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Chibirockの旅はくせもの

珍スポットに魅せられて

■Writer&Photographer
chibirock
■Profile
Sigur RosとBeirut贔屓のメタル好きバックパッカー。チベット越えてインドで太って台湾の農家で大豆を選り分けたり。最近結婚したが放浪やめる気毛頭無し。
http://blog.chibirock.net/

 切手集めが趣味の根暗なバックパッカー、ちびろっくです。ご縁があってこんな大それたコーナーを任されちゃうこととなりました。お構いなしに駄文を書き散らしますが、あたたかく見守っていただければ幸いです。

 旅先を決める理由は多々ありますね。世界遺産が見たい、青い海でのんびりしたい、あれが食べたいこれが買いたいなんたらかんたら。わたしもそういう人並みの理由で行くわけなんですけども、そもそもは。しかしどうも行ったら行ったで気になるのは、日本人の想像力をはるかに絶する珍スポットばかり。1万もの仏に小馬鹿にされる「萬佛寺」、中国・シャングリラの無駄に巨大なマニ車、タイ・アントン郊外の地獄村「ワット・ムアン」、インドいち金とモラルのある街、チャンディーガルの彫刻庭園「ロック・ガーデン」、ミャンマーの高原リゾートにある寺院というのは名ばかりのテーマパーク「ペイチンミャァウン」…。
詳細についてはそれぞれググッていただくとして、各々とんでもないベクトルへと突っ走っており、通常の感覚をもった日本人であれば「お気を確かに!」とたしなめたくなるような代物ばかり。そんなところばかり行っていたらそんなことばかりで頭がいっぱいになり、こないだ見た世界遺産とか、息を飲むほど大きな夕日とか、本来心に残るべきシーンは一切がっさい忘却の彼方へ。
 一方珍ネタ不毛地帯ヨーロッパでは、薬局に掲げてある緑十字ネオンサイン探しに夢中に。「メガネ屋だからってメガネのサインになってるよ!」「あの点々の間隔がパックマンみたい!」…ノートルダム寺院もカテドラルもスルーしながら、街角で妙な光を放つ十字架を見つけては興奮し、写真に撮りためた初めてのヨーロッパ旅行。後悔はしていません。

 こういった下らないスポットやネタは、一般的なガイドブック等で紹介されることはほとんどありません。こんなに面白い珍ネタを知らないなんて人生の8割損だよ!と、日本の皆様へ報告する義務があると思い込んでいるちびろっくは、Twitterやブログを駆使して、誰が読んでるとも知らずのまま、好き勝手珍ネタを晒しています。つい先日、人柱となってレポした珍ポンデリングの記事に「いいね!」がいっぱいついたことから、もう「珍ネタハンター」として食べていく道を構築していこうかと本気で考えていますが、誰か止めた方がいいと思います。

HANGOVER in the WORLD

ミャンマービール

 ミャンマーに入国してまず最初に飲んだビール。
ミャンマーの代表的なビールその名もミャンマービールだ。
 今まで東南アジアを7ヵ国回り、暑い各国で飲んだ冷たいビールは、なんともなんとも美味しい。どこも美味しいのだが、順位を付けるとミャンマーに着くまでは、カンボジアのアンコールビールが東南アジアNo.1ビールだった。柔らかい口当たり、後味もすっと引く、暑いときにゴクゴクといけて渇いたのどを潤してくれる。思い出しただけでも酔ってしまいそうな美味しいビールだった。

 ヤンゴンに着いて、仕事できている友人と食事をした時「このミャンマービールが旨い!!」と聞かされた。でも、やっぱりアンコールビールの方が旨いんだろうなと思いながら、飲んだとたんにランキング表が変わった。ミャンマービールが初登場1位に躍り出た。

 アンコールビールと同様に、柔らかい口当たりで後味がすっと引くビールなのだが、ミャンマービールの方が味が濃い。ただ苦みもすっと引くので、ビールが苦手と言う人にもオススメできるビールだ。アルコール度数は5%と日本のビールと変わらない。でもスイスイ飲めてしまって、いつの間にか気持ちよく酔っている感じになる。

 ミャンマーの食堂に入って片言のミャンマー語で注文する。「セイッター、キンデー」(羊肉、焼いて)。店員さん「オーケー、マトンね」なんだ英語が通じる。ちょっと安心して「ミャンマービーヤー」も注文。ミャンマービールはミャンマー語でも「ミャンマービーヤー」。
あまりに美味しそうだったので、写真を撮るのを忘れて食べた。でも、心の中には美味しいマトンがいつまでも残っている。

