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批判を受けて

なんなの!?

だいぶ怒っているね。

そりゃそうだよ。あんないい方、どうしてあんな反応するのか、信じられない。
知らないというのは、すごいことだ。
どれだけ他の人がやっているかということを想像しないなんて、本当に感謝にかける。

そうだ、そこだ。

世界が平和に回っているのは、自分以外の人が愛をもって動いてくれているおかげということを
まったく思い描いていない。
感謝。感謝だ。
いくら感謝してもたりないくらい、感謝する場所はあるだろう。
それは知らなくてもできるのだ。
だって、世界はそうやって信頼する場所としてあるのだから。

感謝しないその態度に、むかつくんだ。

******

それは鏡だ。
その部分を自分がもっていることをまったく認めようとしていないから
それをみたわけだ。

感謝していない部分があるもの。
私の中に。
まったく湧き上がってこない感謝、なぜだろうと思っていたけれど
それは想像力の欠如だ。

そうだね。自分で気が付いたかね。
Aさんに感謝しなさい。嫌な役を引き受けてくれたんだよ。
あなたこそ、感謝しなさい。

いくら感謝してもあなたの顕在意識ではとうてい「知らない」部分で
あなたがこうして気づくような場面がつくられているのだ。

イマジネーションの力を、そうやって使うのだ。それが、洞察力というものだ。

洞察力で物事をみる。その目的は、感謝の念が沸き起こるために。
それは、心がやさしさに包まれるために。

いくらしてもしきれない。
それほどまでに世界はあなたの顕在意識がとらえることのできない壮大なエネルギーの織物だからだ。

はい。なんだかすっきりしました。ありがとう。
だけどこの対話は本当にチャネリングなのだろうか。
ただ、自分の中のスピリチュアルな見方をするところがでてきて
ポジションを変えて話をしているだけではないのかなぁ?

*******(翌日)******

今、怒りの言葉が例の人からきた。正直かなり傷つく。
本当にどうしたものか。

ともすれば、一番最初のフィルターがあるところでうけとってしまい
またそえを投げ返してしまいそうになる。
しかしそれをやっては違うのだと知っているのだから、
ここは思考を使うところだ。

思考は分析するのが得意だが、
思考の真の使い方は、創造するところにある。

さあ、このことを経験して、あなたが一番なりたい姿は、何かね。

「このことにまったく影響されない心のやすらぎをもって、瞬間に存在している人。
 笑顔ですべてを最善とうけいれている人」
斉藤一人さんのような。

では、そうなりなさい。今この瞬間にそうなりなさい。

そうできると信じて、そうである人として息をして、そうありなさい。

私の声をきいて、私とともにあるのです。

感謝の心はこのような場面に活躍しますよ。

でもね。いいたいと思う反撃のセリフがどんどんでてくる。

指摘したいんだね。
指摘して、なんになる?

相手が気づけば、相手が悪いとわかる。

それは、ジャッジではないのかね?
相手を自分の好みに変えようとしているのではないのかね?

相手と同じ波動域の行動にはまってしまい、
自らの波動を落とす選択をあなたがするのは自由だ。
ただそれをしてこころはおだやかかね?

いいえ、一瞬すかっと気が済んだような気分になるかもしれないけど
そのあと続くいやになるような自己嫌悪と関係の悪化は簡単に想像できます。

ではほかの方法を試す価値はあるね。

はい。

相手が引き込もうとしている波動域に
いきたくないのなら、私はその波動域にはいきません。
私は〇〇を選びます。と宣言しなさい。

私はすべてがうまくいっていると信じます。
世界を信頼します。その波動域を選びます。

ああ、
その人がいいそうなことを思い描いて、
そういわれたらこう言いたい!と思う言葉がどんどんでてくる。
そう言いたいわけだ。そういう風に言われたら。
これが止められないよ。

Aさんはなにを知りたいの?
と聞いてみればいい。そして知りたがっていることには答えればいい。
愛をもって。信頼して。魂にむけて話すんだ。
そうすれば、そこに触れられる。

言ってもないセリフを予想して、それに対してイメージをつくるのは
いい方法とはいえない。
それは、そういう現実を引き寄せるよ。

ここで思考の暴走をとめることを覚えるのだ。
思考をちゃんとスピリットが使うのだよ。

娘の言動に

娘の言った言葉に、さっきもすごくムカッときて、怒ってしまった。
怒りの感情をどうにもできなくて、本人にぶつけてしまった。
でもどうしようもない。私はできた存在でも覚醒しているものでもない。
やはり怒りはわいてくるのだ。
どうしてなんですか?

