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魔王の機械


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが、まったく未知のままに捨て置かれていたわけでもなくて、ある種の文献には記載があったし、そうした文献に知識を求める人々は、そこに書かれた内容を読んでその国の存在を知ったのである。
 その国には魔王の機械があると言われていた。言われていたというだけで、実際に見た者は一人もなかった。どの本を調べても、それがいかなる機械なのかを説明している部分は一行もない。信じられていたところによれば、それは地獄から呼び出された魔王が地上に現われ、まさに現われた証拠として地上に置いていった物であった。だが単なる存在証明であれば機械である必要はまったくない。まがまがしい彫像や不気味な紋章のような物であっても全然構わなかったはずである。機械であるからには、必ず何かしらの機能を備えているはずだと多くの者が考えた。地獄の門を開く仕組みかもしれないし、そうではなくて空に暗雲を浮かべる仕組みかもしれない。門を開くのだとすれば鍵はどこにあるのか、暗雲を浮かべるのだとすれば、浮かべた後には何が起こるのか。その国の誰かが魔王と契約を交わした証しだという説も有力視されていた。
 正体を確かめようと考えて旅立った者は少なくない。だが戻った者は一人もなかった。その国へと至る道にはいくつかの難所が控えていたとされているので、そのうちのどれかで命を落としたのであろう。そしてそうして行方を絶ったのは一般にいかがわしいと思われていた人々だったので、不幸を知って悲しむ者の数は少なかった。悲しむ代わりにさもありなんとうなずく者はたくさんいたと伝えられる。
 さて、ある時のこと、一人の裕福な若者がいささかいかがわしい種類の野望を胸に抱き、魔王の機械の正体を確かめようと考えた。道中の難所についての情報を集め、武勇を誇る男たちを護衛にしたがえて出発した。最初の難所は溶岩によって塞がれた海辺の場所で、ここを越えると道は大きく内陸へまわる。その先には誘拐を生業とする人々が住む国があり、その先には追い剥ぎを生業とする人々が住む国があった。森を抜けて川を渡り、そそり立つ山をいくつも越え、崖にへばりついて暮らす人々の町に入って王に追われ、あるはずの国がない場所を抜けて大きな山を一つ越える。そこからさらに山を五つほど越えていくと、山裾に広がる盆地の中にその国はあった。
 道の終端に城壁を備えた町があり、町の中にはひなびた風情の建物が並んでいた。建物は異国風ではあったが創意に乏しくて感興に欠け、道を歩く人々の姿もまた異国風ではあったが珍しさよりも鈍重さをより多く感じさせた。空には暗雲もなかったし、立ち並んだ樹木が怪しい闇の光を放つこともない。歩き回って探してみたが、恐ろしい彫像も気味の悪い紋章も見当たらない。住民は黙々として生活に励み、広場には大きな市が立ち、隅の方ではこどもたちが立ち小便で飛距離を競う。魔王が降り立った場所には見えなかった。
 それでもどこかに魔王の機械があるはずだった。察するところ、それはどこかの秘密の場所に隠されているのに違いなかった。若者は酒場をまわり、聞き耳をたてて日を費やした。それらしきことを口にする者がいれば金を払って情報を掴み、次第に断片を積み上げていった。まともそうに見える者は概して口が固かった。口の軽い者は多くの嘘で多くの金を得ようとたくらんだ。無数の断片が集まってきたが、どうしても一枚の絵にはなりそうもない。そのうちに物も言わずに金を奪おうとする者も出現し、揚げ句の暴力沙汰が二度三度と繰り返された。いくつかの店では出入り禁止を言い渡され、当局からは威嚇的な呼び出しを受け、無視していると尾行がついた。
 その土地で得たわずかな友人たちは口をそろえて国外への脱出を勧めたが、若者はなおも魔王の機械に執着し、それから間もなく逮捕された。よくわからないまま取り調べを受け、起訴され、法廷の中央に引きずり出されて判決を受けた。外国の優越を宣伝した罪で懲役五年と財産の没収。金は奪われ、武勇を誇る男たちは奴隷に売られ、若者は監獄にぶち込まれた。そして魔王の機械とそこで出会った。
