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王子の問題


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。街道からはずれ、歴史とその喧騒から遠く離れ、静謐に沈んで聞こえてくるのは虫の音くらいという国であったが、民は平和を尊んでよく働き、畑はよく手入れされて稔りをもたらし、森には実をよく稔らせた木々が立ち並び、牛はよく乳を出し豚はよく子を産み、どの家の煙突からも調理の煙が日に二度は上がった。王がよく治めていたのである。
 若くして即位した王は長らく独り身を通していたが、ある時、隣国から王妃を迎えた。王は王妃と森で出会い、死んだように眠っている王妃を接吻で目覚めさせたのだという。王妃は快活な性格と親しみやすい美貌の持ち主で、たちまちのうちにその国の民を魅了した。盛大な結婚式がおこなわれ、国に住むすべての者を招いて宴会が開かれ、それから一年の後には玉のような男の子が誕生した。王と王妃は幸福を味わい、民は王と王妃に祝福を与えた。またしても宴会が開かれ、国に住むすべての者が招かれたが、その宴会の席上で恐ろしい予言がおこなわれた。
 王の城の大広間で王と王妃は椅子を並べ、王は王妃の肩を抱き、王妃は腕に王子を抱いて、祝福に訪れる領民の一人ひとりにねぎらいの言葉をかけていた。同じ広間には長大な食卓が端から端まで列を作り、そのどれもがはみ出すほどに酒と料理を載せていた。食卓の一つひとつは好みに応じて酒や料理がよく吟味され、一つは酒飲みのために、また一つは甘党の大食漢のために、別の一つは菜食主義者のためにという具合に見事に整えられていたが、これは誰もが宴会を楽しめるようにという王と王妃の心遣いであった。祝福を終えた者は好みの場所に席を見つけて飲食に励んだ。会話がにぎやかに交わされ、楽士たちが音楽を披露し、芸人たちは絶妙の技を互いに競い、冗談と笑いの合間には多くの者が玉座に向かって杯を掲げ、さらなる幸福を祈って乾杯を叫んだ。王と王妃と王子を称える即席の歌が作られ、皆で声をあわせて歌を歌い、中には踊り始める者もいて、誰もが宴会を楽しんで満足しない者は一人もない。
 ところが宴たけなわという頃、地の底から響くような轟音が城を揺るがせ、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。女たちの悲鳴が上がった。激しい風は広間を舞って酔漢たちから杯を奪い、すでに不覚となっていた者を床に転がした。すべての視線が入り口に集まり、そこへ溢れるような黒い影をまとって現われたのは森の奥に住む魔女であった。魔女は黒い頭巾の下に顔を隠し、醜い鼻を王に向けてこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の十六歳の誕生日には、せいぜい紡ぎ車に気をつけるがよい」
 魔女が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。ところが再び城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。舞い込んできた風で杯がひっくり返ることはなかったが、不覚となっていた者はそのまま床を転がった。すべての視線が入り口に集まり、そこへ硫黄の臭いとともに現われたのは洞窟に棲む竜であった。竜は鼻から煙を吐き出しながら、王に向かってこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の八歳の誕生日には、せいぜい鞭に気をつけるがよい」
 竜が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。するとまたしても城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへさらなる風を巻き起こして現われたのは谷底に棲む怪鳥であった。怪鳥は褐色のくちばしを王に向けて、このように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の四歳の誕生日には、せいぜい壁に気をつけるがよい」