 ミャンマービールは大瓶640mlを食堂で飲んで1800チャット=約180円。値段も安い。
スーパーでも大瓶640mlが1100チャット=約110円で購入できる。美味しくて安いなんて、盆と正月のようだ。

 ヤンゴンの街角、至る所でミャンマービールの看板を見る。
 でも、やっぱり飲みやすいビールよりガツンと強いビールでなくちゃという辛口な諸兄姉には「ミャンマービール・ダブルストロング」。アルコール度数9.9%とビールにしてはかなり高い濃い味が口にガツンと当たって来る、体当たりのようだ。だが、後味は不思議なほどスッキリしていて飲みやすい。ビールの苦みが好きな方にはこちらがオススメ。スーパーで大瓶640mlが1400チャット=約140円と、300チャット、ダブルストロングの方が高い。

 正直、ミャンマーで美味しいビールが飲めるとは思ってもいなかったのが本音だ。
よく考えると、現在自分の東南アジア2位ビア、アンコールビールのカンボジアも、最初はビールが美味しいというイメージは皆無だった。そして、ミャンマーとカンボジアは両国とも他国からは戦争と社会主義のイメージを持たれている国だ(もちろん実際に行ってみるとイメージが変わるが)。過酷な国歴の中で「国民の楽しみ」としてのビールが成熟して、美味しいビールが生まれたのだろうか。あくまで自分の推測と妄想に過ぎないが、そう思えてくる 。

■情報提供
五十嵐圭
2011年4月に会社を辞めて半年間のバックパック旅行中。
初めての一人旅に戸惑いながら東南アジアを中心に
フラフラと移動しています。
ブログ:つれづれ報告書
http://turedure2006.blog.so-net.ne.jp/


イエメン

■Writer&Photographer
鈴木モト
■Age
30歳代前半
■Profile
男性 静岡県出身。高校時代、陸上でインターハイ出場。ベストタイム10秒84(100M)
美容師免許、管理美容師免許取得。
MIXIコミュニティー、「鈴木の書く世界一周旅行記が好きだ」2800人突破。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3502328 
現在、一眼レフカメラ片手に世界を放浪中。
ブログ「地球の迷い方。~世界放浪編~」
http://ameblo.jp/roundtheworld200130/

イエメン

 ホンダの原付カブにまたがり、アクセルを全開にし、いつもと同じ道をひた走る。そして前カゴいっぱいに積んだ新聞を、一軒一軒いつもと同じ家々のポストの中に入れてゆき、日が暮れる前にすべての新聞を配り終えた。家路に着き、ホンダのカブを駐車場に停め、ヘルメットを脱ぎ、汗をぬぐう。家の玄関のドアを開けると、いつもと同じ様に愛犬のヤックルがキャンキャンと吠えながら俺に飛びついてきた。日本に帰ってからの、いつも通りの日常。ヤックルの頭を軽くなでてやり、ニューバランスの靴を脱ぎ、階段を上る。自分の部屋のドアを開け、古びた黒いソファーにずっぽりと腰を沈め、今日も1日疲れたなと思いながら、深くため息をつく。

