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8/24/11 エンデュランス号漂流記

1914年、南極大陸黄疸に赴いたイギリスのシャクルトン探検隊だが、船は流氷に阻まれた挙句、圧壊。人の乗組員は犬ぞりに船荷を積み込み、南極脱出を目指す。

苦闘の末に海に出た一同は、エレファント島にたどり着くが、そこは絶海の孤島で助けが来る見込みはなかった。本国も第一次世界大戦に突入し、救援隊を送る余裕はない。

窮まったシャクルトンは、自らと部下5人でボートに乗り込み、千キロも離れたサウス・ジョージア島に向けて旅立つ決意を固める。その島には捕鯨基地があり、そこで救援隊を組織して戻ろうというのである。

航海は辛苦を極めた。

帆と甲板を付けたとはいえ、6,7mのボートで千キロも行くのは日本近海でもたやすいことではない。ましてや南極周辺の海は「roaring forty, furious fifty, shrieking sixty - 吠える40度、怒り狂う50度、叫ぶ60度」と呼ばれるほど荒れ狂う海で、しかも季節は冬で、水飛沫はすぐさま氷結してしまう。

しかシャクルトンらはわずか2週間の航海で見事に目的を達成したのである。

     ☆

一方取り残された退院らも無事ではなかった。

エレファント島は岩石に覆われ、草木はおろか、風雪を凌ぐ場所さえなかったのである。隊員は石を積み上げ、ボートを屋根にして小屋を設営。アザラシやペンギンを獲って食糧とし、その油脂を燃やして暖を取り、冬を過ごした。

一名の隊員は鬱病となり、もう一名は凍傷で足指を切断しなければならなかった。

待つこと4ヶ月、ついにシャクルトンは島に戻り、探検隊員は全員が無事、救出された。

極地探検というのは、実に死傷率の高い活動であった。シャクルトンより少し前、南極点を目指した同じイギリスのスコット探検隊は全滅。人類初の南極点到達をめぐってスコットとデッドヒートを繰り広げたアムンゼンも、最後には北極で遭難死した。

その中で一名の死者を出さずに生還を果たしたシャクルトンの手腕には、特筆されるものがある。分析すれば彼および隊員らの成功はこのような点にまとめられるだろう。

1)判断の迅速さ、的確さ
刻一刻と変化する探検隊の状況、周囲の環境から、固定観念に囚われずに、取りうべき最善の行動を選択。船が沈没すれば犬ぞりに、犬ぞりが危険だと判断すればすかさず海路に、切り替える状況判断は実に見事である。

2)無理をしない現実的な判断
通常人であれば、ボートで一気に有人島めざして北上しただろう。しかしそれは危険極まりなく、シャクルトンは無理せずに一度、エレファント島で体勢を整えてから、再出発した。この無理をしない慎重さは、随所でシャクルトン隊の命を救っている。

3)意志の強さ、気力のコントロールのうまさ
どんな苦境に陥っても、決して諦めない意志の強さ。幾度となく絶望の淵に叩き込まれても、必ず復活する気力の確かさ。

日本人には我慢強い人が多いが、シャクルトンのような打たれ強さがある人は稀有なように思う。シャクルトンは無理に気力を保つよりも、酒や賭けなどを許して隊員の気力を保つなど、気力のコントロールにも気を配っていた。

4)創意工夫、臨機応変
何も無い島で小屋を作り、食糧を確保し、燃料を手に入れる。船が揺れれば寝袋をクッション代わりに使う。様々な創意工夫が、隊員の命を繋いだのである。

8/23/11 ドリトル先生

ドリトル先生シリーズ第二弾、「航海記」の翻訳にとりかかる。

今回の主人公はいよいよ狂言回し、スタビンズ助手の登場。貧乏靴屋のせがれ、スタビンズと先生との馴れ初めが描かれている。

ドリトル先生を読んだのは、小学生のころだが、大人になって読むと、色々な伏線や背景があったことが分かって、けっこう味わい深い。

たとえばこの航海記は、動物史を探るのが主目的だが、当時は新進気鋭の学者、ダーウィンが登場したころで、進化論についての論争が喧しかった頃である。結局は進化論が正しいと証明されるのだが、作者ロフティングは創造説を信じていたようだ。