 怪鳥が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。それと同時に大音響が辺りに轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへ思わず顔を背けるような悪臭とともに現われた影は、一つではなく二つでもなく、徒党を組んだ屍肉喰らいの集団であった。そのうちの一人が醜い顔を王に向け、尖った牙を隠しもしないでこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の二歳の誕生日には、せいぜい上げ蓋に気をつけるがよい」
 屍肉喰らいどもが呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。だがまたしても大音響が城を揺らし、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへ床を爪で蹴って現われたのは翼を持つ黒い犬であった。黒い犬は濡れた鼻を王に向けて何かをしきりと吠え立てたが、あいにくと人間の言葉ではなかったので誰にも理解することができなかった。
 黒い犬が立ち去ると宴会はそのままお開きになり、領民たちは蒼白となった顔を並べてそれぞれの家へ帰っていった。王と王妃は王子を連れて寝室に戻り、そこで夜が明けるまで非難の応酬を繰り返した。一説によれば王は意図して魔女と竜と怪鳥と屍肉喰らいと黒い犬を招待からはずし、王妃はそのことで事前の警告をしていたという。それからというもの王と王妃は不仲になり、王子の方はいずれ呪いを受けてどうにかなるという理屈から両親の愛を失った。
 王子は一歳になるまで四つ足で過ごした。二歳になった時には歩くことを覚えていたが、見守る者もないまま城の中をさまよって上げ蓋の隙間から転落した。四歳でようやく話すことを覚えたが、そのことに誰も気づかなかったのは王子が壁に向かって喋ってばかりいたからである。八歳になった時には家庭教師が遠方から雇われた。この家庭教師は選んだように意地悪な男で何かと言えば鞭をふるい、王子の孤独な世界に暗い影を刻んでいった。十六歳の誕生日を迎えた日、王子は城の塔に一人で登り、その一室に入って古い紡ぎ車をじっと見つめた。それからゆっくり手を差し出して、指先で紡ぎ車の針に触れた。そして痛みを感じると同時に、王子は巨大なアオガエルになっていた。
 王子は目を閉じて喉を鳴らした。しばらくしてから窓を開け、外へ出ると巧みに吸盤を使って壁伝いに下りていった。中庭へ降りてきたところで女たちの悲鳴を聞いた。厨房から飛び出してきた若者が王子の背中にリンゴをぶつけた。王子は再び喉を鳴らし、着実な跳躍を続けて城を後にした。左右に悲鳴を聞きながら町を抜け、やがて川辺に達すると川の流れに身を躍らせた。以来、王子の姿を目にした者はないという。
 王子が失踪した後も、王と王妃の仲は戻らなかった。どちらもひどく心を澱ませて民を思う気持ちを失ったので、やがて国は傾いて地上から消えた。



観察の作法


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 それというのも当時は有象無象の国々が次から次へと現われたり消えたりしていたからで、地図製作者も旅行記作者もよほどのことがない限り小国のためには腰を上げようとしなかったのである。噂を頼りに苦労して訪ねてみればもうなくなっていた、などということはよくあったし、まだあったとしてもまともとは言えないことが多かった。住民が一丸となって追い剥ぎ稼業に精を出していた、などというのはまだよい方で、悪くすれば殺されたし、うっかりすれば食べられてしまった。奇怪な風習を盾に婿入りを強要されて戻れなくなる者も中にはいたし、呪いのついた花嫁を押しつけられて送り返されてくる者もいた。もちろん小さな国の全部が全部そうだったわけではない。善良な人々が真面目に働いているまともな国もあったのだが、決して多くはなかったし、少ないという見解の方が多かった。というわけで、その国のことについてもあまりよい話は残されていない。
