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アニシカ王


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが仮に載っていたとしても、その国を訪れるような物好きが果たしていたかどうかは疑わしい。王によって暴政がおこなわれていたからである。
 その国にはアニシカ王と呼ばれる王がいた。伝えられるところによれば、アニシカ王の統治の基盤はいささか脆弱であったので、国内における守りをかためるために湿地の奥の沼の上に城を造った。石造りの塔がひとつだけというひどく小さな城ではあったが、そこに至る道はなく、まわりは泥で、攻囲のための足場がない。難攻不落の城であった。
 アニシカ王は収入をまかなうために、年に一度、城から軍勢を送り出して各地で収奪をおこなった。盗賊とさして変わりのない軍勢が収穫の時期を狙って全国をまわり、脅迫や暴力を使って穀物や家畜、果物や鶏の卵を奪い取った。アニシカ王のほかに王を知らない人々は王とはそうするものだと考えてこの苦難に耐えていたが、あるとき、この国を訪れた旅人がこの様子を見て、これは暴政であると言ったことから考えを変え、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がわずかに傾いた。アニシカ王が塔の上に現れた。
 考えよう、と王は言った。
 王が考えた結果、やり方が変わった。アニシカ王の軍勢は各地をまわって収穫を強奪するかわりに人質を取って城に戻った。そして身柄を返還する代償として、収穫の一部を要求した。それまでに比べると、これはいくらかましであった。畑を荒らされたり、家畜小屋や鶏小屋を壊されたりすることがなくなった。ほかに例を知らない人々はこれでいくらかましになったと考えて喜んでいたが、あるとき、この国を訪れた旅人がこの様子を見て、これは暴政であると言ったことから考えを変え、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がわずかに傾いた。アニシカ王が塔の上に現れた。
 考えよう、と王は言った。
 王が考えた結果、やり方が変わった。大量かつ無差別に人質を取るのはやめて、かわりに各地の有力者を選んで人質を取った。これでかなりましになった。王の軍勢がいきなり戸を破って現われて、誰かをさらっていくことはなくなった。収穫を奪われることもなくなった。人々がかなりましになったと言って喜んでいると、そこへ地元の有力者が手勢を率いて現われて収穫物を奪い取った。これは言うまでもなく収穫を王に差し出すためであったが、納得できない人々は暴政が復活したと考え、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がわずかに傾いた。アニシカ王が塔の上に現れた。
 考えよう、と王は言った。
 王が考えた結果、やり方が変わった。各地の有力者から人質を取るのはやめて、かわりに各地の有力者を選んで誘拐免許を交付した。誘拐免許を得た有力者たちはそれぞれの土地で手勢を動かし、戸を破って人質を取ると身柄を返還する代償として収穫の一部を要求した。畑を荒らされたり、家畜小屋や鶏小屋を壊されたりすることはなくなったが、人々は暴政が続いていると考え、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がわずかに傾いた。アニシカ王が塔の上に現れた。
 考えよう、と王は言った。
 王が考えた結果、やり方が変わった。アニシカ王は各地の有力者にあてて手紙を送り、払わなければ誘拐するぞと脅迫した。そこで各地の有力者もそれぞれの土地でそれぞれの家に手紙を送り、払わなければ誘拐するぞと脅迫した。脅しが単なる脅しではないことを証明するために払わない場合には誘拐した。王の要求も各地の有力者たちの要求も法外なものであったので、払えない者が続出して多くの者が誘拐された。人々は王が暴政をおこなっていると考え、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がわずかに傾いた。アニシカ王が塔の上に現れた。
 考えよう、と王は言った。
