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留守の心得


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国に至る道は暗い森にはさまれて木の根にしだかれ、緑の苔に埋もれていた。森の先では水を豊かにたたえた泉が静謐の底に横たわり、道は泉を回りながら生い茂る草の中へ消えていった。泉を背にして奥深い木立を抜けていくと、川のせせらぎが聞こえてくる。木立の先には野原が広がり、野原の中央には壁に蔦を絡めた町があった。町にひとの気配はない。辺りには一つの人影もない。
 ある時、一人の旅人がふとした気まぐれから街道を離れて森へ踏み込み、泉の脇を通って木立をくぐり、町の前に立って門を叩いた。一夜の宿を求めるつもりであったのか、それとも単なる好奇心からそうしたのか、いずれであったのかは知られていない。何度叩いても返答がないので壁を伝って調べていくと、開いている通用門が見つかった。
 旅人は町の中へ入っていった。狭い石畳の道が縦横に走り、道の両脇には窓を並べた家が層を重ねる。だが路上に人影はなく、家の中にもひとが動く気配はない。息をひそめる者もない様子で、耳を澄ましても物音一つ聞こえない。料理の匂いもしなければ、汚物の臭いもしなかった。よくよく見れば傾いでいる看板があり、鎧戸ははずれかかって窓から下がり、いくつかの家ではたわんだ壁が傾いていた。町が住む者を失って久しいことは明らかであった。どの家もくすみ、荒廃の兆しの中で佇んでいた。いずれは朽ち果てて消える運命にあった。ところがさらによく見ると補修を受けた痕跡がある。縄を巻きつけて傾きを直した看板があり、板を打ちつけて窓に止めた鎧戸があり、真新しい丸太を斜めにあてがわれた壁があった。いかにも不器用ではあったが、ひとが手を入れた跡には違いなかった。旅人はいぶかり、それから一軒を選んで中へ入った。
 そこは商人の家であった。足を踏み入れると同時にすえたような臭気が顔を覆う。床には藁の残骸が散り、蜘蛛の巣が垂れ下がる棚には大きな樽が並んでいた。樽の一つに寄って栓を抜くと、中から琥珀色の液体が迸った。匂いに誘われて鼻を近づけ、舌を差し出して味を確かめた。葡萄酒はひどく枯れた味がした。栓を戻して、奥の部屋へ入っていった。壁に大きな炉が穿たれ、棚にはいくつもの壺が並び、部屋の中央にはがっしりとした食卓が置かれていた。壺の底では干涸びた種や干涸びた葉が見つかった。床には水甕が置かれていたが、中には一滴の水も残っていない。食卓の上は白い埃で覆われていた。
 旅人はさらに奥へと続く扉を開けた。扉の向こうには柱廊をめぐらした中庭があり、中庭の中央では水盤に水が貯えられていた。旅人は水盤の前に進んで顔を上げた。頭上には吹き抜けを囲んで鎧戸を下ろした窓が並ぶ。旅人はそこで初めて声を出した。
「誰か、いませんか?」
 だが返答はなく、辺りに動く物の影はない。もう一度呼びかけてから、柱廊の奥に見える両開きの扉に近づいていった。
 そこは主人の部屋であった。広くはないが多くの物が壁に並び、床にも木箱や小箱の山があった。どれもが埃をかぶり、小振りな机は蜘蛛の巣に覆われている。旅人は机に歩み寄り、蜘蛛の巣をはらって顔を近づけた。机の上に、蝋をこびりつかせた小さな燭台が転がっていた。旅人は燭台を手に取った。指の先でくすみを擦り、目の前に掲げてじっとにらんだ。そして燭台を素早く懐に隠し、振り返ったところで剣の切っ先と対面した。
 剣を握っていたのは白髪を乱した男であった。顔は白いひげに埋もれて目と鼻以外は見ることができない。吊り上がった目は血走り、尖った鼻はわずかに赤みを帯びていた。
「そいつを戻せ」
 そう言いながら、男は剣を突きつけた。
 旅人はうなずいて手を懐に差し入れた。
「ゆっくりとだ」
 旅人は再びうなずき、ゆっくりと燭台を取り出して男に差し出した。すると男は首を振り、剣の先で旅人の背後を指し示した。
「元へ戻すんだ」
 そこで旅人は男に背を向け、机の上に燭台を戻した。振り返って両手を上げたが、男は剣を下ろそうとしない。
「よし。ほかに盗んだ物は?」
「葡萄酒を少し」
「そいつは大目に見てやろう。そのほかには?」
「何も。着いたばかりだ」
