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イエメン

■Writer&Photographer
鈴木モト
■Age
30歳代前半
■Profile
男性 静岡県出身。高校時代、陸上でインターハイ出場。ベストタイム10秒84(100M)
美容師免許、管理美容師免許取得。
MIXIコミュニティー、「鈴木の書く世界一周旅行記が好きだ」2800人突破。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3502328 
現在、一眼レフカメラ片手に世界を放浪中。
ブログ「地球の迷い方。~世界放浪編~」
http://ameblo.jp/roundtheworld200130/

イエメン

 ホンダの原付カブにまたがり、アクセルを全開にし、いつもと同じ道をひた走る。そして前カゴいっぱいに積んだ新聞を、一軒一軒いつもと同じ家々のポストの中に入れてゆき、日が暮れる前にすべての新聞を配り終えた。家路に着き、ホンダのカブを駐車場に停め、ヘルメットを脱ぎ、汗をぬぐう。家の玄関のドアを開けると、いつもと同じ様に愛犬のヤックルがキャンキャンと吠えながら俺に飛びついてきた。日本に帰ってからの、いつも通りの日常。ヤックルの頭を軽くなでてやり、ニューバランスの靴を脱ぎ、階段を上る。自分の部屋のドアを開け、古びた黒いソファーにずっぽりと腰を沈め、今日も1日疲れたなと思いながら、深くため息をつく。

 リモコンに手を伸ばし、TVをつけると若い女の子のグループが楽しそうに踊っているCMが流れていた。そして、相変わらず俺の部屋は、脱ぎっぱなしの服や読みかけの本がいくつも散乱していた。旅から帰ってきてすでに数ヶ月も経つというのに、まだ一度も部屋を掃除してなかったなと思い、思わず頭をかいてしまった。そろそろ掃除をしなければ、横になるスペースも無くなってしまうだろう。散らかった部屋を改めて見渡すと、部屋の入り口近くに、エンジ色のバックパックが転がっているのが目に付いた。だらしなく開いたバックパックのチャックからはストールがちょこんと顔を出し、旅から帰ってきたあの日の姿のままでひっそりと存在感を消すように部屋の隅に転がっていた。
 俺はソファーから重い腰を持ち上げると、75リットルの使い古したバックパックを持ち上げた。1年8ヶ月間共に旅した、このバックパックという相棒は、こんなに重く、こんなにも汚れていたのかと改めて思った。そして俺は乱暴にそれをひっくり返した。大きく開いたチャックから、さまざまな物が飛び出し、ジャラジャラと音を立てて床の上に落ちた。下痢止めの錠剤や抗生物質、旅で着ていた薄汚れた服、ボールペンやノート、そしてインドで買ったカラフルなストール。さらに激しく揺すると、サイドのポケットから1枚のCDがポロリと落ちた。そのCDを見て、懐かしさのあまり思わず声を上げてしまった。まだ封を切っていない真新しいCD。CDの表紙には、油絵の様なタッチで、中東でよく見られたモスクの絵が描いてあった。そして大きく英語で「アザーン」と書いてあった。確か、世界中のアザーンを何種類も集めてあるアザーン専門のCDだったはずだ。イランで仲良くなったおじさんが俺にプレゼントしてくれたCDだった。
 中東やイスラム圏に居た頃、毎日毎日、町のスピーカーというスピーカーから大音量でアザーンというものが鳴り響いていた。初めてアザーンを聞いた時、俺は何の歌を流しているんだろと不思議に思ったが、お祈りの時間を知らせる為に流してるんだよと、友達になった日本人が教えてくれた。以前誰かのブログで、アザーンの事を、「サッカーの試合前に歌う、君が代に何だか似てると思った」と書いてあるのを読んだ事があったが、男性が独特のメロディーで歌い上げるアザーンを聞いた時、あながち間違いじゃないと思った。
 早朝の大音量のアザーンにびっくりして、何事かと飛び起きてしまった事もあったが、中東に長く居た為か、アザーンを聞く事が、生活の一部となった。毎朝、大音量のアザーンに起こされる事で1日が始まり、夕方のアザーンを聞きながらそろそろ夕食の時間だなと思いながらレストランを探した。
 俺はCDのジャケットを無造作に破くと、使い古した東芝のパソコンを立ち上げ、イラン人のおじさんが買ってくれたアザーンのCDを取り出し、パソコンに入れた。そして再生ボタンを押した。アザーンを聞くだけなのに少しドキドキしている自分が何だかおかしかった。数秒すると、無機質なパソコンの画面から独特の声で男性が歌うあのアザーンが流れ出した。
 俺は、懐かしさのあまり、両手で顔を覆ってしまった。さまざまな中東での思い出が、一瞬でフラッシュバックした。イスラム圏独特のあのファッション、ちょっと慣れ慣れしい程のフレンドリーな人々、野良犬やヤギがウロウロしていたあの路地裏、少々おせっかいな人々、好奇心に満ちた子供の様な目をしたおじさん達、そしてあつかましい程の親切。さまざまな事が思い出され、懐かしさのあまり涙が出そうになった。日本で働いている「今」と、旅をしていた「過去」の日々。あまりにも違う毎日のせいか、アザーンのメロディーを聴いていると、旅していた頃の事が遠い遠い過去の出来事の様に感じた。自分の部屋のソファーに沈み、旅の感傷にふけっていると、仕事をすべてほっぽり出して、また中東やイスラムの国々に帰りたくなってしまった。
 俺が旅した中東。そしてイスラムの国々。俺にとって中東とは未知の世界であったが、実際訪れてみると、自分の中に漠然とあった中東のイメージが音を立てて崩れていった。それと同時に、自分の中で作られていた常識や価値観も同じように崩れていった。