 ある時、一人の旅人が街道の分岐点で選択を誤り、次の分岐でも間違えて森の奥へと曲がりくねる寂しい道へ入っていった。左右には鬱蒼と樹木が繁り、頭上には葉が幾重にも重なって太陽の光を遮っていた。薄暗い森の中には動きと呼べる動きはなく、風がわずかにそよぐ音と、鳥のさえずる声がたまに聞こえる。
 旅人は道を間違えたことに気がつかぬまま歩みを続け、かなりの距離を進んだところで休憩を取ることにした。ちょうど昼食の時刻であった。木の根元に腰を下ろして水筒の水で喉を湿し、背嚢を下ろして中から弁当を取り出した。格別の感動もない様子で食べ物を黙々と口に運び、そうしながら前夜の宿の女将のことを頭の中で反芻していた。何をどのように反芻していたのかは定かではないが、ここはこう書くことになっているのである。
 さて、食べる以外にはすることがなかったので、目は自然と森の中へさまよっていった。どこというわけでもなく、ここというわけでもなく、ただ漫然と視線を漂わせていたのだが、そろそろ弁当を食べ終えようという頃、妙な気配を不意に感じた。見張られているような気がしたのである。危険を感じて、すばやく左右の様子をうかがった。そうしながら弁当の残りを背嚢にしまい、背嚢の背負い紐を肩にかけた。そして立ち上がろうとしたところで、怪しい気配の源を見つけた。すぐ目と鼻の先に灌木の茂みがある。その茂みの痩せた枝と枝の間から、望遠鏡の筒先が飛び出していたのだ。
 レンズは旅人を凝視していた。旅人はレンズをにらんだまま、腰を落とした。望遠鏡の先端が旅人の動作を追って静かに揺れた。指先で地面を探って大粒の石を拾い、それを手の中に隠してまた立ち上がった。レンズを見据えて相手の出方を待ったが動きがない。石を投げた。石が放物線を描いて茂みの中へ飛び込んでいった。と同時に痛みを叫ぶ声が聞こえた。望遠鏡が引っ込んで、代わって茂みの陰から一人の男が立ち上がった。薄茶の長い外套に身を包み、小さなひさしのついた薄茶色の帽子をかぶっている。男はこめかみのあたりを手で押さえ、旅人に背を向けると森の奥へと走り去った。
 旅人はいぶかりながら先を急いだ。追い剥ぎでも人殺しでもなさそうだったが、何者であったにしてもとにかく気味が悪かった。森から出ようという一心で曲がりくねった道をたどり、陽が暮れかかった頃に森を抜けた。道に沿ってさらに進むと先に小さな町があり、救われた思いで近づいていったが、すぐに不安を感じて足を止めた。
 路上には住民の姿があり、そのどれもが薄茶色の外套を身にまとい、薄茶色の帽子をかぶっていた。多くは望遠鏡を携えていて、中には旅人に気づいて筒先を向ける者がいる。旅人に与えられた道はわずかに一本であり、森で夜を迎えるという選択は論外であった。少なくとも害意はなさそうに見える。旅人はそう判断して町へ入った。住民は旅人に道を譲り、道の端まで退いて望遠鏡を旅人に向けた。窓の隅では夕陽を受けてレンズが光り、開いた扉の隙間には上から下へとレンズが並んだ。誰もが旅人の挙動を監視していた。
