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阪神・淡路大震災の記憶

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心理的な被害

平成7年(1995年)1月17日早朝。
 「あなた、病院から来てくださいって言われたわ。」
 妻の陣痛が始まって2時間が経ったころであった。出産のための入院準備は済んでおり、私がバックを持ち妻と共に階下へと降り玄関で忘れ物はないかと最終確認をしている時、義母が心配して見送りに来てくれた。息子は、2階でぐっすり寝ていた。義母が、
 「カメラは用意したの。」と聞くと、妻は、静かに首を横に振った。
 「カメラは、2階の寝室ね、取って来るわ。」
 義母が2階にカメラを取りに行っている間に荷物を車に載せようと、私は、バッグを持って玄関に出た。まだ、5時45分過ぎで外は暗かった。玄関灯の明かりを頼りにワゴン車の後部ドアを開け、バッグを車に積み込んでいる、その時、大地が揺れた。まるでトランポリンの上で跳ねているように、上下に大きく揺れた。玄関灯、外灯の明かりは消え、車内灯の明かりだけが微かに点いていた。まず、妻と胎児の安否が気遣われた。大きな揺れは、上下運動に加え横揺れもあり、身動きはできなかった。
 「おい大丈夫か。何処にいる。」
 「玄関よ」との妻の声が聞こえた。しかし、助けに行くこともままならない、ジレンマが私を襲う。息子は2階である。どれくらいの時間、揺れていたのだろうか。多分40秒くらいだろうと思われるが、あれ程激しかった。揺れが沈静化した。幸いなことに我が家は倒壊を免れ、私は、家族の安否を確かめた。妻は、蹲っていたが大丈夫であり、息子は、義母が布団を被って抱きかかえていてくれていた。箪笥の上の人形ケースが落ちガラスが飛び散っており、義母の咄嗟の判断がなければ、息子は、大怪我をしているところであった。家族が、それぞれの安否を確かめているその瞬間も大きな余震が容赦なく、家族の心を恐怖へと導いた。
 5時47分、大地が大きく震え、人類の繁栄をあざ笑うように阪神・淡路地区を壊滅状態にした時間である。
 カーラジオをつけてみると、阪神地区で震度7の大地震が発生、建物の倒壊が至るところで起こり交通網が遮断されているとの情報を得る。その頃になると空も白み始め明るくなるにつれて落ち着きが出てきていた。
 「とりあえず、避難場所に行こう。」との言葉に家族は、同意し、息子の小学校の運動場へと歩を進めた。前の家の瓦が道路に散乱しているため、それを避けながらの移動である。もし、あの時、車を動かしていたら、この散乱している瓦は、家族の乗っている車に容赦なく降り注いでいただろうと想像すると寒気さえ感じた。
 小学校の運動場には5分間くらいでたどり着いた。不安を隠せない地域の人々が500名くらいは集まっていた。立ち話に熱中している者、周囲を見渡している者、様子を窺っている者などなど様々であった。しかし、寒空の運動場に集まっているだけで校舎が開放されるわけでもなく、誰かが陣頭指揮を執ったり情報を伝えたりする訳でもなく、只の烏合の衆であった。妻の陣痛は、継続しており一刻も早く病院へ行くことが私たちに課せられた急務であり、それは家族の一致する意見でもあった。
 「公衆電話を探し、救急車を呼びましょう。」義母の発案に素直に応じ私は、自宅へ戻り車で家族を迎えにきた。
 近所にある郵便局の前に公衆電話があるので、そこへ車を走らせ、妻の通っていた元町の産婦人科へ電話を入れるが、何度かけ直しても繋がらない。途方に暮れていると、赤い緊急用電話が目に入ってきた。これを使ってみようと思った瞬間には、もう1・1・0とダイヤルしていた。しかし、緊急用電話ですら不通であった。
 「電話は一切繋がらない、この状況であれば元町まで行くのは危険だろうね。たどり着いても病院が機能しているとの保証が確認できないからね。」
 と私の話に、渋々妻は納得した。と言うのも妻は、元町の産婦人科で産むことを楽しみにしていたからである。そこは、父親立会いの出産、母子同室システムであり毎朝の礼拝もあり、とても気に入っていたからである。もう予約金も支払い済みであった。
 「とりあえず、長男を産んだ○○産婦人科へ連れて行って、もうお産は、扱っていないけどアドバイスは、貰えると思う。」との妻の判断は適切と考え、車を走らせた。