 王が考えた結果、やり方が変わった。アニシカ王の軍勢が城から現われ、各地をまわってそれぞれの家の収穫を調べ、それを土地ごとの台帳にまとめて有力者たちに送り届けた。各地の有力者たちは台帳にもとづいてそれぞれの家への要求をそれぞれの収入に応じて決定し、それから手紙を送って払わなければ誘拐するぞと脅迫した。要求はおおむねにおいて妥当なもので、払えない者はなかったので誘拐される者もなかったが、この国を訪れた旅人がこの様子を見て、これ以上の暴政はないと言ったので、手に手に得物を取ると徒党を組んで城を囲み、アニシカ王に暴政をやめるように訴えた。王が訴えを無視すると、腕に覚えのある者が鉤付きの縄を城の塔へ投げつけた。鉤を塔の縁に引っ掛けて、大人数で縄を引くと城がいきなり大きく傾いた。アニシカ王の統治の基盤が脆弱なら、城が立つ地盤もまた脆弱であった。塔の上に現われたアニシカ王は振り落とされて沼に消え、城はそのまま倒れて人々を無残に押しつぶした。



威光の小道


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。案内書をまったく頼りとしない熟練旅行者でも、その国のことは見過ごしてしまった。普通に目につくような場所にはなかったからである。だが、それほど意外な場所にあったわけでもない。
 さしあたり名前を伏せておくことにするが、ある役人が偶然から得た裁量権を悪用して下級の官職を大量に売り出した。男はこの商売で小金を貯めると役人を辞めて金貸しとなり、それからは小口の貸し出しに精を出してそこそこの財産を作ることに成功した。だが晩年には呪われた商売に嫌気がさしたのか、町を離れて田舎に移り、そこに広大な土地を買い求めて地主となり、健全な土地経営を進めて死んだ時には相当な財産を残したという。残された財産は息子がそっくり受け継いだが、この息子というのが伝えられている限りではまったくの役立たずであった。早いうちから遊びを覚え、勉学には一切関心がなく、身代というのはただそこにあるものだと勘違いしていた。それでも当人は実業家のつもりでいたから、悪党どもにはいいカモである。四方八方から散々に毟られて、三十になった頃には事実上の無一文になっていた。わずかに残されたのは紙屑ほどの価値もない北の土地で、そこには人家はもちろん田畑もない。ただ黒々とした森だけが広がっていた。
 その国は、その森の中にあった。住人は生まれてから死ぬまで大半の時間を樹上で過ごし、よほどのことがない限り地上には降りてこなかった。枝の間に板を渡して家を作り、木々をめぐる橋をかけ、木の実や鳥、木のうろを住み処にする動物を糧に暮らしていた。排他的で気配や物音に敏感で、樹上を移動する素早さはとうてい人間技とは思えない。住人はこの特技を生かして地上を監視し、誤って森に入り込んだ不法入国者を発見すると即座に襲いかかって身ぐるみを剥いだ。この習性から、彼らの祖先は太古に樹上生活を選択した追い剥ぎだったとする説明がある。奪って得た金は国外から必需品を贖うのに使われた。斧や短剣などである。
 一部の性急な見解はその国の独立を否定し、森を根城とする単なる盗賊であると断定する。しかしながら、そのような態度は誤りであると言わざるを得ない。たしかに領域侵犯に対しては無警告の攻撃をおこなったし、領土は外国で登記された個人の土地に含まれていた。その国が将来にわたって調整を必要とする深刻な問題を抱えていたのは事実だとしても、それだけの理由によって主権が疑われるようなことがあってはならない。現に周辺諸国のいくつかとは友好条約を結んでいたし、大使の交換もしていたのである。その国に派遣された大使が自分の任地を発見できずに帰還するといったことがたまにあったし、帰還しないということもまれにはあったが、それはその国の立地に関わる問題であって、固有の政策や国民性に関わる問題ではないのである。
 さて、ある時、とある国の大使が密命を帯びてその国に着任した。政府首脳に接近して説得をおこない、必要があれば強要もして隣国へ攻め込ませようというのである。事実から言えばその国とその隣国との関係はすでに緊張状態にあり、それというのも隣国の民間人が法的な優位性に基づいてその国の基礎となる森林の伐採を開始したからであったが、大使はまさにその事実をあげて速やかな第一撃の有利を説き、攻撃を成功させれば自国の軍隊もただちに呼応して隣国に攻め込むと約束した。事実から言えば大使の祖国もまたその隣国と緊張関係にあり、それというのも大使の祖国の民間人が隣国で森林の伐採を計画し、そのための法的な優位性を求めていたからであったが、大使はこの事実については説明を避け、自国に関わる部分ついてはもっぱら集団安全保障を根拠とした。さらに軍事行動に要する資金には第三国の外貨建て抵当証券を対象とする元利分離型金融派生商品を紹介し、速やかな利益を保証して友好的な笑みとともに話を終えた。
