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帚木(23)

 日も沈み、空は暗くなりはじめていた。

 左大臣も自室に戻り、葵の上も気分が悪いからと奥にいってしまっていた。

 源氏は、おもしろくなさそうに、横たわっている。

「あ!そうそう、光君、今夜は『中神』が内裏から塞がっておられるんですよ!」

「そうだわ、今日はお避けになる方角でしたわ」

 女房たちが慌てだした。

「中神」とは陰陽道を説く天一神のことである。

 六〇日を一周期とし、一六日は天井にいるが、以後五日あるいは六日ずつ八方に遊行する。

 その中神がいるという方向を「方塞がり」といって忌み、「方違え」をするのだ。

 その日は、内裏からこの左大臣邸への方角が、その方角にあたるため、それを避ける「方違え」のために、別の邸に移らねばならないのだ。

 こんなに遅くなるまで気付かぬなど、側付きの女房のとんだ失態であったが、源氏はそれほど怒っている様子も見せなかった。

「私の母方の実家も、同じ方向だしなぁ。

 どこに方違えするっていうの?。

 もういいよ、いまから動くにしても気分も乗らないし」

 源氏はそう言うと、そのまま寝入ってしまいそうになる。

「そんなぁ、それでは縁起が悪いですよぉ」

 女房の一人が困惑している。

「そうだ、紀伊の守の所なんかどう?」

 一人の女房がいうと、他の女房たちも賛同した。

「光君、『紀伊の守』の邸なんかがよろしいですわ。

 左大臣閣下に親しくお仕えされている方なんですけれど、東京極の中川の辺りの家で、最近、邸内に遣水を引き入れて、涼しい木陰も多いんですよ」

 女房が源氏に提案してきた。

「それ、いいね。

 気分が悪いからさ、牛車ごと入れるような所がいいものね」

 紀伊の守といえば、若い源氏から見ても目下の者である。

 今からでも、そして牛車ごと邸内に入れられるほど、気楽に行けるところではあった。

 ただ単に「忍んでいく」という「それなり」の所ならば、その気になれば多くあったはずだが、しかし、そこに行こうとは源氏は思わなかった。

 仕事に託つけ、今まで久しく左大臣家に──葵の上のもとに──通わなかったのに、珍しく通ってきた今日にも、

「方角が悪いから」

 などといって、予定を変えて、

「他の女のところに通っていった」

 と、左大臣が考えでもしたら──舅である彼が気の毒に思えた。

 紀伊の守ならば左大臣もよく知っている。

 源氏が方違いに行ったと知っても、少なくとも心配することはないだろう。

 心通わぬ妻の父とはいえ、あの実直な舅に源氏はできるかぎり気苦労をかけたくなかった。


帚木(24)