「嘘だったらただじゃおかねえから、そう思え」
「本当だ。何も盗ってない」
「誓え」
「誓う」
 ようやく男は剣を下ろし、それから背後に顎をしゃくってこのように言った。
「町から出ていけ」
 だが旅人は拒んだ。男が身分を明かしていなかったからである。家の者には見えなかったし、下働きの者だとしてもいささか汚れ過ぎていた。まして役人とは見えず、むしろ泥棒のように見えてならなかった。泥棒だとすれば邪魔者を追い出した後で何を始めるかは明らかであり、そうであるとするならばただ引き下がって独占を認める理由がない。旅人は泥棒ではなかったが、機会を見過ごさない程度の柔軟さを備えていたのである。旅人が身分をたずねると、留守番であると男は答えた。
 町が無人となった事情については、男は何も知らなかった。男は自分の父親から仕事を継ぎ、父親もまたその父親から留守番の仕事を引き継いでいた。仕事のためには留守番の心得が残されていて、それによれば男は無人の町における法の執行者であり、資産の管理人であり、また同時に修繕も掃除もする用務員でもあった。無法者を追い払い、なくなる物がないように注意を払い、壊れたところがあればそこを直し、あるいはそれ以上壊れないように対策を講じる。掃除は嫌いだと溜め息をついた。一人ではとても手が回らないとうなだれた。仕事以外のことも、すべて一人でこなさなければならなかった。朝には水を汲み、昼には薪を割り、夕には火を焚いて食事を作った。その合間に仕事をこなし、畑の手入れにも気を配るので夜には疲れ果てているという。
「でもよ、食うには困らねえ。誇りだって感じてる」
 男はそう言いながら、旅人を門まで見送った。門の前で、旅人は足を止めた。そして男に歳をたずねた。よくわからない、と男は答えた。男の後は誰が仕事を継ぐのかとたずねると、息子が継ぐという返答がある。その息子はどこにいるのかとたずねると、男は笑みを浮かべて腹を叩いた。
「さあな。ここかもよ」
 それから真顔になって、町のことを口外しないようにと旅人に頼んだ。旅人が約束すると、礼だと言って小さな宝石を差し出した。町の資産の一部だが、経費として認められているという。旅人は留守番に挨拶を送り、留守番は旅人に挨拶を送って町の門を固く閉ざした。
 旅人は約束を守らなかった。国へ戻ると酒を飲んで宝石を見せ、手に入れた経緯をまわりの者に話して聞かせた。町に眠る財宝について、多少の尾鰭をつけたことは言うまでもない。盗賊どもは話を聞いてすぐに飛び出し、行動力で劣っていても残忍さでは負けない者は旅人を殺して宝石を奪った。旅人の死後も話は残ってひとの口から口へと伝えられ、やがて噂となって王の耳に届けられた。王は話に関心を抱き、兵を送って留守番の男を捕えさせた。町にはすでに盗賊どもによって火が放たれていた。男は焼け跡に立ち尽くしていたところをおとなしく捕まった。王は男に拷問を加えた。だが男が最後まで口を割ろうとしなかったので、男の腹から子を得る方法は明かされることなく闇に消えた。



冷気の感触


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。雪を抱いた険しい山の裾にあって住民の多数は農耕に励み、残りは杖を携えて羊の群れを導いた。豊かではなかったが、貧しくはなかった。水と光に恵まれて、生きるのに十分なだけの収穫を得た。それぞれの者はそれぞれの畑と家を持ち、家にはいくらかの貯えを置き、中には牛を飼う者もあった。羊飼いだけが共同の小屋で暮らしていた。多くを知ることも多くを望むこともなく、ある物によって足ることを知り、たまに訪れる行商人は総出で迎え、羊毛の代価として身を飾る小物を得るのを楽しみとしていた。
 その国を旅していると、不意に異様な感触を覚えることがあった。耳や首筋に冷たい手が触れるのを感じて、驚いて振り返っても誰もいない。寂しい道でも多くのひとが集まる場所でも、時には寝台の温もりの中でも、冷たい何かが現われて、からだのどこかに触れていった。昼の光の中で目を凝らしても、それを見ることはできなかった。土地の人々はそれを手と呼んでいた。誰の手かは知らないが、と言って皆で笑う。初めは誰もが驚いたが、二度三度と遭遇するうちに気にしなくなった。ただ触っていくだけで、ほかには何もしなかったからである。ひどく冷たいのが迷惑ではあったが、特に言うべき害はなかった。