また海底を旅するエピソードも出てくるが、ロフティングがこの本を書いたのは、ちょうどWW1でUボートが圧倒的な戦果を収めた直後のことである。(ロフティングは第一次世界大戦に従軍している)

だから「航海記」は、出版当時(1920年代)としては流行にのった、センセーショナルな側面をももった本ともいえる。

8/22/11

冷房が壊れた。

修理を依頼したが来るのは9月になるという。仕方ないので扇風機を買った。S友の在庫一掃セールで、投売りされていたヤツを買ってきた。

いかにもすぐ壊れそうな、長持ちしなさそうなヤツだ。実際、説明書を読むと、設計寿命は6年間だという。つまり6年たてば死ぬように出来ているのである。

人間には、寿命がある。

当たり前と思われるかもしれないが、「寿命」というのは身長や体重と違って、少々物理的な性質が異なる。というのは長さや重さは人間が自由に変えられる物理量だが、時間はそうではないからである。

時間は一方方向にしか進まない。そしてその方向とは、エントロピーの増大である。エントロピーというのは無秩序を測る指標で、時間がたてばたつほど、無秩序は増大していく。この現象を人間は「時間がたった」と定義したのである。

これを生命に当てはめると、生命にとっての時間とはDNAのコピーの連続であり、コピーである以上、次第に無秩序が侵入してコピーが劣化していく。そして劣化し切ってガンが発生したり、諸機能が弱ってもはや生命を維持できなくなったときが「死」である。

しかも面白いことに、その「コピー」の回数を司る遺伝子まであるのだという。つまり何千回、何万回かコピーが繰り返されると、自滅するような時限爆弾がDNAには仕込まれているのだという。これは古い遺伝子は早々に遺伝進化の舞台から消え去ってもらうための仕組みなのだそうだ。

逆に言えば、そのような時限爆弾を解除してしまえば、人間の寿命は百を軽く超えることができることになる。

だが生物の操作というのは理屈は簡単でも、実行はむずかしい。時限爆弾を解除すると、いつまでも死なず、無限に増殖してガン化する細胞が出てくるからである。

ただ寿命のメカニズムがかなり解明された以上、今世紀、人間の寿命は劇的に延びる可能性はおおいにあるだろう。

長い長い寿命をもちながら、その足元には寿命が短い扇風機がくるくる回っているのだ。なにか滑稽なようでいて、その実ある種の軽い真理に触れたような気もした。

8/21/11

グループ参加型クーポンが日本に上陸して一年ほどたち、外資系の「グルーポン」と、リクルート系の「ポンパレ」が詩情を二分しているもようだ。

激安、ものによっては70%, 80%の割引は当たり前と、メリットは大きい。当初は注文が殺到して店が応対できず、「いつも予約がいっぱいで、空きを待っているうちに期限が切れてしまった」、「写真と全然違う御節料理が届いた」など、苦情が多かったが、今では店側も利用者側もコツがつかめてきて、すっかり定着した感である。

ただ依然、デメリットも多い。一つは期限が短いこと。ちょっと忘れている間に期限が切れてしまった、ということがよくある。クーポン会社も「1~2割は期限切れ」と店側に説明していることが明らかにされたが、道徳心がないと感じてしまう。

道徳心がないといえば、クーポン会社の取り分が50%というのもかなりの暴利である。これでは店側には利益は出ないし、下手すると赤字である。それでもなおグルーポン市場が活発なのは、宣伝効果が大きいからである。リクルートのような大手に宣伝を打ってもらえば数百、数千万の宣伝費が必要となるが、グルーポンならそれが不要、というメリットは大きい。クーポンとしてみれば阿漕な商売だが、宣伝としてみれば良心的といえるかもしれない。

もう一つの欠点は、品物が高いことだ。按摩やエステ、飲食についてはかなり安いが、物品は市場価格の1.5~2倍がグルーポンの相場。ヤマダで千円で売っているような電線コードが、一万円で売られていたのを見たときは驚いた。製品類は仕入れ価格がかなり決まっているので、思い切った値下げをできないことは理解できるが、お店側はまだグルーポンの仕組みを理解できてないな、と思った。