 その国の首脳部に列する人々は大使の話に耳を傾けていたが、最終的には疑念を抱いて説得を退けることにした。宣戦布告なしの奇襲はともかく、金融派生商品はどうも怪しいと考えたのである。
 説得の失敗を受けて大使は次の手段、つまり強要に取りかかった。このような場合に備えて若干の手勢を伴っていたので、まずその一団を会見の場に引き入れて相手に武器を突きつけ、小国に与えられた歴史的な機能についての簡単な説明をおこなった。それでも効果がないと見ると、非情にもすでに突きつけていた武器を使って首脳部を文字どおりに消滅させ、本国の指令にしたがって自らを首班とする新政権の樹立を宣言した。
 大使にとってもっとも気がかりであったのはこの次の段階、つまり国民の反応であったが、意外にもその国の住人はそろって大使の前にひざまずき、大使を王と呼んだのである。大使はただ状況の安定を喜び、伝統的に集団指導体制を国政の基盤とするその国で、自分が王と呼ばれた理由を真剣に考えようとしなかった。国民は王を迎える歌を歌いながら即位式の準備にかかり、安心した大使は国境地帯に偵察を送った。
 政変の翌朝、住人の代表が大使のもとを訪れて準備の完了を伝えた。大使がうなずいて立ち上がり、巨木の幹をめぐるテラスに出ると、森の住人が歓呼で迎えた。そこで大使が手を振って挨拶を送り、懐から原稿を出して就任演説を始めようとしたところ、背後から出現した屈強の男たちによって自由を奪われたのである。
「何をする」と大使が激しく抗議した。
「即位式さ」と男の中の一人が答えた。
「助けてくれ」と大使が護衛たちに訴えた。
「できません」と護衛の一人が首を振った。
 大使の護衛はすでに武装した男たちに囲まれていた。
 新たに現われた一団が、木でできた橇のような物を運んできた。座面にはいかめしい紋章が刻まれ、紋章の下にはその国の言葉で王の乗り物と記されている。男たちは大使をこの橇の上に横たえようとした。
「何をするつもりだ」と大使が叫んだ。
「だから、即位式さ」と住人が答えた。
 男たちは力をあわせて大使を座面に押さえ込み、革の帯で大使の手足、そして胴をきつく固定した。大使は自分を解放するように命令し、懇願し、最後には見苦しい命乞いすらやってのけたが、男たちは聞き入れようとしなかった。テラスを囲む木々には老若男女が鈴なりとなり、期待に目をきらめかせて見守っている。
「みんな、とても楽しみにしている」と住人の一人が顔を上げた。
「ああ」と別の一人がうなずいた。「王様は、久しぶりだからな」
 間もなく六人の男が伝統にのっとった正装を身にまとって姿を現わし、二列に並んでテラスを進むと橇をはさんで足を止めた。上体を起こしたまま全員がゆっくりと腰を沈め、騒々しく懇願を続ける大使を乗せたまま、静かに橇を持ち上げた。それからテラスの端へと足並みをそろえて前に進めば、その先では数人の男が、やはり正装に身を包んで王の到着を待っていた。男たちの背後には空中に向かって開かれた小さな木製の門があり、門の手前には糸巻きのような形状をした巻き上げ機が見える。
 六人の男が大使を乗せた橇を門と巻き上げ機の間の台に置くと、待機していた男たちは二手に分かれて巻き上げ機の左右で配置についた。一方、橇を運んできた六人は大使に一礼して下がり、代わって神官とおぼしき人物が前に進んだ。声を朗々と響かせて祈祷をおこない、住人たちと声をあわせて歌を歌い、同時に巻き上げ機の男たちに合図を送った。男たちは把手を握り、声と力をあわせて縄を巻いた。縄がぎりぎりと音を立てると引かれて橇が後ろへ下がった。台の両端から伸びる二本の弦が門に向かって激しく震え、やがて張り切って震えを捨てた。大使が口を閉じて目を見開く。神官は大使の手に王杓を握らせ、大使の額の上に王冠をかざした。それから大使の耳にこう囁いた。
「王よ、準備は整った。厳かに威光の小道を進まれよ」
 神官が退いて腕を上げた。その腕をすべての者が固唾を飲んで見守った。
