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人間の運命


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。仮に誰かが載せるつもりになったとしても、その国は名前を持たなかった。不明の時代であっただけに名のない国は珍しくはなかったが、その国の場合は国に名がなかっただけではなく、住民の一人ひとりもそれぞれの名前を持たなかった。国を示す時にはただ国と言い、ひとを示す時にはただひとと言い、互いを呼ぶ時にはあなたと言っていた。自分を示す時に人差指の先を唇にあてたが、これは元来、空腹を意味する仕草であった。
 食べ物はいつでも不足していた。国土は砂に覆われていて、層を重ねる砂の山は太陽の光に焼かれていた。人々は光と熱を嫌って地下に逃れ、穴を穴でつないで暮らしていた。昼の間はからだを丸めてひたすらに眠り、夜になると起き出してきて、食べ物を求めて地上をさまよった。砂漠には砂漠の営みがあり、注意深く探していれば虫や獣にまれに出会った。ある者は一人で虫を探し、ある者は仲間とともに獣を探した。大きな獲物を得るために、いくらかの者は遠くへ足を運んだ。獲物は穴をくぐって国の奥へと運ばれていく。新鮮な獲物は狩人の口には入らなかった。夜明けを前に穴へ戻ると、わずかな食物の配給があった。配られた食物からはいつも悪臭が漂ったが、狩人たちは貪るように口に入れ、自分の寝穴へ戻ってからだを丸めた。
 一つの寝穴は一人のために作られていた。幼い頃に与えられた小さな穴を、成長にあわせて自分で大きくしていった。生涯の眠りをそこで費やし、死を迎えると穴は土で埋め戻された。遺体は国の奥へと運ばれていく。死とは空腹の終わりであり、死にはいかなる悲しみもない。悲しみは人生の内にあった。
 名を持たない人々には家族がなかった。男や女という考えもなかった。全土が地底の闇に飲まれていたので、何事につけ見分けるということが難しかった。ひとはひとではあったが、他者という以上の意味はなかった。自分が自分であるためには、ただ唇に指をあてればことが足りた。自分の存在と自分の欲望はたったそれだけで説明できた。不幸なことに、ほかに説明すべきことが何もなかった。欲望を縛られていたので愛について知ることもなかった。世界に関心を抱くこともなく、生まれ落ちてきたその日には、幼い指で自分の寝穴を広げていた。そしてある時、そうして広げられた寝穴の一つで一人が目覚め、悲しみとともに闇を見つめた。
 その一人は男でもあり、女でもあった。幼子ではなかったが、老人でもなかった。その者は狩人であった。一夜を費やして一匹の獲物を捕えていたが、一夜を無為に終わらせた者と同じだけの食べ物を受け取っていた。全員が同じ量を得るのは弱い者をかばうためではない。見分けることができなかったからである。
 狩人は一匹の獲物を得るために、砂漠を歩き回らなければならなかった。獣を見つけた後は、走らなければならなかった。どうにか捕えた後には、また穴まで戻らなければならなかった。それだけの仕事に対して、与えられた食料はあまりにも少なかった。狩人は養分の補給を必要としていた。激しい空腹を感じて目を覚まし、悲しみとともに闇を見つめた。見つめている間に空腹が欲望を突き動かし、狩人はからだを起こして穴を出た。
 国の奥には食料の貯えがあるはずだった。そこへ行けば、自分を満たすことができるかもしれない。そう考えて、闇の中を歩き始めた。穴の壁を手で探り、隠された目印を探しながら国の奥へと進んでいった。そうしながら狩人は心を奮わせていた。思いついたばかりの自分を満たすという考えに、恐怖と期待を感じていた。満たされない者が自分なら、満たされた自分は何者なのか。その者もまた自分なのか、それとも違う者なのか。違うとすれば、自分はいったいどうなるのか。
