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仕事について聞きたいよ

家計が火の車で、バイトしようかなと思って面接を2つ受けましたが、ダメでした。
私の仕事が決まらないのはなぜ?

それは、お前がまた以前のような世界観でいいやと妥協しようとしているからだ。
「お金を稼ぐことは時間を売ること」「自分を売ること」という考え方をやめるのが
今お前に与えられている課題だからだ。
いいか、もう気が付いているはずだ。
同じことをしても意味がないと。
お金が月々入る。そして、生活も楽になる。そうするとどうだ? もう考えるのはやめにするのではないか?

人はある程度満たされると、それ以上の幸福、絶対的な喜びの状態を追い求めることをやめてしまう傾向にある。
それは、今手にしているなんとなくのある程度の幸せで、満足していた方が、無難だからだ。
その無難さから、何が生まれるかね?

そこから生まれる安定という名の幸せを、安定がないときは欲しがってしまう。
しかし、手に入ったところで、それがどれほどのものなのか、もうあなたは知っているね。
新しい仕事を覚えて慣れてきて、同じ繰り返しになったときに
その先に何の成長もみつけることができなければ、キミはその仕事をやめるだろう。
それでもいい。
したければやればいい。

だけど「もう、それはしない。」と、こころの奥底で君は宣言してしまっているのだ。

キミがどんどんと未知なるものへと突入することを望んでいるのだから、
それが与えられる。

ということは、本当に望んでいる未知なる自分、成長、本当の自分に出会うプロセスが与えられるということですね!

そうだよ。
それとお金というものをどうからめていくか。
それは君がすることだ

ちょっとまった~!
そこが一番大切なところじゃないですか!
時間もお金もふんだんにあるんだったら、別にそれでもいいんです。
だけど、御存じかどうだかしらないけど、うちの子供たちにはお金がかかるし、とにかく月々、もう食費もやばいぐらいなんだよ。そりゃ、仕事せんといかんだろ。

だから、また前のように、自分の時間を切り売りして、とりあえず時給いくらからで仕事をしようとわりきってしまうのは、短絡的すぎる。まあ別にいいんだけど。
労働は大切だ。
それは君に生きる元気をくれる。
ただね。考え方のベースを変えていかない限り、外側に君の魂が輝く仕事はないよ。

自分でやっているあのプロジェクトも、ベースにある考えが同じだから、すすまないのだ。
キミは仕事としてそれを捉えている。仕事という意味付けにおいて、君は仕事を何だと思っているかね?

仕事?仕事とは、お金を稼ぐ手段である。
(と、ここまで書いてこの文章の全体を見直していると)

比べるな。今「あの世に聞いた、この世の仕組み」と比べて、内容がどうだろうとか思ったな。
そんなことしても意味はない。

それはさっきの仕事の話と同じだ。


人にどう思われるか。
それを一番の判断基準にして自分の中でたてているだろう。
そうすると、苦しい。そうすると、本当の自分ではいられなくなる。
「よくみせよう」「わかりやすくしよう」「おもしろくしよう」あわよくば「売れるものを」なんて考えたら
一気にそっちの波動に下がる。

人にどう思われるかなんて考えるのを一切やめろ。
仕事という枠を君が勝手につくるのは構わないが、
もともとそんな枠などない。
きみらが勝手につくったにすぎない、行動のあるルールが適応されると思い込んでいる枠だ。

つまり「責任感」だの「ちゃんとやる」だの
「お客さんや読み手、クライアントなど、だれでもいいが対象となる人によく思われるように」
という、あの「妙に人のうけをねらう」価値観だ。

そんなものを持っているから人を評価することがはじまる。
人はそのままでいい。
そのまま内からの直感にしたがって、好きなことをわがままにやり通せば、道は開けるようにできている。

それなのに
キミたちはよかれとおもって「もっとよくおもわれるように」という外向きの→を手にしたがために
直感に従って切り開かれる道が
開けなくしてしまっているのだ。
それは誰かがそうしたのではない。
誰かにその評価の最後の切り札をあげてしまっている自分の選択が
そうさせているのだ。

キミがいまやろうとしている課題は、
切り札を他人に渡さないということ。

つまり、全部自分が決める。
決めたことを疑わない。考え直さない。やっぱりとかいって、社会的にまっとうな方の選択をしそうにならないことだ。
それは過去に散々やって、道をそれ、道は閉じ、悲しい思いをしてきただろう。

自分の直感にしたがう。。。。それがなになのか。。それがすぐに雇用や収入につながらないから。。。

なぜそう決めつける?
やってみなさい。それだけだ。

リスクが。。

リスクなどない。一番安全で確実な道だ。

何すればいいの?

