閉じる


<<最初から読む

25 / 46ページ

農民の反乱


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこでその国の人々は地図になければ見つかることもあるまいと考え、農閑期になると徒党を組んで街道に出て、旅行者を襲って金品を奪った。奪いはしたが、楽しみのためではなくて冬場の生活の足しにするためである。自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかったので、追われることも少なければ見つかることも少なかった。誤って捕えられた場合には仲間が金を払って身柄を受け出し、そうするための準備としていくらかの基金も用意されていた。
 農民たちはたくましく生きていたが、生活が楽だったわけではない。楽ではなかったからこそ、生存のための選択肢をできるだけ大きく広げていたのである。楽にならない原因は、主としてその国の王にあった。代々の王はいずれも開明の精神に欠け、圧政を敷きこそしなかったものの旧弊に立って改善を拒み、要求を受け入れることよりも要求にいきり立つことの方が多かった。気性はいたって単純で、威嚇に対しては威嚇で応じ、卑屈に対しては尊大で応じた。代々の王は判で押したように同じ性格の持ち主であったので、農民たちは要求の上限をよく理解し、また引き下がれない一線をよく心得ていた。つまりその国が長らく困窮とも内乱とも無縁であったのは、歴代の王がよく民を治めたからではない。農民がよく王を治めたからなのであった。
 さて、ある時、農閑期の頃であったとされているが、みすぼらしい姿をした若者がその国を訪れ、農民を探して農地に足を踏み入れた。そして最初の一人を見つけると、近寄っていって親しげな様子で話しかけた。
「やあ、どうですか?」
 話しかけられた農夫は仕事に励んで顔を上げようともしなかったので、間もなく若者は離れていった。そして夜になってから村の居酒屋に姿を現わした。不審に満ちた目が一斉に向けられたが、若者は意に介さずに酒を頼み、杯を高く掲げてこのように言った。
「働く者へ、乾杯」
 そして一息に飲み干すと激しく咳き込み、胸を落ち着かせると笑みを浮かべて傍らの一人に声をかけた。
「やあ、どうですか?」
 実を言えばこの若者、とある国のとある革命組織の一員であり、革命思想の伝播と革命の推進という二つの重大な任務を携えていた。その国の農村部に潜入を果たし、農民に対して思想教育と大衆扇動をおこない、革命組織を浸透させて、時がきたら指揮をして王権を転覆させようとたくらんでいたのである。その革命思想なるものがいかなる種類の考えであったかは、今となっては知られていない。一説によれば工場労働者を組織して階級闘争を展開し、搾取階級を打倒した上で生産手段の共有化をおこなって平等な国家を作ることを目標としていた。しかしながらその時代はようやく手工業が合理化への道を歩み始めた段階にあり、工場労働者という階級の出現にはまだ五百年ほどを必要としていた。思想が先進的すぎたのであろう。そこで革命組織は対象を工場労働者から農民に切り替え、それに若干の工房労働者を加えて労農大衆と称していた。労農大衆は団結し、階級敵に向かって敢然と戦いを挑まなければならなかった。なぜならば、それが歴史的な必然であったからにほかならない。
 若者は椅子の上に立って演説をおこない、歴史的な必然が農民に何を求めているかを訴えた。農民たちは顔をうつむけたまま聞いていたが、若者が話を終えると一人が顔を上げ、隣にいた仲間の耳にこう囁いた。
「どこの神学校から来た野郎だ?」
 そこで若者は演説を再開し、微妙な問題に突入していった。歴史的な必然性の中に、神はいないと言ったのである。話を終えると別の農夫が顔を上げて、若者に向かってこのように言った。
「なんだその、弁証法的唯物論てのは?」
 これもまた先走りであり、弁証法的唯物論が政治運動の中で明確な位置を占めるにはなお六百年ほどを必要としていた。したがってこの段階では理論武装がはなはだ甘く、若者は農夫たちの迷信を撃破することができなかった。
「でも、俺たちには神がいるぜ」
 一人がそう結論を下して背を向けると、残りの者も背を向けた。そこへ居酒屋の主人がやってきて、若者に椅子から降りるように要求した。
「今朝拭いたばかりだ」
 だか若者はあきらめなかった。村に居座ってあちらこちらに顔を出し、通りがかる者の袖を引いては王の暴政を非難して民衆の蜂起を訴えた。歴史的な必然に再び触れることがなかったのは、戦略を変更した結果であると思われる。新しい戦略が功を奏したのか、いくらかの賛同者が現われた。そして賛同者が賛同者を呼び、やがて目に見える勢力を形成すると若者は準備に取りかかった。集まった者を大隊を単位とする軍隊に編成し、戦闘訓練を施したのである。すると新たな者たちが参加を望んで軍勢に加わり、遠方からも多数が馳せ参じるに及んで労農革命軍は一大軍事力へと成長した。王は手勢とともに王城にこもり、迎撃の準備を整える。
 遂に決起の時が訪れた。赤旗を高く掲げた若者は労農革命軍を率いて進撃を開始し、町を一気に攻め落とすと王城を囲んで王に退位を要求した。若者が要求を繰り返している間に労農革命軍の兵士たちは町で略奪を始めたが、楽しみのためではなく冬場の生活の足しにするためであったので、自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかった。兵士たちは取る物を取って町から立ち去り、若者が気づいた時には味方は誰もいなくなっていた。扇動家は王の手勢に捕えられ、その場でただちに首を切られた。王は農民たちにも追っ手をかけたが組織化された農民軍はなお強大な勢力を保ち、今回の一件は外国の陰謀であったと説明されれば、事実そのことに違いはないので王も受け入れざるを得なかった。その国の農民が一揆に際して赤旗を掲げるようになったのは、それ以来のことであるという。