何か知りたいのかね?

どうやったら怒りがわかないようになるかかね?
それとも怒りがわいたらどうすればいいかなのかね?

どっちもです。

怒りという感情を味わうことができるのを
まずは喜びなさい。

それから、怒りはおさえこまずに感じてあげるのだ。
プンプン怒ればいい。
ただし、本人に怒りの玉を投げつけない。

お前もこの前、怒りの直球をぶちこまれて、すごく嫌な悲しい思いをしただろう。

怒りというのは、投げるならば、的をはずすのだ。
少し本人にかする程度。
ああ、相手を怒らせたんだなとわかる程度。
それで十分。

そのほどよい逸らせ方を学びなさい。
それから、
怒りがわくということは、そこに怒りに火をつける元の感情というのがある。

その元の感情までしっかり感じきるというのが、次に同じような場面に出くわしたときに
反応で怒りが爆発するというのを別の反応に変えてくれる。

そこまでみつめる作業をするというのは、
怒りを投げてしまった相手に対してもやってしかるべき行為だ。

あなたの怒りのはけ口になった相手には、
ありがとうと後からでもいえればいいし、
そしてその怒りの行動をそれで終わりにしないことだ。
せっかく怒りを感じたのだから、それを最後まで十分に利用しなさい。

それから、怒りを感じないように、
つまり何があっても心の平和をみださないようになることとは別の話だ。

心が穏やかでいるとは、相手を批判し、自分の価値観を押し付けたり、
いいわけしたり、わかってもらおうとしたり、貶めようとしたり、
相手が悪いと宣言したり、気分が悪いと怒ったり、

そんな行為から無縁ということだ。

それにはそんなことに心を埋め尽くす隙がないほど
感謝して喜びを放射していればいい。

このことは、奇跡のコースで散々読んでいるだろう。

はい。
頭では理解していますが、今だにふとしたところで怒りが湧き上がってきます。

それでいい。
そんなに苦労なくやすらぎのこころだけになったなら、
この世はつまらないだろ。
だからやりがいがあるだろう。

ここであなたの心の声はなんていっている?

「どうせ私は覚醒なんてしていないし、葛藤まみれの人間だよ。
もうどうでもいいわ。なんてなさけないんだろう。
いろんな言葉をチャネリングとかいって書いているくせに、
全然自分はなんにもできていないじゃないか。
えらそうに、なんでそんなことやっているんだろう。はずかしい。
私なんて全然たいしたことないのに」

もういいたいことはないか?

「情けなくて、涙が出る。娘に申し訳ない。誰かもっといい親のところに生まれればよかったのに」

それだけか?

「もうこんな対話やめてしまおうか。所詮私はアセンションもだめだ。
光の存在でもなんでもなくて、ただの葛藤にまみれた怠け者の主婦だ。
なにをその気になっていたんだろう。おかしいわ」

そうか。それで?

もういいです。きりがないです。いくら書いたって終わりはないですから。

ならばこれから私が言うことをそのまま心の中で繰り返すのだ。

「私は光へと向かうプロセスを歩むものです。
その中でいろんな古い感情が浮上してきます。
それを出すために我が子はいろんな行動をして私のブロックを表面に出してくれます。
だから私はそれに淡々と取り組みます。
なぜならば、それはもう手放すことができるから出てきているからです。
そしてそのスピードは増し、たくさんのことがやってくるでしょう。
それでいいのです。
そうして私は古いカタマリをとかし、そこに気づき、光をあてて、自らの夢から目覚めるのです。」

「夢は覚めようとしています。
そして夢から覚ますために、私の回りの人は私にいろんなことを感じさせてくれます。
それは私がもっているものを光の元にさらしてくれます。そうして私は選ぶことができるのです。
これは、なりたい私の姿にいるものですか?いらないものですか?と」

あなたがなりたい姿は何かね?

