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無法の表彰


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも不運な旅人を迎えることがあったのは、街道から枝分かれした一本の道がその国に向かって真っ直ぐに延びていたからである。旅行者は習性として進むべき道を誤ったし、冒険心に頭を冒された愚か者は好んで進むべき道を誤った。だがうっかりその国に足を踏み入れて土地の人間と遭遇すると、後はよほどの変人でもない限り脱出を考えることになる。
 いささか信頼に乏しい資料によれば、その国の住人は人間ではなかった。少なくとも一般に知られている人間とは、やや異なる姿をしていた。
 まず頭部が異様に大きかった。大人がひと抱えにするほどもあって、その形状は扁平で、上から力を加えた団子のような形をしていたという。頭髪はなかった。顔の大半を占めていたのはドングリを倒したような形の巨大な目で、その下には鼻とおぼしき小さな穴が二つ並んで開いていた。口は顔の幅いっぱいに裂けていて、開くと小さな牙がずらりと並ぶ。頭部の大きさに比べると、胴体は不釣り合いなほど小さかった。頭を三とすると、首から下は二ぐらいの比率になったという。その小さな胴から二本の短い腕と二本の短い脚が生えていて、手は完全な形をしていたと伝えられている。脚の形状についての報告はないが、これは住人の身長が平均よりもかなり低めだったためであろう。向かい合うと胴体のほとんどの部分が頭の陰に隠れてしまって、見ることができなかったのである。
 その土地の人々がいかなる理由によってそのような外見をしていたのかは定かではないが、世の中には勝手な空想を勝手な方向へ膨らませて荒唐無稽な結論を引き出す者がいる。そうして引き出された結論によれば、その土地の住人はやはり人間ではなくて、異世界からの訪問者か、またはその子孫であったということになる。星から星へと旅する乗り物が故障して我々の星に降り立つことになり、そのまま居着いてしまったというのである。しかしながらそのような事実を示すいかなる証拠も残されていないし、仮に残されていたとしても良識にしたがって解釈に余地を加えなければならないだろう。
 さて、ある時のこと、一人の旅人が旅を急ぐあまりに道を誤り、街道を遠く離れてこの国に足を踏み入れた。見渡す限りが丈の高い草むらで、ひとが住んでいる気配はまったくない。それでも方角を疑わずに草をかき分けて前へ進むと、やがて一軒の家が見えてきた。椀をかぶせたような形をしていて、その滑らかな表面は乾いた泥の色によく似ている。地面の近くに丸い穴が開いていて、それを除けば戸口も窓も見当たらなかった。旅人はかすかに漂う怪しい気配を感じ取り、また動物の糞を思わせる明らかな異臭を鼻に感じた。立ち去りたいという思いが胸を満たしたが、ここで道を訊かなければ、次にどこで機会があるかわからない。足音を忍ばせて家に近づき、黒い穴に顔を向けると勇を鼓して声をかけた。穴の奥の闇に向かって在宅の有無をたずねると、何やら動く物音がする。数歩退いていつでも逃げられるように身構えていると、間もなく住人が姿を現わした。旅人はその異様な外見にまず驚き、ついで激しい恐怖を感じた。悲鳴を上げて逃げようとしたが、舌は乾いて顎に貼りつき、足はすくんで運命に身を委ねる。そうして立ち尽くしていると、住人がゆっくりと近づいてきた。間近に立って足を止め、巨大な目を並べた顔を旅人に向け、それから両手で一枚の巻紙をするすると開く。開いた紙を短い腕で上げられるだけ高く上げ、それでもまだ顎の下にあって紙に書かれている内容が目に入るとはとうてい思えなかったが、低く深みのある声で重々しく読み上げた。
「表彰状。あなたはこの困難にあってもなお勇気を失わず、克服のための努力を怠らなかったので、ここに表します」
 続いて紙を百八十度回すと旅人に手渡し、一礼をして立ち去った。