排外の気風


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。自然に目立つということもない国だったので長らく歴史から黙殺されていたが、東方の大国との間に新しい通商路が開拓されるとにわかに注目を浴びるようになった。その国が砂漠の入り口に位置していて、隊商の補給に絶好の立地を備えていることがわかったからである。そこで西方にあった大国の一つはその国に使節を送り、説得と強要を用いて門戸の開放を迫ることにした。使節には弱小国の説得にもっとも長けた者が選ばれ、使節団には強要に適した精鋭の兵士たちが随伴した。それでもいくらかの者は情報の不足を理由に挙げて若干の困難を予測したが、困難は解決可能な範囲にあるという点で異論を唱える者は一人もなかった。そして使節団は出発し、間もなく現地に到着すると驚くべき報告を本国にもたらしたのである。
「あそこです。最初に見た時にはあの丘の辺りにあったんです。ところがわたしたちが近づいていくといきなり動き始めて、向こうに見えるあの小さな丘の陰に隠れてしまいました。ええ、もちろんそこまで行ってみましたよ。脅かすことがないように、できるだけ静かに接近したんですが、着いた時にはもうそこにはありませんでした。わたしも長年にわたって小国を相手にしてきましたが、このような事態は初めてで、実を言うと少々驚いています。そうですね、なんというのか、これは普通の外交関係で見ることができる国の動きではありません。しかしながら、ご安心ください。外交には忍耐がつきものですし、忍耐さえ失わなければ問題は必ず解決できるのです。なんですって? ああ、今は全員で手分けをして探しているところです。ええ、まだ見つかっていません」
 捜索の間にその国はさらに何度か目撃されたが、接近に成功するには至らなかった。軍隊を嫌っているのかと考え、一度は使節が単身で接近を試みた。この時にはかなり近づくことに成功し、城壁の上でひとが動いている様子を見ることもできた。だが後一歩というところでとんでもない速さで逃げ出して、地平の彼方に身を隠したのである。
 本国の人々は報告の内容をまず疑い、それから使節の性格と能力を第三者機関の審査に委ね、信頼に値するという評価を待って使節団に訓令を送った。
「状況を外交関係の拒絶と判断する。説得を断念して強要に全力を傾注すること」
 そこで使節団では四方に熟練の斥候を放ち、本隊には十全の戦闘準備を整えさせた。発見の報せがもたらされると全隊が全力で追撃したが、敵は腹が立つほど俊敏で瞬時に彼方へと遠ざかる。それをまた追うという繰り返しで追撃はしばしば一昼夜に及び、多数の兵士が疲労と渇きで脱落した。使節団は損害の大きさに目を回して作戦継続の困難を本国に訴え、本国は返答を与える代わりに増援を送った。
 いくらかの増援を得たことによって現地部隊の士気は高まったが、それも束の間のことで作戦が再開されるとすぐに厭戦気分が蔓延した。兵士たちは蜃気楼にも等しい敵を呪い、渇きをもたらす砂漠を恐れて反抗的な態度を取るようになった。報告を受け取った本国は使節団の文民統制に問題があると考え、将軍を新たな責任者に任命して大軍とともに現地へ送った。
 現地に到着した将軍は作戦に大きな変更を加え、全軍からいくつかの機動部隊を編成した。多方面へ同時に展開して目標を各個に捕捉し、強要を速やかにおこなうためである。砂漠へ送り出された機動部隊はそれぞれが四方に斥候を放ち、発見の報せがもたらされると全力で追撃した。追撃の間に多数の兵士が疲労と渇きで脱落し、反抗的になった兵士はいくつかの部隊で反乱を起こした。幸いにも反乱は速やかに鎮圧されたが、ここに至って本国は現地部隊への信頼を失い、直接の指揮に乗り出した。本国の参謀たちが前線を見ずに作戦を練り、その計画書を空前絶後の大部隊とともに現地へ送った。
 作戦の名前は大包囲撃滅戦であった。発見して追撃するのではなく、包囲して追い詰めるのである。包囲するからにはまず目標の捕捉が必要とされたが、それが不可能なので砂漠そのものが包囲の対象となっていた。大量の兵士を砂漠の四周に配置し、中心に向かって進めていけば必ずどこかで捕捉できるという発想である。
 兵士にとっては幸いなことに、この作戦は実行されなかった。実は作戦の検討が始まった段階で、そもそもの目的を思い出した人々が秘密裏にある計算に取りかかっていた。その計算の結果によれば、作戦に投入される資金の数万分の一で独自に補給基地が開設できるという。計算をおこなった人々とは軍の参謀に憎悪を抱く文官の集団であったとされているが、いずれにしても砂漠での軍事行動はすでに国家財政に重大な支出を強いていた。作戦はただちに中止され、軍隊は本国に帰還した。
 新たな計画にしたがって、間もなく補給基地が作られた。隊商の便宜をよく考慮した見事な基地であったが、砂を蹴立てて突進してきたある小国に踏み躙られて消滅した。何度再建しても踏み躙られるので、軍は報復を求めて討伐軍の派遣を主張した。文官たちの主張は交易路の変更であった。喧嘩腰の議論の末に軍の主張は退けられ、交易路は遥か南に変更された。だから砂漠のどこかには、まだその小国がさまよっているという。