 個人的に最も良かったと思う所が、幸福のアラビアと言われている「イエメン」だろうか。イエメンの人々はまるで、映画の衣装の様なスタイルだった。女性達は、チャイドルという黒い服を頭からずっぽり被り、顔や口を黒いマスクで覆い、目しか露出していなかった。そして男性は、頭にターバンの様なものを巻き、ボクシングのチャンピオンベルトの様な黄金色の大きなベルトを誇らしげに腰に巻き、そのベルトにジャンビアという短剣をざっくりと挿していた。そして男性は皆、「カート」と呼ばれている軽い覚醒作用のある葉っぱをほっぺた一杯に頬張り、それをクチャクチャと噛みながら、朝から晩まで仲間とのおしゃべりに花を咲かせていた。
 世界遺産に登録されている旧市街の家々は、泥を塗りたくった様な外壁に、茶色や白のペンキを塗り、まるでお菓子の様な家だった。そして迷路の様に入り組んだ路地裏に迷い込むと、すぐに方向を見失ってしまった。石畳の道を、荷物を積んだロバが行き交い、裸足の子供達が元気に走りまわっていた。子供たちは外人の俺を見つけると、キラキラした好奇の目で見上げてきた。
 
 バザールにはいくつもの露店がひしめき合い、カラフルなスパイスがいくつも売られ、香辛料の独特の匂いが立ちこめていた。先程さばいたばかりであろう、新鮮な羊の肉が生々しい姿で売られ、その店の前を野良犬がウロウロし、おこぼれを狙っていた。肉屋の親父が一喝すると、野良犬達は、すごすごと一時的に退散するものの、時間が経つとまたチャンスを狙う様に、肉屋に少しづつ近づいていった。露店には、カラフルな野菜達がこぼれ落ちそうな位、山盛りで積まれ、黒いチャイドルを着た主婦らしき人達が、じっくりと品定めをしながら、手に持ったカゴに野菜を入れてゆく。
 
 日が傾き、乾いた日差しが黄金色に変わる頃、大音量でかかるアザーンを聞きながら、短剣を腰にさしたイエメン男性やチャイドルをまとった女性達にもまれ、さまざまな匂いや煙の立ち込める活気あるバザールを歩いていると、一体自分は何処に迷い込んでしまったんだろうと、不思議に思ってしまった事もあった。ツーリストのほとんど居ないその町は、映画のセットのワンシーンの様な、味のある異世界だった。
 
