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賢者の方法


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ないにも等しい国ではあったが、当時としては珍しく国としての体裁を整えていた。たった一つの町には国を代表する機関が置かれ、機関の下には選挙で選ばれた議会があり、若干の法律すらも定めていた。山ほどもあった小国の中では、政治組織の整備の点で先進的な地位を占めていたことになる。とはいえ、何も問題がなかったわけではない。
 たとえば代表機関の委員は、代表機関の委員の中から選ばれていた。世代交代が進まないので機関は不正の温床となった。議会の議員は選挙民から選ばれていたが、議員を選ぶ選挙民は議会によって選ばれていた。選抜には意図が介在し、意図には金銭の授受がともなったので議会も不正の温床となった。
 代表機関の委員と議会の議員には生活の保証が与えられていた。保証の程度は庶民感覚に照らして過分であり、保証の範囲は該当者の家族にも及んだことから、庶民感覚の中でも特筆すべきあの感覚、つまり不公平感を助長した。
 おそらく最大の問題は、豊かになるための安易な道筋を示したことにあるのだろう。政治家を目指すのが流行となり、畑を耕すのは時代遅れだと考える者が増えていった。数を頼みとする者たちは選挙権の拡大を叫び、持たぬ者を煽って既得権の守護者たちを脅かした。小さかったはずのほころびは目にも明らかな裂け目となった。裂け目がなおも広がろうとするのを見た者は、民主主義に疑問を抱いた。
 改革を求める小さな声が、やがて大きな声となる。いかに大きくてもそれは単なる声であったが、多数を得るための手段となって重要政治課題に登場し、議会におけるすくみあいの結果として国の方針に昇格した。誰にも反対できなかったのである。改革のための模索が始まり、そこへ遠方からの噂が届けられた。似たような問題を抱えた国が、解決を賢者に委ねて改革を成功させたという。
 早速その賢者に宛てて速足の使者が送り出された。賢者は改革の全権を要求し、その国は条件を受け入れた。再び速足の使者が走り、賢者は招聘を応諾し、使者の前で旅の支度に取りかかった。使者は報せを国に運び、主立った者は国の入り口まで足を運び、そこで賢者を出迎えた。賢者は年老いてはいたが、からだは力に満たされ目は光に輝いていた。
 改革を急ごうとする者は、町までの道すがらに実情を説明しようと試みた。ところが口を開いた瞬間に賢者は手を振って黙らせた。改革を欺こうとする者は、その有様に失敗の前兆を見て喜んだ。
 道の半ばを進んだところで、賢者は不意に足を止めた。見れば前に二人の男の姿がある。一人は健康そうな若者で、もう一人は痴呆の症状を訴える老人であった。賢者は若者に向かってこうたずねた。
「あなたは何をする者か?」
 すると若者はこのように答えた。
「わたしは議員の息子をする者です」
「あなたが議員の息子なら、父親の議員はどこにいるのか?」
 若者は傍らの老人を指差した。賢者は老人の手を取って近くの崖の縁に導き、背中を押して谷底へ落とした。それから息子に顔を向けて、このように言った。
「あなたは議員の息子ではない。働きなさい」
 改革を急ごうとする者は賢者の方法を見て驚嘆した。単純で、効果があった。
 改革を欺こうとする者は賢者の方法を見て震撼した。単純で、危険があった。
 町へ着くまでに賢者はさらに三人の者を谷底へ送り、五人の者に労働を命じた。町に着くと国中の者を呼び集め、まず一か所にまとめてしまうと今度は年齢と性別に応じて分けていった。老女ばかりの集団もあり、乳飲み子ばかりの集団もあった。賢者は集団の一つひとつを順に広場へ呼び入れた。同じところをぐるぐると走らせ、早々と倒れた者は谷へ送り、走り通した者には剣を与えた。剣を与えられた者は半ばで倒れた者の監督となり、畑に立って鞭を振るった。強壮な者が生き残り、柔弱な者は滅んでいった。子は国の資産となって母親の手から取り上げられ、残忍な乳母の手によって淘汰の流れに放り込まれた。家族で住む家は取り壊され、皿を共有する者たちが一つの家に住むようになった。
 賢者の方法にしたがって、改革は速やかに進行した。代表機関は不正の温床ではなくなり、議会もまた不正の温床ではなくなった。代表機関の委員は残らず谷底で朽ち果てたし、議員は全員が畑で鞭を振るわれていた。もう十分に改革されたという気持ちが、どこかで芽生えた。自由を求める小さな声がどこかで上がった。やがてそれは大きな声になっていった。賢者は大きな声に耳を傾け、それから静かな声でこのように言った。
「まだ、自由を得るには至らない」
 すると大きな声がこうたずねた。
「では、どうすればよいのですか?」