 神官が腕を振り下ろすと、それを合図に掛け金がはずされ引き絞られた弦が一気に戻る。橇が射出され、同時に大使が絶叫を放った。門の向こうには道があった。路面にはたっぷりと蝋が塗られ、低い手すりが両側からしっかりと橇を掴む。悲鳴を後に引きながら、橇が突進した。まずは水平に進んでから緩やかな下り、下りながら木々の間を自在にめぐり、唐突にやってきた短く激しい下りの後は緩やかな上りの道へと進む。橇は次第に速度を落とし、大使は期待に顔を上げた。だが橇は止まらない。その下では回転するいくつもの円筒が前進を助け、手すりの中に隠された精妙な仕組みが落下を阻んだ。いつしか橇はほとんど垂直になり、大使は頭を下にして足の間に陽の光に霞む頂点を見た。樹海を見下ろす頂きの向こう側には心臓破りの下りがあり、下った先では三重の側面宙返りが用意されていた。壮絶な速さで三度に分けて幹をめぐり、身の縮む思いを味わいながら木のうろを駆け抜ける。その先にはまた上りがあり言語を絶する下りがあり、木の枝をかすめる宙返りがあり、唐突に途切れた道を一気に越える前代未聞の跳躍があった。大使の喉はすでに嗄れ、肉は極限まで強張って石と化していた。最後に橇は緩やかな上りの道へ進み、ずらりと並んだ加速装置が橇に速度を与えていった。左右の風景は森の色をにじませた染みとなり、風は形を得て大使の顔に張りついていく。長大な上り道の先にはもはや道はなく、ただ空だけが広がっていた。橇が道を離れたその瞬間、大使は最後の悲鳴を放った。



鬱々の日々


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。地図上の点ですらないという冷酷な事実は、その小さな国の人々の気持ちをひどく滅入らせた。しかし、それ以上に心を暗くしたのは道を誤ってその国を訪れ、うっかり地図を広げたことでその国の人々に事実を伝えてしまった旅人であった。自分がその国にもたらした悲しみの大きさを見て激しく悔やみ、悔やむあまりに崖の上から身を投げた。このことは悲劇として伝えられているが、もし旅人がその国の習慣についての知識を持ち、その国の人々が何事につけても悲しげに顔を背けることを知っていたら、おそらく身を投げることはなかったであろう。
 その国で生まれた赤ん坊は産声を上げる代わりに憂いに満ちた吐息を漏らして、この世に生まれ出たことの悲しみを表わした。母親は我が子がこれから味わうであろう悲嘆の数々を思って涙を流し、父親は子を抱き上げて夕陽にかざし、陽が沈む先にあの世があることを子に教えた。来世にわずかな希望を託して、人生を深い悲しみの淵に沈めたのである。悲しみの深さに耐え切れずに、夕陽を追って走り出す者も少なくなかった。涙に霞む夕陽を追って夜を迎え、疲労の果てに横たわって悲しみとともに朝を迎えた。悲嘆に暮れる者の数ではいかなる大国をも凌駕したが、自殺に成功した者はなかったという。
 その国の王は暴君であった。土地は残らず王に属し、国民は王のために畑を耕した。王は過酷な年貢を課していたので、収穫の時季には悲しみが一層深まった。収穫の大きな山から年貢の分が取り去られ、荷車に積まれて運ばれていく。残った山の小ささを見て人々は悲しんだ。隣人の肩を抱いて涙を流し、腹を空かせて泣く子を叩いて涙を流した。王の城には収穫の大半が積み上げられ、打ちひしがれた人々はその前に佇んで悲しげに顔を背ける。そうして待っているとやがて王が姿を現わし、こちらも悲しげに顔を背ける。王は常に暴君であったが世襲ではなかった。もっとも感じやすい心の持ち主が王に選ばれるしきたりとなっていたのである。王は王位にあることで悲しみを味わい、残りの者はひとを王位へと追いやったことで悲しみを味わった。王の悲しみの方がやや格上であったと伝えられている。
 悲しみがなければ陽も暮れない毎日で、悲しみを味わうためなら間違いも犯した。収穫の量はごまかされたし、用水路の流れは夜のあいだに変更された。多くの者が盗みを働き、進んで良心の呵責に苛まれた。罪人は身を投げ出して許しを請い、善人は正義の不在を嘆いて突っ伏した。そして翌日には善人が盗みを働き、罪人が正義の不在を嘆き、世の悪に終わりがないことを知ってともに長々と悲嘆に暮れた。恋はつねに間違った者同士を結びつけ、親はそれを引き離し、不幸な結婚は不倫の種を振り撒いた。不倫は堕落ではなく悲しみを生み、悲しみは子を産み落とし、産婆は産み落とされた子を間違える。兄弟がいれば、どちらかには必ず異なった血が流れていた。産婆は死の床で苦しみとともに真実を明かし、新たな悲劇の原因を残す。悲劇はいつでも三代に及んで果てのない分岐を繰り返し、やがて国を覆って悲嘆の底に民を沈めた。