 監獄には魔王の機械のために働く一団が存在したのである。囚人の有志からなる人々で、魔王の機械のために一生を捧げるという誓いをしていた。看守から話を聞いて若者は興奮し、ただちに志願してその一員となった。技師長と呼ばれるひどく陰気な人物が現われ、若者を監獄の地下深くへと案内した。魔王の機械はそこにあった。高さがひとの背丈ほどある立方体で、表面はなめらかで凹凸がない。悪魔的な意匠も、目に見えるような怪しい仕掛けも見当たらなかった。若者は失望を覚えたが、それでもすぐに気を取り直した。仕事が始まれば、魔王の機械の正体も解明されることになるからである。
 若者は机をあてがわれた。技師長はその机の上に分厚い資料を投げ出して、読んでおくようにと言い渡した。表紙に並んだ文字を読んで、若者は再び興奮した。それは魔界の全貌を記した本であった。目を輝かせて読み始めた。食事も寝る間も惜しんで読み続けたが、そこに書かれていたのは魔物を呼び出す呪文でも牛乳に酸味を与える方法でもなく、魔王を頂点とする魔界の行政機構とその運用に関わる諸々の手続きなのであった。後半は文字通りの法令集になり、別冊には申請や報告に用いる書類の各種様式が収められていた。それでも若者はすべてを読み上げ、その旨を技師長に報告した。すると技師長は別の資料を投げてよこした。表紙には基本設計書という文字があり、中には丸や四角を矢印でつないだ複雑な図形が層をなしていた。まるで意味不明の資料だったが、机に戻って身を屈め、書かれていることの意味を推し量ろうと頑張った。そして頬の下に骨が浮き出すまで頑張って、遂に意味を突き止めた。その資料は魔界の運用手続きを図や線を用いて抽象的に表現したものだったのである。技師長に読み終えた旨を報告すると、翌日からは会議に出席するようにと言い渡された。
 連日の会議がやがて全貌を明らかにした。その国の誰かが、やはり魔王と契約を交わしていた。その事実に間違いはなかったが、それは地上における魔王の復権を認める契約でも、魂の代償として七つの願い事を得る契約でもない。魔界の合理化についての契約だったのである。魔王、すなわち当事者甲はその恐るべき魔力を使って魔王の機械と呼ばれる謎の装置を地上に運び、当事者乙はその機械に魔界で使用される一連の手続きを入力して合理化と省力化を実現することになっていた。
 計画完遂の暁には小悪魔たちはもう報告に紙を使う必要がなくなり、連絡は電子的に緊密かつ速やかにおこなわれるので魔王はいながらにしてすべての状況を掌握できるようになる。そうして魔界事業は効率化に向かって大きく前進するはずであったが、肝心の計画が大幅に遅れるという事態が出現した。技師長は設計を担当した技術者たちの未熟と無能を最大の原因とし、一方、現場の技術者たちはひとの話を聞かない技師長の性格こそが最大の原因であると反論した。おそらくは、いずれも最大の原因なのであった。傲慢と未熟が不手際を生み、そこへ小悪魔たちが無理解と無関心によって災いをふりかけた。予算は無駄に消化され、入力作業は足踏みを始め、怒った魔王は空に暗雲を飛ばして損害賠償請求をちらつかせた。双方の歩み寄りによって訴訟沙汰は回避されたが、人間の側は進捗管理における瑕疵を認め、乏しい予算で計画を継続しなければならなくなったのである。設計と入力作業を担当していた下請け業者はとうの昔に逃げ出していたので、当事者乙は国と交渉して原価の安い囚人労働力を手に入れた。
 すべてを知った若者は不満を隠すことができなかった。苦労した揚げ句が他人の失敗の尻拭いであることが許せなかった。魔王の機械はもっと無意味でまがまがしい機能を備えていなければならなかった。そこで先に立てた誓いを撤回し、一団からの離脱を申請した。これは認められなかったが、連日の長時間労働に体調を損ない、病気施療を余儀なくされて結果としての離脱を果たした。普通の労役に就いて刑期を終え、苦難の末に帰国した。痩せこけて骨と皮になり、髪は残らず白くなっていたと伝えられる。すぐさま昔のいかがわしい仲間が家を訪ね、若者の変貌に驚きながらも魔王の機械について問い質した。若者は首を振って、自分の口を指差した。帰国の途上で誘拐を生業とする人々の手に落ちて、舌を切り取られていたのである。いかがわしい趣味の人々はこれを魔王の呪いであると考え、そうとは考えなかった若者はいかがわしい種類の本を焼き捨てて、それからは釣りを趣味とした。



密林の探検


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでもその国の存在は伝説を介して多くの者に知られていた。伝説を聞いた多くの者が惹きつけられ、伝説を信じた多くの者がその国を目指して旅立っていった。だが辿り着いたという者は一人もない。多くは道の半ばで倒れ、わずかな者が生きて戻った。