毎日笑顔で笑っている存在です。

では、笑顔で笑っている自分を思い描いてそう、イメージするのです。
あなたにほほえむみんなの顔を。
貴方が愛おしいと思うすべてのものを。
そうして肉体を使って喜びを放出する自分の姿が光に包まれ、自分から光があふれ出し、
すべてが色鮮やかにリアルに躍動感をもって動いているのを感じてください。

そうして、あなたは、素直に言葉にできるのです。

ありがとう。
素敵だね。
気持ちいいね。
楽しいね。
大好き。

さあ、この作業をしてみてどうかね。

すごくすごく心が柔らかくなりました。

それではここで、先ほどの怒りについて触れてみよう。

なんて言いたがっている?

「何も知らないくせに、なんでそんなこと言うんだよ。
私がどんだけやっていると思ってるんだ。
人の気持ちも知らないで。」

そしてその奥にはなにがある?

「わかってよ。わかってよ。なんでわかってくれないんだよ。
こんなに我慢しているのに。誰もわかってくれない」

悲しくなりました。
すごく泣きたい自分です。
泣いても泣いても声を殺して泣いていて、それは誰にも見つかっちゃだめで、
とっても悲しいのです。

家庭の空気を察して、なんとかそれがうまくいくように
一生懸命自分が我慢している4歳くらいの私です。

それではそこに光をおくってあげなさい。

ありがとう。よく頑張ったね。あなたがいてくれてみんな本当に助かっていたんだよ。
あなたががんばってくれていたことを大人の私は今気づいたよ。
ずっとわかってあげてなくてごめんね。
もうがんばらななくてもいいんだよ。
あなたが自分の好きなように、自分がやりたいようにやれば、世界はうまくまわるんだよ。
あなたのお父さんとお母さんは今はとっても仲良しで、
お互い支えあって暮らしているから、安心してね。

どうだ?気持ちは。

はい。奥の方の緊張がなにか取れて、ふーっと息を吐きました。

そうだ。

あなたはもう自分でできる。
ただ誰か一緒に取り組む相手がいた方がやりやすいなら、
いつでも私を呼び出して、一緒にやりましょう。

つきあってくれるの?

もちろんだよ。

ありがとう。

こちらこそ、ありがとう。そうやって生きることに向き合うあなたがとても愛おしいよ。

乗り遅れた子供たち

40名のグループで北海道に行った子供たちが、2泊3日の旅を終えて帰ってきました。
そして一言目に言った言葉が、

「行きの飛行機に乗り遅れた」。

「え~~~!?」

すごいです。飛行機に乗り遅れる40名。
そっから新幹線での大移動へ。

聞けば聞くほど、唖然としましたが、
だんだんすごすぎるその内容に、笑えてきて、
そのうち、ものすごい示唆に富んだ出来事だと思い、
「対話」のネタにぜひとも!と思いました。

この出来事から何が見て取れますか?


楽しいではないか。
きめられた時間に決められたものに乗って、決められたところへ決められた時間に着く。

そんなつまらないことはないだろう。

え~、だって、大変だよ。

これからは、この力がとても役にたつ時だ。
臨機応変。
あらかじめ用意された予定など、意味はない。
起こったことの中で、
「何をしたいのか」意志をはっきりとさせて、その目的に向かって行動を変更するのみ。

一見、苦労に見えるその出来事も
やっている子供たちの意識は大変だなどと思っていない。

なぜならば、大変だと思うことができるのは、その後に展開されるであろう行程を想像することができ、
その思い描いた未来に対して、今ここで、疲れてしまうことだからだ。

大変?
なんだって、その時にやれることをやっているまでのこと。

計画通りにいけば、大変じゃなくて、
その場でできる方法にすれば、大変か?

大変かどうかは、気持ちの問題だ。
いつもの繰り返し、言われた通りにしてみれば、その通りになる。
そんなところで、ボタンを押しても楽しくはないだろう?