 宿屋とおぼしき店を見つけた。一階が食堂になっていて、旅人はその一角に席を見つけて腰を下ろした。頼んでもいないのに次々と料理が運ばれてくる。値段のことが気になって主人とおぼしき男に声をかけたが、相手はまるで取りあわない。単音節だけで構成された鳥の鳴き声のような言葉に手真似を加え、食べるようにと促すだけだった。そこで旅人は食べ始めたが、まわりの様子が気になってどうにも食が進まない。薄茶色の外套を着た男女が壁に沿ってずらりと並び、望遠鏡の筒先をずらりと並べて旅人を観察していたからである。旅人は食べるのをやめたが、それでも料理が運ばれてきた。旅人は置かれた皿を押しやって、一夜の宿を求めるために主人とおぼしき男に声をかけた。またしても鳥のさえずりが返ってくるので、旅人の方でも音を真似て声を出してみた。囁きがせわしく壁沿いに走った。立ち並んでいる連中が嬉しそうに顔を見合わせ、小声で言葉を交わしている。ところが交わされている言葉は鳥の鳴き声とはまるで異なっていた。それは旅人に覚えのある言葉で、ただしかなりの訛りが加わっている。記憶を頼りにその言葉を使ってみると、意味不明のさえずりが返ってくる。言葉で意思を通じあうつもりがないらしい。二階を指差して、眠りたいのだと手真似で訴えた。すると主人は特大の望遠鏡を持ち出してきて、まわりの者に由来を説明しながらその筒先を旅人に向けた。
 旅人は選択を迫られていた。憮然として立ち上がり、町を出て野宿するか、憮然として立ち上がり、勝手に二階の部屋を使うか。後者を選んで立ち上がり、荷物を肩に階段を上った。止めようとする者はいない。振り向きはしなかったが、無数の望遠鏡が狙っているのは見なくてもわかった。
 適当な部屋を選んで中へ入った。扉には椅子の背をあてがって入り口を塞ぎ、鎧戸を閉めて窓を塞いだ。理由はわからなくてもやり口はわかっていたので、まず壁を調べた。見つけた穴をぼろ切れで塞ぎ、次に這いつくばって床を調べた。床にも二三の穴があり、その大きさは住民の望遠鏡にぴったりであった。寝台の下も調べて心安らかに床に就き、朝を迎えてから天井を調べていなかったことに気がついた。見上げるとそこにも大きな穴が開いていて、穴の向こうでは望遠鏡を構えた者たちが互いを肩で押しあっていた。
 旅人は荷物をまとめて部屋を出た。一階に下りて観察されながら朝食を摂り、支払いをしようと声をかけるとまた鳥の鳴き声を聞かされた。宿屋から出ると路上には望遠鏡の列があった。前へ進むと望遠鏡の列が一斉に下がった。旅人は町を後にした。町を出て、しばらくしてから足を止めた。振り返って町を見ると、そこには光の洪水があった。無数のレンズが朝日を浴びてきらめいていたのだ。
 あまりのまぶしさに旅人は顔を背けた。再び道を前に進み、苦労の末に正しい道を探りあてた。それから仕事を終えて故郷に戻り、奇妙な体験を隣人に伝えた。旅人が再びこの地を訪れることはなかったが、晩年になってある噂を耳にした。同様に道を誤った者がその国を訪れ、腕や脚を掴まれてひどく手痛く観察されたという。
「そんなことは、わたしの時には一度もなかった」
 老人はそう言ったと伝えられている。



禁断の惑星


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも道は通じていたので旅人の往来があり、旅人はその国での見聞を自分の国へ持ち帰った。そうして伝えられた知識によれば、その国を治めた代々の王には、いつも何かしらの問題があった。暗愚、妄動、猜疑、愛欲などである。代々の王はそれぞれの問題によって心を悩ませ、ただし問題そのものには決して自覚を持つことがなかったとも伝えられている。
 さて、その国の王が猜疑によって心を悩ませていた時代のこと、王妃の腹から王子が生まれた。そこで王はまず王子の種について疑いを抱き、次に王子の未来について疑った。どのような疑いであったかは知る由もないが、どちらかと言えば疑いを深める意図で予言者が招かれ、招かれた予言者は香を焚いたり骨を投げたりした上で、一つの確約と一つの予言を王に与えた。すなわち第一の疑いには間違いないという確約が渡され、第二の疑いには王は王子の手で王位を追われるという恐るべき予言をおこなった。
 王はまず確約に対して疑いを抱き、それはいかなる意味かと予言者にたずねた。王は予言者の口から、後世の解釈を待たれよという返答を得た。次に王は予言に対して確信を抱き、自らの手を汚さずに王子を亡き者とする最良の方法を求めて思案を始めた。猜疑に心を悩ませる者は、猜疑によって時を費やす。思案をしている間にも王子は着実に成長を続け、ようやく王が結論に達した時にはすでに立派な若者となっていた。そして王は王子を傍らに呼び、危険な使命を与えたのである。
