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初アジア、初中東のイエメン旅

■Writer&Photographer
bin
■Age
26歳
■Profile
2009年春に初海外&初一人旅をデビューし、これまで東欧を中心に10ヶ国てくてく散歩。好きな国:①チェコ②ブルガリア③イエメン。
Blog:【bin】世界中がおもちゃバコ
http://bintravel.exblog.jp/


初アジア、初中東のイエメン旅

イエメンと聞いてイメージするもの…。
 最近だと、民主化運動が激化しての内戦、サレハ大統領爆撃暗殺未遂事件、アル・カーイダ関連のテロ、部族紛争etc.日々メディアはこういった関連の事件が大々的に報道されている。
 もちろん、そういった事実はあるのだろう。でも、日々の報道を見聞きしているうちにふと思った。治安面で取り上げられている国の中にも、人々は住んでおり、コミュニティーがあるだろう。そうすると、我々日本人から見ると貧困の差は少なからずあったとしても、そこに住んでいる人々にも日々の幸福があるのではないのか?
 でも、想像を絶する暮らしぶりだったりするかもしれないし、考えても分からなかった。
 だから行ってみた、イエメンへ。
 
そこに住んでいる人々。
 一人の男性が近づいてきて「お金をくれ」と小声で呟いた。僕は悩んだ挙句、お金を渡さずに断った。その後、しばらく周辺にいたイエメン人達と楽しく会話していた。よく見ると、その輪の中に、先ほどの「お金をくれ」の男性が混じっていた。どうやらもう、「お金」は“過去”の出来事で、みんなでお喋りしている“今”の方が楽しくなったようだ。
 別の時、買い物をせずにぶらぶら散歩していたら、観光地でよくある「何か買って!」に出会った。もちろん商売のため、観光客に声をかけるのは彼らの仕事である。僕はいらないと断った。すると次の瞬間、彼らが発した言葉は「じゃぁ、お喋りしようよ!写真撮って!」だった。どうやらここでも、もう商売は“過去”の出来事で、無理だと思った瞬間“次”の楽しさを探しているようだった。僕はその後、彼らの店に招待されてチャイを御馳走になり、会話を楽しんだ。
 彼らはホントに切り替えが早い。そして人懐っこい。たくさんの人達と仲良くしたいだけなんだ。僕らと同じで。
 

世界遺産ソコトラ諸島で。
 イエメンは世界遺産が全部で4つあり、僕はこの旅でサナア旧市街、シバームの旧城壁都市、ソコトラ諸島の4つに訪れた。そのうちソコトラ諸島は、2008年に自然遺産登録され、インド洋のガラパゴス諸島とも呼ばれている。このソコトラ諸島で事件は起きた。

 イエメン到着後、乾燥した空気と砂ぼこり、連日の移動による疲労からか、海沿いのキャンプに宿泊している最中に急激に体調を崩したのだ。日本から持参していた薬を飲んでも一向に体調は良くならず、夜中に寒気と汗の繰り返しで何度も目が覚め、朝を迎えると体が起き上がらなくなった。何とか体を起こして立ち上がっても、まっすぐに歩けずフラフラした状態だった。もちろんこの日のトレッキングは中止し、電気、水道、ガスの設備の無いキャンプ場で、僕は一人寝て過ごしていた。どのくらいの時間を寝ていたか分からないが、運転手が残りの人達をトレッキングの場所まで案内した後、心配して戻ってきた。思考回路がはっきりしない僕は、運転手に促されるまま車に乗った。彼は英語を全く話せないし、僕はフラフラだったので、無言の車内はどこに向かっているのか理解できなかった。しばらく車で走った後、ここで降りろと言われた。何がなんだかわからない。運転手の後を、足を引きずりながら僕は追った。
 一軒の家が見えてきて入ると、中にはたくさんの子供や大人の男女がいて、僕を興味深く見つめていた。奥に案内された所でやっと理解できた。ここは病院だった。まるでDr.コトーの診療所のようなひっそりとした病院。優しそうな顔をした先生らしき人に症状を伝えると、注射を打つことを提案してきた。すぐに頭をよぎったのは、「使い回しの注射」だった。一生懸命断ると、周りの子供や大人に笑われた。注射が苦手だと思ったのだろう。それが悔しくて、注射を了解した。内心はすごくドキドキしていたが、僕の心配をよそに袋に入った新しい注射が出てきた。僕は安心して、言われるがままにお尻に注射を打ってもらった。自分でお尻を突き出して、立ったまま。
 注射を終え、薬をいただき、僕は帰された。彼らはお金を受け取ってくれなかった。観光客として好きでこの島に来て、勝手に体調を崩して、貴重な薬を投与してくれたのにも関わらず。彼らの好意により、僕はこの後体調が良くなった。何一つ、お礼が出来なかった。彼らも望まなかった。それでも住所くらい聞いていれば、帰国後お礼が言えたのに。当時の僕はフラフラだったので、そこまで頭が働いていなかった。小さくて自然に溢れた島の、人々の無償の好意。僕はこの島で、「旅人とは何か」と考えさせられ、未だ答えを出せずにいる。だからまた旅に出るのだろう。失敗を繰り返しながら成長するために。