 質問に答える代わりに、賢者は一つの標語を与えた。労働は人間を自由にする。この標語はすべての建物の入り口に飾られ、出入りする者は必ず目に留め、足を止めた。
 自由を求める声の後には、個性を求める声が聞こえた。その声も初めは小さかったが、次第に大きな声になっていった。
「働くことは厭いません」
「それでは足りない。働くことを愛さなくては」
「では、働くことを愛します。でも、全員が同じように愛することはできません。わたしたちには、個性というものがあるのですから。いえ、それだけはありません。個性によって向きも不向きもあるのです」
「言いたいことがあるならば、まず自由に向かって進むことだ」
「自由になれば、個性を認めるということですか?」
「自由になれば、個性など不要になるということだ」
「そのような自由は知りません」
「そのような自由でなければ、いったいどのような自由があると言う。あなたがたが求めているのは紛い物の自由でしかない。その本来の姿は悪徳であり、別の名前は放埒という。もう忘れてしまったのか。あなたがたは放埒に身を任せて国を乱し、わたしに助けを求めてやってきたのだ」
「それは、そのとおりです。でも、もう十分に反省しました」
「求めているのはあなたがたの反省ではない」
「では、いったい何を求めているのですか?」
「わたしは最善の国を求めている」
 さて、その国の人々はここに至って賢者の意図をようやく悟った。賢者の改革はどこかで終わるという種類のものではなく、最後まで進むという種類のものであった。賢者が描いた最善の国では、ひとは単独では存在しない。国をかたどる集団となって、常に一つのことを考え、たった一つの自由を共有し、一つの皿から食べるのである。だから悪徳もなければ犯罪もない。貧富もなければ美醜もない。個性は無用の長物で、それどころか顔を見分ける必要だってなさそうだ。生きている必要すら疑わしい。
 すでに改革で疲れていた人々は未来の姿に絶望し、遂に叛旗を翻した。賢者を捕えて国から追い出し、委員と議員を復活させた。反省を踏まえて自由と個性の調和に心を尽し、放埒を避けて礼節を守り、再び国が乱れることのないように第三者機関を設けて政治組織の監視を徹底した。幸いなことに、貪欲によって知られた者は谷や畑で滅んでいた。生き延びていたのはよく労働に耐える質朴な人々のみであった。ひとは互いに譲りあい、争いは驚くほど少なくなった。解決の方は賢者に委ね、改革の方は自力で成功させたのである。以来、その国は小さいながらもよく栄えた。



湖畔の騎士


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。場所すらもはっきりとしないそんな辺鄙な国を、わざわざ訪れようとする者はいなかった。いたとしても暇を持て余した物好きか、よほどの事情を抱えた者かのどちらかであった。
 ある時、一人の商人がちょっとした規模の取引をまとめた。実際、それはちょっとした取引であったが、決して商売上手であったとは言い難いその商人にとっては、一世一代の大取引であった。客は高位の人物の名が記された紹介状を携えて現われ、高価な商品を数多く買い求めたいと申し出た。商人は紹介状を見てその客を信用し、また自らの信用を最大限に使って客が求める品を掛けで仕入れた。そして約束の日に現われた客に商品を渡し、その代価として高額の手形を受け取った。少しでも慎重だったなら品物を渡す前に手形の内容を改めたはずだが、取引の大きさに興奮して肝心の手順を怠った。いや、もう少し慎重だったなら、紹介状を見た段階で相手のことを疑っていなければならなかった。なぜならばこの商人は、紹介状をしたためたとされる高位の人物といかなる面識もいかなる関係も持たなかったからである。ところが商人は疑う代わりに、有名な名前の入った手紙をもらって有頂天になったのであった。そして本当に慎重だったなら、客を見た瞬間にお帰りを願わなければならなかった。その客は優雅な衣装に身を包んで外国訛りの言葉を喋り、顔を仮面で隠していたからである。
 取引の後で、商人は客と一緒に祝杯を上げた。相手がねぎらいの言葉を残して立ち去ってから、自分のためにもう一度乾杯した。心安らかに床に就いて晴れ晴れとした気持ちで朝を迎え、たっぷりとした朝食を摂ってから手形を握って銀行へ出かけた。言うまでもなく手形を現金化するためであったが、銀行の頭取は商人の手形に一瞥を与え、それは扱えないと冷たく告げた。商人は激しく狼狽した。では偽物かとたずねると、本物だという返答がある。本物の手形ではあったが、それは地図にも載っていない小さな国の中でしか価値を与えられていなかった。だから、その国へ行って現金か別の手形にすればよいのです、と頭取は言った。
 そこで商人はたずねた。その国はどこにあるのですか?