 それは禁断の惑星を訪れて、失われた古代文明の遺物を持ち帰るという使命であった。王子はまず名高い船大工を呼んで船を造らせ、次に競技会を開いて屈強の者たちを乗り組みに選んだ。間もなく最高の船が完成すると、王子は配下とともに乗り込んで禁断の惑星へと旅立っていった。
 禁断の惑星では、王子とその一行を一人の娘がにこやかに迎えた。無人の地と聞かされていた王子は美しい娘の姿に驚きかつ喜び、娘の話を聞いてまた驚いた。娘には博士の父親がいて、博士はその地で失われた古代文明の研究に取り組んでいた。遺物についても詳しいという。住んでいるのは二人だけかとたずねると、娘は即座にうなずいた。従僕を数に数える習慣はまだなかったからである。
 王子とその一行は娘の案内で博士を訪ねた。博士は愛想よく一行を迎え、それから失われた古代文明の偉大を称えた。続いて現代文明の貧困をけなしながら、古代文明の遺物をいくつか披露した。高度に発達した文明の奇跡の数々に、驚嘆しない者は一人もない。博士は一行に食事をふるまい、食事の後で王子とその一行は船に戻った。戻る道を娘が送り、王子は娘に感情を抱いた。
 やがて夜の帳が船を覆い、王子とその一行は不寝番を残してそれぞれの寝床に横たわった。夜半が過ぎた頃に不寝番が絶叫を放ち、皆は一斉に飛び起きて得物を掴んで走り始めた。松明を灯して不寝番の姿を探し求め、いくらもしないで無残な姿を探し当てた。ねじれた遺骸のまわりには、いくつものおぞましい足跡が残されていた。
 王子は夜明けを待って博士を訪ね、怪物の襲来を報告した。博士はただ首を横に振りながら、すぐにも旅立つようにと王子に勧めた。王子が同行を求めると、博士はまたしても首を振った。博士と娘は安全であるという。怪物の正体をたずねると、自分は何も知らないという返答があった。王子は博士に不審の念を抱いて船に戻り、戻る道を娘が送ると王子は娘に感情を抱いた。
 再び夜の帳が船を覆い、王子とその一行は全員が不寝番となってまだ見ぬ敵の襲来に備えた。そして夜半が過ぎた頃、それは現われた。
 子細は省くが、それは見えない怪物であった。見ることはできなかったが実体はあり、点々と足跡を残しながら下働きの者から屠っていった。王子は博士の不在を狙って古代文明の遺跡を調べ、難なく怪物の正体を解き明かす。博士は文明の遺物を利用して、その歪んだ心を実体化させていたのであった。
 恐れを感じた王子は博士から娘を奪って船を出し、国へ戻って王を弑した。猜疑に取り憑かれた王が、王子に新たな使命を与えようとしたからである。王子は王となって博士の娘を妃としたが、妃が二児をもうけた後は夫婦の寝室を顧みようとしなくなった。王子は王となることで愛欲の虜となり、新たな妃を他国に求めた。妃は嫉妬のほむらを燃やし、その腹から産み落とした二児を炎に与えた。それから見えない何かにまたがって空の彼方へと去っていったが、古代文明が残したその奇跡の技に驚嘆しない者は一人もなかったと伝えられる。



掘削の技術


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だから国境を接するいくつかの国が、地図上の不在を理由に領有権を主張したことがあるという。国境線を確定するための交渉が繰り返されたが、その国の代表が交渉の席に招かれることは遂になかった。地図にないような国に主権があるとは、誰も考えなかったからである。