 旅人はしばらくして気を取り直し、この不気味な土地から一刻も早く脱出しようと心を決めた。再び草むらへ足を踏み入れ、とにもかくにも前へと進んだ。怪しい家は後方に去り、近寄ってくる影もない。もう大丈夫だと思ったが、丈高く繁る草に囲まれて戻るべき方角がわからない。見当をつけて草むらを分けるとその先には見たような家があり、声をかけてもいないのに中から奇怪な人影が姿を現わした。今度は悲鳴を上げて逃げ出したが、相手は恐ろしいほどの速さで追いかけてくる。心臓が止まるような思いを味わいながら力が尽きるまで走りに走り、倒れた場所で表彰状を渡された。三度目に家の前へ出た時にはもう逃げようとはしなかった。表彰状を受け取って、相手が立ち去るのを待ってから道を求めて草むらに戻った。そのうちに陽が暮れてきたが、戻る道はまだ見つからない。夜が訪れると土地の住民は草むらの中にも出没するようになり、旅人の背後を襲って表彰状を手渡した。道を探して闇の中を這いずり回り、疲労の果てに眠りに落ちて目覚めとともに表彰状を受け取った。一日が過ぎ二日が過ぎ、飢えと渇きに苛まれながらも道を求めて草をかき分け、いったい何日が経ったのかわからなくなった頃、旅人は草の切れ目の先に道への出口を見出した。街道へ戻ってきた時には、表彰状の分厚い束を握っていたという。



女神の帰還


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。存在を知らせる路傍の標識も久しく傾いたままとなっていたので、ほとんどの旅人は気づかずに間近を通り過ぎた。そして仮に足を踏み入れることがあったとしても、気づかずにそのまま通り過ぎることが多かった。その国には堅固を誇る城壁もなく、はっきり町と見える場所もなく、ひとの住む家もひとの集まるべき場所もなだらかにうねる丘陵に広く散っていたからである。国の輪郭を巧みに隠し、それぞれの家には武具を隠し、ことが起こった時には武装を整えた男たちが四方八方から駆けつけた。だからそのことを知る無頼の者は、その国では決して悪事を働こうとしなかった。その国の人々は豚の飼育に精を出し、南の斜面ではオリーブを育て、山の頂きでは葡萄を植えて多くの甘い実を稔らせた。豚は滋養に富んだ食料となり、オリーブから絞った油は健康を保つ材料となり、葡萄の実から得た汁は醗酵の過程を経て喜びを与える飲料となった。
 さて、ある時のこと、国の南端を覆う森から一人の炭焼きが走り出て、手近の家に急を伝えた。森の奥でとんでもないものを見たという。どのようなものかと家の男がたずねると、とてつもない怪物であったという返答がある。ではどのようにとてつもないのかとたずねると、炭焼きは答えに窮して舌を絡ませた。そこで家の男は炭焼きの頭に水を浴びせて濡れた頬を激しく叩いた。それでもなお喋ろうとしなかったので、水を満たした壷に顔を浸けて背中を激しく拳で打った。面白がってそうしたのではなく、手段を選ばずに真相を確かめようとしてそうしたのである。炭焼きは女神という一語を残して悶絶し、萎えたからだを地に横たえた。
 家の男はいぶかしんだ。本当に女神だとするならば、とんでもないものであるとしても、とてつもない怪物であるということはない。家の男は炭焼きを逆さに吊るして水を吐かせ、意識を取り戻すまで頬を殴った。とてつもない怪物という後半の部分に関して、炭焼きが何も答えていないと考えたからである。炭焼きは目を開いて最後の力を振り絞り、家の男に向かってこのように言った。
「でかい」
 その一言が吐き出されるのと同時に森の方で地響きがした。家の男は顔をうつむけて音に聞き入り、轟く音が規則正しく繰り返されるのに気づいて眉をひそめ、それから森の方へと顔を向けた。顔を向けるや否や、舌を絡ませて言葉を失った。炭焼きを放り出すと家の中へ走って武具を取り、慌てふためく妻子の手を引いて遠く離れた隣家へ逃れた。
 隣家の者たちは不穏に轟く地響きを聞いて外へ飛び出し、家を囲う柵の前で一家を迎えた。そして一家が狂乱状態にあるのを見ると、激しく石を投げつけた。遠ざけようとしたのではなく、新たな脅威を与えることで狂乱の原因から心をそらせようとしたのである。投石が功を奏して一家は落ち着きを取り戻し、後にしてきた方角を一斉に指差した。すでに言葉は不要であった。隣家の者たちは彼方から近づくそれを見て、逃げてきた一家にあれは何かと詰め寄った。すでに落ち着きを取り戻していた一家は言葉を選んで女神である、とんでもないものであると返答し、大きさだけを見ればとてつもない怪物と言えないこともないと補った。隣家の者たちもその答えに異論はなく、危険が迫っているという点でも両家の見解は速やかに一致した。そして武具を持つ者は武具を取り、荷に余裕のある者は家財や食料を家から運び、次の家へと退却を始めた。
 家から家へと退却を繰り返すうちに逃げる者の数が増え、男たちは走りながら鎧や武器を身につけた。多くの者が家を捨て、丘の上の菩提樹のまわりに集まっていった。その根元には報せを聞いた長老たちが腰を下ろし、情報の収集に余念がない。将軍の番にあたっていた者は喉を嗄らしてひとを集め、最初に人数をそろえた隊が斥候に出された。女たちは火をおこし、あるいは酒の甕に水を注いだ。