幸福のアラビア「イエメン」サナア

■Writer
岡部能直
■Age
33歳
■Profile
世界の絶景や世界遺産を中心に旅を続ける旅人。七大陸制覇の経験を生かし、世界各国についての旅コラムを執筆。『世界のどこかで何か叫ぶ・・・かもしれない。』http://ameblo.jp/ok-be/

■Photographer
Sayaka
■Profile
100カ国訪問を目指し、世界の秘境、民族、珈琲を求めて女一人旅。現在61カ国。 「WORLDJOURNEY」http://ameblo.jp/sayaka821/


幸福のアラビア『イエメン』サナア

 世界一のスカイスクレイパー「バージュ・ハリファ」、ランドマーク的存在の7つ星ホテル「バージュ・アル・アラブ」、人工衛星からも見えるというヤシの木を模した人工島「パーム・アイランド」、その他にも高層ビルが立ち並び、高級ブランドショップ、高級ホテルが乱立。高級という名を欲しいままにするUAEアラブ首長国連邦ドバイ。
 だがしかし、そんなオイルマネーに沸くUAEと同じアラビア半島に位置しながら、アラブ最貧国といわれている国がある。アラビア半島の先端に位置するイスラム教国家、イエメン共和国。

 実は、僕はアラビア半島こそ知っていたが、イエメンという国がその半島の先っちょにあることは全く知らなかった。旅の途中で、首都サナアの旧市街がまるでアラビアンナイトの世界のように美しいということ、ソコトラ島という島が良い意味でヤバイということ、そんな抽象的な情報を旅人伝いに聞き、僕はイエメンに向かった。

 僕が首都サナアの空港に降り立ったのは2010年7月。イスラム圏は初めてではなかったので、ちょっと埃っぽいような空気、右から左に蛇が這っているように流れるアラビア文字、道路を行きかう古びた車など、空港から旧市街までのタクシーの中からの車窓は、イスラム教国家に再び来たんだなぁと思わせるには十分だった。
 ガイドブックも何も持っていなかった僕には、イエメンについての知識はほぼゼロ。知っていたのは、イスラム教国家であること、首都サナアとソコトラ島以外は危険だということ、アラビア語が公用語であること。そんなことくらいだった。
 色々調べてみると、アラブ最貧国でありながら『幸福のアラビア』とも呼ばれるイエメンの歴史は非常に古く、首都サナアは2,500年以上前から人々が暮らす、現存する世界最古の町とも、アラブの文明が発祥した地とも言われているらしい。またかつては、アフリカの宝石、インドのスパイス、中国の絹など、様々な物品が船で運ばれた港もあり、海のシルクロードの中継地としても栄えていたみたいだ。
(C)Sayaka@Yemen

 新市街に宿をとった僕は、旧市街まで行き散策してみることにした。新市街は趣の少ない背の低い建物が多く、統一性のないような印象だが、旧市街に入ったとたんに建物の雰囲気がガラッと変わる。建物の壁はカフェモカ色のレンガが積み重ねられ、窓枠は白色で縁取られ装飾されている。まるでホイップクリームで細工をされたケーキを思わせるような建物がひしめき合っているのである。サナア旧市街の町並みは1986年に世界文化遺産にも登録されていて、それまで半年以上観光を続けて多少観光に飽きがきていた僕の両腕にも、ざわざわと鳥肌を立たせるほどの迫力があった。
(C)Sayaka@Yemen

 日差しの中では白っぽく、また日陰の下ではチョコレートのような不思議な色を醸し出すその風景は、まさにアラビアンナイトの世界に迷い込んだかのような錯覚さえ起こさせる。景色をただボーっと眺めているだけで、幸せな気分になるのだ。