 さて、ある時のこと、その国が隣国からの侵略を受けた。防衛のために軍隊が招集されたが、戦闘に先立って戦争の悲惨に耽溺したので戦うことなく敗北を喫した。国土は瞬時に占領され、感じやすい王は悲しみのうちに廃位となり、隣国の軍勢は暴虐を尽して大いなる苦しみを人々に与えた。苦難の時代がしばらく続き、人々は飽かずに悲しみを味わい、それから最後に暴動を起こした。隣国の王もまた暴君であったが、この王は自らの暴政の成果を目にしてもまるで悲しもうとしなかったからである。これはしきたりに反していた。暴動を鎮圧するために残酷な王の残酷な軍隊が出動した。男は皆殺しにされ、女とこどもは奴隷に売られ、残った土地は外の者に奪われた。というわけでその国は消滅し、今ではふつうの人々がふつうの悲しみとともに暮らしている。



海老の収獲


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。個人的に記されたいくつかの旅行記には若干の記述があるという噂もないことはないが、それが事実だとしても記載の量が全部で数行を越えることはないだろう。なにしろその国にはわずかばかりの家屋とそこに住む面白みのない住人、そして面白みのない住人を従えた面白みのない王がいただけで、旅行者が外国に求めるような滑稽な人物や滑稽な習慣、美しい自然や見慣れない料理といった特筆すべき要素をことごとく欠いていたからである。すべてを確認した上で結論を下しているわけではないのだが、一見したところでは明らかにそうであったし、すでに滅んでいるという決定的な理由があって、調べ直すことはできないのである。
 街道沿いに並んだ家々はどれもみすぼらしかったし、男も女も愛想がなかった。少なくとも旅行者にはそのように感じられた。西は山に、東は海に面していて、狭い領土はどこもかしこも西から東に傾いていて、だから平らな場所というものがない。どの家もこの家も傾いた地面に半ばまでめり込んでいた。産業と呼べるものは漁業しかなくて、だからその国では男も女も砂浜に出て網を引く。網を引くと海老がかかってくるので、それを鍋に放り込んで煮る。その国では男も女も海老を食べた。街道から山へと連なる斜面には小さな城がへばりつくように建っていて、そこに住んでいた国王も海老を食べた。
 ほかに食べる物がなかったからである。そのせいなのかどうなのか、住人の顔はどことなく海老に似ていた。赤みがかっていて目がくっついていて、前に向かって造作が詰まったような具合になっていた。愛想がないように見えたのは、全体に余裕を欠いたこの造作のせいであった。そして愛想がないのは、おそらくは海老の呪いのせいであった。住人の多くは、呪いは顔にかけられていると考えていた。なにかしらほかの食べ物を生活に取り込むことができれば、この呪いは解けるのではないかと考えた者もいた。だが、ほかの食べ物が何なのかを説明できる者はいなかったし、仮に何かがあるとして、どうすればそれが手に入るのかを説明できる者もいなかった。
 もちろん、その国の人々が愚か者ばかりだったということではない。常識も普通の知恵も備えていたので、獲れた海老を輸出して、とにかく何かほかの食べ物を輸入しようと試みたことがある。そのための代表を王が指名して国外に派遣した。代表は食品業者を探して交渉にかかり、それから国に舞い戻ると王に計画の中止を進言した。巨額の保険契約だの細かい字で書かれた付帯条項だの、あるいは根拠の怪しい変動相場だのといった新手の呪いを抱え込むよりは、このままおとなしく海老の呪いを抱え込んでいた方がよいと言ったのである。王もそれが賢明であると認めて計画を中止し、代わりに国の南北両端、街道沿いの二ヶ所に通行税の徴収所を設置することにした。ここから何がしかの現金収入を得ようという目論みであったが、国を通過する者の数がそもそも少なかったので、一度だけ支払う通行税はしばらくしてから二度支払う入国税と出国税に変更された。ところが一方の徴収所からは、もう一方の徴収所を彼方に見ることができたのである。たいていの旅行者はばからしさを理由に出国税の支払いを拒み、国境で徴税請負人と悶着を起こした。