 存じません、と頭取が答えた。
 商人はうなだれて家へ戻り、頭を抱えてうずくまった。
 仕入れた品物の弁済の期日が近づいていた。信用は使い切っていたので、借金を申し込むのも難しかった。目を閉じて耳に手を当てると、どこからともなく破滅の足音が聞こえてきた。誰かが激しく戸を叩いた。商人が飛び上がった。店に出て戸を開けると、そこには外国訛りの言葉を話す男が一人、優雅な衣装に身を包んで立っていた。仮面が違うので先だっての客とは別人であったが、それでも商人はぴんときて、これはグルだと思ったという。
 男は手形を額面の十分の一で買い取ろうと申し出た。債務にはとても足りなかった。商人は腕を振り上げ、出ていけと怒鳴った。ならば七分の一ではどうかとたずねてくる。問題外であったので、商人は怒鳴った。では、五分の一ならばどうだろうか。商人は頭を素早く回転させた。債務の履行にはまだ足りなかったが、それだけあればやり過ごせる。しかし商売は大きな痛手をこうむることになるだろう。そこで商人は再び腕を上げて出ていけと怒鳴った。それならば、と男は言った。価格の三分の一ならどうだろうか。商人は考える。三分の一なら上等だとは言えないか。損害は免れないものの債務はとにかく弁済できる。債務者監獄よりは全然ましだ。手を打とう、と商人は言った。
 商談が成立したところで、男は懐に手を差し入れた。財布を出すのだろうと考えて、商人はいったん奥へ入った。手形を手にして戻ってくると、男は懐から手を引き抜いた。その手には短剣が握られていた。男は商人に襲いかかり、ひどく狼狽した商人は自分で自分の足を踏んだ。商人は悲鳴を上げて床に倒れ、男が手形を奪おうと商人のからだに馬乗りになった。男の手が手形を掴み、まさに奪い取ろうとしたその瞬間、どこかで鈍い音がした。仮面の男は短く呻いて前に倒れ、商人は男の下敷きとなった。もがいていると、仮面の男を昏倒させた人物が近づいてきた。銀の杖を高く掲げて優雅な衣装に身を包み、仮面で顔を隠している。仮面の形からすると、これは先だっての客であった。商人が男を押しのけて立ち上がると、客は外国訛りの言葉でこのように言った。
「済まないことをした。この者はわたしの心の影なのだ」
 それから倒れている男を軽々と持ち上げて肩に担いだ。そのまま店を出ていこうとするので、商人は慌てて呼び止めた。お客様、まことに申し上げにくいのですが、いただいた手形に問題がございました。
「ならばこの地を訪ねよ」
 客はそう言って一枚の紙を宙に捨てた。ひらひらと舞い降りてきたその紙には、地図にない国への道筋を示した地図が記されていた。
 仕入れた品物の弁済の期日が近づいていた。商人は地図を畳んで懐に入れ、大急ぎで旅の支度を整えた。馬を借り、見知らぬ国を目指してその日のうちに町を出た。
 いくつかの山を越え、いくつかの森を越え、野宿を繰り返して地の果てに進んだ。とある森を抜けると、その先には湖が広がっていた。道は湖畔に沿って延びている。商人は道なりに馬を進めた。いくらか進むと、背後から声をかける者がある。馬を止めて振り返ると、木陰から一人の男が顔を出していた。優雅とは言えないが卑しい風体でもなく、表情にもわずかな動作にも余裕が見える。見ているうちに、男が慌ただしく手招いた。同時に指を唇にあてて、商人に静粛を促した。怪しい気配を感じたが、商人は好奇心に打ち負かされて男の方へ近づいていった。馬から下りて手綱を木の枝にかけ、静かに男の傍らに立った。男はもう一度指を唇にあてて、それから前方の湖畔を指差すと声をひそめてこのように言った。
「あそこに騎士がいる」
 いかにもそこには騎士がいた。黒い甲冑をまとって馬にまたがり、手には長大な槍を握って穂先を天に向けている。
「何をしてるんですか?」と商人がたずねた。
「道を塞いでいるんだよ」
「塞いで、それでどうしようと?」
「試合を挑むために決まっている」
「しかし、わたしは騎士ではない」
「それで済むと思うんだったら、あいつの前でそう言ってみな。十日ほど前にも同じことを言った奴がいたけどな、槍で串刺しにされちまったぜ。ほら、あそこで死体になって虫に食われてる」
「しかし、それでは前に進めない」
「俺がどうしてここにいると思ってるんだ?」