 それまで、時の流れは闇の底に沈んでいた。起点に小さな穴があり、終点には埋め戻された穴があることは知っていたが、その間には満たされぬ思いが淡々と並んでいるだけだった。そのどれがどれなのか、どれが前で、どれが後なのか、闇の底にいた狩人には区別をつけることができなかった。だがたった一つの考えを抱いただけで、狩人の前にいきなり未来が広がった。泡立つ時間の流れに手を差し入れて、手応えをはっきりと感じていた。そしてその感触に恐怖を味わい、人生の選択という未知の行為に激しく胸を高鳴らせた。なぜ今まで考えなかったのか、なぜ今までそうしなかったのか。疑問が浮かんでは恐怖に洗われ、渦巻く恐怖は未知への期待に飲み込まれた。狩人は道を選んで闇の中をなおも進み、次第に国の奥へと近づいていった。
 食べ物の悪臭が漂ってきた。空気は湿り気を増し、地面は水を吸っていた。前へ出ると食べ物の臭いが濃厚になった。気配を探して鼻を動かし、ひざまずいて手で探った。空気のかすかな流れが、道の続きを狩人に教えた。湿った地面を踏みながら、足音を忍ばせて奥へ進んだ。壁は濡れ、天井からは水が滴り落ちていた。
 やがて音が聞こえてきた。それは食べ物を咀嚼する音だった。別の音も聞こえてきた。それは水の跳ねる音だった。狩人は壁から手を離し、鼻を動かしながら闇の奥へ進んでいった。手が何かに触れた。暖かくて、粘りのある液体に包まれていた。狩人は液体の臭いを嗅いだ。食べ物の臭いがした。舌で舐め取った。食べ物の味がした。力強い咀嚼の音が続いていた。口は唾液で満たされ、胸はたまらない気持ちで一杯になって、狩人はその場に座り込んで手を伸ばした。最初に触れた物をまず転がした。それは小さかった。持ち上げて臭いを嗅ぎ、食べ物の臭いであることを確かめてから顎を開いて歯を立てた。口の中に血が溢れた。それは悲鳴を上げていた。狩人は血を吸い、肉をしゃぶった。一つを平らげ、また一つに手を伸ばした。それは大きかった。転がそうとしても動かなかった。だから狩人は爪を立てて皮を破ろうとした。すると聞こえていた咀嚼の音が消え、代わって恐ろしい絶叫が上がった。狩人は手を止めた。
 叫んでいたのはひとであった。狩人は立ち上がった。背後の道に足音が響き、振り返ると光の影が踊るのが見える。間もなく数人が松明を手にして現われて、狩人を囲むようにして近づきながら揺れ動く炎で闇を照らした。
 叫んでいたのは大きなひとであった。見上げるほどの巨体を地に横たえて、いくつもの子宮を腹からぶら下げていた。その半透明の膜の下にはひとの子がいて、どれもがからだを丸めて眠っていた。一つが動いて、膜の中を落ちていった。子宮からつながる管を通って産み落とされ、粘る液体にまみれて湿った地面に転がった。大きなひとは叫ぶのをやめて、獣の肉にしゃぶりついた。痛みのことはもう覚えていない。
 松明を持つ者が、狩人の足元を指差していた。狩人の足元には残骸があった。別の者が狩人を指差し、罪を問うた。狩人は自分を指差し、人差指を唇にあてたが、その意味するところは最早わからなくなっていた。



盗人の弁明


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。わたしはここでその国の名前とその国のあった場所を言うことができるが、それをして諸君の知識を試そうとは考えていない。それをすればたまたま知っていた者は自らの知識を誇り、知らなかった者は無知を恥じることになる。知識を誇る者は同僚の無知をそしるかもしれないし、無知を恥じる者は同僚の知識をねたむかもしれない。無知を恥じるあまりに知っていたと嘘を言い、その上で同僚の無知を非難する者も一人や二人はいるだろう。そうなると誰が知っていて誰が嘘をついているのかがわからなくなり、諸君はたちまち猜疑の虜となって混乱の渦に巻き込まれる。狡猾な者なら好んで混乱を引き起こすかもしれないが、諸君にとって幸いなことに、わたしは狡猾な者ではない。だからその国の名前もその国のあった場所も、ここでは秘密のままにしておこうと思う。
 その国では普通の人々が普通に暮らしていた。国民が追い剥ぎを生業とすることもなく、国民が誘拐を稼業とすることもない。得体の知れない難癖をつけて旅行者から金品を合法的に巻き上げるような習慣もなかったし、海老に戦いを挑むようなこともしなかった。町にはまともな店が並び、町の外には畑が連なり、町でも畑でもまともな人々が真面目に働いていた。平和を好んで争いを避け、法を尊んでよく秩序を守った。もちろん多少のいさかいはあったようだが、人間が人間と肩を並べて暮らしていればそれは当然のことであろう。まるでいさかいがなかったら、その方がよほど奇妙に見える。
