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春昼・春昼後刻(しゅんちゅう・しゅんちゅうごこく)
現代語訳

 

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春昼-扉

 

 

 

春昼 現代語訳


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「おじいさん、お爺さん。」
「はあ、わしですかい。」
 と、一言ひとこと声をかけただけですぐ応じたのは、あたりが静かで他には誰もいなかったせいであろう。きっとそうに違いない。というのは、鉢巻はちまきゆるく締めたそのしわだらけのひたいに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔つきで、のんびりとくわを動かしている老爺ろうやの様子は―その下の柔らかな土に散りこぼれたら、くれないの夕陽の中にひらひらと入ってゆきそうな―しっとりと汗ばんだような暖かいももの花を、燃え立たせるようにすぶってしきりにさえずっている鳥の声を、何か話をしているように感じることはあっても、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶものだとは、急に気付きそうもない、ぼうっとした姿であったからである。
 こっちもこっちで、このように直ちに返答されると思ったら、声を掛けはしなかったかもしれない。
 なぜなら、話の本題が少し取りめのないことなので。本来ならこの散策者にとっても、そのぶらぶら歩きの退屈まぎれに、近頃買い求めた安物のステッキを、真っ直ぐにみちに立てて、鎌倉かまくらの方へ倒れたらじいさんを呼ぼう、逗子ずしの方へ寝たら黙っておこう、と偶然に任せるだけでもよかったのである。
 たぶん聞こえないだろう、聞こえなければ、そのまま通り過ぎるだけだ。余計なおせっかいだけれども、黙って行き過ぎるのもちょっと気になるし、と思って呼びかけたのだが、反響のように素早い、その『はあ、わしですかい』には、少しばかり不意を打たれた。
「ああ、お爺さん。」
 と散策者が低い四つ目がきへ一歩寄ると、相手はゆっくりと腰を起こして、うしろへ『よいとこさ』とるように伸びた。散策者とその親仁おやじとの間には、隔てる草も別になかった。たがやされた土が三筋みすじほど、ふるい立ち、むくむくとき立つような快活なにおいを内にめ、それでいてひっそりと寂しくあるだけだ。もちろん、これから肥料こやしになる、根を抜かれた青々とこなを吹いたそら豆の芽生めばえにじって、蓮華草れんげそうもちらほらとは見えたけれども。
 散策者は頭の鳥打ち帽に手をかけて、
「ちょっと聞くがね、お前さんはその、ほら、そこの角屋敷かどやしきうちの人じゃないかい。」
 親仁おやじはのそりと向き直って、しわだらけの顔一杯に日を受け、光に照らされた桃の花の色に染まってその方向を見た。屋根の棟瓦むねがわらは、青麦をあぶるような白昼の空に高くそびえている。
「あのうちのですかい。」
「その二階家にかいやのさ。」
「いんえ、違います。」
 と、言うことは素っ気そっけないが、話を打ち切るつもりではなさそうで、肩を一つすりながら、くわを返して地面についてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」
 これを機に散策者が別れようとすると、親仁は片手で鉢巻はちまきをむしるように取って、
「どういたしまして、邪魔も何もごぜえません。はい、お前様まえさま、何かお尋ねのことがごぜえますのかね。あすこのうち表門おもてもんさ閉まっておりますものの、貸家かしやではねえが…」
 と言いながら、鉢巻にしていたその手拭てぬぐいを、野良着のすそと一緒に、下からつまみ上げるように帯へはさんで、指を腰の煙草入れに突っ込んだ。これではそのまま通り過ぎるわけにはいかない。
「何ね、つまらん事さ。」
「何でごぜえますか?」
「お爺さんがあの家の人なら、ちょっと言っておこうと思ったことがあってね。別に貸家を探しているわけではないのだよ。奥の方で若い女の声がしたから、空き家でないことはわかっているし、」
「そうかね、女中衆も二人ほどいるだからね、」
「その女中衆が心配なのさ。私がね、今あすこの横を通ってこの路へ来ると、溝の石垣のところを、ずるずるっとってね、一匹いたのさ―長いのが。」


