
ただし、足で立って、手を動かし、それを動かしてやっていくその行動は、
あなたの世界に刻み込むのだ。あなたという存在の表現を。

それを誇りに思うかどうか、それはやっていることに自分が価値を置いているかどうか。
それをやることが、本当にしたい表現だと認めるかどうか。

人に愛を伝えているか。
ということは無理やりするのではない。愛として存在すれば、それはそうなる。

心に「人に認めてもらおう」という気持ちがあるのならば、それは義務になり、
あなたの喜びを下げる。

親に認めてもらおうと思って一生懸命やる子供たちがいる。
それは純粋なるあるがままの姿とは少し離れてしまっている。

なぜだかわかるか。
そうしないと生きていけないことを本能として知っているからだ。

自分がいることがそれだけで愛であり、そのままで誰に何をいわれなくても大満足している時
その子は本当に自分を大好きだろう。

そうではないよ。あなたが自分のことを大好きなことはどっちでもいい。
私の好みの形になることがもっと大切なことなのよ

と親が四六時中、社会が四六時中ささやきかけたら、
暗示にかかりやすい子はすぐにそう思うだろう

誰かにあてたメッセージをあなたを通して出すということは、
あなたに何等かの役わりをお願いしているのではない。
そのメッセージは息をするのと同じように、
ただおこる。

それをあなたが楽しんでやるのであれば、どうぞそれをやればいい。

仕事とは、楽しむことをやること。
これをもっと具体的に説明しよう。

好きな仕事をするには、お金がかかるとおもっているが、
違う。

すべてはただで与えられている。
あなたには、無限にリソースがある。
しかも無料で無限だ。

時間、肉体、エネルギー、ソースからつたわるメッセージ、
土、太陽、種、水、
全部ただだ。
おまけに口も、声も、考えるということも、ただだ。
手も、手から溢れるエネルギーも。

何を話すか、
何を書くか、何を育てるか、
なんでも本来はただでできる。

それを、大切にあなたが自分の体を通して溢れさせれば、
商品となる。

そこにあなたがいるからだ。

それをあなたが大切にするからだ。

人は誰かが大切に、楽しく、嬉しく、動かした手や口や心や時間に
お金を払いたくなるものだ。

だからいいのだ。

誰かの言葉をただ指を動かして形にするというふうに考えて
気が楽になってもかまわない。

その次には、こう思う。

自分を通して形になった言葉たちを
誇りに思う。と


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