 奇妙に見えると言えば、その国には一つだけ、奇妙に見える習慣があった。諸君は不思議に思うだろうが、その国では盗みは罪にならなかった。それどころか称賛に値する行為の一つとして数えられていた。ある高名な盗人に至っては、その業績を記念するために巨大な石像が作られたほどだ。石像の台座には経済の改革者という銘が刻まれていた。
 諸君もよくご存知のとおり、盗人というのは単に盗むだけの者ではない。品物を盗めばそれを闇市や故買屋で売り飛ばすし、売り飛ばした金で飲むこともする。金を盗めば、もちろんそれで飲むことになる。もう少し賢明ならば飲まずに投資して、投資から得た利益で飲もうと考える。中には信じがたいことに、盗んだ金を貧しい者に分け与えて、他人の金で飲む者もいる。目的や順番が違っていても、結果としてはすることは同じだ。
 さて、ここでわたしは二つの点で、諸君の注意を喚起したい。
 まず盗人は、盗人稼業に励むことで資金に流動性をもたらす。経済とは資産を持つ者と持たぬ者、そして闇市と居酒屋の四つを結んだ線の上に成り立っている。そのままにしておけば莫大な資金が一つの点で死蔵されるが、盗人は線の上を速やかに移動し、ある一点から他の一点へと資金を移し替える機能を備えている。
 次に盗人は、盗人稼業に励むことで経済の活性化をもたらす。盗人が入るのは主として金持ちの家であり、盗人がそこから繰り返して資金を動かすことで、金持ちの家は次第に傾いていく。つまり盗人は市場の独占的な状況を解消し、多方面に対して参入の機会を提供する機能を備えている。
 以上のことから、盗人が経済活動の重要な鍵となっていることが、諸君にも理解できたと思う。盗人がいなくなれば資金は流動性を失い、独占資本の横暴が放置される。経済は構造的な問題を抱えて活力を失い、やがて傾いて国を潰すことになるであろう。その小さな国の人々は驚くべき炯眼によって真実を見抜き、経済の肯定的な因子として盗人に称賛を惜しまなかったのである。
 しかるに我が国の現状はどうであろうか。独占資本の専横を許す一方で、盗人にはささいな盗みで罰を与えようとしている。しかも告発人の訴状によれば、その罰とは死刑なのである。いったい、これほどの無法が許されるものなのか。同じ訴状によれば、わたしは単に盗んだだけではなく盗んだ物を闇市に売り、闇市に売った金で飲むことをしたという。しかし、それこそがまさに盗人の、資金に流動性を与える機能であったと、なぜ考えないのであろうか。訴状には続きがあった。それによればわたしは単に飲んだだけではなく、飲みながら経済の底辺に対して余計な行為を称揚し、青少年に害を与えた。しかし、それは盗人の数を増やして我が国の経済を活性化しようとする試みであったと、なぜ考えないのであろうか。
 理由は簡単かつ明瞭である。告発人のみならず、諸君もまた独占資本の走狗なのである。諸君は独占資本の正体を知っているのか。あれは異なる三つの物を一つに束ねて不可分の一つだとはばからずに主張する。そうして三つの物をそれぞれ一つの物として商う者の利益を損ない、四つ目には何を加えるべきかと不敵な思いに身を委ねつつ、市場からまさに独占的に利益を吸い上げて女秘書との結婚を果たす、そのような危険な手合の手先となって、諸君はなぜ安心することができるのか。遠からぬうちに資本も一つに束ねられ、すべての中から一つを選んで贖うことは不可能になり、すべてを束ねたたった一つを売りつけられることになる。すべてを束ねた一つの物は複雑なので間違いがあっても気がつくのは遅くなり、間違いに気づいても取り換えることは難しくなるであろう。
 諸君は、そのような時代の到来を望んでいるのだろうか。わたしならば束ねた一つからなるべく多くを盗み取り、それを一つひとつの物とするであろう。そうしなければ国に未来はないと信じるからにほかならない。
 だが、すでに判決は下った。諸君はそこにいて、わたしが話し終えるのを待っている。話を終えたわたしには、死が待っていることを知っている。だがわたしには息子たちがいる。息子たちは盗人である。わたしの心は安らかだが、諸君は安らぎを失うであろう。残念ながら、立ち去るべき時がやってきたようだ。



粘着の度合