 交渉は決裂し、最後まで主張を譲ろうとしなかった二つの国が軍を進めた。両軍の目的は、先にその国を占領して領有の既成事実を得ることにあった。どちらの軍勢も荒涼とした山岳地帯に侵入し、地図にない場所を捜し求めて彷徨を続けた。競争相手と遭遇すれば進路を塞いで攻撃を加え、そうしているうちに退路を塞がれて損害を受けた。勝敗は五分と五分で決着はなく、本国には戦闘報告ばかりが送られていく。時間の経過とともに損害が積み上げられ、出費は予定の数倍に達した。だが問題の国はいっこうに見つからない。頼みの既成事実を得られないまま、支出と死者ばかりが増えていった。
 泥沼を見るに見かねた第三国が仲裁に乗り出し、説得を受けて両国は和解の場に同席し、地図上の不在の場所はまさにその理由によって不在であるという共同宣言を採択して双方の軍隊を引き揚げた。一方では原因の究明を求める声が上がった。そこへ三人の賢者が東方から訪れ、事情をたずねると一人がうなずいてこう指摘した。
「問題の国を交渉の場に招いていれば、悲劇は起こらなかったであろう」
 そうしておけば帰国するときに跡をつけることができたという意味であったが、多くの者は言葉を文字どおりに聞いて国際関係における主権の平等を痛感した。だが二人目の賢者は炯眼によって第一の賢者の意図を見抜き、鋭い口調でこのように言った。
「見つからない相手にいかにして招待状を送るのか?」
 この発言は別の論議を呼び、その論議から名高い論理学の命題が生まれることになる。一人目と二人目の賢者はそれぞれの分野で歴史に名を残し、三人目の賢者は凡庸な発言を残して歴史に埋もれた。
「なぜ見つけることができないのか?」
 それは、隠れていたからである。
 山岳地帯に位置していたその国では、伝統で培った掘削の技術を活用して山をくりぬき、そこに国土を隠していた。天然の洞窟を大きく掘り広げて広大な生活空間を獲得し、町を作り、学校を作り、頭上にのしかかる巨大な岩盤に小穴を開けて山の頂上から光を導き、その光の下で畑を耕し、牧場を営んで牛を飼っていた。
 最初はただ平地の不足を補うためであったが、ある時たまたまその国を訪れた旅行者の一言がその国の人々を意固地にさせ、平地にあった一切を放棄させてことごとくを洞窟の奥へしまい込むように仕向けたという。それがいかなる一言であったかは伝わっていないが、察するに心ない一言だったのであろう。以来、その国の人々は洞窟の入り口を塞いで外国との交渉を絶つようになった。
 外国との交渉を絶ったことで、その小さな国は長い期間を生き延びた。外からはまったく見ることができなかったが、中ではよく繁栄し、住民は健康で文化的な生活を送っていた。とはいえ、何も問題がなかったわけではない。
 まず人口の問題があった。豊かさを実感するようになった段階で人口の増加が始まり、そうして生まれてきた世代が新たな世代を生み出して増加の速度に拍車をかけた。何度も人口抑制策が導入されたが、いずれも期待したほどの効果を上げていない。なにしろ洞窟の中での生活なので、いかに文化的とは言っても娯楽は乏しかったのであろう。人口の増加はやがて雇用に影響を与え、失業者の増大をもたらした。家を得られない家族が出現し、洞窟の通路に住むようになった。
 次に領土の問題があった。領土の拡張はもっぱら掘削に頼っていたが、ある段階を越えたあたりから、頭上にのしかかる巨大な岩盤の重みを気にする者が増えていった。長年にわたって掘り広げてきたにもかかわらず頭上に巨大な岩盤が残っていたということは、掘削が歴史的に低きに向かっておこなわれていたことを意味している。岩盤の巨大な重量を支えるには洞窟の壁は脆弱に過ぎるという試算が提出されると、対策として岩盤自体に大穴を穿って重量を軽減し、かつ大規模な開発用地を取得するという一石二鳥の計画が作られた。計画が実施されると山が不気味な鳴動を始め、その国の人々にかつてない種類の恐慌をもたらした。そしてただちにおこなわれた調査によって、掘削が山に危険きわまりない共振現象をもたらしていたことが明らかになった。そこで掘削そのものが全般的に、かつ期限を定めずに禁止されたが、領土の拡張はもっぱら掘削に頼っていたのである。やがて土地が不足し、家を得られない家族が出現し、洞窟の通路に住むようになった。