 伝説によればその国には黄金が満ち溢れていた。道は金の延べ板で舗装され、屋根には金の瓦が敷かれ、家々の棚には重い金器が山積みとなり、住民は金糸で織った衣服をまとい、食べ物には金粉がまかれていたという。便所の便器が金ならば便座もまた金で作られていて、飼い犬や飼い猫も金にまみれ、路上には黄金色の糞が点々と並ぶ。
 伝説を聞いて欲に駆られた者たちが、その国を探して旅立っていった。湿気を帯びて黒く霞む熱帯雨林に足を踏み入れ、次から次へと命を落として下生えの肥やしとなっていった。行く手は分厚い密林に阻まれ、道と言えるような道はなく、横からも背後からも、時には上からも下からも数々の危険が襲いかかった。仮にその場所まで辿り着くことができたとしても、伝説の国を見つけられるかどうかが怪しいという。失われた国の姿は朝焼けの中にだけ立ち上がると言う者がいたし、夕陽を浴びて影が差すと言う者もいた。運よく見つけることができたとしても、実は入るのが難しいという。失われたその国は黄金の巨人に守られていると言う者がいれば、巨大なヤモリに守られていると言う者がいた。しかもその巨大なヤモリというのは、奇怪にも元は人間なのであった。
 伝説にまつわる噂話は聞く者の心に恐怖を起こしたが、恐怖よりも欲望が勝る者は劣情に駆られて腰を上げた。密林の恐怖は克服可能な障害でしかなかった。恐怖はすでに人生にあった。一攫千金の夢をかなえて世界に自分の名を広め、嫉妬と羨望の飽くなき対象となることがなければ、人生はただの無為でしかない。
「俺は行く」
 野心で知られた一人の男が、そのように言って決意を固めた。心ある者は言葉を尽して決意を砕こうと試みたが、男は人生の空しさを恐れて旅立っていった。海を渡り、川を遡って文明のはずれにある町を訪れ、そこで案内人と人夫を雇うといよいよ密林に足を踏み入れた。
 密林は恐怖と危険に満たされていた。陽は葉に遮られて地上は昼でもなお暗く、足元は不確かでしかも湿って滑りやすかった。まず人夫の一人が足を挫き、次に別の人夫が転んで腕を骨折した。行動不能となった二人を置き去りにして、なおも進むと前には鬱蒼とした薮が立ち塞がる。鉈を使っていた人夫が誤って自分の手を落とし、斧を使っていた人夫は誤って自分の脚を切った。行動不能となった二人を後に残して道を拓き、薮を突破して激流に洗われる川辺に出ると、そこで原住民の襲撃に遭った。からだに色を塗りつけた見るからに凶暴そうな男たちが槍を手に手に丸木舟に乗り込んで、対岸から一行目がけて突進してくる。だが小さな舟は端から波にもまれて沈んで消えた。あまりの恐ろしさに一行は恐怖に震え、それから気を取り直して濡れた岩を登っていった。川沿いに進んでいくうちに、二人の人夫が足を滑らせて悲鳴とともに激流に飲まれた。
 川の上流では恐るべき猛獣が待ち受けていた。茶色くてごわごわの毛が生えたクマである。こっちへいったりあっちへいったりといった面倒なことは抜きにして、いきなり現われて立ち上がった。立ち上がると大人の倍の背丈があった。クマは前肢で人夫の一人を殴って失神させた。そして失神した人夫を肩に担ぐと、密林の奥へ消えていった。しばらくしてから同じクマがまた現われた。前肢を振るって人夫を失神させて、肩に担いで連れ去ろうとしたので、野心で知られた男はクマに向かってこのように言った。
「図々しいとは思わないのか?」
 するとクマは足を止め、振り返って鼻を鳴らすと人夫を担いだまま密林の奥へ去っていった。野心で知られた男は怒りとともにクマを見送り、先頭に立って先を急いだ。野営に適した場所を探して天幕を張り、見張りを立てて夜を過ごし、そして何事もなく朝を迎えた。だが出発の時になって人夫が二人消えていることに気がついた。探してみると一人は松脂にかぶれてのたうちまわり、もう一人は漆をかぶってもがいていた。行動不能となった二人を置いて、一行はさらに密林の奥へと分け入っていった。
