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05/16/16 人力車 in Tokyo, 1966

「007は二度死ぬ」を見ていたら、人力車が出ていた。

この映画は日本を舞台にしたもので、1966年ごろに実際に日本で撮影されている。したがって1960年代には日本で人力車が使われていたことになる。もっとも映画上の演出の可能性もあるので、少し調べてみた。

 

巷説では日本人が人力車を発明したことになっているが、「人力で人間が乗った車を動かす」という意味での人力車は、中国がルーツではないかと思われる。孔明が人力車を作らせ、それに乗って先陣に赴いた、というエピソードがあるからだ。もちろんその話は紀元3世紀の話でなく、三国志演義が広まった明代のものと考えられるが、明代に人力車が広く使われていたことは、当時の文書から推測できる。

 

とはいえその「人力車」は人間が後ろから押すもので、牽引型ではない。牽引型の近代的な人力車は18世紀のヨーロッパが初出である。当時の絵画を見ると、小型馬車の馬の代わりに人が引っ張る形をしている。大きな車輪、ほろ付きの輿、ビロードの内装、といった近代人力車のスタイルは欧式馬車によく似ており、ヨーロッパが近代人力車のルーツであることを強く示唆している。

 

直接的な発明者はアメリカ人説と日本人説があるが、おそらくは同時多発的に発明がなされたのだろう。ただその輸出は日本がメインであった。実際、人力車の英語「Rickshaw」は日本語の「リキシャ」を写したものである。明治以後、日本では爆発的に普及し、現在のタクシーよりもお手軽な移動手段として愛用された。また強靭な肉体をもつ純朴な車夫も愛され、「無法松の一生」といった小説・映画も作られた。

 

さらに19世紀末には日本だけでなくアジアにも普及し、アジアを代表する交通手段としての座を確立する。戦後はモータリゼーションの進展とともに廃れていったが、インドではまだ現役で利用されている。

 

日本のモータリゼーションは1960年代に進展したので、1966年当時はまだ東京でも人力車が残っていたらしい。車と競争する姿も見られたようだ。

地方では70年代に入っても使われていたことが、映像記録などから窺える。

http://www.f-kitaura.com/photo.html


05/13/16 オバマ原爆

オバマ大統領が広島を訪れるという。

公式謝罪を行うという訳ではないらしいが、何等かのメッセージを発する予定らしい。

 

立場の違いで見方が180度異なる事象が世界にはいくつかある。

開戦責任、植民地支配、捕鯨、そして原爆投下だ。

日本は当然、「原爆=絶対悪」、とする意見が圧倒的多数なのに対し、アメリカや中国、ロシア、韓国、北朝鮮、台湾など、日本の周辺国では「原爆は因果応報」「原爆が終戦を速めた」とする見方が主流だ。日本ではほとんど受け入れられていない意見だが、客観的に見れば、むしろ「原爆性善説」の方に説得力がある。その根拠はドイツ戦と沖縄戦だ。

 

国土全体が戦場となったドイツでは、人口の1/10が犠牲になったとされる。したがって日本でも本土決戦となれば、同様に1/10=700万が犠牲になったとしても不思議ではない。実際の死者数300万の倍以上である。また沖縄戦では直接・間接的に約20万人が死亡。当時の沖縄の人口は約60万だったので、人口の1/3が犠牲になったことになる。このレートを日本全体に広げれば、2000万人以上の死者ということになる。(実際には県外からの兵士の流入、県外への疎開などがあるので、あくまで概算)。

 

荒唐無稽な数字、と一蹴されるかもしれないが、当時の日本は徹底抗戦一点張りで、海岸には米軍上陸に備えてタコツボが掘られ、「竹やり」で迎え撃てと、日々を訓練が行われていた。松代地下には大本営が建設され、何年でも戦争が続けられるよう、物資が貯蔵されていた。山岳部に逃げこんでゲリラ戦を続ければ、米軍の得意とする物量作戦でも相当にてこずることは、朝鮮戦争・ベトナム戦争で実証されている。日本もその方向で徹底抗戦を続ければ、死傷者は数百万に上ることはほぼ間違いないだろう(ベトナム戦争でのベトナムの死者数は700万前後)。

 

それが(言い方は悪いが)30万前後の死者で済んだのだから、原爆性善説が海外では「定説」なことも、理由がない訳ではないのである。(ついでに言えば、昨今「日本を守った」と再評価されている特攻や玉砕なども、「狂信的日本人」のイメージをアメリカに与え、結果として「原爆を落とさなければ、日本は降伏させられない」という判断に傾かせたという)

 

もちろんそれは、原爆の使用を正当化するものではない。死者数の多寡を以って戦略の優劣を決めるのは、やはり野蛮で非人道的だからだ。アメリカには原爆を無人地に使用したり、海上封鎖を継続したりして、日本の降伏を促すという選択肢もあったはずである。それをせずに、非民間人を多数虐殺したことは、充分、戦争犯罪に問われて良い。

 

ただ日本がそれを主張するのなら、開戦責任を認める必要がある。自らの非を認めずして、相手の非は咎められないからである。

 