 リモコンに手を伸ばし、TVをつけると若い女の子のグループが楽しそうに踊っているCMが流れていた。そして、相変わらず俺の部屋は、脱ぎっぱなしの服や読みかけの本がいくつも散乱していた。旅から帰ってきてすでに数ヶ月も経つというのに、まだ一度も部屋を掃除してなかったなと思い、思わず頭をかいてしまった。そろそろ掃除をしなければ、横になるスペースも無くなってしまうだろう。散らかった部屋を改めて見渡すと、部屋の入り口近くに、エンジ色のバックパックが転がっているのが目に付いた。だらしなく開いたバックパックのチャックからはストールがちょこんと顔を出し、旅から帰ってきたあの日の姿のままでひっそりと存在感を消すように部屋の隅に転がっていた。
 俺はソファーから重い腰を持ち上げると、75リットルの使い古したバックパックを持ち上げた。1年8ヶ月間共に旅した、このバックパックという相棒は、こんなに重く、こんなにも汚れていたのかと改めて思った。そして俺は乱暴にそれをひっくり返した。大きく開いたチャックから、さまざまな物が飛び出し、ジャラジャラと音を立てて床の上に落ちた。下痢止めの錠剤や抗生物質、旅で着ていた薄汚れた服、ボールペンやノート、そしてインドで買ったカラフルなストール。さらに激しく揺すると、サイドのポケットから1枚のCDがポロリと落ちた。そのCDを見て、懐かしさのあまり思わず声を上げてしまった。まだ封を切っていない真新しいCD。CDの表紙には、油絵の様なタッチで、中東でよく見られたモスクの絵が描いてあった。そして大きく英語で「アザーン」と書いてあった。確か、世界中のアザーンを何種類も集めてあるアザーン専門のCDだったはずだ。イランで仲良くなったおじさんが俺にプレゼントしてくれたCDだった。
 中東やイスラム圏に居た頃、毎日毎日、町のスピーカーというスピーカーから大音量でアザーンというものが鳴り響いていた。初めてアザーンを聞いた時、俺は何の歌を流しているんだろと不思議に思ったが、お祈りの時間を知らせる為に流してるんだよと、友達になった日本人が教えてくれた。以前誰かのブログで、アザーンの事を、「サッカーの試合前に歌う、君が代に何だか似てると思った」と書いてあるのを読んだ事があったが、男性が独特のメロディーで歌い上げるアザーンを聞いた時、あながち間違いじゃないと思った。
 早朝の大音量のアザーンにびっくりして、何事かと飛び起きてしまった事もあったが、中東に長く居た為か、アザーンを聞く事が、生活の一部となった。毎朝、大音量のアザーンに起こされる事で1日が始まり、夕方のアザーンを聞きながらそろそろ夕食の時間だなと思いながらレストランを探した。
 俺はCDのジャケットを無造作に破くと、使い古した東芝のパソコンを立ち上げ、イラン人のおじさんが買ってくれたアザーンのCDを取り出し、パソコンに入れた。そして再生ボタンを押した。アザーンを聞くだけなのに少しドキドキしている自分が何だかおかしかった。数秒すると、無機質なパソコンの画面から独特の声で男性が歌うあのアザーンが流れ出した。
 俺は、懐かしさのあまり、両手で顔を覆ってしまった。さまざまな中東での思い出が、一瞬でフラッシュバックした。イスラム圏独特のあのファッション、ちょっと慣れ慣れしい程のフレンドリーな人々、野良犬やヤギがウロウロしていたあの路地裏、少々おせっかいな人々、好奇心に満ちた子供の様な目をしたおじさん達、そしてあつかましい程の親切。さまざまな事が思い出され、懐かしさのあまり涙が出そうになった。日本で働いている「今」と、旅をしていた「過去」の日々。あまりにも違う毎日のせいか、アザーンのメロディーを聴いていると、旅していた頃の事が遠い遠い過去の出来事の様に感じた。自分の部屋のソファーに沈み、旅の感傷にふけっていると、仕事をすべてほっぽり出して、また中東やイスラムの国々に帰りたくなってしまった。
 俺が旅した中東。そしてイスラムの国々。俺にとって中東とは未知の世界であったが、実際訪れてみると、自分の中に漠然とあった中東のイメージが音を立てて崩れていった。それと同時に、自分の中で作られていた常識や価値観も同じように崩れていった。


 個人的に最も良かったと思う所が、幸福のアラビアと言われている「イエメン」だろうか。イエメンの人々はまるで、映画の衣装の様なスタイルだった。女性達は、チャイドルという黒い服を頭からずっぽり被り、顔や口を黒いマスクで覆い、目しか露出していなかった。そして男性は、頭にターバンの様なものを巻き、ボクシングのチャンピオンベルトの様な黄金色の大きなベルトを誇らしげに腰に巻き、そのベルトにジャンビアという短剣をざっくりと挿していた。そして男性は皆、「カート」と呼ばれている軽い覚醒作用のある葉っぱをほっぺた一杯に頬張り、それをクチャクチャと噛みながら、朝から晩まで仲間とのおしゃべりに花を咲かせていた。
 世界遺産に登録されている旧市街の家々は、泥を塗りたくった様な外壁に、茶色や白のペンキを塗り、まるでお菓子の様な家だった。そして迷路の様に入り組んだ路地裏に迷い込むと、すぐに方向を見失ってしまった。石畳の道を、荷物を積んだロバが行き交い、裸足の子供達が元気に走りまわっていた。子供たちは外人の俺を見つけると、キラキラした好奇の目で見上げてきた。
 
 バザールにはいくつもの露店がひしめき合い、カラフルなスパイスがいくつも売られ、香辛料の独特の匂いが立ちこめていた。先程さばいたばかりであろう、新鮮な羊の肉が生々しい姿で売られ、その店の前を野良犬がウロウロし、おこぼれを狙っていた。肉屋の親父が一喝すると、野良犬達は、すごすごと一時的に退散するものの、時間が経つとまたチャンスを狙う様に、肉屋に少しづつ近づいていった。露店には、カラフルな野菜達がこぼれ落ちそうな位、山盛りで積まれ、黒いチャイドルを着た主婦らしき人達が、じっくりと品定めをしながら、手に持ったカゴに野菜を入れてゆく。
 