 そして中東やイスラム圏を旅して、彼らには本当に良くしてもらったと思う。優しかったと思う。午前3時に列車で目的地に到着してしまい、どうしようか悩んでいると、列車で隣の席だった家族連れのおじさんが家に招待してくれて、昼まで寝かせてくれた。地図を広げているだけで道に迷っているのか?と皆に囲まれ、目的地に連れて行ってもらった。道を尋ねると、タクシーを使って俺を目的地まで送り届けてくれた事もあった。もちろん不快な思いもする事もまるで無かった訳ではないが、どうして言葉も通じない外人の俺に、こんなに親切にしてくれるのだろうと不思議に思った事もあった。そして本当に親切な人ほど、恩を売ってこなかった。

 何だかとても懐かしい出来事だったなと、天井を見上げながら旅を思い返していると、いつの間にかアザーンのCDが終わり、無機質なTVからは、ネクタイを締めた真面目そうなニュースキャスターが、無表情で暗いニュースを読み上げていた。何だか現実に引き戻された気分になり、俺は再びパソコンの画面の再生ボタンをクリックし、アザーンを大音量で流した。アザーンがTVの音をかき消していった。旅していた頃が、遠い過去の出来事に感じた。

 今思えば、旅してた頃は、毎日時間がゆっくり流れていた。好きな本を好きなだけ読めた。急ぐ必要も無いから、歩くスピードも亀の様に遅くなった。世界中に引越しするのが日課になった。財布からお金をすろうとした男に、思い切り中指を立てた事もあった。路上で転がっている汚れた子供達をみて、どうする事も出来ない感情を覚えた事もあった。素晴らしい景色を見て、言葉を失った事もあった。世界には、こんなにも多くの見所があるなんて思っていなかった。こんなにも世界が近くて、世界が広いとは思っていなかった。

 俺はまた旅に出ると思うけど。あとどれ位旅するかわからないけれど。俺はもういい歳で、貯金も全く無いけれど。人生そんなに甘くは無いかもしれないけれど。旅から帰ってきたら、新聞配達位しか仕事は無いだろうけど。
 戦争の無い平和な国に生まれて。屋根のある所で毎日寝れて。飢えとは無縁の生活が出来て。何処の国にでも行けて。五体満足で。それだけで幸せかなとも思って。それを忘れず生活していくべきなのかなと思ったりもして。旅に出て、考え方が少し変わったと思った。そして、そろそろまた、日本を出ようかなと思った。
 日本はビザ無しで旅行出来る国の数が世界第1位という奇跡の国だと聞いた事がある。さらには、日本という国は多くの国々に支援してきたせいか、あまり嫌われていない。宗教間の対立も無い。「人生」とは、「死ぬまでの暇つぶし」と誰かが言っていたが、地球を自由に旅してその「暇つぶし」が出来れば、ある意味最高かなとも思ってしまう。日本のパスポートという、最強のパスポートを持って、また地球を散歩してこようかな。だって俺は、「地球」という気まぐれで巨大な彼女に、すっかり惚れ込んでしまったのだから。

 数週間後、職場に別れを告げ、わずかなお金を持って俺はまた、あての無い旅に出かけた…。


初アジア、初中東のイエメン旅

■Writer&Photographer
bin
■Age
26歳
■Profile
2009年春に初海外&初一人旅をデビューし、これまで東欧を中心に10ヶ国てくてく散歩。好きな国:①チェコ②ブルガリア③イエメン。
Blog:【bin】世界中がおもちゃバコ
http://bintravel.exblog.jp/