 雨期でもないのに雨が降り始めた。滝のように雨が注ぎ、川が溢れて密林を浸した。二人の人夫が濁流に飲まれ、一行は危険を察して高い場所を探し求めた。流れる水を脚で分けて、丘を見つけてそこへ逃れた。見ている前で森が沈んだ。雨は降り始めと同じように唐突に止み、空が青く晴れ渡った。そして見渡す限りが海原となり、やがて水平線の彼方から二隻の船が現われた。並んで現われた二隻の船は瓜二つで、どちらも舷側に円窓を並べ、煙突から淡い煙を吐き出している。二隻は波を蹴立てて海を進み、丘の間近までやって来てからくるりと向きを変えて去っていった。船が水平線の彼方に消えてしまうと、水が凄まじい勢いで引き始めた。水の中から木が立ち上がり、森が姿を現わして梢という梢が水をこぼす。密林の驚異を目の当たりにした一行は恐怖に震え、丘の上で一夜を明かした。夜明けとともに寝癖頭の黄色い巨鳥が足音をたてて出現し、左右の翼に一人ずつ、あわせて二人の人夫を抱えて去っていった。
 密林の恐怖はまだ続いた。一行は丘を後にして森を進み、唐突に森が途切れたところで足を止めた。辺りは一面の花畑で、原色の花が異様なまでに咲き乱れていた。恐るおそるに進んでいくと、花の間から四匹の怪物が現われた。いずれもこどもの背丈しかなかったが、全身を鮮やかな赤や青や黄色に塗って巨大な目を爛々と輝かせ、頭には異様な角を生やしていた。怪物は幼児のようによたよたと走って一行の間に入り込み、まず人夫の一人にハグをした。続いて別の人夫にもハグをして、残りの者にも順にハグをしていった。すべての者にハグをすると、四匹の怪物は花畑の中へ去っていった。恐怖に遭遇しながらも一人も失わずに済んだので、野心で知られた男は喜んだ。だが喜ぶのは早かった。人夫の一人がさらなるハグを求めて花畑へと走り込んだ。残りの人夫もハグを求めて去っていった。後には野心で知られた男と案内人だけが残された。
 二人は持てるだけの荷物を持って花畑を越えた。再び森に分け入って、ただひたすらに奥へと進んでいった。苦難に満ちた四昼夜を過ごし、何度も命を落としかけた。小さなクマが踊る姿に恐怖を覚え、多種多様な動物が二列になって進んでくるのを咄嗟にかわした。密林は異常な世界であった。やがて二人は大地の切れ目に到達した。深い裂け目が大地に走り、一つの森を二つに分けて間の行き来を阻んでいた。伝説によれば、失われた小さな国は、その先にあるはずだった。
 二人は木を切り倒して裂け目に渡した。まず野心で知られた男が橋を渡り、渡り終えたところで手を振って案内人に続くようにと促した。ところが案内人は橋を渡ろうとしなかった。そうする代わりに丸太の橋に手をかけて、渾身の力で持ち上げると裂け目の底へ突き落とした。
「何をするんだ。それでは俺が戻れない」
 野心で知られた男がそのように言うと、案内人は腰に手をあててからからと笑った。それから酷薄な笑みを顔に浮かべて、このように言ったのである。
「戻る必要はない。おまえはそこで死んでしまえ。おまえはもう覚えていないかもしれないが、俺の方は忘れていない。あの頃の俺は陰気なガキで、おまえは今と同じように野心に溢れて輝いていた。そしておまえは俺を嫌い、俺から女を奪い、仕事を奪い、人生の空しさを味わえと言ってあの谷底に突き落としたのだ」
「どの谷底の話をしているんだ?」
「あんまりたくさんあって、覚えてなんかいられないか? だが俺は生き延びた。そしておまえへの復讐を誓い、文明のはずれにあるあの町でおまえが来るのを待っていたのだ。俺はおまえを見捨てて町へ戻る。おまえは死んだと伝えよう。事実そのとおりになるのだからな」
 案内人は再び笑って、それから野心で知られた男に背を向けた。一度も振り返らずに来た道を戻り、木の間から現われたクマに殴られて失神した。クマは案内人を肩に担ぎ、野心で知られた男に一瞥を与えて去っていった。
 ここに至って野心で知られた男は人生の空しさを知って野心を失い、その場に倒れて運命を呪った。するとどこからともなく愛らしいこどもの声が聞こえてきた。
「もお一回、もお一回」



無法の表彰


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも不運な旅人を迎えることがあったのは、街道から枝分かれした一本の道がその国に向かって真っ直ぐに延びていたからである。旅行者は習性として進むべき道を誤ったし、冒険心に頭を冒された愚か者は好んで進むべき道を誤った。だがうっかりその国に足を踏み入れて土地の人間と遭遇すると、後はよほどの変人でもない限り脱出を考えることになる。
 いささか信頼に乏しい資料によれば、その国の住人は人間ではなかった。少なくとも一般に知られている人間とは、やや異なる姿をしていた。