 手は大昔からそこにいて、大昔からそうしていたという。昼夜の別なく現われて、かつては父祖のからだに触れ、今は子孫のからだに触れていた。だから手は父祖との絆だと言う者がいた。手は冬でも現われ、夏でも現われ、そしていつでも同じように冷えきっていた。陽が照っても雨が降っても、雪が降っても手の冷たさは変わることがない。だが不作の年には、手はいつもより冷たくなるのだと言う者もいた。
 その国の人々は手に親しみを抱いていた。いきなり触られて冷たさに驚いても、決して邪険にはしなかった。病の床にある時に、手が額に触れていったことを覚えている者がいた。憤って顔を赤くした時に、手が頬に触れたことを覚えている者がいた。多くの者が、手がいつ、どこに触れたかを覚えていた。だからその国の人々は、手は癒し慈しむのだと考えていた。
 ある時、その国を危機が襲った。北方から騎馬の民が押し寄せてきたのである。王を抱かぬその国には軍と言える軍がなく、呼集に応じた民兵団は一瞬で全滅した。馬にまたがり、使者となって話をつけに赴いた者は布の袋をぶら下げて戻った。馬上の使者には首がなかった。袋の中には使者の首が入っていた。騎馬の軍勢は家を焼き、畑を荒らし、羊を殺した。男も女も等しく首を刎ね、こどもと見れば足を掴んで手近の壁に叩きつけた。
 その晩も一軒の家が焼かれた。一組の夫婦が首を刎ねられ、多くの羊が焼き殺された。だが幼い娘は生き延びて、畑の中に逃げ込んだ。少女は蹄が土をえぐる音を聞きながら、畑の中を這って逃げた。松明の炎が頭上を駆け抜け、遠ざかってはまた近づいた。息を殺して唇を噛み、少女はただひたすらに逃げ続けた。やがて蹄の音は彼方に去り、松明の炎も見えなくなった。畑を抜け出して腰を上げ、間近に見える茂みの奥に飛び込んだ。途端に尖った枝がからだに刺さり、少女は血のにじんだ唇を噛み締めて大きな悲鳴を飲み込んだ。それから灌木の枝を押し分けて、隙間から家の様子をうかがった。家が燃えていた。燃え上がる炎を背にして多くの騎兵が行き交っていた。少女はからだを丸めて泣き始めた。
 火照った頬に冷たい手が触れるのを感じて、少女は顔を上げた。手は少女の頬を撫で、冷たい指先で涙を拭い、額に触れてそこで止まった。少女はなおも涙を流し、手が髪を撫でるのを感じながら間もなく眠りに落ちていった。
 馬の嘶きを聞いて目覚めた時には、まだ家が燃えていた。赤い炎に照らされて、騎馬の軍勢は大混乱に陥っていた。
 馬は棒立ちとなって騎兵を落とし、騎兵は見えない敵を探して剣や槍を振り回す。ただ闇雲に辺りを走り、誤って味方に傷を負わせ、あるいは誤って燃え上がる炎に飛び込んでいった。混乱の中で恐れを感じた一人が逃げ出すと別の一人が後に続き、さらに続こうとした多くの者が逃げるための馬を得ようと混乱に拍車をかけていく。味方同士で殺し合い、乗り手を失った馬を残し、生き延びた者は北へと去っていった。
 夜明けを迎えた後、少女は土地の者に救い出された。養い親に引き取られて健やかに育ち、時とともに多くのことを記憶の底ににじませていった。だがその時に手がどこに触れ、またどのように触れたのか、それを忘れることは決してなかった。



老人の偉大


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。荒涼とした高原の彼方にあって青い霞をまとって横たわり、その国を目指す旅人は道標の代わりに星を見つめた。乾いた風を押し切って石のごろつく荒れ野を渡り、苦労の末に辿り着くとそこには清涼な泉があり、実を稔らせた木々があった。だが土地の者は貧しく、楽しみを知らず、ただ生きるために日々を費やした。隊商が訪れることは珍しく、他国との交渉を知らなかった。
 そこは隔絶した場所で、そこで生まれた者の多くは、そのままそこで生涯を終えた。歩くことを覚えたこどもは親を手伝って水を運び、やがて力を備えると父親の隣で鋤を引いた。若者となれば鍬を振るい、あるいは汗を拭って鎌を振るい、やがて収穫の分け前を得るようになると速やかに所帯を構えて子をもうけた。仕事に明け暮れて年を稼ぎ、子を導いて人生の盛りの時期を迎え、子が肩を並べたことに気づいて人生の盛りの時期を終えた。人生の盛りの時期を終えると、心に風が吹き始める。心に風が吹き始めた者は気鬱を感じて、働くのをやめ、食べるのをやめた。そのうちに風は心を満たして外に溢れ、からだをめぐって臓腑の隙間に入り込み、頭や手足の先へ流れていく。
