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帚木(21)

 藤式部がしずしずと落ちつきはらって言い終わると、源氏たちは、

「またまたぁ、そんな作り話をさぁ」

 といって笑った。

「どこにそんな女がいるっていうんだよ!」

「そんな女といるなら、おとなしく、鬼とでも会ってたほうがましだよ」

「気味の悪い話だなあ、もう嘘ばっかり」

 と皆でして藤式部を冗談めかして爪弾きをし、

「話になんないよ」

 と貶している。

「するなら、もう少しましな話をしろよ」

 と、頭中将が藤式部を責めるけれど、本人は、

「これよりも、面白い話がある?『現実は物語よりも稀なり』だよ」

 とすまして答えていた。




 夜もふけて、馬の頭は話のまとめに入っていた。

「男にしても女にしても全て、中途半端な者に限って、自分がわずかに知ってることを、知ったかぶって残らず他人に見せ尽くそうと思っているのは、困りものですね。

 三史五経やいろいろな専門の学問を、徹底的に究め尽くすっていうのは、さすがに可愛くないですけどね。

 女だからといって

『世間の公私のことなんか、全然知らない』

 っていうのはないでしょ?

  わざわざ勉強しなくても、ちょっと利口な女なら、見たり聞いたりしたことでも、すぐ覚えて、いわゆる『知識』になることも、自然と多いでしょうからね。

 そのあげく、漢字をさらさらと書いて、それほどの高い教養があるはずのない女同士の手紙に、半分以上もそういう調子で書き込んであるのを見ると

『ああやだ、もうちょっと女らしかったら……』

 って思える。。

 書いている本人はそうは思ってないんでしょうけど、そういうふうな漢字ばかりの堅苦しい文だと、自然と読む方もぎくしゃくした読み方になってしまうのは、やっぱり変でしょ。

 こういう女は、上席の女房のなかにも最近では多くなりましたからね。

 和歌を読むことに得意気になっている人が、次第に歌のことにばかり気を取られることが、ままにして多くありますし、そういう人が、初句からしっかり踏まえた歌を、こちらが忙しかったり、機嫌のすぐれないときにかぎって詠んでよこすのは、ほんと不愉快で。

 返歌しなければ気が利かぬ男と思われかねないし、かといって忙しくて『できない時』というものがあるんですから、そういうときには困ったことになりますよね。

 元日とか、九月九日の『重陽』のときに開かれる『節会』のような宴会がある時とかさ──

 ほら、五月五日になると、武徳殿に行幸があって菖蒲の鬘をつけた者たちに薬玉を賜って、競馬が行われるときなんかさ、すごく忙しいじゃない。

 そういう日の急いで参上しなきゃならない朝なんかで、落ちついて模様とか分別の『文目』でさえも考えられない時に、趣向を凝らして手紙に菖蒲の根の歌を贈ってきたり──

 菖蒲の長い根が厄除けになることは、こちらも知ってますけどさぁ──

 九月九日の宴のときに、こっちは宴で作らなきゃならない漢詩の腹案を

 『できるだけ趣向を凝らして、工夫して──』

 って真剣になって考えてて、暇がないのにさ、菊の露になぞって『涙』の歌を贈ってくるとか、ね。

 こっちはそういうことにいちいち付き合っておかないといけないでしょ。

 そういう特別な場合じゃなくても──ほんと、後になって見ると、お洒落で趣深いものではあるんですが──その時々の事情とか状況に合わず、こっちはそんなことを気にしてる場合じゃないのに、そういうことを全然察せずに歌を詠んでよこすのは、ほんと気が利かない。

 万事につけて、普通に考えて

『どうして今この時にこんな事?』

 って思える場合とか、いろんな折節とか、

『やっていいのかどうか、どっちかわからない』

 っていうときには、勿体ぶったり、風情ぶったりしないほうが無難でしょうね。

 すべて、自分が知っていることでも知らぬ顔で取り繕い、言いたいことでも、そのうちの一つ二つは言わないでおくっていうのがいいんじゃないでしょうかね」

 馬の頭がそういうと、藤式部はいたく感心していた。

 源氏は、ただ一人のことを──あの人のことを──心内に思い起こしていた。

──いままでの馬の頭の議論をもっても、あの人には足りぬところもなく、過ぎたところもない。

 「理想のいい女性」のそのままじゃないか──。

──やはりあの人は──。

 藤壺の比類のない「美しさ」に、源氏は独り胸を締めつけられる思いであった。

 結局、どうこうという結論が出ぬままに、最後には他愛のない話になって、四人はそのまま夜を明かした。




──外では、雨音が緩やかになっていくのが分かった──。


帚木(22)