 紀伊の守邸に使いの者を走らせれば、早速、紀伊の守がやって来る。

「光君のお召しとなれば」

 ということなのだろう、実に速い。

 源氏が直接、方違えの件を申しつけると、少し間をおいてから承諾した。

 もともと、紀伊の守が断ることなどできない。

 源氏は、

「方違えのために、卿の邸に泊まるぞ」

 と、命じているのであって、頼んでいるわけではないのだ。

 紀伊の守は、源氏の前を下がった後、

「私の父の『伊予の介』の邸のほうで、凶事を避けなければならないことがございまして……。

 伊予の介自身は任地の伊予国に赴いておりまして、男の供人はすべてそちらに行っておるのですが、伊予の介の邸にいる女どもが全て、我が邸に来ている次第です。

 それで今、寝殿も手狭になっておりますし……

 失礼なことにはならないでしょうか?」

 と、源氏の側近に問うてきた。

 側近が源氏にその事を伝えると、

「その『人けが近い』っていうのもいいじゃないか。

『女遠き旅寝』っていうのは、いやなものだからね。

なんなら、女たちの几帳のすぐ後ろで寝させてくれてもいいんだけど?」

 と、源氏は笑って許した。

「まあ、ちょうどいい所だと思いますよ」

 源氏の供人も賛成する。

 紀伊の守が邸に帰った後すぐ、源氏よりも一足先に、使いの供人を紀伊の守の邸に向かわせた。

 その後、源氏も目立たぬように、わざと大げさでない出口から、急いで出立する。

 左大臣には知らせなかった。

 行き先が紀伊の守の邸とはいえ、知らなければ、それにこしたことはない。

 わざわざ知らせるのも、言い訳がましく聞こえるやもしれぬ。

 供人も親しい者を数人だけ連れて、源氏は紀伊の守邸に向かった。




「なんて急な」

 紀伊の守の家の者たちは、源氏の急な来訪を迷惑がるが、一足先に来訪の準備に紀伊の守邸に到着していた源氏の供人たちは、それを気にするふうもない。

 紀伊の守ごときが──一国の地方国主ごときが──世にも名高い光君の来訪を拒絶できるはずもなかろう──

 まして、その邸の者たちはただ命ぜられるままに働けばよいのだ──。

 それが、この世の羨望を独占する源氏の供人のもつ、傲慢と言えば傲慢であった。

 寝殿の東半分を整理して空けさせて、仮そめの部屋を仕度する。

 部屋の準備が終わるころ、ちょうど源氏が紀伊の守邸に到着した。

 寝殿と、寝殿から渡殿と呼ばれる廊によって結ばれた「東の対」の間を、南方へ流れる遣水の風情なども、しかるべく趣向を凝らしてある。

 源氏が泊まる寝殿の東半分からは遣水が近く、源氏が「涼しく」と言ったことを、よく守っていた。

 雑木の枝を編んだ、いわゆる柴垣は田舎っぽい雰囲気をかもし出し、また庭先の植え込みである「前栽」も、よく留意されている。

 風は思いのほか涼しく、そこはかとなく、虫の鳴き声が耳にとどいてくる。蛍が多くい乱れ飛び、洒落た風情は源氏を満足させていた。


帚木(25)

