閉じる


<<最初から読む

19 / 46ページ

04/17/16 巨大地震の時代2

そうこうしている内に、今度はエクアドルで大地震。日本への津波が懸念されるところだが、今のところ気象庁は津波に関する発表をしていない。

 

最近の世界的な地震を見ると、スマトラ→バヌアツ→熊本→エクアドルと太平洋周辺で揺れ動いている。スマトラでは10年ほど前に大津波があり、日本でも5年前に大震災があったことから、この地域の地下活動が活発化している疑いが強い。

 

もしそうだとすると、21世紀も大量死の時代になりそうだ。

 

東日本大震災で2万人、インドネシア大津波で20万人の死者が出たとされる。この上に原発事故や核テロが起きれば、万、十万単位で人は死んでいく。

 

20世紀は戦争という大量死の時代だったが、21世紀も違った意味で、大量に人が死んでいきそうな予感。


04/16/16 巨大地震の時代

巨大地震、再び。

 

今回の地震が特異なのは、「大地震の後に巨大地震が来る」「余震が極めて多い」「火山が噴火」「3地域で連動して地震が起こる」。専門家をして「初めて見る現象」と言わしめるほどの特異さだ。

 

何が起きているのか。

 

やはり3.11前後から、日本の地下構造が変化し、「活動期」に入ったのだろう。歴史的には、異様なことではない。明治~大正期や終戦前後もそうであったと言われる。高度成長期から現在までが安穏すぎたのである。

 

また最近では、日本列島の下にあるプレートはより細かいものであることも分かってきた。プレートとプレートの境目は活断層になるから、今まで考えられていたよりもずっと活断層が多いことになる。そのような曖昧な大地の上に、「活断層の証拠は発見できなかったから、原発が建っていても安全」とは言い切れないことになる。

 

実際、今回の九州地震のように広範囲で大地震が続発する事態下では、複数の原発が同時に危機的な状況に陥る可能性がある。そのような中でも、原発の安全性を保てるのか。福島一か所だけであたふたしている日本の対応能力では、かなり心もとない。

 

まあ地震までもなく、ミサイル一発でアウトなんだけどね(苦笑)。


04/29/13 wikiのまとめにしか過ぎない

最近は歴史ものを書くことが多くなっているが、それを知った知人に「wikipediaをまとめればいいんでしょ。楽だよね」と言われて、ムっとした。

別に楽な訳ではないし、単純にまとめている訳でもない。ネットがなかった頃は本を集めて、それをまとめて文章にしていたが、ネット時代の現代ではいくつかのサイトを見てまとめることが多い。

確かに図書館や本屋に行かなくて良くなった分、楽になったとは言える。しかし逆に調べなければならない情報が増えた分、辛くなったとも言える。

例えば「三国志」についてまとめる際、従来なら研究書の1、2冊でも読んでおけばよかったが、今では原典から中国語サイトまで、様々な情報源にアクセスできるため、かえって手間がかかるようになった。

「赤壁の戦い」など、解説サイトによってマチマチなことが書いてあるので、それらを比較検討して、自分なりの解釈を打ち出さなくてはならない。

もちろん、そうでない書物があることも知っている。よくコンビニなどで売っている、紙質の悪い粗製乱造な本は、本当にwikiを丸写ししているのがある。たぶん先の知人もそれをイメージして「楽なんだろう」と率直に漏らしたのだと思う。

     ☆

ただよく反省してみると、確かにwikiを丸写しはしなくても、それに引きずられてしまうことはないとは言えない。wikipediaは便利だけれども、その記述が間違っていることも少なくない。特に「三国志」ともなると、「演義」の話なのか、「正史」のエピソードなのか、「史書」なのか、それとも「伝説」なのか、区別をつけないとならないが、正史と言えども絶対正しいわけではないので、その真偽の判別は自分でしないとならない。