繰り返しに慣れているあなたへ、
おおきなメッセージを含んでいる。

「大いなるときを、初めての気持ちで、臨め」

どこへ行くのか、そして何をするのか、
それさえしっかりと見えていれば、
途中の行き方に多少の変更があったっていいではないか。

飛行機で一っ跳びというのは、楽でいいかもしれないが、
旅はこの瞬間から始まっているのだよ。

電波少年みたいだね

これからの時代、
予定通りになんていう言葉は何の保証にもならない。
予定していたことが突如として不可能になることがたくさんあるだろう。

その時に、予定通りじゃないということに余計にエネルギーを使うようなことはしないでいい。

もともと予定通りに進むときなど、ない。

人生に予定などたたない。

たつと思っているところが、
悲劇の始まりだ。

日本人のね。

そうだ、有名小学に入れば、有名中学にいけて、勉強すれば、大学に入れて、
いい大学なら大企業に就職できて・・・

それが違うとなれば、
子供は小さいうちから始めればプロになると
ゴルフ、サッカー、ピアノにバレエ、
ダンスや子役とさかんだね。

その先にある想定された予定通りの成功した人生を
イメージしているのか。

大人がね。

子供もだ。
大人が言うことをすっかり信じてしまっている子供もだよ。

機械のように、こなす仕事をしているのなら
イレギュラーな出来事は「やっかい」だろう。

子供のいる毎日もそうだ。

熱が出た、けがをした、
ケンカをした、友達いっぱいつれてきた、
虫がいる、子猫を飼いたい、財布を作る、バッグを作る、
歯が抜けた、まだ寝ない、もっと寝る、
クッキー作る、
飛行機に乗り遅れた、モノレールにのった、新幹線にのった

全部楽しい。

先日ある方がこうおっしゃってました。
「小さいころ、ワクワクして飛び起きたことなんてあっただろうか。
 そんな朝があったことは、記憶にない」と。

予定をこなす。

なんとたいくつなことだ!

あなたたちは、あらかじめ決められている行動を順を追ってこなし、
次へ次へとものごとをベルトコンベアにのってやってくる仕事のように
目の前にきたからこなしている、

のでは、ないだろう?

なのに、ベルトコンベアが急に止まり、
予定と狂うと、
「なんと、めんどうな」と思う
「大変だ」と。

つまり、楽しむことは大変だと思っているのだ。
この構造に気がつくだろうか。

あなたと一体になりすぎたのかな。
自分が書いているようなきになってしまって。
あなたからのインスピレーションで書いてるかな?

そうだよ。
受け取っているから書いているんだろ。
一瞬だけかくのよりも前に言葉がでているだろう。だからいいのだよ。

あなたたちは、予定というものが
つまり自分がイメージしたストーリーがくずれてしまうことを極端に嫌う。

自分が思い描いたように行ってくれれば、それは最高だと思う。

あなたが思い描いていること、それは自我が思い描いていることではないのかね?
一番、失わなくて済む方法だ。

エネルギーをつかわなくてよい、
楽してたくさんいいものを得るというストーリーだ。

違うかね?

そんなストーリーをはるかにしのぐ、
あなた全体、宇宙そのもの、時を超えたところにある広大なあなたが
完璧なタイミングと方法で瞬時に対応して切り替えていくストーリーを信じようとはしない。

それは、自分が思い描いた通りとは違うといって、
なげく。

捉え方を変えてみたら、どうか。

このストーリーこそ、
あなたの自我がイメージする世界をはるかに凌いだ
壮大なストーリーそのものなんだということを。

もう物語は始まっている。

あなたはそのど真ん中で、
今、まさにそのお話を紡いでいるのだ。

飛行機に乗り遅れる。

なんかだんだんちょっとうらやましくなってきた。
面白そうで。

そんな人生を歩んでいるということに気が付いたかね?
あなたの人生そのものが、飛行機に乗り遅れるような出来事の連続だ。
つまり、一っ跳びにうまいこと行くチケットを手にしたいと願う、
手にしても同じだ。乗り遅れれば、地道に地上を行くことになる。