 間もなく斥候隊の一人が戻り、女神の進路を報告した。森から出現した女神は途中にある家を破壊しながら北に進み、それから進路を北東に変えて今は東の川に向かっているという。報せを聞いた長老たちは皆を菩提樹の下に集めた。全員が腰を下ろして口を閉じると、間もなく古老が立ち上がってこのように言った。
「大きさの点ではとてつもない怪物とすら言えそうなとんでもない女神が現われて、この国のどこかを目指して進んでいる。それは皆も知っていることであり、わしが一人で妄言を吐いているというわけではない。そこで事実はありのままに受け入れることにして、残ることについて考えてみようではないか。すなわち、なぜ女神は現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、そしてどこへ行こうとしているかである。意見のある者は、まず手を上げてから話すがよい」
 すると一人が手を上げて、女神を撃退する方法は考えなくてもよいのかとたずねた。
「女神が女神であるならば」と古老は言った。「わしらに倒せる相手ではない」
 これには別の一人が手を上げて、ならば目下東進中のいわゆる女神が事実としての女神であることに疑義をはさむ余地はあるのかと質問した。
「それには」と古老は答えた。「なぜ女神が現われたのかを考えねばならぬ。女神が現われるだけの理由があるなら、あれは女神にほかならぬ。そうでないとなるならば、それから倒す方法を考えればよい。だからまずは、女神が現われた理由を探すことだ。理由を知る者は、まず手を上げてから話すがよい」
 古老がそう言って促すと、一人が別の一人を指差してこのように言った。
「奴は豚に川を渡らせた」
 菩提樹の下にゆらめくようなざわめきが走り、多くの者が指差された男に非難の視線を浴びせかけた。
「そう言うあいつは」と指差された男が指差した男を指差した。「川で小便をした」
 今度は激しいざわめきが起こり、少なからぬ者が立ち上がって怒りの拳を振り上げた。発言を求めて手を上げた者も中には混じり、あれは川の女神なのかと大きな声で問い質したが聞く耳を持つ者は一人もなかった。そこへ斥候隊からまた一人が戻り、古老の傍らに立つと許可を待たずにこのように言った。
「今、川を渡ってる」
 これを聞くと多くの者が激しい怒りに顔を歪め、豚に川を渡らせた者と川を小便で汚した者に石を投げつけた。ただし落ち着きを与えるためではなく、禁忌を破った罰を与えるためであった。その有様を見た長老たちも群集に向かって石を投げ始めたが、これは罰を与えるためではなく、落ち着きを与えるためであった。だが長老たちの投石は落ち着きではなく興奮を与えることになり、おびただしい数の石が飛び交った結果、そのうちの一つが古老にあたり、古老は額から血を流して昏倒した。これを見た者は大事を悟って投石をやめ、間もなくすべての者が石を捨てた。長老たちは倒れた古老を助け起こし、女たちは顔を蒼くして走り寄り、男たちも忠節を示す絶好の機会と捉えて走り寄ったので、辺りは一瞬にしてごった返した。
 斥候隊から三人目が報せを携えて戻ったのは、この直後のことである。その兵士は群衆をかき分けて長老たちの前に進み、目を開いた古老に向かってこのように言った。
「神殿に入りました」
 古老は報せを聞いて眉をしかめた。
「神殿とは、どこの神殿のことなのか?」
 そう言いながら立ち上がる古老のまわりでは、長老たちも残りの者も腕を組んで首を傾げた。神殿のことなどは誰も聞いたことがなかったからである。
「東の川の向こうにある林の奥の神殿です」
 兵士の答えに数人がうなずき、また数人が手を叩いた。たしかにそこには神殿があったと口にする者もいる。
「ならば」と古老が言った。「女神がどこへ行こうとしていたかは、これで明らかにされたことになる。謎の一つは解明された。残る謎はなぜ現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、その二つであり、これはおそらく神殿へ行けば自ずと判明するであろう」
 そしてそのとおりとなった。神殿の内陣の高さは女神の身長にぴったりであった。大きさはそのことによって説明され、もう一つの謎はその国の者たちが女神の前に立った時、全員が自ずとひざまずいたことによって自ずと解明されたのである。女神が立ち去ったことも忘れ、神殿があったことも忘れ、日常の禁忌を心の頼みとしていた信仰薄き者たちは、その日を境に心に信仰を取り戻した。