何が楽しいかね。こうやって私の言葉を書き留めることが楽しいのではないのかね?

楽しい。すごく楽しい。自己完結だけど。
あなたもわたしなら、本当に一人芝居の自己完結だね。

そうだ。
ただし、最初だけだ。
いまは一人芝居の自己完結だけれども、これに多くの人が関わってくるときがすぐにくる。
そうすれば、お前の資源はお金に変わる。
いいだろ?

いいね~。最高!

じゃああまり未来のことや現実的なお金のことに意識をむけないで、
とにかく私との対話を続けよう。

はい。

仕事についてききたいことは、このくらいかな?

そうですね、、、。ひとまず。

家族について聞いたよ

家にばっかりいる、半引きこもり主婦です。
それで一人の時間は静かなんだけど(当たり前か)
子供や旦那が返ってくると途端にイライラしてしまう部分があって。
私、家族と住むのが強烈下手だよね。なんで?

ズバリ教えてやろう。
「家族と顔を合わすとイライラする」
というパターンをもっているからだ。

15歳の頃につくられた例のイライラだ。

キミの育ってきた家庭の状況がインパクト強すぎて、
家での役わりが「この状況に甘んじず、突破しようとする」人となったためだ。

きみのある部分、家族と共に過ごすというときにでてくるパートが
それをさそうとする。
つまり、現状打破だ。

そうなんだね。
(ここで私の生い立ちや育った家庭のことを書こうと思うがやめる。)

僕の言葉をとにかく書記してよ。

あっ、あなた男なんだね?

まあね。それでいいよ。
社会性の面を担当しているからね。チームだと思った方がいいよ。
キミが繋がる先は、話したい内容によって変わるんだ。
さっきと入れ替わったのわかる?

ウン。名前はなんて呼べばいいの?

トム。

トム?
なにトム?  トム、なに?か。

トム・ベンジャミン。

トム・ベンジャミン、、、って、誰だよ!

トムベンジャミンさん。
牧師のトム・ベンジャミンさんで間違いないですか?

そうだよ。
キミのところにはいくようにいわれていた。

育つ上でつらいこともたくさんあったね。
だけど、それをそのまま続けていくことはまったく必要ないし、いやならやめられるんだよ。
だけどそう、どうやったらいいのか、知らないんだもんね。
それを受け入れていくんだよ。マネしたいと思う家庭をマネしていけば、いいんだよ。

あなたが乗り越えてきた大きな世界は、かならずたくさんの子供たちのためになる。
それを伝えていくんだよ。
キミがなんの意味もなく、子供のころの経験をしていきたと思うのかね。
キミには愛がなんであるのか、それをわかりたいという強い欲求がある。
それは過去から様々なことを経験して、この人生でむきあいたいと決めてきたテーマだ。
女の愛だ。女の愛とは、母性であり、地球であり、癒しである。
そのままを受け止めて、包み込む。

それがもっともしづらい状況を、人生の前半で学ぶ必要があった。
それを経験して、そして逆の方へとベクトルを切り返すのだ。
あなたががんばってきたのはよく知っているよ。

そして、今、伝えていく方へとベクトルの位置が変わってきているんだ。
あなたは気がついていないかもしれないけれど、
あなたによって救われるはずの人が大勢いる。
それは、あなたが勇気をもって、
自分の経験から学んだ愛というもの女性の母の愛というものを実践していくことによってである。
小難しく口や頭でいわなくてもいいんだ。
お金もかからないよ。

もう家族という小さな社会の中であなたがする役わりが「現状打破の起爆剤」ではないと
認めよう。
あなたは、包み込む人。受け入れ、あったかく、居場所を作る人なのだ。

いいかね。それを書き換えるんだよ。
NLPの信念の書き換えだね。

どうやるんだっけ?

ディルツの本にスキルがあるよ。
ディルツの天才達の〇〇術・・・

調べたら、びっくり!あったよ、かなり似たタイトル。
これのこと?