グルーポンは儲けるのでなく、宣伝と割り切って使うべきなのである。そして消費者は市場価格をしっかり調査してから、安くなったものだけを買えばよいのである。

(御節料理事件:横浜の某料理店が、仕様と全く異なるひどい御節料理を配達してしまったこと。白衣も着ず、普段着で若者らが笑いながら御節を詰めていた写真も掲載されたことから、不謹慎だと非難が殺到した。ことの原因は、予想を超えた注文量に対し、材料を買い増さなかった「金儲け主義」、中身がスカスカでも平気で客に出す「顧客軽視」、さらにはそうした悪習を正せなかった「客と従業員がお友達感覚な経営思想」(お友達なら、これくらい許せるよね~、うん社長の言う通りだよ~)・・・・にあるようだ)


8/20/11

子供のころ、都会に恐竜が俳諧し、住民はマンションやビルに閉じ込められてしまう、という夢をよく見た。その「凶暴な力によって都会に閉じ込められてしまう」という子供の夢を映像の力で表現したのが、「進撃の巨人」である。

何らかの理由で(おそらく人類への遺伝子操作によって)出現した巨人によって、人類は城塞都市に閉じ込められ、絶滅を待つばかりになる。その絶望的な状況を打破するために、一人の少年が立ち上がる・・・というストーリーだが、玄人にはあまりウケがよくないようだ。

一つは舞台設定が甘いこと。一例を挙げれば、城塞都市内だけの農業生産力では、到底都市人口を養えない。実際、モデルと思しき中世ヨーロッパの城塞都市でも、都市の周りには広大な農村が広がり、そこからの食糧供給があって初めて、都市は存続しえた。

「進撃」でも周辺農村は存在するが、巨人が常時跋扈するという状況では、とても落ち着いて農耕できる状態ではないはずだ。

ただこのような一大スペクタクル作品においては、そのような設定ミスは、大した問題にはならないことが多い。お愛嬌とでも言うべきものだ。真の欠陥は、「キャラクターが死んでいる」&「ストーリーテリングが稚拙」な点に尽きる。

親の仇を討つ、ならまだしも「城壁内に閉じ込められているから外に出たい」やら「幼馴染の生命を守るため」では、戦闘参加の理由としては力不足で、作者の人生経験のなさがもろに露出している感じだ。折角「行き場のない城塞」というステキな舞台が設定されているのだから、そこで起きる人間同士の極限感情を描写していれば名作になったのに、と思う。

また伏線自体も見え見えで、ストーリーが読めてしまう。戦略的に巨人との戦闘が描写されていれば、コンバットものとしても楽しめようが、その要素もない。ただ個人の傑出した能力で修羅場を切り抜ける、という展開では早晩行き詰るだろう。

絵も稚拙で、ヘタウマというより、基本ギャグ絵なので、深刻なシーンがギャグになって笑えないことがたびたびある。

煮た様に名作になり損ねた作品に「ドラゴンヘッド」がある。

これは大地震・大津波によって崩壊した関東地方を生き抜こうとするサバイバルものだが、舞台設定は秀逸なものの、人間描写やストーリーテリングが稚拙で、結局半ば忘れ去られた作品となってしまった。

     ☆

ここまで酷評すると、じゃあお前はどんな作品が名作というのか、とツッコまれると思うので、言ってしまうと「漂流教室」である。学校ごと、公害によって人類が死滅した未来へタイムスリップした子供たちのサバイバルを描いたものだが、なぜ名作かといえば、人間描写がいやらしいw。

平気で子供からパンを奪う、普段は気のいいおっさんの関谷(!)。平気などころか、関谷はこの極限状況を楽しんですらおり、生徒らを集めて軍隊すら作って、怪物めがけて竹槍特攻させたりしている。こんな秀逸なキャラはよほど人間洞察が深くないと作れないだろう。

ストーリテリングも絶望につぐ絶望と、一向に好転しない。危機が解決して一息ついたと思ったら、すぐに別の危機が迫ってくるので、読者としてはもう読み出したが最後、終わりまで読まないとならない。たるい幼年時代の回想などをやっている場合ではないのである。



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