閉じる


<<最初から読む

37 / 45ページ

8/22/11

冷房が壊れた。

修理を依頼したが来るのは9月になるという。仕方ないので扇風機を買った。S友の在庫一掃セールで、投売りされていたヤツを買ってきた。

いかにもすぐ壊れそうな、長持ちしなさそうなヤツだ。実際、説明書を読むと、設計寿命は6年間だという。つまり6年たてば死ぬように出来ているのである。

人間には、寿命がある。

当たり前と思われるかもしれないが、「寿命」というのは身長や体重と違って、少々物理的な性質が異なる。というのは長さや重さは人間が自由に変えられる物理量だが、時間はそうではないからである。

時間は一方方向にしか進まない。そしてその方向とは、エントロピーの増大である。エントロピーというのは無秩序を測る指標で、時間がたてばたつほど、無秩序は増大していく。この現象を人間は「時間がたった」と定義したのである。

これを生命に当てはめると、生命にとっての時間とはDNAのコピーの連続であり、コピーである以上、次第に無秩序が侵入してコピーが劣化していく。そして劣化し切ってガンが発生したり、諸機能が弱ってもはや生命を維持できなくなったときが「死」である。

しかも面白いことに、その「コピー」の回数を司る遺伝子まであるのだという。つまり何千回、何万回かコピーが繰り返されると、自滅するような時限爆弾がDNAには仕込まれているのだという。これは古い遺伝子は早々に遺伝進化の舞台から消え去ってもらうための仕組みなのだそうだ。

逆に言えば、そのような時限爆弾を解除してしまえば、人間の寿命は百を軽く超えることができることになる。

だが生物の操作というのは理屈は簡単でも、実行はむずかしい。時限爆弾を解除すると、いつまでも死なず、無限に増殖してガン化する細胞が出てくるからである。

ただ寿命のメカニズムがかなり解明された以上、今世紀、人間の寿命は劇的に延びる可能性はおおいにあるだろう。

長い長い寿命をもちながら、その足元には寿命が短い扇風機がくるくる回っているのだ。なにか滑稽なようでいて、その実ある種の軽い真理に触れたような気もした。

8/21/11

グループ参加型クーポンが日本に上陸して一年ほどたち、外資系の「グルーポン」と、リクルート系の「ポンパレ」が詩情を二分しているもようだ。

激安、ものによっては70%, 80%の割引は当たり前と、メリットは大きい。当初は注文が殺到して店が応対できず、「いつも予約がいっぱいで、空きを待っているうちに期限が切れてしまった」、「写真と全然違う御節料理が届いた」など、苦情が多かったが、今では店側も利用者側もコツがつかめてきて、すっかり定着した感である。

ただ依然、デメリットも多い。一つは期限が短いこと。ちょっと忘れている間に期限が切れてしまった、ということがよくある。クーポン会社も「1~2割は期限切れ」と店側に説明していることが明らかにされたが、道徳心がないと感じてしまう。

道徳心がないといえば、クーポン会社の取り分が50%というのもかなりの暴利である。これでは店側には利益は出ないし、下手すると赤字である。それでもなおグルーポン市場が活発なのは、宣伝効果が大きいからである。リクルートのような大手に宣伝を打ってもらえば数百、数千万の宣伝費が必要となるが、グルーポンならそれが不要、というメリットは大きい。クーポンとしてみれば阿漕な商売だが、宣伝としてみれば良心的といえるかもしれない。

もう一つの欠点は、品物が高いことだ。按摩やエステ、飲食についてはかなり安いが、物品は市場価格の1.5~2倍がグルーポンの相場。ヤマダで千円で売っているような電線コードが、一万円で売られていたのを見たときは驚いた。製品類は仕入れ価格がかなり決まっているので、思い切った値下げをできないことは理解できるが、お店側はまだグルーポンの仕組みを理解できてないな、と思った。

グルーポンは儲けるのでなく、宣伝と割り切って使うべきなのである。そして消費者は市場価格をしっかり調査してから、安くなったものだけを買えばよいのである。

(御節料理事件:横浜の某料理店が、仕様と全く異なるひどい御節料理を配達してしまったこと。白衣も着ず、普段着で若者らが笑いながら御節を詰めていた写真も掲載されたことから、不謹慎だと非難が殺到した。ことの原因は、予想を超えた注文量に対し、材料を買い増さなかった「金儲け主義」、中身がスカスカでも平気で客に出す「顧客軽視」、さらにはそうした悪習を正せなかった「客と従業員がお友達感覚な経営思想」(お友達なら、これくらい許せるよね~、うん社長の言う通りだよ~)・・・・にあるようだ)


8/20/11

子供のころ、都会に恐竜が俳諧し、住民はマンションやビルに閉じ込められてしまう、という夢をよく見た。その「凶暴な力によって都会に閉じ込められてしまう」という子供の夢を映像の力で表現したのが、「進撃の巨人」である。

何らかの理由で(おそらく人類への遺伝子操作によって)出現した巨人によって、人類は城塞都市に閉じ込められ、絶滅を待つばかりになる。その絶望的な状況を打破するために、一人の少年が立ち上がる・・・というストーリーだが、玄人にはあまりウケがよくないようだ。

一つは舞台設定が甘いこと。一例を挙げれば、城塞都市内だけの農業生産力では、到底都市人口を養えない。実際、モデルと思しき中世ヨーロッパの城塞都市でも、都市の周りには広大な農村が広がり、そこからの食糧供給があって初めて、都市は存続しえた。