「では、いなくなるのを待ってるんですか?」
「どうしてみようもないだろう。それに急ぐ旅でもない」
「しかし、わたしは急いでいるのです」
「大丈夫。感じからすると、今日あたりが限度だ。この一週間ほど、晴天が続いているからな。見た目にはまるでわからないが、これだけ陽射しが強ければ、黒騎士は相当にへばっているはずだ」
「失礼ですが、いつからここにいらっしゃるので?」
「覚えてないな。お茶でも飲むかい?」
 そこでしばらくお茶を飲んで時間を潰した。午前が終わり、昼が過ぎ、午後に入って陽が傾いても騎士の様子に変化はなかった。商人は心を決めて立ち上がった。
「行くことにします。これ以上遅れるわけにはいきませんから」
「そうかい。だったら気をつけてな」
 手綱を握ると、馬を静かに進ませていった。木陰を離れて道にしたがい、次第に湖畔に近づいていった。黒騎士の姿も近づいてくる。こちらを見ているような気がしてならなかった。今にも試合を挑んでくるような気配があった。それでも商人は惰性にまかせて馬を進めた。恐怖にうつむいて、再び顔を上げると騎士の姿が目の前にあった。商人はそこで足をとめ、後にしてきた木陰に向かって手を振った。男が走り寄るのを待ってから、騎士を指差してこのように言った。
「見てください。もう死んでます」
「なるほどね。変だとは思ったよ」
「時間を無駄にしましたね」
「そんなことはない。暇だからね。いや驚いた、馬も立ったまま死んでいる」
 それから商人はその見知らぬ男とともに地図にない国を訪れ、無事に手形を現金に換えた。見知らぬ男は裕福な暇人で、商人は男と友誼を交わし、国に戻ってからはほどほどに栄えて生涯を終えた。



再生の儀式


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこへ旅して帰ってきた者は、陰鬱な国という感想を日記に書いている。再び訪れようとして辿り着けなかった者もいたようだ。日記に大きな疑問符が残されている。
 信頼に値する資料によれば、その国は時々、地上から消滅していたようなのである。よくあるように住民ごと消えてしまうのではなく、住民だけを残して建物や田畑が消えてしまう。消滅は唐突に起こるのではなく、数日前から前兆がある。引きずり込もうとする大きな力が、地中深くからかかるのを感じるのだという。前兆が現われると動物は落ち着きをなくし、ひとは不安を顔に浮かべて荷造りを始める。その様子はいかにも慣れているという雰囲気で、決して恐慌状態に陥ったりはしない。高齢者ほど落ち着いている。
 一日か二日のうちに力はより強く感じられるようになり、自分ではまっすぐ立っているつもりでも、実は前にのめっているという不思議な経験をすることになる。その時には国中が不穏な気配で満たされている。大気はひどく虚ろになり、話し声や荷造りの音が遠くまで届く。そして空は昼でも夜のように暗くなる。暗い赤みを帯びた雲が激しく渦巻くのを見ることもあるという。
 建物が傾いてくる頃には、荷造りはすっかり終わっている。女たちが荷造りを進めている間に、男たちは役所に出かけて番号札をもらってくる。その番号にしたがって、整然と脱出するのである。そのうちに路上に役人が姿を現わし、大声で番号を告げ始める。すると家財道具を満載した荷車が馬や牛に牽かれて、時には人間に牽かれて動き始める。興奮して叫びを上げるこどもがいれば、唇を噛み締めて家を振り返る女がいる。老人は荷車の荷物の上にいて、皺に埋もれた両の目でどことも知れない彼方を見据える。荷車の後には家畜の群れがどこまでも続いた。無数の足や車輪が砂塵を起こし、町は砂埃に覆われていく。その淡い灰色の帳の下で、いくつもの建物がてんでに傾いて沈んでいく。町が溶けていくように見えるという。最後まで残ることはできない。陽が暮れるまでに町を離れ、翌朝、戻ってくるとそこは荒野に変わっている。
 それから一年の間、その国の人々は放浪して日を送る。国を離れて天幕に集い、共同の場所で食べては眠った。いられるだけの間はそこで暮らし、立ち退きを迫られるとただちに荷をまとめて旅立った。時には相当な遠方まで旅をした。古老の中には海を見た者があり、外国の習慣に詳しい者がいた。中には集団から離れて山にこもる者、あるいは物乞いとなって諸国をめぐる者もあったという。 外国の親戚に身を寄せる者もあったようだ。その一年の間に死ぬ者がいれば、生まれる者もいた。旅の間に死んだ者は、家族か、家族がいなければ国を同じくする者が遺体を保管した。よく燻して水気を抜いて、必ず祖国へ持ち帰った。