 老いの時期を迎えた者は、内側の風に吹かれて大きくなった。風になじめばなじむほど、からだは大きく、そして希薄になっていった。子の顔を再び見下ろすようになり、かざした掌の向こうに孫の顔を見るようになると、老人は家から出ていった。希薄なからだは壊れやすかった。家に残れば天井で頭を打つかもしれなかったし、孫がぶつかってくるかもしれなかった。仮に家に残っても、できることは何もなかった。家族の声は蚊の囁きのように聞こえたし、自分の声は家族の耳に届かなかった。懸命に喉を震わせても、音となって口から出ることはなくなっていた。物を持ち上げることもできなかった。希薄なからだは食べ物も水も受けつけなかった。だから老人は黙って家を出た。家族は静かに見送った。
 外へ出れば、老人は一人ではない。通行人に注意して通りを歩き、町のはずれまで進んでいけば、そこにはほかの老人がいた。様々な大きさの巨人が荒れ野に佇み、ある者はまだ小さくて色を保ち、ある者は大きくて背後の風景と混ざりあい、またある者は巨大となって大気の中に薄められ、わずかにかつての輪郭を保つ。老人たちは希薄の度合いに応じて仲間を作った。仲間同士であれば言葉を交わすことができたからである。
「どうかね?」
「まあまあだ」
 風がからだを満たしているので飢えを感じることはない。気鬱の病はすでに去り、不思議なほどに心は軽い。思い出話に花を咲かせ、笑いで希薄な喉を震わせた。時には家族が老人たちの居場所を訪れ、家のことや畑のことを報告する。老人たちに聞くことはできなかったが、それでも聞くふりをしてうなずいた。すべきことはもう何もない。
 時間の経過にしたがって、希薄の度合いが増していく。風に希釈されて、どこまでも大きく広がっていく。輪郭だけを残した者が、その輪郭すらも失って消えていくのを見ることがある。一人が消えると、残された者たちは夜空に瞬く星を見上げた。
「あれは、消えたのではない」と一人が言う。
「そう、広がっていったのだ」と一人がうなずく。
 そして残された者は眠りに就き、新たな日を数えて空へ空へと広がっていく。



惑星の壊滅


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。理由は簡単で、その国は絶海の孤島にあったからである。もちろん海図にも載っていなかったので、大洋を渡ってこの島を訪れた船はわずかに一隻を数えるのみであった。
 その船には三人の男性優位主義者が乗り込んでいた。祖国の女たちから豚野郎めとの罵りを受け、世をはかなんで国を後にしたのである。折り重なる波をいくつも越えて大海原をどこまでも進み、イルカと並んで船を走らせ、海で暮らす様々な生物に散々に卑猥な言葉を浴びせながら、楽園を求めて旅を続けた。上陸しては失望とともに船に戻り、凪にはまって渇きに苦しみ、あるいは嵐にもまれて死ぬ思いを味わった。
 そうしながら一年が経ち二年が経ち、そして三年目の終わりにさしかった時、壮絶な嵐に遭遇した。たちまちのうちに帆を奪われ、帆桁を飛ばされ、帆柱は倒れて索具とともに海中に消えた。男たちは叫びを上げて斧を手にして甲板を走るが、その甲板は波に洗われて泡の下に姿を隠す。最後の抵抗のつもりで錨を下ろせば、ただちに怒濤が押し寄せてきて軽々と持ち去った。気がついた時には船は完全に自由を奪われていた。船体が軋んで不気味に叫び、船底には無量の水が溜まり、船首楼では恐怖に脅えた山羊がいななく。男たちは決死の思いで戦った。ポンプを動かして水を汲み出し、補助の帆を張って船首を風上に向けようとした。からだを舵輪に固く結んで目を見張り、嵐に向かって雄叫びを上げた。戦いながら夜を迎え、夜を徹して戦いを続け、やがて払暁を見た時に男たちは勝利を宣言した。風はまだ吹き荒び、波は大きくうねっていたが、すでに危機は脱していたのだ。だが、かなり流されていた。どこにいるのかわからなかった。夜明けを待って一人が天測をおこなった。そこは海図に記されていない未知の海域であった。そして船は修理を必要としていた。嵐には勝ったが、船は航行能力を失っていたのである。