 建物の展望だけでなく、イスラム圏で暮らす人々は服装が特徴的だ。
(C)Yoshinao Okabe

 女性は、真っ黒なアバヤという黒装束に身を包み、目と手足の先以外の全てを隠しているため、極めて露出が少ない。長期間イスラム国家を旅していた男性の旅人が、女性の足首を見ただけで勃起したという笑い話があるくらいに露出がない。それにしてもお互いの目を見ただけで、それが友達だとか親戚だとか判別できるのだろうかと心配してしまうが、すれ違いざまに声を掛けているようなので、目や声の特徴だけで見分けは付いているのだろう。
 男性は、真っ白なイスラム民族衣装のカンドーラを着ている人ばかりが歩いているのを想像していたのだが、意外にもジャケットとシャツ、スラックスのような格好をしている人もいれば、巻きスカートのようなものを履いている人が多い。それにカンドーラを着ている人も、ジャケットを上に羽織っていたり、頭に孫悟空が付けているような黒い金冠を被っている人はほとんどいない。
 そしてイエメン人男性の最も特徴的なのは、ジャンビーアという剣を腰に挿して、町中を闊歩していることだ。全てのイエメン人男性ではないが、30~40%の男性はジャンビーアを挿しているのではないだろうか。一人前の戦士の象徴であり、誇り高きイエメン人だという証らしい。 
 (C)Yoshinao Okabe
(C)Yoshinao Okabe

 また、昼頃を過ぎると、なにやら葉っぱを口にひたすら詰め込み、おたふく風邪にかかったかのように頬を膨らませている男性が極端に増える。喋る口からは真緑状のものが見え隠れし、正直汚いのだが、頬の中にどんどん葉っぱを詰め込んでいく。

(C)Yoshinao Okabe

 これはカートという葉っぱで、イエメン人の趣向品の一つなのだが、カートのエキスには軽い神経興奮作用があり、他のイスラム国家だと違法なのだが、イエメンでは合法な趣向品として重宝され、彼らはカートを楽しみながら、宗教や政治についての話をしたり、社交を持っているらしいのだ。ただ、カートは生鮮もの。カート専門のスーク(市場)もあり、鮮度や質の高いものだと数千リアル(数千円)位するらしいので、毎日のようにカート、カートとなっているイエメン人男性達を見ると、アラブ最貧国とも言われる所以はカートのせいじゃないかと心配してしまうくらい、みんな好きなのだ。
(C)Sayaka@Yemen

 そんなある日、僕はイエメンにアラビア語を勉強しに来ている日本人に出会い、イエメン人の友人を紹介してもらった。
 旧市街にある、それこそアラビア半島を代表する巨大なスーク(市場)の衣料品店で働いているトフィークは、イエメン人には珍しく英語を話せるので、イスラム教徒の結婚についてや、仕事について、日本で働きたいという願望まで話してくれた。それに、彼のお店に遊びに行くと、その周辺の店の店員もアジア人を珍しがって近付いてくる。
 彼らは我々日本人もたまにやるように、アラビア語で僕に何かを言わせたがる。おそらくあまりよろしくない言葉だったり卑猥な言葉なのだろうが、僕が彼らの言葉を真似て発音すると、大爆笑するのだ。また彼らは僕に「ワルダン」というアラビックネームを付けた。人をコ馬鹿にする時に言う名前のようだが、親しみを込めて付けてくれたので、僕はありがたくその言葉をいただいておいた。いつも僕がお店に遊びに行くと、「ワルダン、ワルダン」と寄ってきてくれて、お昼時には食事に招待してくれたり、カートを一緒に楽しんだり、僕が客引きをするなどお店の手伝いをした。通りすがるイエメン人たちも、得体の知れないアジア人が客引きをしているものだから、タダでさえ大きな目を見開いて振り向いたりする。そんな時間がとても楽しかった。
 さらに、同年代のトフィークたちとは違い僕には父親世代ともなる、ハラジーという方も紹介してもらった。ハラジーは、旧市街の中心であるバーバールヤーマンという門に店を持っていて、そこで新聞を売っている。今思えば、父を亡くしている僕には父親にも似た親しみが沸いていたのだろう。
 ハラジーは新聞を売っているほかにも写真館を経営しているらしく、一緒に写真館で写真を撮ってくれてプレゼントしてくれたり、一緒にシャーイ(ティー)を飲んだり、お昼をご馳走になったり、大変お世話になった。
 僕がハラジーのところに遊びに行くと、決して軽そうとは言えない体を左右に揺すりながら、必ずといっていいほどシャーイをご馳走してくれて、アラビア語のハラジーと、日本語の僕の会話が始まる。ほとんど言葉の会話としては成り立たっていないのだが、ジェスチャーを交えて伝えようとするお互いの気持ちが、なんとなく会話をさせてくれているように感じる。耳から聞こえる言葉を超えて。
  (C)Sayaka@Yemen
(C)Sayaka@Yemen