しかしうかうかしているとwikiを頼り過ぎて、鵜呑みにしてしまうことがある。

まあこうした間違いは比較的簡単に修正できるのだが、「史観」となると気づきにくいのでそうもいかない。

あまり知られていないことだが、wikiの歴史記述には史観がある。左翼・右翼のそれもあるが、自分にとって問題となるのは、「日本人の素人」が往々にしてもつ史観だ。wiki日本版は当然、ほとんどが日本人が編集しているし、wiki編集に携わっているのは素人が多いと聞く(専門家はwikiをバカにしている父子がある)。

すると「三国志」などでは、「横山三国志」などの記述や感じ方がひょい、とwikiに忍び込んでいたりする。

もっともこれは日本の三国志本にはよくあることなので、wiki特有のものではないかもしれない。

またネット上の文章はバラバラでまとまりがないので、それを一つの流れで繋ぎとめていくのは、よほどの集中力も必要になる。情報は集めただけでは、知識にならないのだ。




04/17/13 流行語を翻訳に使うべきか

翻訳するとき、流行語を使うかどうかは、悩ましい問題だ。


"pretty curious!"を「チョーヘン!」と訳した人がいたが、背筋がぞわぞわするようなキモチ悪さを感じた。出版物というの全年齢層対象だから、若年層だけに通じる表現を使うのは憚られる。


また出版物は十年、二十年という時間経過にも耐えなくてはならないから、流行語をむやみに使うと後でイタイ目に遭うこともある。例えば1970~80年代の本では「ナウい」とか「フける(老けるでなく、さぼる、の意)」などの流行語が使われているが、今読み返すと異様な古さがいたたまれない。


そうすると流行語はなるべく避けるべき、という結論になるが、流行語の中には定着して行き、日本語の主流となっていくものもあるので、一概に排除するわけにもいかない。


例えば「クラブ(語尾上げ)」や「食べれる」などの言葉は、かなり浸透しており、逆に排除すると変な日本語になりかねない。「情けは人のためならず(情愛はその人のためにならない)」という誤った表現も、次第に市民権を獲得してきていて、近い将来、本義を喰ってしまうほどの勢いだ。


その一方で、「DQN」や「てへぺろ」などのネットスラングやギャル語は残らない予感がある。これらの言葉や表現は日本語という大海からすると浮き上がっていて、時間が経つにつれ水没していくと思われるからだ。


「チョー」や「冷たっ」などの口語表現は、微妙な立ち位置にある。これらは一応定着しているように見えるが、その実もっと奇抜な表現が出てくると置き換えられる可能性が高い。


翻訳するということは、単に外国語を日本語に置き換える平面的な作業でなく、現在日本語を見極めて未来を予測する時間軸の作業でもある。


09/18/12 痴漢とイジメ

電車の中で身体が触れる。

 

あなたが男性で、相手が女性の場合、「痴漢」だとして訴えられるかもしれない。その場合、あなたに逃げ道はない。痴漢の意思があろうがなかろうが、あなたは警察に連行され、痴漢行為を認めるか、裁判にかけられるかしか選択の余地はない。

 

学校の中で子供が殴られている。

 

その子供の親が、「いじめ」だとして学校や警察に訴える。その場合、いじめっ子には逃げ道がたくさんある。いじめの意思があっても、「じゃれているだけ」として、その子が警察に連行される可能性はほとんどない。そしていじめられっ子はイジメられ続けるか、自殺を選ぶしか、選択の余地はない。

 

痴漢といじめ。

 

一見異なるように見えるが、「犯罪行為と非犯罪行為の線引きが難しい」という点において、両者は同等の行為である。しかし社会のそれへの対処は180度異なる。痴漢においては「疑わしきは罰する」、イジメに対しては「疑わしきは看過する」である。

 