 男たちは漂流していた。七日目に水が尽き、九日目には食料が尽きた。十日目に空を舞う鳥を見て、その翌日に島影を見つけた。男たちは島に上陸した。
 驚くべきことに、そこは女ばかりの島であった。女たちは皆若くて美しかった。三年にわたる航海の結果としてそう見えたのではなく、事実としてそうであったと伝えられる。しかも着ている服はからだをわずかに覆うばかり、足には踵の高いサンダルを履いていたのではなはだしく扇情的な姿に見えた。軍隊に属する女たちは、同じ服装で装飾的な槍を携えていた。船を出迎えたのは槍を持った女兵士で、海岸のその場所がたまたま岩場であったことから踵の高いサンダルが災いとなり、兵士たちは次々と滑って傷を負った。
 男たちは耳慣れぬ言葉を話す女たちに捕えられ、その国の宮殿に連行された。やがて女王が姿を現わしたが、これは絶世の美女であった。ただし仮面をかぶっていたと伝えられている。不思議なことに女王は男たちの言葉を流暢に話した。すると残りの女たちも男たちの言葉を話すようになった。時間を節約するためであろう。女王は男たちに滞在を許し、船の修理に要する資材の提供を約束した。
 さて、男たちが船の修理に励んでいると、女たちが好奇の視線もあらわに近づいてきた。聞けば島の女たちは男を見たことがないという。男性優位主義者たちはこれに勝る機会はないと考え、女たちの教育を始めた。いかなる教育がおこなわれたのかは定かではないが、教育と称して何も知らない女性に接吻を強要したり、あるいは肉体的な接触を求めたりした模様である。三人の男は教育の成果としてもっとも従順な女を三人選び、それぞれの妻とした。だがこのことはやがて女王の耳に入り、怒りを覚えた女王は男たちを捕えさせた。三人の男性優位主義者は抗議とともに説明を求め、女王は応えてその国の秘められた歴史を遂に明かした。その国では男たちがすべてをほしいままにしたので、女たちの怒りを買って滅ぼされたというのである。三人の男の運命もまた明らかであった。
 わずらわしいので子細は省くが、男たちが危機一髪という時、突然火山の爆発が島を襲った。恐ろしい傷を仮面で隠していた女王は燃え盛る溶岩に飲み込まれて死に、男たちはそれぞれの妻を伴って島から逃れた。海を渡って祖国に戻り、そこで島の女たちは自分の夫がいずれも男性優位主義者であるという事実を知らされた。そしてもちろんその事実を補強する事実を経験によって知っていたので、ただちに祖国の女たちに与すると自分の夫を豚野郎と罵った。島は七割までが海中に没し、航路が開拓された現在では船舶の通行の障害となっている。



ンダギの民


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国の民は、自分たちをンダギの民と呼んでいた。ならばンダギとは国の名かとたずねると、そうではないと言う。国の名は別にあって、それは秘密にされていた。異邦人にはもちろんのこと、相手がンダギの民であっても国の名は絶対に口にしてはならなかった。そして口にした者は例外なく罪に問われ、罪に対して与えられる罰は例外なく死刑と定められていた。
 ンダギの民の間では死刑はちょっとした見せ物で、いつでも大勢の見物人が集まった。執行には妙に華やいだ気分がつきまとい、歌の名人が歌を歌えば笛や太鼓が音をあわせ、見物人が一斉に踊った。死刑囚も首切り台の上で踊ったし、首切り役人も負けずに踊った。首切り役人が下手に踊るとやじが飛んだ。だから首切り役人は踊りのうまい者から選ばれていた。やじが飛ぶと、首切り役人のみならず法の威厳もまた損なわれたからである。ちなみに死罪となるのは国の名を口にした者だけで、盗みを働いた者は手を、姦淫を犯した者は鼻を切られた。すべては定められていて、疑問が入る余地はない。
 ンダギの民はそれで満足していたが、異邦人の中には余計な疑問を抱く者がいた。ンダギの民がンダギの民に対して国の名を教えることができないのなら、実際に国の名を知る者は一人もいないのではないかと考えた。知らない者が知らないことを口にできるはずはない。だとすれば死刑に処された者たちは、偽りの上に偽りを重ねて殺されたのではあるまいか。