初アジア、初中東のイエメン旅

イエメンと聞いてイメージするもの…。
 最近だと、民主化運動が激化しての内戦、サレハ大統領爆撃暗殺未遂事件、アル・カーイダ関連のテロ、部族紛争etc.日々メディアはこういった関連の事件が大々的に報道されている。
 もちろん、そういった事実はあるのだろう。でも、日々の報道を見聞きしているうちにふと思った。治安面で取り上げられている国の中にも、人々は住んでおり、コミュニティーがあるだろう。そうすると、我々日本人から見ると貧困の差は少なからずあったとしても、そこに住んでいる人々にも日々の幸福があるのではないのか?
 でも、想像を絶する暮らしぶりだったりするかもしれないし、考えても分からなかった。
 だから行ってみた、イエメンへ。
 
そこに住んでいる人々。
 一人の男性が近づいてきて「お金をくれ」と小声で呟いた。僕は悩んだ挙句、お金を渡さずに断った。その後、しばらく周辺にいたイエメン人達と楽しく会話していた。よく見ると、その輪の中に、先ほどの「お金をくれ」の男性が混じっていた。どうやらもう、「お金」は“過去”の出来事で、みんなでお喋りしている“今”の方が楽しくなったようだ。
 別の時、買い物をせずにぶらぶら散歩していたら、観光地でよくある「何か買って!」に出会った。もちろん商売のため、観光客に声をかけるのは彼らの仕事である。僕はいらないと断った。すると次の瞬間、彼らが発した言葉は「じゃぁ、お喋りしようよ!写真撮って!」だった。どうやらここでも、もう商売は“過去”の出来事で、無理だと思った瞬間“次”の楽しさを探しているようだった。僕はその後、彼らの店に招待されてチャイを御馳走になり、会話を楽しんだ。
 彼らはホントに切り替えが早い。そして人懐っこい。たくさんの人達と仲良くしたいだけなんだ。僕らと同じで。
 

世界遺産ソコトラ諸島で。
 イエメンは世界遺産が全部で4つあり、僕はこの旅でサナア旧市街、シバームの旧城壁都市、ソコトラ諸島の4つに訪れた。そのうちソコトラ諸島は、2008年に自然遺産登録され、インド洋のガラパゴス諸島とも呼ばれている。このソコトラ諸島で事件は起きた。

 イエメン到着後、乾燥した空気と砂ぼこり、連日の移動による疲労からか、海沿いのキャンプに宿泊している最中に急激に体調を崩したのだ。日本から持参していた薬を飲んでも一向に体調は良くならず、夜中に寒気と汗の繰り返しで何度も目が覚め、朝を迎えると体が起き上がらなくなった。何とか体を起こして立ち上がっても、まっすぐに歩けずフラフラした状態だった。もちろんこの日のトレッキングは中止し、電気、水道、ガスの設備の無いキャンプ場で、僕は一人寝て過ごしていた。どのくらいの時間を寝ていたか分からないが、運転手が残りの人達をトレッキングの場所まで案内した後、心配して戻ってきた。思考回路がはっきりしない僕は、運転手に促されるまま車に乗った。彼は英語を全く話せないし、僕はフラフラだったので、無言の車内はどこに向かっているのか理解できなかった。しばらく車で走った後、ここで降りろと言われた。何がなんだかわからない。運転手の後を、足を引きずりながら僕は追った。
 一軒の家が見えてきて入ると、中にはたくさんの子供や大人の男女がいて、僕を興味深く見つめていた。奥に案内された所でやっと理解できた。ここは病院だった。まるでDr.コトーの診療所のようなひっそりとした病院。優しそうな顔をした先生らしき人に症状を伝えると、注射を打つことを提案してきた。すぐに頭をよぎったのは、「使い回しの注射」だった。一生懸命断ると、周りの子供や大人に笑われた。注射が苦手だと思ったのだろう。それが悔しくて、注射を了解した。内心はすごくドキドキしていたが、僕の心配をよそに袋に入った新しい注射が出てきた。僕は安心して、言われるがままにお尻に注射を打ってもらった。自分でお尻を突き出して、立ったまま。
 注射を終え、薬をいただき、僕は帰された。彼らはお金を受け取ってくれなかった。観光客として好きでこの島に来て、勝手に体調を崩して、貴重な薬を投与してくれたのにも関わらず。彼らの好意により、僕はこの後体調が良くなった。何一つ、お礼が出来なかった。彼らも望まなかった。それでも住所くらい聞いていれば、帰国後お礼が言えたのに。当時の僕はフラフラだったので、そこまで頭が働いていなかった。小さくて自然に溢れた島の、人々の無償の好意。僕はこの島で、「旅人とは何か」と考えさせられ、未だ答えを出せずにいる。だからまた旅に出るのだろう。失敗を繰り返しながら成長するために。