 日が傾き、乾いた日差しが黄金色に変わる頃、大音量でかかるアザーンを聞きながら、短剣を腰にさしたイエメン男性やチャイドルをまとった女性達にもまれ、さまざまな匂いや煙の立ち込める活気あるバザールを歩いていると、一体自分は何処に迷い込んでしまったんだろうと、不思議に思ってしまった事もあった。ツーリストのほとんど居ないその町は、映画のセットのワンシーンの様な、味のある異世界だった。
 
 そして中東やイスラム圏を旅して、彼らには本当に良くしてもらったと思う。優しかったと思う。午前3時に列車で目的地に到着してしまい、どうしようか悩んでいると、列車で隣の席だった家族連れのおじさんが家に招待してくれて、昼まで寝かせてくれた。地図を広げているだけで道に迷っているのか?と皆に囲まれ、目的地に連れて行ってもらった。道を尋ねると、タクシーを使って俺を目的地まで送り届けてくれた事もあった。もちろん不快な思いもする事もまるで無かった訳ではないが、どうして言葉も通じない外人の俺に、こんなに親切にしてくれるのだろうと不思議に思った事もあった。そして本当に親切な人ほど、恩を売ってこなかった。

 何だかとても懐かしい出来事だったなと、天井を見上げながら旅を思い返していると、いつの間にかアザーンのCDが終わり、無機質なTVからは、ネクタイを締めた真面目そうなニュースキャスターが、無表情で暗いニュースを読み上げていた。何だか現実に引き戻された気分になり、俺は再びパソコンの画面の再生ボタンをクリックし、アザーンを大音量で流した。アザーンがTVの音をかき消していった。旅していた頃が、遠い過去の出来事に感じた。

 今思えば、旅してた頃は、毎日時間がゆっくり流れていた。好きな本を好きなだけ読めた。急ぐ必要も無いから、歩くスピードも亀の様に遅くなった。世界中に引越しするのが日課になった。財布からお金をすろうとした男に、思い切り中指を立てた事もあった。路上で転がっている汚れた子供達をみて、どうする事も出来ない感情を覚えた事もあった。素晴らしい景色を見て、言葉を失った事もあった。世界には、こんなにも多くの見所があるなんて思っていなかった。こんなにも世界が近くて、世界が広いとは思っていなかった。

 俺はまた旅に出ると思うけど。あとどれ位旅するかわからないけれど。俺はもういい歳で、貯金も全く無いけれど。人生そんなに甘くは無いかもしれないけれど。旅から帰ってきたら、新聞配達位しか仕事は無いだろうけど。
 戦争の無い平和な国に生まれて。屋根のある所で毎日寝れて。飢えとは無縁の生活が出来て。何処の国にでも行けて。五体満足で。それだけで幸せかなとも思って。それを忘れず生活していくべきなのかなと思ったりもして。旅に出て、考え方が少し変わったと思った。そして、そろそろまた、日本を出ようかなと思った。
 日本はビザ無しで旅行出来る国の数が世界第1位という奇跡の国だと聞いた事がある。さらには、日本という国は多くの国々に支援してきたせいか、あまり嫌われていない。宗教間の対立も無い。「人生」とは、「死ぬまでの暇つぶし」と誰かが言っていたが、地球を自由に旅してその「暇つぶし」が出来れば、ある意味最高かなとも思ってしまう。日本のパスポートという、最強のパスポートを持って、また地球を散歩してこようかな。だって俺は、「地球」という気まぐれで巨大な彼女に、すっかり惚れ込んでしまったのだから。

 数週間後、職場に別れを告げ、わずかなお金を持って俺はまた、あての無い旅に出かけた…。


初アジア、初中東のイエメン旅

■Writer&Photographer
bin
■Age
26歳
■Profile
2009年春に初海外&初一人旅をデビューし、これまで東欧を中心に10ヶ国てくてく散歩。好きな国:①チェコ②ブルガリア③イエメン。
Blog:【bin】世界中がおもちゃバコ
http://bintravel.exblog.jp/