開戦責任については、「ルーズベルトの陰謀」または「中国共産党の策略」という見方が日本には根強いが、どちらも証拠がなく、「陰謀論」の範疇を出ていない。また戦争が日常茶飯事であった当時では、「開戦責任」という概念自体、存在していなかったとして、「開戦責任を問うべきでない」、と主張する日本人も少なくない。しかし歴史的には第一次世界大戦終結後、平和を尊重するという国際世論が形成されており、戦争は日常的なものではなくなっていた。それを破ってを戦争を始めた行為は、当時であっても(「犯罪」ではなかったとしても)、「非倫理的」ではあったのである。

 

日本の原爆廃止論が世界的に支持を受けられない理由が、そこにある。

他人を批判する前に、自らを批判すべきなのである。日本が犯した真珠湾攻撃、重慶爆撃、南京虐殺等を十分に自己批判して初めて、原爆の非人道性を批判できるのである。

 

追記

そうこうしているうちに、実際にオバマ大統領が訪広島し、演説を行った。

虐殺への謝罪はなかったが、完全な和解への第一歩と見なすことは可能だろう。


05/13/16 ガラパゴスなおもてなし

日本人が自慢する「おもてなし」は、実は海外からの観光客にはさほど受け入れられていない。

 

今はもう運行を終えたが、かつて大阪と北海道を結ぶブルートレイン「トワイライトエクスプレス」があった。この列車は従業員がそろって出発をお見送りするというセレモニーがあり、従業員らもそれを誇りにしている風であったのだがが、それを見ていたアメリカ人が「この人たちは、なんでこんな非生産的なことをしているんだろう。そんなヒマがあったら、働けばいいのに」と呟いたという。

 

もちろん、このアメリカ人の言い分が正しいとは限らないが、彼(女)の発言は世界には日本式の「おもてなし」よりも、もっと別なサービスを求めるニーズがあることを示唆している。

 

ブルートレインの霊で言えば、見送りの手間を、より質の高い客室サービスや、より美味な食事の調理、あるいは斬新な車内サービスの開発(温泉やカラオケなど)に役立てたほうが、良いように思われる。

 

結局は、「おもてなし」はガラパゴスとよく似ている。

 

顧客ニーズを無視し、ひたすらサプライサイドが自己満足の追及に走った結果が日本式携帯であり、日本式家電であった。その間違いを、また「おもてなし」は繰り返そうとしている。


05/12/16 三菱自動車の闇

現代自動車の燃費水増しが発覚したとき、日本社会は「やっぱり韓国。日本ではありえない」とせせら笑った。

VWの排気ガス不正がバレたときも、日本企業は「日本のメーカーとは違うから」と当然のように否定した。

そして、三菱自動車の燃費水増し。

 

考えてみれば、国際化が大きく進んだ自動車業界では、ある国で起きることは、別の国で起きて不思議ではない。むしろ当然と考えたほうがいいだろう。劣等生がカンニングに手を出すように、追い詰められれば犯罪に手を染めてしまう。それは民族や国籍を問わない。

 

近頃日本では、「日本正義論」「日本文化優位論」といった類の、自慰的な主張が目立つ。他国人は犯罪者か犯罪者予備軍であり、平和を愛する日本人の安寧を脅かす存在であるという論調。日本食や日本のポップカルチャーは、世界から羨ましがられる優れた文化という思い込み。

 

その延長線上に、日本企業無謬論が漂っている。

 

日本人や日本文化は絶対的な存在ではなく、世界のありふれた現象の中の一つであり、世界の人々と同じく過ちや不完全性を孕むもの、という認識が必要だろう。(またこう言うと、「日本文化は不完全だからこそ完全なのだ」という屁理屈君が出てくるんだろうけど)


05/07/16 徴兵制の足音

田母神氏が起訴された。

中国を敵視する氏が今頃になって逮捕されたのは、色々憶測あるところだが、自民党が進め始めた「対中親和路線」の邪魔になった、というのが妥当なところだろう。

 

氏は徴兵制の採用については否定的であり、アベ政権も同様の主張をしているが、言葉通りに受け取るのは尚早だろう。保守派の最終目的である「富国強兵」「明治憲法」には、もれなく徴兵制がついてくるからである(明治憲法20条には徴兵義務が謳われている)。

 

それに対し、徴兵など不要、という説がある。AI技術などの進歩により、現在戦においては多数の素人兵を動員するより、高機能な兵器を運用した方が効率的。つまり量より質で対抗せよ、というわけだ。

 

一見もっともな意見だが、落とし穴がある。それは「圧倒的に多数な相手に対しては、質だけでは対抗しきれない」、という陥穽である。実際、周辺をアラブ諸国に囲まれているイスラエル、軍事大国ロシアと対峙しているウクライナなどは徴兵制を採用している。優秀な武器を多数そろえているイスラエルであっても、武器だけで抗しきれるとは思っていないのである。

 

翻って日本においては、保守派が「仮想敵」とする人民解放軍の兵力は200万を超え、日本のほぼ10倍に達する。これにまともに対抗しようとするなら、むしろ徴兵制は不可避とすら言える。従ってこのまま中国敵視政策をエスカレートさせ続けるなら、最終的には徴兵制が復活する可能性はかなり高いだろう。現在、しきりに中国脅威論を煽っている若者は、その行為やがて自分に返ってくる可能性のあることを、危惧したほうがいいだろう。

 

さらに言えば、人口が激減する日本では、徴兵制を敷いたところで、中国には軍事的に対抗しきれない。軍事対抗路線は、日本には無理筋な選択肢なのである。



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