 気がついた時には家も職も持たない人々がそこら中の洞窟に溢れ、治安が著しく悪化していた。対立が始まり、双方に扇動家が出現し、流言飛語が飛び交った。暴動への警戒が強化され、雇用対策が検討された。公共事業の告示があり、入札がおこなわれ、そして不正が暴かれた。対策は後手に回っていた。そうしている間に腕に覚えのある者たちが、勝手に穴を広げ始めた。それを見たまわりの者たちも、一斉に穴を掘り始めた。掘削は完全な国営事業とされていたが、もはや誰にも流れを止めることはできなかった。
 どの段階で何が起こったのかは知られていない。とにかく最後に山が潰れた。



賢者の方法


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ないにも等しい国ではあったが、当時としては珍しく国としての体裁を整えていた。たった一つの町には国を代表する機関が置かれ、機関の下には選挙で選ばれた議会があり、若干の法律すらも定めていた。山ほどもあった小国の中では、政治組織の整備の点で先進的な地位を占めていたことになる。とはいえ、何も問題がなかったわけではない。
 たとえば代表機関の委員は、代表機関の委員の中から選ばれていた。世代交代が進まないので機関は不正の温床となった。議会の議員は選挙民から選ばれていたが、議員を選ぶ選挙民は議会によって選ばれていた。選抜には意図が介在し、意図には金銭の授受がともなったので議会も不正の温床となった。
 代表機関の委員と議会の議員には生活の保証が与えられていた。保証の程度は庶民感覚に照らして過分であり、保証の範囲は該当者の家族にも及んだことから、庶民感覚の中でも特筆すべきあの感覚、つまり不公平感を助長した。
 おそらく最大の問題は、豊かになるための安易な道筋を示したことにあるのだろう。政治家を目指すのが流行となり、畑を耕すのは時代遅れだと考える者が増えていった。数を頼みとする者たちは選挙権の拡大を叫び、持たぬ者を煽って既得権の守護者たちを脅かした。小さかったはずのほころびは目にも明らかな裂け目となった。裂け目がなおも広がろうとするのを見た者は、民主主義に疑問を抱いた。
 改革を求める小さな声が、やがて大きな声となる。いかに大きくてもそれは単なる声であったが、多数を得るための手段となって重要政治課題に登場し、議会におけるすくみあいの結果として国の方針に昇格した。誰にも反対できなかったのである。改革のための模索が始まり、そこへ遠方からの噂が届けられた。似たような問題を抱えた国が、解決を賢者に委ねて改革を成功させたという。
 早速その賢者に宛てて速足の使者が送り出された。賢者は改革の全権を要求し、その国は条件を受け入れた。再び速足の使者が走り、賢者は招聘を応諾し、使者の前で旅の支度に取りかかった。使者は報せを国に運び、主立った者は国の入り口まで足を運び、そこで賢者を出迎えた。賢者は年老いてはいたが、からだは力に満たされ目は光に輝いていた。
 改革を急ごうとする者は、町までの道すがらに実情を説明しようと試みた。ところが口を開いた瞬間に賢者は手を振って黙らせた。改革を欺こうとする者は、その有様に失敗の前兆を見て喜んだ。
 道の半ばを進んだところで、賢者は不意に足を止めた。見れば前に二人の男の姿がある。一人は健康そうな若者で、もう一人は痴呆の症状を訴える老人であった。賢者は若者に向かってこうたずねた。
「あなたは何をする者か?」
 すると若者はこのように答えた。
「わたしは議員の息子をする者です」
「あなたが議員の息子なら、父親の議員はどこにいるのか?」
 若者は傍らの老人を指差した。賢者は老人の手を取って近くの崖の縁に導き、背中を押して谷底へ落とした。それから息子に顔を向けて、このように言った。
「あなたは議員の息子ではない。働きなさい」
 改革を急ごうとする者は賢者の方法を見て驚嘆した。単純で、効果があった。
 改革を欺こうとする者は賢者の方法を見て震撼した。単純で、危険があった。