 まず頭部が異様に大きかった。大人がひと抱えにするほどもあって、その形状は扁平で、上から力を加えた団子のような形をしていたという。頭髪はなかった。顔の大半を占めていたのはドングリを倒したような形の巨大な目で、その下には鼻とおぼしき小さな穴が二つ並んで開いていた。口は顔の幅いっぱいに裂けていて、開くと小さな牙がずらりと並ぶ。頭部の大きさに比べると、胴体は不釣り合いなほど小さかった。頭を三とすると、首から下は二ぐらいの比率になったという。その小さな胴から二本の短い腕と二本の短い脚が生えていて、手は完全な形をしていたと伝えられている。脚の形状についての報告はないが、これは住人の身長が平均よりもかなり低めだったためであろう。向かい合うと胴体のほとんどの部分が頭の陰に隠れてしまって、見ることができなかったのである。
 その土地の人々がいかなる理由によってそのような外見をしていたのかは定かではないが、世の中には勝手な空想を勝手な方向へ膨らませて荒唐無稽な結論を引き出す者がいる。そうして引き出された結論によれば、その土地の住人はやはり人間ではなくて、異世界からの訪問者か、またはその子孫であったということになる。星から星へと旅する乗り物が故障して我々の星に降り立つことになり、そのまま居着いてしまったというのである。しかしながらそのような事実を示すいかなる証拠も残されていないし、仮に残されていたとしても良識にしたがって解釈に余地を加えなければならないだろう。
 さて、ある時のこと、一人の旅人が旅を急ぐあまりに道を誤り、街道を遠く離れてこの国に足を踏み入れた。見渡す限りが丈の高い草むらで、ひとが住んでいる気配はまったくない。それでも方角を疑わずに草をかき分けて前へ進むと、やがて一軒の家が見えてきた。椀をかぶせたような形をしていて、その滑らかな表面は乾いた泥の色によく似ている。地面の近くに丸い穴が開いていて、それを除けば戸口も窓も見当たらなかった。旅人はかすかに漂う怪しい気配を感じ取り、また動物の糞を思わせる明らかな異臭を鼻に感じた。立ち去りたいという思いが胸を満たしたが、ここで道を訊かなければ、次にどこで機会があるかわからない。足音を忍ばせて家に近づき、黒い穴に顔を向けると勇を鼓して声をかけた。穴の奥の闇に向かって在宅の有無をたずねると、何やら動く物音がする。数歩退いていつでも逃げられるように身構えていると、間もなく住人が姿を現わした。旅人はその異様な外見にまず驚き、ついで激しい恐怖を感じた。悲鳴を上げて逃げようとしたが、舌は乾いて顎に貼りつき、足はすくんで運命に身を委ねる。そうして立ち尽くしていると、住人がゆっくりと近づいてきた。間近に立って足を止め、巨大な目を並べた顔を旅人に向け、それから両手で一枚の巻紙をするすると開く。開いた紙を短い腕で上げられるだけ高く上げ、それでもまだ顎の下にあって紙に書かれている内容が目に入るとはとうてい思えなかったが、低く深みのある声で重々しく読み上げた。
「表彰状。あなたはこの困難にあってもなお勇気を失わず、克服のための努力を怠らなかったので、ここに表します」
 続いて紙を百八十度回すと旅人に手渡し、一礼をして立ち去った。
 旅人はしばらくして気を取り直し、この不気味な土地から一刻も早く脱出しようと心を決めた。再び草むらへ足を踏み入れ、とにもかくにも前へと進んだ。怪しい家は後方に去り、近寄ってくる影もない。もう大丈夫だと思ったが、丈高く繁る草に囲まれて戻るべき方角がわからない。見当をつけて草むらを分けるとその先には見たような家があり、声をかけてもいないのに中から奇怪な人影が姿を現わした。今度は悲鳴を上げて逃げ出したが、相手は恐ろしいほどの速さで追いかけてくる。心臓が止まるような思いを味わいながら力が尽きるまで走りに走り、倒れた場所で表彰状を渡された。三度目に家の前へ出た時にはもう逃げようとはしなかった。表彰状を受け取って、相手が立ち去るのを待ってから道を求めて草むらに戻った。そのうちに陽が暮れてきたが、戻る道はまだ見つからない。夜が訪れると土地の住民は草むらの中にも出没するようになり、旅人の背後を襲って表彰状を手渡した。道を探して闇の中を這いずり回り、疲労の果てに眠りに落ちて目覚めとともに表彰状を受け取った。一日が過ぎ二日が過ぎ、飢えと渇きに苛まれながらも道を求めて草をかき分け、いったい何日が経ったのかわからなくなった頃、旅人は草の切れ目の先に道への出口を見出した。街道へ戻ってきた時には、表彰状の分厚い束を握っていたという。