 そのようなことはない、とンダギの民は請け合った。罪を犯した者だけが、大法官の前に身を投げ出して罪を告白したからである。ンダギの民がンダギの民を疑いに基づいて捕えることは決してなかった。だとすれば、と異邦人はさらに余計な疑問を抱く。死刑に処された者たちは、実は偽りの上に偽りを重ねて自殺をしたということになるのではあるまいか。
 そのようなこともない、とンダギの民は請け合った。まずンダギの民は自殺しない。死刑に処された者は数多いが、自殺をした者は過去に一人もないという。それにンダギの民は自分の国の名を知っている。知っているはずがないと言われても、知っているのだから知っている。もし知らないということになれば、それは国の名を口にした以上の大罪を犯すことになる。したがって偽りの上に偽りを重ねているということもない。
 国の名を口にした以上の大罪。そう聞いて異邦人は耳を立てる。国の名を口にした者が死刑となる国で、それ以上の罪にはいかなる罰を与えられるのか。それは死刑なのか、それとも死刑よりも恐ろしい罰なのか。
 死刑ではない、とンダギの民は言う。国の名を知らないと告白して大法官の前に身を投げた者は、踵を切り落とされるのである。
 ここで異邦人は罰の意味について考える。盗みを働いた者が手を切り落とされるというのはよくあることで、罰の意味にも疑問はない。姦淫を犯した者が鼻を切り落とされるというのも、なんとなくわかるような気がしないでもない。ほかのところでなくて幸いだ。国の名を口にした者が死刑になるというのは、いかにも辺境じみてはいるが、それはそういうものだと受け入れられないこともない。だがそれを上回る罪を犯して、なぜ踵が切り落とされることになるのだろうか。
 それは言えない、とンダギの民は顔を背ける。
 法によって禁じられていたからではない。踵の問題に触れることに、どこかやましさを感じていたからである。
 実を言うと、ンダギの民にはいささか特殊な嗜好があった。人間の踵の皮を、最上の美味と考えていたのである。もちろんどの踵の皮でもよいというわけではない。美味の中でももっとも美味とされたのは、春に二人目の子を生んだ女の踵から、晩秋の時期に取れた皮であった。よく脂が乗っていて、心地よい歯応えがあるのだという。
 ンダギの民は幼い頃から踵の皮を惜しむようにして与えられ、長じるにしたがってその美味の虜となっていった。美味に焦がれて自分の踵の皮を食べる者も中にはいたが、それは最低の行為とされていた。美味を味わう以上はしかるべき儀式にのっとって皆で食べ、皆で感想を述べあわなければならなかった。趣味を心得たンダギの民なら、誰の踵の皮がうまいかをよく知っていた。踵の皮がうまいとされた者は社交界の寵児となり、酒を酌み交わす集まりには必ず招かれ、多くの者がその足元にひれ伏した。ただしそうした集まりに異邦人が招かれることは決してない。ンダギの民は野蛮とそしられることを恐れたからである。つまりどこかしらに、自分たちの嗜好を恥じるような気持ちがあったのである。
 恥じてはいない、とンダギの民は言う。異邦人を招かないのは恥ずかしいからではなく、異邦人が新たな美味の存在を知って強欲に駆られるのを恐れたからにほかならない。
 そんなことはしない、と異邦人は主張する。踵の皮がうまいわけがない。
 喜びを知らない者よ、とンダギの民は言う。他人の趣味に鼻を突っ込む暇があるならば、国へ帰って他人の女房の脚の間に鼻を突っ込め。
 ンダギの民は決して友好的な民族ではなかった。そもそも愛想のよい方ではなかったし、しつこく質問を続ければ怒りをあらわにすることもあった。怒りの度を越せば槍を手にして挑んできたし、その槍には鋭利な穂先がついていた。穂先に毒が塗ってあることもあった。怒りに走りやすい一方で、冷めるのも早かった。だからすぐに許しを乞えば、危険は確実に回避できた。だが威嚇に対して威嚇を返せば命を落とした。人数や武器で優勢であっても、ほぼ間違いなく命を落とした。ンダギの民は勇猛で、誇り高いことで知られていた。全員が優れた戦士だった。しかも死を恐れていなかった。死んだ者は必ず天国に導かれると信じていた。ンダギの民の天国では、足の踏み場もないほどに足で地面が満たされている。
 そこでは踵の皮が食べ放題だ。
 それが異境の民の天国であった。




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