 町へ着くまでに賢者はさらに三人の者を谷底へ送り、五人の者に労働を命じた。町に着くと国中の者を呼び集め、まず一か所にまとめてしまうと今度は年齢と性別に応じて分けていった。老女ばかりの集団もあり、乳飲み子ばかりの集団もあった。賢者は集団の一つひとつを順に広場へ呼び入れた。同じところをぐるぐると走らせ、早々と倒れた者は谷へ送り、走り通した者には剣を与えた。剣を与えられた者は半ばで倒れた者の監督となり、畑に立って鞭を振るった。強壮な者が生き残り、柔弱な者は滅んでいった。子は国の資産となって母親の手から取り上げられ、残忍な乳母の手によって淘汰の流れに放り込まれた。家族で住む家は取り壊され、皿を共有する者たちが一つの家に住むようになった。
 賢者の方法にしたがって、改革は速やかに進行した。代表機関は不正の温床ではなくなり、議会もまた不正の温床ではなくなった。代表機関の委員は残らず谷底で朽ち果てたし、議員は全員が畑で鞭を振るわれていた。もう十分に改革されたという気持ちが、どこかで芽生えた。自由を求める小さな声がどこかで上がった。やがてそれは大きな声になっていった。賢者は大きな声に耳を傾け、それから静かな声でこのように言った。
「まだ、自由を得るには至らない」
 すると大きな声がこうたずねた。
「では、どうすればよいのですか?」
 質問に答える代わりに、賢者は一つの標語を与えた。労働は人間を自由にする。この標語はすべての建物の入り口に飾られ、出入りする者は必ず目に留め、足を止めた。
 自由を求める声の後には、個性を求める声が聞こえた。その声も初めは小さかったが、次第に大きな声になっていった。
「働くことは厭いません」
「それでは足りない。働くことを愛さなくては」
「では、働くことを愛します。でも、全員が同じように愛することはできません。わたしたちには、個性というものがあるのですから。いえ、それだけはありません。個性によって向きも不向きもあるのです」
「言いたいことがあるならば、まず自由に向かって進むことだ」
「自由になれば、個性を認めるということですか?」
「自由になれば、個性など不要になるということだ」
「そのような自由は知りません」
「そのような自由でなければ、いったいどのような自由があると言う。あなたがたが求めているのは紛い物の自由でしかない。その本来の姿は悪徳であり、別の名前は放埒という。もう忘れてしまったのか。あなたがたは放埒に身を任せて国を乱し、わたしに助けを求めてやってきたのだ」
「それは、そのとおりです。でも、もう十分に反省しました」
「求めているのはあなたがたの反省ではない」
「では、いったい何を求めているのですか?」
「わたしは最善の国を求めている」
 さて、その国の人々はここに至って賢者の意図をようやく悟った。賢者の改革はどこかで終わるという種類のものではなく、最後まで進むという種類のものであった。賢者が描いた最善の国では、ひとは単独では存在しない。国をかたどる集団となって、常に一つのことを考え、たった一つの自由を共有し、一つの皿から食べるのである。だから悪徳もなければ犯罪もない。貧富もなければ美醜もない。個性は無用の長物で、それどころか顔を見分ける必要だってなさそうだ。生きている必要すら疑わしい。
 すでに改革で疲れていた人々は未来の姿に絶望し、遂に叛旗を翻した。賢者を捕えて国から追い出し、委員と議員を復活させた。反省を踏まえて自由と個性の調和に心を尽し、放埒を避けて礼節を守り、再び国が乱れることのないように第三者機関を設けて政治組織の監視を徹底した。幸いなことに、貪欲によって知られた者は谷や畑で滅んでいた。生き延びていたのはよく労働に耐える質朴な人々のみであった。ひとは互いに譲りあい、争いは驚くほど少なくなった。解決の方は賢者に委ね、改革の方は自力で成功させたのである。以来、その国は小さいながらもよく栄えた。




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