それでも驚くほど速い。
なぜならば、すべての行程を、仲間と一緒に、ワイワイと楽しんで
大騒ぎで未知なる場所へと向かっているのだから。

彼らは、成長しているのだよ。
だから、楽しいのだよ。

成長していくプロセスをとめることなど誰にもできない。
なぜならば、人は成長していくものだからだ。

今のまま、いつものとおり、予想できる自分の行動を予定通り・
これを安定と呼び、欲しがることほど、エネルギーを使うことはない。

わかるね。
成長していく存在に、あるがままの成長をストップさせることだからだ。
広大な自己が瞬時にもたらす成長を自我がストップさせておいて、
自我の思い描いたストーリー通りになるように
それに合わせてこなすということをし始めた途端、

「めんどくさい」「疲れる」という言葉が生まれる。

大切なことを教えてくれたね。

予定通りにいかない方が、面白い。
ということだ。
そしてそれは、大きな意味でとらえれば

すべて完璧に、予定通り。

自動書記について

誰かに見られるという前提に立った途端に書けなくなってしまった。

だから一切捨てろといっただろ。

だって、公開して誰かが読むとおもうとちゃんと書こうとかってやっぱり思うんだもん。

それが多くの作家が陥る落とし穴だ。

誰のために書くのでもない。
キミはただ自分の中にくる言葉をかきとめるという単純作業にいかに没頭できるかという一点にかかっている。
それ以外を考えると、一気に混じり気のある別の意図を持つ行動となる。
それは、キミのフィルターが多大に入り、進まなくなるだろう。

手がサラサラと動かないときは君の意図がずれていないかどうか、
自分の中でチェックしてみるといい。

そうだ。光に包まれてセントラルサンとつながったイメージをして

それを味わって広げてご覧。君の中に平和が広がり、
そして私とつながる。
それは、あなたの中にある声だ。
それは魂の声だ。
それは、奥底に必ずあるかすかな声だ。
かすかな声は自我が動き出したら、消える。

かすかな声に耳を澄ませば、それは大きく聞こえ出すだろう。
そしてそれに体を明け渡せ。そうすれば、キミは道具となって、魂の声を刻むことができるだろう。

私がこうして自動書記で書くことを
誰か質問したい方の問いを投げて、応答願うということもできますか?

できるよ。あなたがやりたいのであれば。
その時に必要なチャネリングがおこって、あなたの手から言葉になる。
キミは、どんな内容をチャネリングするか、誰の質問に答えるかということを気にする必要は一切ない。
キミにとってそれはどちらでもいいこと。

キミがこの作業において忘れてはならないことは、
そのままをだすということ。
きた内容を信じるということ。

それを加工する必要もなければ、何か特別しなくてはならないことなどない。



この対話をどう扱うか

あなたの中にある真実に触れるとき、あなたからの言葉は力をもってこの世界に解き放たれる。
そのことを自我がいくら抑えようとしても無駄だ。

勇気をもって公開しなさい。
そして、人々の願いにこたえるのです。
あなたがこの対話を信じて、そのことを疑わず、
そして様々な人々の反応にもまったく影響されない自分の中心を見つけ
そこにとどまるならば、それはあなたにとても大きな可能性をくれるだろう。

あなたがひとたび疑いを持ち、自我の声に耳を傾けたならば、それはかき消されてしまうだろう。

貴方が今行っていることは、奇跡だ。
この奇跡は誰にでも起こる。
そのことを身を以て提示し、そしてそれを生きなさい。

あなたがこうして私の声を本当にきき、文字としてあらわす時、
世界の色が明るくなるのがわかるだろう?