翡翠の乙女


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが一説によれば地図にも旅行案内書にもなかったのはその国が小さかったからではなく、実は巧みに施された隠蔽工作の成果であったという。
 伝えられるところによれば、内陸に位置していたその国は国土の大半が山であった。別の伝聞によれば、国土の全部が山であった。高さや大きさの点で特筆に値するような山は一つとしてなかったが、いずれも意地悪く裾を立てて峰を並べ、山以外の場所の大半を谷底にしていた。そして谷底にはおびただしい水の流れがあったので、人間が暮らしのために使える場所はそそり立つ山肌以外になかったのである。町はどれも崖に貼りつき、上下に延びて収入の格差を示していた。家と家の間は梯子で結ばれ、移動は水平よりも垂直におこなわれることの方が多かった。
 崖を覆うようにして縦横に広がる町というのは、もしかしたら旅行者の目にはいくらか魅力的に見えたかもしれない。だがそこで生活を送っていた人々にしてみれば、愉快でもなかったし、安全でもなかった。移動の途中で足を踏み外して川に落ちる者は後を絶たなかった。家具の配置替えをしたせいで、重心を崩した家が崖から剥がれ落ちるという事故も珍しくはなかった。構造的に下水道の整備に困難があったため、排泄物の処理に関わる問題は常に騒動の中心に位置していた。というわけで垂直方向への発展を嫌って、時には水平方向への挑戦がおこなわれたと伝えられている。
 剥き出しの岩肌があれば誰でもそうするように、まず洞窟の掘削が試みられた。掘削そのものは順調に進んだが、なにしろ平地が乏しいので掘り出した土砂を処理する場所がない。眼下の川に捨てるということもおこなわれたが、水が濁る、流れが変わる、塞き止められて漁場が潰れるといった漁師たちの苦情にあって中止された。漁業がその国の主要産業だったからである。代わりに絶壁に沿って山頂まで運び上げるという大胆な解決法を考案した者がいたが、よくよく考えてみれば山頂はひどく切り立っていて、土砂を捨てる場所などどこにもない。この案はただちに却下された。その後も解決のための努力が続けられたが、当の洞窟に捨てればよいという煮詰まった案が提示された段階で、洞窟の掘削自体が王令によって禁止された。王は掘るという行為に対して説明できない種類の猥褻さを感じたのである。
 洞窟の掘削が禁止されたことを受けて、橋の建造計画が立案された。川をまたいで崖と崖の間に数本の橋を渡し、その橋の上に住居を造ろうという考えである。資材となる木材は山頂から豊富に供給されたし、崖と崖の間の距離は決して大きくはなかったので、技術的な問題もそう多くはないのではないかと思われた。事実から言えば技術的な問題は速やかに解決され、最初の橋は予定よりも早く完成した。ところがそこへまた王が現われ、いきなり橋の建造を禁止したのである。王は川をまたぐ橋に対して、説明できない種類の猥褻さを感じたのであった。重なる王の禁令によって水平方向への挑戦は中断され、人々は変わらずに崖にへばりついて暮らしを続けた。
 さて、ある時一人の旅人がその国を訪れ、梯子で足を滑らせて川に落ちた。幸いにも春先の増水はすでに終わっていたので、ひどく流されはしたものの怪我もなく救い上げられた。通常、このような目にあった旅行者は自分が味わった不運を嘆き、不運の原因を用意した旅先の土地に恨みの心を抱くものだが、この旅人はこれは誰の責任でもないと明言し、また来ると告げると予定を切り上げて旅立っていった。ただし旅立ちに先立ってとある漁師の家を訪問し、川で獲るのは魚だけかと確かめたという。漁師がうなずくと、旅人は喜びを押し殺した。やがて旅人は予告どおりに舞い戻ったが、その時にはいささか怪しい風体をした数人の男をともなっていた。到着したその日から船を雇い、地元の者をはずして旅人自らが櫓を握った。同行の男たちは交代で川に潜り、そのたびに川底から何かを持ち帰った。