亡者の場所


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。見た目には普通の国であったとされているが、その国については古くから奇妙な噂があって、ことの真偽を確かめようと多くの者が訪れていた。そして訪れた者のうちの多くは噂が真実であることを知って自分の国へ逃げ戻り、いくらかの者は自らの目を疑って一切を幻覚と断定し、ごくわずかな者は人生の黄昏の時期を待って再びその国を訪れた。
 その国ではすでに死を迎えた者が歩いていた。すべての死者が、というわけではない。おおむね二十人に一人の割合で埋葬の前に立ち上がり、音を立てずに歩き始めた。なぜそうなるのかはまったく不明で、男女の違いや貧富の差、あるいは生前の性格にも理由を求めることはできなかった。歩く死者の中には男もいたし女もいたし、生前に高潔で知られた者もいれば低劣によって知られた者もいたのである。
 死者は歩いただけではなく、座ることもした。ひとの集まる場所を好み、座り込んでは頬杖をついて道の往来や居酒屋の喧騒を飽くことなく見つめていた。話すこともしなければ、食べることも飲むこともしない。耳を傾けているように見えたとしても、話を聞いてうなずくことは決してない。往来がなくなれば立ち上がり、居酒屋が閉店の時間を迎えればおとなしく店を出ていった。夜の間は道をどこまでもひたすらに歩き、森をさまよい、畑に踏み込んで作ったばかりの畝を潰し、時には小川の畔で足を止め、川面に映る自分の姿をじっと見つめた。月の明かりや星の明かりに照らされた死者の姿は、無害であることがわかっていても、見る者に恐怖を与えたという。朝になると死者は群れをなして町に戻り、広場の隅に腰を下ろした。瞬きもせずに市の様子を見物し、市がはねると思い思いの場所を求めて町の中へ散っていった。
 いつの頃からか、その国では死者の場所が定められていた。道の真ん中や階段に座り込んだ死者は、通行の邪魔になるという理由で監督官によって追い払われた。死者たちは集会場にも現われたが、死者に許された場所は北側の一角に限られていた。南側は伝統的に反対派が気勢を上げるために使われたからである。居酒屋には死者専用の席が設けられていて、その位置は店によって異なっていたが、たいていは入ってすぐ脇の壁際か、さもなければ便所の横の壁際であった。習慣を知らない旅行者は誤って死者の席に座ることがあり、しばらくしてから両隣の異様な気配を察して恐ろしい思いを味わった。無用の騒動を避けるために、一部の店では注意書きを出していたという。
 その国の人々は歩く死者を受け入れていた。疑問はおそらく誰の胸にもあったはずだが、口に出して問う者はなかった。生きている者がいかに考えようと、死後の生活は想像の域を出ることがない。歩く死者を前にして魂の行く末を論じることには、多くの者が不安を感じた。そこにいるのは未知の人物ではなくてかつての隣人や親族であり、もしかしたら聞いているかもしれないからである。だから理由は死者の胸の内にあるとされていた。理由を伝える必要があれば、死者が口を開いて言うはずであった。
 受け入れてはいたが、まったく問題がなかったわけではない。浮かれた若者たちが死者を捕えて木から吊るした。何も知らずに木に近づいてうっかり見上げてしまった者は、無害であることがわかっていても、やはり恐怖を覚えたという。畑を荒らされて怒った農夫が、死者を捕えてこっそり始末することもあった。石を抱かせて川に沈めるか、縛って埋めるかしたのである。ずぶ濡れになった死者が石を抱いて歩いているのを見た者がいるし、泥まみれになった死者が縄を引きずって歩いているのを見た者もいる。故人の行方を案じた遺族が騒ぎを起こすこともあったようだが、遺族の要請に応じて司直が動いたことは一度もない。
 監督官たちは歩いている死者の様子を観察し、腐敗が進んだ者から順に処分していった。どのように処分していたのかは定かではないが、再び歩くことがないように斧で切り刻んでいたと言われている。おそらくはこの仕事のせいで監督官は蔑まれ、時には遺族の恨みを買った。監督官が国から多額の給与を得ていたのは、その代償であろう。幸いなことに、死者を見張り死者を闇に葬るこの無残な職業はある日を境に無用となった。