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 気後きおくれした様子もなく、怪訝けげんそうに寄せた眉を日の光に照らして、親仁おやじ煙草たばこ入れをふらふらさせながら、
「へえ、それで」
「私もあまり好きな方じゃないからね、実は、」
 と言って、散策者も笑いながら、
「そのくせこわいもの見たさに立ち留まって見ていると、なんだよ、やがて半分ほど垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落として、鎌首かまくびを何と羽目板はめいたへ入れたじゃないか。見たところ、その中は風呂場らしい。それとも台所かもしれないが、ともかく、家の中には若い女たちの声がするから、どんな事でびっくりしないとも限らない、と思うんですよ。
 蛇があのまま、座敷の奥へなり、納戸なんどへなり這い込んで姿が見えなくなればどうということもありゃしない、それまでというもんだけれど、例えば板のにとぐろでも巻いているところへ、女たちがうっかり出くわしたら大変だろう。
 そういうわけで、余計なことかもしれないが、お前さんを見かけたから、ついそこだし、あそこのうちの人だったら、ちょいと注意しておこうと思ってさ。何ね、ここいらじゃ、蛇なんか何でもないのかもしれないけれど、」
 と事の次第しだいを説明した。すると親仁は、
「はあ、青大将あおだいしょうかね。」
 と言いながら、大きな口をあけて、どこまでも長閑のどかな日の光が舌に染み込むかのように散策者に笑いかけた。
「何でもなくはねえだよ。あすこにいるのは東京の人だからね。この前もそのことで大騒ぎをしたですだ。行ってみて差し上げるとしましょう。おっしゃるとおり、もうどこかへずらかったかもしれねえけれど、台所の女中たちとは親しくしてますから、」
「じゃあ、そうして上げなさい。しかし邪魔をして悪かったね。」
「なあに、お前様、どうせ日は長えですから。はあ、ごゆっくりお行きなせえまし。」
 こうして人間同士がごゆっくり別れた頃には、例のあれはちょうどりゅうのようなものであるから、どこへ行ったかなど凡人にわかるはずもない。
 散策者は元来た方へ引き返して、それから、『きりきりはたり、きりきりはたり』と、にわとりが羽ばたくような機織はたおりのおさの音をしたうように、向こう側の垣根に沿って、二本の桃の下を通り、三軒の田舎家いなかやの前を過ぎた。そのあいだに、彼は十八、九のと、三十みそじくらいなのと、二人のはたを織る女の姿を見た。
 その若い方は、半開はんびらきにした納戸なんどの破れ障子しょうじの奥に、あねさんかぶりの横顔が見えた時、白いかいなおさを投げた。その年長としたけた方は、前庭まえにわの乾いた土にむしろを敷いて、うしろ向きに機台はただいに腰かけていて、彼女がトンと足をあげると、はたがゆるくキリキリと鳴ったのである。
 散策者はただそれだけを見て通り過ぎた。沢田きちの『女今川おんないまがわ』の口絵ででもなければ、近頃はあまり見掛けない光景だ。そのなつかしい姿に、少し立ち留まって眺めていたいという気もしたが、近くに子供でもいればまだしも、どのうちもみんな田畑へ出たのか、人気ひとけは女二人のほかになかったから、人づきあいに馴れない女たちだけに恥ずかしがるだろう、いや、自分のような姿の男では、怖がりも驚きもするかもしれない、と考えて差し控えた。この路を後戻りして、いまへびを見たその二階家のかどを曲がると、左の方に脊の高い麦畑が、斜面に沿って低くなりながら、一面にさっと広がる。その浅緑あさみどり色の向こう、美しい白波しらなみがかすかにゆらめいているなぎさのあたり、雲もない空にはっきりと見えている西洋館のことさえ、青異人あおいじん赤異人あかいじんと呼んで、その色を鬼に例えるほどの人たちなのである。散策者のような男は、ひげがなくても『帽子被シャッポかぶり』と言うと聞く。
 確かに一方は、そんな風に―たとえ村の者の目には青鬼あおおに赤鬼あかおにでも―ちょうの飛ぶのも帆艇ヨットではないかと見えるほど、海水浴場としてひらけている。だが、右の方は昔ながらの山の姿で、大鷲おおわしつばさが真っ黒に重なり合ったように、左右からみねすそが一つ一つ苗代田なわしろだに迫って次第にせばまり、その奥の方、暗く行き詰まったあたりにある、そこへ投げつけられたような茅葺かやぶきのあばら家の窓は、開かれた山のまなこに似て、ちょうど夜が明ける時に海からのがれ出た巨大な蟇蛙ひきがえるが、谷間たにますくひそんでいる風情ふぜいである。