 さて、ある時、年若い王がその国に立ち、建国以来の懸案を整理して問題を最終的に解決しようと考えた。早い話が、海老にうんざりしていたのである。母乳は海老の臭いがしたし、離乳食はほぐした海老の肉だった。両親はどちらも海老のような臭いをさせていたし、当然、自分のからだも同じような臭いをさせている。気にしなければ気になることもなかったはずだが、一度でも気にし始めると後はとどまるところを知らなかった。いずれはめとることになる后も、必ずや海老の臭いをさせているであろう。王ともなれば国を離れるわけにもいかず、そうなると死ぬまで海老にまみれて海老の臭いを嗅ぎながら海老を食べ続けることになる。見るのも嗅ぐのも、考えるのもいやだった。なんでもいいから、海老以外の何かが食べたかった。世界はもっと多様であってもよいはずだった。国民もそう望んでいると考えていたし、そう望んでいない国民にも海老以外の何かを食べさせたかった。実を言えば、まだ少数ではあったが、海老以外の何かを食べれば罰があたると主張する一派が存在した。幾世代にわたる諦観を糧に居直りを強固な信仰に発展させていて、その国の人間は最後には全員が海老になるのだという奇怪な終末予言を撒き散らして国内に不安と恐怖の影を投げかけていた。国民に海老以外の食品を味あわせて未来に希望を与えることが、国家としての急務であった。
「もはや、一刻の猶予もない」と王は言った。
「畏れながら、陛下」と大臣が言った。「王家代々の取り組みはことごとく失敗に終わっております。この上まだ何か秘策があろうとは、残念ながら思えませぬ」
「最後の手段が残されている」
 それだけを言うと王は城を後にして斜面を下り、街道を渡って砂浜へ進むとそのまま海へ足を踏み入れた。胴を水に浸して波を分け、顔をうつむけると鋭い目つきで左右を見まわす。不意に腰を屈めて素早い動作で腕を繰り出し、海面を破ってすぐ引き抜くと、その手には一尾の見事な海老が握られていた。王は掴んだ海老に顔を向け、憎しみを込めてこのように言った。
「海老の王よ、聞くがいい。おまえたちの居場所は我が領土の内にある。我が領土の内において、おまえたちは繁栄を極め、専横をほしいままにしているのだ。十分な代価も払わずにな。だが時代は変わった。これまでどおりにことが運ぶとは思わないでもらいたい。すぐさまここを立ち退いて、場所をほかの魚に明け渡すのだ。なぜならばほかの魚にもここに住まう権利があり、ほかの魚の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。海は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさとここから出ていくがよい」
 これを聞くと海老の王はその堅固な殻を怒りによって真っ赤に染めた。
「ひとの王よ、これはまたたいそうな言い分だ。今のがそちらの言い分ならば、こちらにはこちらの言い分がある。つまり、おまえたちの居場所こそが、我が領土の内にあるということだ。そしておまえたちは我が領土の内において我が一族を好きなように胃の腑に収め、それだけでは飽き足らずに今度は領土を明け渡せと言う。ならばこちらにも考えがあるぞ。すぐさま立ち退いて、場所をほかの人間に明け渡すのだ。なぜならばほかの人間にもここに住まう権利があり、ほかの人間の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。陸は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさと出ていくがよい」
 そのように言ってひげを振り、鋭利な先端で年若き王の目を狙った。またはさみを使って王の腕に傷を与えた。握る手の力はたちまち緩み、海老は尾鰭で跳ねて海に逃れ、王は悲鳴を上げて砂浜に逃れた。
 年若き王は血の滴る傷を手で押さえて浜を走り、心は復讐に走らせて男たちを呼び集めた。王の叫びに応えて男たちは網を運び、女たちは鍋を運んで浜に火をおこした。一方、海老の王もまたそのひげによって一族郎党を呼び集め、すぐさま戦の準備にかからせた。母海老たちは子海老を抱えて岩陰に隠れ、力に覚えのある海老たちが続々と隊伍を組んで海岸へ進む。戦端はただちに開かれた。人間と海老が激突し、肉が裂かれ、殻が砕かれ、血が飛び、白身が千切れ、浜には骸が幾重にも重なる。数では海老が勝っていたが、力の点で勝機は人間の側にあった。戦場が陸地となったことも、海老の側には決定的な不利となった。