 この様子が王の目に入った。王には日頃から、心を乱すものを求めて国内を徘徊する習慣があったのである。川に浮かんだ船を怪しみ、必要があれば捕縛せよと命じて配下の者を差し向けた。これは捕縛せよという意味であったので、王の忠臣たちは数艘の船に分乗して旅人の船を囲み、船上にあった全員の身柄を拘束するとともにすべての荷を押収した。旅人は説明を拒んだが、荷は雄弁に真実を語った。川の底には無数の宝石が沈んでいたのである。真実の後には弁明があった。旅人はこれを国外に持ち出し、売却して利益を得ようと考えていたが、成功の暁には王にいくらかを支払う予定だった。
 王は熟慮の上で、旅人の供回りの者を残らず川に沈めた。それから交渉に取りかかった。建設的な意見が交わされ、王が利益の九割を得る代わりに潜水夫を派遣し、王に九割を捧げる代わりに旅人は一割を得るということで最終的に落ち着いた。
 旅人は牢から出され、潜水夫と船を与えられた。潜水夫が川底から持ち帰った宝石は、端から王の元へと運ばれた。旅人と潜水夫たちは休みなく働き、王が用意した宝箱は一つまた一つと一杯になっていった。王はその様子を見て説明できない種類の猥褻さを感じたが、この時はまだやめようとはしなかった。
 採取が始まってから一月ほどが経った頃、旅人が王に面会を申し入れた。理由を質すと、信じがたい物を発見したという返答がある。王は許可を与え、旅人は床に引かれた線にしたがって王の前に姿を現わし、興奮した口調で現地での視察を要請した。新たに発見した物体は、その重量によって王宮の安定を著しく損なう可能性があるという。そこで王は旅人を先に進ませ、梯子をどこまでもどこまでも降りていった。
 川の流れを間近に見下ろす船着き場は、すでに人払いされていた。問題の物体は船着き場の中央に置かれ、正体は白い布で隠されている。卵を立てたような形状をしていたが、その大きさは大人の男を遥かに凌いだ。王が前に立つのを待ってから、旅人が布を取り去った。王は驚愕に口を開き、王の忠臣たちは溜め息を洩らした。
 それは巨大な翡翠であった。表面は滑らかで傷一つなく、入念に研磨が施されていた。だが王が驚いたのは目の前の物体が大きいからでも美しいからでもない。中心部に全裸の少女が閉じ込められていたからであった。少女は目を閉じていた。あどけなさの残る顔をわずかにうつむけ、緑に輝く石の中に長い髪を泳がせていた。胸には豊かな膨らみがあり、見事な曲線は腰を描いて脚に続く。手の一方は腿に沿い、もう一方は申し訳のように下腹を覆っていた。
「これは」と退きながら王がたずねた。「死んでいるのか?」
「死んでいると、考えるべきでしょう」と旅人が答えた。
「まるで生きているように見える」
「いかにも、そのように見えます」
「で、これをどうするつもりか?」
「お許しがあれば、このまま運び出したいと考えております」
「売ろうというのか?」
「間違いなく、とてつもない値がつくことになりましょう」
 王は口を閉じて翡翠を見つめた。翡翠の内部に目を凝らした。それから旅人に顔を向けてこのように言った。
「なぜ、このような物体が存在するのか?」
「これこそ自然の驚異と申すべきでしょう」
「なぜ、あの娘はあのように脚を開いているのか?」
「自然の営みによってあのようになったと考えます」
「あの様子には、心をひどく乱す何かを感じる」
「運び出してしまえば、陛下のお心を乱すことはございません」
「説明できない種類の猥褻さを感じる」
 すると旅人は説明できない種類の危険を感じて、このように言った。
「いえ、これは芸術でございましょう」
 これを聞いた王は目を怒らせ、忠臣たちに命じて再び旅人を捕えさせた。
「芸術かどうかは、余が決めることだ」
 旅人は縄でくくられ、同じ縄の一方の端は巨大な翡翠に結ばれた。そうしてから翡翠は川に戻された。王宮に貯め込まれた宝箱の宝石もすべて処分された。出所が同じなので猥褻性に連座している可能性があったのである。
 王は川に潜ることも、川に落ちることも禁止した。どちらにも厳罰を約束した王令を出し、さらに得体の知れない旅行者がよからぬ考えを抱いて王の心を乱すことがないように、あらゆる地図から国の場所を消し去った。だからその国がどこにあったのか、それからどうなったのかは、誰も知らない。