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところがその国の隣にあった同じような小国は、同じような条件にありながら地図にも案内書にも載っていたのである。事実を知った時、その国の人々は自国が不当な扱いを受けていると考えた。そして不当な扱いを受けるのは隣国が不正をおこなった結果であるとも考え、隣国はただちに地図や案内書から身を引くか、あるいは記載の半分を明け渡すか、いずれかをすべきであると主張した。隣国の人々はこれを聞いてひどくうろたえ、諸悪の根源は地図の製作者や案内書の執筆者にあると反論した。真相はまったくそのとおりであったが、その国の人々は理性よりも感情を選び、隣国に対して激しい敵意を抱くとともに国際社会に向けて不正の糾弾を訴えた。しかしながら国際社会は地図にないような国の言い分に耳を傾けようとしなかったので、すでに不遇を味わっていたその国は自国の行為によってさらに大きな不遇を味わい、感情を高ぶらせて隣国への敵意を強くしていった。
 少なくとも二度、その国が隣国に戦争をしかけたことが知られている。言うまでもなく不正を正すためであり、最初は宣戦布告をおこなって大使の引き揚げが完了してから、二度目は宣戦布告に先立って、軍隊を国境線の先へ進めた。単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られるはずであったが、その国の軍隊には国境線の先へ進むと途端に崩壊するという不思議な性格があり、目論見は二度とも失敗に終わった。二度目の失敗の後ではさすがに原因の究明を求める声が上がり、軍隊の性格を分析するための調査委員会が設置された。最初の調査委員会は結論に達する前に紛糾して解散し、二つ目の調査委員会は結論には達したものの血を見るような騒ぎとなって最終的には分裂した。三つ目の調査委員会では調査の目的が何であったかを思い出すのがもっぱらの課題となり、とうとう何も思い出せずに解散が決定された頃、三度目の遠征が計画された。過去の遠征が二度とも失敗に終わったことはもちろん立案の段階で指摘されたが、単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られるはずであった。
 さて、ちょうどその頃、名高い学者がその国を訪れ、その国の市場の端に立ってその国の人々の立ち居振る舞いを観察していた。そして一つの結論に達すると、その国の元首の家を訪ねて身分を明かした。元首の家では作戦会議の真っ最中で、その国の枢要を占める人々が興奮の極みに達して互いに罵詈讒謗の限りを尽していたが、国際的に名高い学者の名を聞くと新たな興奮が湧き起こり、ただちに会議を打ち切って全員でそろって出迎えた。ひとしきり挨拶が繰り返され、感激もあらわな顔が握手を求め、ようやく落ち着いたところで名高い学者がこのように言った。
「わたしがお邪魔するまで、皆さんは何かをなさっていたようですね?」
 すると全員が一斉に口を開き、いかにも何かをしていたと大声で答えた。
「何をなさっていたのですか?」
 またしても全員が一斉に口を開けたが、何をしていたかを説明できる者は一人もいなかったのである。口を開けたまま互いの顔を見交わしていると、名高い学者がこのように言った。
「作戦会議をしていたのでは?」
 これを聞いて、まず元首が膝を打った。いかにもそのとおりであるとうなずくとまわりの者も一斉にうなずき、机の上に広げられた資料の正体も思い出して早速作戦会議を再開した。そしてすぐさま一人が感情を剥き出しにして腕を振り上げると残りの者も後に続き、たちまち罵声が飛び交う騒ぎとなる。そこで名高い学者は立ち上がり、皆を鎮めてからこのように言った。
「作戦会議もけっこうですが、その前に体質の改善をお勧めします。実は失礼を承知でこの国の方々の立ち居振る舞いを観察したのですが、その結果から得た結論を申し上げましょう。どうやら皆さんは、そろって豊かな感情をお持ちなようなのです。なぜそうなったのかはわかりませんし、そうであることは決して短所ではありません。ただ、感情に流されて行動するせいで、理性や忍耐にやや影が差しているとすれば、もしかしたら短所であると言うべきなのかもしれません。つまり感情によって行動を決めることはできるのですが、理性や忍耐の支援を得ることができないので、たとえば皆さんの会議はしばしば誤った方向へ進み、皆さんの軍隊は目的を保持できずに崩壊してしまうのです。わたしは戦争を肯定する者ではありませんが、体質改善をしない限り、皆さんの軍隊は絶対に勝利を得ることはできないでしょう」