 一年が経とうとする頃、その国の人々は祖国を目指して戻り始める。戻ってきても、そこにはただ荒涼とした土地が広がっている。その土地に巨大な天幕を張り、天幕の下にひとを集めて戻った者の数を確かめ、死んだ者と生まれた者の名を確かめる。それから全員で家畜の数を調べ、 家畜の中から牛を選って一か所にまとめる。まとめた中からもっとも美しい雄牛を選び、その持ち主に金を払った。一年の間に髪を上げた少女たちが牛の首に鈴をつけ、牛の角を花で飾る。その間に子のある男たちが大地に大きな竪穴を掘り、若者組の男たちが穴の底へと下る板を渡した。そして女たちがその板を渡って、穴の中央に五色に塗った棒を立てる。
 国中のひとが穴を囲んで歌を歌った。まず旅の間に死んだ者が、穴の底に横たえられた。寿命が尽きて死んだ者がいれば、不運によって死んだ者もいた。並べられた遺体の上には穀物の種が幾重にも播かれた。続いて少女たちが牛を牽いて穴へ入り、五色の棒に引き綱をかける。少女たちが牛を残して穴から出ると、ただちに渡り板がはずされた。こどもたちが前へ進み、牛に花を投げかける。歌声が高まる中で、男も女も声を震わせながら身を屈め、それぞれの右手で土くれを掴み、穴の中へ投げ込んでいく。脅えた牛が首を振った。牛の腹は早くも土をこすり、やがて土の高さは肩に達する。歌声が続く中、死者と牛は大地にゆっくりと埋もれていく。穿たれた穴が消える時、人々は足元から天空に向かって、何かが駆け抜けていくのを等しく感じる。大地が鳴動を始め、あちらこちらで地面が割れて土がこぼれる。人々は手をつなぎ、身を寄せあって一切を見る。地下から家々が現われ、木々が顔を出す。家は埃を落として立ち上がり、樹木は土を飛ばして背を伸ばした。畑が戻り、池が戻り、すべてを結ぶ道が戻った。
 見ていた者は歓声を上げ、荷を取ってそれぞれの家へと駆け戻る。大地の汚れを洗い落とし、そこで再び生活を始める。消滅の日が次にいつやってくるのかは、誰も知らない。だが、消滅の後には必ず再生の日が訪れると、その国の人々は信じていた。



死後の評判


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところが世の中には地図の裏や案内書の行間を読む技術に長けたひとがいて、そうしたひとは誰にも知られていない国の場所を目敏く見つけて、いつの間にかその地を訪れているのである。
 それは不明の場所にある無名の国であったが、外界においてもそうであるのと同様に、その国の人々にとってもまた不明の場所にある無名の国なのであった。他国との交流を持つことがなかったので地理上の位置関係を気にかける必要がなかったし、同じ理由から国に名前を与えたり、国の名前や国土に精神的な意味を与えて国威を発揚する必要も感じなかった。そうした余計な気苦労から解放されていたので、その国の人々は余った力を個人の評判に振り向けることができた。実際のところ、自分の評判が気になってならなかったし、他人がいかなる評判を得るかも心を悩ます問題となった。自分の評判は上げなければならなかったし、他人の評判は下げなければならなかった。そうしなければならなかったのは相対主義が蔓延していたからであり、だから評判の総量は決められていて、それをいかに配分するかが最大の懸案なのであった。
 もっとも多くの評判を勝ち得た者は、評判持ちと呼ばれた。そして多くの評判持ちは評判を得た人間の常として評判の不滅を望み、自らの評判を死後の世界に持ち去ろうと考えた。そのために巨大な墓所を造り、そこに保有する評判の量を記したのである。一方、残された者は手段を選ばずに死者から評判を奪おうとした。評判の総量は定められていたからであり、一部があの世に持ち去られれば、必然的にこの世の評判は減ることになったからである。