そう、それの86ページあたり。

わかりました。
買って、さっそくみてみます。
ありがとう、ベンジャミンさん。

トムでいいよ。

わかった。ありがと、トム。

・・・やっと、誰だかわかる人と話せた。ふ~。早いな。3枚目だよ。
トムさん、またね~。

またね~。



娘のアトピーについて

小学5年生の娘、アトピーでかきむしる。
血液検査では一切ひっかからない彼女だが、年中肘の内側とか背中がかゆい。
たしかにぶつぶつがでている。食事も気を付けているつもりだが、隠れてでも甘いものを食べる。
食事療法から整体、エネルギーワーク、テルミー、なんでも試した。しかし何もかわらない。
私が暗示をかけてしまったのか。と、気になる。
なんとかしてあげたいと思うけど、どうすればいい?

まず、なんとかしてあげようなどと思わないことだ。
それごと受入れて、あの子が乗り越えていくのを見守って寄り添ていること。
あなたのせいではない。
あなただけの力で人をひとり、アトピーにすることなどできない。

アトピーの娘と暮らす
という生活を引き寄せているのはあなた側のことだ。

違った生活を引き寄せたいのなら、
娘のアトピーについて意識を合わせ、それをなんとかしようなどと顕在意識でもがかないことだ。

それは、助けたいというパッケージの執着であり、
結果的にその波動域からできることはできなくなるという現実を引き起こす。

あなたが引き寄せたい生活を具体的にイメージしなさい。
そしてその生活を今この瞬間から始めるのだ。
そうすれば、娘がアトピーだろうが、そうでなかろうが、
あなたのイメージする生活が近づいてくる。

外側に原因を探して、外側で解決する時代は終わった。
分離しているというベースでものは考えないことだ。

病気や事故、自分ではどうしようもないように思えるいろいろなこと。
それがなぜ起こったのか。
と考えるのは、思考のもっとも得意とする作業だ。

だが思考に答えはない。
思考にできることは、焦点をあてることを現実に引き寄せるということだ。

思考はクリエイトしている。
貴方が体験する現実を作り出すのは、思考の作業だ。
そのことを知っていれば、
思考によって、望まない現実の原因探しをすることの愚かさに気が付くはずだ。
それは、思考が納得するある答らしき結論を導きだすかもしれない。
しかしそれは思考の動きを一旦とめるぐらいの力しかもたない。

あなたの望む状態になりたいのであれば、
「なぜ?」という質問は意味がない。

する質問はこうだ。
「望みはなにか?」

そして次にすることはこうだ。
具体的にイメージして、そうなった時の状態を今ここにある肉体に作る。

さあ、質問しなおしてみようか。
キミの望みは何かね?

娘の肌がきれいになって、夜はぐっすりねむって、
元気にのびのびと過ごしている姿をみること。

よし。それではそれを観てみよう。
イメージしてごらん。

はい。
すごく元気でもうパワフルすぎるぐらいの娘が目に浮かびます。

そうすると、もう気が付いたようだね。

はい。
あまりにも元気すぎる3歳ごろの娘の面倒をみていたとき、
確かに思いました。
「もう少しおとなしくなって。元気すぎる。つきあいきれん。」

それが?それが巻き起こしているの?

キミが望んだのだよ。
元気すぎると疲れてしまうから嫌な顔をするだろ?
無意識的にメッセージをはっしているだ。
「元気になるなよ」と。

彼女はそれをちゃんとうけとって、
ちゃんとそういう現実を生きてくれているだけだ。
しかし、娘がアトピーなのはあなたのせいではない。
少しおとなしくなってほしいというあなたの願いを
アトピーになり、元気とは少し違う状態を作る
という風に受け取り表現したのは、娘の方だ。
そうしたいという欲求がある。
それは子育てを失敗したというあなたが自分に課している罪とは
まったく関係のないこと。
それを選んだ娘を否定しないことだ。
選びなおさせようなどとしないことだ。
彼女は自分の人生を通して、その選択をしている。
キミが幼少時にしたように、
あるテーマに向き合いたいという魂の目的がある。
かゆいのは過酷だ。
過酷な状況を選びそれを生きている娘を
応援してあげなさい。
ほめてあげなさい。

そして、それ以上に導いてあげなさい。

どうやって?