不明の理由


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 ところがある種の趣味の持ち主にはその国の風俗がはなはだ魅力的に感じられたようで、不明の場所にある不明の国としては意外に思えるほどの訪問者数を誇っていた。しかも訪問者たちは一度訪れてそれで満足するのではなく、二度三度と再訪を果たして感涙にむせびながら自国に戻り、時には旅先での経験と自分が味わった感動とを文章に記して残していた。残してはいたが、不明の理由から一度として公表されたことがない。趣味がよくなかったからに違いないとか、公序良俗に反していたからに違いないとか、本人はともかくとしても家族や遺族が公表を嫌ったからだとか、理由を推定するのは簡単だが、そのせいで趣味の正体もその国やその国の風俗のことも、まるでわからないままになっているのである。これは、損失であると言わざるを得ない。
 実を言うと一度だけ、旅行者の文書が公表されたことがあるらしい。はっきりとしない記録によれば、公表された文書に記されていたのはわずかに数語であったという。察するに感動が極まって、極まるあまりに常識を超えて言葉が圧縮されたせいであろうが、何事によらず言葉を尽くすことが肝心であると信じる我々にとって、そのような圧縮を達成する過程には想像を絶するものがある。だいたい、それでは何事も伝えることはできないと考えるのだが、この場合、それ以上に問題なのは、公表されたその数語がどこにも記録されていないという事実の方であろう。趣味の問題とか感極まってとか言うよりも、我々はこうした状況に重大な怠慢を感じるのである。
 もちろんすべての文書がそうであるとは限らない。立派な文章で書かれた物があるかもしれないし、そうした文書がどこかにまだ残されている可能性もないではない。希望がないわけではないのである。とはいえ、それが好ましい状態で保存されているとは限らないし、もう捨てられてしまって、どこかで紙屑になっていないとも限らない。もしかしたらこの瞬間にも、魚屋の店先でニシンを包むのに使われているかもしれないし、肉屋でレバーを包むのに使われているかもしれない。散々に曲折を経てから油染みをつけた古紙となり、どこかで再生される日を待っているということもあるだろう。本当にそうなっていたら、紙屑の巨大な山の中から目当ての一枚を探し出すのは不可能であろう。希望がないわけではないけれど、ないも同然の状態である。
 以上のような事情からある種の趣味がいかなる種類の趣味であったかは、まだ今のところは明らかにされていない。



