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おわりとはじまり

1

 

 薄汚れた、でも何故か心地よい教室――同好会棟と呼ばれているらしい旧校舎の一室で私が見たのは、2人の男子生徒が懸命にしりとりをしている光景だった。

 開け放たれたドアから交互に漏れる2つの声。あれはどう聞いてもしりとりだろう。文学と芸術にどんな関係があるのだろうか…?

 

 

 

 

 赤い紐タイと黄色い声が溢れ返る女子更衣室。今日は高校生活初の体育の授業が行われる。

 男女別で行われる体育は、隣のクラスの女子と合同で行われるようだ。男子も同様だろう。

 入学式から数日しか経っていないのに、大まかなグループはすでに成立しているらしい。更衣室でもその様子が見て取れる。

 どの集団にも属さない「浮いている」私は、キャーキャー騒ぐ塊を尻目に、一人黙々と着替えていた。

 

「……ッ!」

 

 私の隣で着替えていた、気の弱そうなボブカットが息をのむ。その近くにいた他の女子もその気配を敏感に感じ取ると、同じように私の方を向いた。

 それらの気配が伝染していき、更衣室中の人が私に目を向け、沈黙を生み出した。

 

 だよねぇ。やっぱり気づくよねぇ皆。

 

 

 制服を脱いでキャミソール姿になった私の身体には、誰もが目をむくような紅いあざがある。

 

 背中を這い上がる、ヘビのように。

 

 「あぁ、気にしないで、生まれつきだから」

 

 

 


2

「あぁ、気にしないで。生まれつきだから」

 沈黙の場に、さも気を遣っているような声を放る。徐々に皆が苦笑いを浮かべながら目を逸らしていく。

 内心で盛大に舌打ちを繰り返す。

 気遣っているフリ。気にしていないフリ。見ていないフリ。人間は嘘を吐くのが下手な奴に限って嘘を吐こうとする。

 嫌悪してくれるなら、嫌悪して近づいてこないなら良い。だが、好奇心だけで擦り寄ってくる奴らは大嫌いだ。吐き気がする。

鞄に脱いだ制服を乱雑に放り込むと、更衣室を出た。今頃色々言われてんだろうなぁ。モノを面と向かって言わない奴も大嫌いだ。

半袖の体育着では何も変わったところはないが、その下には大蛇が踊っている。そんな奴を良く思う人間などいるわけがないのだ。

教室に戻ると、数人の男子がいるだけだった。他の男子はもう体育のために外に出ているのだろう。残っていた数人もすぐに教室を出ていった。

 窓際最後列の自分の机に鞄を叩きつける。誰もいない教室に大きな音が響いた。

 また、嘘を吐いた。

 また、約束を破った。

 本当に吐き気を覚え始めた。授業を休んで保健室に行こう。そう決めて教室を出ようとすると、数人の女子が喋りながら教室に入ってきた。

 チラッと目をやると、予想通り口をぴたっと閉じ、足を止めた。

 私が教室を出ると、背後で安堵のため息が聞こえた。

3

 保健室の目の前に着いた途端、4時限目が始まる本鈴が響いた。

 

 そういえば、体育の担当の先生に何も言わずに来てしまったなぁと自分の中の律儀な部分が後悔をするが、まあ後で言えば問題ないだろうと思い直し、保健室の扉へ手を掛けた。

 

 ガラガラッと扉を引くと、どこにも人の気配はなく、ただ消毒液のにおいが漂っていた。保健医を探しにいくのも面倒だ。勝手に入っていても大丈夫だろう。

 

 そのままベッドに直行しようと歩き出すと、書類が雑に散らばっている机にまるで書いてくれとでも言うかのように堂々と「保健室利用者」の名簿が乗っていた。一応書いておいたほうがいいかと思い、クラス、名前、入室時間、理由の欄には「吐き気」と書いて戻した。

 

 ベッド下に上履きを放り、布団にもぐりこんだ。ぐるりと回されるカーテンを勢いよく引いて閉じる。頭から布団をかぶり、丸々と背中を曲げると、心地よい香りと暖かさに誘われ、自然と目を瞑った。

 

 

 遠くから聞こえる学校特有のチャイム音にふと目を覚まし、顔を出すと丁度カーテンが小さく開いた。

 

「あれ、起きてた?」

 