幸福のアラビア「イエメン」サナア

■Writer
岡部能直
■Age
33歳
■Profile
世界の絶景や世界遺産を中心に旅を続ける旅人。七大陸制覇の経験を生かし、世界各国についての旅コラムを執筆。『世界のどこかで何か叫ぶ・・・かもしれない。』http://ameblo.jp/ok-be/

■Photographer
Sayaka
■Profile
100カ国訪問を目指し、世界の秘境、民族、珈琲を求めて女一人旅。現在61カ国。 「WORLDJOURNEY」http://ameblo.jp/sayaka821/


幸福のアラビア『イエメン』サナア

 世界一のスカイスクレイパー「バージュ・ハリファ」、ランドマーク的存在の7つ星ホテル「バージュ・アル・アラブ」、人工衛星からも見えるというヤシの木を模した人工島「パーム・アイランド」、その他にも高層ビルが立ち並び、高級ブランドショップ、高級ホテルが乱立。高級という名を欲しいままにするUAEアラブ首長国連邦ドバイ。
 だがしかし、そんなオイルマネーに沸くUAEと同じアラビア半島に位置しながら、アラブ最貧国といわれている国がある。アラビア半島の先端に位置するイスラム教国家、イエメン共和国。

 実は、僕はアラビア半島こそ知っていたが、イエメンという国がその半島の先っちょにあることは全く知らなかった。旅の途中で、首都サナアの旧市街がまるでアラビアンナイトの世界のように美しいということ、ソコトラ島という島が良い意味でヤバイということ、そんな抽象的な情報を旅人伝いに聞き、僕はイエメンに向かった。

 僕が首都サナアの空港に降り立ったのは2010年7月。イスラム圏は初めてではなかったので、ちょっと埃っぽいような空気、右から左に蛇が這っているように流れるアラビア文字、道路を行きかう古びた車など、空港から旧市街までのタクシーの中からの車窓は、イスラム教国家に再び来たんだなぁと思わせるには十分だった。
 ガイドブックも何も持っていなかった僕には、イエメンについての知識はほぼゼロ。知っていたのは、イスラム教国家であること、首都サナアとソコトラ島以外は危険だということ、アラビア語が公用語であること。そんなことくらいだった。
 色々調べてみると、アラブ最貧国でありながら『幸福のアラビア』とも呼ばれるイエメンの歴史は非常に古く、首都サナアは2,500年以上前から人々が暮らす、現存する世界最古の町とも、アラブの文明が発祥した地とも言われているらしい。またかつては、アフリカの宝石、インドのスパイス、中国の絹など、様々な物品が船で運ばれた港もあり、海のシルクロードの中継地としても栄えていたみたいだ。
(C)Sayaka@Yemen

 新市街に宿をとった僕は、旧市街まで行き散策してみることにした。新市街は趣の少ない背の低い建物が多く、統一性のないような印象だが、旧市街に入ったとたんに建物の雰囲気がガラッと変わる。建物の壁はカフェモカ色のレンガが積み重ねられ、窓枠は白色で縁取られ装飾されている。まるでホイップクリームで細工をされたケーキを思わせるような建物がひしめき合っているのである。サナア旧市街の町並みは1986年に世界文化遺産にも登録されていて、それまで半年以上観光を続けて多少観光に飽きがきていた僕の両腕にも、ざわざわと鳥肌を立たせるほどの迫力があった。
(C)Sayaka@Yemen