女神の帰還


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。存在を知らせる路傍の標識も久しく傾いたままとなっていたので、ほとんどの旅人は気づかずに間近を通り過ぎた。そして仮に足を踏み入れることがあったとしても、気づかずにそのまま通り過ぎることが多かった。その国には堅固を誇る城壁もなく、はっきり町と見える場所もなく、ひとの住む家もひとの集まるべき場所もなだらかにうねる丘陵に広く散っていたからである。国の輪郭を巧みに隠し、それぞれの家には武具を隠し、ことが起こった時には武装を整えた男たちが四方八方から駆けつけた。だからそのことを知る無頼の者は、その国では決して悪事を働こうとしなかった。その国の人々は豚の飼育に精を出し、南の斜面ではオリーブを育て、山の頂きでは葡萄を植えて多くの甘い実を稔らせた。豚は滋養に富んだ食料となり、オリーブから絞った油は健康を保つ材料となり、葡萄の実から得た汁は醗酵の過程を経て喜びを与える飲料となった。
 さて、ある時のこと、国の南端を覆う森から一人の炭焼きが走り出て、手近の家に急を伝えた。森の奥でとんでもないものを見たという。どのようなものかと家の男がたずねると、とてつもない怪物であったという返答がある。ではどのようにとてつもないのかとたずねると、炭焼きは答えに窮して舌を絡ませた。そこで家の男は炭焼きの頭に水を浴びせて濡れた頬を激しく叩いた。それでもなお喋ろうとしなかったので、水を満たした壷に顔を浸けて背中を激しく拳で打った。面白がってそうしたのではなく、手段を選ばずに真相を確かめようとしてそうしたのである。炭焼きは女神という一語を残して悶絶し、萎えたからだを地に横たえた。
 家の男はいぶかしんだ。本当に女神だとするならば、とんでもないものであるとしても、とてつもない怪物であるということはない。家の男は炭焼きを逆さに吊るして水を吐かせ、意識を取り戻すまで頬を殴った。とてつもない怪物という後半の部分に関して、炭焼きが何も答えていないと考えたからである。炭焼きは目を開いて最後の力を振り絞り、家の男に向かってこのように言った。
「でかい」
 その一言が吐き出されるのと同時に森の方で地響きがした。家の男は顔をうつむけて音に聞き入り、轟く音が規則正しく繰り返されるのに気づいて眉をひそめ、それから森の方へと顔を向けた。顔を向けるや否や、舌を絡ませて言葉を失った。炭焼きを放り出すと家の中へ走って武具を取り、慌てふためく妻子の手を引いて遠く離れた隣家へ逃れた。
 隣家の者たちは不穏に轟く地響きを聞いて外へ飛び出し、家を囲う柵の前で一家を迎えた。そして一家が狂乱状態にあるのを見ると、激しく石を投げつけた。遠ざけようとしたのではなく、新たな脅威を与えることで狂乱の原因から心をそらせようとしたのである。投石が功を奏して一家は落ち着きを取り戻し、後にしてきた方角を一斉に指差した。すでに言葉は不要であった。隣家の者たちは彼方から近づくそれを見て、逃げてきた一家にあれは何かと詰め寄った。すでに落ち着きを取り戻していた一家は言葉を選んで女神である、とんでもないものであると返答し、大きさだけを見ればとてつもない怪物と言えないこともないと補った。隣家の者たちもその答えに異論はなく、危険が迫っているという点でも両家の見解は速やかに一致した。そして武具を持つ者は武具を取り、荷に余裕のある者は家財や食料を家から運び、次の家へと退却を始めた。
 家から家へと退却を繰り返すうちに逃げる者の数が増え、男たちは走りながら鎧や武器を身につけた。多くの者が家を捨て、丘の上の菩提樹のまわりに集まっていった。その根元には報せを聞いた長老たちが腰を下ろし、情報の収集に余念がない。将軍の番にあたっていた者は喉を嗄らしてひとを集め、最初に人数をそろえた隊が斥候に出された。女たちは火をおこし、あるいは酒の甕に水を注いだ。
 間もなく斥候隊の一人が戻り、女神の進路を報告した。森から出現した女神は途中にある家を破壊しながら北に進み、それから進路を北東に変えて今は東の川に向かっているという。報せを聞いた長老たちは皆を菩提樹の下に集めた。全員が腰を下ろして口を閉じると、間もなく古老が立ち上がってこのように言った。