 旧市街で楽しい時を過ごしたり、ソコトラ島まで足を伸ばして観光したり、ツアー観光に参加したりして、イエメンの滞在があっという間に3週間過ぎた。旅を続けるべく次の国へと向かう時が来た。僕はいままでお世話になったトフィークや仲間達、ハラジー、などに別れを言いに旧市街に向かった。
 スークのみんなは、次はいつイエメンに来れるんだ?とか、また必ず来いよ、と笑顔で見送ってくれ、僕も笑顔で別れを告げた。
 ハラジーは、帰る日の夕方に別れを言いに行った際、涙目になって見送ってくれ、さらにその時に「さよなら」をしたはずなのに、その数時間後にホテルまで遠い道のりを見送りに来てくれた。短期の旅行で訪れただけの僕のために、涙目で見送りに来てくれて、ホントに悲しそうな顔をしてくれるハラジー。もらい泣きしそうになった。
 さらに深夜にもかかわらず、トフィークも空港行きのタクシーに乗る時間に見送りに来てくれた。これが一生の別れではないと思ってはいても、気軽に行き来できる距離ではないことをお互いは認識しているので、楽しい時間を過ごせば過ごすほど、別れというのは辛くなるんだろう。
(C)Yoshinao Okabe

 イエメンはアラブ最貧国と言われるほどあって、人々の暮らしぶりは決して豊かであるとは言えない。物価も他のアラブ諸国に比べて極端に安い。ただ、人々の温かさ、優しさ、思いやりに溢れ、ホスピタリティがあり、絆を重んじる。そんなものが、アラブ最貧国といわれながら未だに『幸福のアラビア』、『幸福のイエメン』といわれている所以なのであろう。
(C)Sayaka@Yemen

 空港に向かうタクシーに乗り込んだ僕の目には、見送ってくれるハラジーとトゥフィークが、目尻から溢れそうになる涙で滲んで見えていた。

 2011年1月、イエメンでは、チュニジアから波及した大規模反政府デモが起こった。デモ隊と治安部隊などが衝突し、現在までに300名以上の死者も出ているという。外務省からも2011年8月現在、退避勧告が出ている。
 一刻も早くイエメン共和国に本当の平和が訪れ、その美しい町並みや自然、イエメンの人々の暮らしをまた僕らに見せてくれることを願っている。

『十人十旅』



トホホな話

旅先で、驚愕の騙された体験やガックリ落ち込んだこと、自分を全面的に否定したくなる失敗、なかったことにして欲しい勘違いなど、「旅の恥はかき捨て」とはよく言ったものである。そんな青ざめたり赤面したりなトホホな話をTwitterでRTやDMから拾って抜き出してみました。

@kobatoma16
モロッコで家の門に彫られている模様の写真を撮っていたら中から住人が出てきて、「家の中見るかい」と言われた。中には家族もいたので安全かと思って入れてもらったが、その男が妙な手つきで体を触りだしたので貞操の危険を感じて、適当なことを言って家から出た。まさか家族の前でコトには及ばんだろう。とも思ったが、家から出てもついてきて「飯でも食べてけよ」とかしつこいから、走って逃げた。そしたら後ろで「ファイブダラーーー!」って叫んでた。体がダメなら金か!と思った(笑)

@taniwheelie
レバノンでの出来事。野犬に追われて逃げ切れずやむ追えず民家に逃げ込みました。そうしたら民家の住人が「日本人が急に訪問してきた!めでたいことだ!」と興奮し、僕の歓迎パーティーを開いてくれました。

@tadahiroshi
「首長族に会える」って言われて日本円で45500円払って山に登ったら、首長くない民族の村に着きました。

@kimkatsu
ザンジバル島の電気のきてないエリアで黒人の女の子と夜2人で村の方へ歩いていたら、懐中電灯消してと言われ、ムフフと思ったら、次の瞬間、道の脇にしゃがんで放尿してた。