 源氏の供人たちは、渡殿の下から湧いている泉を見下ろすところに腰掛け、酒を飲み交わし、すっかり出来上がってしまっている。

 邸の主人である紀伊の守などは、源氏やその供人に出す御馳走の用意に、文字どおり「奔走」していた。

玉垂れの 小瓶を中に据ゑて あるじはも や さかな求ぎに さかな取りに こゆるぎの 磯の若布 刈り上げに
 という風俗歌を、まさに地でいっている。

「昨夜の馬の頭が『中の品』について、とうとうと話していたのは、こういう程度の家柄のことを言うんだろうな──」

 そう呟く源氏は、もう一つの不埒な自分が目覚めていることをよく知っていた。

「──中の品の女か──

 ならば──」




「──この家に、気高くとまった女がいるそうですよ──」

 供人のそんな世間話に、源氏はなぜか興味を持った。

「気高くとまった女」と聞けば、自分の妻である葵の上のような女を想像してもよさそうなものだったが、不思議と負の印象はなかった。

「他人事となれば、人は寛大になれるものらしいな──」

 そんな源氏の自嘲を知る者はいない。

 その話を聞いてから、注意して耳を凝らしていれば、寝殿の西側──源氏のいる東側半分とは格子や襖障子などで仕切りがしてある向こう側から人の気配がする。

 衣擦れの音を聞く限りでは、女ばかりが集まっているようで、その衣擦れのはらはらとした音や若い女たちの声が愛らしい。

 自分たちの反対側の東側半分に源氏の一行がいることを知っていて、さすがに気兼ねしているのだろう、笑ったりしている雰囲気は、小さく、取り繕っていることが分かる。

 最初は外側の格子が開いていたようだが、紀伊の守が、

「不用意な。

 光君の御一行がいらしておられるのだから」

 と小言を言って、格子を下ろして閉じてしまった。

 外から中を覗き見る事もできなくなって、内心源氏は苦笑した。

「気がきくのか、きかないのか……」

 灯の隙間からのびる火影、襖障子の上から洩れて天上に映る灯が、なんとなく「秘密めいて」おもしろい。

「どこからか──」

 と、西側を覗き見る隙間を探すが、これといったものはない。

 しかたなく「しきり」に寄り添って声だけを聞くことにした。

 西側にいる女たちは、どうやら部屋の中央に集まっているらしい。

 ひそひそ話をしてはいるが、よく聞こえる。

 しかも源氏のことを話しているらしかった。

「ほんと、すごく真面目っぽくて、まだお若いのに、ちゃんとした奥様がおありになってるのもさ、ほんとつまんないわよね」

「けどさ、そういう『お忍び』のところもあって、それなりにお通いになってらっしゃるそうよ」

「じゃあ、わたしも可能性ある?」

「だめだめ、絶対に私」

 などと笑っている女たちの話を聞くにつけても、源氏としては藤壺への思いを世間に見透かされていそうで、胸をどきりとさせた。

──そんなはずはない──

 源氏には分かっている。

──この思いを知っているのは──私だけ──と。

──あの人でさえ、分かってはおられないかも知れぬ──と。

 しかし、もしもここで、その「秘密」を女たちが噂していたら──。

──私はどう思うだろう──。

──私はどうするだろう──。

──私はどうすべきだろう──。

──私は──。

 源氏が思いを巡らせるうち話は変わり、別段面白くもない女の世間話になっていて、源氏は途中で聞くのを止めてしまった。

 話を聞くのを止める直前、再び源氏の話に戻った。

 式部卿宮──世間では『朝顔宮』とよんでいるが──に、源氏が送った歌をちょっと細部を間違えたまま女たちは噂しあっていた。

 余裕ぶって歌をうたいたがり、しかも間違っている──

 源氏は「世間の女」に幻滅した。


帚木(26)

 紀伊の守がやって来て灯籠の数を増やし、また、燈台の芯を引き出して、灯を明るくする。

 間食として、菓子や果物を持ってきた。

「『帷帳』のほうは用意できているの?

 そちらのほうの気配りがないようじゃ、興冷めもいいところだろう?」
 
 源氏が意地悪く冗談を言った。

──「あちら」のほうの用意はできているんだろうな──?、と。

  自分と葵の上との婚礼のときに吟じられた、

我が家は  帷帳も垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴に 何よけむ あはび さざえか 石陰子よけむ

 という下世話な歌にわざと準えてみたのだ。

「何よけむ──どんなことがお気に召すものやら、小生の身では分かりかねますので……」

 と、紀伊の守はかしこまって真面目ぶって答えて、肩すかしになってしまった。

 しかもちゃんと「我が家は──」に準えて。

──なかなかやる──。

 紀伊の守はすました顔で、そこに控えていた。




 邸には何人か子供がいた。

 紀伊の守の子供が可愛らしい様子で、ちょこんと座っていた。

 たしか以前、見習いのために特に殿上の間に上がってきたときに見かけたことがある。

 遠くのほうには伊予の介の子、つまり紀伊の守の幼い弟も見える。

 そういう多くの中に、特に上品な様子の、年頃は十二、三の少年がいた。

──少年……だろう──?

 と、源氏はその衣装によって認識するしかない。

 その少年の顔は少女っぽく、愛らしい。

 軽く化粧をさせてみたいほどであった。

「あれは、どこの子?」

 源氏が紀伊の守に訊いた。

「ああ、『小君』のことですか──

 ご存じじゃないですか?つい最近亡くなった衛門の督を。

 その衛門の督の末の子でして。

 衛門の督もたいそう可愛がっておられたようですが、その衛門の督もすでになく、その後、あの子の姉が、私の父伊予の介に嫁ぐことになりまして、その関係でこうして仕えております。

 頭の良い子で、私の目から見ても見込みがございなす。

 本人も殿上に上がって殿上童になることを望んでおるようですが、いかんせん、父であった衛門の督も今は亡く、私では後見としては役不足でして。

 たやすくは出仕できませんで……」

 紀伊の守は、『小君』と呼んだ少年のほうを見つめながら、そう、もらした。

「可哀相に……ん?