 見つけたのが誰であったかは知られていないが、ある日、町のはずれのさびれた場所で地下へと通じる穴が見つかった。それはそれまで石の蓋によって塞がれていて、まわりに生い茂る草によってひとの目から隠されていた。そこにあった重い蓋を取り除くと、死者たちは一斉に穴を目指して歩き始めた。列を作って町のはずれに迷わずに進み、一人また一人と穴の中へ消えていった。そしてそれ以来、すべての死者がおとなしく葬られるのを待つようになった。穴の先に何があるのか、確かめるために入った者は一人もない。



野蛮の証明


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。古くからそれ以上のことが知られることはなかったが、ある時、名高い学者が弟子とともにその国について考察を加え、その結果、野蛮の地であることが証明された。
「さて、弟子よ。わたしたちはこれまで文明の発展の諸段階について考察をおこない、発展の段階がより高いほど、人間にとってより好ましいという結論に達した。なぜならば発展の段階とは、人間が感じる快不快の程度と密接な関係にあるからであり、人間がその本性において快適であることを好む以上、快適の程度が低い発展段階よりも快適の程度が高い発展段階を選ぶことは自明とされるからである。そして快適の程度が低い発展段階とは文明の底辺により近く、快適の程度が高い発展段階とは文明の頂点により近い。文明の発展の主要な動機が快不快の階梯を登ることにある以上、これもまた自明であると言わなければならないだろう」
「いかにも、そう言わなければならないでしょう。しかしながら、先生、わたしには一つ、不思議に思えてならないことがあるのですが」
「それならば、弟子よ、たずねてみるがよい。おまえにとって不思議なことでも、わたしにとっては自明であることが、まだ数多くあるのだからな」
「いかにも、先生はすでに星の数ほどの疑問を解き明かし、凡俗には思いも及ばぬところから新たな疑問を発見しておいでです。先生に解き明かせぬような疑問がこの地上に存在すると考える者は、世界に誰一人としていないでしょう。さて、わたしが不思議に思うこととはほかでもありません。発展の段階がより高いほど人間にとってはより好ましいのならば、なぜ、ある段階に敢えてとどまろうとする者たちがいるのでしょうか?」
「我が弟子よ。それは初耳だ。それはいったいどのような者たちなのだろうか?」
「とあるところにあっても地図に載ったことがなく、旅行者向けの案内書にも載ったことがない、たいそう小さな国に住む者たちです。辺境に身を置いて快不快の階梯を登ることには関心がなく、むしろ日々を生きることに関心を抱いている者たちです」
「それは、我が弟子よ、とどまっているのではない。遅れているだけなのだよ」
「遅れているだけなのですか? とどまっているのではなく?」
「この世界のすべての国が同じ速度で同じように文明の発展を遂げているわけではない。ある国はほかの国よりも速やかに進み、ある国はほかの国よりもゆっくりと進む。国にはそれぞれの発展の速度というものがあるのだ。だから我が国のように進みの速い国はすでに発展の頂点に近づこうとしているし、一方、進みのひどく遅い国はまだ発展の底辺にあって高度の不快を受け入れている」
「しかしながら、先生、わたしにはその国の人々がとどまっているように思えてならないのです」
「そう思えてならないのならば、我が弟子よ、それはおまえが未熟な証拠だ。快不快とは万物の尺度であり、快不快を計る梯子はたった一つであるということを忘れてはならない。ある場所では不快であるとされることが、別の場所では快適であるとされることがあってはならないのである。もしそのようなことが起こるとすれば、それは快不快の尺度が異なるからではなく、文明の発展の段階が異なることによってそう見えているに過ぎない。人間は快適であることを本性から求めて文明の発展の段階を進むのであり、大国と呼ばれる国々での暮らしがおおむねにおいて快適で、しかもおおむね均質であるのはまさにそうして進んできたからにほかならない。梯子が一つならば進まなければならない距離も一つであり、そして我が弟子よ、重要なのは梯子をどこまで進んだかであって、それ以外の何かではないのだよ。それにもかかわらず、その国の人々が低きにとどまっているとするならば、そもそも人間の本性に反していると言わなければならないだろう」
「いかにも、そう言わなければならないでしょう。しかしながら、その国の人々がとどまっているとして、しかも人間の本性に反してそうしているのではなく、本性にしたがってそうしているのだとしたら、それはどのような状態にあると考えるべきでしょうか?」