 老年の医師は、在宅であり私たちも名前は知っていた総合病院を紹介してくれた。 私は、妻に再確認をした。「元町の病院は諦めて、先生の紹介してくれた総合病院へ行くよ。」妻は、実に残念そうではあったが「いいわ」と了承の返事をした。
 私たちは、総合病院へと急行した。何とか駐車スペースがあったので車を停め、病院の中へと急いだ。そこは、患者で溢れていた。呻き声を上げている者、血だらけの者、医療スタッフに一生懸命相談している者等々、目前に展開している状況は、非現実的な世界であった。「子どもは無事に生まれてくるのだろうか。」漠然とした不安が家族を襲った。
 受付カウンターは、混乱していた。五人ほどの人が、それぞれ、
 「急患だから早急に診察してくれ」
 と訴えていた。私は、しばらく様子を見て待っていたが、受付の職員も対応が追いつかず、てんてこ舞いの状況であり、受付の後ろで薬の調合をしている職員に大声で、「妻が陣痛なんです。どちらに行けばよろしいですか。」
 と訴えた。職員は、こちらに振り向き、
 「二階に上がってください。」 と教えてくれた。その旨、妻と祖母と長男に伝え、私たちは、妻を気遣いながら二階へと歩を進めた。階段は、まるで廃墟になったビル階段の様相を呈していた。壁や床は、いたるところ崩壊しており、壁や天井から落ちた埃が敷き詰められていた。私たちは、瓦礫を避けながら、二階へと上がり、分娩室に急いだ。分娩室は、更に悲惨な状況であり、医療器具や医薬品が床中に散乱していた。二組のお産が一枚の薄いカーテンの向こう側で進行中であり、看護婦や助産婦が駆け回っていた。カーテンレールが天井から下がっておりカーテンによって三つの分娩台が仕切られていた。その内の一つに妻は、座った。祖母や長男は、分娩室内に簡易的に置かれたソファーに座り、私は、妻と共にカーテンの中で処置を待った。妻は、時折やってくる陣痛に顔をゆがめることもあったが、私は、それを見守るだけであった。
 この総合病院では、ラマーズ法の講習を行っておらず、本来は、亭主が分娩室に入ることはないのだが、この時ばかりは、普段の規定が崩壊している緊急の状況であった。
 「奥さん、下着を下ろしてください。」
 と看護婦が声を掛けてきた。「あぁ、やっと診てくれるんだ。妻も陣痛の苦しみから解放されるんだ。」と言う安堵感が夫婦を包んだ。別の看護婦が、忙しそうに真鍮の洗面器を運んでくると、その中に消毒液の原液を入れ始めた。私は、何が始まるのかと、様子を見ていると、看護婦は、おもむろに分娩に使用する器具を洗面器に入れていた。この時の病院の機能は、電気やガス等のライフラインが完全に遮断されていたのである。唯一、水だけは、病院の地下に井戸があり、そこから汲み上げることができたが、それも久しぶりに使う井戸であり水量は、ごく僅かとのことであった。カチャカチャと不気味な金属音が分娩室に響いた。器具は、消毒液の中で不気味に輝き、それに見とれているとき、医師がやってきた。
 「はい、力を抜いてください。大きく息を吸って、はい、ゆっくり息を出してください。」
 医師の診察は、あっと言う間に終わり、
 「まだ、時間が掛かりますね。」 と言って、他の患者のところへ行ってしまった。

 天災によって両親を亡くし、児童養護施設に措置される子どもたちもいます。天災による被害は、物質的なものに止まらず心理的な被害が伴います。それがトラウマとなり長い期間、子どもたちを苦しめます。例えば、微震があったとき、それを敏感に感じ取り、心臓が圧迫されているかのような錯覚を覚え、鼓動が激しくなります。そして、不安が覆い被さってきます。このような体験は、大地震を経験したほとんどの方が味わっています。
 トラウマは、天災等の災害だけに止まるものではありません。親に見放され裏切られたという失望感、経済的に恵まれていたらという失意間、学校の授業についていけないという絶望感等々、様々な現実が子どもたちに襲いかかり、それらに立ち向かい乗り越えられる子どもたちもいれば、乗り越えられずトラウマになる子どもたちもいます。
 子どもたちの心の傷を発見し癒す努力と回復する支援を行うことが求められています。


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