 年若き王は勝利をすでに確信して哄笑を放ち、海老の王の姿を求めて群がる甲殻類を蹴り散らす。一方、間近に敗北を感じた海老の王はひそかに戦場を離れ、街道を渡り、城の建つ斜面へと足を進め、立ち止まって尾鰭を下にして身を起こすと、そびえる山に向かってこのように言った。
「山の王よ、どうか海老の王の願いを聞き届けていただきたい。卑劣なる人間どもはその巨体をよいことに我が一族を滅亡の淵に追いやろうとしている。そこで山の王よ、我らを哀れに思うなら、その身に収めた岩や土をいくらかなりとも転げ落とし、邪悪なる人間どもを押し潰してもらいたい。我が一族にも多少の犠牲が出ることになろうが、それは仕方がないと思ってあきらめよう。もし我らに手を貸してくれたなら、我らは礼としてそなたの身に葡萄の木を植えるつもりだ。怠らずに苗に水をやり、実をつけるまで必ず面倒を見ると約束しよう。それでは足りないと言うならば、さらに野苺を植えてもよい」
 海老の願いに対して山がどのような判断を下したのかは永遠の謎である。聞き届けることにしたのか、それとも何か別のことを考えたのか。聞き届けたのだとしたら、おそらくは実行の段階で若干の手違いが発生した。この直後に山は大噴火を起こし、流れ出た溶岩は一瞬で王国を埋め、海老も人間も滅ぼした。噴火がおさまった後には冷えた溶岩が街道を覆い、現在もなお通行の障害となっている。



王子の問題


 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。街道からはずれ、歴史とその喧騒から遠く離れ、静謐に沈んで聞こえてくるのは虫の音くらいという国であったが、民は平和を尊んでよく働き、畑はよく手入れされて稔りをもたらし、森には実をよく稔らせた木々が立ち並び、牛はよく乳を出し豚はよく子を産み、どの家の煙突からも調理の煙が日に二度は上がった。王がよく治めていたのである。
 若くして即位した王は長らく独り身を通していたが、ある時、隣国から王妃を迎えた。王は王妃と森で出会い、死んだように眠っている王妃を接吻で目覚めさせたのだという。王妃は快活な性格と親しみやすい美貌の持ち主で、たちまちのうちにその国の民を魅了した。盛大な結婚式がおこなわれ、国に住むすべての者を招いて宴会が開かれ、それから一年の後には玉のような男の子が誕生した。王と王妃は幸福を味わい、民は王と王妃に祝福を与えた。またしても宴会が開かれ、国に住むすべての者が招かれたが、その宴会の席上で恐ろしい予言がおこなわれた。
 王の城の大広間で王と王妃は椅子を並べ、王は王妃の肩を抱き、王妃は腕に王子を抱いて、祝福に訪れる領民の一人ひとりにねぎらいの言葉をかけていた。同じ広間には長大な食卓が端から端まで列を作り、そのどれもがはみ出すほどに酒と料理を載せていた。食卓の一つひとつは好みに応じて酒や料理がよく吟味され、一つは酒飲みのために、また一つは甘党の大食漢のために、別の一つは菜食主義者のためにという具合に見事に整えられていたが、これは誰もが宴会を楽しめるようにという王と王妃の心遣いであった。祝福を終えた者は好みの場所に席を見つけて飲食に励んだ。会話がにぎやかに交わされ、楽士たちが音楽を披露し、芸人たちは絶妙の技を互いに競い、冗談と笑いの合間には多くの者が玉座に向かって杯を掲げ、さらなる幸福を祈って乾杯を叫んだ。王と王妃と王子を称える即席の歌が作られ、皆で声をあわせて歌を歌い、中には踊り始める者もいて、誰もが宴会を楽しんで満足しない者は一人もない。
 ところが宴たけなわという頃、地の底から響くような轟音が城を揺るがせ、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。女たちの悲鳴が上がった。激しい風は広間を舞って酔漢たちから杯を奪い、すでに不覚となっていた者を床に転がした。すべての視線が入り口に集まり、そこへ溢れるような黒い影をまとって現われたのは森の奥に住む魔女であった。魔女は黒い頭巾の下に顔を隠し、醜い鼻を王に向けてこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の十六歳の誕生日には、せいぜい紡ぎ車に気をつけるがよい」