 白衣を着た長身の男、と寝ぼけた頭で認識すると、あぁ入学式で紹介された保健医はこんなだったなぁとぼんやり思った。彼の質問に小さく首を振る。

 

「丁度今昼休みが終わる予鈴が鳴ったんだけど、どうする? 教室戻るか?」

 

 働かない頭ながらに戻りたくないと思ったので、また首を振る。

 

 その反応に保健医は「そう」と言った。

 

「なんか飲む?」

 

 そう言えば喉が乾いている。彼の質問に自覚するとベッドの上に起き上がった。

 

「起きてきな。なんか飲ませてあげるよ」

 

 そう言った彼は、小さくカーテンを開けたまま戻っていった。

 


4

 彼がカーテンの向こうに消えると、水を何かに注ぐ音がした。次いで食器の音が響く。

 

 寝癖のついた頭の後ろをガシガシと掻くと、散らかしたはずの上履きを探したが、足元にあったのはきちんと揃えられたそれだった。

 

 カーテンを引くと、先ほどより片付けられた机の後ろに置かれたコーヒーメーカーの前に保健医が立っていた。コーヒーの香りが広がる。机の上には、趣味の良いカップが二つ置かれていた。普通学校で生徒にコーヒーを飲ませる先生はいないと思うのだが、それにツッコミをいれるつもりはない。

 

 生徒用に置かれた椅子に座ると、丁度保健医の椅子と対面するようになっていた。

 

 しばらくして彼が動き出し、カップにコーヒーを注ぎ始めた。

 

 コーヒーサーバーを持つ彼の指は長く、なんだか持て余しているようにさえ見える。手から顔に目を移すと、さっきはよく見えなかった顔が長い前髪から見えた。下手なタレントよりもずっと綺麗な顔をしている。180はゆうにあるような長身にバランスよく長い手足、華奢だが細すぎない体に白衣を引っ掛けるようにさらっと着こなす、雰囲気のあるこの男は到底保健医のようには感じない。

 

「はい、どうぞ」

 

 耳に心地よい声とともに、よい香りを放つカップを差し出される。

 

「……ありがとうございます」

 

 カサついた喉が決して良い声とは言えない音を発した。先生の机の上には、ペン立てと並んで何故か違和感なくスティックシュガーとミルクの入ったビンが置かれていたが、それには手を伸ばさず、黒い液体を口に含んだ。対する保健医は、ブラック派のこっちからすれば気持ち悪いほど大量の砂糖を投入している。

 


5

 良い香りを放つカップに口をつけ、口の中に含む。

 

「どう? 自分でブレンドしたものだから、口に合えばいいけど」

 

 コーヒーの味の違いなどよく分からないが、頷いてまた飲み下す。

 

 そんな素っ気無い反応になぜか満足げな笑みを浮かべ、気品を漂わせる仕草でカップを持ち上げる保健医は、やはり保健医という職業が結びつかない。いっそどこかの大手ブランドの社長でもしていたほうがそれらしい。

 

「君、部活は?」

 

 まだこの学校に入学してから1週間も経っていない。同級生たちの中でもやる気のあるものたちは既に入部届けを提出しているようだが、全く興味がない私はいっそ帰宅部になろうかとさえ思っている。わざわざ嘘をつく必要もないだろうと思い、「興味ありません」と答えた。

 

「どうして?」

 

 カップを置き、指を組んで机に肘をついた。その動作に何故かとても演技臭さを感じる。

 

「……面倒だから、だと思います。」

 

 理由など考えたこともなかったが、少し思考を巡らすだけで、それらしい答えが口に出た。

 

「それだったら、同好会に入ればいいよ」

 

 人数も少ないしお手軽だよ、と笑う男が引き出しから取り出したのは、一枚の紙。

 

「この学校で部活創設に必要なのは学年を跨ぐ2人。それ以下の規模のグループが同好会って呼ばれて、旧校舎で活動してるんだ。一度見てみたら面白いよ」

 

 どうしても同好会に興味を持たせたいような保健医の言葉に押され、先ほどの紙を握らされた。

 

 それは、粗いながらもカラーで印刷された普通のコピー用紙で、屋上に立つ女子生徒が描かれていた。その絵の下のほうに小さく書かれた文字は、「同好会棟3階東側突き当たり 文芸部」の文字。

 

「俺がよく知ってる奴が入ってるんだ。ここは3月まではれっきとした部活だったんだけど、卒業生が出た所為でちょっと存続が危うくってね、ぜひ君が入ってくれれば大丈夫なんだけど」