対話にでてくる具体的な人について気になるのかね。

そうだろ、
家族、そして周りの友人たちもでてくるだろう。
しかしそれは、そのような形をまとってその役を演じる人々であって、
あなたの世界の外にあるのではない。

このことをもう一度よく心に確かめるのだ。

そして正直に話しなさい。
それは相手を傷つけるどころか、相手の大いなる発展につながる。

何も心配することではない。
貴方が、私の声か、自我の声か、
自分がそう言いたいのか、わたしがそうつぶやいているのか、
どちらがどちらだかわからなくなってしまうこともあるだろう。

それはそれでいいではないか。

しかし、どうしても違和感がある対話があるのなら、
このようにすんなりでてくるときではないときは、
その対話はすべて捨ててしまいなさい。

そんなものに執着する必要はない、
なぜなら私は何度でも、いつでもあなたがすんなりだせる対話になるまで
同じテーマで同じことを語り、あなたに送り続けよう。

それはあなたがの中で触れたいと思った時にいつでも開くことができる。
本のページのようなものだ。
だから消えてなくなるのではない。
いつでもあって、いつでも語りかけよう。

気に入らない文章は捨ててしまいなさい。
ただし、後から自分で編集したり、切ったり足したりはなるべくしないように。

あなたの常識がそうさせるのはわかるが、それはいらぬ行動だ。

出していいか、やめた方がいいか。

心地よい方できめればよいが、
どちらでもおなじなのである。

大切なことは、すべてをよしと信じることだ。
それは、あなたのためであり、世界のためであり、
地球のためであり、私のためでもある。

自我の声はすぐに何かを言い始める。
しかし、自我が肉体を制することから、あなたは魂の声を聴くことを選んだのだ。

どちらの声の要求にも同時に答えようとするのは、無茶な話だ。
どちらかしかない。
それは、あなたがどちらに自分の主権を明け渡すかだ。

それは自分は何者かとあなたが宣言するということ。

どっちもです。というのは、ありえないのだ。
なぜならば、
観る世界が全く違うからだ。

自我がコントロールし、それに従う世界で
本当に魂の声が生み出す世界を体験することはできない。

夢を見ながら夢から覚めるということができないように、
夢を見ているか、
覚めているか。
そのどちらかしかないからだ。

あなたは、今、今の現実と思っている世界が夢だと気が付いた。
そしてそれから覚めようとしてもがいている。

夢からさめたければ、
夢の中のストーリーを進める音や状況にまた巻き込まれそのストーリーを歩まなくてよい。

目覚ましの音を聞きなさい。
貴方を夢から覚めるよう導く音に全神経を集中しなさい。

その時、夢の中で起こっているストーリーはあなたから離れていく。
そして違う場面が展開されていくことだろう。
それに気をとられないでいい。
あなたはあなたに語りかえる目覚めを促す言葉や音や喜びや感情や感覚に
全身を集中させてそれにしっかりとくっついているのだ。

夢から覚めてしまっては、夢から覚めようとしている今の状態は味わえない。
だからこそ、この状態はとても貴重なのだよ。

夢から覚めることが目的ではない。
こうしたプロセスを意識して楽しむことが、わざわざあなたがここにきた目的だ。
だから存分に楽しみなさい。

そしてあなたがこのプロセスを意識的に体験しているこの記録を
多くの人にも分かち合ってほしい。

なぜならば、
この言葉によって、
感じることができる人々があなたからの呼びかけをまっているからだ。

あなたからのよびかけを待っているのは、あなたの兄弟たち。
それは、あなたと永遠の約束をしてきた仲間であり、
あなたの大切な一部なのだから。

ゲートを開きなさい。
そこにお金が発生してもしなくても我々はかまわないが、
貴方がより意図的にこの状態を求める人と分かち合いたいのならば、
金額を設定すればよい。

ただし、あなたの意図するところを超えてこの対話はあなたの一部である仲間の心に届く。

正直に書き記すことは無防備でもあるが、
それがあなたのいいとろでもある。

まずは出しなさい。

その次にあなたの好みの、もっと万人の無意識に届くような形のものにしてもいい。

しかし、原石は同じなのだよ。

やっていることは、心の声には二つあり、
自分の中の自我ではない声、
聞きなれているけれどもすっかり耳を傾けていなかった方の声が今大きくなってきたということ。
それに気が付いている人が大勢いる。
その人たちに勇気をあたえる。

それを楽しもうではないか。

他と比較してはならない。

比較などなんの意味もない。

あなたの指から書き写される言葉の世界に誇りをもちなさい。

あなたが愛であることを、
私と共に、私の中にあるすべてがあなたであるということを表現しているのであるから。



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