 こうして天気も持ち直し、宮中の物忌みもそれにあわせるように解かれた。

 これほど長期にわたって宮中に滞在するのも、舅である左大臣に気の毒で、源氏は、頭中将たち三人と別れた後、宮中を退出し、妻である葵の上が待つはずの左大臣邸に向かった。

 左大臣邸の有り様は、文句のつけようのないほどきちんとしている。

 いまでは、左大臣の妻である大宮とともに「女主人」である葵の上の目が行き届いているからであろう。

 葵の上は、端麗で高貴であり、何事にもしっかりとしていて「乱れたる」ところなど表には全く見せない。

「こういう人を、馬の頭たちが褒めていた『実直で頼り甲斐のある女性』というんだろうな」

 と源氏にも分かっていた。

 しかし、そのあまりにも「しっかりとした」葵の上は、源氏に頑に心を閉ざし、気詰まりなまでにとりすまし、感情を感じることさえできない。

 姿を見せることもなく、几帳の向こうで独り座している。

 その美しいはずの葵の上の姿を、源氏は最近見ていない。

──私が求めているものは「妻」ではない──。

──そのようなものは二次的なもの──。

──葵の上は分かっておられない──。

──彼女が望んでいるものは──何だ──?

 世間話を話しかけても、葵の上が快くそれに答えてくれることはない。

 物足りなく、源氏は、葵の上付きの女房である中納言の君や中務などの若い女房たちと、冗談を交えながら談笑していた。

 暑さに、着物を少しはだけ気味に着込み寛いでいる源氏の様子を見ては、女房たちは、

「わぁ……かっこいい──」

 とうっとりしている。

 ちょうど左大臣が渡ってきて、源氏が寛いでいることもあって、几帳を隔てて対坐して、話も弾んでくる。

「ほんと、超暑いよね」

 源氏が冗談めかして苦い顔をして、女房たちを笑わせる。

「しーっ。

 静かに」

 と自分で笑わせておいて、人指し指を口にあて、脇息に寄り掛かる。

 そういう、いかにも貴人らしい源氏の振る舞いが、神がかりなまでに美しい。

──葵の上は、几帳の隙間から、その美しい源氏の姿を覗き見て──そして、独り胸を焦がす──。

──あれほど美しい光君が私の夫だなんて──。

──やはり私では不釣り合いに違いない──。

──私のような年増さな女では──。

──私のような淫らな女では──。

──あの美しい光君には似合わない──。

──きっと、光君は私を好いてはおられない──。

──私と婚姻をしたのも、父上と帝が決めたことだもの──。

──光君が望んだことではないのだもの──。

──光君と他の女性との浮名も、よく耳にするし──。

──それに──それに源氏は、他の誰かを特別に愛しておられる──。

──光君の心の中には、私はいない──。

──私には分かる──

──なぜなら私は──こんなにも光君を──

──でも、いまさら、光君に自らすがりつくなど、私にはできない──。

──私は、これでもかまわない──。

──私は、このままでもかまわない──。

──そうだ──このまま愛されずともかまわない──。

──それでも私は「妻」でいられるのだから──。

  葵の上は──己に言い聞かせていた──。


帚木(23)