「そのような状態は、我が弟子よ、あり得ないと言うべきであろう」
「しかしながら、先生、その国がすでに発展の頂点に達してるのであれば、そのようなこともあり得るのではないでしょうか?」
「それもまた我が弟子よ、あり得ないのだよ。仮にそのようなことがあるとすれば、辺境の地にあって地図にも旅行者向けの案内書にも載っていない、そんな状態が快適であるということになる。だが、そのようなことが快適であるはずがない。不快であると感じなければならないのだ。したがってその国の者たちが発展の頂点にあるということはなく、むしろ発展の底辺にあると考えるべきであろう」
「すると、地図にもなければ旅行者向けの案内書にもないその小さな国は、無条件で発展の底辺に置かれるということですね?」
「そのとおりだ。だが弟子よ、おまえもよいことを言ってくれた。これまでわたしは人間の本性を信頼するあまり、その前の段階について考察することを忘れていた。わたしはその段階を発展の前段階と呼ぶことにしよう。そこで弟子よ、これはよくよく心して答えてほしいのだが、その国はとどまっているのか、それともとどまってはいないのか?」
「どう考えても、とどまっているように思えます」
「ならばその国が発展の前段階を示す最初の標本となる。人間の本性に反して快適への希求を怠り、梯子に手をかけようともしない連中というわけだ。けしからん奴らだが、わたしの発展のためにはよい材料となる。さて、弟子よ、おまえは発展の前段階にあるような国は、どのように呼ばれるべきだと考えるかね?」
「どのように呼ばれるべきでしょうか?」
「そうした国は、野蛮な国と呼ばれるべきだとは思わないかね?」
「いかにも、そう呼ばれなければならないでしょう」
「なぜ、そう呼ばれなければならないのだろうか?」
「なぜなら、その国が地図にも旅行案内書にも載っていないからです」
「そしてそれにもかかわらず、自分たちは幸せだと信じているからだ」
「なんとも、思わず、憐れみたくなりました」
「いかにも、憐れまなければならないだろう」
 後におこなわれた慎重な調査の結果から、名高い学者もその弟子もその国を訪れたことは一度もなく、ただ考察を加えたのみであったことが証明されたが、それでも名高い学者が下した結論が揺らぐことはなく、末永く定説の座にとどまった。



勇気の回復


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。記録に残されているその国の住人の主張によれば、地図や旅行案内書に記載がないのは国が小さいからではなく、実は近隣諸国が謀略を用いて彼らの祖国の抹殺をたくらんだからであった。文字どおり地図から消し去ろうとしたというのである。別の記録は版元の反論と近隣諸国の反論を伝えている。版元の反論によれば、その国の名前が地図から落ちているのは一般的な不手際が原因であり、案内書の目次にないのは日常的な労力の不足が原因であった。その証拠として同じように抜け落ちている複数の国の名前を挙げ、謀略の存在を否定している。近隣諸国もまた、いかなる謀略も存在しないという主旨の反論をしている。その内容を要約すると、地図から消したところでそこにあるという事実は変更できないし、変更できない以上は無駄な努力をしたくないということになる。それにそもそも地図に載っていないではないかという過激な発言も収録されているが、これがどの国の代表の口から発せられたのかは明らかにされていない。
 謀略の存在を指摘した人物は、具体的な結果こそ得ることはできなかったものの、帰国してからはその勇気を称えられた。終身愛国者の称号を受け、国家における指導的な地位を提供された。いくつもの集会に招かれ、それぞれの集会では演説を請われ、会衆を前にして自分がいかに近隣諸国を論破したかを語って聞かせた。聴衆は拍手喝采した。論破されたにもかかわらず近隣諸国はいかなる反省の色も見せなかったというくだりでは、集会場に緊張が走った。外国の横暴を許すなという囁きが広がり、若者たちは戦争すらも辞さないと呟いて顔をうつむけた。戦争という一語によって集会場はなぜかもじもじとした空気に満たされたので、演説者はここで話題を変えた。最大の問題はその国に独自の地図がないことであった。外国の陰謀によって生み出された誤った地図が、その国の青少年の心を激しく歪めているのであった。若者の心に誇りと勇気を取り戻すためには国民の手によって作られた新しい地図が必要であると訴えた。新しい地図はその国の存在を全世界に向かって高らかに告げるだけではない。国民すべての心に愛国の火を灯す素晴らしい物語でなくてはならなかった。