その違いの根底にあるのは、「弱者救済」とでも言うべき心情である。女性はか弱きものであるから、痴漢されていても口に出せないだろう。だから女性に有利なように、制度設計しておかなければならない。あるいは、子供は幼いものだから、本当にいじめであっても、過酷に罰するのは良くないだろう。

 

しかし、このような人間観は正しいものだろうか。女性、子供=弱者、という観念は最早時代遅れではないだろうか。

 

痴漢に関しては、男性=加害者、女性=被害者というステレオタイプが、警察官や裁判官の間に罷り通っている。残念ながら、日本の警察・司法では、この種のステレオタイプが強く、いったん木曽されたら、証拠をでっち上げられ、虚偽の自白を仕立て上げられ、何が何でも犯罪者にされるという恐ろしい面がある。

 

実際、女性側の証言だけで痴漢認定を下されたケースは山ほどあり、その中には後に証拠不十分だとして判定が覆ったケースもいくつかある。車内での携帯使用を注意された腹いせに男性を訴えたり、示談金ほしさに騒ぎ立てるというケースまであったというから、驚きである。

 

「物的証拠」「複数証言」といった裁判のルールを遵守することで、被疑者の権利を守らなくては、ならないのではないだろうか。

イジメに関しては、逆に「イジメは犯罪!」という原則を徹底することで、被害者の権利を守る必要がある。現在の仕組みでは、被害者は泣き寝入りするしかにのが実情だからだ。

 

     ☆

イジメ報告があったなら、きちんとそれを犯罪として認め、事実関係を調査し、事実と分かれば、加害者には適切な処罰を加え、被害者の生命を守る。そんな当たり前のことが、できていないのである。

 

できないのは一つには、学校側のマンパワーが足りないせいでもある。授業や会議で忙しいのに、いじめまで関わってられるか、ということである(その発想自体が、いじめ軽視なのだが・・・)。

 

これに関して、某和民の社長が「いじめのあったクラスの担任は、給料を減らせばいい」とtweetし、「そんなことしたら担任はいじめを隠すだけ」とtwitterで猛反論されていたが、社長の言うことにも一理ある。ただ罰するだけではダメで、うまく解決したら賞を与えるなど、信賞必罰が必要だと思う。要は教師にもいじめ解決へのインセンティブを与えなければ、ということである。

 

また教育委員会もまた、問題である。本来こうした問題を解決すべき教育委員会だが、昨今では地元名士がつく「名誉職」と化していることが多く、イジメ問題などという「不名誉」は隠すか無視してしまう。ましてや大津いじめ自殺事件では、加害者の親らと委員会の間に繋がりがあったも言われており、その場合は尚更、委員会に解決は期待できないだろう。

 

(かといって、教育委員長の頭をトンカチで殴りつけるのは犯罪であり、「テロ」であるが)

 

有名無実化した教育委員会は解散させ、新たに「イジメ取締委員会」を発足。地域のイジメに目を光らせてもらうべきだと思う。無茶な要求と思われるかもしれないが、「学校カウンセリング」に大金払うぐらいなら、その予算を一人分削って取締者を採用してもいいのではないだろうか。あるいはボランティアでもいいだろう。PTAは意味の乏しい作業に血道をあげるより、こうした本当に必要な作業に力を注ぐべきである。

 

またイジメがなくならない理由として、「お礼参りを恐れて、被害者が訴えでない」こともある。先生にチクったことが分かれば、余計虐められる以上、訴え出る子供は少なく、統計上「いじめは存在しない」などという学校も多いと思われる。

 

DVにならって、「被害者と加害者を3m以内に近づけさせない」「クラス替え」「転校」などの処分が必要と思われる。もちろん転校するのは被害者でなく、「加害者」である。

 

守るべきは「子供全員」だ、として加害者も被害者もいっしょくたにして不問に帰する、というやり方が限界に来ている。今やるべきは、「イジメを犯罪と認識し、被害者の権利をしっかり守る」ことなのである。

 



読者登録

仲 薫(leprechaun)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について