 日も沈み、空は暗くなりはじめていた。

 左大臣も自室に戻り、葵の上も気分が悪いからと奥にいってしまっていた。

 源氏は、おもしろくなさそうに、横たわっている。

「あ!そうそう、光君、今夜は『中神』が内裏から塞がっておられるんですよ!」

「そうだわ、今日はお避けになる方角でしたわ」

 女房たちが慌てだした。

「中神」とは陰陽道を説く天一神のことである。

 六〇日を一周期とし、一六日は天井にいるが、以後五日あるいは六日ずつ八方に遊行する。

 その中神がいるという方向を「方塞がり」といって忌み、「方違え」をするのだ。

 その日は、内裏からこの左大臣邸への方角が、その方角にあたるため、それを避ける「方違え」のために、別の邸に移らねばならないのだ。

 こんなに遅くなるまで気付かぬなど、側付きの女房のとんだ失態であったが、源氏はそれほど怒っている様子も見せなかった。

「私の母方の実家も、同じ方向だしなぁ。

 どこに方違えするっていうの?。

 もういいよ、いまから動くにしても気分も乗らないし」

 源氏はそう言うと、そのまま寝入ってしまいそうになる。

「そんなぁ、それでは縁起が悪いですよぉ」

 女房の一人が困惑している。

「そうだ、紀伊の守の所なんかどう?」

 一人の女房がいうと、他の女房たちも賛同した。

「光君、『紀伊の守』の邸なんかがよろしいですわ。

 左大臣閣下に親しくお仕えされている方なんですけれど、東京極の中川の辺りの家で、最近、邸内に遣水を引き入れて、涼しい木陰も多いんですよ」

 女房が源氏に提案してきた。

「それ、いいね。

 気分が悪いからさ、牛車ごと入れるような所がいいものね」

 紀伊の守といえば、若い源氏から見ても目下の者である。

 今からでも、そして牛車ごと邸内に入れられるほど、気楽に行けるところではあった。

 ただ単に「忍んでいく」という「それなり」の所ならば、その気になれば多くあったはずだが、しかし、そこに行こうとは源氏は思わなかった。

 仕事に託つけ、今まで久しく左大臣家に──葵の上のもとに──通わなかったのに、珍しく通ってきた今日にも、

「方角が悪いから」

 などといって、予定を変えて、

「他の女のところに通っていった」

 と、左大臣が考えでもしたら──舅である彼が気の毒に思えた。

 紀伊の守ならば左大臣もよく知っている。

 源氏が方違いに行ったと知っても、少なくとも心配することはないだろう。

 心通わぬ妻の父とはいえ、あの実直な舅に源氏はできるかぎり気苦労をかけたくなかった。


帚木(24)

 紀伊の守邸に使いの者を走らせれば、早速、紀伊の守がやって来る。

「光君のお召しとなれば」

 ということなのだろう、実に速い。

 源氏が直接、方違えの件を申しつけると、少し間をおいてから承諾した。

 もともと、紀伊の守が断ることなどできない。

 源氏は、

「方違えのために、卿の邸に泊まるぞ」

 と、命じているのであって、頼んでいるわけではないのだ。

 紀伊の守は、源氏の前を下がった後、

「私の父の『伊予の介』の邸のほうで、凶事を避けなければならないことがございまして……。

 伊予の介自身は任地の伊予国に赴いておりまして、男の供人はすべてそちらに行っておるのですが、伊予の介の邸にいる女どもが全て、我が邸に来ている次第です。

 それで今、寝殿も手狭になっておりますし……

 失礼なことにはならないでしょうか?」

 と、源氏の側近に問うてきた。

 側近が源氏にその事を伝えると、

「その『人けが近い』っていうのもいいじゃないか。

『女遠き旅寝』っていうのは、いやなものだからね。

なんなら、女たちの几帳のすぐ後ろで寝させてくれてもいいんだけど?」

 と、源氏は笑って許した。

「まあ、ちょうどいい所だと思いますよ」

 源氏の供人も賛成する。

 紀伊の守が邸に帰った後すぐ、源氏よりも一足先に、使いの供人を紀伊の守の邸に向かわせた。

 その後、源氏も目立たぬように、わざと大げさでない出口から、急いで出立する。

 左大臣には知らせなかった。

 行き先が紀伊の守の邸とはいえ、知らなければ、それにこしたことはない。

 わざわざ知らせるのも、言い訳がましく聞こえるやもしれぬ。

 供人も親しい者を数人だけ連れて、源氏は紀伊の守邸に向かった。




「なんて急な」

 紀伊の守の家の者たちは、源氏の急な来訪を迷惑がるが、一足先に来訪の準備に紀伊の守邸に到着していた源氏の供人たちは、それを気にするふうもない。

 紀伊の守ごときが──一国の地方国主ごときが──世にも名高い光君の来訪を拒絶できるはずもなかろう──

 まして、その邸の者たちはただ命ぜられるままに働けばよいのだ──。

 それが、この世の羨望を独占する源氏の供人のもつ、傲慢と言えば傲慢であった。

 寝殿の東半分を整理して空けさせて、仮そめの部屋を仕度する。

 部屋の準備が終わるころ、ちょうど源氏が紀伊の守邸に到着した。

 寝殿と、寝殿から渡殿と呼ばれる廊によって結ばれた「東の対」の間を、南方へ流れる遣水の風情なども、しかるべく趣向を凝らしてある。

 源氏が泊まる寝殿の東半分からは遣水が近く、源氏が「涼しく」と言ったことを、よく守っていた。

 雑木の枝を編んだ、いわゆる柴垣は田舎っぽい雰囲気をかもし出し、また庭先の植え込みである「前栽」も、よく留意されている。

 風は思いのほか涼しく、そこはかとなく、虫の鳴き声が耳にとどいてくる。蛍が多くい乱れ飛び、洒落た風情は源氏を満足させていた。


帚木(25)