 魔女が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。ところが再び城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。舞い込んできた風で杯がひっくり返ることはなかったが、不覚となっていた者はそのまま床を転がった。すべての視線が入り口に集まり、そこへ硫黄の臭いとともに現われたのは洞窟に棲む竜であった。竜は鼻から煙を吐き出しながら、王に向かってこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の八歳の誕生日には、せいぜい鞭に気をつけるがよい」
 竜が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。するとまたしても城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへさらなる風を巻き起こして現われたのは谷底に棲む怪鳥であった。怪鳥は褐色のくちばしを王に向けて、このように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の四歳の誕生日には、せいぜい壁に気をつけるがよい」
 怪鳥が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。それと同時に大音響が辺りに轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへ思わず顔を背けるような悪臭とともに現われた影は、一つではなく二つでもなく、徒党を組んだ屍肉喰らいの集団であった。そのうちの一人が醜い顔を王に向け、尖った牙を隠しもしないでこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の二歳の誕生日には、せいぜい上げ蓋に気をつけるがよい」
 屍肉喰らいどもが呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。だがまたしても大音響が城を揺らし、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入り口に集まり、そこへ床を爪で蹴って現われたのは翼を持つ黒い犬であった。黒い犬は濡れた鼻を王に向けて何かをしきりと吠え立てたが、あいにくと人間の言葉ではなかったので誰にも理解することができなかった。
 黒い犬が立ち去ると宴会はそのままお開きになり、領民たちは蒼白となった顔を並べてそれぞれの家へ帰っていった。王と王妃は王子を連れて寝室に戻り、そこで夜が明けるまで非難の応酬を繰り返した。一説によれば王は意図して魔女と竜と怪鳥と屍肉喰らいと黒い犬を招待からはずし、王妃はそのことで事前の警告をしていたという。それからというもの王と王妃は不仲になり、王子の方はいずれ呪いを受けてどうにかなるという理屈から両親の愛を失った。
 王子は一歳になるまで四つ足で過ごした。二歳になった時には歩くことを覚えていたが、見守る者もないまま城の中をさまよって上げ蓋の隙間から転落した。四歳でようやく話すことを覚えたが、そのことに誰も気づかなかったのは王子が壁に向かって喋ってばかりいたからである。八歳になった時には家庭教師が遠方から雇われた。この家庭教師は選んだように意地悪な男で何かと言えば鞭をふるい、王子の孤独な世界に暗い影を刻んでいった。十六歳の誕生日を迎えた日、王子は城の塔に一人で登り、その一室に入って古い紡ぎ車をじっと見つめた。それからゆっくり手を差し出して、指先で紡ぎ車の針に触れた。そして痛みを感じると同時に、王子は巨大なアオガエルになっていた。
 王子は目を閉じて喉を鳴らした。しばらくしてから窓を開け、外へ出ると巧みに吸盤を使って壁伝いに下りていった。中庭へ降りてきたところで女たちの悲鳴を聞いた。厨房から飛び出してきた若者が王子の背中にリンゴをぶつけた。王子は再び喉を鳴らし、着実な跳躍を続けて城を後にした。左右に悲鳴を聞きながら町を抜け、やがて川辺に達すると川の流れに身を躍らせた。以来、王子の姿を目にした者はないという。
 王子が失踪した後も、王と王妃の仲は戻らなかった。どちらもひどく心を澱ませて民を思う気持ちを失ったので、やがて国は傾いて地上から消えた。




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