「大きさの点ではとてつもない怪物とすら言えそうなとんでもない女神が現われて、この国のどこかを目指して進んでいる。それは皆も知っていることであり、わしが一人で妄言を吐いているというわけではない。そこで事実はありのままに受け入れることにして、残ることについて考えてみようではないか。すなわち、なぜ女神は現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、そしてどこへ行こうとしているかである。意見のある者は、まず手を上げてから話すがよい」
 すると一人が手を上げて、女神を撃退する方法は考えなくてもよいのかとたずねた。
「女神が女神であるならば」と古老は言った。「わしらに倒せる相手ではない」
 これには別の一人が手を上げて、ならば目下東進中のいわゆる女神が事実としての女神であることに疑義をはさむ余地はあるのかと質問した。
「それには」と古老は答えた。「なぜ女神が現われたのかを考えねばならぬ。女神が現われるだけの理由があるなら、あれは女神にほかならぬ。そうでないとなるならば、それから倒す方法を考えればよい。だからまずは、女神が現われた理由を探すことだ。理由を知る者は、まず手を上げてから話すがよい」
 古老がそう言って促すと、一人が別の一人を指差してこのように言った。
「奴は豚に川を渡らせた」
 菩提樹の下にゆらめくようなざわめきが走り、多くの者が指差された男に非難の視線を浴びせかけた。
「そう言うあいつは」と指差された男が指差した男を指差した。「川で小便をした」
 今度は激しいざわめきが起こり、少なからぬ者が立ち上がって怒りの拳を振り上げた。発言を求めて手を上げた者も中には混じり、あれは川の女神なのかと大きな声で問い質したが聞く耳を持つ者は一人もなかった。そこへ斥候隊からまた一人が戻り、古老の傍らに立つと許可を待たずにこのように言った。
「今、川を渡ってる」
 これを聞くと多くの者が激しい怒りに顔を歪め、豚に川を渡らせた者と川を小便で汚した者に石を投げつけた。ただし落ち着きを与えるためではなく、禁忌を破った罰を与えるためであった。その有様を見た長老たちも群集に向かって石を投げ始めたが、これは罰を与えるためではなく、落ち着きを与えるためであった。だが長老たちの投石は落ち着きではなく興奮を与えることになり、おびただしい数の石が飛び交った結果、そのうちの一つが古老にあたり、古老は額から血を流して昏倒した。これを見た者は大事を悟って投石をやめ、間もなくすべての者が石を捨てた。長老たちは倒れた古老を助け起こし、女たちは顔を蒼くして走り寄り、男たちも忠節を示す絶好の機会と捉えて走り寄ったので、辺りは一瞬にしてごった返した。
 斥候隊から三人目が報せを携えて戻ったのは、この直後のことである。その兵士は群衆をかき分けて長老たちの前に進み、目を開いた古老に向かってこのように言った。
「神殿に入りました」
 古老は報せを聞いて眉をしかめた。
「神殿とは、どこの神殿のことなのか?」
 そう言いながら立ち上がる古老のまわりでは、長老たちも残りの者も腕を組んで首を傾げた。神殿のことなどは誰も聞いたことがなかったからである。
「東の川の向こうにある林の奥の神殿です」
 兵士の答えに数人がうなずき、また数人が手を叩いた。たしかにそこには神殿があったと口にする者もいる。
「ならば」と古老が言った。「女神がどこへ行こうとしていたかは、これで明らかにされたことになる。謎の一つは解明された。残る謎はなぜ現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、その二つであり、これはおそらく神殿へ行けば自ずと判明するであろう」
 そしてそのとおりとなった。神殿の内陣の高さは女神の身長にぴったりであった。大きさはそのことによって説明され、もう一つの謎はその国の者たちが女神の前に立った時、全員が自ずとひざまずいたことによって自ずと解明されたのである。女神が立ち去ったことも忘れ、神殿があったことも忘れ、日常の禁忌を心の頼みとしていた信仰薄き者たちは、その日を境に心に信仰を取り戻した。



亡者の場所


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。見た目には普通の国であったとされているが、その国については古くから奇妙な噂があって、ことの真偽を確かめようと多くの者が訪れていた。そして訪れた者のうちの多くは噂が真実であることを知って自分の国へ逃げ戻り、いくらかの者は自らの目を疑って一切を幻覚と断定し、ごくわずかな者は人生の黄昏の時期を待って再びその国を訪れた。