 日差しの中では白っぽく、また日陰の下ではチョコレートのような不思議な色を醸し出すその風景は、まさにアラビアンナイトの世界に迷い込んだかのような錯覚さえ起こさせる。景色をただボーっと眺めているだけで、幸せな気分になるのだ。

 建物の展望だけでなく、イスラム圏で暮らす人々は服装が特徴的だ。
(C)Yoshinao Okabe

 女性は、真っ黒なアバヤという黒装束に身を包み、目と手足の先以外の全てを隠しているため、極めて露出が少ない。長期間イスラム国家を旅していた男性の旅人が、女性の足首を見ただけで勃起したという笑い話があるくらいに露出がない。それにしてもお互いの目を見ただけで、それが友達だとか親戚だとか判別できるのだろうかと心配してしまうが、すれ違いざまに声を掛けているようなので、目や声の特徴だけで見分けは付いているのだろう。
 男性は、真っ白なイスラム民族衣装のカンドーラを着ている人ばかりが歩いているのを想像していたのだが、意外にもジャケットとシャツ、スラックスのような格好をしている人もいれば、巻きスカートのようなものを履いている人が多い。それにカンドーラを着ている人も、ジャケットを上に羽織っていたり、頭に孫悟空が付けているような黒い金冠を被っている人はほとんどいない。
 そしてイエメン人男性の最も特徴的なのは、ジャンビーアという剣を腰に挿して、町中を闊歩していることだ。全てのイエメン人男性ではないが、30~40%の男性はジャンビーアを挿しているのではないだろうか。一人前の戦士の象徴であり、誇り高きイエメン人だという証らしい。 
 (C)Yoshinao Okabe
(C)Yoshinao Okabe

 また、昼頃を過ぎると、なにやら葉っぱを口にひたすら詰め込み、おたふく風邪にかかったかのように頬を膨らませている男性が極端に増える。喋る口からは真緑状のものが見え隠れし、正直汚いのだが、頬の中にどんどん葉っぱを詰め込んでいく。

(C)Yoshinao Okabe

 これはカートという葉っぱで、イエメン人の趣向品の一つなのだが、カートのエキスには軽い神経興奮作用があり、他のイスラム国家だと違法なのだが、イエメンでは合法な趣向品として重宝され、彼らはカートを楽しみながら、宗教や政治についての話をしたり、社交を持っているらしいのだ。ただ、カートは生鮮もの。カート専門のスーク(市場)もあり、鮮度や質の高いものだと数千リアル(数千円)位するらしいので、毎日のようにカート、カートとなっているイエメン人男性達を見ると、アラブ最貧国とも言われる所以はカートのせいじゃないかと心配してしまうくらい、みんな好きなのだ。
(C)Sayaka@Yemen