初アジア、初中東のイエメン旅

イエメンと聞いてイメージするもの…。
 最近だと、民主化運動が激化しての内戦、サレハ大統領爆撃暗殺未遂事件、アル・カーイダ関連のテロ、部族紛争etc.日々メディアはこういった関連の事件が大々的に報道されている。
 もちろん、そういった事実はあるのだろう。でも、日々の報道を見聞きしているうちにふと思った。治安面で取り上げられている国の中にも、人々は住んでおり、コミュニティーがあるだろう。そうすると、我々日本人から見ると貧困の差は少なからずあったとしても、そこに住んでいる人々にも日々の幸福があるのではないのか?
 でも、想像を絶する暮らしぶりだったりするかもしれないし、考えても分からなかった。
 だから行ってみた、イエメンへ。
 
そこに住んでいる人々。
 一人の男性が近づいてきて「お金をくれ」と小声で呟いた。僕は悩んだ挙句、お金を渡さずに断った。その後、しばらく周辺にいたイエメン人達と楽しく会話していた。よく見ると、その輪の中に、先ほどの「お金をくれ」の男性が混じっていた。どうやらもう、「お金」は“過去”の出来事で、みんなでお喋りしている“今”の方が楽しくなったようだ。
 別の時、買い物をせずにぶらぶら散歩していたら、観光地でよくある「何か買って!」に出会った。もちろん商売のため、観光客に声をかけるのは彼らの仕事である。僕はいらないと断った。すると次の瞬間、彼らが発した言葉は「じゃぁ、お喋りしようよ!写真撮って!」だった。どうやらここでも、もう商売は“過去”の出来事で、無理だと思った瞬間“次”の楽しさを探しているようだった。僕はその後、彼らの店に招待されてチャイを御馳走になり、会話を楽しんだ。
 彼らはホントに切り替えが早い。そして人懐っこい。たくさんの人達と仲良くしたいだけなんだ。僕らと同じで。
 

世界遺産ソコトラ諸島で。
 イエメンは世界遺産が全部で4つあり、僕はこの旅でサナア旧市街、シバームの旧城壁都市、ソコトラ諸島の4つに訪れた。そのうちソコトラ諸島は、2008年に自然遺産登録され、インド洋のガラパゴス諸島とも呼ばれている。このソコトラ諸島で事件は起きた。

 イエメン到着後、乾燥した空気と砂ぼこり、連日の移動による疲労からか、海沿いのキャンプに宿泊している最中に急激に体調を崩したのだ。日本から持参していた薬を飲んでも一向に体調は良くならず、夜中に寒気と汗の繰り返しで何度も目が覚め、朝を迎えると体が起き上がらなくなった。何とか体を起こして立ち上がっても、まっすぐに歩けずフラフラした状態だった。もちろんこの日のトレッキングは中止し、電気、水道、ガスの設備の無いキャンプ場で、僕は一人寝て過ごしていた。どのくらいの時間を寝ていたか分からないが、運転手が残りの人達をトレッキングの場所まで案内した後、心配して戻ってきた。思考回路がはっきりしない僕は、運転手に促されるまま車に乗った。彼は英語を全く話せないし、僕はフラフラだったので、無言の車内はどこに向かっているのか理解できなかった。しばらく車で走った後、ここで降りろと言われた。何がなんだかわからない。運転手の後を、足を引きずりながら僕は追った。
 一軒の家が見えてきて入ると、中にはたくさんの子供や大人の男女がいて、僕を興味深く見つめていた。奥に案内された所でやっと理解できた。ここは病院だった。まるでDr.コトーの診療所のようなひっそりとした病院。優しそうな顔をした先生らしき人に症状を伝えると、注射を打つことを提案してきた。すぐに頭をよぎったのは、「使い回しの注射」だった。一生懸命断ると、周りの子供や大人に笑われた。注射が苦手だと思ったのだろう。それが悔しくて、注射を了解した。内心はすごくドキドキしていたが、僕の心配をよそに袋に入った新しい注射が出てきた。僕は安心して、言われるがままにお尻に注射を打ってもらった。自分でお尻を突き出して、立ったまま。
 注射を終え、薬をいただき、僕は帰された。彼らはお金を受け取ってくれなかった。観光客として好きでこの島に来て、勝手に体調を崩して、貴重な薬を投与してくれたのにも関わらず。彼らの好意により、僕はこの後体調が良くなった。何一つ、お礼が出来なかった。彼らも望まなかった。それでも住所くらい聞いていれば、帰国後お礼が言えたのに。当時の僕はフラフラだったので、そこまで頭が働いていなかった。小さくて自然に溢れた島の、人々の無償の好意。僕はこの島で、「旅人とは何か」と考えさせられ、未だ答えを出せずにいる。だからまた旅に出るのだろう。失敗を繰り返しながら成長するために。


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