@taniwheelie
ヴェネズエラとブラジルの国境(ヴェネ側)。検査官が「おまえは怪しい」と自分は別室に連れて行かれた。カバンを渡すと「違う違うお前の下半身が怪しい」と。結局パンツを脱がされ下半身をジロジロ見られたのち解放されました。ちなみに、カバンと上半身のチェックは無。

@rube_shu50
インドからタイヘ入国。BPに行ったが体調不良ですぐにタクシーで病院へ。そして入院。一週間後退院。退院当日、病院から空港へ。そして帰国。初めてのタイは病院ライフを満喫しました。


自炊派の手料理

旅に出たら現地の料理を食すに限る。でも物価の高い街での長めの滞在となると、さすがに外食ばかりはフトコロに堪える。そんな時は自炊。簡単で安くて美味しい自炊派の手料理をご紹介。

「とろとろスープ」四人分

どこの国でも比較的簡単に安く手に入る材料で美味しくあったま~るスープ。
準備するものは
■タマネギ・・・・・・・一個
■ガーリック・・・・・・一片
■油・・・・・・・・・・少々
■チキンブイヨン・・・・一個
■トマト缶・・・・・・・400ml
■水・・・・・・・・・・300ml
■小麦粉・・・・・・・・100g
■塩&胡椒・・・・・・・少々

作り方
① タマネギとガーリックをみじん切りにする。

② 油を少し入れた鍋に、ガーリックとタマネギをしんなりするまで炒め、トマト缶、水(300ml)、チキンブイヨンを入れて沸騰させる。

③ 沸騰するのを待っている間に、小麦粉に水(150ml)を加えて練る。固さは練った小麦粉をスプーンですくって、落とした時に「飲むヨーグルト」くらい軟らかければOK!

④ 鍋の中が沸騰してきたら、小麦粉をスプーンですくいながら、鍋の中にポタポタと落としていけば、面白いように小麦粉が丸く固まるので、温度を下げないように気を付けながら、小麦粉を全部落として、ひと煮たち。塩胡椒で味を整えて完成!!(辛くしたければ、最後にチリソース)

とろりとしたスープにすいとんのようなパスタのような食感の小麦がおいしい。意外にお腹いっぱいになり、満足感アリ。自分の好きな材料を入れたり、余った材料を投入すれば豪華なスープに変身!

■情報提供
谷津 達観(やつ たっかん)
料理一筋!懐石料理で腕を磨き、中華料理店の店長を経て、世界一周の旅に!
現在、夫婦で旅に出て9ヶ月。一年の予定で現地の食材や料理を学びながら旅をしています。
食べるのも、作るのも大好き!
「家から徒歩1年☆たっかんとじんみ2人世界一周」
http://ameblo.jp/worldjourney2010/


アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)

■Writer&Photographer
Chibirock
■Age
33歳
■Profile
Sigur RosとBeirut贔屓のメタル好きバックパッカー。チベット越えてインドで太って台湾の農家で大豆を選り分けたり。最近結婚したが放浪やめる気毛頭無し。
http://blog.chibirock.net/


4.台湾朋友のリッチな実家へ1泊旅行 《台湾・台南編》
 
 平日のスケジュール。朝起きる→朝飯たべる→ごろごろ→昼飯たべる→昼寝する→夕方散歩行く→ビール買って帰る
 気まますぎも本当によくない。やっぱり人間、何がしか「やらなきゃいけないこと」がないとよくない。修行のつもりで日本出たのに、日本以上にぬるい湯につかることになるとは!こんな状態じゃインドの地踏んだとたん即死しちゃいそうだよ!つことで1日1時間命がけでウォーキング。など、自分に厳しい義務を課すんだ。