 

 目的はこれだったか、と内心舌打ちをする。全くやる気を失った。

 

 しかし、その傍らで、この絵に自分の何かが動いた。

 

「分かりました。今日の放課後にでも覗いてみますね」

 

 自分でも驚いたが、自然と言葉が口から流れ出た。

 


6

 そして放課後。あの後結局またベッドに潜り込み、眠り込んだ私は、他の生徒が部活に出払った時刻に保健医に起こされた。

 

 鞄を教室から運んできてくれたらしく、それを手渡され、同好会棟はあっちだと言われた。笑顔だったが、行けと命令されているような感覚さえした。

 

 一応更衣室に寄り、制服に着替えた私は、今不思議なものを目にしている。

 

 同好会棟3階東側突き当たり。そこにはドアのガラス窓に貼られた「文芸部」の文字と、2人の男子生徒がいたのだが、何故かしりとりをしている。

 

「さ、砂糖!」

 

「さっき出た」

 

「え、嘘、じゃあ砂糖菓子」

 

「ありかよ。し、し、しまうま」

 

 しりとりだ。高校生男子2人がしりとりをしている。しかも、使われている言葉に制限をかけてあったりするわけでもない、普通のしりとりだ。幼稚園生でもできる。

 

 しばらく覗いていると、1人がこちらに気付いた。しまうまと答えた眼鏡男子である。

 

「おい、誰か来てるぞ。お前の元カノか?」

 

 その言葉に促され、もう一人の茶髪もこちらを向いた。

 

「知らん。ていうか、女子を見た瞬間元カノか?とか俺を何だと思っているんだ」

 

「女たらし。」

 

 酷いよ、なんて冷酷な陰険眼鏡なんだ、と叫ぶ男子を無視して、一人が廊下に出てきた。

 

「はじめまして。僕はこの部活の責任者。君は入部希望者ってことでいいのかな?」

 

 草食系男子の顔をして、ナチュラルに押しが強いな、というのが第一印象だった。

 

 

 


7

 

 

「いえ、部活見学に来ただけです」

 

 押しが強いからって負ける訳じゃない。押されたら押し返す。

 

「そう。じゃあ、中に入って」

 

 特に傷ついたわけでもなさそうだ。期待していた訳ではないらしい。

 

「はじめまして、文学・芸術部の8人目です。以後お見知りおきを」

 

 茶髪が椅子から立ち上がり、右手を差し出してきた。台詞も仕草も演技がかっている。こっちが保健医の知り合いとやらか。顔の雰囲気が似ている。

 

「はじめまして」

 

 私も右手を出し、握手をした。チャラそうな見た目とは裏腹に、力作業をしているような固い手だった。それがこちらの第一印象である。

 

「お二人共3年生なんですね」

 

 二人とも青いネクタイをしている。茶髪の方は結ばずに首に引っ掛けているだけだが。

 

「まあな、1年生女子」

 

 何故かドヤ顔で返答してくる茶髪。芝居がかってるとかの問題ではなく、なんか変な人。

 

「こいつは先生のお情けで3年になったような奴だがな、一応3年だ」

 

 辛辣な皮肉を混ぜ返す眼鏡。酷いよー冷たいよーと言いながらも、茶髪は大してダメージを受けていないらしい。この二人はいつもこんな会話をしているのだろう。

 

「まあ、とりあえず入んなよ。見学だけでもいいから」

 

 茶髪に招かれて入った教室は、旧校舎とは呼ばれるがそこまで古いものではないらしく、本校舎の教室より少し狭いだけであまり変わらない。窓際に彼らの荷物が置かれ、机が2つ向かい合わせに置かれている。

 

「お茶、つっても理科室からかっぱらってきたビーカーで入れるやつだけど、いる?」

 

 教室の隅には、机が3つ並べられ、ビーカーやアルコールランプが置かれ、その傍らには紅茶のティーバックやらなんやらも置かれている。男二人の部活にしてはまめである。

 

「はーい! 俺いるー!」

 

「じゃあ、私もお願いします」

 

 ひと眠りした後だったので、その前に飲んだコーヒーは既に喉を潤していない。

 

 はいはい、と面倒そうな口ぶりだが、湯をビーカーとアルコールランプで沸かす手つきは慣れている。