「進撃」でも周辺農村は存在するが、巨人が常時跋扈するという状況では、とても落ち着いて農耕できる状態ではないはずだ。

ただこのような一大スペクタクル作品においては、そのような設定ミスは、大した問題にはならないことが多い。お愛嬌とでも言うべきものだ。真の欠陥は、「キャラクターが死んでいる」&「ストーリーテリングが稚拙」な点に尽きる。

親の仇を討つ、ならまだしも「城壁内に閉じ込められているから外に出たい」やら「幼馴染の生命を守るため」では、戦闘参加の理由としては力不足で、作者の人生経験のなさがもろに露出している感じだ。折角「行き場のない城塞」というステキな舞台が設定されているのだから、そこで起きる人間同士の極限感情を描写していれば名作になったのに、と思う。

また伏線自体も見え見えで、ストーリーが読めてしまう。戦略的に巨人との戦闘が描写されていれば、コンバットものとしても楽しめようが、その要素もない。ただ個人の傑出した能力で修羅場を切り抜ける、という展開では早晩行き詰るだろう。

絵も稚拙で、ヘタウマというより、基本ギャグ絵なので、深刻なシーンがギャグになって笑えないことがたびたびある。

煮た様に名作になり損ねた作品に「ドラゴンヘッド」がある。

これは大地震・大津波によって崩壊した関東地方を生き抜こうとするサバイバルものだが、舞台設定は秀逸なものの、人間描写やストーリーテリングが稚拙で、結局半ば忘れ去られた作品となってしまった。

     ☆

ここまで酷評すると、じゃあお前はどんな作品が名作というのか、とツッコまれると思うので、言ってしまうと「漂流教室」である。学校ごと、公害によって人類が死滅した未来へタイムスリップした子供たちのサバイバルを描いたものだが、なぜ名作かといえば、人間描写がいやらしいw。

平気で子供からパンを奪う、普段は気のいいおっさんの関谷(!)。平気などころか、関谷はこの極限状況を楽しんですらおり、生徒らを集めて軍隊すら作って、怪物めがけて竹槍特攻させたりしている。こんな秀逸なキャラはよほど人間洞察が深くないと作れないだろう。

ストーリテリングも絶望につぐ絶望と、一向に好転しない。危機が解決して一息ついたと思ったら、すぐに別の危機が迫ってくるので、読者としてはもう読み出したが最後、終わりまで読まないとならない。たるい幼年時代の回想などをやっている場合ではないのである。


8/19/11

原発、円高とお堅い話が続いたので、「ゆるい」お話を。

その名も「ゆるゆり」。

今期のアニメではズ抜けたおもしろさを誇っている。なぜ「ゆるゆり」かといえば、「ユルい百合」だからだが、なぜ「百合」かというと、雑誌「百合姫」に連載されているから。

一巻の後書きを読むと、本来は「ごらくぶ」というタイトルにするつもりだったらしい。「けいおん」の二匹目のどぜうを狙ったわけだが、「ごらくぶ」というのは主人公らの所属するクラブ「娯楽部」のこと。

4人の女子中学生が放課後、娯楽部に集い、たわいのない話をしあう・・・というと、女子学生を集めればいいってもんじゃない、考えの浅い、と思われるかもしれない。実際、その類の凡百な作品は山ほどあるが、「ゆるゆり」は「ペア」を作ることにより、この問題を切り抜けた。

京子・ユイのボケ・ツッコミペアをはじめとして、ユイ・ちなつと京子・綾野の百合ペア、綾野と千歳の凸凹コンビと、おもにこの4つのペアを軸にしてキャラが勝手に動いて、話を盛り上げていく。

このようなキャラ造詣の手法は「けいおん」というより、「苺ましまろ」の方にちかい。「苺」では姉と美羽の悪乗りコンビ、美羽と千佳のボケ・ツッコミコンビ、マツリとアナの仲良しコンビを軸に、姉と千佳の姉妹ペア、姉とマツリの百合ロリカップル、美羽とマツリ・アナのイジり・イジられ関係とが重層的に展開され、面白さをかもし出している。

「ゆるゆり」も同じ構造をとっていることは、例えば京子=美羽、ユイ=千佳となぞらえれば、よく分かるだろう。

あとOPが電波がかっていて、作業中にふいにアタマをよぎってしまうのだが、何とかしてほしい。

8/18/11

一向に円高が止まらないが、不思議なのは、日銀に円を防衛する意思が見られない点だ。

日本と並んで記録的な通貨高が進むスイスでは、利下げ+量的緩和に踏み切った。日銀でも量的緩和を行いはしたものの、その規模は「大海の一滴」にしか過ぎず、歯止めにさえなっていない。

通貨高の三大要因とは国家財政、金利、通貨供給量だと言われる。日本の財政は大赤字、金利はほぼゼロと、基本的には円安に触れるはずなのだが、通貨供給量が少なく、これが円高の要因になっている。

したがって諭吉をどんどん刷って(まあ本当には増刷するのではないが)、円の価値を薄めれば円安になるはずなのだが、日銀はなぜかこの量的緩和に及び腰なのだ。

理由としては
1)白川総裁をはじめ、日本の学界では量的緩和に対して批判的な人が多い。日本の経済学は実体経済を重視し、金融経済を「マネーゲーム」として嫌悪する傾向が強いが、その影響を日銀も受けている。

2)日銀の存在意義は「インフレ対策」なので、インフレにつながる量的緩和はしたくない。インフレになると金融機関が保有する債券なども目減りするので、殊更やりたくない。

3)所詮は官僚なので、正直、円高対策などどうでもいい。苦労して対策を講じたところで給料が増えるわけでもなし。。。

など、色々あるようだけど、どれが正解かな。全部か。


読者登録

仲 薫(leprechaun)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について