 週末は我的台南朋友達が、貴重な時間をつぶしてあたしを連れ出してくれる。今週の、「モー街は疲れた!田舎に行きたいよ!」というあたしのワガママに、阿銘&テイミーのカップルはテイミーの実家に行こうというプランにてお応えしてくれた。
 台南から高雄を経由して電車で1時間のところに、テイミーのホームタウン、「屏東(ピンドン)」の街があるのです。駅に迎えに来てくれた、やたらお若いテイミーのお母さんは、なぜだか片言の日本語を操り、いろいろ話しかけてくれた。
 とりあえず近場の田舎っぽいところに行きたいと思って、屏東近くの「三地門」ってどうよ!と提案したところ、昼間行っても死ぬほどなにもないんだよ!ってことで、そこにある夜景の見えるレストランに連れてってくれた。不思議とバリのような蒸し蒸しした雰囲気の、四方八方完全オープンなレストラン。サバサバしたお母さんと甘えんぼのテイミーの相性がぴったりなようで、この親子は友達みたいに仲が良く微笑ましい。
 花のサラダ withやたら甘いマヨネーズや、エビ揚げたやつとか、いかんせん何食べてもパッとしない台北じゃ考えられないくらい、おいしく楽しくいただきました、三地門ディナー。ごっそさんです!
 ちなみに、薬膳スープに入っていた真っ黒い鶏の足先を食べようとしたところ、そんなもの食べるもんじゃない!と止められた。香港の飲茶じゃ人気料理だがな…、微妙な文化の違いに戸惑う。

 その後、テイミーの実家に行くと、テイミーのお母さんは一人で、景色のよいマンション10Fにございます4LDKに住んでいる事実が発覚。なんすかこのゆとりあるお住まい。後からこっそり、阿銘に、あのうなんでこんなにお母さん金あんの?と聞くと、離婚してるけど豚足料理の店で儲かってんだよ、とのこと。
 豚足ドリーム!
 お母さんは最近凝ってるというアイスワインなるものを出してくれたのち、忙しそうにお姉さんとこに出かけていった。一瓶、1万円。アイスワインて何よ?と半信半疑でこれまたゴージャスでずっしりヘビーなグラスでいただきましたところ、あら、なに、これ!そんな1万円を、うっかり、1本まるまる、飲み干したのは、わたしです。今この場をかりて深くお詫びいたします。

 翌日のランチは、テイミーのお母さんがやってる豚足料理の店に。タクシーで行こうとしたところ、なんと地元なのにボッたくられたとのこと。通常地元の人はタクシー使わないし、ガキだと思われて50ドルくらい余分にとられたらしい。地元でもそういうことあるんだと思うと、外国人なんてボられて当然だな。久々に、ここは日本じゃないんだ感をかみしめた。
 タクシー運転手の名前をチェック。「呉萬得」。なんかちゃっかりしてそうな名前してるもの。屏東でこのタクシーにもし乗ったら、カマキリの卵でも仕掛けておいてください。食らえ時間差アタック。
 ま、なんやかんやありましたけども、着きました。なんちゃら、大王。自信満々なネーミング。完全なる家族経営らしく、この人はわたしのお母さん、この人は叔母さん、この人は弟の奥さん…と永遠に続くとも思われた家族紹介ののち、お料理がやってまいりました。豚足の煮込みと、客家風の麺。これ両方ともめっちゃ美味しかったんだが、豚足料理屋の娘は、非常に残念ながら豚足のプルンプルン部分が嫌いとのことで、プルンプルン部分を取り除いた別皿で食ってた。プルンプルン部分のおかげでここまで大人になれたのに…と思うと歯がゆい気になったが、致し方ない。

 田舎で楽しい週末を過ごし、すっかりゴキゲンChibirock。今回お世話になった屏東の皆様、いつまでもお元気で。好吃なごはん(とワイン)ごちそうさました~!

追記:あたし、金あっても、4LDK住めない。(掃除できない)



5.Jedi的太極拳修行乃朝 《台湾・台南編》

 昔は会社帰りに太極拳に行くため、ジャージで出勤したこともあった。(会社所在地:東京都心ド真ん中、外苑前)

 中華圏じゃー、朝の公園といえば健康を意識なさる老人、否、ジェダイ天国。とゆことでマンションすぐ向かいの公園に早朝いってみればいますいます健康生活ひとすじの中・高年のジェダイ。
 公園の細道を行き、まず手前に見えますのは、リズミカルにケツをフリフリするジェダイチーム。腰回しダイエットと同じような発想のフリフリと推測される。ミディクロリアン値は比較的高い(嘘)。
 次に右手に見えますのはおそろいのユニに身をつつみ、ラジオ体操風な動きをBPM40くらいでおこなうジェダイ。おもに女性。全員パダワンだそうだ(嘘)。そのほかソロで、全身をとにかくひっぱたきまくる女性、ベンチのカーブ部分にねそべり身体を伸ばしまくる男性、はたまた腕を力任せにブンブン振り回しまくる老人など、みなさん思い思いの修行に忙しそうである。