 名高い学者の話を聞いて、その場にいた者たちは顔に絶望と苦悶を浮かべた。一人が絶叫を放って元首の家から飛び出していくと、数人が涙で頬を濡らして後に続いた。元首は目を開いて、唇を振るわせながら名高い学者の膝にすがった。
「どうすれば、どうすれば、わたしたちは助かるのでしょうか?」
 そこで名高い学者は処方を与えた。処方の中身は今となっては知られていないが、食餌療法の指示であったとされている。与えられた処方はただちに全国に広められ、体質の改善は全国民の悲願となった。その国の人々は学者の報告に衝撃を受け、歯を食いしばって改善に励んだ。励んでいるうちに感情に流されることは少なくなり、隣国の地理上の優越に嫉妬や羨望を覚えることもなくなり、行為の起源を忘れ去ってもなお食事の内容を変えようとしなかったので、ひたすらに粘り強い鈍重な体質となっていった。噂を伝え聞いたある大国の商人は密かにその国を訪れ、一人をさらって腹を開き、見事な粘着質であることを確かめるとこのように言った。
「接着剤のよい材料となる」
 そして屈強の者たちを送って住民を端から捕えさせたので、その国は間もなく滅亡した。



農民の反乱


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこでその国の人々は地図になければ見つかることもあるまいと考え、農閑期になると徒党を組んで街道に出て、旅行者を襲って金品を奪った。奪いはしたが、楽しみのためではなくて冬場の生活の足しにするためである。自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかったので、追われることも少なければ見つかることも少なかった。誤って捕えられた場合には仲間が金を払って身柄を受け出し、そうするための準備としていくらかの基金も用意されていた。
 農民たちはたくましく生きていたが、生活が楽だったわけではない。楽ではなかったからこそ、生存のための選択肢をできるだけ大きく広げていたのである。楽にならない原因は、主としてその国の王にあった。代々の王はいずれも開明の精神に欠け、圧政を敷きこそしなかったものの旧弊に立って改善を拒み、要求を受け入れることよりも要求にいきり立つことの方が多かった。気性はいたって単純で、威嚇に対しては威嚇で応じ、卑屈に対しては尊大で応じた。代々の王は判で押したように同じ性格の持ち主であったので、農民たちは要求の上限をよく理解し、また引き下がれない一線をよく心得ていた。つまりその国が長らく困窮とも内乱とも無縁であったのは、歴代の王がよく民を治めたからではない。農民がよく王を治めたからなのであった。
 さて、ある時、農閑期の頃であったとされているが、みすぼらしい姿をした若者がその国を訪れ、農民を探して農地に足を踏み入れた。そして最初の一人を見つけると、近寄っていって親しげな様子で話しかけた。
「やあ、どうですか?」
 話しかけられた農夫は仕事に励んで顔を上げようともしなかったので、間もなく若者は離れていった。そして夜になってから村の居酒屋に姿を現わした。不審に満ちた目が一斉に向けられたが、若者は意に介さずに酒を頼み、杯を高く掲げてこのように言った。
「働く者へ、乾杯」
 そして一息に飲み干すと激しく咳き込み、胸を落ち着かせると笑みを浮かべて傍らの一人に声をかけた。
「やあ、どうですか?」