 そんなある日、僕はイエメンにアラビア語を勉強しに来ている日本人に出会い、イエメン人の友人を紹介してもらった。
 旧市街にある、それこそアラビア半島を代表する巨大なスーク(市場)の衣料品店で働いているトフィークは、イエメン人には珍しく英語を話せるので、イスラム教徒の結婚についてや、仕事について、日本で働きたいという願望まで話してくれた。それに、彼のお店に遊びに行くと、その周辺の店の店員もアジア人を珍しがって近付いてくる。
 彼らは我々日本人もたまにやるように、アラビア語で僕に何かを言わせたがる。おそらくあまりよろしくない言葉だったり卑猥な言葉なのだろうが、僕が彼らの言葉を真似て発音すると、大爆笑するのだ。また彼らは僕に「ワルダン」というアラビックネームを付けた。人をコ馬鹿にする時に言う名前のようだが、親しみを込めて付けてくれたので、僕はありがたくその言葉をいただいておいた。いつも僕がお店に遊びに行くと、「ワルダン、ワルダン」と寄ってきてくれて、お昼時には食事に招待してくれたり、カートを一緒に楽しんだり、僕が客引きをするなどお店の手伝いをした。通りすがるイエメン人たちも、得体の知れないアジア人が客引きをしているものだから、タダでさえ大きな目を見開いて振り向いたりする。そんな時間がとても楽しかった。
 さらに、同年代のトフィークたちとは違い僕には父親世代ともなる、ハラジーという方も紹介してもらった。ハラジーは、旧市街の中心であるバーバールヤーマンという門に店を持っていて、そこで新聞を売っている。今思えば、父を亡くしている僕には父親にも似た親しみが沸いていたのだろう。
 ハラジーは新聞を売っているほかにも写真館を経営しているらしく、一緒に写真館で写真を撮ってくれてプレゼントしてくれたり、一緒にシャーイ(ティー)を飲んだり、お昼をご馳走になったり、大変お世話になった。
 僕がハラジーのところに遊びに行くと、決して軽そうとは言えない体を左右に揺すりながら、必ずといっていいほどシャーイをご馳走してくれて、アラビア語のハラジーと、日本語の僕の会話が始まる。ほとんど言葉の会話としては成り立たっていないのだが、ジェスチャーを交えて伝えようとするお互いの気持ちが、なんとなく会話をさせてくれているように感じる。耳から聞こえる言葉を超えて。
  (C)Sayaka@Yemen
(C)Sayaka@Yemen

 旧市街で楽しい時を過ごしたり、ソコトラ島まで足を伸ばして観光したり、ツアー観光に参加したりして、イエメンの滞在があっという間に3週間過ぎた。旅を続けるべく次の国へと向かう時が来た。僕はいままでお世話になったトフィークや仲間達、ハラジー、などに別れを言いに旧市街に向かった。
 スークのみんなは、次はいつイエメンに来れるんだ?とか、また必ず来いよ、と笑顔で見送ってくれ、僕も笑顔で別れを告げた。
 ハラジーは、帰る日の夕方に別れを言いに行った際、涙目になって見送ってくれ、さらにその時に「さよなら」をしたはずなのに、その数時間後にホテルまで遠い道のりを見送りに来てくれた。短期の旅行で訪れただけの僕のために、涙目で見送りに来てくれて、ホントに悲しそうな顔をしてくれるハラジー。もらい泣きしそうになった。
 さらに深夜にもかかわらず、トフィークも空港行きのタクシーに乗る時間に見送りに来てくれた。これが一生の別れではないと思ってはいても、気軽に行き来できる距離ではないことをお互いは認識しているので、楽しい時間を過ごせば過ごすほど、別れというのは辛くなるんだろう。
(C)Yoshinao Okabe

 イエメンはアラブ最貧国と言われるほどあって、人々の暮らしぶりは決して豊かであるとは言えない。物価も他のアラブ諸国に比べて極端に安い。ただ、人々の温かさ、優しさ、思いやりに溢れ、ホスピタリティがあり、絆を重んじる。そんなものが、アラブ最貧国といわれながら未だに『幸福のアラビア』、『幸福のイエメン』といわれている所以なのであろう。
(C)Sayaka@Yemen

 空港に向かうタクシーに乗り込んだ僕の目には、見送ってくれるハラジーとトゥフィークが、目尻から溢れそうになる涙で滲んで見えていた。

 2011年1月、イエメンでは、チュニジアから波及した大規模反政府デモが起こった。デモ隊と治安部隊などが衝突し、現在までに300名以上の死者も出ているという。外務省からも2011年8月現在、退避勧告が出ている。
 一刻も早くイエメン共和国に本当の平和が訪れ、その美しい町並みや自然、イエメンの人々の暮らしをまた僕らに見せてくれることを願っている。

『十人十旅』



トホホな話

旅先で、驚愕の騙された体験やガックリ落ち込んだこと、自分を全面的に否定したくなる失敗、なかったことにして欲しい勘違いなど、「旅の恥はかき捨て」とはよく言ったものである。そんな青ざめたり赤面したりなトホホな話をTwitterでRTやDMから拾って抜き出してみました。