 源氏の供人たちは、渡殿の下から湧いている泉を見下ろすところに腰掛け、酒を飲み交わし、すっかり出来上がってしまっている。

 邸の主人である紀伊の守などは、源氏やその供人に出す御馳走の用意に、文字どおり「奔走」していた。

玉垂れの 小瓶を中に据ゑて あるじはも や さかな求ぎに さかな取りに こゆるぎの 磯の若布 刈り上げに
 という風俗歌を、まさに地でいっている。

「昨夜の馬の頭が『中の品』について、とうとうと話していたのは、こういう程度の家柄のことを言うんだろうな──」

 そう呟く源氏は、もう一つの不埒な自分が目覚めていることをよく知っていた。

「──中の品の女か──

 ならば──」




「──この家に、気高くとまった女がいるそうですよ──」

 供人のそんな世間話に、源氏はなぜか興味を持った。

「気高くとまった女」と聞けば、自分の妻である葵の上のような女を想像してもよさそうなものだったが、不思議と負の印象はなかった。

「他人事となれば、人は寛大になれるものらしいな──」

 そんな源氏の自嘲を知る者はいない。

 その話を聞いてから、注意して耳を凝らしていれば、寝殿の西側──源氏のいる東側半分とは格子や襖障子などで仕切りがしてある向こう側から人の気配がする。

 衣擦れの音を聞く限りでは、女ばかりが集まっているようで、その衣擦れのはらはらとした音や若い女たちの声が愛らしい。

 自分たちの反対側の東側半分に源氏の一行がいることを知っていて、さすがに気兼ねしているのだろう、笑ったりしている雰囲気は、小さく、取り繕っていることが分かる。

 最初は外側の格子が開いていたようだが、紀伊の守が、

「不用意な。

 光君の御一行がいらしておられるのだから」

 と小言を言って、格子を下ろして閉じてしまった。

 外から中を覗き見る事もできなくなって、内心源氏は苦笑した。

「気がきくのか、きかないのか……」

 灯の隙間からのびる火影、襖障子の上から洩れて天上に映る灯が、なんとなく「秘密めいて」おもしろい。

「どこからか──」

 と、西側を覗き見る隙間を探すが、これといったものはない。

 しかたなく「しきり」に寄り添って声だけを聞くことにした。

 西側にいる女たちは、どうやら部屋の中央に集まっているらしい。

 ひそひそ話をしてはいるが、よく聞こえる。

 しかも源氏のことを話しているらしかった。

「ほんと、すごく真面目っぽくて、まだお若いのに、ちゃんとした奥様がおありになってるのもさ、ほんとつまんないわよね」

「けどさ、そういう『お忍び』のところもあって、それなりにお通いになってらっしゃるそうよ」

「じゃあ、わたしも可能性ある?」

「だめだめ、絶対に私」

 などと笑っている女たちの話を聞くにつけても、源氏としては藤壺への思いを世間に見透かされていそうで、胸をどきりとさせた。

──そんなはずはない──

 源氏には分かっている。

──この思いを知っているのは──私だけ──と。

──あの人でさえ、分かってはおられないかも知れぬ──と。

 しかし、もしもここで、その「秘密」を女たちが噂していたら──。

──私はどう思うだろう──。

──私はどうするだろう──。

──私はどうすべきだろう──。

──私は──。

 源氏が思いを巡らせるうち話は変わり、別段面白くもない女の世間話になっていて、源氏は途中で聞くのを止めてしまった。

 話を聞くのを止める直前、再び源氏の話に戻った。

 式部卿宮──世間では『朝顔宮』とよんでいるが──に、源氏が送った歌をちょっと細部を間違えたまま女たちは噂しあっていた。

 余裕ぶって歌をうたいたがり、しかも間違っている──

 源氏は「世間の女」に幻滅した。



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