 葬儀そのものはしめやかにおこなわれたが、後にはいつも見苦しい光景が展開した。葬儀に参列した遺族や故人の友人知人、さらにはたまたま近くを通りかかった者までが口々に故人を罵り、その評判を貶めたからである。いかに墓所が巨大であっても、そこに記された評判の量が膨大であっても、現世における現状が優先されるとの原則があった。この原則によって死者の評判は速やかに落とされ、地上に残された者たちは評判を上げた。これが千年も続いてきた習慣であった。変わることは決してないと信じられていたが、ある時、恐るべき事件が起こってその国の人々を震撼させた。
 とある評判持ちが死に、例によって葬儀の後には評判落としの儀式がおこなわれた。これによって故人の評判は地に墮ちたものと、誰もが信じた。ところがいくらもしないで、故人の評判がまったく変わっていないことに気がついたのである。遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちは事実を知って慌てふためいた。それでは残された者の評判はどうなるのか。地上の評判はあの世に持ち去られてしまったのか。慌てているうちに新たな事実も判明した。なぜだかわからないものの、故人の評判が生前よりも上がっているようなのであった。それと同時に遺族や友人知人、たまたま通りかかった者たちの評判は、どうやら下がっているようなのであった。だが全員が同じように下がっていたのではなく、ひどく下がった者もいれば少し下がった者もいたし、中にはまったく下がっていない者もいた。残された者の間に疑心がはびこり、競って互いを罵ったので、まったく下がっていなかった者も次第に評判を落としていった。
 さて、遺族の中には一人の賢明な青年がいて、墓所を見張っていれば何かしらの真相を掴めるのではないかと考えた。そして考えたとおりに見張っていると、案の定、現われたのである。夜半を過ぎた頃、墓所から亡霊が姿を現わした。左右の様子をしきりとうかがいながら顔を出し、物音を聞くと物陰に隠れ、ひとの目を忍んで評判をかばい、物陰から物陰へと伝って町の中へ入っていった。青年もまた左右の様子をうかがいながら後を追った。亡霊は一軒の家にもぐり込み、そこは故人の知人の家であったが、間もなくまた姿を現わすと別の家へ近づいていった。そこは青年の家であった。亡霊が家にもぐり込んでいくので、青年は後を追って家に入った。中では家族がそろって床に就いている。亡霊は青年の父親の上に身を屈めていた。首筋に口を近づけ、尖った牙を剥き出しにしていた。これを見て青年は理解した。なんと亡霊は、方法こそは定かではないが、遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちから評判を吸い取っていたのであった。青年は大声を出して家族を起こし、全員で取り囲んで亡霊を罵った。亡霊は罵倒に負けて評判を落とし、残された者は朝を待って墓所の入り口を封印した。出入り口以外の場所から出入りすれば、評判を落とすのは必定とされていたからである。
 亡霊が落とした評判は青年が拾い、その後も賢明さによって多大の評判を獲得すると、死に先立って大きな墓所を建立した。



彗星の季節


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。国の名前すらも伝わっていないが、多くの者が遠くから見て知っていた。
 その国は高い山の上にあった。針のように尖った山の頂きのすぐ下に、まるで小石を積むようにして小さな家々を積み上げていた。空中にはみ出している家もいくらかあって、いつ崩れ落ちても不思議がないような危うさを感じさせたが、日々の観察を続けた者は、崩れたことは一度もないと伝えている。天気がよくて空気がよく澄んだ日には、山上で動き回るひとの姿を見ることができた。先を針のように尖らせたつばひろの帽子をかぶった人影が、白い壁を伝い、黒い屋根を伝い、曲芸のようにあちらからこちらへと飛び跳ねる様子には誰もが驚嘆したという。
 多くの者が見て知っていたが、そこまで訪ねていった者は一人もなかった。道が通じていなかったからである。仮にあったとしてほとんど垂直の道になったし、切り立った山肌はところどころでえぐれていた。だから多くの者が、山を見上げて疑問を抱いた。
 あそこにいるあの人々は、どのようにしてあそこに行き着いたのか?