辺境の神々


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。あらゆる街道から遠く離れて旅人を拒み、石を転がす荒れ地に囲まれ、男たちは乾いた畑に日を費やし、女たちはたった一つの井戸から水を汲んだ。日干し煉瓦で作られた町は陽の光を浴びて地にうずくまり、褐色の壁に穿たれた黒い戸口の奥では白い目が並んで外の様子をうかがっていた。どの家の奥にも母がいたが、どこを探しても父はいない。家族という考えはどこかにあったが夫婦という考えはなく、男女の契りは過ちと見なされて厳しい罰が与えられた。
 それでもその国にはこどもがいた。母の腹から生まれた子らが日陰で乳を与えられ、育てば畑を耕す鍬を持ち、あるいは水を運ぶ甕を抱えた。母には語るべき言葉がなく、互いに交わすべき言葉も少なく、文字を持たなかったので胸の内に浮かんだ言葉も残されていない。
 その国のはずれには大きな岩の山があった。そそり立つ岩の壁には岩から削り出された柱が並び、柱の奥には大きな石窟が穿たれていた。そこは神殿と呼ばれていたが、壁にはいかなる装飾もなく、いかなる偶像も飾られてはいなかった。会衆が集うべき場所は道と呼ばれ、祭壇があるべき場所では一枚の平らな岩戸が灯明の火に照らされていた。ただし道に会衆が集うことはなく、暗い岩戸を拝む者もない。神殿にはわずかな数の神官が暮らして灯明の火を守り、岩戸に近づく者を遠ざけていた。
 神殿の奥の岩の戸は、年に一度、夏至の晩にだけ開かれた。夜を迎えて陽が落ちると、神官たちは岩戸の前に並んで待つ。しばらくすると向こう側から戸を叩く音がする。ゆっくりと三度叩くので、神官の一人が岩戸に寄って耳を近づけてこうたずねる。
「何人いる?」
 戸の向こうからはなかなか返答がない。唸るような声や喉を鳴らすような音が続いた後で、ようやく言葉を探し当ててこう答える。
「一人」
「ならば一つ」
 神官の一人がそのように言うと、残りの神官が戸に走り寄る。神官たちは岩に埋め込まれた鉄の輪を掴み、一斉に引いてわずかな隙間を戸に与える。すると隙間から大きな青白い手が現われる。指の先に鋭利な爪を伸ばしているが、その形は人間の手と何も変わらない。手は一つの塊を床に落とす。塊は重い音を立てて床に転がり、灯明の光を浴びて金色に輝く。神官がすかさずそれを拾い上げ、秤にかけて許しを与えた。
 神官たちがさらに戸を引くと、そこから顔が現われる。毛は一本もない。白くにごった大きな目に灯明の揺れる炎を映し、くぼんだ鼻の二つの穴は外気の臭いを嗅いで痙攣する。鼻の下ではすぼんだ口が何かを求めるようにうごめいていた。頭は長大な首に続き、長大な首の後には長くて細い胴が続いた。全身が青白く濡れて燐光を放ち、ただ腕と脚だけが並みと言える大きさと形を備えていた。それは戸の隙間から泳ぐように走り出て、固い爪で床を蹴って神殿の外へ飛び出していく。その背後で神官たちは戸を閉ざし、次の者が戸を叩くのを待ち受けた。
 戸を叩く者は胴長と呼ばれていた。夏至の晩に外へ出ていく胴長の数は、年によって異なっていた。五人であることもあれば三人であることもあり、時には十人を越えることもあったようだ。一人しか来ない年は不作とされ、七人を越える年は豊作とされた。戸は常に一つの金塊によって一人のために開かれ、一度開かれた戸の隙間から同時に二人が出ることはない。一つの金塊で二人が出ようとすれば、二人目の胴長が槍で刺された。二つの金塊であっても一度に二人が出ようとすれば、二人目の胴長が槍で刺された。神官たちは岩戸からひとを遠ざけ、胴長たちに偽りを禁じる。
 だが神殿から一歩出れば、胴長たちは神であった。徴を迎えたすべての女が子種を求めて脚を開き、男たちは家の奥へ逃れて息をひそめた。胴長たちは夏の短い夜を町で過ごし、陽が昇る前に岩戸の奥へ去っていった。ひととの間にいかなる契約が交わされていたのか、今となっては知る者はない。無法者の一団が彼方から匂いを嗅ぎつけて金塊を奪い、その国を滅ぼして立ち去ったからである。




読者登録

佐藤哲也さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について