 その国ではすでに死を迎えた者が歩いていた。すべての死者が、というわけではない。おおむね二十人に一人の割合で埋葬の前に立ち上がり、音を立てずに歩き始めた。なぜそうなるのかはまったく不明で、男女の違いや貧富の差、あるいは生前の性格にも理由を求めることはできなかった。歩く死者の中には男もいたし女もいたし、生前に高潔で知られた者もいれば低劣によって知られた者もいたのである。
 死者は歩いただけではなく、座ることもした。ひとの集まる場所を好み、座り込んでは頬杖をついて道の往来や居酒屋の喧騒を飽くことなく見つめていた。話すこともしなければ、食べることも飲むこともしない。耳を傾けているように見えたとしても、話を聞いてうなずくことは決してない。往来がなくなれば立ち上がり、居酒屋が閉店の時間を迎えればおとなしく店を出ていった。夜の間は道をどこまでもひたすらに歩き、森をさまよい、畑に踏み込んで作ったばかりの畝を潰し、時には小川の畔で足を止め、川面に映る自分の姿をじっと見つめた。月の明かりや星の明かりに照らされた死者の姿は、無害であることがわかっていても、見る者に恐怖を与えたという。朝になると死者は群れをなして町に戻り、広場の隅に腰を下ろした。瞬きもせずに市の様子を見物し、市がはねると思い思いの場所を求めて町の中へ散っていった。
 いつの頃からか、その国では死者の場所が定められていた。道の真ん中や階段に座り込んだ死者は、通行の邪魔になるという理由で監督官によって追い払われた。死者たちは集会場にも現われたが、死者に許された場所は北側の一角に限られていた。南側は伝統的に反対派が気勢を上げるために使われたからである。居酒屋には死者専用の席が設けられていて、その位置は店によって異なっていたが、たいていは入ってすぐ脇の壁際か、さもなければ便所の横の壁際であった。習慣を知らない旅行者は誤って死者の席に座ることがあり、しばらくしてから両隣の異様な気配を察して恐ろしい思いを味わった。無用の騒動を避けるために、一部の店では注意書きを出していたという。
 その国の人々は歩く死者を受け入れていた。疑問はおそらく誰の胸にもあったはずだが、口に出して問う者はなかった。生きている者がいかに考えようと、死後の生活は想像の域を出ることがない。歩く死者を前にして魂の行く末を論じることには、多くの者が不安を感じた。そこにいるのは未知の人物ではなくてかつての隣人や親族であり、もしかしたら聞いているかもしれないからである。だから理由は死者の胸の内にあるとされていた。理由を伝える必要があれば、死者が口を開いて言うはずであった。
 受け入れてはいたが、まったく問題がなかったわけではない。浮かれた若者たちが死者を捕えて木から吊るした。何も知らずに木に近づいてうっかり見上げてしまった者は、無害であることがわかっていても、やはり恐怖を覚えたという。畑を荒らされて怒った農夫が、死者を捕えてこっそり始末することもあった。石を抱かせて川に沈めるか、縛って埋めるかしたのである。ずぶ濡れになった死者が石を抱いて歩いているのを見た者がいるし、泥まみれになった死者が縄を引きずって歩いているのを見た者もいる。故人の行方を案じた遺族が騒ぎを起こすこともあったようだが、遺族の要請に応じて司直が動いたことは一度もない。
 監督官たちは歩いている死者の様子を観察し、腐敗が進んだ者から順に処分していった。どのように処分していたのかは定かではないが、再び歩くことがないように斧で切り刻んでいたと言われている。おそらくはこの仕事のせいで監督官は蔑まれ、時には遺族の恨みを買った。監督官が国から多額の給与を得ていたのは、その代償であろう。幸いなことに、死者を見張り死者を闇に葬るこの無残な職業はある日を境に無用となった。
 見つけたのが誰であったかは知られていないが、ある日、町のはずれのさびれた場所で地下へと通じる穴が見つかった。それはそれまで石の蓋によって塞がれていて、まわりに生い茂る草によってひとの目から隠されていた。そこにあった重い蓋を取り除くと、死者たちは一斉に穴を目指して歩き始めた。列を作って町のはずれに迷わずに進み、一人また一人と穴の中へ消えていった。そしてそれ以来、すべての死者がおとなしく葬られるのを待つようになった。穴の先に何があるのか、確かめるために入った者は一人もない。




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