 終身愛国者を中心に団体が結成され、新しい地図を作る作業が始められた。首都に本部が置かれ、地方組織が展開された。それぞれの地方組織には有志からなる測量隊が配置され、いずれも勇猛果敢な測量隊は図書館や学校に襲撃を加えて誤った地図を摘発し、広場に集めて火を放った。一連の光景を目撃したその国の地理学者や測量技師は地図製作に関わる若干の技術的な問題を指摘したが、終身愛国者とその周辺はこれに等しく嫌悪感を表明した。国民の地図は、旧来の方法では作成できないという信念があったからである。証明されるべきなのは測量の技術ではなく、愛国的な勇気なのであった。だが同時に支援者から寄付を募り、秘密裏に測量器具を購入することもした。測量隊の面々は真新しい測量器具を背負って山野をめぐり、参考書を頼りに点を定め、点と点との距離を測った。そうしている間に国内ではあの地図は完成しないという噂が広まり、広まるにつれて国民の関心が揺らぎ始めた。終身愛国者は噂を否定し、噂の出所は外国の走狗となった反逆的な団体であると主張する一方、決定版に先立つ暫定版と断った上で新しい地図の公開をおこなった。
 そこに示された新たな国境線に、まず近隣諸国が反応した。いくつかの線が問題とされ、事実上の侵略行為であると非難された。国内の学者や技師も眉をひそめ、科学的な根拠の提出を要求した。これに対して終身愛国者は科学的根拠の提出を拒み、国境線の形状は愛国心の発露としてもたらされたものであり、真の国民であればその形状は自ずと理解されるはずであると説明した。この地図は国内及び近隣諸国で発売され、問題の文書として多くのひとが買い求めたが、信頼に値しないという批判と暫定版であるという作成者自身の保留があったことから、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
 測量の開始から数年を経て、新しい地図の決定版が公開された。意外なことに、決定版の国境線は暫定版の国境線よりも大きく後退していた。新しい国境は自然が与えた線よりも内側にあり、歴史的な合意よりも内側にあったのである。支持者たちは指導者の勇気を称賛した。勇気がなければそんなことはできないはずだからである。だが国内の専門家はその素人仕事ぶりを嘲笑し、一般に有識者と目される人々は国益を損なったとして批判した。そして近隣諸国もまた、ただ事実を歪めているというそれだけの理由で厳重な抗議をおこなった。そこで終身愛国者とその周辺は国内にあるいくつかの団体の名を挙げ、外国の走狗となって国内世論を否定的な方向へ導いていると非難した。完成した地図は賛否両論がある中で地図として発売され、国内及び近隣諸国で多くのひとが買い求めたが、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
 さて、その国がそのような状況にあった時、長らく不在であった王がその軍勢とともに帰還を果たした。不在であった理由は判然としないが、一説によると不在だったのではなく最初からそこにいたのであり、不在であるかのように見えたのは国民が三世代を費やして王とその軍勢の抽象化を進めていたからであった。いずれにしても王は戻り、領土の縮小を知って激怒した。兵を送って終身愛国者を捕えさせ、玉座の前に引き出して説明の機会を一度だけ与えた。終身愛国者は王に向かって国を憂える心を説き、さらには国を愛する心に訴えたが、王は応えてこのように言った。
「朕が国家である」
 ついで王は罪人を叩くための棍棒で愛国者を殴らせ、兵士の身分を与えて軍に送った。それから軍の指揮官たちを呼集して軍議を開き、国境線回復のための作戦を練った。すでに近隣諸国が新しい地図の国境線に沿って兵を配置していたからである。間もなく戦争が始まった。諸国は矢継ぎ早に動員令を出して徴兵を強行し、いくつもの軍団を編成して端から戦場へ送り込んだ。戦争は長期にわたる泥沼となり、多くの者が死の淵に沈んだ。そして国境線もまた泥にまみれて混沌とした状態になってくると、諸国は和解の時期に達したことを悟ってそれぞれの古い地図を取り出した。




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