あなたがすべてを受け入れ、許すことによって。
それがこの世でできるもっとも崇高な導きだ。

許しがもたらす波動域に現実を導くということだ。


旦那との関係について

たいした会話もなく、つまらないといった感情がでてくる場面が多い旦那との関係。
これは何を私に教えようとしているのですか?

おはよう
そんなことを聞きたいのかね。。。。

それはあなたでなんとかしなさい。

だって・・・

ただ生きているだけで美しい。花や草、風、太陽の光。

土の匂い、せみの鳴き声。
地球、ガイア。

キミを愛するたくさんの存在。
それらはすべてキミだ。

キミが命とふれあい感じる喜びを、豊かさと呼ぶ。

そえは同じ一つの命ながら、分離している、自分と違うという外側にあるものとして表現することで
それに触れるという行為が生まれ、
そして、いとおしむという感情が生まれた。

それこそが、君たちの世界の醍醐味ではないか。

側にいる命は、なにも自然界の草木だけではないだろう。
動物がいて、子供がいて、人間がいる。

一番側にいる男という種族が、キミの旦那さんだ。

それに、つまらないもなにもない。

それぞれに特徴はある。

花には小さくて一生懸命咲いている素朴なものもいれば、
とげをもつ真っ赤なバラもあり
虫を食べるものまでいる。

それは、表現だ。
どれがすぐれているとか劣っているとかそんなことは一切ない。

すばらしく瞬間に存在する、命そのものだ。

命そのものは、生きているように見えて死にかけている、とか
イキイキと輝いているとかその度合いで君たちは上とか下とかつけたがる。

生きている。
それだけで、生きているのだ。
そしてそれは命だ。
エネルギーがそこには流れ、ただそこに流れている。

それを楽しむか、嫌がるか、批判してなんとか自分好みのものに変えようかと
命の前でいらぬ動きをしているのは、君が勝手にそうしているだけのこと。

例えそれがキミの好みのものと違うように見えていたとしても、
触れてみれば、そこに流れる命のエネルギーを感じることは必ずできる。
それを楽しむのか、愛でるのか、大切にするのか。
味わい方は自由だ。

向こうからやってくるのをまっていてはいけない。
それはなぜか。

キミの世界だからだ。

キミが楽しむための世界だ。
自分が世界に飛び出して、その命に触れてみれば、よい。

触れたくなければ、無理にする必要はない。
しかし、この世界で味わえる楽しみの醍醐味を
みすみすやらないなんて、もったいない。

笑顔だ。
あなたが笑えば、相手にもそれが伝わる。
簡単なことだ。

やってごらん。

相手の何のエネルギーに触れようとするのか、
もっと言えば、相手のエネルギーのどこに波動を合わすのか。

それは、あなたがどんな波動で相手にふれるのかによって決まる。

自分の鏡だというその見方よりもなによりも、
もっと単純に考えてご覧。
どこと共鳴するか、パイプを通すのか。

通したパイプのエネルギーがあなたにも流れる。
それは、相手の中にあるすべての中から、
あなたが選んだからだ。

自分が欲しいエネルギーの波動
自分がそこに合わせれば、
その波動がやってくる。

そうなるということを、ただ信頼して、やってごらん。

相手がバラだろうが、野の花だろうが、
その命のエネルギーはすべて純粋だ。

それに触れてみてから、
同じ質問をしてごらん。
それからでも遅くはない。

父について

胃がんの手術の後、脳症となり、今は記憶がなくなった父。
あの純真無垢な子供のような、思考をすべて脇に置いた笑顔と「ありがとう」という言葉に
すごく感謝があふれてきて、私はもうすべてをそれだけで許してしまうのです。
父について教えてください。

彼は純真なる姿に戻りたいと心から願った。

お母さんの元に帰りたかった。
命そのものの純真さを求めて、
思考と手を組んでいる自我を 自ら破壊した。

こちらからすれば何も起こっていない。
それは、3次元内での壮大な実験である。

そんなこといったら、介護している母は救われないよ。

お母さんは、それを選んだ。
お母さんの人生は、お父さんに寄り添うという約束を果たしきることで大きな約束を遂げる。
彼女は、それを喜びとしている。
そして支えられている。
外側から判断していはならない。