 ということは、あの子の「姉」が、君の『継母』になるわけか?」

「さようです」

 紀伊の守の顔に、複雑なものが浮かぶ。

(そうか……)

 源氏は、自分の記憶の中から或る事を引き出した。

 故衛門の督の娘といえば未だ二十代前半──紀伊の守とそう変わらぬ歳であるはずだ。

 その娘が伊予の介の後妻の一人となっていたとは……。

「不相応な歳の母親をもつことになったもんだね。

 たしか、衛門の督の生前、その娘の入内の話があったんじゃなかった?

 そういえば、帝がその入宮の話を聞いていて

 『衛門の督が娘を入宮させたいと、前にちらりと話していたことがあったけれど、どうなっているんだろう』

 と、いつぞやおっしゃっておられたよ」

 源氏は口ではそう言った。

「私もその話は耳にしたことはありますが……。

 御覧のとおり、このようになっております」

 紀伊の守は源氏が考え、飲み込んだ言葉を察しているようだった。

「衛門の督」といえば、六衛府の一つで宮中の警備にあたる衛門府の長たる役で、従四位下相当の者があたる。

 いわゆる殿上に上ることのできる「殿上人」で、宮廷社会全体から見れば「中の上」といったところだろうか。

 しかし、もし、その娘が入内を果たし、帝の寵愛を受けるとなれば、その父たる衛門の督は、その上の地位を──「貴」なる地位を──保証されたはずである。

 事実、衛門の督はそれを望み、願い、思い描いて、娘の入内の話を帝にしていたのだろう。

 そして、その娘の後見をしてやれるほどの地位に、衛門の督は辛うじて「いた」のだ。

 そして、栄達への高き段に手が届いていた衛門の督は──その途上、この世を去った。

 娘は、自分の父という存在だけでなく、約束された輝かしい将来も、己の人並みの安定した生活さえも無くしてしまったのだ。

 壮年になって、実力では従四位下程度になるのが精一杯であった程度の男の親族が、その娘を入内させるだけの後見力をもっているはずもない。

 入内の話が立ち消えになったのも、その頃だ。

 そして娘は、自分と幼い弟、そして父や自分に仕えていた少数の供人、女房の生活のために、父娘ほども歳の離れた──自分と同世代の子供さえもいる伊予の介の後妻として嫁いだのだ──。

 源氏の母と似た境遇にありながら、無理を通して入内した今は亡きかの更衣とは違う道を歩み、孫さえもいる老人と婚姻することになり、自分と同世代の息子ができてしまった女は──どのような思いを抱いているのだろう。

「後々には入内し、帝の下で──」と願われ、望まれていた「盛り」な女が、「伊予の若妻」と呼ばれるようになってしまった、その思いは──。

 源氏の供人が「気高くとまっている女がいる」と言っていたのは、この女のことで──それも分かる気がする。

「女」として最高の地位を手に入れる寸前にまでいった若き女が、父の死によって後見を無くし、父娘ほども歳の離れた好色な老いた男に──「伊予の介」などという、実父よりも数段格下の地位に甘んじている年老いた男の下に嫁がねばならないとは──。

──全ては生活のため──生きるため──。

──そう割り切れるものでもあるまいに──。

 源氏の思いに──しかし、同情の念は少なかった──。


帚木(27)

