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 悪い夢をみた
 
 いつもの砂浜 いつもの風 

 碧空を旋回するトビ 

 眼前に広がる見果てぬ蒼海 
  
 なんら問題ない いつもの情景だ
 
 なんら問題ない 大好きな海だ

 僕と彼女はサーフボードを片手に

 波打ち際の飛沫をひらりとかわし                   
 
 沖へ向かって勢い良くパドリングする             

 「晴れてよかったね」  
 「うん、君のおかげさ」
   
 海水を手のひらで押し出す感覚が 

 全身のチャクラを活性化する 
 
 世俗にまみれた僕と彼女の肉体を 

 海はさらりと洗濯してくれる

 ありがとう 海 ありがとう 空 

 ありがとう 神様

 幸福の深呼吸をしたその刹那 

 海は本性を露にした

 暗雲がしたたかに天空を占領し 

 雷鳴が轟きはじめる

 洪水神話さながらの大雨が 

 僕と彼女に降り注ぐ
 
 たゆまない青を湛えた海が 

 瞬く間に蒼黒に染まった

 ゴウ ゴウ ゴゴウ ゴゴウ ゴウ

 ゴゴ ゴゴゴゴゴ

 沖からは真っ黒な大波がやってき

 今まさに僕と彼女を飲み込もとしている             

 これは夢か? 否 夢だ

 現実だなんて馬鹿馬鹿しい

 迫り来る大波を渾身の力を込めた

 ドルフィンスルーで波の下をかいくぐる

 しかし大波は海中に逃れた僕と彼女を

 執拗に追い回す 遂に足首を掴まれた僕は             

 何度も何度も海中で回転した

 全身から消えて行く酸素と永別する最中 

 懐かしい声を聞いた

 それは決して忘れる事の無い 

 母の声だった


 「母さん、来てくれたんだ……」

 「あんた何してるの」

 「サーフィンしてたら飲まれちゃって」            

 「命を大事にしなさい」

 「ごめん」

 「それより、ちゃんとやれてるの?」

 「うん、ぼちぼち」

 「まだここに来るには早いわよ」

 「でも、けっこう限界だよ」

 「何言ってるの、まだまだこれからよ」           

 「そうかな」

 「そうよ」

 「じゃあ、もう少し頑張ってみる」

 「悔いを残さない様に生きなさい」

 「わかった」

 「それじゃあ、またね」

 「母さん、ありがとう……」


 何かに救い上げられる様にして 
 
 僕は再び海面に顔を出した

 荒れ狂う大波は姿を消し 雲の隙間からは             

 うららかな陽光が顔をのぞかせていた

 
 「晴れてる……」
 「どうしたの?」
 

 気付くと隣には、ブロンドの髪をなびかせた             
 彼女が、不思議そうに僕をみつめていた。

 「ううん、なんでもない……」
 「晴れてよかったね」
 「うん……」


 そうか今日は母さんの命日だ

 「心配かけてごめん」


 やっぱり悪い夢だ




この本の内容は以上です。


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