@kobatoma16
モロッコで家の門に彫られている模様の写真を撮っていたら中から住人が出てきて、「家の中見るかい」と言われた。中には家族もいたので安全かと思って入れてもらったが、その男が妙な手つきで体を触りだしたので貞操の危険を感じて、適当なことを言って家から出た。まさか家族の前でコトには及ばんだろう。とも思ったが、家から出てもついてきて「飯でも食べてけよ」とかしつこいから、走って逃げた。そしたら後ろで「ファイブダラーーー!」って叫んでた。体がダメなら金か!と思った(笑)

@taniwheelie
レバノンでの出来事。野犬に追われて逃げ切れずやむ追えず民家に逃げ込みました。そうしたら民家の住人が「日本人が急に訪問してきた!めでたいことだ!」と興奮し、僕の歓迎パーティーを開いてくれました。

@tadahiroshi
「首長族に会える」って言われて日本円で45500円払って山に登ったら、首長くない民族の村に着きました。

@kimkatsu
ザンジバル島の電気のきてないエリアで黒人の女の子と夜2人で村の方へ歩いていたら、懐中電灯消してと言われ、ムフフと思ったら、次の瞬間、道の脇にしゃがんで放尿してた。

@taniwheelie
ヴェネズエラとブラジルの国境(ヴェネ側)。検査官が「おまえは怪しい」と自分は別室に連れて行かれた。カバンを渡すと「違う違うお前の下半身が怪しい」と。結局パンツを脱がされ下半身をジロジロ見られたのち解放されました。ちなみに、カバンと上半身のチェックは無。

@rube_shu50
インドからタイヘ入国。BPに行ったが体調不良ですぐにタクシーで病院へ。そして入院。一週間後退院。退院当日、病院から空港へ。そして帰国。初めてのタイは病院ライフを満喫しました。


自炊派の手料理

旅に出たら現地の料理を食すに限る。でも物価の高い街での長めの滞在となると、さすがに外食ばかりはフトコロに堪える。そんな時は自炊。簡単で安くて美味しい自炊派の手料理をご紹介。

「とろとろスープ」四人分

どこの国でも比較的簡単に安く手に入る材料で美味しくあったま~るスープ。
準備するものは
■タマネギ・・・・・・・一個
■ガーリック・・・・・・一片
■油・・・・・・・・・・少々
■チキンブイヨン・・・・一個
■トマト缶・・・・・・・400ml
■水・・・・・・・・・・300ml
■小麦粉・・・・・・・・100g
■塩&胡椒・・・・・・・少々

作り方
① タマネギとガーリックをみじん切りにする。

② 油を少し入れた鍋に、ガーリックとタマネギをしんなりするまで炒め、トマト缶、水(300ml)、チキンブイヨンを入れて沸騰させる。

③ 沸騰するのを待っている間に、小麦粉に水(150ml)を加えて練る。固さは練った小麦粉をスプーンですくって、落とした時に「飲むヨーグルト」くらい軟らかければOK!

④ 鍋の中が沸騰してきたら、小麦粉をスプーンですくいながら、鍋の中にポタポタと落としていけば、面白いように小麦粉が丸く固まるので、温度を下げないように気を付けながら、小麦粉を全部落として、ひと煮たち。塩胡椒で味を整えて完成!!(辛くしたければ、最後にチリソース)

とろりとしたスープにすいとんのようなパスタのような食感の小麦がおいしい。意外にお腹いっぱいになり、満足感アリ。自分の好きな材料を入れたり、余った材料を投入すれば豪華なスープに変身!

■情報提供
谷津 達観(やつ たっかん)
料理一筋!懐石料理で腕を磨き、中華料理店の店長を経て、世界一周の旅に!
現在、夫婦で旅に出て9ヶ月。一年の予定で現地の食材や料理を学びながら旅をしています。
食べるのも、作るのも大好き!
「家から徒歩1年☆たっかんとじんみ2人世界一周」
http://ameblo.jp/worldjourney2010/



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