責めてはならない。

その人物がどんな人生を選び、
何を感じながら生きていようとも、
その自由を許し、受入れ、
そしてやりたいようにやっているのだから、
安心して寄り添えばいい。

あなたにそれをとやかく言うことはできないし、
言ったところで何の意味もない。
あなたが人を幸せにするのではない。
あなたには人の幸せはわからない。

あなたは、そうやって命と触れている行為をしている人の姿を
神聖なものとしてとらえ、
そして自分をこの世にもたらしてくれた存在に
常に、毎瞬、感謝を送りなさい。

そこに、いいも悪いもない。
正しいも、間違っているもない。
このことを本当に受け入れるとき、あなたは解放されるだろう。

ジャッジするというルールから、解放されたとき、
最大の恩恵を受けるのは、この世界だ。
あなたの世界、それはこの世界そのもの。

自分の内なる世界に祝福を送りなさい。

もうその時はきた。
あなたが私の言葉にこうしてふれ始めた今、
あなたの心の中にあった世界は変わりはじめた。

父も母も、それぞれの人生を懸命にいきている。
そのことからあなたが学ぶことは、それには誰も評価をつけることなどできないということだ。

心の声に従うとは、マザーテレサのようになるということではない。

じゃあ、どういうこと?
やっぱりマザーテレサのような生き方をした方がすばらしいと思うけど。
アセンテッドマスターになれそうだし。

みなすべての存在が、マスターだ。
自分のマスターになるかどうかだ。

すべての存在は神だ。その神の領域にあるということを
いかに触れてくるかという差はある。
しかし、勘違いしてはならない。

マザーテレサがえらいくて、普通の人は劣るのではない。

すべての魂は、同じエネルギーでできていて、それは神と呼ばれる創造エネルギーだ。
そして目の前にいる存在も、自分と同じ神であると認識できたとき、
それは自分の世界のマスターになる。

目の前の人が神そのもののエネルギー、つまり命だと認め
そしてその命の波動、とても高い波動に触れることで
自分の中にある同じ波動をさらに認識し、広めること。
それが、愛の行為、慈悲の心、無償の愛、いつくしみ。
世界を愛するということ。

マザーテレサはそれをやった人物だ。

あなたの母も、同じことをしている。
あなただってそうしている。

母という存在は誰でも、そうした瞬間がある。

生まれた我が子を胸に抱くとき。
どうしようもない愛おしさに胸がいっぱいになるとき。

それは、あなたにもできる。
それをできる存在だと、自分で認めるかどうか。
自分で自分のことをそう定義し、
「私はもっとも深い無償の愛で命に触れる存在である」と全宇宙に宣言し続けるかどうか。

瞬間、瞬間の積み重ね。

瞬間、あなたもそうであった。
今、この瞬間、あなたはそうである。
そして、次の瞬間もそうである。
もしかしたら、別の瞬間、違う選択をするかもしれない。

それはただそれだけのこと。
また次の瞬間、どんな存在でありたいか。
選び直し、そうすればいいだけのことだ。

どんな言葉で愚痴を言おうが、
あなたのお母様がそうした瞬間をすごしていないわけではない。

愚痴をいうことがあっても、いいではないか。
次の瞬間には、愛そのものである行動をするのであるから。

本人の顕在意識がそれに気づいていないだけなのだ。
だから言葉を使いなさい。

「あなたは、無償の愛で命に触れている存在ですよ」と。

そういう言葉を言えないのなら、ただ一言、こういいなさい。

「ありがとう。」

それですべては伝わる。あなたが母を何とみて、誰だと認識するかによって、
あなたの世界の中に住んでいる母の存在は大きく変わる。
それは、お母さんが変わったのではない。
あなたが世界の捉え方を変えたからだ。

そして、そうし続けることがあなたを豊にする。

お父さんは、あなたにそういうエネルギーで
「ありがとう」と言ってくれたのだよ。
だからあなたの心の奥底に届き、大きな愛のエネルギーを注いでくれたのだよ。

その瞬間は一瞬の出来事かもしれないが、時間枠の中ではそうだが、
あの「ありがとう」は、時を超える。
過去や未来も超える。

そしてあなたに命の純粋さ、愛の波動を刻みこみ、
あなたを癒し、また輝かせるのだ。

お父ちゃん、ありがとう
お母ちゃん、ありがとう

なんという勘違いを自分がしてきたのか、今、本当によくわかりました。
どうもありがとうございました。


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