 実を言えばこの若者、とある国のとある革命組織の一員であり、革命思想の伝播と革命の推進という二つの重大な任務を携えていた。その国の農村部に潜入を果たし、農民に対して思想教育と大衆扇動をおこない、革命組織を浸透させて、時がきたら指揮をして王権を転覆させようとたくらんでいたのである。その革命思想なるものがいかなる種類の考えであったかは、今となっては知られていない。一説によれば工場労働者を組織して階級闘争を展開し、搾取階級を打倒した上で生産手段の共有化をおこなって平等な国家を作ることを目標としていた。しかしながらその時代はようやく手工業が合理化への道を歩み始めた段階にあり、工場労働者という階級の出現にはまだ五百年ほどを必要としていた。思想が先進的すぎたのであろう。そこで革命組織は対象を工場労働者から農民に切り替え、それに若干の工房労働者を加えて労農大衆と称していた。労農大衆は団結し、階級敵に向かって敢然と戦いを挑まなければならなかった。なぜならば、それが歴史的な必然であったからにほかならない。
 若者は椅子の上に立って演説をおこない、歴史的な必然が農民に何を求めているかを訴えた。農民たちは顔をうつむけたまま聞いていたが、若者が話を終えると一人が顔を上げ、隣にいた仲間の耳にこう囁いた。
「どこの神学校から来た野郎だ?」
 そこで若者は演説を再開し、微妙な問題に突入していった。歴史的な必然性の中に、神はいないと言ったのである。話を終えると別の農夫が顔を上げて、若者に向かってこのように言った。
「なんだその、弁証法的唯物論てのは?」
 これもまた先走りであり、弁証法的唯物論が政治運動の中で明確な位置を占めるにはなお六百年ほどを必要としていた。したがってこの段階では理論武装がはなはだ甘く、若者は農夫たちの迷信を撃破することができなかった。
「でも、俺たちには神がいるぜ」
 一人がそう結論を下して背を向けると、残りの者も背を向けた。そこへ居酒屋の主人がやってきて、若者に椅子から降りるように要求した。
「今朝拭いたばかりだ」
 だか若者はあきらめなかった。村に居座ってあちらこちらに顔を出し、通りがかる者の袖を引いては王の暴政を非難して民衆の蜂起を訴えた。歴史的な必然に再び触れることがなかったのは、戦略を変更した結果であると思われる。新しい戦略が功を奏したのか、いくらかの賛同者が現われた。そして賛同者が賛同者を呼び、やがて目に見える勢力を形成すると若者は準備に取りかかった。集まった者を大隊を単位とする軍隊に編成し、戦闘訓練を施したのである。すると新たな者たちが参加を望んで軍勢に加わり、遠方からも多数が馳せ参じるに及んで労農革命軍は一大軍事力へと成長した。王は手勢とともに王城にこもり、迎撃の準備を整える。
 遂に決起の時が訪れた。赤旗を高く掲げた若者は労農革命軍を率いて進撃を開始し、町を一気に攻め落とすと王城を囲んで王に退位を要求した。若者が要求を繰り返している間に労農革命軍の兵士たちは町で略奪を始めたが、楽しみのためではなく冬場の生活の足しにするためであったので、自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかった。兵士たちは取る物を取って町から立ち去り、若者が気づいた時には味方は誰もいなくなっていた。扇動家は王の手勢に捕えられ、その場でただちに首を切られた。王は農民たちにも追っ手をかけたが組織化された農民軍はなお強大な勢力を保ち、今回の一件は外国の陰謀であったと説明されれば、事実そのことに違いはないので王も受け入れざるを得なかった。その国の農民が一揆に際して赤旗を掲げるようになったのは、それ以来のことであるという。



排外の気風


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。自然に目立つということもない国だったので長らく歴史から黙殺されていたが、東方の大国との間に新しい通商路が開拓されるとにわかに注目を浴びるようになった。その国が砂漠の入り口に位置していて、隊商の補給に絶好の立地を備えていることがわかったからである。そこで西方にあった大国の一つはその国に使節を送り、説得と強要を用いて門戸の開放を迫ることにした。使節には弱小国の説得にもっとも長けた者が選ばれ、使節団には強要に適した精鋭の兵士たちが随伴した。それでもいくらかの者は情報の不足を理由に挙げて若干の困難を予測したが、困難は解決可能な範囲にあるという点で異論を唱える者は一人もなかった。そして使節団は出発し、間もなく現地に到着すると驚くべき報告を本国にもたらしたのである。