 またどのようにして家を建て、いったい何を糧に暮らしているのか?
 山に暮らす人々が、地上に降りてきたことは一度もない。疑問はいつまでも疑問にとどまり、たまに膨らむ空想だけが疑問にわずかな手がかりを与えた。
 魔法使いの国だと言う者がいた。空からやってきた人々だと言う者もいた。雲を食べているのだと考えた者もいたし、見下ろすことが好きなのだと考えた者もいた。だが見上げて観察している限りでは、山の人々はいつも忙しそうに働いていて、地上を見ている暇などありそうもなかった。
 わかっていることは一つしかない。
 年に一度、月のない五月の晩に、小さな彗星が群れをなして現われた。きらめく光のしずくを後にしたがえ、光の帯を幾重にも重ね、数えきれないほどの彗星が空を横切り、山を目指して飛んでいった。群れが近づくにつれて山の上は昼のように明るくなり、つばひろの帽子をかぶった人々は夜を背にして影を並べ、尖った山の頂きに登った。そして針のような場所に鈴なりとなって、腕を大きく広げて彗星を迎えた。光を散らす小天体は輝く弧を描いて山をまわり、自在に駆けめぐっていくつもの弧を重ね合わせた。時にはひとの姿を背に乗せて、空をめぐってまた戻った。山の頂きは光に埋もれ、光の影がまばゆく輝く大きな玉を空に描いた。風があれば、山の人々の喜びが声となってかすかに聞こえた。小彗星は明け方近くまで山をめぐり、やがて空の彼方へと飛び去っていった。最後の彗星が夜空に去ると山の上には闇が戻り、山の人々の姿を包み隠した。
 彗星の群れが現われる晩には、多くの者が山を見上げた。そうするものだと親が子に伝え、子はその子に伝えて多くの者が世代を重ねた。五月の晩の彗星は、永遠不変だと多くの者が信じていた。
 だがある年、彗星が姿を現わさなかった。そしてその翌年も、その次の年も、彗星はやってこなかった。遠目に見る山の人々の生活に、格別の変化を見た者はない。続く年にも彗星の来訪はなく、地上で暮らす人々は五月の晩のことを忘れ始めた。彗星が消えて四年目になり、目のよい者が空気の澄んだよく晴れた日に、山の人々が腕組みをしてうなだれているのを目撃した。
 そして五年目が訪れ、月のない五月の晩がやってきた。多くの者は家に残り、わずかな者が山を見上げていた。そのうちに空の一点に光が現われた。光はすぐに大きくなり、たった一つの巨大な彗星となり、長大な尾を引いて山を目指して進んでいった。彗星の光が山を照らし、頂きに群がる山の人々の姿を浮き上がらせた。見上げていた者たちは恐怖を覚えた。彗星はあまりにも大きかった。まばゆい光は凶暴に見えた。山に激突するのではないかと考えた。山の上ではつばひろ帽子の人々が、腕を大きく広げて彗星を迎えた。
 彗星は山にぶつからなかった。わずかにかすめるようにして、一直線に飛び去っていった。山をめぐることもしなければ、山の頂きを光で包むこともしなかった。
 陽が昇った後、目のよい者が山を見上げた。よく晴れた日で、空気は澄みきっていた。針のように尖った山の頂きのすぐ下では、小さな家々が積み上げた小石のように重なっていた。いつもどおりならば小さな家から小さな家へと、白い壁を伝い黒い屋根を伝い、針のように先を尖らせたつばひろの帽子の人々が曲芸師のように飛び跳ねていくのが見えるはずだった。ところが見える人影は一つもない。日を改めて見上げても、山の人々の姿はどこにもなかった。首を傾げてまた日を改め、晴れの日を待って見上げることを繰り返したが、山の人々の姿を再び見ることは遂になかった。見上げていた者たちは疑問を抱いた。
 あそこにいたあの人々はどこへ消えてしまったのか?
 何があったのか? 人々はいつかは戻ってくるのか?
 答えを与える者はどこにもない。疑問はいつまでも疑問にとどまり、たまに膨らむ空想だけが疑問にわずかな手がかりを与えた。




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