 果たして、ジェダイ評議会(またの名を太極拳団体)も案外すぐに発見した。一番はじっこのマスターに、「可以~?(いいかな~?)」と聞いてみれば「オッケオッケ!あんたよくわかんないだろうから真ん中いきな!」(想像訳)
 結構四方八方向くので、初心者は通常どの向きでも他の人の動きが見れる位置にくるんである。ということで初っ端ど真ん中で参加。太極拳の修行にはいろんな様式があって、そのうちの一部しか知らないけど、朝っぱらから久々のロングバージョンは結構身体にこたえたぜ。基本常に中腰、どっちか片方の足だけに体重をかけてゆっくり動く、てね、結構きついでよ。
 数パターン終えたのち、ジェダイマスターたちは各々のライトセイバー(太極拳用刀)を取り出し、修行に励む。マスターたるもの、日々の修行は怠らない。それがエピソード2でヨーダがドゥークー伯爵相手に見せたような、驚愕の剣技に通ずるのである!

 猛突進してくるバイクをフォース(手)で制し、信号無視して道路を渡れるまでになったけど、今後よりいっそうカオスな国々へ入るにあたり、さらなる鍛錬の必要性をモリモリと感じている。

 さ、明日も修行に励むべく、そろそろ寝る、としたいところだけどビールが飲み終わるまでは夜を楽しむとしましょう。

では、フォースと共にあらんことを。




6.カイ・シデンは果たしてどっち?《台湾・台南編》

 ただ今、台南から彰化に向かい中。自由席の切符を買ったものの、どうやら今座っているこの席が、指定席である可能性が非常に高くなってきたので、途中駅で止まるたびに「そこ、俺!」って怒られんじゃないかとヒヤヒヤしているなう。今のとこ4駅クリア。あと1駅で全クリ。

 さて、バイクで駅まで送ってくれたデイミー(昨日まで「テイミー」だと思ってた)と別れ、一人旅開始直後、早速もやもやな現象が発生。券売機で彰化行きの切符が買えず、ウロウロしていたところ、カイ・シデンばりに狡そうな顔の男が、どこに行くのか、っぽいことを話しかけてきた。貴重品類をがっつりカバーしつつ、彰化に行くけど切符をまだ買ってない、と言うと、俺が乗る電車で行ける、とのこと。カイ・シデンの切符を見ればあと数分で発車する。急いで急いで!と急かされると途端にめんどくさくなり、自分で買うから!ありがと!と遠慮するも聞く耳持たず、ってか耳自体無いのかってほどにカイ・シデンは取り憑かれたように券売機のボタンを押しまくる。うまいこと彰化行きの表示が出て、金を券売機に入れようとするもうまくいかず、何度も戻ってくる。カイ・シデンは「俺が買う」と自分の財布から500元を出すが、それは結構、とお断り。一旦取り消しすることにした。
 あれ。
 251元だったから300元入れようとしてたはずが、今手元には200元しかないね。あたし300元入れたよね。と聞くも、英語わかりませんのキョトン顔。
 こ い つ や り や が っ た か ?
 しかしイマイチ300元入れたか確信持てず、あいかわらずのキョトン顔なので、これ以上突っ込めず、なんかもう一人になりたくなってきたので、ATM行ってくるから電車のって君は!とその場を離れた。
 しばらくぶんの金をおろして、また券売機に戻ると、カイ・シデンはまだそこにいて、早く買いな!とせかす。あれ、うーん。チョロまかしたら普通さっさと消えるよね。あたし明らかに警戒したし。勘違いなのか?もう考えるのも面倒すぎて、自分で買うからいいよ、と首をふりまくると、彼は改札通ってホームに消えてった。
 様々な角度から検証すると悪人:7割 善人:3割の割合だが、万が一善人だったらカイ・シデンは自分の切符を無駄にしてまで尽力してくれたことになる。
 しかし台湾本を見れば、乗りそびれても払い戻しはできるようなので、いずれにせよたいして損はしていないようだ。まあ、100元(260円)チョロまかされたとしても、いい。気合い入りました。

 友達に囲まれて、ぬくぬく楽しかった日々は思い出としてそっとこころにしまいこみ、改めて、一人旅始めます。
 ひとまず、指定席らしき席からは追い出されず、無事彰化に到着しました。なんだこの清々しい達成感。
 生あったかく、見守ってちょうだい。では、飲むね。





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