 伊予の介は、その呼ばれ名のとおり、伊予の国の「介」──つまり地方行政の次官である。

 つまりその歳になっても「介」の地位しか手に入れることのできなかった──息子には、紀伊の「守」──つまり長官として既に追い抜かれている──。

 息子の任地である紀伊国よりも遠く、倍以上の日数を船に揺られなければ辿り着けぬ「辺境」の──しかも「介」でしかない。

 国主である「守」というのは「おいしい」役職である。行政長官としてだけではなく、司法さえも手中に収め──そして何よりも租税の徴収権を一手に引き受けている。

 だからこそ「おいしい」のだ。

 租税率に僅かな水増しを加え、着服する。

 豊かな国であればあるほど、自分の懐に転がり込む金も多くなる。

 無論、合法的なこととはいえぬ。

 しかし、司法──時には軍事さえも牛耳っているから、何人も文句は言えない。

 中央にさえ、ばれなければよいのだ。

 いや、ばれたとしても、その人脈金脈を以て、もみ消せばそれでよい。

 「それさえ」もできない無能者に国主を務める資格はない。

 財を貯え──財を育て──その財力を基に中央政界へとのし上がる。

 財力にものを言わせ、朝廷に金品、資本を、提供し、中央への「貢献度」を上げ、その「貢献度」の有無、多少によって中央の官職を得るのだ。

 体のいい「売官制度」でしかないが、それを問題にする者はいない。

 だからこその「平安」ではないか──。

 そして、伊予の介は、それさえもできないのだ。

 息子である紀伊の守は、未だ若く、また、その若さで「守」であるから、彼の手腕によってはそれなりの栄達も叶おう。

 財力と人脈を最大限に利用し、「男」としての地位を上げることも可能である。

 しかし、伊予の介は既に年老い、しかも「介」でしかない。

──これ以上、上ることの出来ぬ男──。

 そして、そんな男の「若妻」となってしまった女は──。

 上ることを──少なくとも上ることの機会が与えられることを──約束されていた女が、そんな男の後妻におさまるなど──。

──女は──自分の運命をやすやすと受諾しているのか──?

 源氏は意地悪く想像する。

──女よ──その不満を──その不安を──汝は、その「内」に閉じ込めていられるのか──?

──この私を前にしてもなお──。

──私が──試してやろう──。

「男と女の仲っていうのは、どうも分かりづらいものだね」

 年下の源氏が、大人ぶってそう呟いたのを、紀伊の守はどう受け取ったろう。

「私の継母である女と父との縁談も、突然湧いてでてきたものですから、世の中、そういうものでございましょう。

 今も昔も『定まりきった』ことなどないのかも知れませぬ。

 それに、そういうのでも特に『女の宿世』というのは『浮かびたる』というものだからこそ、趣があるものでしょう」

 紀伊の守は、口に出してはそう言った。

「伊予の介は、その若妻をさぞや大切にしているんだろうね。逆に『ご主人さま』って感じじゃないの」

「それはもう。おっしゃるとおり、傍から見ていると『自分のご主人』と考えているんじゃないかと思えますよ。

 実の父ながら……いや、実の父だからでしょうか、『好色がましい』と……。

 私をはじめ、伊予の介の子は皆、この婚姻を承知したわけではあるませんし」

 紀伊の守が苦笑する。

「まあ、しかし、あの伊予の介が、その若妻を、いかにも『似合っている』っていう、今風の君達のような若者に下げ渡すとも思えないね。

 かの介は、結構『いける男』っていうもっぱらの評判じゃないか」

 と、源氏は笑った。

「父も、今は任地の伊予国に赴いておりますから、今頃何をしていることやら……」

 紀伊の守も肩をすくめるように苦笑する。

「──で、その若妻、どこにいるの?」

 源氏が、さりげなく訊く。

 伊予の介の邸での凶事がおもわしくなく、その家の者たちがこの紀伊の守の邸に来ているというのだから、その若妻もこの邸にいるはずだ。

「たいていの者は召使の住む『下屋』に下げさせましたが──全部は下がれないでいると思います。下屋は狭いところですから──」

 源氏のさりげない問いに、紀伊の守はさりげなく答える。

 紀伊の守は、源氏の言わんとしていることを──源氏は紀伊の守が言わんとしていることを──正確に把握していた。

──中の品の女が──いる──。

 源氏は表情も変えずに、ほくそ笑んだ。



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