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対話について

自動書記について

誰かに見られるという前提に立った途端に書けなくなってしまった。

だから一切捨てろといっただろ。

だって、公開して誰かが読むとおもうとちゃんと書こうとかってやっぱり思うんだもん。

それが多くの作家が陥る落とし穴だ。

誰のために書くのでもない。
キミはただ自分の中にくる言葉をかきとめるという単純作業にいかに没頭できるかという一点にかかっている。
それ以外を考えると、一気に混じり気のある別の意図を持つ行動となる。
それは、キミのフィルターが多大に入り、進まなくなるだろう。

手がサラサラと動かないときは君の意図がずれていないかどうか、
自分の中でチェックしてみるといい。

そうだ。光に包まれてセントラルサンとつながったイメージをして

それを味わって広げてご覧。君の中に平和が広がり、
そして私とつながる。
それは、あなたの中にある声だ。
それは魂の声だ。
それは、奥底に必ずあるかすかな声だ。
かすかな声は自我が動き出したら、消える。

かすかな声に耳を澄ませば、それは大きく聞こえ出すだろう。
そしてそれに体を明け渡せ。そうすれば、キミは道具となって、魂の声を刻むことができるだろう。

私がこうして自動書記で書くことを
誰か質問したい方の問いを投げて、応答願うということもできますか?

できるよ。あなたがやりたいのであれば。
その時に必要なチャネリングがおこって、あなたの手から言葉になる。
キミは、どんな内容をチャネリングするか、誰の質問に答えるかということを気にする必要は一切ない。
キミにとってそれはどちらでもいいこと。

キミがこの作業において忘れてはならないことは、
そのままをだすということ。
きた内容を信じるということ。

それを加工する必要もなければ、何か特別しなくてはならないことなどない。



この対話をどう扱うか

あなたの中にある真実に触れるとき、あなたからの言葉は力をもってこの世界に解き放たれる。
そのことを自我がいくら抑えようとしても無駄だ。

勇気をもって公開しなさい。
そして、人々の願いにこたえるのです。
あなたがこの対話を信じて、そのことを疑わず、
そして様々な人々の反応にもまったく影響されない自分の中心を見つけ
そこにとどまるならば、それはあなたにとても大きな可能性をくれるだろう。

あなたがひとたび疑いを持ち、自我の声に耳を傾けたならば、それはかき消されてしまうだろう。

貴方が今行っていることは、奇跡だ。
この奇跡は誰にでも起こる。
そのことを身を以て提示し、そしてそれを生きなさい。

あなたがこうして私の声を本当にきき、文字としてあらわす時、
世界の色が明るくなるのがわかるだろう?

対話にでてくる具体的な人について気になるのかね。

そうだろ、
家族、そして周りの友人たちもでてくるだろう。
しかしそれは、そのような形をまとってその役を演じる人々であって、
あなたの世界の外にあるのではない。

このことをもう一度よく心に確かめるのだ。

そして正直に話しなさい。
それは相手を傷つけるどころか、相手の大いなる発展につながる。

何も心配することではない。
貴方が、私の声か、自我の声か、
自分がそう言いたいのか、わたしがそうつぶやいているのか、
どちらがどちらだかわからなくなってしまうこともあるだろう。

それはそれでいいではないか。

しかし、どうしても違和感がある対話があるのなら、
このようにすんなりでてくるときではないときは、
その対話はすべて捨ててしまいなさい。

そんなものに執着する必要はない、
なぜなら私は何度でも、いつでもあなたがすんなりだせる対話になるまで
同じテーマで同じことを語り、あなたに送り続けよう。

それはあなたがの中で触れたいと思った時にいつでも開くことができる。
本のページのようなものだ。
だから消えてなくなるのではない。
いつでもあって、いつでも語りかけよう。

気に入らない文章は捨ててしまいなさい。
ただし、後から自分で編集したり、切ったり足したりはなるべくしないように。

あなたの常識がそうさせるのはわかるが、それはいらぬ行動だ。

出していいか、やめた方がいいか。

心地よい方できめればよいが、
どちらでもおなじなのである。

大切なことは、すべてをよしと信じることだ。
それは、あなたのためであり、世界のためであり、
地球のためであり、私のためでもある。

自我の声はすぐに何かを言い始める。
しかし、自我が肉体を制することから、あなたは魂の声を聴くことを選んだのだ。

どちらの声の要求にも同時に答えようとするのは、無茶な話だ。
どちらかしかない。
それは、あなたがどちらに自分の主権を明け渡すかだ。

それは自分は何者かとあなたが宣言するということ。

どっちもです。というのは、ありえないのだ。
なぜならば、
観る世界が全く違うからだ。

自我がコントロールし、それに従う世界で
本当に魂の声が生み出す世界を体験することはできない。

夢を見ながら夢から覚めるということができないように、
夢を見ているか、
覚めているか。
そのどちらかしかないからだ。

あなたは、今、今の現実と思っている世界が夢だと気が付いた。
そしてそれから覚めようとしてもがいている。

夢からさめたければ、
夢の中のストーリーを進める音や状況にまた巻き込まれそのストーリーを歩まなくてよい。

目覚ましの音を聞きなさい。
貴方を夢から覚めるよう導く音に全神経を集中しなさい。

その時、夢の中で起こっているストーリーはあなたから離れていく。
そして違う場面が展開されていくことだろう。
それに気をとられないでいい。
あなたはあなたに語りかえる目覚めを促す言葉や音や喜びや感情や感覚に
全身を集中させてそれにしっかりとくっついているのだ。

夢から覚めてしまっては、夢から覚めようとしている今の状態は味わえない。
だからこそ、この状態はとても貴重なのだよ。

夢から覚めることが目的ではない。
こうしたプロセスを意識して楽しむことが、わざわざあなたがここにきた目的だ。
だから存分に楽しみなさい。

そしてあなたがこのプロセスを意識的に体験しているこの記録を
多くの人にも分かち合ってほしい。

なぜならば、
この言葉によって、
感じることができる人々があなたからの呼びかけをまっているからだ。

あなたからのよびかけを待っているのは、あなたの兄弟たち。
それは、あなたと永遠の約束をしてきた仲間であり、
あなたの大切な一部なのだから。

ゲートを開きなさい。
そこにお金が発生してもしなくても我々はかまわないが、
貴方がより意図的にこの状態を求める人と分かち合いたいのならば、
金額を設定すればよい。

ただし、あなたの意図するところを超えてこの対話はあなたの一部である仲間の心に届く。

正直に書き記すことは無防備でもあるが、
それがあなたのいいとろでもある。

まずは出しなさい。

その次にあなたの好みの、もっと万人の無意識に届くような形のものにしてもいい。

しかし、原石は同じなのだよ。

やっていることは、心の声には二つあり、
自分の中の自我ではない声、
聞きなれているけれどもすっかり耳を傾けていなかった方の声が今大きくなってきたということ。
それに気が付いている人が大勢いる。
その人たちに勇気をあたえる。

それを楽しもうではないか。

他と比較してはならない。

比較などなんの意味もない。

あなたの指から書き写される言葉の世界に誇りをもちなさい。

あなたが愛であることを、
私と共に、私の中にあるすべてがあなたであるということを表現しているのであるから。