「あそこです。最初に見た時にはあの丘の辺りにあったんです。ところがわたしたちが近づいていくといきなり動き始めて、向こうに見えるあの小さな丘の陰に隠れてしまいました。ええ、もちろんそこまで行ってみましたよ。脅かすことがないように、できるだけ静かに接近したんですが、着いた時にはもうそこにはありませんでした。わたしも長年にわたって小国を相手にしてきましたが、このような事態は初めてで、実を言うと少々驚いています。そうですね、なんというのか、これは普通の外交関係で見ることができる国の動きではありません。しかしながら、ご安心ください。外交には忍耐がつきものですし、忍耐さえ失わなければ問題は必ず解決できるのです。なんですって? ああ、今は全員で手分けをして探しているところです。ええ、まだ見つかっていません」
 捜索の間にその国はさらに何度か目撃されたが、接近に成功するには至らなかった。軍隊を嫌っているのかと考え、一度は使節が単身で接近を試みた。この時にはかなり近づくことに成功し、城壁の上でひとが動いている様子を見ることもできた。だが後一歩というところでとんでもない速さで逃げ出して、地平の彼方に身を隠したのである。
 本国の人々は報告の内容をまず疑い、それから使節の性格と能力を第三者機関の審査に委ね、信頼に値するという評価を待って使節団に訓令を送った。
「状況を外交関係の拒絶と判断する。説得を断念して強要に全力を傾注すること」
 そこで使節団では四方に熟練の斥候を放ち、本隊には十全の戦闘準備を整えさせた。発見の報せがもたらされると全隊が全力で追撃したが、敵は腹が立つほど俊敏で瞬時に彼方へと遠ざかる。それをまた追うという繰り返しで追撃はしばしば一昼夜に及び、多数の兵士が疲労と渇きで脱落した。使節団は損害の大きさに目を回して作戦継続の困難を本国に訴え、本国は返答を与える代わりに増援を送った。
 いくらかの増援を得たことによって現地部隊の士気は高まったが、それも束の間のことで作戦が再開されるとすぐに厭戦気分が蔓延した。兵士たちは蜃気楼にも等しい敵を呪い、渇きをもたらす砂漠を恐れて反抗的な態度を取るようになった。報告を受け取った本国は使節団の文民統制に問題があると考え、将軍を新たな責任者に任命して大軍とともに現地へ送った。
 現地に到着した将軍は作戦に大きな変更を加え、全軍からいくつかの機動部隊を編成した。多方面へ同時に展開して目標を各個に捕捉し、強要を速やかにおこなうためである。砂漠へ送り出された機動部隊はそれぞれが四方に斥候を放ち、発見の報せがもたらされると全力で追撃した。追撃の間に多数の兵士が疲労と渇きで脱落し、反抗的になった兵士はいくつかの部隊で反乱を起こした。幸いにも反乱は速やかに鎮圧されたが、ここに至って本国は現地部隊への信頼を失い、直接の指揮に乗り出した。本国の参謀たちが前線を見ずに作戦を練り、その計画書を空前絶後の大部隊とともに現地へ送った。
 作戦の名前は大包囲撃滅戦であった。発見して追撃するのではなく、包囲して追い詰めるのである。包囲するからにはまず目標の捕捉が必要とされたが、それが不可能なので砂漠そのものが包囲の対象となっていた。大量の兵士を砂漠の四周に配置し、中心に向かって進めていけば必ずどこかで捕捉できるという発想である。
 兵士にとっては幸いなことに、この作戦は実行されなかった。実は作戦の検討が始まった段階で、そもそもの目的を思い出した人々が秘密裏にある計算に取りかかっていた。その計算の結果によれば、作戦に投入される資金の数万分の一で独自に補給基地が開設できるという。計算をおこなった人々とは軍の参謀に憎悪を抱く文官の集団であったとされているが、いずれにしても砂漠での軍事行動はすでに国家財政に重大な支出を強いていた。作戦はただちに中止され、軍隊は本国に帰還した。
 新たな計画にしたがって、間もなく補給基地が作られた。隊商の便宜をよく考慮した見事な基地であったが、砂を蹴立てて突進してきたある小国に踏み躙られて消滅した。何度再建しても踏み躙られるので、軍は報復を求めて討伐軍の派遣を主張した。文官たちの主張は交易路の変更であった。喧嘩腰の議論の末に軍の主張は退けられ、交易路は遥か南に変更された。だから砂漠のどこかには、まだその小国がさまよっているという。




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