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 それゆえ、その右の方には、家の屋根よりも高い、かわらを焼くかまどがあり、ぬしのはっきりしないおみやもあり、無縁になった墓地もあり、しきりに落ちる椿つばきもあり、田には大きなどじょうもいる。
 あちら側の、西南一帯の海のしおが、時代という波に世の中という白帆しらほの船を乗せて、こちら側の、狭い範囲でいくつにも折れ曲がった山と山との間を、一つずつわんにしながら、奥まで迎えに来ないうちは、いつまでも村人は、右向きになって、ちらほらと畑を耕し続けることだろう。
 ちょうど先ほどの曲がり角の二階家あたりに、屋根の七つか八つ重なっているところが、この村の中心で、それから山と山の間の方へ飛び飛びにまばらになり、海の方向との二、三ちょうあいだには人家が途絶とだえて、かえって折れ曲がったこの小道の両側へ、また飛び飛びに七、八軒続いて、これが一つの集落になっている。
 おさを投げた娘の目も、山の方へひとみが向き、足踏みをした女房の胸にも、海の波はうつらないようだ。
 散策者は通りすがりにそんなことを考えながら、そこから離れた。菜の花が顔を圧迫するように眼前がんぜんに広がり、まばゆい日の光が輝いているだけだ。左手ゆんでがけの緑も、向こうの山の青も、ただこの真っ黄色の広がりに、かろうじて限りのあることを示しているに過ぎない。足元を流れるせせらぎや、それが一段さっとすだれのように落ちるさまでさえ、ほとんど花の色を薄くはしない。
『ああ、目が覚めるほどすばらしい』と思う目に、ちらりと見えた呉織くれはとり文織あやはとり、二人の織り女おりめは、あたかも一枚の白紙しらかみに、朦朧もうろうとその二つの姿をえがき、余白を真っ黄色に塗った絵のようだ。二人の着物にも、手拭てぬぐいにも、たすきにも、前垂まえだれにも、織っていたそのはたにも、少しもこの色が含まれていなかっただけ、一層鮮やかに明瞭に、その絵が散策者の脳中にえがき出された。
 もちろん、描いた人物をはっきりと浮き出させようとして、この彩色さいしょくを塗りつぶすのが、絵画の技法として正しいのか正しくないのか、上手いのか下手なのか、それは菜の花の知るところではない。
 目の前の真っ黄色の中に、うっとりするほど機織はたおりの姿が美しく浮かんだ時、若い女のつッと投げたおさの先から、しゅ金色こんじきを帯びた一本の線がひらりと燃え現れて、もう一人の足下あしもとひらめいたかと思うと、輪になって跳ねた。それは光り輝くように散策者の目を射て、せせらぎのふちの草に飛んだが、火の消えるように間もなく見えなくなった。
 赤楝蛇やまかがしが、菜の花の中を輝いて通ったのである。
 ぞっとして散策者が身体の向きを変えると、前方の突き当たりに、樹の枝からこずえの葉へからんだような石段があり、その上方に、茅葺かやぶきの堂の屋根が、間近まぢか一群ひとむれの雲のように見える。そのむねに咲いた鳶尾いちはつの紫の花も手が届きそうに近い。山の峰のみどりの黒髪くろかみの上にかざされた飾りのような、それが久能谷くのや観音堂かんおんどうである。
 この話の散策者は、そこを目指して来たのである。そのとき、これから行こうとする、前方の石段の真下のところへ、ほとんど路の幅一杯に両側から覆い被さった雑樹ぞうきの中から、真正面ましょうめんにぬっと、大きな馬の顔がむくむくといて出た。
 それを見るだけでも思いがけないことなのに、さらに胴体がただ一つでない。たてがみに鬣がつながり、胴体に胴体が重なって、およそ五、六けんあいだがずっとけものの背である。
 一瞬、散策者はステッキをついてその場に立ちすくんだ。
 曲がり角で見た青大将と、このかたわらの菜の花の中の赤楝蛇やまかがしと、向こうに現れた馬のつらを線で結ぶと、散策者は細長い三角形の中へ封じめられた形になる。
 何とも奇怪な地上の災いではないか。
 しかし、『若悪獣囲繞にゃくあくじゅういにょう利牙爪可怖りげしょうかふ』悪獣に取り囲まれてそれらが鋭い爪や牙などでせまってきても、『ガン蛇及蝮蝎がんじゃぎゅうふくかつ気毒煙火燃けどくえんかねん蜥蜴とかげ、蛇、まむしさそりのような毒虫が毒を出しながら迫ってきても、菩薩ぼさつさまがあすこにいらっしゃるのである。しばらくして。…



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